人間牧場

投稿者: | 2012年7月22日

○第1回ジョン・万次郎塾(その1)

 旅する巨人といわれた民俗学者宮本常一に続いて、600ものまちや村を冷害や風水害から救った復興の祖といわれる二宮尊徳をテーマに、それぞれ2年間学習してきた私塾年輪塾は、今年から2年間、江戸末期から明治初期にかけて数奇な運命を辿った、ジョン・万次郎をテーマに学習することになり、その第1回目の学集会が、少し遠隔の地である愛南町山出憩いの里温泉で昨日と今日、28人が参加して開催されました。
 愛南町を選んだ理由は、ジョン万塾の世話をしてくれたのが高知県四万十市の和田修三さん、愛南町の上田来喜さん、脇田弘樹さんだったことと、ジョン・万次郎の出身地が高知県土佐清水市中浜で、明くる日のエクスカーションに都合が良かったこと、また講師のジョン・万次郎研究家青野博さんが高知県土佐市の人だったことなどなど、諸々の条件が重なったからでした。

 3人は今回のプログラムを組み立てるに当たり、会場選定から当日の運営までかなり頻繁に、しかも綿密に連絡を取り合い打ち合わせをしてくれました。また3人の収集したかなり大量の資料は脇田さんを通じて年輪塾ネットで塾生に配信され、私のようなものでも、津本陽の「椿と花水木」(万次郎の生涯上・下)、井伏鱒二の「ジョン万次郎漂流記等の課題図書をアマゾンで取り寄せ、また脇田さんから送られてきた「日本の100人」(No、067ジョン万次郎)などを、年表を頭に描きながらかなり詳しく読んで事前学習して望みました。
 昨日は久しぶりの好天に恵まれ、前日打ち合わせていた通り、松本小番頭さんが自慢のプリウスに乗って、朝8時10分前にわが家へ迎えに来てくれました。8時に浜田さんと待ち合わせ、3人で双海町を予定通り出発しました。双海~長浜~大洲と肱川沿いを走り、大洲から高速に乗って西予、宇和島を素通りして津島やすらぎの里付近まで、楽しい雑談をしながら進みました。そこから先は地道国道56号を南レクまで走り、農面道路を経て休むこともなく一気に会場となる山出温泉に到着しました。時計を見ると10時40分過ぎでした。幾ら便利になったとはいえ、幾らプリウスだといえ、あまりの早さに一応が驚きを隠せませんでした。

 

お城の形をした山出温泉

 そのうちメンバーが一人二人と到着し、4月14日大洲市田処大杉年輪塾以来の旧交を温めました。準備の都合もあるので、少し早めの11時過ぎから、何故か?バイキング990円(おつり10円)の食事をしました。田舎だからと侮っていましたが、どうしてどうして、美味しいご馳走がこれでもかというほど並び、欲どしい私たちはこれでもかというほどお代わりを重ね、すっかり食べ過ぎてしまいました。
 この日の塾には新顔も何人か顔を見せていて、特に脇田さんの手助けのために愛南町役場の若手が4人も参加してくれ、受付や会場準備といったコマゴマをやってくれ、大助かりでした。
 講師の青野さんは四万十市の職員である和田修三さんの無二の親友だと聞いていました。また青野さんは土佐市の職員を長年していて早期退職し、現在は病院の事務長やたかおか薬局の社長さんをしているそうですが、生まれは愛媛県松山市だったり、お父さんが国鉄に勤めていたころ、下灘駅に勤務した経験があるという、意外にも耳寄りな話を聞き親密感を覚えました。
 青野さんはジョン万次郎の研究家と名乗るだけあって、かなりな博学でその研究のために海外へも何度か足を運び、関わる人と親密な交友も続けているのです。いやあ凄い人だと思いました。年輪塾では今年末に第2回目の学集会を人間牧場で、来春高知県四万十市で第3回学習を行い、来年末には大掛かりな公開セミナーを開く予定です。後3回の学集会にも指導をしてもらうよう依頼し、快諾を得ることが出来ました。

  「楽しみに していたジョン万 学習会 ついに始まり 進化を期待」

  「ジョン万の 研究私財 投げ打って 面白き人 世にはいるもの」

  「遠い町 すっかり近く なり便利 噓じゃないかと 時計確認」

  「私には ジョン万次郎 夢の人 聞けば聞くほど もっと知りたい」