shin-1さんの日記

○それは一瞬の出来事でした

 よくウイリーウインキーなどで、「この絵の中に同じ人が何人いるか探して下さい」なんてクイズがあったのを覚えていますが、昨日わが人間牧場で綺麗なキジの姿を発見しました。雌は茶色がかっていましたが、雄はあの綺麗な瑠璃色でそれは見事でした。思わず持っていたデジカメを向けたのですが、シャッターチャンスに恵まれず映っていたのは後姿だけでした。

 さて問題です。「この写真のどこかにキジの後姿が写っています。探してみてください」。正解は3本の杉の木が写っていますが、左から二本目と三本目の杉の根元にキジが写っているのです。「こんな写真では分らん」とお叱りを受けそうなので、次はばっちり至近距離で写したいと思っています。

 「ケン・ケン・ケーン」とキジの鳴き声は独特の鳴き方をしますが、人間牧場につがいのキジが住みついてい水平線の家の周りをうろついているのです。昨日はその姿を身近に見て驚き、感動し、その姿を何としても写真に撮りたいと思ったんですが、残念な事にその雄姿はついにカメラに収めることは出来なかったのです。地元の人の話では、最近この周辺はキジが沢山いて卵を温めているそうです。しかしみかん畑は今草刈の真っ最中で、どの畑でも草刈機のエンジンを響かせて草をなぎ倒して行くため、キジの卵も無残にも壊されてしまうのです。せめて羽化するまででもと思うのは素人の考えで、そんなことしていたら農作業がはかどらないのです。

 でもキジの姿を間近に見て、人間牧場にもこんな自然があるのかと思わず嬉しくなりました。下の杉の木の樹上ではカラスがせっせと子育てをしているし、メジロなんかはもう競演といったところでです。ただしキツツキが水平線の家の外壁をつつくのだけは、幾ら自然が豊かでも止めて欲しいと思っています。被害甚大本当に深刻な食害なのです。

  「キジを見て 思わずカメラを 向けたけど 俊敏欠けて 後のまつり」

  「牧場は 自然が売り物 また一つ 同住の鳥が 見つかりました」

  「ケンケンと 鳴く声悲し 無残にも 卵抱けども 住み家追われて」

  「キジの声 キジ鍋連想 浅はかさ 食欲だけは 人に負けじと」  

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○一丁目の夕日

 最近話題になった映画の題名ではありません。私の自宅は伊予市灘町1丁目にあるのです。したがって私の家から見える夕日は紛れもなく「1丁目の夕日(夕陽)なのです。今日は弁当持参で人間牧場の草刈に出かけましたが、草は殆ど刈り終わっているので、人間牧場第二農園を予定しているこれまた10年余り手を入れていない密林のような畑の開墾に挑みました。標高は約100メートルくらいで港が見えるロケーションもそんなに変わりがありません。ヨモギ、カズラ、カヤ、野いばら、乳モモなど、雑草雑木といわれる殆どが背丈ほどに成長して行く手を阻んでいました。でも草刈機と鎌で少しずつ前へ前へ進んで行きました。昨晩は人間牧場のある地元の人を招いて囲炉裏の火入れを行い、夜遅くまで楽しい交流をしたものですから、作業開始は10時頃となりました。混合油も残り少なくなっていたので3時過ぎには終わる計画でしたが、近所の叔母さんが珍しい私の百章ぶりを見つけては談笑するものですから、ついつい4時ごろまでかかっても畑2枚しか片付きませんでした。

?この畑は通称「駄馬」という地名で、母がみかんの木を植えていましたが、母亡き後はまったく手を入れていませんでした。近所の人が共同で設置したみかんの輸送に使うモノラックも、モノレールだけが草に埋もれていましたが、草刈機のお陰でこんなに立派な畑が出来ようとしています。今年はこの草を2~3回刈って草の力を弱め、果樹を植える計画です。

 夕方家に帰って風呂に入ったところ、風呂の窓から綺麗な夕焼けが見えました。「そうだ今日の夕日を見てみよう」と急遽風呂を上がり、家の裏の高台に登りパンツとシャツという出で立ちで恥ずかし姿ながら、デジカメを向けました。夕日が鉄橋の向こうの海に綺麗に落ちてドラマチックでした。

 そういえば夕日に憧れ、夕日を売り出す努力はしたけれど。、自分で夕日を写真に写すことなど暇もなかったのかすっかり忘れていたと、カメラを夕日に向けながら思いました。

 これが今日の「1丁目の夕日」です。夕日は海抜によって、すなわち見る目の高さによって、また見る場所によって随分違った雰囲気を醸します。

 これは昨日人間牧場から撮影した写真です。たった一日しか、しかも標高が100メートルしか、また場所も約10キロしか違わないのに、こんなにも違うのです。どちらがいいかは見る人の想いでしょうが、デジカメを使い、ブログに取り込めるようになって、カメラが俄然面白くなり、いつも持参するようになりました。そのうちいいシャッターチャンスをものにしたいものです。

  「そういえば 夕日に狂いは したけれど カメラで写真 撮るの忘れて」

  「夕日見る 暇が出来たか 俺にでも 写真写せる どんなもんだい」

  「さあ次は 第二農園 耕して 桃栗梅など 早くも夢が」

  「草刈機 ブンブン音を 出しながら 俺の手となり 手仕事進む」 

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○ガードレール一新

 伊予市に合併しても双海町という地名は存在し、双海町の海岸線の総延長は16キロありますが、その海岸線に沿って走る国道378号は全て海に面しており、海を埋め立てて造ったためテトラポットと白いガードレールが無味乾燥的に設置されていました。海が国道の直ぐ下という特長を生かすためには何としてもガードレールをパイプ式にしたいと、各方面に働きかけましたが、お金が要る、安全が保てないなどの理由でその後は無しのつぶてでした。ところが何年か前にパイプ式のガードレール、しかも海の色と違和感のないブルーのパイプ式ガードレール設置工事が次第に進んで、今ではその殆どが一新されました。これはまさに原風景にマッチした快挙で関係者の努力に敬意を表したいと思います。

 まちづくりは経済的な活力と、快適で潤いのある暮らしが求められますが、これまでのまちづくりはややもすると経済が優先されてきました。しかし物が豊になった今は、心の豊かさが求められるようになってきました。看板や色調の統一、電線の地中化などによる心の充足は人間が人間として生きてゆくためには大切なものなのです。

 ガードレールを変えたからといって、別に地域が活性化するわけではありませんが、訪ねてきた人や住んでる人が、「この町ではこんな事に気配りしているのか」とまちのデザインを感じれれば、住む人にとっても嬉しいことだし、住み心地もいいはずです。

 ガードレールを取り替える工事中は片側通行になるため、不便を感じたり不満を言う人もいました。「忙しいのに何で通行止めまでして」とか、「県や国は二言目には金がないと言うが、こんな工事をする金があるのなら税金を負けてくれ」「ガードレールはまだ使えるのに勿体無い」「ガードレールを変えたぐらいで地域は活性化するものか」などなどでしたが、私はこのガードレールを相当気に入ってみんなに自慢しているのです。

 山口県へ行きましたが、山口県下のガードレールは全てオレンジ色でしたし、わが愛媛県では白いガードレールが圧倒的に多いようですが、これだけ長い距離のガードレールを統一している所は余り見たことがありません。これもやはりまちづくりの成果だと思うのです。

  「海岸の 国道横を 見てご覧 ガードレールが とても綺麗に」

  「人知れず 努力した人 いればこそ 町の美観が こうして格上げ」

  「あの人は あいも変わらず 海へポイ ゴミ捨て習慣 わがさえ良ければ」

  「変なもの 変と思える 変な人 変ではなくて それが正しい」

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○芋つる植え体験活動

 「雨こそ最大の感動商法」だと無人島キャンプで実証済みの「芋つる植え体験活動」がいよいよ始まりました。外は小雨ながら夜来の雨でぬかるんでいますが、カッパに軍手という出で立ちで子どもは元気いっぱい戸外へ出ました。でもこんな天気なのに現代っ子と現代っ子のお母さんは何故か長靴を用意せず、殆どの子どもが運動靴なのです。多分赤土でドロドロになるだろうと思っていましたが案の定です。

 教育委員会の職員さんが苗屋さん直伝の芋の植え方を講習し、早速畑に入りました。

 昨日私たちであらかじめ作っていた畝にマルチを掛け、マルチが飛ばないように土を被せてゆくのですが、小さな手スコップで土をいじるのですから中々の悪戦苦闘でした。芋つるは人数が増えたため急遽250本に増やしたそうで、それを半分に切って植えるのでかなりの量ですが、それでも子どもとスタッフを合わせるとたった一度で50本が植わる計算になるのですが、中には足を取られて尻餅やスッテンコロリン組もいて順調には進みませんでした。

 これが一番上の畑です。

 これが真ん中の細長い畑です。

 これが一番下の畑です。

 それでも子どもたちは一生懸命農作業らしい作業を行って芋つるを植えました。子どもの中には親父ギャグが得意と自慢する子どもが二人いて「芋つるをつるつる滑って植えました」「校長先生が見に来たので絶好調」などと私のお株を奪うような張り切りぶりです。

 やがて一通りの芋つる植え作業が終わったのは有線放送でお昼を告げるチャイムが鳴った後の20分、大幅な時間遅れです。さあそれからが大変です。あの土の付いた足やズボンで水平線の家へ一気に駆け上がって来ました。昨日子どもたちが来るからと2時間もかけてワックスを塗りこんだ土間はあっという間に土汚れです。家主の気持ちなんか論外なのです。さらにはお天気が回復したのでウッドデッキで昼食をとるため外と中の区別もなく走り回るのです。目を覆うような光景でした。でも人間牧場はこんなものだと思いつつ、子どもたちが歩いて下山した後、長男と私が雑巾でしっかり一時間もかかって掃除をしました。先日台風1号が発生し昨日の雨もその台風の洗礼でした。今日の子どもたちには「豆台風1号」と名前をつけましょう。みんなで植えた芋つるが育ち、秋の実りを迎えることを祈っています。

  「芋つるを ぬかるむ土に 差し込んで 子どもの願い でっかい芋を」

  「ツルリンと つる持ちすべる こどもたち 何故か楽しく わざとつるりん」

  「おい子ども 掃除するのは 俺なんだ ぐっと堪えて 土足嘆く」

  「一列に 並んで下山の 子どもたち 歓声こだまし 手を振り帰る」

  


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shin-1さんの日記

○足の踏み場もない程に

 昨日は人間牧場始まって以来の大人数が押し寄せて来て、ご覧の通り狭い玄関口ではありますが足の踏み場もない程の混雑ぶりでした。それでも子どもたちは最初に玄関に入った子が靴を並べると、「右へなれ」でこうしてきちんと靴を並べてくれました。子どもは「おもしろ教室」に参加した38人(申し込みは42人ありましたが若干5名は欠席でした)で、スタッフを合わせると50人近い大人数なのです。大体この水平線の家にどの程度の人数が入るのかも分らぬまま集めたものですから、もうそれは大変でした。

 長期予報が外れて外は昨夜来の雨で濡れてはいるものの、今日の「おもしろ教室」は強行しました。子どもたちは親や周りの心配を他所にみんな元気いっぱいで、まるで蜂の巣を突付いたような雰囲気でした。

  

 開講式ではいつの間にか4年連続で実行委員長に祀り上げられた私が開講の挨拶をしてオリエンテーションをしました。その後は約30分子どもたちに「人間牧場構想」についてショート卓話をしました。人間牧場のいきさつや少年の頃の思い出を楽しく語ってやりました。中には小学校1年生もいて少々難しかったかも知れませんがみんな熱心にメモを取っていました。

 「おもしろ教室」に連続で参加している見慣れた顔も沢山いて私のことを「進ちゃん」などと呼んでくれる嬉しい子どももいたりして、すっかりお友だちになりました。子どもたちは部屋の中から飛び出そうと何度も外のウッドデッキを気にしていましたが、あえて窓越しに見える水平線や島々の様子を説明してやりました。多分家庭でも学校でも毎日見える瀬戸内海の遠望の様子など教えてないのでしょう、盛んに私に「あの島は何ていう島なの」と聞いてくれます。「あの島の向こうに何があるのか」、この気持ちを持ってくれただけでも人間牧場の意味はありました。

 驚いたことに子どもたちの中には水平線の家の壁に並べている沢山の本に目をやり、本を手にとって読んでいるのです。子どもたちには少々難しい本ですが、そのうち子供用図書も並べなければならないと思いました。「人間牧場に来てまで読書は」と想う人もいるかも知れませんが、本はあらゆる機会に読んで欲しいと思っています。

 魚梁瀬杉のテーブルの年輪を数えたり、水タンクの音に耳を傾けたり、ロフトに興味を示したり、子どもたちは人間牧場の全てに予想以上の興味を示してくれました。

  「あれは何 うるさいほどに 聞き返す 子どもはそれで 育つのですから」

  「年輪を 数え驚く 子どもたち 時の流れの 尺度知らずに」

  「蜂の巣を つつかんばかりの お客様 今日から友だち 進ちゃんと呼ぶ」

  「糞小便 だけしか置かぬ この子らに 知恵を授ける 牧舎の一日」


 

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shin-1さんの日記

○芋植え準備

 町内小学生を対象に募集したところ、40人を越える応募があった「おもしろ教室」が今日スタートします。様々なプログラムが用意されていますが、今日は開講式と第一回目の学習会が人間牧場で開かれるのです。スタッフを入れると50人もの人数になるそうですが、これまでこれ程の多人数を受け入れたことがないのでどうなることかワクワクしています。

 数日前からこの時期には珍しい台風1号の洗礼を受けてかなり荒れ模様の天気が続き、昨日は南西の突風が吹き荒れました。学校や公民館は安全第一を考え、普通だと延期にするところですが、私たちはこれまでの無人島キャンプでも「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と、感動商法を試みてきましたが、勿論安全には注意を払いながら今日もあいにく雨ですが決行する予定です。

 そのため、4~5日前から準備を進めてきました。今回は人間牧場の話と芋植えをセットにしたプログラムを用意しました。普通芋植えプログラムは平地を使いますが、人間牧場では狭い急峻な段々畑を使います。多分子どもはこの雨のぬかるみに足をとられて転んだりするかも知れませんが、これも大切な学習なのです。

 昨日は教育委員会の職員3人がやって来て、芋を植える畝を作りました。時折降る激しい雨を避けて雨宿りしながらの作業です。しかしどういう訳かその内雨が止んで初夏の日差しが見え隠れして、作業は順調に進みました。木曽さんと栗岡さんは農家の出身なので鍬や土いじりは馴れたもの、しかし町場出身の日山さんは額に汗して悪戦苦闘していました。指導者のこうした下準備作業も大切な指導力ですからみんな一生懸命です。予想より人数が増えたので芋つるは200本を250本に増やしたとのことなので、狭い畑ながら3枚用意をしました。赤土畑、黒土畑、中間畑と土壌や日照条件がそれぞれ違いますが、どんな芋が出来るか楽しみです。

 子どもたちの目の輝きを想像して鍬を振るう、沖合いに浮かぶ無人島をフィールドにして無人島キャンプを4年前に終えてから、久々の子どもたちとの出会いを頭にイメージしながらの作業はワクワクの心境でした。ふと目をやると雨上がりの周りの山々はまるで輝いているように見えました。

 どうです。この写真。3人とも様になっていますでしょうが。一番手前が栗岡さん、真ん中が木曽さん、一番向こうが日山さん、どう見ても日山さんの腹の出具合が気にかかります。今年の「おもしろ教室」の目標は旧伊予市出身で最近異動してきた日山さんの心に双海の生涯学習魂という芋を植え付けることです。日山さんは社会教育の経験も長く心の温かい人です。みんなで盛り立てて行きたいものです。

 さあ出発です。

  「芋植える 準備急がし お天とうも われに見方か 雨をあがらせ」

  「さすがだね 農家の出身 鍬使い あっという間に 畝が仕上がる」

  「山は初夏 緑滴る視界にて 気持ちよさそに 深呼吸する」

  「へっぴりの 若干ひとり 鍬ふるう 写真は正直 ちゃんと写って」


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shin-1さんの日記

○まるでがん細胞のようだ

 職場にいた頃は仕事柄のメール利用が多かったので、仕事の忙しさにかまけてメールは何処となく煩わしささえ感じておりました。したがってこんな煩わしいものを家の中まで持ち込むまいと、かたくなに家ではメールを拒み続けていました。しかし自由人になったのを機にというよりは、情報伝達手段の一つとして必要に迫られメールを開始したのです。

 ところが私の元へは知人友人から沢山のメールが届くようになって、私もそれに応える形で送っているとまあ凄い、昨日まで東京へ講演に行っていましたので、帰ってメールを開けてびっくりしました。僅か一日だけ家を空けていただけなのに、何と50通もメールか着ているのです。驚きと言うよりはさすがに落胆で、この処理に昨日は半日かかってしまいました。これはもう尋常ではありません。そうかといって対応しなければどんどん増えてまるでがん細胞のように、私のリンパ腺まで越えそうな雰囲気なのです。ひょっとしたら私のパソコンはメール型がん細胞に犯され始めているのではないかと思うほどになっています。

 私のパソコン技術では残念ながらその整理方法がまだ確立されておらず、古くなったり要らなくなったりしたものはゴミ箱へ処分する程度しか出来ないのです。でも古くても取っておきたいメールも沢山あって次第にその量も増えています。プリントアウトしたり別の項目を作って処理しているのですがこれも中々です。

 私のメールには、沢山の不特定多数の人からのが多いのです。例えば「あなたの講演を聞きました。感想は、本の注文は、そちらへ夕日を見に行きたい」などと心温まるものが多く、嬉しいのですが残念ながらメールと顔が一致しないのです。時にはメールの文面からするとてっきり男性かな?と思って送ると女性だったりもします。また長くメールのやり取りをしてすっかりメル友になっているのに未だ顔さえ知らない人もいるのです。

 私のようにブログに醜い顔写真を載せるとかえってイメージを損ねることがあるかも知れませんが、せめて顔ぐらいは思い出しながらメールのやり取りをしたいものです。今朝も男性と女性と間違えてイメージしてメールを送っていた事に気付いて、バーチャルの世界の難しさを改めて思い知らされました。

 最近メールで講演依頼というのも増えてきました。私が留守をすることが多いため、電話してもつながらないし、家族に携帯を聞いて電話してもあいにく講演中だったりで出れなく、掛けた電話が市役所の代表だったりすると「そちらから電話のメッセージが入っておりますが、そちらはどちら様でしょうか」などとトンチンカンな質問をせざるを得ないのです。でもメールだと用件が的確に伝わり大変助かります。昨日も2件メールで講演の依頼がありましたが事なきを得ました。

 まあメール時代を楽しく生きるためには、がん細胞のような重荷にメールを感じないことでしょう。

  「何時の間に 俺のパソコン がん細胞 侵されるよな 錯覚覚え」

  「顔知らず メール届いて 想像す みんな美人で いい顔してる」

  「講演を 聞いたとメール 届く朝 嬉し手応え 直ぐに返信」

  「メール処理 五十も来ると 半日も パソコン相手で 肩がコリコリ」

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shin-1さんの日記

○人間牧場から始めて撮影した夕日

 双海町の夕日は夕日のメッカシーサイドふたみを基点にすると、夏至の日に最も来たよりのコースを通り」山口県周防大島旧東和町辺りに沈みます。また冬至の日には最も西よりのコースを通って大分県大分市辺りに沈むのです。したがって人間牧場からは自慢の夕日が残念ながら冬場は山の端を通るため見えないのです。でも昨年一年を通じて観察してみると何度か綺麗な夕日が見えました。しかしその時に限ってカメラを持っていなかったり、見とれて写真に撮るのを忘れていたりと、散々でしたが、先日のツリーハウスの棟上の日、万全とは行かないまでも夕日を見ることが出来たので思わずシャッターを押してしまいました。この写真が人間牧場で始めて撮影された夕日なのです。

 今年は例年になく黄砂がひどく、沖合いに浮かぶ島々も黄砂で煙って見えない日が何日も続きましたが、それでも黄砂が降るとまるでファインダーをかけたような優しい色に見えるのです。この日は夕日が作る金の道が海の上を夕日まで綺麗に続きました。私は水平線の家付近から撮影しましたが、手伝いに来ていた仲間はもっと海に突き出た五右衛門風呂のデッキから見ていましたので、「今日の夕日は綺麗で感動しました」と言っていました。

 今年はつい最近になって雨の日が多く、自慢の夕日も中々拝めませんが、それでもやはり海に沈む夕日は美しく、何時までも見続けたいような雰囲気でした。夕日を見て感動する子どもが少なくなったと、作家の早坂暁さんはテレビの出演をご一緒したときしみじみと言っておられました。私もそう思います。今の子どもは夕日が沈む頃、頭に「必勝」などと書かれた鉢巻を締めて塾で勉強しているのですから、見ようと思っても見れないのです。親も夕日の美しさで感動しても飯が食えないと、点数を気にするこの頃の風潮なのです。でも「赤トンボ」に歌われた野口雨情の詩ように、感動する心は何時までも忘れることのできない心の宝物だと思うのです。私はその感動する心そのままに、これからも人間牧場から見える様々な原風景をカメラに収めたいと思っています。

 人間牧場の入り口の筍がもう背丈ほどに伸びていました。雨後の筍とはよく言ったものです。しもうた。あの筍も被写体としては面白いと今になって悔やんでおります。まあなにはともあれ、忙しさの余り周りが見えなかった私ですが、人間牧場から夕日が見えることを写真で実証できただけでも良しとしましょう。

  「牧場の 向こうに広がる 海の上 夕日が尾を引き ゆっくり沈む」

  「今までは 夕日すら見る 暇もなし 自慢がもう一つ 嬉しくなって」

  「この夕日 俺の宝と いいたいが 一人じゃとても 味わいきれぬ」

  「海夕日 見える場所に セカンドを みんな夢見る 金が出来たら」

 

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shin-1さんの日記

○曲がったキュウリと虫食いのキャベツ

 今日は東京から帰ったので少しゆっくりしようと思っていたら、妻がお昼に仕事先から帰ってきて嬉しそうに「今日は昼から休み」というのです。妻にしてみれば毎週日曜日しか休みがないので余程臨時休業は嬉しかったのでしょう。「じゃあ今日は昼飯でも食ったら温泉でも行くか」と誘ったところ話がまとまり、大洲の温泉に行く事になりました。車で40分くらいな所にあるのですが、ゆっくり清潔が売りだけあって久しぶりにサウナや暖かい温泉でのんびりしました。

 帰る時隣のスーパーに立ち寄って買い物をしました。農協系が経営しているらしく野菜が豊富で妻は持ちきれない程買いましたが、一番の買い物は曲がったキュウリと箱入りイチゴです。キュウリは曲がっているだけではね物とされ商品価値がないようで、どっさり入れて何と300円です。キュウリは曲がっていても真っ直ぐでも味は一緒だし、スライスしてしまえばこれまた同じなのに何故曲がったキュウリはこんなに安いのか不思議で仕方がありません。一方今日はイチゴが特売で普通4パック入れるダンボールの外枠箱にどっさり入って9百円でした。4パックに分けると1パックが225円につきます。パックに並べる手間を省いていたり粒が揃っていませんが、それでも食べるのには何ら支障のないことなのです。

 野菜売り場には綺麗な野菜が沢山並べられていましたが、妻が「お父さん、何で売っているキャベツはこんなに綺麗なのじゃろう。うちの春キャベツは青虫がいっぱい食べて穴だらけというのに」と唐突に聞くのです。「それは消毒して虫が食わんようにしているからで、うちのキャベツは美味いから虫も好んで食いよる」と話してやりました。妻は納得した様子で、握っていたキャベツを元の場所へ戻し買うのを止めました。

 わが家の菜園には今年もキャベツが沢山出来ました。お陰さまでリンキャベ(リンゴとキャベツを朝食の常食にしている私の造った造語です)毎日新鮮な柔らかい春キャベツを沢山食べています。大きなキャベツなので毎日ほおっておいたら青虫がどんどん食べて穴だらけにします。親父はそれを見かねて青虫を手でとっありするのですが追いつかなくて、このキャベツにナイロンの袋を防止のように被せる戦術をしました。今夕妻がキャベツを畑から取ってきて欲しいと頼むものですから、畑へ取りに行って驚きました。キャベツが白い帽子を被っているのです。

 私たち消費者はいつの間にか見た目に綺麗な商品を欲しがるようになりました。それが少々高くても、穴の開いた虫食いのキャベツなどは見向きもしません。それでいて自然がいいとか安全はなどと御託を並べるのです。最近まで、いや今もかも知れませんが、野菜作りを指導する農協までもが見た目重視の指導をしているのです。安全や地産池消、食育などの言葉も言葉遊びの感じがしてなりません。

 虫が食べて安全なキャベツは人間にとっても安全なことを、もっと心に言い聞かせたいものです。

  「虫食いの キャベツ食べてる わが家では 多分数日 命永らえ」

  「一袋 三百円の このキュウリ 料理次第で 何ら変わらず」

  「キャベツから 虫が出たと 文句言う 若いママさん あんたおかしい」

  「わが親父 キャベツに帽子 被せてる 凄いアイディア 特許にしようか」



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shin-1さんの日記

○東京もたまにはいいね

 昨日は東京都町村議会議員の研修会に招かれて上京しました。今回は一ヶ月ぶりの上京とあって何かウキウキして出かけました。久しぶりの東京は新緑の季節ということもあって、目にも鮮やかな緑があちらこちらに見受けられました。特に今回の研修会のあった青山表参道のケヤキ並木や明治神宮の森は「緑したたる」という表現がピッタリの雰囲気でした。時間的に余裕があったので表参道から原宿駅を経て明治神宮に参詣しました。雑木の下ではおじさんが長い竹箒で落ち葉をかき集めていました。この季節雑木は古葉に変わって新芽が伸びるので、落葉は秋の頃より多いのだとか説明をしてくれました。うっそうと茂った木立は外の喧騒をもかき消して、「これが東京のど真ん中?」なんて感じるほど静かな佇まいを見せていました。時折鳴くカラスの声さえも長閑さを一層引き立たせていました。

 折り返しは原宿竹下通りを通ってみました。どこも修学旅行の高校生がいっぱいで、田舎者のお上りさんって感じで右往左往していました。この高校生たちの中にはやがてきらびやかなこんな東京の一面に憧れて上ってくるのでしょうが、江戸の時代から田舎と都会の構図は少しも変わってはいないようです。再び青山のケヤキ並木に出ると小学生がたくさん絵を書いていました、。側で見てみぬふりをして覗いてみると、驚いたことに殆どの小学生がはデジカメで撮った写真をプリントした原寸大の写真を見ながら絵を書いているのです。これだと構図のとり方など苦労をしなくてもそれなりの絵が書けるはずです。先日わが町で港の風景を書いていた小学生の姿とは大違いで、一瞬考えさせられました。確かにデジカメの写真を見ると絵は綺麗に書けますが、果たして囲うとする物からどういった感情が伝わるのでしょうか。

 「日本中で一番南の都道府県は?」と尋ねられたらあなたはどう答えるでしょう。殆どの人が沖縄県と答えるでしょうが。何と東京都は小笠原諸島を抱えているので日本で一番南だそうです。東京都の町村は合併によって山梨県境辺りの山村と太平洋に浮かぶ離島だけの11町村と伺いましたが、随分寂しい数になったようです。でも集まった議員さんは、どこの市会議員さんにも負けない熱気溢れる方たちばかりで、私の話にも3時半からの講演にもかかわらず誰一人として居眠りする人はいませんでした。

 しかし世の中は不思議なもので、昨年と東京フォーラムで開かれた監査委員研修会や大島町の高橋議員さんの推薦もあって今回のお招きとなりました。全国町村議長会政務部事務局の渡辺さんや大島町の高橋議員さんに縁の深さを感謝します。

 その渡辺さんにはあいにくお会いできませんでしたが受付まで来られた由、また高橋議員さんには会場でお会いすることが出来ました。嬉しかったです。

  「東京の 新宿あたりを 歩いてた いきなり名前 こんな所で」

  「町村の 数が次第に 減っている 合併しない できない辛さ」

  「始まりは 小さなきっかけ 太くなり 今では全国 又にかけつつ」

  「この子らの 中にはいつか 東京で 一旗揚げる 人がいるかも」

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