shin-1さんの日記

 ○わが愛する美川町・その①

  自然や歴史がよく似ていて名前をつけたのか、全国には同じような名前の町がたくさんあり、合併前は同じ名前の町がそれぞれ寄り合ってサミットや協議会を開いて盛んに交流をしていたものでした。しかしその成果も出せぬまま、合併をきっかけにその殆どが解散をしてしまいました。町長や議会、それに町民代表が集まって調印をしたり相互訪問をしていたのが、自治体がなくなると出来なくなるからというのが解散の大きな理由だそうですが、私はその姿を見るにつけ、「ああ行政はお金があるからやったのか」と首をかしげずにはいられません。お金があろうがなかろうが、合併しようがすまいが真の交流を目指していたのであれば、合併後こそこの交流は住民の力で続けなければならないのではないでしょうか。

 愛媛県内でも吉田町、城辺町、美川村、中山町、松前町がそれぞれ県外の同じな前の町と交流していましたが、合併しなかった松前町を除けば、それらの町は合併を前にみんなが予算を使って集まり、解散式までやって大酒を飲んで分かれたといいますから理解に苦しみます。

 元々姉妹町村は終い町村といわれるように調印だの首長や議員の交流に名を借りたタダの研修旅行ではないかと批判を浴びておりました。殆どが消滅した今はそのそしりはぬぐえない事実となりました。

 私は3年前、山口県美川町から合併後のまちづくりについて相談を受けました。「合併後に機能する自治会とまちづくり推進協議会を立ち上げてほしい」とのことでした。現職の教育長でもあったので最初は公式には出来ませんでしたが、2年後に合併する自分の町とダブらせながら職員と知恵を出しながら考えました。私が出向いた講演会は6回にも及び、私の助言と職員の力でまず自治会がモデル的に出来みんなで高齢化に対応したまちづくりを進めるためにフィールドワークや調査を実際に行い住民の発表会もやりました。偶然にも昨年台風で大水害が発生し、自治会が大きな力を発揮できたことで、町民や役員にも自治会の必要性が認められました。 そして昨日、最後の仕事であるまちづくり推進委員会を立ち上げるに当って、みんなで双海町へ研修にやってきたのです。

  「姉妹町合併すれば終いですそんな浅はかするんじゃなかった」

  「本当は今こそ欲しい友なのに金知恵ないから全てオジャンに」

  「風船に夢を吹き込み飛ばしたる美川のまちに菜花生えるか」

  「少しだけ涙流して別れたる美川の人よ頑張れ励まし」

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hsin-1さんの日記

 ○後継者論

 昨日開かれた「地域の自立を考えるシンポジウム」では、「地域づくりは人づくり」という言葉が度々出てきました。言い尽くされ、使い古された言葉なのですが、この言葉はやはり流行ではなく不易なものといえましょう。人づくりについては時間の関係で、その重要性はわかっていても踏み込んだ議論はされませんでしたが、4次会の席では、酒の勢いを借りた連中が、酒の飲めない私に人づくり議論を盛んに吹っかけてきました。素面の私に酒飲みのみんなが勝てるはずがありません。結局は繰り返しの議論になりましたが、大まかふたつの意見に集約されました。

 ひとつは「いい指導者はいい後継者をつくる」という話です。誰もこの意見には異を唱える人はいませんが、この論法で行くといい指導者は自分の意に適った自分の跡継ぎを世襲のような形でつくるのです。組織も継続し一見いい方法に見えますが、指導者二世は自分の色を出せないまま、一世の小型のような指導者が生まれる危険性を持っています。 もう一つは「いい指導者は去るか死ぬ」という話です。これは私の持論でもあります。わたしも前述のような方法が最も手っ取り早いし、自分がそんな年代になっているのでそんな方法が一番楽だと思います。しかしわつぃのような人間は最早賞味期限の切れたゴミなのです。例えば夕日をテーマに私はまちづくりを推進してきましたが、私が求める本当の指導者は夕日の伝承よりも夕日を否定する人が欲しいのです。つまり私が朝日より夕日を選んだように既成概念を打ち破る指導者を求めているのです。時代は急速なスピードで進んでいます。ゆっくリズムの時代を生きた私たちのようなパソコンで情報の発信できないような指導者と次代が求める指導者とは明らかにその量と質が違うのですから・・・・。

 ごっくん馬路村で知られる東谷さんと私のこうしたバトルに参加者も戦々恐々の面持ちで見守っていました。東谷さんは組織人ですから自分の後継者を心配しています。しかしいくら心配して3代続いた家がないとか、お店と屏風は大きくなったら倒れるの例えを述べながら、延々と話が続きましたが、拙論は人それぞれなので持ち越しました。ポールラッシュの言葉を思い出しました。「私はただ消え去るのみ。もう道は開けた。心配ない」

  「俺の後誰が継ぐのか分らない居なくなったら人は生まれる」

  「くたびれて賞味期限の切れた俺棚から卸してゴミの中ポイ」

  「酒飲みと飲まぬ私が一騎打ち口角飛ばしてどちらも利あり」

  「ちゅうちゅうとネズミの如く言う方言高知男はさすがにでっかい」

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shin-1さんの日記

 ○荒川選手の金メダル トリノオリンピックも終盤になって、メダルゼロの日本に朗報が飛び込んできました。フィギアスケート女子の荒川選手が何と金メダルの快挙を成し遂げたのです。フィギアスケートには安藤、村主、荒川の3選手がエントリーしていましたが、荒川が1位、村主も4位となりました。荒川選手は伊藤みどり選手が銀メダルを取って以来、しかもアジアでは初の金メダルだそうで、日本中が彼女の華麗な演技に酔いしれました。特に足を柔軟に上げたりまるでサーカスのような背中を逆に反らせて滑る妙技は、彼女しか出来ない素晴らしいものでした。 表彰台に立つ彼女の姿は晴れやかで、金メダルを胸にかけ国歌「君が代」を口ずさむ荒川選手を見て、思わず涙が出てきたのは私一人ではないと思います。 彼女の演技には安藤選手や村主選手にはない大人のオーラを感じました。村主選手は日本人、安藤選手は現代っ子のような雰囲気を感じさせますが、荒川選手は国際人や大人って雰囲気で、二人に比べ大柄なためかスケールが一際大きく感じました。 ところでオリンピックの金メダルが銀製であることを知っている人は少ないのではないでしょうか。これは金の値段が銀の約100倍という台所事情で経費節約のために銀に金メッキを施してもかまわないということがオリンピック憲章で定められているのだそうです。しかもそのメッキには金が6グラム以上使われることになっているというから驚きです。しかし金や銀の値打ちよりも金を取ったプロセスやその成果を思うと、メダルの質なんて関係ない話でしょう。 ふと思ったのですが、メダルが3個もあるのに、そして表彰台に3人も上がるのに、さらに国旗は3本揚がるのに、国家を演奏してもらえるのは金メダルの国家だけなのですから、すごい価値があると思います。 村主選手の悔しそうな顔も、さばさばした安藤選手の顔も本王に素敵でした。お疲れ様といってあげたいです。そして荒川選手に感動を有難うと言ってあげたい気持ちです。 各国のメディアはそろって荒川選手の快挙をたたえ、彼女の演技の素晴らしさが、最後に滑った選手へのプレッシャーになったのではないかと報じていました。  「氷上であれだけ滑る演技にはただ驚ろきて言葉さえ出ず」  「君が代と日の丸ダブリ感激す俺もやっぱり日本人です」  「勝ち組と負け組みそれぞれ涙するそんな姿に私も涙」  「四年間長い道のりたどり着く今日は終わりの新たな始まり」

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shin-1さんの日記

○今日は疲れた

? いつもは疲れたなんて感じない私ですが、さすがに今日は疲れました。というのも朝10時から始まった「地域の自立を考える」というシンポジウムは延々11時近くまで続いたのです。午後1時までが第一部、2時から4時までが第2部、4時から7時までが第3部、そそて場所を移して7時30分から11時までが第4部でした。 まちづくりの話は上勝町の横石さん、馬路村の東谷さん、内子町の森本さん、それに私とで議論を展開しました。何せどの方も名うての論客だけに鋭い突っ込みの応酬で、いい話が聞けました。このサロンの企画は地域政策研究センターによって仕組まれたものですが、朝日新聞社が5回シリーズで連載したため関心も高く、300人もの参加者で会場は立ち見ほどの混雑でした。

 私にとってこの程度の会議は日常的な集会なので驚きはしませんが、会の進め方が全て予告もシナリオもないアドリブの世界でのぶっつけ本番だったため、たのしい会議となりました。

 地域の自立には経済の自立や人の自立など様々な切り口がありますが、上勝町も馬路村も、内子町も、勿論双海町も自然やそこで取れたものを売っているという共通性と、その売り方が違うという異質性、そして人間の思いも違う多様性が随分話題となりました。私の町は残念ながら合併によって自治体は消えましたが、それでも双海町という夕日のブランドは消えることなく輝いているのですから不思議です。

 伊予市の門田さんとも話しているのですが、合併して1年。、もうそろそろ伊予市の夕日として売り出す仕組みも考えてみたいと思っています。 昨日沖縄から帰って直ぐに会合に出て、寸暇を惜しむようにまちづくりにのめり込んでいます。でも疲れたといいながら本当に快い疲れです。多分それは楽しいからやる、好きだからやるという基本があるからかも知れません。公職のあった頃は「こんな会何でするの」といわれるような会議もこなさなければならず苦痛を感じたことも何度かありました。でも今は殆どがやりたいことをやるといった姿勢ですから楽しいのかも知れませんね。 今日の会議には、馬路村の山猿こと木下君も駆けつけていました。明日はわが町へ足を伸ばすそうです。明日は区長として近所の人の葬儀にも出席せねばならず、また山口県美川町から視察団がやって来て土日付きっ切りのお世話が待っています。

 「お父さんは楽しそうじゃねえ。それにしても、現職だもないのによくこれだけスケジュールが詰まるねえ」と感心しきりでした。 昨日は忙しくてブログを書く暇がありませんでしたが、明日も書けるかどうか・・・・・。今日は疲れたのでもう寝ます。

  「朝10時始まる会議終わるのは何と時計が一回りした」

  「上勝も馬路も内子も皆同じ自然を上手に金にしている」

  「年寄りと女輝く町ありて年齢よりも心の若さ」

  「モナリザも基はといえば布に色塗っただけだが人は綺麗と」

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shin-1さんの日記

○努力で格差の出る時代

 同級生に久しぶりに会いました。同級生ですから当然昨年定年を迎えています。お互いが近況を報告したのですが、彼が唐突に「進ちゃんあんたがうらやましい」というのです。「何で」と尋ねると「あんたは生き生きと生きて輝いて見えるというのです。「そんなことないだろう」と打ち消しましたが、ここだけの話ですが私の目から見ても「私の方が輝いているな」と思いました。

 「まあお茶でも」と彼を誘って喫茶店に入り積もる話をしました。彼は退職後のんびりしたいとまだ再就職はしていません。つまりやることがなく目標を持って生きていないのです。私は再就職を勧めはしませんでしたが、何か自分が熱中できるものを探したらどうかとアドバイスしました。「たとえば」と返されたので、「私の場合は人間牧場やブログで随分進化してきた」と話しました。「ブログって」「人間牧場って」と矢継ぎ早に質問されましたが、これまでよりこれからどう生きるのか考えなさいといって分かれました。多分彼が何の目的も持たず生きるなら、彼とは同窓会程度の出会いで終わるだろうなと思っていました。

 ところがデス。先日旅先から帰って私のメールを開いてみると同級生のY君からたどたどしい短い文章ながらメールが入っていたのです。「娘に教えてもらって初めてメールを打ちます。君の話を聞いてこれはいかんと思いました。またメールします。ああそれから娘のパソコンで君のブログを読みました。妻に相談して近々パソコンを買います」だって・・・・・。

 私は彼のメールを見て「努力で格差の出る時代」だと思いました。勝ち組負け組みが問題になっていますが、勝ち負けではなくどう生きようとして生きたかが問題なのです。侍従主義の世界で格差は当たり前の出来事です。努力もしないで「果報は寝て待て」なんて時代はとうに過ぎました。いい人生の仕上げのためにも頑張って欲しいと思っています。

 「今朝彼からメールが入りました。「パソコン買ったぞ。今はあつかましがられながら娘がパソコンの先生です」。」まるで子供のようなはしゃぎ方がメールの向こうに見えてくるようです。パソコンが人生のすべてではありません。でもそのチャレンジはまた新しい情報や人、それに自分の発見にも繋がるのです。頑張れ61歳のおやじさん。

  「パソコンを買ったと届くメール見てエールを送る嬉し一日」

  「人間はみんな同じと教えられ何もやらずに果報寝て待て」

  「朝早くホテルのメール独占しブログ書いてる自分に気づく」

  「群集が無造作歩く歩く沖縄の国際通りいつか来た道」

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shin-1さんの日記

○私の血圧は正常です

 今朝沖縄のホテルを出てドラッグストアーへ立ち寄りました。そこには様々な薬の他に家庭用血圧計が「今売れてます」「自宅で簡単に計れる血圧計で健康をチェックしよう」50代のあなた血圧大丈夫」など、さも買わせたい殺し文句が値札の上に付いていました。それらの血圧計はその場で体験できるようになっていたので、試しには買ってみました。驚きました。同じ人間の殆ど同じ時間に計っているのに、低い血圧計と高い血圧計では数値が15も違うのです。勿論血圧はその人の心情によってもかなり違いますが、それにしても心臓に毛が生えたような私の血圧が器具によってこうも違うのだから目安にはなっても余り当てにならないものだと思わざるを得ませんでした。

 私の家の隣に67歳の叔父が住んでいます。叔父は脳梗塞を患ってから血圧に敏感過ぎるほど敏感で、暇さえあれば血圧を計り、それをノートに記録しています。叔父の話だと血圧の変動には一定の法則があるのだとか、教えてはくれませんでしたが、その時期が来たら教えようとの勿体ぶりよです。

 叔父の言うのには、自分の家で計るとかなり安定しているのに、何故か医者の前に行くと血圧が上がるのだそうです。これを白衣高血圧というのだと助産婦をしている娘から聞いたたことを思い出しました。

 私はこれまで血圧が高いと診断されたことはありませんし、先日も定期健康診断では先生から太鼓判を押されました。今日ドラッグストアーで計った血圧も多少の差はあっても正常な範囲でした。

 自分の健康値を数値によって意識することはとても大切なことです。血圧もそうだし、体重だってその人の健康を表しますが、叔父のように余り過敏になり過ぎると日々の暮らしがおのずから暗くなります。

近頃は数値目標を立て努力することがさもいいことのように言われています。血圧が120の人が5下げる目標を持って行動しても結果は余りうまくいきません。要は体重計に乗って一週間前と比較して増えていたら少し食事の量を減らして運動量を多くする程度の気を付け方で十分体重を維持できるのです。

 数日前、別の叔父が心筋梗塞で入院し心臓にペースメーカーを埋め込みました。元気で船に乗って漁をしていた叔父なのですが、私の周りも次第にそんな人が増えてきました。高齢化という人間にとってどうしようもない出来事です。私もその辺を考えこれから健康的ないい生き方をしたいものです。

  「薬屋で計った血圧正常値、でもでもどれを信じていいやら」

  「外堀を埋められ傍に忍び寄る高齢いう名の私行く道」

  「健康が気になる私はお年頃食うものひとつも注意を払って」

  「血圧の高そなおばさん肉食って痩せる話に花を咲かせて」

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shin-1さんの日記

○浦添という街で

 沖縄県那覇市の隣に浦添市という街があります。那覇から10キロもない隣の街だのに何故か片側3車線もある国道は慢性的な車の渋滞で、今日も行きも戻りも40~50分かかってしまいました。午後3時からの会合だったので、担当者がホテルに迎えに来たのが午後2時だったものですから少々イライラしました。公園が終わっての帰りはラッシュと重なり大変な混雑で、まるで東京並みでした。

 さて沖縄の町村議会議員の皆さんに、どういう話をしたらいいか迷いましたが、結局は私が夕日によるまちづくりで経験した議員さんとのやり取りや、反対を説得したエピソードなどを中心にお話しましたが、結果的には好評で、帰り際沖縄の町村議会議員で最古参といわれる80歳の議員さんから「今まで聞いた話で一番良かった」とお世辞を頂きました。お世辞でも嬉しかったので、「人間は年齢ではありません。いかに心が若いかです」と返したら、「その通りだ」と喜んでいただきました。

 今日の話の中心は「田舎嘆きの10か条」でした。沖縄の町村は離島が多く、那覇へ来るのにも大変な労量だと聞きますし、過疎化・高齢化・嫁不足・第一次産業不振という四十苦を抱える地域が多いようです。愛媛県から比べると合併への取り組みが遅れていて、町村の数は31だそうですが、私の前に後援した沖縄県市町村課長さんの講演内容がスピーカーで流れておりましたが、合併の参考パターンが資料に載っていました。

 こんな場所で余り合併の話をすると差しさわりがあるので封印しましたが、私は今でも合併に対する疑義を感じている一人ですから、聞かれれば答えたいと思っていましたが、質問の時間がなかったので、拍子抜けはしましたがホッとしています。

 普通だと3時間の話を1時間40分に早送りして少しではなく急いで早口でしゃべりました。老朽化したとはいえ市民会館ですからマイクの通りも抜群で、いい話が出来たと内心喜んでいます。議員さんの集団は30分以上の講演は持たないとある大学の先生から聞いていましたが、沖縄の町村議員さんは質が良いのか誰一人居眠りする人はいませんでした。ひょっとして私の話が良かったからなんて思ったりもしました。

 明日は愛媛へ帰ります。

  「居眠りをするはず聞いた議員さんみんな熱心驚きました」

  「田舎者そんな私の話でも海超えこの地人が集まる」

  「結局は人は石垣言ったなら名前も石垣うまい座布団」

  「夕食は最後の晩餐何食おか沖縄そばの味も恋しく」

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shin-1さんの日記

○オリンピックメダルは取りノー(トリノ)

 みんな頑張っているのに、やはり世界の壁は厚く、あれほど期待されながら今のところ金も銀も銅さえもメダルはとれない日本勢、どうしたといいたくなりますが、これも仕方がないことなのでしょう。日本のウインタースポーツは欧米の歴史に比べたらそんなには古くありません。札幌や長野で冬季オリンピックが開かれて随分メジャーなスポーツになりましたが、検討したカーリングなどはまったくスポットの当たらない地味なスポーツでした。あるクイズ番組でおじちゃんが「モーニング娘は知っているが、カーリング娘は知らない」といって大爆笑になるくらいの知名度なのです。

 しかし日本人は「土壇場でメダルが」と淡い期待を抱いています。安藤、荒川、村主の3人娘が挑むフィギアスケートに関心が集まっています。私も今日ホテルの部屋でテレビに釘付けでした。パンツ丸出しといったら怒られますが、氷上で繰り広げられる躍動感あふれる演技はまさに芸術といっていい技でしょう。

 競技は必ず相手がいます。100メートルのように相手と競争してどちらが早いか競うのは私たち凡人にも一目瞭然で分かりますが、競技といいながら与えられた時間を自分が演出し、人の主観が審査する演技は、何がよかって何が悪かったの正直分からず、演技が終わってからスロービデオをまわして解説者の解説がないと分かりません。だから演技が終わって点数が表示されるまでの時間に、演技が終わった競技者の表情は安堵感と期待と不安が交錯し見ごたえがあります。

 今のところ上位に食い込んでいますが、いい結果、つまりメダルが欲しいですね。

 メダルを取ったあとのインタビューに応じたセリフも後々まで伝えられます。「今まで生きてきた中で一番うれしい」「自分で自分を褒めてあげたい」「めちゃ悔しい」などは若さが故の直感的な言葉だと思いますが、やはり心に残ります。

 それにしてもメダルこそ逸したもののカーリング娘の爽やかさは、何といってもトリノオリンピックの大きな話題の1つです。帰ったら他の成績が今一だっただけに、脚光を浴びそうです。

  「メダル取りノーと感じるもどかしさそれでも爽やかカ-リン娘」

  「オリピンは四年に一度と思いきや夏冬交互で二年に一度」

  「雪のない街で雪見る不思議さよ世界は狭くなったものです」

  「村主と書いてすぐると読めという世の中珍名沖縄ザラに」

 

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shin-1さんの日記

○愛媛のみかんは美味い

 今朝の朝食はホテルでバイキング方式でした。洋食と和食の2ルートがあって、和食派の私はいつものようにご飯と味噌汁を選びました。最近はどこへ行っても同じように納豆が出て同じように生卵と味付け海苔です。私の場合はコーヒーも飲めないので野菜と果物にヨーグルトそれにトマトジュースを禁煙席に運びました。梅干も魚の塩焼きもあるので、ぱんぷ苦になるほど平らげたたべ少しエネルギーがオーバー気味なので昼食は控えようと思っています。

 沖縄といえばこのごろタンカンとパイナップルですが、果樹王国である日本一のみかん産地としては少々物足りない果物の味でした。特にいつも思うことはグレープフルーツは一体何が美味いんだろうと疑問を投げかけます。タンカンとパイナップルが特産品ならばもっと完熟したのを出せばいいと思うのですが、今日のフルーツでは沖縄のPRにはなりませんし、買って帰ろうという気分になりませんでした。パイナップルはやはり缶詰の方が美味しく感じます。

 タンカンはオレンジ系の果物ですが、第一外観が悪いです。果物は見た目より味という風潮もいい傾向だと思うのですが、愛媛ではこの外観だと放任園の雑柑で誰も見向きもしないし売れません。

 この頃になると我が家には晩成のみかんや伊予柑やポンカン類の雑柑が沢山届くようになりました。朝フル会の清水さんが自慢するだけあってこれらのかんきつ類を食べていると何だか幸福になったような錯覚さえ覚えるのです。我が家でも双美町の特産品といわれる煮干とみかん類は全国の仲間に送られ、夕日とともに好評を博しています。農協が一時全量出荷の方針を打ち出し、「美味しいけど買えない」という苦情がありましたが、今では脱農協の人たちが中心になって「顔の見えるみかん」と称して夕焼け市などではんばいしています。

 3日前、群馬県から視察がやって来ました。私が案内する姿を見て、夕焼け市のおばちゃんはわざわざ見ず知らずの群馬の人にみかんを一袋「遠いところからご苦労様」お差し上げるのです。結果はどうなったでしょう。視察が終わって帰り際、視察者たちは「あんな美味しいみかんだったら」と買い求め宅配便で送ることになりました。「若松さん、あなたのお陰でみかんが大分売れました。」と感謝されたのですが、私は「いえいえ私の力ではありません。あなたが視察者にみかんを差し上げたからですよ。損をして得を取るとはこのことなんですよ」と言ったら、また帰り際に美味しいみかんを頂きました。

 昔は籠にいっぱい、手のひらが黄色くなるまで食べたものです。今はこんなに美味しいみかんがいっぱいあるのに、愛媛の人はなぜか食べません。「太るから」だって、「じゃあお肉やジュースやケーキを減らせばいいじゃあないですか」と反論します。今年のみかんは美味しいです。あなたも食べて健康になりましょう。

  「沖縄で食べたタンカンより美味い我が家のみかん日本一かも」

  「絞りたてみかんのジュース喜んで飲む孫やはり元気です」

  「タクシーのラジオ流れる懐かしさ知り人投稿こんな所で」

  「旅に出ていつも思うはふるさとの人海夕日花に食べ物」

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shin-1さんの日記

○修学旅行とおばさん旅行

 今は旅行業界はシーズンオフと思いきや、沖縄の何処へ行っても修学旅行とおばさん旅行の集団に出会います。昨晩は久しぶりに交際通りを歩きましたが、一見修学旅行と分かる集団が街中を闊歩していました。修学旅行といえば何といっても「安い」です。昔の修学旅行は大きな部屋に足の踏み場もないほど布団が敷かれ、枕を並べて枕投げなどをして遊んだものです。しかしつい最近の修学旅行はそんな大部屋を持っているホテルはありませんから個室なのです。この季節はシーズンオフでホテルや観光業者にとってみたら修学旅行は救世主のような物で大助かりなのです。したがって多少割安な料金で、多少サービスを落すのです。

 街中を歩く高校生を見て思うのですが、服装が何となくだらしない感じがします。スカートの短さはその時代の風潮ですから気にはなりませんが、それにしても制服の下からシャツを出し、それでも顔には薄めの化粧をしている姿からはもう大人の風格です。でも考えや行動は全く幼稚で、国際通りを我が物顔で歩く姿に、今年の成人式にこの国際通りで暴れた新成人の姿をダブらせました。

 高校生の間を元気に歩くおばさん集団を何組も見つけました。金と暇のあるおばちゃん集団は、旅の恥は掻き捨てのような行動をするし、お土産は行く先々で宅配便扱いです。大勢の力を借りて値切りまくり、『お客さんかないませんなあ」と定員を呆れさせていました。

 沖縄名物のちんすこうの試食箱は空になるほど食べまくり、泡盛もまるで酒盛りかと思うほどに飲みまくり、買うのかと思えば平気で飲み逃げです。多分今晩は食事に繰り出し、そんなやり取りをあたかも殊勲のように酒の肴にするのでしょう。

 人のことをどうこうは言えません。かくいう私の妻も今ごろ北海道の大通りに繰り出し、同じようなことをやっていると思うとぞっとします。ああなげかわしやおばさん集団です。

 青森から来た夫婦連れに会いました。今年の3月で定年退職だそうで、退職記念に暖かい沖縄旅行を選んだそうです。偶然にも同じホテルだったようで、今朝朝食会場で同席して、退職後の感想を聞かれました。「話せば長い事ながら」ではありませんでしたが、こんなほのぼの旅行もいいもんだと思ったものです。

 旅か旅行か、その方法は色々ありますが、観光カリスマの私としては経済効果の上がる旅行より、目的をもった心の選択が出来る旅に、日本もそろそろギアチェンジしないとダメですね。

  「泡盛をあれもこれもとはしごするおばちゃん顔をすっかり赤らめ」

  「高校生シャツを出してる入れなさいあんたは古いこれはおしゃれだ」

  「試食箱ないよと店員大慌て買うか思えば隣の店に」   

  「憧れて沖縄くんだり来たと言う退職記念の夫婦ほのぼの」

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