shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年11月29日

○奥の細道紀行

 関西に住む私たちにとって東北は、いくら新幹線が通って便利になったとはいえ東京から向こうの遠い地域でしかなく、音信も交流も殆どないのが実情です。それでも最近は青森や宮城県仙台、岩手県宮古などからお声がかかって、少しづずつ遠い国が近くなりつつあります。それでも回数は年に何度かでしょうから、今回の岩手県一ノ関への旅も楽しみの一つであったことはいうまでもありません。私が東北に憧れるのは松尾芭蕉の奥の細道とイザベラバードといういイギリス人女性が姉にあてた書簡を基に書かれた「日本奥地紀行」を読んだからです。松尾芭蕉の俳句の幾つかは子どものころから教科書で知っていますが、イザベラバードの本の存在を知ったのは数年前です。地域づくりを志す私にとって、アルカディア(桃源郷)は理想の地域だからです。初老を迎えつつある私にとって東北の四季は魅力だし食文化や祭りも早く見ないと時間がないような焦りもあるのです。

 そんな折、一通のメールが岩手県一ノ関の金森勝利さんから入りました。彼とは何の面識もないのですが、彼に言わせると東京上野にある国立社会教育研修所で私の講演を聞いたというのです。もう何年も前のことなので記憶の片隅にもなかった出来事ですが、彼はこれまで私の存在をしっかりと頭の片隅に置いていたというのです。最近7つの町が合併して新生一関市という人口10万人を超す街が誕生したのを機に、課長さんたちに私を呼びたいと進言し私を招聘する企画が実現したそうです。

 私は一も二もなく了承しました。ただこの10月と11月は日程が滅茶苦茶立て込んでいて、結局は私に合わせる形で28日の予定を組みました。運が好いのか悪いのかその日の前後は日本列島が深い気圧の谷にすっぽり入って、2泊3日は全て雨にたたられました。しかし雨の晩秋東北はまた見方によっては風情があってホテルの一室に閉じこもって、締め切りの近づいた原稿を書くのにはピッタリの一日となりました。

 東京から一ノ関までは上野から東北新幹線で約2時間です。昔は特急でも8時間かかっていたというから信じられないような速さです。私は最近開かれた還暦の同窓会で同級生の友人からハーモニカで「ああ上野駅」という井沢八郎の歌った昔懐かしい歌を弾くよう懇願され何とか吹けた記憶を思い出しながら、上野駅のそこここに「どこかに故郷の便りを乗せて、入る列車の懐かしさ」と口ずさみながら新幹線に乗り込みました。


 かつての蒸気機関車とは似ても似つかぬまるでおもちゃの箱から飛び出したような美しい列車に身をゆだねながら、一路東北を目指しました。車窓の風景に飽きることのない2時間はあっという間に過ぎ去り、少し肌寒いかもしれないと妻が持たせてくれたコートを着込んでプラットホームに降りたのです。

 夕方まで自室で原稿を書きながら窓越しに町並みを眺め夕方まで久しぶりにのんびりした時間を過ごしましたが、6時になって生涯学習課長さんがわざわざ迎えに来ていただき、季節料理の柳橋というこじんまりとしたお店へ案内されました。気配りの出来る女将は急な二階への階段を足元に気を付けるよう一緒に上がってくれましたが、既に若い職員さんが8人も集まっていて、その後は推し量るべき話しに花が咲きました。美味い料理と美味い酒、そして人情は嬉しいもてなしの条件が全て揃い、遠くの町からはるばる駆けつけてくれたであろう、帰りの時間ギリギリまで熱心に話しこんだのです。
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 若い頃の私がそうであったように、集まった職員さんたちは私のむしろ失敗談に耳を傾け、熱心に話を聞いてくれました。「社会教育は楽しい」と仮説目標を立てれば絶対うまくいくと、日本一の公民館主事を目指して目を輝かせた当時のことを、明日の講演では聞けない裏話として話しました。

 会場となった文化センターはホテルのすぐ裏手でしたので、あくる朝は迎えを断って一人で歩いて行きましたが、センターの前には今を盛りと燃える紅葉が私を温かく迎えてくれました。

 餅のフルコースといわれるような珍しい昼食をご馳走になり、再び元来たコースを後ろ髪引かれる思いで後にしました。

 課長さんはじめまた出会いたい多くの人のご縁をいただきながら・・・・・。

  「一ノ関 目指す細道 ひとり旅 ご縁いただき 再会約して」

  「しとしとと 降る雨濡れる 一ノ関 家並み見ながら 締め切り終われて」

  「 


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