shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年10月15日

○日本銀行松山支店長さんにお会いしました

 日本銀行といえば「お金を発行している所」くらいしか知らず、私たちの日々の暮らしとは直接関係のないように思える銀行なのですが、その政策業務一覧を見ると、金融政策、金融システムの安定、決済システム・市場基盤、銀行券・貨幣の発行、国庫・国債・対政府取引、国際金融、調査研究、統計、対外説明・広報、災害対策・業務継続などなど、実に多彩にして幅広い仕事をこなしている銀行なのです。

 全国には9ブロック毎に32の支店と10の事務所があって、東京にある日本銀行本店とネットワークされているのです。私たちに最も身近な四国には高松、高知、松山の3つの支店と徳島に事務所がありますが、私は松山支店にちょくちょくお邪魔しているのです。

 「あなたのような貧乏人が何で・・・」と言われそうですが、実は私と日本銀行松山支店とはかなり長い関係なのです。最初の出会いは日本銀行松山支店内に貯蓄推進委員会というのがあって、その委員会が貯蓄運動を推進していて、当時公民館主事をしていた私はこの運動を推進したり、委員会にあるフィルムライブラリーから映画のフィルムを借りて盛んに活用していました。また貯蓄推進実践地区に指定されると3年間財政的支援や資料配布などの指導支援を受けられることから、漁協婦人部などを実践地区に推薦指定してもらい、私は地区推進員としてその指導に当たり、研究集会などに出て積極的に発言していたのです。

 その姿が推進委員会事務局の目にとまったのか、昭和51年に貯蓄一般推進員に推されたのです。その後貯蓄推進委員会は時代の流れに合わなくなったため金融広報委員会と改名し、貯蓄推進員も金融広報アドバイザーと呼ばれるようになったのですが、私は公民館~産業課~企画調整室~地域振興課~教育長~リタイヤと所属部署や環境が変わりながらも、一貫して30年を超えてこの運動に携わってきたのです。貯蓄推進員になった私は全国で一番若い部類の推進員として注目を集めましたが、今は65歳になってロートルのそしりを免れなくなって、そろそろ引退をせねばと思っています。でもこの運動は年齢でするものでもないので、周りを見ると年齢的や気力的にはまだ少し余裕があるのかも知れないのです。

若松進一ブログ
(秋山日本銀行松山支店長さんとともに)

 昨日はその金融広報アドバイザーの研修会が日本銀行松山支店内の会議室でありました。演劇鑑賞や飲み会などご入魂にしていただいていた丹治前支店長さんが北九州支店に異動になり、本店から新しい支店長さんが来られました。私の都合でまだ一度もお目にかかっていなかったので、同席したのを機会に名刺交換させてもらい懇談しました。新聞やテレビでしか拝見していませんでしたが、秋山支店長さんも気さくな方で、既に県内各地を回られているようで、シーサイド公園にも立ち寄られた話をされていました。

 昨日の研修会の講師であるえひめ産業振興財団プロジェクトマネージャー渡邊憲一さんの酒席話しも、中々面白く参考になるお話でした。

若松進一ブログ
(楽しい酒席話しの講演をする渡邊さん)

  「三十年 あっという間に 高齢者 そろそろ荷物 降ろす日近し」

  「貧乏な 私が何故に 日銀へ これまた不思議 自分で思う」

  「支店長 知識と知恵の 塊りで 愛媛グイグイ 牽引願う」

  「この仕事 私一番 得をした 設計通り 人生生きれて」