shin-1さんの日記

○私のサイン

 私はこれまで共書を除くと自著4冊の本を出版しています。最初の本は10年間で240号もの町の広報をたった1人で作りましたが、広報の巻末に「こちら編集局』というコラムを書きました。広報マンを終えるに当ってまとめてみようと「町に吹く風」のタイトルで出版しました。当時私の年齢は42歳の厄年でしたからもう19年も前のことで、その本は残部もなく絶版となっています。その後55歳で「ミレニアム2000年その日私は」56歳で「昇る夕日でまちづくり」、57歳で「今やれる青春」と足早に出版を続けていますが、肝心の資金や整理が追いつかずまだ3冊分の原稿が未出版のままなのです。

 本を出版してその本が多くの人に読んでもらえる幸せは存分に味わって来ましたが、出版の度に私を悩ませるのは著者のサインを求められることです。そんなに有名な、いや無名な私にとってまるで有名人のようなサインは出来ませんから、最初は丁重にお断りしていたのですが、3000部売れ2版目を出した「昇る夕日でまちづくり」ではそんなわがままも通らず、筆不精や乱筆も省みずサインをするようになったのです。

 サインの末尾に自分の名前を書きますがその下に落款印を押すと黒文字と朱肉が絶妙のバランスで配置され、それなりに見えてくるから不思議です。

 サインは相手の名前、自分の好きな言葉、日付、自分の名前を書くよう求められますが、多いときは10人もが列を作った時などは、10人全部に違った言葉を書くパフォーマンスをやって、アッと驚かせたこともありました。また30冊もの送付本に全てサインを求められたこともありました。

 本好きの人は必ずといっていいくらいサインを求めてきますが、私の本棚にも作者の署名の入った本が何冊か置かれています。再読した時などはその風景が思い出せて嬉しいものです。でも今でも自分のサインには自責の念に駆られています。「昇る夕日でまちづくり」の出版間もない頃は新聞紙によく練習をしましたが、一向に上達しない自分に腹立たしく途中で止めてしまいました。今は綺麗に見せようではなくありのままの自分を書こうと肩の力を抜いて、あくまでも自然体でやっています。ちなみに私の好きな言葉で好んで書く言葉ベスト3は、「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」「逢う人も逢う人もまた福の神」「ボウフラも人を刺すよな蚊になるまでは泥水すすり浮き沈み」のようです。

  「恥ずかしや下手が自慢のこの腕にサイン求める人がいるとは」

  「サイン書く姿は格好いいけれど出来た文字見て×○△・・・・」

  「文届くサインした本送ってと書籍扱い覗かれヒヤリ」

  「文字下手に今度生まれて来る時はあんな字書ける腕の男に」

  

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