shin-1さんの日記

○対等合併なんて嘘っぱち

 このところ市町村のまちづくり研修会に招かれることが多くなりました。それらのまちは既に合併したまち、これから合併しようとしているまち、単独で残ろうとしているまちなど様々ですが、特に合併したまちで大きなまちと合併せざるを得なかった小さなまちやむらの役場職員からは、ため息ともとれる諦めにも似た意見が飛び交っています。

 その意見の中では「対等合併なんて嘘っぱち」という意見が圧倒的に多いようです。今回の合併は一部を除いてその殆どが対等合併というスタートを切っています。役所の位置や新しいまちの名前、議員の定数など、思惑の総意から合併話が壊れたりリコール運動に発展した事例を考え、せめて穏便にことを運びたいと願う法定協議会の方針もあって、旧市町村には総合支所を置いて、行政サービスは高い方に、負担は低い方に合わせると公約で合併したものの、結局は僅か一年足らずで大きなまちの行政事務に合わされ、権力も集中してしまっているのです。

 「約束が違う」とか「こんなはずではなかった」とか小さなまちや村の職員は陰口をたたいていますが、結局は大きな声になることもなく今日を迎えているのです。

 「若松さん、あなたのまちも同じですか」と相槌を打ってもらおうと話しかけてくるのですが、「どうしてそんな声を大きな声にしないのです」と切り込んでも、「私一人くらいが言ってもどうにもならないことですし」と口をつぐみ諦めてしまうのです。彼らがものが言えないのは職員数が増え役職は下がる人がいても給料は高い方に合わせてもらえるし、止めさされないで済むからかもしれません。しかし自分のことだけならそれも良いでしょう。しかし大切なことは行政サービスを受ける住民の立場は一体誰が守るのか、真剣に考えて欲しいと思うのです。

 新しく撰ばれた首長だって議員だってそうです。殆どの市町村が昭和30年の昭和の大合併以来半世紀にわたって築き上げたまちやむらの特徴をいとも簡単に平準化という名の下になくしてしまおうとしているのです。

 平成の合併は旧市町村の色を残して新しいまちを作って欲しいと口を酸っぱくして言ってきたけれど、どうやらその願いは届くことなく新しい年度の予算が組まれようとしているのです。

 合併した役所の口癖は「金がないから何も出来ない」という言葉です。私の造語に「金がなければ知恵を出せ。知恵がなければ汗を出せ。汗もでなけりゃ辞表出せ」という言葉がありますが、まさにその言葉を関係の皆さんに贈りたいものです。「対等合併」とは一体何だったのでしょう。旧市町村の特長を生かしたパートナーシップ、行政と住民の協働、こんな言葉がむなしく聞こえる今日この頃です。

  「対等と言ったはずの合併も終わってみれば大きい所に」

  「あんたらは給料上がっていいけれど市民の暮らし役所遠のく」

  「行政は借金あっても倒れない責任取るのは結局市民」

  「お役所は二言目には金がない思いやられる俺らの未来」

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shin-1さんの日記

○電球が切れる

 2・3日前から書斎の電気のつき具合が悪いと思っていたら、今朝になって二本ある1.5メートルもある長い蛍光灯のうち一本がついにつかなくなりました。原因は蛍光灯そのものの寿命なのか、それとも電気をつけた時に蛍光灯に放電を促す小さな豆電球なのか色々いじったのですが分からず、天井を向いての作業を諦め、ブログ書きも諦めて朝食を取りました。しばらくしてスイッチを入れると摩訶不思議なるかな元のように電気がついたのです。勿論以前のような明るさではありませんし少しチカチカするので、明るい昼間のうちに電気屋さんへ行って蛍光灯の球を買い求め直しておきたいと思っています。

 私たちはいつの間にか電球の明るさに慣れ、無意識のうちに「スイッチをONにすれば電気はつくもの」と思い込み、電気がどうしてつくのかとか、電気の明るさへの感謝を忘れているようです。勿論私も日々の暮らしの中ではそんなことには無頓着で、酷い時は電気を消し忘れて一日中浪費したことだってあるのです。

 かつて私たちの「21世紀えひめニューフロンティアグループ」は、子どもたちを無人島に連れて行ってサバイバルキャンプを試みましたが、台風襲来で無人島から有人島へ必死の避難を試みた時、二神島の集会所で、「畳が温かく電気が明るいことを初めて感じた」とキャンプの感想文に書いていたことを思い出しました。電気の有難さはまさに暗い思いをしなければ分らないのかも知れません。

 水戸黄門などの時代劇を見て思うのですが、昔は行燈などしか光源がありませんでした。だから「蛍の光窓の雪」などの明るささえも歌に歌われるのです。さぞや家の中は暗かったのだろうと思います。

 私たちがこうして電気という文明を手に入れるまでには多くの人の苦労を見逃すことは出来ませんが、考えてみれば私の祖母や祖父の時代という僅か100年前までそんな暗い生活があったことをもっと後世に伝えてゆくべきかも知れませんね。「文明」とは読んで字の如く明るいのです。

 しかし一方で、使用期限の切れた取り替えられた電球は、今月の不燃物回収に出され遇えない一生を閉じるのです。勿論不燃物となった電球は再処理工場で分別されて再利用されることでしょうが、使用期限の切れた物の運命は寂しいものです。

  「俺に似た使用期限の切れし球変えて捨てられ何処へ行くやら」

  「スイッチをひねれば電気つくものと誰もが思う豊かな日本」

  「ローソクは何処かとまさぐり探すけどとっさのことで仏壇さえも」

  「灯が消えたような表現あったっけ電気つかない部屋の暗さに」

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shin-1さんの日記

○魚梁瀬杉の切り株への挑戦

 昨年の夏、高知県の奈半利町へ講演料米一俵の約束で出かけた折、坂本年男さんと出会い、坂本さんがくれた魚梁瀬杉の切り株が宅配便で我が家に届いて2ヶ月余りが経ちました。毎日忙しく振舞う私に任せていても埒が明かないと思ったのか、88歳のわが親父は正月以来この切り株に挑戦しています。チェンソーの使える近所のおじさんに頼み込んでゆがみを直したり、割れを修復するために切り株の周りをチェーンで巻き締めてボンドを流し込んだり、素人とは思えない熱の入れようです。昨日は厚い板をはめ込んで割れにくくするための材料を買ってくるよう頼まれ、ホームセンターへも行きました。

 器用が売り物の親父は左様に何でも作り上げてしまうのですが、この切り株だけはくれた坂本さんのことを思うと何としても仕上げないと相手に失礼だと、作業小屋の中で一生懸命作業に打ち込んでいます。

 私などは呑気なもので、分かったような顔をして腕組の果てに側で見ているだけなのですから気楽なものです。それでも親父の手にかかるとまるで魔法のように、あれほどゴミのように汚れていた切り株が日一日と作業が進むにつれて見違えるように変身して行くのです。切り株の年輪を数えてみようと数えてみましたが、目が込みすぎて数えるのを諦めました。とに角私の年齢を遥かに超える年数を生きてきたことだけは確かです。

 最近内子町出身のノーベル文学賞作家の大江健三郎さんの「自分の木の下で」という本を読みました。その影響もあって人間牧場にツリーハウスを作る予定ですが、この切り株を見るにつけこの木はどんな場所にどんな形をして立っていたのだろうと想像します。と同時に人間を一本の杉の木に例えたら、人間の寿命は長く生きてもたかだか100年です。ゆえにこの木のように銘木といわれるよに長生きすることは到底出来ませんが、せめて今の子どもたちを100年生きる杉の木を育てるような気概を持たなければなりません。木が育つには土・水・太陽の他、ひとり立ちするまでの草刈や施肥など、人間を育てる姿に似ているなあとしみじみ思います。

 親父の挑戦を見ていると何かしら勇気が湧いてきます。自分もええ歳になったと思っていますが、親父に比べたらまだ26歳も若いのですから頑張らなければなりません。

  「米寿来た親父が還暦息子より元気頑張る偉き昔人」

  「切り株に挑む親父は昨日まで足腰痛い人と別人」

  「まるでゴミそんな切り株手をかけて汗と力で命吹き込む」

  「切り株に夢中の間は風邪引かず腰の曲がりも幾分しゃんと」

 

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○子供たちへの返事ついに書き上げました

 先日ブログで書いた講演先から届いた大量の子供たちからのハガキへの返事ですが、昨晩12時までかかってやっと書き終えました。内心無邪気な子供たちには「毎日ハガキを三枚書いている」なんて滅多なことはいえないと反省しながら書きましたが、一枚一枚ハガキを読みながら書いていると、今の子供の表現力の素晴らしさに驚きました。

 まずイラストが素晴らしいですね。マーカーペンを使ったり色鉛筆で様々な工夫を凝らしているのです。中には私の似顔絵や私の話に登場した「菊の実験」や「氷山の一角」のイラストもありました。多分双海町=夕日も連想したのでしょうが、夕日のイラストはダントツ多かったように思います。

 何せ50通を越える量です。時間的余裕がないからいっそパソコン印刷でと一瞬思ったのですが、ハガキを書くことを公言している私としては受け取る側の子どもたちのことを思うとそんなことも出来ず、昨日は朝から必死で書きました。側で見ていた妻は何の手助けもせず「大変じゃあねえ」と同情するだけです。でも妻は郵便局で50円の切手シートを100枚買ってきて机の上にそっと置いていてくれました

 今回のハガキ返事作戦は夕日をあしらった絵葉書を使用しました。前日役場に行って観光担当者に訳を言って使わないような絵葉書を数枚貰ってきたのも使いましたが量的に間に合わず、年賀状の使ってないものや官製はがきも使いました。書いた子供たちを決して差別している訳ではありませんので悪しからずご容赦下さい。

 手書き文字の絵葉書は、昨日が雨の日であって人間牧場の作業が出来なかったこと、私の日程が夕方の神社建築委員会出席までまる一日空白だったこともあって、悪戦苦闘しながら順調に進みました。切手を張り、私の名前と住所のゴム印を押し、切手を貼って製作が完了したのは12時頃でした。でも少しだけホッとしています。今朝は散歩のコースを変えて郵便局の前を通りポストに投函したいと思います。

 いつものことですが、この中の何人かは2回目の返事が数日の間に届きますが、多分2人か3人は長い文通が続くことでしょう。私のハガキ友だちの平均年齢がまた大幅にダウンしそうです。

 忘れていたのではなく後回しにしただけですが、担任の先生から届いたお便りの返事は、今日広島へ出張の準備で間に合わなかったものですから、広島へ向かう船の中で、木になるカバンという優れものの移動机を使って書きたいと思って昨晩切手を貼って用意しました。

 「お父さん余り無理しないようにもう休みませんか」と先に床に就いた妻の声が襖の向こうの寝室から聞こえていましたが、先に寝たはずの妻は6時になった今も寝ています。「早く寝たのだから朝ぐらいはゆっくり起きます」とは妻の弁。私は「遅く寝たのだから早く起きよう」と思いました。えっ、これって逆じゃないですか?。「何でだろう。何でだろう。何でだ何でだろう~」なんて昔ギャグが流行りましたよねえ。

  「講演を聞いて子どもの文届く汚いわが字少し安心」

  「昨日はハガキ製造機になってせっせせっせとペンを走らせ」

  「親子前話したはずに親からははがき届かぬ不思議なるかな」

  「難しい文字や言葉使わずにこれまた難し子どもへの文」

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○破れた座布団

 役場を退職するに当ってそれまで使っていたものは文房具類を除いて殆ど処分しましたが、捨てきれず退職後も使っていたものに、私の尻に敷かれて長年活躍してきた座布団があります。寒かろう、痛かろうと妻が鈎針でせっせと編んでくれたいわば愛情こもった毛糸の座布団です。しかしよる年波には適わなかったのか昨日の朝大きく破れていることに気がつき、妻の了解を得て廃棄処分にすることになりました。妻は「まあ珍しい、まだ使ってたの。私も忘れていました」とのことです。定かな記憶ではありませんがこの座布団の世話になるようになったのはもう13年も前のことでした。

 企画調整室で長年草創期のまちづくりを担当し、その成果を問うため新しい日本で一番小さな地域振興課が誕生し、その初代の課長に就任して役場3階の小さな部屋を与えられた時にこの座布団と出会いました。たった一人の課に同居したのはもう既に胃ガンで亡くなった農協退職の東さんでした。特産品センターの所長に再就職した東さんの指導をしながら、しかもシーサイド公園の建設まで担当する当時の私には、正直言って座布団を温める暇などなかったのですが、この座布団は文句を言うことなくじっと新米課長の帰りを待ち、土日もない超多忙な私のお尻をいつも暖かく守ってくれたのです。

 考えてみればこの座布団はこれまで3度引越しをしました、。最初はたった一人の課が3人になり手狭になって2階に引っ越した時椅子とともに移動しました。次は役場を退職し教育長を拝命した時教育委員会へ一緒に連れて行ったことを思い出しました。教育長は4役といわれる特別職ですから教育長室が与えられ、これまでの課長の椅子とは段違いの白いカバーのかかったフカフカの椅子だったので、座布団は似合わないし必要ないと一瞬思ったのですが、捨てきれずカバーの下に置いて使いました。その後昨年三月末の退職と同時にわが家へ帰り、パソコンを打つため台所の食事用椅子を妻の了解を得て借りてか約10ヶ月、痔にもなることなく大きな役割を果たしてきました。

 何気なく、日の目を見ることもなく私の身体を支え続けてきたオンリーワンの座布団に「ご苦労様」といってやりました。私たちの身の回りにはこの座布団のように人知れず働いているものが随分あります。靴や靴下、ズボンやバンドもその一種でしょうが、そんなささやかな小道具類にももっと愛情を注ぐべきだと、処分される運命の座布団を見て思いました。

 妻がとりあえず押入れの中から適当な座布団を持ってきてくれました。敷いたのですがこれがまだ中々お知りにフィットしません。「おい新入りの座布団よ、お前の先代の昔使ってた座布団はなあ、もっと優しくご主人様のお尻を守ったぞ」と、少し文句を心の底で自問しましたが自答は返ってきませんでした。ナツメロの「古い上着よさようなら」ではありませんが、「古い座布団よさようなら」です。私の一つの時代の終わりでもあるようです。

  「何年も使い古した座布団にお礼を言って処分しました」

  「尻敷かれ俺に似てるよ座布団君敷いてる妻を一瞬思う」

  「昇進の度に移動の座布団もタダの男じゃ役不足かも」

  「退職で賞味期限の切れた俺座布団よりも先に捨てられ」

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shin-1さんの日記

○四国は島です

 この二日日本の中国地方を旅しました。中国という場合チャイナの中国があるから気をつけて話すようにしています。というのも数年前「明日は中国へ行ってきます」と電話で話したら、友人が「それはそれは遠い所へご苦労様です」と言うのです。そして最後に「中国へ行ったら紹興酒を買ってきて下さい」と付け加えました。私は「同じ中国でも島根県です」と訂正して大笑いをしましたが、電話は左様な間違いが時々起こるのです。今回の旅も中国地方の広島と山口なのですが、四国に架かっている3本の橋はいずれも東よりなので二日とも船を利用し、四国が島であることを実感しました。広島の江田島市へは松山から呉までフェリーで行き、呉から小用まで高速船で渡り、港で出迎えの公用車に乗りましたが、島の暮らしぶりは長閑で、乗り合わせた乗客の会話はローカルそのものでした。まったく見ず知らずの私にさえも平気で「お兄さん何処まで行くの、何処から来たの」と矢継ぎ早な質問会話が飛び交うのです。先日訪れた大阪の都会ではとても考えられない光景でした。

 壺井栄の「二十四の瞳」に出てくる「島かと思えば岬なり、岬かと思えば島なり」を彷彿するように、船は島々の間を縫うように走るのです。海にも高速化の波が押し寄せ、高速船は松山と広島を僅か1時間余りで結んでいるのですが、私はあえて安いフェリー便を選びました。少し時間はかかりますが料金は半額で断然お得だからです。

 「広島と山口に行くんだったら隣の県だから一泊すればいいのに」と、お互いの目的地の位置関係を知らない妻は勧めてくれましたが、二日目は松山三津浜から柳井航路に乗りました。愛媛県と山口県の県境を越え、周防大島を左手に見て走ること2時間25分で港に到着、白壁の町柳井の港へは立派な公用車が迎えに来ていました。仕事を終え再びフェリーに乗った頃にはすっかり暗くなり、冬の海を帰ってきたのです。

 瀬戸内海には大小3000余りの島があって、その島も過疎や高齢化のあおりで無人島化しつつあるといわれています。でも船に乗ってこの美しい瀬戸内海を航海できる幸せを、島国四国に住める喜びとしていつも感じています。

 中島本島には古野さんがいる。あの二神島には豊田さんがいる。周防大島には山根さんがいる。そう思いながら遠望かすむ島々を巡ると、船旅は実に楽しいものです。特に無人島キャンプで度々訪ねた由利島横を走る頃には寒い甲板に出て感慨深く見つめていました。

 そう、昨晩電話のかかってきた宇和島の宮川君は宇和海日振島の出身だし、毎年美味しいハマチを届けてくれる宮本正勝さん千里さんご夫妻は戸島なんだ。そう、かくいう私は四国という島に住んでいるんだと実感しました。

  「あの人も俺もみんな島育ち日本という国全てが島です」

  「島岬区別もつかぬ船の旅ふるさとなまり声を掛けられ」

  「長時間乗ってもフェリー何故安い油代とて高いというのに」

  「この海は船の銀座いう程に大小船が盛ん行き交う」

 

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shin-1さんの日記

○インターネットでオークション

 私などのように古いタイプの人間は、物を見て確かめないと物は買わないしお金も払いません。ところがわが息子世代は少し変わった買い物だと殆どをインターネットのオークションで様々なデーターを引き出して買うのです。年末には人間牧場水平線の家の重要な備品であるストーブを注文して買いましたし、煙突までも別のメーカーに依頼して送られてきました。「お父さん、どのストーブの型がいいか、このカタログで検討して」と名だたるストーブの情報を印字して持って来ました。見ましたが結局は「お前に任せる」でお金を振り込み送られてきたのです。結果的には気に入ったものが気に入った値段で買えてホッとしましたが、「もしカタログと違った商品であったり、粗悪品であったりしたらどうするのだろう」と考えると、品物を買う勇気を逸してしまうようです。

 二日前にも今度は、念願の五右衛門風呂をインターネットで購入しました。風呂を買うという決断には、私としては少し高価な買い物だけに後ろ足を踏みましたが、当の息子はクールなもので代金を妻から貰って振り込み確認後送られてきました。見た目には中々立派なもので早速大工さんと相談して大工さんのトラックで水平線の家へと運ばれて行きました。

 この様子を見て時代は変わったと思ったのは私一人ではありません。妻などは財布の番人ですからテレビで紹介されるトラブルを頭に思い浮かべて「だまされる」と、私以上の警戒ぶりでした。

 それでも最近ではインターネットのオークショントラブルが後を絶たず、政府も頻繁に流通している販売納入者は個人とみなさず、住所氏名を表示する義務付けを近く制度化するそうです。

 インターネットという顔が見えない情報商売には、物を買う人にも物を売る人にも必ず大きな不安付きまといます。商売はお互いの信頼の上で成立するのですが、振り込め詐欺が横行する世の中です。信じようとしても世の中はいい人ばかりではありません。しかし息子などはそのことを覚悟した上で様々なデーター情報の中から物を買う術を身に付けているのです。私の場合は私に代わって息子がインターネットの窓口になっているからいいようなものの、中々一般の人には理解できない世界だと思うのです。便利な世の中、悪の潜む世の中、どちらを信じたらよいやら・・・・・・。

  「ストーブも煙突さえもパソコンで買える便利を私は知らず」

  「だます人だまされる人それぞれにお互い知恵を出しつ出されつ」

  「もし俺に値段をつけたらなんぼかな期限切れして値段もつかずに」

  「もう古い私のような人間は言いつつ息子と知恵の勝負を」

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shin-1さんの日記

○ナンバーワンかオンリーワンか

 かつて高度成長の日本では様々なナンバーワンが登場し、少しでも大きく、少しでも太いものが持てはやされていました。後の首相になった細川熊本県知事が「何でも日本一」を掲げて各市町村を競わせたのがつい昨日のことのように思い出されます。

 今日訪れた山口県美川町にもかつては日本一といわれた直径10メートルを越す大きな水車があり、山水を称えながら長閑に動いてそば粉を挽いているのを見ました。島根県出身の竹下登首相が全国一律にふるさと創生1億円をばらまいたお金の一部で作ったそうですが、その後全国各地に似たような水車がお目見えし1センチ、5センチと訳も分からぬ競争を繰り返してナンバーワン、ベストワンに敗れたのだそうです。よくよく考えてみると、地方出身でありながら東京に移り住んだ細川さんや竹下さんは政治家としては頂点を極めたのですから立派な人に違いはありません。しかし本当に田舎のことを思えばこんなことをしなかったのではと批判したりするのです。昼食を別の店で食べたものですから願いがかないませんでしたが、今度は是非水車で挽いたそば粉のそばを食べてみたいものです。

 美川町にもう一つ素晴らしい日本一を見つけました。昔の坑道後を利用した地底王国「ムーバレー」の地底探検コースです。前兆キロメートルに及ぶ坑内はアドベンチャーモノリスの謎に迫る面白い物語が数多く用意され、総支配人のご配慮ある案内で見学して回りましたが、凄い仕掛けとお見受けしました。私が感心したのは地底奥深くの洞穴の壮大さと湖に映る幻想的な風景、それに音を立て流れる滝の様子でした。修学旅行でも誘致したら女子学生がキャーキャーいう程の内容です。但し私だったらというアイディアも閃きましたので、後日お話したいと思います。日本全国にはわが愛媛県新居浜マイントピア別子を含め鉱山跡を利用した観光施設は沢山ありますが、いいコーディネートが出来ているように思いました。

 美川ムーバレーは水車のようなナンバーワンにはしたくなく、オンリーワンを貫いて欲しいと願っていますが、いかんせんここ2年ほどは度重なる水害や災害の影響で客足が遠のき、経営が苦しいとのご意見でした。でも今日は日曜日だった成果そこそこ人が来ており、坑内の温度が年中一定の16度に保たれている自然の恵みを考えて、ワインの日本一貯蔵熟成庫にしたり、タングステンの鉱脈で文字を書いたり、様々な地底イベントをパロディ王国に仕込み情報発信すれば人気急上昇すること請け合いです。おっと変なアイディアを口を滑らせてしまいました。失言です。

  「人は皆太いか深いか目指すもの太い水車も地底深くも」

  「俺なればあれもこれもと知恵浮かぶやるかやらぬで未来は決まる」

  「切取った高い崖でもクライマー見ればあそこにチャレンジするぞ」

  「地獄だと思っていたら底は夢次から次へ古代の歴史が」

 

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shin-1さんの日記

○市町村合併とまちづくり

 昨日は合併して一年程の広島県江田島市、今日は後50日足らずで合併して新岩国市となる山口県美川町へ出掛けました。合併したまちとこれから合併しようとするまちそれぞれに、色々な悩みがあるもんだと皆さんの話を聞いて実感しました。

 今日は山口県美川町という鏡川流域に位置する人口2千人足らずのまちづくりのお手伝いをするため訪ねました。この町へは合併を契機として自治会組織やまちづくり推進協議会を立ち上げるため既に2回も私の講演会が開かれ、今日は3回目、来月4回目はわが町の視察研修を経て目出度くまちづくり推進協議会設立の運びとなる予定です。一つの町にこんなに度々行くことは余りありませんが、行けば行くほど中山間地域の悩みの深さが感じられて、身をつまされる思いがするようです。愛媛県のある首長さんが「合併するも地獄、しないも地獄」と言った言葉はそっくりこの町にも当てはまるようです。

 この2年この町では相次ぐ台風災害や大雨の被害に翻弄されてきました。今でも国道の側の木々には「あの高さまで水かさが増したんですよ」と指を指すほど高い位置にナイロン類が引っかかり、水害の大きさを物語っていました。主産業である林業はとうの昔に衰退し過疎や高齢化、少子化の波は否応なしに押し寄せ、高齢化率が50パーセントを越えた限界集落が幾つもあり、ライフラインを自助努力で賄えなくなりつつあるようです。

 こんな数多くの悩みを持った町が、対等合併とは言いながら吸収に等しい合併をしても、行政サービス化遠のき、負担は大きな街の平等理論に合わされる近い将来を思えば、国や県の財政運営の付けを何故と憤りを覚えずにはいられないのです。

 あと50日すると私たちの町が辿った軌跡そのままに、合併というシナリオに沿った運命が待ち受けていますが、この町がこの2年間をかけて勉強し、自治会を作りまちづくり推進協議会を作って、自分たちの町は自分たちで守ろうと始めた行動は賞賛に値すると思うのです。

 今日の集会での私の話は残念ながら明るい話ではなく、合併した町に住んでいる一人の市民が感じている矛盾や出来事の告白と、これからどう生きたらいいのかというヒントの話だったように思います。人間は未知なる未来に不安を持つものです。夢を持たないと生きてゆく勇気も生まれません。合併して生まれるであろう新しいまちの首長や議員さんにお願いします。彼らに夢を・・・・・・。そして役場に勤める皆さん質の高い行政サービスをお願いします。

  「合併を終わった町の私が夢を語らず誰が語るか」

  「秒読みの指折り数え終わり待つ長き旅路の幕を引く人」

  「高速と新幹線の下を越え何故か不便な山里目指す」

  「その昔ガニ目と称したワサビ漬け食って酒飲み夢を語りし」

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shin-1さんの日記

○ハガキが続々届く

 先週の日曜日、市内の小学校PTAの招きで講演会に出掛けました。普通はお父さんやお母さんに話すのですが、この日は親子で聞きたいということだったので子ども中心に話したことはブログで紹介しましたが、「恐れていたこと?」というより、本当は「嬉しいこと?」なのかも知れませんが、大変な難題が持ち上がりました。

 今週は出ずっぱりで県外県内の仕事が入って余り家にはいませんでしたが、自宅に帰って郵便物の山を見て驚きました。講演を聞いた子どもたちから沢山のハガキが届いたのです。年賀状の余ったハガキ、絵葉書、イラスト入りのハガキ、中には無造作にありがとうだけのシンプルなものまで様々なハガキがどっと届いたのです。そうです。私にとっては「郵便物の山」とか「どっと」という感嘆言葉がピッタリの驚きでした。一枚一枚読むと嬉しさがこみ上げてきました。

 しかし問題はこれからなのです。この子どもたちにお便りを書かなければならないのです。ふと数年前のある中学校の少年式を思い出しました。愛媛県内では昔の元服に当る中学校2年生を対象に「少年式」を行っていますが、その時もある中学校の少年式に講師として招かれたのです。「自覚・健康・立志の少年式にあたり、目標を立てること、実践することが出来る人間になりましょう。ちなみに私は毎日ハガキを3枚書いたら人生が楽しくなるという人の言葉を信じて毎日3枚のはがきを書いています」と、壇上で話したのです。2年生だけでも7クラス大きな学校ですから、明くる日からハガキが50枚単位で来るようになりました。最初は嬉しくて丁寧に書いていましたが、ついに音をあげてしまいました。それでも私はただひたすら書いたのです。すると今度は丁寧な子どもから返信が来るようになりました。お手上げでしたがその子どもの中には今でも文通している子どもが3人いるのです。

 私の来週はとても日程が立て込んでいて、講演や原稿執筆の仕事が沢山入っています。多分少し遅れると思いますが、今回も丁寧に対応したいとため息交じりの嬉しさをかみ締めています。妻は人のことだと思って、「嬉しいことですね。忘れずハガキを書いてくださいよ」とまるで他人事のように、わが書斎の文箱となっている段ボール箱にドサッと入れて立ち去りました。「お前も手助けを」と言いたい心境です。多分担任の先生が「皆さんお礼のハガキを書きましょうね」と誘導したのかもと、思わず笑ってしまいました。

  「子どもからどっさりハガキ来るを見て俺の話もまんざらじゃない」

  「あんなこと言うんじゃなかった講演で後の祭りのしっぺ返しか」

  「嬉しいねこんなに暗い世の中でハガキをくれる子どもいるとは」

  「子はハガキ親はメールの文届く情報様々現代社会」

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