人間牧場

〇クヌギの苗木
 クヌギの森を作ろうと、ドングリを拾って種を蒔き始めて4年が経ちました。最初は息子がカブトムシを育てて無償配布する姿を見ながら、遊び半分ダメ元でドングリを拾ってきて畑やプランターに蒔いて観察していましたが、草引きなどをすれば、直播も可能であることが分かり、この4年間毎年ドングリを種として蒔いています。

 既に最初の苗が100本ほど育ち、海の見える丘にみんなの協力で植樹を始めたり、SDGsの海・陸を守る運動も視野に活動をしていますが、昨年は2度にわたる手術や入院という思わぬハプニングで、せっかく植えたクヌギの苗木の何本かは枯れましたが、今春の寒い時期に草を刈って捕植したので、そろそろこの連休中に下刈り作業をしたいと思っています。

草の中で元気に芽吹いたクヌギの苗木
一昨年植えた苗木はすっかり大きくなりました

 昨日は大風を伴った大雨が降りました。時折薄日の差す日和だったので、菜園横の果樹園の下草を刈ったり、草に埋もれたドングリ畑の草を引きました。多分駄目だと思っていたのに、草の中でドングリはしたたかに芽を出し何とか生きていました。、一昨年植えて大きく成長している苗木は夏を思わせるような大風に若葉を揺らして嬉しそうでした。

「雑草に 埋もれた畑 草を取る ドングリしたたか 芽を出し生きてる」
「ドングリを 畑種蒔き クヌギ苗 育てる活動 何とも地道」
「蒔かぬ種 植えぬ木育つ はずがない 息子と二人 他愛ない夢」
「人笑う 程の馬鹿げた 試みを ただ黙々と ただ黙々と」

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人間牧場

〇愛用タブレットの不具合
 最近までいつも持ち歩いて内臓のカメラを使って画像をストックいたタブレットの調子が悪く、画像がパソコンに自動的に入らなくなり、仕方なく何年か前まで使っていたデジカメを使い急場をしのいでいますが、写真のリアルさや色補正が今一分からず、娘婿に頼んで様子を見てもらっていますが、そろそろ買い替え時期かも知れないようです。

 私は何の意味もなく、ただ日々の暮らしにアクセントをつけたいくらいな気楽な気持ちで、退職後間もなくアメーバブログを使って「Shin-1さんの日記」というブログを書き始めました。その後書き足らずにワードプレスを使って2本目のブログを書き始め、今では朝4時に起きてブログ記事を書くことが日課となっているのです。

 幸いなことに、知人友人が公開した私のブログをFaceBookに転載しているので読んでくれていて、退職後の交遊が狭くなりつつある私の情報発信源や交遊ツールとして、大いに役立っています。すでに黄泉の国に旅だっている、夕日つながりで知り合った有名人の永六輔さんがわが煙会所に来られた折、私の毎日書いているブログの話になり、「日々自分の生き方を振り返り文字にすることは禅の修行に似ているので続けなさい」と励まされました。

 その言葉に後押しされて、気をよくした私は修行のつもりで毎日2本のブログを書いていますが、旅先までパソコンを持ち歩くことができず、手軽なタブレットを持ち歩いて使っています。果てさて私は記憶力の退化しつつある年齢になりましたが、唯一私の書き続けているブログ記事はパソコン内に記憶されているので、20年前の出来事でも、瞬時に呼び出すことができるのですから、素晴らしいとしか言いようがありません。私の曖昧な記憶を補完してくれる人工知能の助けを借りながら、今日もささやかな日記風ブログを書き加えています。

「最近は タブレット内蔵 カメラにて 画像を加え 便利に使う」
「このところ タブレット調子 今一で 仕方ないから デジカメ代用」
「ブログ書き FaceBookに 公開し あれこれ反応 楽しみながら」
「パソコンの 苦手な私 故なるか トラブルなれば グリコの看板」

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人間牧場

〇イモリ
 最近朝のウォーキングを楽しんでいると、雨水に誘われて田んぼから出てきたイモリをあちこちで見かけるようになりました。人の気配を察知すると早足で逃げるトカゲと違い、イモリはのっそり歩いて逃げ足が遅く、時には車にひかれて、ぺしゃんこになったものも見かけられ、可哀そうだと思ったりしながら歩いています。

 ガキ大将だった息子が子どもの頃の出来事ですが、家の下の田んぼでイモリを10匹ほど捕まえて持ち帰った息子は、菓子箱に入れて自分のタンスの引き出しにしまって育てようと企て、タンスの衣類を出して中に収めたようでした。そんなこと知る由もない妻は、外に出した衣類を片付けようとタンスを開けて、イモリがうようよいるのを見てビックリ仰天し、「キャー」と大声を出し腰を抜かすほど驚いたようでした。

 その息子が昨日、イモリを見つけ傍にいた私に見せてくれました。イモリは背中が黒いのに、腹は真っ赤で黒い斑点があります。まるで進化していない小型の恐竜を連想するような姿は、気持ち悪く感じられますが、子どもたちにとっては怖いけどとても魅力のある生き物のようです。

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人間牧場

〇ひまわりの苗育て
 今は合併して市内となったお隣中山町の酒蔵で、二宮金次郎の映画上映会をしたことがきっかけで、その後発足した十彩会に足繁く通うようになったわが息子は、暖かい活動期に入ったため、仕事の合間を縫って何かと忙しそうに活動しています。朝顔の種をポットに蒔いたり、昨年冬越ししたホオズキの根を掘り起こしてポットに植えたり、カブトムシの幼虫育てや、蜜蜂の巣箱づくりなど、今では私の作業場であるはずの東屋を占拠され、オーナーの私が肩身の狭い暮らしを余儀なくされています。

車庫の屋上で育てているヒマワリの苗

 先日息子は、私と妻専用の計四トラックに、苗箱を沢山積んでわが家へ持ち帰ってきました。聞くところによれば今年はみんなで苗箱に土を入れ種蒔きをした苗箱をそれぞれが自宅に持ち帰り、苗に育当てて持ち寄り、畑に植えるのだそうです。息子はその置き場を私の乗用車の車庫の屋上に定めたようで、この1週間ほど車庫の上に上がったり下りてたりして、ジョロで水を遣って育てているようです。わが家は今ほホウズキと朝顔、それにヒマワリと、まるで園芸店のような賑やかさです。

先日新聞に載った十彩会の記事

 先日地元紙えひめ新聞に十彩会のヒマワリの記事が載りました。西山さんから平磯さんに代表も代ったようですが、皆さん元気で活動しているようです。こんな日々を過ごしている息子の様子を見て、「誰に似たのか?」と妻に聞けば、「そりゃああなたに似たのでしょう」と軽く流され、時には手伝いまでさせられる有様です。かく言う私も息子と同じ年代に、21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティア団体を立ち上げ、無人島キャンプなどにうつつを抜かしていました。血は争えません。私のDNAが流れているのですから・・・。

「軽四の トラックいっぱい 苗箱が わが家に届き おっかなびっくり」
「わが息子 隣の町の 十彩会 あれこれ活動 楽しくやってる」
「いつの間に 私の作業場 東屋を 乗っ取られてる 息子とバトル」
「ヒマワリや 朝顔・ホオズキ 庭先は まるで園芸 お店のようだ」

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人間牧場

〇当分の間は車庫の主はツバメです
 毎年この時期になると、南の国で越冬したツバメが里帰りし、私の自家用車を入れている、わが家の鉄筋コンクリートの車庫にツバメが、昨年作っていた巣を自分で補修して居候を決め込み始めました。ツバメが昨年の巣を忘れず戻ってきたことを、「幸福の使者」だと勝手に思い込んでいる妻は、私が「車が汚れて困る」と文句を言えば、「少しの間だから我慢我慢」と取り合うどころか、ツバメの見方をして、私を悪者のように言うのです。

車庫に巣作ったツバメ」
受難は私の自家用車

「まあそんなに長くはないので仕方がない」と半分諦めていますが、昨日松山江行へ行く所用があって、車庫から自家用車を出し、県道まで出たところで、車の後部のフロントガラスに、白いツバメの糞がかなりべっとり強烈に付着していました。戻って洗い流す時間もないことから、恥ずかしながらそのままツバメの糞がついたまま運転しましたが、何とも後ろが気になる運転でした。

 若いころまちづくりの一環として海の近くにいるカモメを餌付けできないか、やってみようという話になって、苦心の末餌付けには成功したものの、カモメが船の舳先に止まって白い糞を落とし始めました。漁師さんから、「お前らがこんなことをするから、船のミヨシは糞だらけで汚く、ウンのつきだ」と笑いながら怒られました。私はすかさず「ウンのつきではなく、運がつく」と反論して、「減らず口を叩くな」と怒られた経験がありますが、やはり「ウンのつき」なのか「運がつくのか」、中々議論が噛み合いません。車を洗うのは私の役割ですから・・・・。

「今年も 南の国から 里帰り 嬉しいけれど 糞で憤慨」
「我慢しろ 妻はツバメの 味方です 私悪者 何でこうなる」
「汚れたら 車洗うの 私です 昨日は糞つけ 知らないそぶり」
「憂鬱な 日々はいつまで 続くのか 平和の使者も 糞の爆弾」

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人間牧場

〇ぼうふら人生を生きる
 昨日は久ぶりの雨でした。午後から人間牧場へ来る予定だった来客が、天気の都合で延期となり、スケジュールなどというおこがましい予定ではないにしても、ポッカリ穴がいてしまいました。こんな時こそ身辺の整理をと思い、海の資料館の資料を整理したり、ゲストハウスとして使っている隠居の書棚へ、書斎の資料を移す作業をしました。この1年は入退院の繰り返しだったため、手元の新聞切り抜きや、掲載資料が随分たまってしまいました。

 ふと書斎の本の中から一冊の本を見つけました。私が若いころ静岡県公連の事務局長をしていた朝比奈博さんからいただいた本です。その表紙脳の裏に「ぼうふらも 人を刺すよな 蚊になるまでは 泥水すすって 浮き沈み」と書かれていました。当時私は町名変更騒動の責任を取って産業課へ異動して、多少心の悩みを抱えていた時期でした。「ああこんな生き方もあるのか」とこの言葉で吹っ切れた思いで多い言葉です。

 以来異動先の産業課で担当した水産行政の仕事をしっかりとこなし、下灘の魚市場や上灘の漁村センターを造り、また漁業後継者の育成に尽力しました。その仕事ぶりが復活の決め手となり、企画調整室でまちづくりの仕事をすることになったのです。人の出会いや人からいただいた励ましの言葉は、時として人生を変えるきっかけとなります。今は黄泉の国へ旅立った朝比奈さんですが、今も私にとって朝比奈さんは忘れられない大恩人なのです。

「ぼうふらも・・・ こんな言葉に 励まされ 一念発起 その甲斐あって」
「傷心の 私の心 見抜いてた 私にとっては 忘れてならぬ 大恩人です」
「雨降って 周りこまごま 整頓の 資料の中に 手書きの言葉」
「人に会い 言葉に出会い 導かれ 曲がりなりにも 人生歩む」 

 

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人間牧場

〇日昇さんが取材にやってきました
 ギノー味噌の田中社長さんの紹介で、近頃急接近している日昇という会社の高橋社長さんから「4月20日の午前中取材に行きたい」と、有難い申し出がありました。マスコミなどの取材なら理解できるのですが、リフォームやアンティーク商品を扱う会社が取材するという話には、今も「何で?」と首を傾げたくなりますが、どうやら地域貢献活動の一環のようで、快く引き受けました。

日昇の高橋社長さんたちが見えられました

 午前9時30分に下灘コミセン前の駐車場で待ち合わせ、私の運転する軽四トラックで先導し、一行4人を乗せた軽四乗用車が後に続き、奥西経由でまず人間牧場から案内しました。思いつくまま色々な話をしたり施設を見学し、その後下灘駅~ふたみシーサイド公園~私設公民館煙会所・海の資料館海舟館と案内し、3時間ほどで取材を終えました。

 取材を受けながら、ふと私のこれまでの人生を彩った我流プロジェクトを振り返りましたが、その多さに自分でも多少驚きました。人間は夢を見る動物と言われていますが、人生の老域喜寿77歳を迎えた今も、SDGsなどを意識したクヌギの森づくりなどを、息子と二人でやっています。失敗や反対なども沢山ありましたが、多くの仲間に恵まれ、また理解してくれる家族に恵まれ、「楽しい・新しい・美しい」の3つをキーワードに、今も活動を続けています。多分これからも・・・・。

「マスコミや 地域づくりじゃない 会社から 取材の依頼 地域貢献」
「急接近 社長と今回 4回目 何かできそう 予感し始め」
「気がつけば 我流といえど プロジェクト その多さには 自分も驚く」
「普通だと 自分じゃ思って いるけれど 人から見れば 私は変人?」

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〇手をつないで歩く人たち
 最近都会から越してきた近所に住む中年カップルと、老年カップルが手をつないで歩いている姿を時々見かけるようになりました。幼稚園児や若いカップルが手をつないで歩く姿はよく見かけ、何の違和感もありませんが、田舎故手をつないで歩く中年カップルの姿を見ると、こちらが気恥ずかしい感じがして、思わず目をそらしてしまうのも、やはり私が古い時代の感覚を引きずった人間であるからのようです。

 私は結婚以来50年が経ちましたが、まだ一度も妻と手をつないだり組んだりして歩いたことがないのです。時々誰もいない時妻がふざけて手を組もうとすることがありますが、その度に「恥ずかしいからやめろ」と拒否するのです。半面おく目もなく、周りを気にせず手をつないで歩く中年カップルの様子を見ていると、少し羨ましくなるのも事実で、生まれる時代が早かったと、勇気のなさを悔やんでいます。

 手をつないで歩く老年カップルは、ご主人が脳梗塞で歩くのが少し不自由で、奥さんが介助のためのようですが、何ともほほえました姿で、思わず声をかけて立ち話をしたりします。老域に入った私たち夫婦も、やがてこんな手つなぎカップルになるだろうと予想はしますが、妻も私も今のところは独り歩きができています。先日私より1つ年上の近所の人が脳梗塞で倒れ、救急車で県立中央病院に運ばれ入院したようです。障がいが残るようでこれまで運転していた車を処分したそうです。少し寂しい風の便りでした。

「手をつなぎ 中年カップル 歩いてる 羨ましいと 思う反面」
「結婚し 50年経っても 手も組まず 気恥ずかしさが 先に立つゆえ」
「老夫婦 ほほえましくも 手をつなぎ 歩く姿に われらも今に」
「俺の後 散歩下がって 歩くよう 馬鹿げた時代 育った私」

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〇畑の畝立て
 毎年この時期になると、家庭菜園に野菜の苗を植える準備をします。昨年は4月15日に入院し、16日に外反母趾の手術をしたため畑の準備を早めに行い、妻と息子に私の書いた野菜苗の作付け図を渡して植えてもらいましたが、今年は自分で植えなければならず、当面の目標を4月20日と決めて諸々の作業を進めてきました。

 昨日は2日前に雨が降り、畑のお湿りもいいようなので、再度耕運機をかけて中耕した畑の畝立てを行いました。定規で畝間を採寸し、目安の竹を立てて専用の棒縄を張り、平鍬で畝を立てて行きました。退職して間もなく始めたこの作業も随分慣れて、今では自分でも感心するほどまっすぐな畝が立つようになりました。

 今年も昨年同様トマト大中小40本、ピーマン中大20本、シシトウ20本、長ナス20本、トウモロコシ20本、キウリ5本、オクラ10本、ゴーヤ5本、スイカ招堤本などの苗を植える予定なので、それ相応の畝を頭に描きながら畝を立てました。今週中には水口種苗店に依頼していた苗を取りに行き、天候を見計らって植える予定です。

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〇春の花々(その2)
 私は顔に似合わず(大笑い)、花が大好きです。役場に勤めていた現職の頃は、まちづくりの一環として花咲く町づくり事情を手掛け、今ではすっかり有名になっている双海の菜の花や水仙、桜、アジサイ、芙蓉などをあちらこちらに植え込み、町民の協力と努力で県下有数の花咲く町となりました。

 退職して現職を退いていますが、家の周りには自分が挿し木して育てた平戸ツツジが大きくなって、間もなく満開の時期を迎えます。また人間牧場にも挿し木で育てたアジサイを植えているので、初夏のころの開花時を今から楽しみにしています。さらには私が代表をしている21世紀えひめニューフロンティアグループでは、千本桜の森づくり事業と称して、県内10か所に100本単位で苗木を贈り、地域づくりに一役かいました。

 この時期わが家の庭や家の周辺には沢山の花々が咲いて、家族とともにその花を楽しみながら暮らしています。あいにく愛用しているタブレットのバックアップ機能に不具合が生じ、自慢の花々を撮影できないので、使わなくなっていたデジカメを取り出して、いまいちの写真で我慢しながら一人楽しんでいます。家の庭や畑の周辺は花だらけです。そのいくつかを紹介します。

「この私 顔に似合わず 花が好き 現職の頃 花とかかわる」
「菜の花や 水仙・桜 アジサイと 数えてみると 十指に余る」
「タブレット バックアップが できなくて 花々写真 デジカメ使い」
「花のある 暮らし最高 毎日の ように花々 見ながら過ごす」

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