shin-1さんの日記

○孫の遠足と孫の誕生

 娘の第2子お産が近づき、昨日が予定日でした。県立中央病院で助産師を勤める娘ですから、お産など朝飯前かと思いきや、何と何と大騒動で、流産の兆候があるとかで新年早々2ヶ月間も入院し、そのため孫のお守りをしなければならずわが家が大騒動でした。もうそろそろ生まれるかも知れないと大事を取って昨日予定されている孫の遠足はおじいちゃん対応となってしまいました。親馬鹿ならぬおじいちゃん馬鹿になって昨日は妻の作った弁当を2人分リュックに入れ目的地である砥部動物園の玄関集合ということで9時過ぎに出かけました。空はどんより曇り、今にも降り出しそうな雲行きの中をカッパと傘持参で遠足です。

 孫にとってはおじいちゃんと遠足に行くなんてことはないために、昨晩寝るまではかなりご機嫌で、おやつのお菓子をリュックに出したり入れたりしていましたが、寝るころになってホームシックなのでしょうか、「お父さんと遠足に行きたい」とダダをこね始めました。結局は大学に勤めるお父さんに都合をつけてもらい、仰々しくも3人での遠足となりました。電話で連絡したとおりおとうさんが10時過ぎに動物園入口までやって来たのを見てそれは嬉しそうで、思わず私の存在などどうでもよく、さっさとお父さんにくっついて離れませんでした。

(さあやるぞ。気持ちは一人前、行動はノロノロ半人前)

(先生の注意事項に熱心に耳を傾けていました)
(お父さんが一番、おじいちゃんは忘れ去られた人でした)

 やがて幼稚園のノロノロ歩きの長い集団が動物園の中を歩き始めました。お目当ての動物の前で大きく声を上げたりポーズをとるなど様々な表情を見せて、動物園の折の中にいる動物よりも子どもの表情の方が何ぼか面白いと思いました。この日は私たちの幼稚園のほかにも幾つかの子ども集団や若者集団が遠足らしく、行く先々で見慣れた顔に出会いました。

 今の子どもは歩くのが苦手なのか体力がないのか、最初は元気だったのに1時間半も経った昼ごろにはまるでヘトヘト、昼食を食べる予定のモンキー広場ではお遊戯などそっちのけでベンチに腰掛け、背中のリュックサックに入った弁当やお菓子を盛んに気にしていました。さあお楽しみの昼食です。思い思いの場所に陣取って食べ始めました。鼻をつまむような動物園特有の臭い臭いも慣れてくると何てことはなく、心地よい風と受け止めて舌鼓を打ちました。

 娘婿は携帯電話で娘とお産の事について盛んに連絡を取り合っていましたが、どうやら雲行きが怪しくなったとのことで、象に持って来た果物を親子で食べさせ、早速私と孫を残して病院へ直行する事になりました。昼食後解散なので孫のリクエストに答えてトラやカバ、動物資料室、スネークセンターなど、何度も来たことのある動物園をわが者顔で私を連れまわすのです。今度は孫より私がかなり疲れ、2時に先生たちに別れを告げて動物園を後にしました。孫もさすがに疲れたのか帰りの車のチャイルドシートでは動物園を出ると直ぐにお昼寝タイムとなり、わが家に着いてからも一向に起きようとせず4時まで眠りました。

 間もなく娘婿から電話があって娘が無事男児を出産したとの知らせです。予定日きっかりに産まれるなんてやはり助産師らしいとその確かな出産に驚きもしました。仕事から帰って来た妻と孫と3人で早速病院へ駆けつけました。周産期センターではまだ分娩後の処置をしていて、7時まで面会することが出来ず、新生児も呼吸の大事をとって保育器に入ったとかで、結局顔を見ることもできず、孫も妻も少々ガッカリしました。娘婿が白い病院着を着て新生児室へ娘とともに入りカメラに収めたのを見せてもらいましたが、心配することもなく元気な赤ちゃんのようです、とにかく母子ともに健康で安心しました。

 これで孫が2人目になりました。今年の夏には長男夫婦に子ども誕生の予定で一気に3倍になり、若松家の外孫とはいいなから若松家にとってもいよいよ賑やかな家族の誕生です。妻の気苦労はもう少し続くようです。

  「さすがだね 助産師だけの ことはある 予定日どおり 子供生まれる」

  「動物園 オリの中より オリの外 気にする遠足 孫の行方を」

  「鼻つまむ 臭い臭いの その中で 弁当広げて 何ともなしに」

  「お兄ちゃん なったと俄然 胸を張り 自覚できたか 口で強がり」

 


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shin-1さんの日記

○子どもを守り育てる

 「私たちの子どもの頃は・・・・・・」とついつい口に出る話は、平成の時代が19年間も続くともう昭和の話しなど昔話になってしまいました。ましてや戦後の緩やかな時の流れとは比べものにならないほどのスピードで世の中が変化し、時折ついて行けないような気持ちにもなることがあります。私たちが子どもの頃は田舎にも人が溢れ、子どもの数も相当いて学校は田舎ながら必ず学年2クラスもありました。小さな校区なのに分校が2つもあって4年生になると閏住分校から、中学校になると富木分校からそれぞれ同級生が編入され、それは賑やかでした。いつの頃かその分校も統合によって火が消えて本校といわれた小中学校さえ児童生徒の激減で複式や統合がささやかれているのです。

 そんな子どもを巡る教育事情は地域にも暗い影を落とし、学校の統合は地域が消えるととばかりに地域の猛反対にあって中々統廃合が出来ない状態が続いているようです。小さいながら教育長として教育行政を預かった経験からいうと、いじめや教育基本法もさることなながら、田舎の児童生徒の減少こそ「教育の危機」だと思っています。私の学校教育に対する基本的な考え方は、「小学校は児童が歩いて行ける距離に設置、中学校は学力重視、活動重視で統合」でしたから、当面わが町に2つある中学校は統合を急がねばなりません。部活もままならないようでは子どもたちの将来に禍根を残すと、2年間の教育長時代に統合の道筋を(地域と行政の合意)つけたつもりでしたが、未だにその方針が実行されないのは怠慢では済まされない大きな問題だと思っています。波風や反対を恐れては何も出来ないと思いつつ、一線を去って影響力のないわが身のジレンマを寂しく感じてい増す。

 私たちの子どもの頃には何処にでもあった子ども会がなくなりました。私たちにとって子ども会は楽しくも思いで多い子どもによる子どものための活動でした。季節ごとの催しがあり、補修的な勉強も子ども会でやったものです。また公民館の掃除や村祭りの参加など子どもの社会活動も活発で、生き生きと輝いていたように想うのです。

 一昨日園芸組合の総会に招かれ会場となった下灘コミュニティセンターに行きました。センターの二階には児童館のような部屋が2つあり、地元の子どもが熱心に勉強したり楽しそうに遊んでいるのです。これは児童数の減少に対応して放課後の安全と有効活用を考えて設置しているものです。予め登録された児童たちは学校が終わるとこの部屋に直行して、指導員の女性2人の指導の元宿題や読書をして過ごすのです。児童たちの家庭は農業や漁業なので帰ってもかぎっ子なので、勉強が終われば夕方まで児童館やその周辺の遊び場で過ごし、夕方になると迎えの車でそれぞれの家へ帰って行くのです。この方法は行政も学校も地域も家庭も、子どもまでも全幅の信頼を得て運営されていますので、俗に下灘方式としてすっかり定着しています。むしろ子どもが少ないことが生んだ知恵として高い評価を受けているのです。

 中に入って子どもたちに話しかけても実に子どもらしい反応が返ってきます。青少年おもしろ教室の代表をしていることもあって顔見知りの子どもも多く、私の事を「進ちゃん」などと愛称で気軽にすり寄ってくる子どもたちと1時間余り会話をしましたが、実に素直な子どもたちです。嬉しいのはインストラクターやアドバイザー、サポーターのような役割を一手に引き受けている2人の女性の存在です。子どもは放っておいたら無秩序になりますが、教育一つで整理整頓や相手を思いやる気持ちがどんどん育つのです。見るからにいい運営が出来ているなと思いました。

 子育ては自分の家庭だけでは絶対出来ません。子どもにとって子ども社会や遊びでの学びが重要な意味を持っています。この児童館には子ども社会と遊び、学び、躾、秩序があるように感じました。子どもを守り育てることの難しい現代の知恵袋なのかもしれないとほのぼのとした気持ちで部屋を出ました。子どもたちが「また来てね」と笑顔で手を振り見送ってくれました。

  「本を読む、宿題もする 子どもたち 学びの多さに 思わず拍手」

  「田舎ゆえ 出来る知恵あり 児童館 まるで蜂の巣 子ども歓声」

  「伝記読む 子どもに自分 ダブらせて 夢を描いた 懐かし日々を」

  「パソコンの ゲームオープン これがいい 巣篭もりしない 友とワイワイ」

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shin-1さんの日記

○地元での講演

地元には商工会、農協、漁協、森林組合などの産業団体がありますが、農協の合併を皮切りに様々な団体が統廃合を行って、随分様変わりをしています。双海町には農協系として農協と果樹園芸組合が二つずつありましたが、それが全てJA中央えひめという巨大な組織に統合され支所が2つになりました。本部から見れば5500人程度の取るに足らない町に2つも支所を置くことは合併のメリットがないといわんばかりに合併の条件にしていた諸施設の整備を渋っていて、地元の農民からはいつも「約束が違う」というブーイングが聞こえてくるのです。幸い2支所には金融部門があって統廃合が出来ないことが幸いして今のところ2店舗を堅持しています。わが町はみかんを中心にした果樹農家が多く農協と園協という団体がまるで犬猿の仲のようにしのぎを削って活動してきました。全農系と日園連系という系統の違いから組織も運営方法もまったく違ったものだったのですが、いつの間にか統合し現在の全農系になっていました。でも末端では未だに従来組織の未練が尾を引き混乱しているし割り切れない気持ちがあるようです。

 一昨日園芸組合系総会の記念講演を頼まれ出かけました。ブログにも書いたように繰り上げの勘違いと間違いで2日も前に出かけたいわくのある集会です。総会行事は午後3時から午後4時までで、午後4時から記念講演という事になっていたため午後3時過ぎに会場入りしそこら辺で時間を気にしながら過ごしましたが、総会が長引き何と記念講演が始まったのは16時40分からでした。私はこの日愛媛大学の講義日で午後4時から始めても午後5時には終わるだろう、そうすれば高速道路を使えば何とか講義時間に間に合うだろうと逆算して講演を引き受けたものですが、間違いと勘違いでテンションがダウンしている上にイライラが募りいの痛むような時間でした。予め大学へは30分遅れの予約を入れてはいるものの、それでも講演の内容に不備があっては失礼と思いを込めて70分間熱弁をふるいました。講演が終わったのが午後6時なのでとりあえず降り出した雨の中を車を走らせ大学の授業は大幅に遅れましたが、待ってくれていた学生を相手に1時間弱の講義を終え、二つのお座席をヘトヘトになりながら務めました。

 総会の会場となったコミュニティセンターホールはほぼ満席の状態でした。参加者は子どもの頃から知り尽くしている方々ばかりで、顔や目が合う度にあちらこちらから笑顔の会釈が返ってきて懐かしさがこみ上げてきました。私の話は11時間半の組み立てを1時間10分に縮めて早送りしましたので、少し理解できない部分もあったかも知れないと反省をしていますが、「下灘発元気印」と題した講演は概ね次の通りです。

 1、双海町をフィールドにした私の今までの活動

   ①漁師としての7年間

   ②青年団活動の8年間

   ③公民館主事としての13年間

   ④結婚披露宴537組の司会活動

   ⑤広報ふたみ10年間240号の執筆活動

   ⑥夕やけコンサートなど20年の夕日を資源にしたまちづくり活動

   ⑦20年で100人の人を育成した人づくり活動

   ⑧退職後下灘に設置した人間牧場での2年間の活動

 2、四国で頑張る4人の人たちとその発想の原点

 3、私のふるさとづくりの原点と想い

 4、人間4つの願望

 5、下灘元気印への提言

 昨日は、講演に参加した方々からお電話をいただきました。感想や激励です。「懐かしかった」「いい話だった」「人間牧場へ是非行って見たい」「これからも頑張ってください」などなど様々な反応でした。私はその方々にハガキを書きました。多分今日は届いた予期せぬハガキに驚くことでしょう。

  「面映い 感じで話す 壇上に 笑顔の反応 嬉し恥かし」

  「講演を 終えていただく 鉢植えの アジサイ綺麗 俺に似合って」

  「久方に 昔の顔が そこにある みんなそれぞれ 歳をとったな」

  「進み行く 時代の流れ 何故故に 後退するのか 田舎暮しは」

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shin-1さんの日記

○開封された貯金箱

 書斎の机の上に大きな郵便ポスト型をした貯金箱が置いてあります。私は子どもの頃から貯金箱が好きで、市販の貯金箱など普及していない子どもの頃は二節を両方に残して切った竹筒に鋸目を入れて投入口を作り、まさに手づくりの貯金箱を利用していました。しかしそんなに小遣いの豊富な時代でもなかったので、一年間貯めても振るとガランガランと音がしたものです。そこへ行くと赤い貯金箱は日々の暮しのつり銭を入れるのでこの2年間で重いほど貯まり、ついには入口を塞いでしまう結果となりました。紙幣は入れず硬貨だけですから一円玉や五円玉まで入り、重いけれど三万円くらいいかなあと思っていました。自分で開けるのも面倒臭いし、どうせ金額を確認するのだったらと思いつき、先週の金曜日郵便局へ持ち込みました。郵便局は馴れたもので、「少し時間がかかりますがよろしいですか」と貯金通帳とともに引き受けてくれました。そのことをすっかり忘れていたら一昨日、郵便局の女性職員が帰宅途中に持参してくれたのです。私は人間牧場の草刈から帰った直後であり、妻も庭のプランターにガーデニングよろしく花を植えている最中だったので、私が受け取ることになりました。実はこの貯金箱は妻も存在は知っていましたが、私のへそくりなのでその中身の金額など妻に知られたくなかったのです。「しまった」と思いました。仕方がないので妻と二人で通帳に記載されている貯金箱の中身を確認して驚きました。〆て86,598円なのです。早速妻は「お父さん山分けしよう」と相談を持ちかけてきました。私は「これはわしのへそくり貯金だから」と頑固を張りましたが、世の中は秘密などを持つとろくなことはないし、後でしっぺ返しでもされたら大変ですから、妻の申し出を甘んじて受けなければならなくなりました。

 それにしても86,598円とは塵も積もれば山となるの諺どおりで驚きました。すっかり軽くなり空になった赤い郵便ポスト型の貯金箱を手にしながら、今度この貯金箱が一杯になるのは何時の日だろうと夢を膨らませました。実はこの貯金箱は教育長に就任した折、それまで缶詰のようなカンカン貯金箱を使っていたのを今度のように郵便局へ持っていて数えてもらった時郵便局長さんからプレゼントしてもらったものなのです。その時は「こんな大きな貯金箱に一杯になるのには何年ぐらいかかるかな」と冗談を言ったものでした。退職までは教育長室の片隅で、退職後は自宅書斎の机の上で、気の向くままに小銭を入れ続けました。

 小銭どころか大金もない私ですが、酒もコーヒーもタバコも飲まない私には小遣い銭など余り必要ではなく、時折孫におもちゃや本を買う程度だし、財布も出かける際はきちんと妻が配慮をして中身を確かめて恥をかかないようにしてくれています。妻は無駄遣いをしない私への信用があると見えて、お金のことは余りいわないのです。

 わが家にもう一つイノシシの親子を形をした貯金箱があります。妻が農協から貰ってものですが、これは時折やって来る孫のものです。来る度に10円とか1円とか、まだお金の値打ちの分らない孫にとっては枚数が多いほど喜ぶようで、先日は1円を10枚ほど入れてやりましたら、中身をジャラジャラいわせながらとても喜んでいました。多分貯金箱の意味すら分らない4歳なのですが、それでもこうして小さい頃から金銭感覚を身に付けさせることは大切なことだと思っています。夕べやって聞いて「おじいちゃんの貯金箱と競争しよう」と相談をしました。頑張らないと孫の貯金箱に負けそうです。

  「何気ない 小銭集める 貯金箱 積もり積もって 旅行くらいは」

  「煙草銭 酒代思い 入れてゆく 小銭貯まれば 大銭貯まる」

  「筒なのに 何故に貯金 箱という わが家に幾つ あるのだろうか」

  「大木を 流して木っ端 集めてみても 所詮はかない 貧乏暮し」

 

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shin-1さんの日記

○自慢できない自慢

 昔は「男子厨房に入るべからず」なんて言葉がありましが、今は男女同権の世の中、特に若い方は積極的に台所へ入って家庭料理をしており、羨ましくも微笑ましい姿がテレビなどで紹介される度に、自分の時代遅れを恥じています。今は学校でも家庭科にかなり時間を割いてそうした時代を反映したような教育を男性にもしているし、それが当たり前の共稼ぎの世の中になっていることも周知していますが、やはり古い人間でしょうか本音と建て前は違うようで、自慢ではありませんが結婚して37年が経っているというのに、未だにわが家の厨房には殆ど立ったことがなく、自慢できない自慢を告白するのです。

 教育長と中央公民館長を兼務していた2年前まで、公民館の講座に「男の料理教室」という人気講座がありました。役職柄講座の開講式、閉講式には招かれてあいさつをするのですが、今にして思えばこの時も分ったような話をしたような記憶があります。でも何故か料理は妻、私は外なんて不文律を破ることなく、娘からは「お父さんはお母さんが亡くなったら完全に生きていけない」とか、「お父さんは退職して給料が入らなくなったらお母さんから退職離婚を宣言されるかも」なんて散々脅かされながら今日まできてしまいました。

 私は20年も無人島に子どもたちを連れて行き、野外活動はお手のものなのですが無人島キャンプは仲間で料理の上手な河上さんという無人島シェフがいて、私はもっぱらひょうたん型由利島大統領として主に指導畑をたんとうしたので、野外活動でも20年間料理はまったくしませんでした。自慢できない自慢です。

 これは退職した2年前からの心構えなのですが自慢できる自慢が一つだけ出来ました。それは魚料理をすることです。料理といっても魚を捌くことなのです。私たちの町は漁師町なので魚が沢山獲れますし、漁師さんの親戚もあって時々魚を貰うのです。その度にその魚を捌いたり3枚に下ろしたりするのです。自慢ではない自慢ですが宇和島水産高校の実習船愛媛丸の船上でコック長から直伝された技でそれは上手いものです。

 昨日は親戚の漁師さんから大きなチヌやサメなどをトロ箱いっぱいいただきました。あいにく妻は職場への出勤前でしたので、「お父さん宜しくね」とさも見透かしたように出て行きました。さてどうするか思案はしたものの結局自分がしなければ片付かないと長くつと捻り鉢巻で屋外調理場で孤軍奮闘と相成りました。大きな専用の出刃包丁を砥石で研ぎいよいよ作戦開始です。まずは2枚のチヌから始めました。鱗引きで鱗を丹念に取り頭を落とし内蔵を取り水洗いです。そして水気を切って三枚に下しアラは小切りにしてアラ煮が出来るサイズに切り分けボールに並べてゆくのです。身の部分はヒハラを削いで切り落とし刺身用にボールに並べます。素早く上にラップを掛けて冷蔵庫に収納して出来上がりです。昨日はこちらの方言でノークリと呼ぶサメを4本いただいたのでこれも三枚に下ろしてサメ肌といわれる皮を削いでてんぷら用に小切りをして同じようにラップを掛けて終りです。内臓を全てビニール袋に入れて専用ゴミ箱に収納し、まな板、包丁、流し台やそこら辺を洗剤で水洗いして約1時間半の作業は終わりました。予め風呂を沸かしてもらっていたので、服を脱ぎ風呂に入って魚の臭みの染み付いた身体を洗いました。

 昼食時に妻が帰って来ましたが、「いつものことながらお父さんは魚の料理だけは凄い腕前じゃねえ」と持ち上げるものですから、それが快感になっている今日この頃なのです。妻は私の調理したアラを小分けにしてチルド袋に入れて冷凍庫に収めました。こうすれば貧乏所帯でも3日や4日は不自由することなく美味しい魚料理が食べれるのです。

 正直な話しこれ以上の料理にかかわるつもりはありません。「お魚ママさんの講習を受けて魚料理は人に指導できるほどの腕前の妻もそのことは分っていて、魚料理だけでもしてくれるようになった進歩の跡がうかがえる夫の成長ぶりに目を細めているようです。

 親父も漁師だったため魚の料理は凄い腕前ですが、母存命中は厨房には殆ど立たない亭主関白を絵に書いたような人間でした。それでも母亡き後は炊事も洗濯も何でもこなせる家庭マルチ人間になっているのですから、私もその気になれば自活は出来るものと楽観しています。自慢できない自慢話をしてしまいました。

  「海の町 魚を捌く ことぐらい 出来ないようじゃ 男じゃないよ」

  「若い頃 船で覚えた 料理法 やっと今頃 自慢の腕に」

  「普通なら 魚を肴に チョイ一杯 今は禁酒の 舌が乾いて」

  「食卓に 自分料理の 刺身出る 自慢しつつも 飯をお代わり」 

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shin-1さんの日記

○本当の意味が分らない

 私たちは日々の暮らしの中で何気なく使いっている言葉が沢山あります。特に英語の苦手な私にとって、英語なのか和製英語なのか分らないカタカナ語は本当に困ってしまいます。「それは何?」と聞けばいいものを、分からないのに分ったような顔をしていなければならないのもつらいことです。私はその都度資料の端にメモをして帰り、イミダスやカタカナ語辞典などで意味を調べるようにしていますが、こうもあり過ぎると間に合わずお手上げといった感じです。

 その昔、まちづくりの現場でアメニティやコミュニティといった言葉が流行したことがありました。今なら誰もが知っているこの言葉も最初は戸惑い、使う度に説明を付けて喋っていました。私にとって役場35年間の後半部分は議会議員さんとのやり取りや議会対策が必要な職責だったため、随分と物議をかもしたことを今でも忘れることが出来ません。議員さんは知らなくても知ったかぶりで横文字やカタカ語を平気で喋ります。その方が格好いいし、知的に見えたり勉強しているように見えるからかもしれませんが、とにかくカタカナ語をよく使いました。こちらも負けずと答弁書には横文字をふんだんに取り入れ、議員さんの質問を煙に巻くのです。

 アメニティは飴を食べてお茶を飲むからアメニティと冗談交じりに言った言葉を本気にしてみんなの前で大笑いした滑稽な話ならまだ許されるのですが、シンポジウムについては新聞にまで載るほどの混乱ぶりでした。

 ある年の3月議会だったと記憶しています。町長がシンポジウムに要する予算の提案理由を説明しました。ところがある議員が「町長質問」と手を挙げました。議長に促されて質問に立ったある議員さんは「ただ今町長の説明されたインポジウムの予算について質問いたします」と大真面目で質問したのです。議会全体から思わず大きな笑い声が聞こえました。その笑い声を聞いたその議員は「私がインポジウムの予算について説明を求めているのに笑うとはけしからん」と怒り始めたのです。笑いを止めた町長は「A議員にお答えいたします。シンポジウムは町を起こすためにするのですが、インポジウムでは町が起きません」と名言中の名言を答弁しました。A議員の横にいたB議員がA議員に「おいシンポとインポは意味が違う」と諭され、自分のいった事に気付いたA議員は議長の許しを得て発言のお訂正を求めたという笑うに笑えない話です。このように一字違いで前々意味の違う言葉は沢山あります。

 最近テレビショッピングやカタログ販売が普及して、コールセンターがあちらこちらに出来ています。先日ある村おこしで有名な村にコールセンターオープンしました。その開所式である議員があいさつに立ち知ったかぶりで横文字を並べて喋ったのです。議員さんはコールセンターに若い女性を沢山雇えた雇用促進を強調したかったのでしょうが、コールセンターに勤務する女性のことをコールガールと盛んに何度も喋ったのです。ご存知のようにコールガールとは電話で呼び出される売春婦のことで、決して好ましい言葉ではないはずなのですが、何人かの出席した女性からブーイングが起きたのです。

 知らない言葉は喋らない。聞いて分らなかった問い返す。決して恥でないこんな気持ちで日々を暮らしたいものです。

  何時の間に 知ったかぶりの カタカナ語 そういう私も 意味は分からず」

  「横文字を いえば頭が いいような 錯覚誤解 日本語使え」

  「教えてる 人に学生 質問す カタカナ言葉 理解できない」

  「テンションを 高めて話せ 妻が言う 何処で覚えた あんたは偉い」

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shin-1さんの日記

○勘違いの間違い

 地元の農協から講演を依頼されたのは2月頃でした。代表を務める清水さんは双海町の第1回海外派遣生としてアメリカへ行った方だし、私が教育委員会で社会教育をやっていた若かった頃、青年団長をした肝胆相照らす中なので無碍に断ることも出来ず渋々受けていました。正直言って地元での話は好きではありません。フィーリングがピッタリ合って参加者に受け入れられれば良いのですが、中には不満な人もあって必ず後であれこれといわれるのです。「5月15日は随分向こうだな」と自分に納得させていましたが、先方の都合で日程を変更して欲しいと一ヵ月後に連絡が入り、「一日繰り上げて欲しい」というのです。明くる日の水曜日は大学の講義日なので月曜だったらと、何のためらいもなく予定表の5月14日欄に「下灘園芸組合総会講演」と書き込みました。田舎のことなので公文書による講師依頼書もなくてっきり5月14日だと思っていました。そして一昨日午後3時に会場となっている下灘コミュニティセンターへ出かけました。会場周辺には130人も集まる予定ですから車の置き場もないだろうと予測して出かけたものの、駐車場はガラガラ、会場も散閑としていました。支所に勤める顔見知りの女性にそれとはなしに聞いてみましたが、「今日はそんな集会はありません」「組合が会場を借りているのは何日ですか」「5月16日です」「そうですか・・・・・・」でした。

 私の完全な勘違いでした。「一日繰り上げる」という日本語を私は「一日前に持ってくると思ったのです」。その夜相手である清水さんに確認したところ完全に私の一人相撲でした。「繰り上げる」という言葉は数字の上では大きい方へ転じることですから16日で間違いないのですが、予定を繰り上げるというのは「早める」ことだと思いつつも、支所で恥をかき、清水さんに恥をかき、「それはななたが確認しないからだ」と妻からも相当文句を言われて一件落着しました。それでも間違いつつ相手に迷惑を掛けなかったことだけは救いでした。16日を17日に勘違いしていたらそれこそ大変なのです。

 しかしここでまた小さな問題が発生しました。今日水曜日は大学の講義日です。講演が終わるのは午後5時です。下灘から車を走らせれば愛媛大学まで優に1時間半はかかるのです。伊予市から高速道路に乗ると便利なのですが、午後5時過ぎの松山インターチェンジ付近はかなりの混雑が予想され、間違いなく講義に遅刻するのです。大学に勤める娘婿にことの次第を説明し、若干時間が遅れる事を学生に伝えてもらうよう万全を期したのですが、今日は憂うつな一日になってしまいました。それでもこんな事にくじけず、こんな事のないよう肝に銘じながら今日一日を乗り切りたいと思っています。

 昨日人間牧場へ行っていたら、お昼休みに地元の屋外有線放送が聞こえました。「明日は園芸組合の総会です。若松進一さんが講演します」と放送が流れびっくりしました。だまってこっそりと思っていたことが、ここまで大きくなっているなんて思っても見ませんでした。益々憂うつな気持ちになりました。

 私はおっちょこちょいなのでしょう。時々こんなへまをやります。何年か前は和歌山県へ行く予定をすっかり忘れていました。朝早く和歌山県から電話があり、間違いに気付いた私は空港へ電話をしました。しかし残念ながら空いた席はなく満席との事、万事休すと思い電話を切ろとすると、「今キャンセルが一席でました」というのです。急いで身支度を整え僅か1時間という時間で自宅から空港まで突っ走って飛行機に乗り、伊丹に迎えに来てもらった担当者のお陰で和歌山の会場入りしたのが5分前、何食わぬ顔で90分の講演をこなし、再び元来た道を送ってもらって和歌山日帰りの講演旅行は何事もなかったように終わったのです。

 勘違いによる間違いが多いのは歳のせいだけではありません。不注意なだけです。今日を迎えるために何度となく清水さんと打ち合わせをしたはずなのに、大切なことの確認が疎かになりました。

 もう一度鍛えなおして励みたいと肝に銘じました。

  「間違って 二日も前に 講演に 俺ってアホだ 誰もいないで」

  「秘書もなく 自ら管理の 予定表 繰上げしたが 繰上げもせず」

  「妻にさえ 馬鹿にされたる 失態を 学生たちに 何と侘びよか」

  「二日分 講演料を 貰いたい そんな人には 半分十分」

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shin-1さんの日記

○草刈と芋植え準備

 人間牧場に初夏がやって来て、今日などは戸外にいると汗ばむほどの陽気です。今日は人間牧場の草刈をしようと、妻に弁当を作ってもらい早朝7時半に一人で家を出ました。国道から農道へ入ると、周りの景色は眩しいほどの緑色に彩られ、山が目の前に迫ってきて、思わず深呼吸をしたくなるような雰囲気です。遠くではビワの実を狙って暗躍するカラスからビワを守ろうとガス爆発の音がけたたましくこだまして、時折ハッとしたりしますが、慣れてくるとそんな音も草刈機の音にかき消されて感じなくなるのですから不思議なものです。今日の草刈は一番下の梅林から始める事にしました。一番草を刈った4月21日にはまだ小さかった梅の実も、約1ヶ月でかなり大きくなり、昨年の経験だと6月2日に収穫しており、後2週間もすれば収穫できそうです。梅の実は既に生理落下が始まって、未成熟な実が梅の木の下に無数に転がっていました。この現象は自然摘果のようなもので、落ちずに残った実に養分が貯えられて大きくなるのです。

 梅の木の下草を刈っていると義兄がやって来ました。今朝人間牧場に着いた折、かねがね一度は人間牧場へ来たいといっていた義兄夫婦に「今日なら人間牧場にいるので上がって来ないか」と誘ったのです。急な思い付きによる案内だったので姉は来ず、義兄一人がやって来ました。義兄はそこら辺をうろうろしながら遠望の素晴らしさ驚いていましたが、やがて蕗を取り始めました。この頃の蕗は大きくなって中には背丈ほどもあり、10本も取れば十分で姉への土産が出来たと喜んで帰って行きました。

 今日は火曜日なので下灘漁港の漁船は休漁日なのですが、このところの天気周期が出漁日と合わないため止む無く出漁したようで、漁港は空っぽの状態で、港の中かが広く見えました。

(豆トラで農地を中l耕する木曽さん。額の汗が輝いていました)

 草刈機を使っているとポケットに入れた携帯電話がマナーモードのバイブレーターにしても、発信音が出るようにしていても、草刈機の騒音や激しい労働によって中々気付かないものです。給油のために草刈機を止めた時その確認をするのですが、089-986-1114という着信番号を受信していました。私の携帯は余り機能のないシンプルなものを使っていますので、相手の確認が中々難しく、携帯電話以外だと職場の人を特定できず、「私に電話をかけた人はいませんか」なんて突拍子もない質問を相手にしなければなりません。運良くその人が電話を取ればいいのですが、時には受信後時間が経ったりすると相手も分らず右往左往したりすることも度々です。今日は教育委員会の木曽さんから間近に迫った少年少女おもしろ教室の打ち合わせ電話でした。私は縁あってこの教室の実行委員長を教育長在任中からやっています。多分夢基金からの助成で運営しているので民間代表者が必要なための措置でしょうが、今年から実行委員会を実のあるものにして運営したいという事務局の思惑もあって、盛んに打ち合わせを寄っているのです。芋植えと人間牧場での私の話をセットにした開講式を私と木曽さんが担当しているので、早速その準備をしたいと言うのです。彼は公用車に豆トラと草刈機を積んでやって来ました。農家の長男だけあって手馴れたもので、草刈機を使い豆トラで予定した場所をあっという間に中耕してしまいました。私は3日前に刈った枯れ草を寄せ集めるの精一杯という状態でした。綺麗に耕された農地に一週間後は子どもたちがやって来て芋植えを楽しむことでしょう。


(綺麗に耕された農地。来週は子どもたちの歓声に包まれそうです)

 時刻は4時を回り、妻との約束もあって5時までには下山しなければならないと思って片付けをしている矢先、役場の武田さんと西尾さんが立ち寄り、世間話を30分余りしました。合併後の行政の窮屈さは区長をして感じてはいましたが、旧町出身の彼らにとってもかなりのストレスのようで、積もる話から私の人間牧場に至る人生観まで話は尽きないようでした。

 毎日のように人間牧場を目指してやって来る人が後を断たなくなりました。今のところ私の毎日が忙しく順番待ちだし、こうして臨時的に飛び込みでやって来る人もいます。悩みを持ち、夢を持ち様々な課題を持ってやって来る人たちに出来る私の役割は希望と勇気を与えることでもあるので、その対応は真剣です。中には酒や焼肉目当ての遊び半分でやって来る人もいますし、主人不在を気にせず平気で土足のままウッドデッキで勝手にはしゃいでその痕跡だけ残して帰ってゆく人もいます。役場に勤めていたことを知っているので、この施設は役場の延長でやっているのだろうと勘違いしている人もいます。人間牧場は山岡哲太郎の「この槌は宝打ち出す槌でなし 野良くら者の頭打つ槌」の如き槌の役割も果たさなければなりません。いい槌にならねばと思い戸締りをして人間牧場を後にしました。

  「二番草 綺麗に刈りた 梅林の 木陰腰かけ 遠望楽しむ」

  「イノシシに 食われた芋に 再挑戦 草刈豆トラ 機械農業」

  「卵抱く キジの巣作り 脅かす 近くでケンケン 盛んに鳴きて」

  「合併で 悩み増えたと 頭かく 苦悩ありあり 乗り越えなければ」 

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shin-1さんの日記

○見た目と中身

 「人間は見た目でものの値打ちを7割以上判断する」という話があります。全ての人ではないのですがこれも7割以上の人間に共通していることだそうです。なるほど女性も男性も相手によく見てもらおうと化粧をしたり着飾ったりするのはその証拠かもしれません。顔の美しい人はそれなりに、普通の人はそれ以上に外見にお金をかけるものですから、洋服や化粧品が売れ社経済が上手く回っているのです。でも本当はそんな見せ掛けよりも見えない部分こそ大事なのだと言っては見ても、見えないものを推し量る度量を持った人が全体の3割以下では7割へのアプローチの方が断然有利であることは子どもでも分る理論です。

 今朝わが家にえひめ地域政策研究センターの清水研究員がやって来ました。朝食を食べながら妻を交えて色々な話に花が咲きました。彼は朝フル(朝食にフルーツを食べて健康になる)の実践者で朝フルーツを食べる生活習慣の変化で減量に成功しています。ですから私のリンキャベ(朝食はリンゴとキャベツ)についても関心があって、理論武装などしていない私に薀蓄のある話を随分アドバイスしてくれました。

 彼は今朝手土産に外国系ながら自分の家で作っているナベリーナという珍しいオレンジを4個持って来ました。色こそ熟していましたが、ヤノネカイガラ虫が沢山ついて、所々にはカイヨウ病までついています。ましてやヘタは取れていますから、まあみかん王国愛媛だとこの手のオレンジなら外品で畑の隅にでも落ちていそうな果物なのです。「奥さん済みませんがこのオレンジを輪切りにしてくれませんか」と言うものですから、言われるがまま妻は輪切りにして皮を取り除き食卓に並べたのです。私も見た目に綺麗でないオレンジという7割の先入観があるものですからそんなに期待はしていませんでした。ところが木って皮を剥いたオレンジはとても美味しいのです。見た目から中身の味で判断した瞬間でした。妻も私も美味しいと体感したのです。

 オレンジはこのように外見を見た目以外に食べる事によって中身を確かめることが出来るのですが、人間の心は推し量り難たいものですから時々騙されたりすることもあるのです。

 農産物を売る場合消費者には大きく分けて4つの分かれるそうです。農産物の価値が分って金を払って買うAタイプが2種類、農産物の価値が分らず金を払わないBタイプが2種類です。Aタイプには農業の価値が分る消費者層と健康志向型消費者層があります。一方Bタイプには意識と行動が分離した分裂型消費者層とどうしようもない消費者層があるのです。

その割合を調査した数字は次の通りです。

 ・農産物の価値が分って金を払うAタイプ        21.9パーセント

        農業の価値が分る消費者層        ? 5.4パーセント

        健康志向型消費者層             16.5パーセント

 ・農産物の価値が分らず金を払わないBタイプ     75.4パーセント

        意識と行動が分離した分裂型消費者層?? 52.4パーセント

        どうしようもない消費者層         ?? 23.0パーセント

 私は現在、生協の学識理事をやっていますが、毎月の理事会で議論する理事さんの殆どは賢くて農業の価値が分る消費者層だし健康志向型消費者層のAタイプのようだと思います。安心や安全が第一で、無駄なお金は使わないが価値あるものにはお金を出すのです。

 この数字の中で気になるのは農産物の価値が分らず金を払わないBタイプで、75パーセント強の人が安ければいいと思って中国産に飛びつき行動するということです。困ったことはこの人たちは何かが起こると風評をでっち上げ、周り全てが悪いかのように風評被害を拡大させて行くことです。

 農産物の価値も分らず金を払わない人にどうやって農業や農産物の良さを伝えるのかは大切なことかも知れませんが、かなり難しいことだと思います。これまで農業団体や農業者は正直言って誰という消費者層を相手として意識せずに対応してきた感じがあります。これからはその事も考えないと効果は上がらないのです。

 このところグリーンツーリズム運動の高まりによって都市と農村の交流が盛んに行われるようになってきました。でも思ったほどの効果が出ないのは何を(ウォット)、いつ(ウェン)、どこで(ウェアー)、誰に(フー)という4Wをしっかりらえないと、長続きはしないし成果も上がらないのです。

 見た目だけでなく中身の大切さを感じた朝フルミーティングでした。

  「いいだろと 強調しては みたものの 中身分らず 結局売れずに」

  「まず見た目 それから中身 七割も 考えますね 農産開発」

  「農薬で 見た目いいもの 作ったが 人も自分も 身体壊れた」

  「農家さえ 食わないものを 何故に売る 金になるから それはないだろ」 

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shin-1さんの日記

○キツツキの死

 「若松さんですか。人間牧場のロケ風呂に張った網に鳥が絡まっていますが、まだ生きているので網を切って逃がしましょうか。それと・・・」と携帯で連絡が入ったのは2日前でした。教育委員会の職員2人が今月26日に行う人間牧場での少年少女おもしろ教室の準備下見を兼ねて出かけての発見でした。私は急なことなので言われるように野鳥愛護の立場で網を切って逃がすべきか、それともそのまま残酷にも殺してしまうか随分迷いました。でも人間のエゴとはいいながら人間牧場の外壁をやりたい放題穴を開けて知らんふりしているキツツキを許すことが出来ず、結局は「そのままにしておいて下さい」と告げて電話を切りました。

 事の発端は人間牧場の水平線の家が完成した一年半前ころから家の外壁に何やら穴が開き始めたのです。最初は何で開くのか原因が分りませんでした。私が人間牧場へ行っている時は人の気配を察知して寄り付かなかったキツツキが、慣れてくると中でお喋りをしていても、くちばしてコツコツと穴を開け始めたのです。手をたたいたり中から内壁をたたいて脅かしたりしますが一向に止む気配はありませんでした。業を煮やした私は息子と相談してカラスのダミー威しを吊ったりしましたが効き目がなく、新築の水平線の家は何ヶ所も穴を開けられて台無しになりました。それでも人間と野鳥の共生などと格好いいことをいって、穴はその都度大工さんにお願いして継ぎ接ぎして修理していました。やがてロケ風呂が完成すると今度はその外壁に穴を開け始め、これまたひどい状態となり、打つ手なしといった状態で、ブログに穴の状態や何か妙案はないか書いたのでした。結局妙案もなく長男夫婦と次男は先週末に大工さんに長いはしごを借りて網を取り付けました。利口なキツツキのことなので私もその効果については半信半疑でいました。ところがところが早速冒頭のような捕獲となったのです。このキツツキが穴を開けた犯人であるかどうかは指紋もないしわからないのですが、その責任を取ってキツツキは網に絡まり短い一生を終えたのです。

 今朝人間牧場へ草刈作業に出かけ、網にかかったキツツキの死骸を網から話しました。もがいた様子や外壁に爪を立てる鋭い足、それに鋭いくちばしが自分を自滅へと追いやったのです。

 キツツキには色々な種類があるようですが、今回網にかかったのは頭の上に赤い冠のような毛が生えて赤ゲラだと人目で分るような姿でした。羽根はウグイス色でとても美しく、こんな綺麗な鳥が何で悪さをするのか不思議に思うほどなのです。

 私はキツツキの死骸を袋に入れて持ち帰りました。そしてその写真を撮りました。2ヶ月前家の池で飼っている鯉が一匹死んだ時、親父が畑の隅に埋めて小さな鯉のお墓を作っていますので、その側に穴を掘り埋め戻してお茶とお菓子をお供えしてねんごろに弔いました。悪い事をした鳥をそこまでと思われるかも知れませんが、これが私の最大限のキツツキへの譲歩なのです。

 人間牧場を開設して1年余りが経ちました。その間イノシシによるサツマイモの全滅被害を始め、自然との共生や環境問題などといいながら様々な出来事に直面し、その度に共生の難しさをしみじみ考えさせられてきました。特に被害甚大だった外壁はその度に大工さんのお世話になって修復をしてきたのです。私も息子もキツツキへの憎しみは限界を超えていたようです。

 この写真は3月31日に書いたブログの記事に添付したロケ風呂外壁のキツツキ被害の状況です。この反対側も同じような被害に遭っていますが、犯人死亡のままキツツキ君を不起訴処分にすることにしました。この上はキツツキ君の家族や仲間が同じような過ちを繰り返さないよう天国から祈ってください。南無阿弥陀仏。

  「お尋ねの キツツキ網に 引っかかり あえなくあの世 南無阿弥陀仏」

  「キツツキの つつき痕跡 今はなく コンコンコンと 音のみ耳に」

  「へえこれが キツツキ鳥か まざまざと 手に取り姿 哀れを誘う」

  「キツツキは 深山の鳥と 思いきや 里の近くで 悪さの限り」


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