shin-1さんの日記

○人権・同和教育に招かれて

 先日伊予市の人権・同和教育に招かれ出かけました。「このところ人権や同和教育の現場から遠ざかっているので講師を辞退したい」とお断りをしたのですが聞き入れてもらえず押し切られ、しぶしぶ出かける事になりました。しかし、人権や同和と聞いて臆するようではまだ偏見が残っていると取れれても仕方がないし、どうせやるなら思い切って話そうと、柄にもなく資料を用意して積極的な参加となりました。この学習会は月1回のペースで1年間を通して学習しており、人権同和のスペシャリストである米田先生が何度も講義をしているので、私はもっと別な方法をと考えました。そこで考えついたのが笑売啖呵です。私は毎日ブログを書いていますがその末尾に4首ずつ笑売啖呵を添えています。まあ俳句の世界でいうと川柳のようなものです。これは私が編み出した独特のものなので、私が勝手に名前を付けた本家で家元?なのです。

 この日のためににわか作った7首を加え37首を用意しました。本当は40首を予定しましたが、私の話を聞いて38、39、40番目を参加者に作ってもらおうと思って、意識的にその番号を空白にしたのです。

 1-①汗をかき ゴミ掃除する われを見て あんたも勉強 せんとあの人

 この句は私がシーサイド公園の人工砂浜を掃除をしていて本当にあった話です。その日私は前日が日曜日で多くの海水浴客が訪れたため、普通の朝より早い朝4時から掃除に出かけました。粗方のゴミを集め終えたので空き缶を持って階段式護岸を汗をかきながら登っていました。そこをトイレに行く親子連れが通りかかりました。若いお母さんと子どもはまだ小学生という感じでした。お母さんはその子どもに綺麗な海水浴場である事を話していましたが、突然私を指差し小声で「あのおじさん見てごらん。朝も早くから起きて汗をかいてドロドロになって、あんたも勉強しないと、あのおじさんのようにゴミを拾う人になるよ」と言って聞かせているのです。ゴミを拾う私は勉強しなかったからゴミを拾っているのでしょうか。何気ない親の一言が職業差別を生んでいるのです。職業に貴賎はないはずです。もしこの親がこのおじさんの行動があるからこの砂浜は美しいのだと褒めるなら、どれ程の環境教育になることでしょう。

 1-②モンペ履く おばさんすかーと イヤリング いつの間にやら 奥さんオホホ

 これも人の値打ちを外見で決めるような一句です。田舎のおばちゃんはモンペを履いて地下足袋、頭には日除けの赤頭巾ちゃんのような帽子を被ります。そして田舎のオープンカーと呼ばれる軽四トラックに乗って行動するのです。そんな折は恥も外聞もなく田舎の言葉で話し大笑いをします。ところがどこかへ出かけることがるとスカートを履き耳には重たいくらいのシンチュウの光物を付けて出歩くのです。まるで唐辛子を塗ったような口紅で厚化粧したその口元をとがらせ、手を添えてオホホと都会笑いをするのです。まさかあの田舎のオープンカーに乗っていた同一人物とは思えない、田舎を隠す標準語の仕草です。田舎に住んで何が悪い、方言のどこが悪いと言ってやりたい自己変革の意識をどこかで変えない限り、自分を都会という一見格好いいものにカモフラージュして生きて行かねばならないのです。

 4-①絶対に 言うなと言うと 言われんと 次々広がる 噂の話

 「ここだけの話なので、あなたにしか言わないので絶対人には言わないでね」と、根も葉もない噂話が広がって、自分の知らない間に村中噂が広がることが往々にしてあります。その噂の震源を辿ってゆくと殆どの人が「言ったらいけない」と口止めして次の人に言っているのです。「それは事実無根だ」と止める勇気を持つべきなのについつい口車にのって噂を広める片棒を担いでいる事になるのです。真実と違うことや言ってはいけない事をしっかりと見極め、言っている人をなだめる様な勇気ある人になりたいものです。

 今までの学習はどちらかというと、聞くこと、読むこと、見ることに集中したものが多かったように思います。これは受動的な学習で、書く、喋る、実践するといった能動的な学習に変化させてゆかないと心の変容は望めないと思いました。講義が終わって早速皆さんに笑売啖呵を作ってもらい発表してもらいましたが、中々の秀作が出来ていたように思いました。

  「話し聞く 学びだけでは 進化せぬ 能動的な 学びが欲しい」

  「沢山の 人集まりし 集会に 私の持論 啖呵に託し」

  「参加者の 中に馴染みの 人ありて 笑顔で反応 嬉し恥かし」

  「暗闇に 灯りの点きし 集会所 難し話 笑って話す」

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