shin-1さんの日記

○横文字のメールに占領されそう

 コンピューターウイルスの話は聞いたことがあるけれど、この正体がどんなものであるかも知らぬままパソコンをいじっている私にとって、毎日新着メールを見るのは楽しい反面、新着メールに混じって訳の分らぬ横文字のメールが沢山届くようになって、その消去には正直閉口しています。横文字の意味が分れば呼んだり返事を書いたりも出来るのでしょうが、その能力さえも持たない私にとっては何とも不気味で、今はその全てを×印の画面で消去作業をしているのです。誰かに聞こうと思っても忘れたり、恥かしくて聞けないような雰囲気もあるのです。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」という言葉が正しいのなら、仲間内に相談して教えを請うのもいいかも知れません。

 ひところ私のパソコンにエッチな写真や動画が沢山進入してきて、私のホームページを立ち上げてくれた大学に勤める娘婿に相談したところ、簡単な操作で一掃されたことを思えば、それも可能かもしれないと思い切って今日にでも彼にメールで相談したいと思っています。

 もう一つ、私宛に届く不可解な文章があります。その文章は「セレブな女性と交際して高収入を上げませんか」というメールです。文章の中には私の名前をしっかりと書き込んでいるので、メールに慣れていない時は普通だと、てっきり返事を出さなければならないと思うような文章なのです。でも読んでいくうちに変な誘いであるような気がして、これも×印の画面消去しているのです。男性が失敗するものには「酒と女と賭け事」という三つがあるのだと昔ある人から教わりました。体の都合で酒を断っている私にはもう酒で失敗することは殆ど100パーセントなくなりました。また賭け事も余り好きでない私には縁遠いものなのですが、それでも最近は遠のいたものの、スズメの涙ほどしかない退職金を当て込んでのことでしょうが、投資をしないかと盛んに先物取引や株取引の電話がかかってきたものです。でも金融広報委員会のアドバイザーを長きに渡って務める私にはその誘いも無縁で、きっぱりとお断りする心の準備が出来ているのです。

 さてもう一つの人生失敗の原因である女の件に関しては、男性の場合女に持てたいという願望があるため、少しの誘いで胸がときめくものなので、意外と失敗が多いようです。セクハラや携帯で女性の下半身を写真に撮ったり、出会い系サイトで知り合った女性と交際し、役職や人生までも棒に振った人の数は相当数に上っているようです。私に送られてくるメールも、多分私の公式ホームページを見てのアクセスになったのだろうと思われますが、何の連絡もせず無視しているにもかかわらず執拗に返事を求めてくるのです。

 男性が異性に興味を持つことは当然のことでしょうが、酒も賭け事も女も全て自分というもう一人の自分と向き合って無言で会話しながら決めて行動するのですから、目に見えないもうひとりの自分をいかに強い人間にするかが決め手のようです。そのためには日ごろの学びと心を強くする誘惑に負けない訓練こそ必要だと思うのです。

  今朝も20数件の横文字メールと女性に関する誘惑メールが2件届きました。いつもの如く全てを×印で消してブログを書き始めました。

  「世の中は よっぽど暇な 人ありて 俺にメールを 送り続ける」

  「いい人が いるとメールが 誘ってる 俺は強いぞ 女妻だけ」

  「×印 マウスで処理し 始めるが 無駄なことだね パソコン音痴」

  「誘い手に うっかり乗ると 火傷する そんな歳など とっくに過ぎた」


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shin-1さんの日記

○山里に通い続けた20回5000キロの旅・大宮地区(20-20)

 秋のつるべ落としの太陽が山の端に隠れる時間が段々早くなり、夕方5時頃になるともう山里には夜のとばりが下りて人恋しくなります。昨日は四万十市西土佐への20回の集落巡り最後の日なので、何となく晴れやかで、それでいて「今日で来れないのか」と思うと何となく寂しく、複雑な心境の一日でした。盛夏を間近に控えた6月からはじめた集落巡りも約6ヶ月の長い期間となってしまいましたが、片道125キロ、往復250キロ、20回で5000キロを走破した計算になるのですから驚きです。第一のふるさとは生まれ育った双海町ですが、第二のふるさとは高校3年間を過ごした宇和島だと心に決めています。もし私にとって第三のふるさとがあるとすればそれは、連続的に20回も足を運んだ高知県四万十市西土佐だと言わざるを得ないほどの土地になってしまいました。

 この日も例によって今や西土佐の関所になった彩花という軽食喫茶に、2時間近くの運転の疲れを取るため立ち寄りました。奥さんと他愛のない話をしながらお茶を飲むのですが、この店に立ち寄ることも暫くはないだろうと少し寂しくなりました。そこへ役所の中脇係長さんから電話が入り、今晩の夕食はこの店でするから注文をして待つように言われました。今晩の会場となる大宮という地区にはこの先の橋を渡って30分余りの所にあるそうなのでとんかつ定食を注文し、居合わせた近所の奥さんが持ってきていた大根を見ていたので、とんかつを大根おろしと酢醤油でいただこうという相談がまとまりました。久しぶりに食べたとんかつの揚げだちは格別で、最後の講演会に向けて馬力が出たような感じがしました。

 大宮地区は9人ながら小学校があり、元気な集落の一つだそうですし、JAの合併で消えかかったお店を、地域の人が共同出資して引き継ぐという世にも珍しい地域だと聞いていたので楽しみにしていました。隣接する滑床渓谷や愛媛県松野町目黒は直ぐ目と鼻の先で、帰りはこの方面を通って帰るとあって、中脇係長の運転する公用車の後をノコノコとついて進みました。夜のことゆえどこをどう走ったかはまったく分りませんし、私のカーナビゲーションもそんな田舎道は白地図同然で、車の走った後が白く地図に表記されてゆくのみでした。

 到着した集会所の前の畑には真っ暗ながら遅咲きの背丈の低いコスモスが少し冷たい風に揺れていました。私は車に積んだデジカメを取り出し幻想的な夜のコスモスに向けてフラッシュをたきました。ピントも合っているかどうか分りませんでしたが、結構な写真に写っていました。集会所の中に入ってみるとこの地域では厄年の人たちが毎年厄落としの祝い事をした後撮った記念写真がもう30枚も鴨居の上に飾ってありました。中には赤いちゃんちゃんこを着、帽子を被っている人もいますが、既に高い日田人もいるようで、みんなで感慨深げに鑑賞をしました。

 集会には結構な数の人が集まり楽しい雰囲気でした。特に私の追っかけをしてくれた西ヶ方の方もいたりして、まあ最終20回目のフィナーレに相応しい会合となりました。私の話もいつもにも増して熱のこもった話を展開しましたが、思いのある方々ばかりなので反応も上々だったように思いました。

 「こんな楽しい話しだったらまた来てくださいや」とお世辞にもせよ、ありがたいお言葉をいただき大宮を後にして、初めて通る目黒経由の道を和田課長さんの先導で帰路に着きました。

 別れ際和田課長さんが「最後なので少し時間を下さい」と耳打ちされていたので、課長さんの先導車の進む方向に進みました。県境のトンネルと相変わらず曲がりくねった道を下りて、田舎にしては珍しい小奇麗な一杯飲み屋に着きました。9時半を回っていることもあって店に他の客はなく、課長さんの顔見知りの店なので、ママさんとマスターと私たち4人で、四方山話に花を咲かせました。「来てくださいや」という言葉をことらの方言では「きちくれや」といいますが、吉と屋を漢字にした田舎言葉の造語が店の屋号なのです。

 

  それから延々11時30分までの2時間、私のつたないハーモニカを吹いたり、かつて若い頃に兄弟のように付き合った昔を懐かしみながら、課長さんはビールや焼酎、私はウーロン茶というかみ合わぬ嗜好品で話し込みました。さっきのとんかつでお腹が一杯の上に湯豆腐まで注文し、腹の具合が悪くなりそうな雲行きでした。

 美人ママと人のよさそうなご主人と課長さんをカメラに収め、夜道を宇和島経由で帰り、家についたのは午前1時半になっていました。中脇係長さんや藤倉さん、それに雇用促進協議会の石川さんなど、今回も多くの人々のご縁をいただき、何はともあれ20回の西土佐集落巡りは無事終了しました。深夜にもかかわらず帰りの遅い夫を心配して待ち続けていた妻の温めた布団にもぐりこみ、二人ともいつしか夢の世界へ旅立っていました。

  「二十回 五千キロの 旅でした 深いご縁の 人また増えて」

  「年齢を 考えもせず 日帰りの 少々きつい 仕事こなして」

  「同じまち 二十を越えた 記憶なし 故に記録だ 俺のギネスに」

  「二十粒 元気の出そうな 種を蒔く 芽が出て花実 つけて欲しいね」

 

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shin-1さんの日記

○えっ、もうお正月?

 人々は何を目安に生きているのだろうと思わせるように、世の中には何でも早く取り組もうとするせっかち野郎がいて、何だか気あせらしくて仕方がありません。まだ2ヶ月向こうだというのに巷にはジングルベルの音楽が鳴り響き、クリスマスの赤い飾り付けがやたらと目に付くようになったし、ケーキ屋さんやコンビニにはクリスマスケーキ予約受付中の幟がはためいて、新聞折込にも日々そんな慌しさを更にせかすようなチラシが入っているのです。勿論クリスマスだけではありません。10月31日の昼頃近所の郵便局に手紙を出しに行くと、11月1日の年賀状発売を前に何と門松がお目見えして、「えっ、もうお正月?」なんて錯覚をしてしまいました。

 普通門松は正月を迎える縁起物として元旦の2~3日前に大安のようなよい日を選んで飾り付けるのが普通ですが、多分今の日本で一番早く門松を取り付けるのは全国の郵便局だろうと思われるのです。年賀状を売りたいという魂胆は分るのですが、これは世の中の流れや社会通念を無視したり、正月本来の習慣を変えるようなやり方で余り感心しないと私個人は思っています。現代の日本はこのように一事が万事早いものがさも価値があるかのようになっていて、うかうかすると一儲けを企む人の格好の標的になりかねないのです。もうここらで「ウサギと亀」の童話ではありませんが、もう少しユックリズムを取り戻して欲しいと思うのです。

 そうは言っても季節を追って暮らしている人々にとってこれは死活問題ですから、ケーキや年賀状を売るのも競争相手がいることなので仕方がないと諦めねばならないのでしょうが、要は消費者たる私たちがそんなコマーシャルに安直に乗って衝動的行動をしないよう心にブレーキをかけることが大切なのではないでしょうか。

 昨日妻が年賀状を買ってきました。私は現役の多い頃には約千枚近くも年賀状が届き、約800枚程度出していたのですが、今では500枚に縮小しています。でも一枚五十円のハガキでも500枚だと2万5千円と結構な値段なのです。勿体ないけどハガキ人間の私としては仕方がないのです。今年は少し減らそうと頑張るのですが、自分のパソコンに入った住所録を整理する間もなく、結果的には今年も多少の増減はあっても500枚くらいに落ち着きそうな雲行きなのです。

 クリスマスケーキも昨年は無駄なことをしました。妻でみると家族はそれぞれ独立して少なくなったけど、せめてケーキぐらいはと注文したのですが、息子たちがそれぞれ良かれと思い思いに注文したのが三つも届いて、毎日ケーキを食べる羽目になってしまいました。いくら最近のケーキが甘さを控えているからといっても、ケーキばかり食べれる若い時とは違いますから、最後は勿体ないと思いつつ生クリームで賞味期限のこともあって、捨ててしまいましたし、アイスケーキなどは溶けると食べれないので冷凍庫の中で正月まで保存されていたようです。

 冷蔵庫や冷凍庫には物が溢れ、わが家のような貧乏さんでさえ飽食の日本を象徴するように片付かない余り物が散らばっています。毎日出る生ゴミの中には賞味期限の切れた封も切らない食べ物まで捨てられて、何と勿体ないことでしょう。私は講演などで日本全国を旅したり、また視察者が全国からやって来るためそれぞれの土地の名物的お菓子を持参してくれたりします。殆どは近所や友人におすそ分けするのですが、それも限界があり不始末を余儀なくされる事だってあるのです。

 お正月を迎えるのを機に少し暮しの仕方を変えようと妻と話しています。ゴミ袋が有料化されて少しの間は減ったゴミも、馴れるとまた元に戻りつつあります。暮しを変えることは容易なことではありませんが、せめて一年の区切りぐらいでもそう考えて日々の暮しを見直したいものです。

  「門松は 正月飾りと 思ってた ところがどうだ 二ヶ月前に」

  「クリスマス 見まがう程に 電飾し おいで買ってと お客呼び込む」

  「ああケーキ 今年も食えと 妻が言う 食いたくないのに 何でこんなに」

  「見直そう 見栄無駄無理な この暮らし 日本は何て 豊かなんだか」 

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shin-1さんの日記

○孫と木下大サーカス見学

 週末わが家へ泊まりにやって来た三歳の孫は、9時には風呂に入って寝るため私が帰る頃にはもう夢の中なのです。帰ると妻が「おじいちゃんが帰るのを待っていた」というものですから、「明日は久しぶりの日曜日で午前中空いているので木下大サーカスでも見せてやるか」と相談がまとまり、昨夜のうちはその予定を組んでいました。ところが今朝になって地元公民館の掃除当番が回ってきていて早朝には出かけられないことになりました。妻がy歩層以上に早く、9時に掃除から帰ってきたので思いついて身支度を済ませとに角行ってみようと話しがまとまりました。しかしいざ出かけようとすると一人っ子で臆病者の孫はサーカスが怖いから行かないというのです。なだめすかして少し涙ぐむ孫を車に乗せ妻と3人で少しスピードを上げて松山堀の内の特設会場へむかいました。会場近くまでは日曜日のことで比較的スムースに行けたのですが、さすがに日曜日とあって近くのパーキングはどこも満員のようでした。思い切って農協会館前の立体駐車場へ行ったところ幸い駐車でき、会場まで小走りで向かいました。海上20分前なので会場前には長い長い列が出来ていました。偶然にも息子夫婦が息子嫁の知人の子どもを連れて並んでいて、切符を買う間に割り込ませてもらいました。

 一度の公演に千人以上の人が収容出来るそうですが、定員札止めを心配するような目測800番くらいな所にいましたが、妻のチケット購入がギリギリ間に合い運良く末席ながら確保することが出来ました。早朝から少し冷え込んでいたので寒さを心配して出かけましたが中は熱気ムンムンで、汗っかきの孫などは汗が出るほどの陽気です。

 小学生の頃だったでしょうか、御宝町でサーカスがあった折、学校の遠足で始めてサーカスを見ました。あの時の感動は今も忘れられない思い出ですが、今のサーカスは約2時間の間ピエロがつなぎながら間断なくショーが続くのです。空中ブランクあり、マジックショーあり、動物ショーあり、モーターバイクショーありとハラハラドキドキの2時間でした。怖いから行かないとダダをこねた孫も夢中になって、終わる度に拍手をして結構楽しんでいたようです。公演が終わって帰る時「おじいいちゃんまた明日来ようね」と現金なものです。


 場内は演技の都合上撮影が禁止されているため、演技が始まる前にフラッシュをたかずに一枚撮りました。それにしてもサーカスとは高度な技術を持った人たちがいるものだと感心させられます。猛獣といわれる動物を意の向くままに操る人、空中ブランコで華麗な空中ショーを演じる人、奇想天外なマジックをする人など様々なその道に秀でた人たちが短い自分の持ち時間を最大限に生かして聴衆の目を釘付けにするのです。またショーとショーの合間を上手くつなぐピエロの芸も地味だが味があるのです。私たち素人には真似の出来ない世界ですが、2時間の演出はお金を払うだけの価値はあると感心しましたが、何かヒントを拾ったような感じがして、いい一日でした。

  「夢誘う サーカス妙技 手を叩く 孫もつられて 大きな拍手」

  「ライオンが 鞭の一振り ひれ伏して 妻さえままに ならぬというに」

  「少年の 記憶に残る 夢舞台 果たして孫は いかに記憶か」

  「鳴り止まぬ 拍手の影に 苦労あり 陰でうごめく 黒子の力」

  




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shin-1さんの日記

○お寺でシンポジウム

 最近は世の中も変わったもので、人が死なないと縁のなかったお寺でコンサートが開かれたり、昨日のようにまちづくりのシンポジウムが開催されたり、何かとお寺にご縁があるようになってきました。歳をとったからではなくまだまだ若いと思っているのにお寺からお誘いがあるのですから、日々の暮しがそんなに不自由なく過ごせるのは、やはりお寺や住職からご利益を十分いただいているに違いないと思えばもっと喜んで参加すべきだと、私は昨日も喜んで参加しました。お寺さんのある今治市玉川町までは普通海岸周りと山周りの2ルートがあるのですが、昨日は紅葉が見ごろだろうと山周りのルートを選びました。双海~奥道後~水が峠~玉川と曲がりくねった山道を走りましたが、あいにくの雨にもかかわらず紅葉は見事で、季節の変わり目なのか道端に立っている温度計は10度そこそこまで下がっていました。それでも窓越しに見える山の風情は晩秋の山里ならではの落ち着いた佇まいを見せていました。

 昨日のシンポジウムはえひめ地域づくり研究会議発足20周年記念のリレーシンポで、宇和島、新居浜についで第3弾の今治会場なのです。会場となった四国霊場仙遊寺には40人を越える人が集まり「絆」というテーマで様々な切り口から円陣になってエンジントークを試みました。私もえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員をしている関係上開会のあいさつをしましたが、長年地域づくりに携わっていると顔見知りも多く、大西の大河内さんやちろりん農園の西川さん、越智郡島嶼部の井村さんや越智さんなどの人々、それに住職の小山田さんご家族や源流の面々など、名刺も要らない顔見知り組と楽しい近況会話を交わしました。双海町出身で松山市垣生でグループホームを立ち上げて活躍している暁美さんも参加していて顔ぶれはすごく充実していました。

 20年前地域づくりグループ源流の立ち上げのため仙遊寺に来た頃は、私も若かったし住職の小山田さんも若く、お寺もまだ未整備のままでした。その後小山田さんのエネルギッシュな行動はお寺の境内に次々と建物が立ち並び、これがお寺?と見まがう程の近代的な整備がなされました。小山田さんは多分住職ではなく坊主という仮面を被った事業家なのではないでしょうか。そんな彼の生き方は多くの人を引き付け、こうしてシンポジウムも開かれているのです。私の持論である「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」という言葉はまさに彼にもピッタリの言葉なのです。


 合併という時代の流れに翻弄されながらも頑張っている島人たちの参加も見逃せないものでした。

 昨日はうらしい出来事が2つありました。お寺の裏にある2階ホールの窓面に沢山の写真が飾られていました。えひめ地域づくり研究センターの主催する事業に参加した若い2人のメンバーが自分たちの出来ることを始めようと古い今治の写真を集めて写真展を企画したその時の写真なのですが、これが実によく出来ていてみんな食い入るように見つめていました。

 彼らはこれ以上の劣化を防ごうとデジタルでこれらの写真を保存しているようですが、素晴らしい試みだと感心しました。

 また会場には農業後継者として頑張っている若者の発表やミニFMのDJとして頑張る二人の高校生の賛歌や発表もあって、地域づくりの現場に若い人の姿が消えつつある昨今何とも嬉しい集会でした。

 集会が終わって交流会になりましたが、お寺の心のこもった精進料理も中々のもので、住職の奥さんが中心になって賄いをしてくれましたが、全てに満足のいく集会でした。

 私は連日の県外出張のハードスケジュールと明日の予定もあって日帰りとなりましたが、例によってハーモニカのトークショーを少しやって、後ろ髪引かれる思いで仙遊寺をおいとまし、再び暗闇の元来た山道を辿り我が家へ帰りました。

  「精進の 料理美味いと 舌鼓 日ごろご馳走 食ってるからか」

  「住職の 仮面被った 実業家 会うたび次の 夢を語りて」

  「ウーロン茶 乾杯何と 味気ない 昔ビールを たらふく飲んだ」

  「若者に 会って自分の 歳を知る 遠い昔の 夢が懐かし」


 

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shin-1さんの日記

○笑いの裏の深さ・半家地区(20-19)

 人の集まる条件を社会教育流にいうと①楽しみづくり、②しくみづくり、③値打ちづくりだと思うのです。まず何よりも優先されるのは楽しさでしょう。酒が飲めたり馬鹿話に花が咲くような楽しい雰囲気だと行ってみようかという気分になるものです。そのため主催者はレクリェーションなどを交えて集まりやすい雰囲気を作るために努力をします。次はしくみづくりです。役員組織をつくるのもそのためで、役割があるとお義理にせよ人は集まります。ひとり一役を分担させて役割感を持たせれば主役になった気分で頑張れるのです。最後は値打ちづくりです。集会に参加してためになったりそのことが自分の儲けにつながると人はその集会に価値観を見出すのです。

 昨夜の会合はその意味からすると残念ながら三つとも事前の人を集めるアプローチに失敗して殆ど人が集まりませんでした。主催した側はすまなさそうに詫びを入れ集会はほんの小さな車座で行われました。しかし講師の私は、たとえ少人数であっても真面目に来た人が馬鹿を見るようなことだけはしたくないと値打ちづくりに情熱を傾け、多い人数のどの時にも劣らぬ想いで最初から最後まで話をしました。

 あいにくカメラを忘れ、藤倉さんに会場のスナップ写真を頼んでいたのですが、藤倉さんから昨夜のうちにパソコンで送られて来たのでコンパクトな集会の模様を縮小処理してブログに載せることにしました。

 参加した人の数は物足らなくてもいい雰囲気の集会だったことだけは間違いありませんでしたので、集落の名誉のためにも付け加えさせていただきます。

 半家というこの集落の名前を発見したのは20回の西土佐集落巡りが始まったばかりの頃でした。江川崎駅のプラットホームの看板に次の駅は「はげ」と書いているのを見て思わず吹きだしてしまったのです。半家という地名は平家の落人伝説に由来しているそうですが、察するに平家だとよく分るので平の上の一文字を取って下につけ半にしたのではないかと思われるのです。

 集会所に入って掲額をみてこの半家という集落は重みのある集落とお見受けしました。桜島の噴火や宮城県の凶作、戦前戦後の軍国時代のその度に義援金や資金を調達してそれぞれの時代に対応した県知事の感謝状がやたらとあるのです。中には大正時代や昭和19年などと記述したものもあって中々興味をそそりました。これらの古文書は一度調べて記録にでも残すと時代背景やその頃の様子が分り面白いと思いました。

 公民館に掲げられた2枚の写真ももの言わぬ歴史の証人として大切にして欲しいものです。上は沈下橋の代用橋として架かった立派な橋の竣工渡り初めの写真、下の写真は秋祭りでしょうか牛鬼と五鹿が沈下橋を渡るこれまた貴重な写真です。牛鬼や五鹿は宇和島藩、遠くは伊達仙台藩に由来する伝統文化で、土佐でありながら伊予の文化の影響を受けている様子がうかがえます。

 この集会所には田舎の女性が書いたと思われる美人画も掲額されておりましたが、中にはこんな面白い絵と短歌がありました。「女房を尻で見分ける田植えかな」の句です。おみそれしました。私の笑売啖呵などまだ足元にも及ばない秀作です。

 迎えて長くもあったし過ぎて短くもあった20回の西土佐集落巡りの旅も名残惜しいかないよいよ後1回でフィナーレです。思いを込めて13日の最後は締めくくりたいものです。

  「今頃は 尻など見えぬ 田植え機が 田んぼの中を わが者顔で」

  「人の数 気にすることは ありません 来た人どんな 学びをするかだ」

  「お茶沸かし お茶も出したる 行った人 茶番劇だが お茶を濁して」

  「人のため 世のため資金 出す証 無形の教え 今に伝えて」 


 


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shin-1さんの日記

○「若松さんへ」と染め抜かれた暖簾と一枚の絵

 人間牧場の五右衛門風呂が人気です。急峻な地形を最大限に利用して山肌から張り出すように造られた風呂は息子が命名したロケ風呂です。語源はロケーションがいい風呂というのだそうですが、屋根には真竹を張り巡らすなど相当凝った造りになっていて、風呂の北側の板戸を上げると眼下に豊田漁港の眺望が開け何ともいえぬ風情と至福を楽しむことが出来るのです。この風呂の入口にはこれも息子の思いなのでしょうか暖簾がかかるようになっていて、風呂が沸いた日には暖簾を出すようにしています。息子は「ゆ」と書かれた暖簾をどこかで手に入れてきて使っていますが、このほどえひめ地域政策研究センターの主任研究員である井石さんから素敵な暖簾のプレゼントがありました。彼の実家は呉服屋さんだそうですが、贈られた暖簾は京都の染物屋さんに特注して染め上げた本格的なものだけに、立派過ぎてもらっていいのか迷うほどでしたが、先日人間牧場で行われた逆手塾に参加して宿泊したこともある井石さんのご好意なので甘んじて受けることにしましたが、先日息子に見せるとロケ風呂まで染め抜いているのを見て大変喜んでいました。この暖簾に見合ったすす竹を探し早くお披露目をと思うのですが、息子と私の予定が合わずまだ私の書斎に眠ったままなのです。化粧箱に入れられた暖簾の中身はもったいぶるのではありませんがそのうちロケ風呂にかけてお見せします。

 先日逆手塾に神奈川県茅ヶ崎市からやって来た「あべまりあ」さんと知り合った息子は、彼女の本を見て彼女にイラスト画を注文したようです。彼女の漫画チックな絵はデザインといい色使いといいどことなくほのぼのとした雰囲気で、私も好きですがまさか注文するとは思っても見ませんでした。少し値段は高いようですが建築士をしている息子にとっては価値判断も出来るのだろうと、思いきって購入することにしました。勿論注文は息子、金は親父ですから気楽なものです。息子はイラストへの注文としてロケ風呂に入れる人間や動物などを写真で送り打ち合わせをしたようですがこの程出来上がって送られてきました。

 原画は大切に息子が保管していますが、そのカラーコピーを息子が送り届けてくれました。



 あべまりあさんから送られて来た絵に添えて双海の夕日とロケ風呂への思いを文章にしたためていました。絵も素敵ですが文字も素晴らしいものです。いずれ額に入れてロケ風呂に掛けたいと思っています。

 小さな風呂舎はこうして沢山の方々の思いによって更なる進化が遂げられています。早く薪小屋を作らないと端材がちらかって美観を損ねていますので、この冬の作業を楽しみにしています。

  「暖簾染め 化粧ケースで お嫁入り 風呂の入り口 間もなくお披露目」

  「空想の 世界を書いた 絵を見つつ 長閑な風呂の 温もり伝う」

  「温もりの 恋しい季節 風呂沸かす 足湯ひたりて 世間話に」

  「一枚の 絵に物語 見えてくる こんなほのぼの 我が家目指して」

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shin-1さんの日記

○視察者相次ぐ

 遠来の視察者が来るようになって、何だか日本が狭くなったような錯覚を覚えています。昨日は宮城県七ヶ浜町の町議会議員さんの一行6人が双海町の視察に遠路はるばる見えられました。視察者は私の町を目指して来られる人もいますが、殆どの視察者は道後温泉という一級の保養地から1時間圏内にある場所を探しての来訪なので、視察時間も1時間そこそこでお茶を濁し帰って行きます。迎える側の私もそれを承知でそれなりの対応をして帰っていただくのですが、昨日の七里ガ浜の議員さんは少し様子が変わっていました。

 まず来る手段です。双海町は交通が不便なため普通は議員全員でも少数なのに地元のバスを雇って、空席のままゾロゾロやって来ますが、七里ガ浜の議員さんは1時間に1本もないJR予讃線海岸周りに乗ってやって来て同じ交通手段で帰りました。したがってその時間帯を目いっぱい使って視察活動をしたのです。

 次に何故双海町へ来たのかですが、昨年の夏東京有楽町駅近くの東京フォーラムAというコンベンションホールで開かれた、全国監査委員研修会に参加していた七里ガ浜町の監査委員さんが記念講演で私の話を聞き、是が非でも訪ねたいと他の議員に話したことがきっかけで実現したのだそうです。

 また今回の視察研修は正式に伊予市議会への受け入れ依頼があり、少数ながら伊予市の議会事務局長さんが受け入れ対応する格調高いものなのです。普通この場合だと地元の議員さんがあいさつに来られるのですが今回はその様子もなく、肩の凝らない雰囲気でした。しかしさすが公式訪問です。私たちは余程でない限りお茶など出さないのですが、議会はペットボトルに入ったお茶をきちんと出していました。

 問題は視察に対する取り組み姿勢です。普通議員さんの中にはトンチンカンな人もいて、明らかに拒否反応を示す人もいるのですが、七里ガ浜の議員さんは会派を同じくする人たちで終始熱心な研修態度に感服したのです。特に私の話が終わった懇談の時間になると自分の町の問題点を披瀝しながら時間も忘れて話し込んでしまいました。私の町もそうですが人には言えない悩みも沢山あります。ましてや合併によって大に小が呑み込まれたような町では合併の後遺症に悩み、その不平不満たるや相当なものがあるようです。でも七里浜町は合併もせず単独で残っている2万人余りの町だけに単独で残るが故の将来への不安も数多く抱えていました。私は全国を回って感じる合併をしなかった町の現状と今後の在り方を真剣に話してあげました。また私の町がソフトからハードを生み出した成功の裏に隠された失敗談も披瀝しました。議員さんたちは熱心にメモしながら聞き入り、盛んに質問して再びJRに乗り車中の人となって帰って行きました。

 昨日は午前中に宇和島市と合併した津島町の婦人会ご一行40人も視察に来られ、私の話に魅せられて?わが家の私設公民館煙会所や海の資料館海舟館まで見学の足を伸ばしました。この人たちは地元のドライブインで昼食をしたようなのでわが町への視察による波及効果は絶大なものがあったようです。

 私は現在フリーだし、役場から視察の受け入れを頼まれても断る事だって出来るのです。でもかつての部下や同僚だった方々からの依頼や講演で世話になった縁を考えると断ることは出来ません。最近は役所へ言うとやれ公文書だのやれ土日は駄目だのと文句をつけられるので直接申し込んで来る人たちも多く、ましてや最近人気急上昇中の人間牧場とセットでの視察を依頼されることも多く、相変わらず多くの視察が訪れています。迎えと見送りの誠意は自分が視察した時の感動から学んだとおり誠意を持って対応しています。お陰さまで昨日は視察のダブルヘッターでした。

 しかし、先日島根県種公民館が来た時ばかりは失態を演じました。私を目当てに来られ、人間牧場まで視察するプログラムが組まれていたにもかかわらず、打ち合わせミスで私が県外出張でいないという失態でした。文化の日で役場は休みながら役場の武田さんに無理を言って対応してもらい、長男息子に懇願して人間牧序の対応をさせました。武田さんの対応も長男の対応も十分だったようで、息子は五右衛門風呂まで沸かし足湯をサービスする念を入れてくれ、ホッとした一日でした。種公民館への償いはどこかでしなければならないと思っています。

  「俺の町 道後に近い 故あって 視察ゾロゾロ 未だに続く」

  「東京で 私の話 聞いたから 嬉しい訪問 熱込め語る」

  「唐突に 妻の値打ちを 聞く人に 少し自慢の 鼻をさすりて」

  「昼飯や 土産買う人 嬉しいね 視察効果は こんなとこにも」

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shin-1さんの日記

○鳥取県江府町に招かれて

 妻が「最近山陰に行く機会が多くなったね」と言うものですから、「山陰にええ人が出来たんよ」と冗談を飛ばしながら自分の予定表を捲ってみると確かに島根や鳥取へ行く機会がこのところ多くなっているようです。山陰といえば山陽と比較されるように、山陽の明るさに比べ何となく陰の部分が多いような感じがしますが、県民性はいたって素朴で私のような田舎者には何となく波長が合うのも招きの原因かもしれないと納得したりするのです。今回は高速道路米子道のインターチェンジがある江府町からのお誘いがありました。というのも先日伯耆町から講演依頼があった折、会場に江府町の井上企画課長さんや田中幹啓町議会議員さんが見えられ、ぜひわが町へもとのお誘いで実現しました。田中議員さんとは長年の旧知の間柄で手紙や電話でしょっちゅうやり取りをしている間柄であり断る理由もなく引き受けました。

 普通山陰へは特急やぐもに乗り岡山経由で入るのですが、明くる日の予定が入って早立ちだし東城で人に会う約束があるので自家用車で出かけました。午後4時に役場で待ち合わせをするよう約束していたのですが、カーナビゲーションを信じたのですが、役場が意外な場所にあってい陸地が分らず右往左往し結局10分間遅れて役場に到着しました。役場を訪れて驚きました。役場が素敵な木造なのです。今時木造なんて時代遅れのような感じを持つ人もいますが、これぞ一周遅れのトップランナーだと多いに気に入りました。聞くところによると集落の公民館の整備を先にして役場はその後でもいいと前の町長の出した方針に沿ってのことだそうですが、その経緯にも感動しました。だいたい最近の役場庁舎は立派過ぎます。立派な庁舎で立派な行政が行われれば良いのですが、残念かな役場が立派だからといって立派な行政が行われるとは限らないのです。



 役場から見える江府の町も秋色に映えて美しく見えました。

 役場の担当の影山さんと名刺交換もそこそこに彼の運転する公用車に乗り込み大山の山裾を目指して走りました。標高が高くなるにつれて山は紅葉に彩られ、特に秋の夕暮れの陽の光が紅葉を優しく包み込み言葉ではいい表せられないような見事さです。標高の高い峠に出ると大山の山に霧がかかり、裾野には今が見ごろの紅葉が幾重に見幾重にも重なって、感動の余りに言葉も出ませんでした。

 昨日までの連休は好天に恵まれこの辺りは大変な車の渋滞だったとか、その言葉が信じられないようにこの日はすっかり日常を取り戻していました。

 ご覧下さい。この美しい紅葉を・・・・。まるで絵に書いたようですね。私も影山さんにお願いして一枚撮っていただきました。この場所は幾ら温かいといってもこのところの冷え込みでさすがに冷たく、観光客もカメラに収めながらそそくさと山を下りてゆきました。帰り道の両側にはブナ林が広がり、道はまるでブナのトンネルのようでした。夕日の木漏れ日が道を照らしまるでメルヘンの世界にいるようで、思わず車のフロントガラス越に一枚加えました。

 下山して旅館で美味しい夕食をご馳走になりました。議長さんと助役さん、それに田中ぎいんさんの4人で食べたのですが、久しぶりのご馳走で、おこわは特に美味だったため美味しいと本音を言ったところ、帰りにおこわと課長さんが早朝抜いたという奥大山の大根、それに田中議員さんからは世にも珍しい大きな鮎をいただきました。また饅頭も絶品で書き表せないような妻の喜びがその夜の出来事でした。


 会場は多くの人が来ていましたが、町長さんや議員さん、それに役場の職員さんも多く江府町が合併せず単独で生き残りを決めた今後のまちづくりについて話をさせてもらいました。特に印象深かったのは講演が終わって色々な意見が飛び出したことです。合併はややもすると内向きにみんなが手をつないで頑張ろうとする傾向が見られます。勿論それも必要なことですが、鎖国をしてはならないのです。つまり手つなぎの連帯から手放しの連帯を求め、一人一人の町民が自立することを始めなければ町は決してよくなりません。さあ、江府町の挑戦が始まります。

  「単独で 決めたからには 相応の 覚悟必要 町民自立」

  「絵に書いた ような紅葉に 夕日映え こんな世界も あるのか感激」

  「水を売る だったら町民 飲んでみろ 健康いいと 噂広がる」

  「このところ 山陰度々 お邪魔して 人の心に 火付けて帰る」


追伸

 帰り際、中国山地のあちこちできれいなもみじを見ました。先を急ぐので、しかも雨模様の天気だったので目の保養だけで帰りました。その後田中議員さんからの電話によると、大山は雪が降って山頂付近は白い帽子を被ったとか、本格的な冬がそこまで来ています。ご自愛ください。



 道端に停めて写した石霞渓通天橋の紅葉です。 


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shin-1さんの日記

○秋の橋巡りそして講演会・藤の川(20-18)

 11月5日は絶好の秋晴れに恵まれました。野外のイベントを主催する人にとってみれば天気は水ものというけれど、やはり気になるものです。そんあ心配を打ち消すように晴れわたりました。高知県四万十市西土佐玖木という集落にお邪魔するのは今回が3度目です。私の講演や産業課女性職員の熱心な指導もあって講演会をきっかけに集落にある20程の橋を巡るイベントを計画したのは梅雨明けやらぬ7月23日のことでした。小雨にたたられた小さなイベントでしたがそれなりの成功と集落のやる気が醸成されて、今回は秋の紅葉をメインにすえてコンニャク作りや餅つきをメニューに加え、前回と見違えるようなチームワークで取り組みました。

 私もお声がけを受けたので早朝7時過ぎに家を出て3時間足らずの道程を車を走らせ出かけました。途中顔見知りの民宿舟母に立ち寄りお茶をいただきながら立ち話を済ませ会場に着きました。秋の穏やかな日和の中で、既に地元の人たち総出で準備が進められ、公民館前の広場にはテントまで張られる周到さです。受付で知恵さんという一人の女性に出会いました。もう10年前に野塾という若者塾に招かれた時知り合った女性で、その後も音信はあるものの出会っていなかっただけに時の流れの早さに驚きながら懐かしく昔話に話が咲きました。

 イベントはコンニャクづくりからスタートです。顔見知りのおばちゃんのまるでトークショーを聞いているような軽快なお喋りで、用意された蒸したコンニャクイモを細かく切ってお湯を加えながらジューサーにかけ、捏ね上げて灰汁を入れ固まりかけたら手で丸めてお湯の中に入れて再び茹でると出来上がるのです。


 遠くは愛媛県からも参加した15人余りの参加者に加え地元の人も沢山いてそれは賑やかなイベントとなりました。早速出来上がったコンニャクを刺身にしてユズを絞った醤油でいただくのですが、これが美味いのなんのって、幾らでも食が進みのです。コンニャクは余り好きでない私でも人につられて沢山食べました。

 続いて餅つきです。思い石臼を運んできた山口区長さんの指導でこれも賑やかな作業です。つきあがった餅はテーブルの上で中脇係長の軽妙な手さばきであんこが入れられ、つきたて餅をいただきましたが、これも美味しい味でした。それにしても中脇係長の腕捌きには脱帽してしまいました。役場職員である前に農家の嫁であることの証明でしょうか、すっかり見直してしまいました。彼女のような農家や農民の目線で仕事が出来る燻し銀のような職員は日本全国にも少なくなりつつあることを寂しく思います。知識の伝授でなく知恵の伝授をする彼女のような職員はややもすると古いタイプの人間のように思われ、足を引っ張る人が多いのですが、今回はいい職員に巡り会って西土佐参りの甲斐があったと喜んでいます。


 コンニャクづくりと餅つきをしている間に台所では天ぷらや具沢山のちらし寿司が作られ、公民館横の木陰にシートを広げ通食を兼ねた大宴会が開かれました。宴会といっても時節柄アルコールは出ず、山から取ってきたばかりのお茶の葉っぱを火で焙りお茶の葉の代用にする独特のお茶が用意され、それぞれの食べ物の説明を受けながら舌鼓を打ちました。作り方は大さじいっぱいなどのレシピはなく、全て農家のおばちゃんの長年培ってきた腕と舌というアバウト感覚で味付けされているのですが、これが何ともいえない味で、お腹パンパンというくらい食べてしまいました。傍のテントではユズや米、イモ類や餅、ちらし寿司弁当などが田舎言葉で見る見るうちに売れてゆきます。奥の黒尊でイベントをしているらしく頻繁に車が通り、その度にテント目当てに人がやって来るのです。店番を担当した顔なじみのおばちゃんもこの日ばかりは少々派手目のお化粧と赤いエプロンでお客をもてなし対応におおわらわでした。


 さあ食事が終われば橋巡りです。片道2キロのコースは少し暑いぐらいの陽気でしたが、影を歩くと心地よくみんな思い思いの話をしながら歩きました。まるで小学校時代の遠足のようでした。

 山口区長さん宅下の小さな沈下橋です。


 今回の目的の一つであった紅葉は残念ながら気温が下がらなかったためほんのり薄化粧といった感じでしたが、少雨の影響で少ない水量ながら棲んだ水面に映えてとても綺麗でした。


 それにしても四万十川の支流黒尊川は綺麗ですね。最後の清流はどちらが本流か分らないほどです。

 途中赤トンボが沢山留まっているイチョウの木を見つけ写真に収めましたが残念ながら焦点が木に当たって上手く写りませんでした。

 一行はさらに奥へ進み、谷に下りて跳ね橋という木製の橋を見学しました。雨になると流されるこの橋は、前回流されて見れませんでしたが、今回はしっかりとセットされていました。


 参加した親子が橋の上を歩く姿は何ともいえないほほえましいものでした。

 さて秋の橋巡りは沢山のお土産をいただいて、無事終了することが出来ました。願わくば冬雪の頃、あるいは芽吹きの春の頃再び三度訪ねたいと思い、丁寧な見送りを受けて玖木を後にしました。

 夕方の藤の川での集会まで間があるので、四万十川界隈のそこここを散策して回りました。悠久のゆっくりした四万十川の流れを眺めながらのんびり過ごす幸せを感じつつ時は過ぎてゆきました。季節は晩秋に差し掛かりつつあり、道端のウルシやハゼが少し紅葉して風情を醸していました。


 夕方総合支所で市役所職員と合流し藤の川を目指しました。藤の川への道は折りしも15夜の満月の光が煌々と照り、まるで昼のような明るさです。地域の人が丹念に植えたであろう桜の並木もすっかり葉を落とし枯れ木の状態になっていましたが、春の桜の時期は見事だろうなと想像しながら奥まった藤の川集落に到着しました。

 集会所の大きさと新しさに驚き、また集会所正面に掲げられたむらづくり農林水産大臣賞の表彰状にも二度三度驚きながら、沢山の方々が参加して、これまた熱心な講演会となりました。終盤ながら意識の高い集落に行けてすっかり幸せな気分となりました。今から12年前の平成6年に受賞している大臣賞の重みを感じつつ話をしました。


  「橋巡り たった三月の 月日だが 緑が赤黄 変わり一変」

  「跳ね橋に 人の知恵見ゆ 長閑なり 戯れ進む 親子一二歩」

  「大臣の 表彰額が 掲る地区 どこか違うな レベル高そう」

??? 「月明かり 葉落とし桜 道照らす 行けども目指す 集落遠く」

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