人間牧場

投稿者: | 2011年9月24日

〇「もし」をポジティブに捉える

 私の人生は夕日を抜きにして語ることはできません。最初の夕日との出会いは生まれ育った下灘という漁村でしたが、ごくありふれた当たり前ように見えるが故に美しいとは思っても、それ以上ではありませんでした。18歳の時宇和島水産高校の実習船で見た南太平洋の夕日や、総理府派遣第10回青年の船にっぽん丸で見たアメリカ・メキシコ・ハワイの夕日も私を心を揺さぶるような感動は正直ありませんでしたが、これらの夕日が私の心の中の潜在能力として蓄積されていたのです。
 ある日私はNHKの「明るい農村」というテレビの取材を受ける予定でした。NHKのディレクターとカメラマンが上灘駅へ降りる私との約束を間違って下灘駅へ降りてしまったのです。連絡を受けて下灘へ迎えの車を走らせましたが、駅のベンチで西瀬戸の水平線に今まさに沈まんとする夕日を見てディレクターは「ここの夕日は今まで見た夕日の中で一番美しい」と私に告げました。その時こそが私の心の奥に潜む夕日の潜在能力が、9:1から8:2に浮かび上がった瞬間でした。

 私の脳裏をかすめた「夕日は面白いかも知れない」という遊び心が次々と目を出し、夕日は沈む、落ちる、没するというマイナスイメージしか持たない人から見れば、夕日に魅せられた私の姿は気違いじみていたに違いなく、100人中99人までが首を横にふり背を向けました。唯一一人の同情者は妻でしたが、以後その理解者だった妻さえいの痛くなるような悪夢に苛まれたのですから、マイナス99パーセントの人たちを夕日に向かせることは至難の業だったように思うのです。でも私は100人が100人賛成することをやっても意味がない。51パーセントの理解が得られれば社会は変わるとばかりに、一人二人と説き伏せるため、あらん限りのアイデアと実践をしました。
 その中で最もいい企画だったのは下灘駅のプラットホームを利用した夕焼けコンサートでした。町長もJRも渋い顔、ましてや演歌の似合う漁師町でクラッシックなど正気の沙汰ではないという人たちを尻目に、第一回のコンサートは26年前に開かれました。

 以来26年の歳月は矢のように流れ今日では、「私の町の自慢は美しい夕日です」と多くの人に言わしめるようになったのです。もしNHKのディレクターが間違って下灘駅に降り、夕日を見てこの夕日は綺麗だと私に言わなかったら、もしその言葉を聞いた私の心の中に夕日の潜在能力がなかったら、また反対はあるものと自覚し51パーセントに理解を求める行動をしていなかったら、もし、もし、もしと幾つかの克服した悪条件を思い出す度に、懐かしい日々が蘇ってくるのです。
 昨日開拓魂の観光カリスマ船木上次さんの話を下灘駅で聞き、カリスマどうしの対談をしました。船木さんの話を聞いて、船木さんもテーマや手法こそ違うもののやはり同じような道を辿って来ていることを確認し合いました。

 昨日の夜、今回のシンポジウムを企画運営してくれた市役所職員カタリバの皆さんとの懇親会で、携わった一人ひとりが乾燥を述べ合いました。私も舟木さんもコメントを求められましたが、私は遠心力と求心力の話をしました。求心力は自分という人間の内なる意識です。遠心力は自分を取り巻く人間、時間、空間への広がりです。この二つの力を持たないといい生き方はできないのです。私がそうであったしそう心がけているように、市役所職員にはそうあって欲しいと願っています。