shin-1さんの日記

○世羅の町・その1

 広島県世羅町といえば何といっても高校駅伝の町です。小さな田舎町ながら高校駅伝界では全国制覇も成し遂げた世羅高校があるのです。今年の8月29日その世羅町大田地区から私の所に視察団が訪れました。大田地区振興協議会という自治会連合会の方々です。私にとっては毎月やって来る視察者ですから、やれこの団体は女性が少ないとか好き勝手な感想を述べて、興が乗れば我が家へも案内するのですが、我が家に案内したほど熱心な団体であったことだけは覚えていました。その協議会からお誘いがあって出掛けました。普通遠い土地なら別ですが、しまなみ海道を通れば広島県の近い場所なので日帰りなのでしょうが、案内は一泊二日だそうです。早朝に出かけその日は午後からバスでふるさと巡りをするというのです。同行し私の目から見た地域振興策を伝授せよとのお達しに、さてさて人使いの荒い団体とお見受けしつつ同行しました。

 前日の雨もあがり少々肌寒いものの絶好のコンデションで望みました。梨やふらわーの観光農園で心境著しいこの町は最近隣の甲山町、それに世羅西町とが合併して世羅町となり役場が甲山町に置かれています。面白いことに旧世羅町と旧甲山町の役場は500メートルしか離れていないのですから、合併の必然性はあったようです。

 さて心に残ったベストテンを順に気がついたままに列記しておきましょう。

①最初に訪れたのは町のシンボル的存在の新山山頂にあるシャンテパルクという施設でした。そこには立派な野外ステージが殆ど使われることもないような状態で建っていました。かなりの投資をして建てたハードでしょうが勿体ない話です。これを生かす手立てを考えなければなりませんが残念ながら道も狭く車の駐車スペースも少なく、利用目的は限界があるようでした。でも山頂からの眺めは素晴らしく、360度の視界が開け、遠くはスキー場の道後山や今治まで見れるということでした。


②雪舟作と伝えられる康徳寺に行きました。山門の石垣に面白い遊び心を見つけました。石垣をダルマに見立てているのです。昔の人はこんな風変わりな石垣を築いていたのですね。(でも上のダルマの顔は村内古いものではないようです)

 庭もさることながら今が盛りの紅葉の姿を借景の庭は、時のたちのも忘れてただうっとりと眺めていたいような雰囲気でした。日本全国には歌人で茶人の雪舟作と伝えられる庭園が多いのですが、本物かどうかは雪舟のみぞ知ることなのです。でもこの庭園はよく手入れされて、周りのアジサイが咲く頃に是非訪ねたいものです。

③このふるさと巡りには地区毎にガイドが用意されていましたが、特に流暢だったのは兼丸さんです。彼の博学は自他共に認める処で、まるで世羅の観光大使にでも任命したらよいようなお方とお見受けしました。何故なら今回のふるさと巡りのポイントに彼の自宅があったからです。いやはや驚きました。家は今でも移築したというわらぶき屋根の家で、周辺にはかつての屋敷跡と思われる立派な石垣群が残り、敷地内には鉄製の竹炭釜が二基並びまるで小さな町工場といった感じです。そしてその横のかつてキノコを栽培していた倉庫には15000冊の古い蔵書発動機群、それに今ではすっかり姿を消した田舎のクラッシックカーが所狭しと置いてあるのです。これは単なるボロ集めでなくれっきとした収集家なのです。全て「3丁目の夕日」という映画に出てきそうな近代化遺産なのです。多分どこかの家が壊されると聞いて貰い受けたのでしょうが、天井には役場が壊された時の各課の表示板まで吊り下げられていて、ノスタリジックな気分になりました。竹炭や竹酢液の話は環境と結びつけると大きな広がりを示すことでしょう。

 この方がご当主の兼丸さんです。とに角饒舌で知識人には私も脱帽でした。地域を語れることは文化財に匹敵すると思うし、文化財に付加価値を付けるのも文字と言葉なのです。

④今は無住となった遍照寺は新興住宅地の少し奥まった所にありました。弘法大師空海の逸話は四国には事欠かない話ですが、ここにも空海の足跡なる石が置かれていましたし、古い五輪の塔が沢山安置されていました。入口の大きなイチョウがすっかり葉っぱを落し、イチョウの下の土地はまるで黄金を敷き詰めたような見事な風景でした。参加した人はあまり関心を示しませんでしたが私は素敵な風景に心が洗われるような踏み込みがたき、それでいて空海の伝説がミステリアスなものに思えてきました。

  「世羅の町 奥行き深く 味わいて ここにも心 安らぐ場所が」

  「兼丸さん あなたのような 変わり者 本当はあなた まともですから」

  「俺の家 既に訪ねし 兼丸さん 手薬煉引いて 俺来る待ちて」

  「寺町を 紅葉演出 昼下がり そこここ見れば 今が見ごろか」


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shin-1さんの日記

○旅先で拾った話題②

 中国地方を旅するには、幾つもの峠や九十九折の曲がりくねった道を通らねばなりません。それが嫌で双海町~松山~岡山~米子を予讃線鈍行各駅停車~特急しおかぜ~特急やぐも~山陰本線各駅停車と乗り継いで峠越えをするのです。でもこれまた特急の前後のまるでキセルのような乗り継ぎの時間が長く、結局は早立ち遅帰りの時間帯を狙うためマイカーになってしまうのです。それでもこのところの穏やかな季節の変化を肌で味わうような紅葉織りなす山々を見る旅にマイカーも捨てたものではないとしみじみ思うのです。この62年間のわが人生において今年の秋くらい中国山地の紅葉を堪能したことはないのです。

 先日そんな旅先である面白いものを見てしまいました。猿とイノシシと鹿なのです。猿は断崖絶壁の上、鹿は車の前を横切り、イノシシは農家の庭に吊るされて、それぞれ場面や光景は違っていましたが、それでも人間と自然の近さを垣間見る思いでした。人里に住むわが家だってイノシシや狸、それに野ウサギやハクビシン、それにキジの話題がブログの記事を飾る田舎者にとって猿やイノシシや鹿の話題はさして珍しいことではありませんが、それでも目の当たりにすると思わず車を止めて見とれたような光景だったのです。

 鹿はその俊敏さから一瞬でした。自分の目の前を立派な角を持った大きな鹿が横切ったのです。まさに一瞬の出来事で、思わずブレーキを踏んでしまいましたが、このハプニングに私の心臓はパクパクと暫くの間音を立てて驚きを隠せませんでした。「鹿に注意」なんて書かれていても出くわすのは初めてですから、あれがもし人だったらなんて思うと、その日は速度をゆるめ安全運転に気を配ったものです。

 数日前、峠道の急峻な地形で何か動くものを発見しました。運良く側に路側帯があったので車を停めて道上のその様子をじっと眺めていました。通りかかった他の車も私が口を開けて上を見ているので「何事ですか」と相次いで4~5台が停め、私と同じように口を開けて見るのです。その猿の集団はご家族なのでしょうか4~5匹の群れで、下の交通量や私たち人間様の仕草にも意に関せずといった雰囲気で悠然と何かを食べて休んでいました。

 私はふと先日ニュースステーションで見た青森県下北半島の猿の話題を思い出しました。下北半島はニホンザル生息地の北限として猿を特別天然記念物に指定をしています。温泉に入ったりする北国ならではの独特の暮らし方はコマーシャルの出るほどユーモラスな話題でした。しかしその猿も最近絶滅どころか増えすぎて1500頭にも上っているのです。その猿たちは餌稼ぎのためにしばしば民家の近くまでやってきて農作物を食べ放題で、深刻な鳥獣被害の実態がリアルに紹介されていました。網で囲った農地も人間に近い猿知恵で人間の方が負けて様々な方法を試みるのですがお手上げの状態だというのです。保護獣を傷つけると法律で罰せられるので、自警団が結成され少し軽めの空気銃で追いかけるのですがいたちごっこならぬ猿ごっこで何の効果もないと聞きました。猿にとっても厳しい北国の冬を乗り切るための手段でしょうが、人間様にとってもこれこそ死活問題です。さて人様はこの光景を見て他人事だと猿に味方するでしょうが、私のようにイノシシに植えた芋を全て持ち逃げされ悔しい思いをした人間にとって見れば、人間様に同情するのは当然のことなのです。増え過ぎた猿は人間と猿の一定のルールに従って処分するのが大岡裁きではないかと思いますが、それにしても人里に下りてこなければならない猿の事情も察してやりたい心境です。

 信号で何気なく止まった車の、何気なく目をやった農家の軒先に突如として大きなイノシシがぶら下げられているのを見ました。そのイノシシは太っちょな人間の大人くらいの多分100キロを越すような大物なのです。私は信号を超えた安全な場所に車を止めてその庭先にお邪魔しました。猟友会の方でしょうか、今さばかんとする前で研がれた包丁が何本も置かれていました。聞くところによるとこのイノシシは昨日射止めたそうですがかなり抵抗して、追い込んだ猟犬も牙で痛めつけられたとのこと、憎さ百倍といった感じでした。

 中国産地のあちこちには波型トタンで囲った畑や電流を流す電線柵が沢山目に付きます。その殆どはイノシシ防御のための投資なのですが、その数たるやおびただしいもので、今では人間が人間の作った防護柵の中で暮らしているような錯覚する覚えるほどなのです。あえなく射殺されて吊り下げられる運命を辿ったこのイノシシの姿を見ているとまるで絞首刑を前にした西部劇映画のワンシーンを見ているような哀れさでした。最早この地でも人間と自然界動物との共存も難しくなってきているようです。

 道には狸やイタチなど無数の野獣が交通事故死しており、その肉を求めてカラスが群がっている光景を当たり前の光景として自動車は通り過ぎてゆきます。最初は驚いた私も慣れてきたのかそんな光景を見慣れた光景として通り過ぎる人間になっているようです。

  「猪鹿猿 まるで花札 見てるよう 山里巡る 野生王国」

  「人間が 囲いの中で 生きている 猪世界 何とも奇妙」

  「優美です でもやることは シカとやり過ぎ 木の芽木の皮」

  「昔見た 猿の惑星 映画かな 今に日本は 猿群制圧」

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shin-1さんの日記

○埼玉県へ行ってきました

 世の中には面白い人がいるといえば失礼になるかも知れませんが、私の出版した「昇る夕日でまちづくり」という本を埼玉県公連の事務局長坂本さんから「読んで見ないか」と言われ、借りて読んだだけでその内容に興味を引かれ私にインターネットで講演依頼をした人がいます。熊谷や深谷を中心とする大里地区公民館に所属して活動している寄居町の黒瀬仙一さんです。寄居町といえば前述の坂本さんが若い頃公民館主事をしていた懐かしい土地だし、かつて双海町が町名変更に取り組んだ頃、長瀞町へたった一人で勉強に行った帰りに寄った思い出の土地なのです。

 かつて13年間も公民館に勤め日本一の公民館主事を目指して奮闘した経験を持っている私としては、公民館から声がかかると、何ものもさて置いて駆けつけなければならない程の恩人ですから、誘いに乗ってのこのこと出かけて行きました。普通地区公民館といえば中央公民館があってその傘下の公民館と思いがちですが、大きなエリア公民館連絡協議会なのです。

 彼とは面識もなくただ電話とメールでのやり取りだけだったのですが、その押しの強さや送られてくる緻密な計画に「一度は会ってみたい」と心を動かされるのは当然かもしれません。ましてやかつて愛媛県公民館連合会の主事部会長をした折埼玉との交流で、埼玉県の連中の理論武装に大きな衝撃を受けた経験のある私としては、その後の公民間人のレベルを推し量る意味からも是非相対したいと思うのは当然のことかも知れません。

 言われたとおり東京から新幹線に乗って熊谷まで行き、迎えに来た黒瀬仙一さんと出会いました。会場となった深谷生涯学習センターまでの道のりは時間にして小一時間かかりますが、その間車の中で彼と思う存分話し、青年団出身ということもあって波長のあった話に花が咲きました。

 彼の案内で訪ねた深谷の町もレンガ製造の工場があった関係からか、中仙道の宿場町として栄えた面影が随所に残っていて、タイムリーにもNPOで運営している映画館の話題が数日前に朝日新聞の天声人語で紹介されたこともあって、どことなく人通りを感じる街歩きでした。

 この日のテーマは驚いたことに何と「昇る夕日でまちづくり」な本の中から引用した「日本一の公民館主事を目指して」なんて書いてあるのです。

 それでも過去を思い出しながら、昨年まで教育長と中央公民館長を兼務した学びが生きて、楽しいお喋りをすることが出来ました。会場は満席で、熱気ムンムンといった感じでした。

 私の話に先立って若い公民館主事3人が発表に立ちました。「あああんな初々しい頃が自分にもあったなあ」と感慨深げに聞かせてもらいましたが、彼や彼女たちの初心とも思える発表の経験は、長い人生のほんの小さな出発かも知れませんが、「頑張って欲しい」と発表の前の打ち合わせで大きなエールを送りました。

 同じ地区内といいながら、顔見知りの人が多い集会はかえってやりにくいものです。額に滲んだ汗がそれを物語っているようでした。

 最近は前置きした話で私の講演の模様をビデオで撮影する風景も見られます。ビデオ写りの悪い私としては断りたいのですがそうもいかず、求めに応じますが、話が弾むとビデオの存在など感じる間もなく話が終わってしまいますから、そんなに気にすることはないでしょう。

 講演終了後熊谷の駅まではラッシュにかかったこともあってやっとの思いでヒヤヒヤものでしたが、何とか新幹線にも乗れ大宮で新宿ラインに乗り換えて、無事次の移動が出来ました。

 合併して公民館が危ないと思っています。施設の管理運営が指定管理者制度の導入で危うくなりつつあり、予算も財政難で大幅削減の洗礼を受けています。また人材の配置も次第に削減されつつあります。合併後のまちづくりは思わぬ方向に進んでおり
当分は公民館受難の時代となりそうです。

  「青年団 死語になったと 思いきや 経験活かし 頑張る人あり」

  「恩受けた 恩を返すは 当たり前 俺の力じゃ 役にも立たぬが」

  「一枚の 異動辞令で 涙出た そんな時代も あった懐かし」

  「何時の世も 結局人が やるものだ 公民館は これから先も」


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shin-1さんの日記

○鳥取米子市は綺麗な街でした②

 鳥取県には東部に鳥取市、中部に倉吉市、西部に米子市と中心となる市街地があり、それぞれ独特の文化圏を築いているため特徴があって結構楽しい旅が楽しめます。しかし瀬戸内海に面した私たちの街から行くには瀬戸内海に架かった3つの橋の何れかを渡り、山深い中国山脈を越えなければならず、米子道や浜田道が抜けたからといって結構遠い場所であることに変わりはありません。いつも島根や鳥取の山陰に行って思うのですが、島根や鳥取の県境までは意外と多いのに、県境のトンネルを越えると意外と近いことを実感するのです。

 これまでは島根も鳥取も米子を経由することが多かったため、松山~岡山~米子を特急しおかぜと特急やぐもを乗り継いで行くJR列車利用の旅が殆どでした。ところが最近はわが町から一旦松山に各駅停車の列車に乗って出なければならない煩わしさや、帰りが深夜になる場合が多く妻の迎えが中々かみ合わないため、結局は自家用車の気ままな一人旅が多くなったようです。そのためでしょうか私の愛車は高知県四万十市西土佐5千キロの旅や熊本への出張もあって、このところメーターがうなぎ上りで走行メーターが増加しているのです。

 前日米子入りした私は、大西さんが予約してくれた駅前のワシントンホテルに逗留しました。駅から外へ出ることで米子の空気や風を感じていた私にとって、今回の旅はホテルの一室から駅舎や駅前広場を見ることになったのです。夜来の雨であいにくの朝でしたが、目が覚めてホテルの窓から下や外の景色を見ると、素敵な視界が開けていました。

 これが駅舎と駅前広場です。米子駅は何度となく降り立ちましたが、こんな素敵な景色は始めて見ました。またその前の道路はかなり広くて整備が行き届き、早朝の車の少ない時間だったためかゆったりとした秋の風情を感じ取ることが出来ました。

 かつては交通や観光の要所として栄えた米子ですが、県境のせいか宍道湖の松江市や境港の水木しげるロードなどの恩恵にあずかるような実態もあって、天下の名湯皆生温泉も大型ホテルが苦しい経営を迫られていると聞きました。

 そんな中になって、駅から程近いところに会場となった文化ホールはありました。昨年生涯学習フェスティバルで同じ壇上に立った経験を甦らせながら、車を置いて会場辺りを少し散策しました。まだ時間も早く人の気配の少ない文化ホールの前には早くも私の名前入りの看板が立っていて、道行く人が何気なく看板に目をやりながら通り過ぎて行きました。

 文化ホールの前の通りは、等間隔に彫刻が配置されとてもアカデミックな通りでしたし、色づく街路樹がその価値をなお一層引き立てていました。

 いつも屋外イベントに利用される正面玄関の広場も、雨に濡れて気高く感じられました。

 会場はかなり立派でしたし、音響も抜群でした。ただ惜しむらくは人の数が今一だったのが残念でした。でも参加した方々はかなりレベルの高い人で、人数の何倍もの迫力を感じました。「人は集まるもの」なのか、「集めるもの」なのか、生涯学習の世界では永遠の論争となっています。でも無理やりやらせで人を集めても余り意味がないと私は思っています。でも主催者としてはできるだけ多くの人の来て欲しいと願う気持ちも理解できるのです。でもでも「雨だから人が集まらない」「別の集会が重なって集まらない」という言い訳だけはしない方がいいと思うこともあるのです。

 まあ講師が悪いと思えば諦めがつくかも知れませんね

  「窓越しに 駅舎や広場 見る景色 普段と違う 見慣れた光景」

  「集めると 集まる違う 言いながら いつも苦労の 種は尽きずに」

  「山陰の どこかゆったり 歩く癖 弁当忘れて 傘も忘れて」

  「看板に 俺の名前が 書いてある うれし恥かし 急ぎ立ち去る」  


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sin-1さんの日記

○旅先で拾った話題①

 私の旅は安上がりをモットーに様々な工夫を凝らしています。工夫といっても別に工夫するのではなく安上がりなルートを探すだけなのです。急ぎの旅でもなかって上手く夜行高速バスで先方の日程に連絡できそうな先日、東京往復夜行高速バスに乗ろうと松山インター口でバスを待っていると、JR便夜行バスに乗るという中年の女性に出会いました。バスに乗るまでの待ち時間のほんの少しの会話だったのですが、その女性は夜行バスと電車を乗り継いで成田まで行くのだそうでした。「海外旅行でも?」と尋ねると、「いえいえ、実は韓国俳優の××さんに会いに行くのです」というのです。何でも「プロモーション映画を見ていると××さんが明日の飛行機で成田に着くというニュースが飛び込んできたので、いても立ってもいられず一目だけでも見に行こうと仲間を誘い2人で行くのです。会えるといいのですが・・・」と不安そうな中にも目を輝かせて言うのです。この女性は見たところ四十歳半ば、中学生の娘と旦那もいるのだというのです。「ご主人や娘さんは××さんに会いに行くといったらどう言いましたか」と訪ねると、「あきれ返っていました」とあっけらかんで笑い、「私馬鹿でしょう」と私に同調を求めてきましたが、「いえいえ、やりたいことをやるのが一番ですからねえ」と相槌を打ったものの、心の中では「おっしゃるとおりあなたは馬鹿です」といってやりたいような気持ちになりました。私の妻は多分そんな馬鹿な行動はしないと思いますが、もし私の妻がこんな話を切り出すともう離婚問題に発展するかもしれないとあきれ返りました。

 明くる日私は講演の仕事を済ませ、同じバスに乗るべく新宿西口19時10分発のバスを待ちました。何と驚いたことにその女性と友人の二人が同じバスに乗り込もうとしているではありませんか。女性は「ご縁が深いですね」とあいさつをするので、「如何でしたか。××さんには会えましたか」と尋ねると、「何せ凄い人で、ほんの一瞬顔をチラって感じで通り過ぎました。でも会えて満足です」と目と顔をうっとりさせながら幸せそうに言うのです。「見てください彼の写真です。素敵でしょう」と、10枚ほどの××さんのブロマイドを見せながら、まるでわが孫の写真のように自慢するのです。その夜のバスの中は何時になく二人のひそひそ話しが耳について中々眠れませんでした。

 あくる朝眠れない夜を過ごしたお二人も私と同じように松山インター口で下車しましたが、何とその奥さんを迎えに来たご主人とばったり、とても優しそうな人でした。「どうだった」と聞くあたり、このご主人も相当いかれているなとも感じつつこの家庭の有り様や中学二年の子どもとの関係をいろいろ考えて見ました。

 中学2年生の娘が××さんを追っかけて成田まで行くというのは、若いのですから一応納得できる話です。でも子持ちの主婦がいくら韓流ブームだからといったって、××さんを追っかけて成田まで行くというのは、余りにも幼稚で自制心がないとしかいいようがありません。ここら辺にも今の家庭教育の貧困さが隠されているように思うのです。何か問題があったらやれ学校の責任だと騒ぐのに、自分の行動はまるで成長しない動物のようです。こんな母親に育てられた子どもは一体どんな母親になるのでしょう。韓国人俳優が来日する度に群がる中年女性の姿をテレビで見る度に「あれは都会の出来事だ」と思っていたのに、現実に愛媛の松山での出来事だっただけに少々ショックでした。××さんの追っかけに投資したお金は多分安く見積もっても片手5万円くらいは要ったでしょうが、家庭主婦ののやりくりにとってこの金額は決して安い金額ではありますまいにと、この女性の財布が気になった出来事でした。

  「娘なら 分るがおばちゃん 成田まで 追っかけ出来る 日本は平和」

  「夜行バス 乗り継ぎ×× 追いかける もっとやること おありでしょうに」

  「この人の 旦那の顔が 見てみたい 思う目先に しょぼくれ旦那」

  「俺の妻 ××見たいと 成田行く そんなら離婚だ 俺の家庭は」


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shin-1さんの日記

○鳥取の愉快な仲間たち①

 「お父さん、つい最近鳥取に行く機会が多いがいい人でも出来たのじゃないですか」と笑って妻がいうとおり、最近鳥取へ行く機会が多いようです。事始は9月19日鳥取県伯耆町まちづくり講演会に招かれ、鳥取ではありませんが鳥取を通って島根県隠岐西ノ島牧畑シンポジウムへ行ったのは10月6日のことでした。それから10月12日に鳥取県北栄町のコナンのまちづくり委員会、11月6日に鳥取県江府町のまちづくり講演会、今回の11月18日米子講演会と3ヶ月で5回もお邪魔しているのですから、いい人が出来たといわれても仕方がないくらいです。しかもその殆どが旧友伯耆町、旧溝口町の人権室長の大下さんが微妙に絡んでいるのです。更に来月12月10日には鳥取県日野町の生涯学習大会に招かれており、どう表現してよいか分らないくらいすっかり鳥取通になりました。

 鳥取へは高速道路を使うと簡単に行けるのですが、鳥取の四季を味わおうと出来るだけ往復沿線の知人と出会う用事を作って途中で少し高速道路を降り、一般道を使い沿線の風物を写真に収めて小さな一人だけの旅を楽しました。今回も少し手前で高速道路を降り、峠道の紅葉を存分に楽しむことが出来ましたが、あいにくの雨模様で写真には写しませんでした。それでも県境の峠を越えた瞬間伯耆大山の山頂に雪を抱いている素敵な水墨画的光景にはこれまた魅せられてしまいました。

 (ここまでブログを書いて時間切れで登録し、埼玉県深谷市への旅に出ました。昨日帰ってきてメールを開くと鳥取県日野町の飛田さんからメールが入っていました。この峠は明智峠というのだそうです。飛田さんは12月10日の研修会の担当者で、彼からは4枚もの名刺をいただいていましたが、その一枚はこの写真のロケーションだったのです。どうりで美しいはずでした。)

 出発間際になって米子市教育委員会の大西さん、大山町養育委員会の入江さん、日吉津村総務課の前田さんから相次いでメールが入り一瞬「えっ」と思いましたが、夕方6時から私が鳥取入りしたことを理由にわざわざ開いてくれた懇親会でその訳が分りました。今回の担当者の大西さんは一番上の少し太めの方ですが、大山町の汐田美穂さんも紅一点で駆けつけ2次会まで付き合ってくれました。


 その夜の交流会は県公連の会長さんも参加する大掛かりなものとなりました。

 飲み屋の料理は所変われば品変わるで、ナマズの活け造りまで登場するというもので、鳥取の人情と料理にはさすがの私も脱帽でした。

 鳥取の居酒屋は満席で、あちらこちらに顔見知りの人がいて、特に日吉津村の前田さんはメールどおり別の会合と飲み会の後合流してくれましたが、最後は誰が主役なのかわからないほどの盛り上がりでした。

 私はかつて教育委員会で社会教育主事と公民館主事を13年間勤め、最後の2年間は教育長と中央公民館長を兼務したので、通算15年間教育に携わりました。35年間の役場生活の20年間がまちづくりですから全てが住民運動だった訳です。その間日本全国各地の皆さんとこうして出会い、深いご縁をいただいて様々な学びをしてきました。鳥取県で出会った一人一人の顔を思い浮かべながら、また次なる出会いを楽しみにしています。

  「若松が 来るからみんな 集まれと 居酒屋まるで 蜂の巣のよう」

  「グロテスク ナマズの顔が 俺見てる 地震博士も 自信なさそに」

  「三瓶に 似てる米子の 担当者 みんなに言うと みんな納得」

  「高速を ちょいと降り行く 峠にて 大山雪の 帽子頭に」



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shin-1さんの日記

○最近は宇和島に何かとご縁が

 愛媛県貯蓄広報委員会が「知って得する金融講座」の一環として商店街で研修会を開き、その講師に招かれて片道2時間の道程を宇和島市まで出掛けました。最近は宇和島に何かとご縁があって、先日は生協の招きで「生活設計講演会」に招かれ、また2ヶ月前には福路町商店街の「地域活性化講演会」とまったくジャンルの違う話を、都合3度もする羽目になりました。あなたの得意はと聞かれたら、どれも得意でどれも不得意と中途半端な自分が少々情けないくらいでしたが、いずれも1時間30分の決められた時間をそれなりに話をして役割を果たしました。今日、偶然にもその3回の講演会全てに参加した人がひとりいて、当の私はまるで首実験のようで赤面してしまいましたが、相手は私のレパートリーの広さに脱帽したと、一応美辞麗句を並べてくれましたが、はてさて信じてよいかどうか心配です。

 最初袋町商店街の中にあるホテルのホールで行った地域活性化は「地域づくり」や「地域活性化」、いわゆるまちづくりというもので、私の20年間の実践や成果を考えると最も自信に満ちた話でしょう。夕日をキーワードに小さな双海町という町に年間55万人の観光客が訪れることや第三セクターの経営成功などを話すと5時間や6時間でも話せるほど話題は尽きないのです。お陰さまで集まった人からは好評を得ましたし、それがご縁で既に商店主とのメールや手紙のやり取り、新しい実践に向けてのアドバイスなど話が進んでいます。

 2回目は小高い丸山公園にある厚生年金休暇センター生協の組合員に呼びかけて生活設計についての講演会でした。この講演会のテーマは貯蓄推進委員という肩書きから金融広報アドバイザーに名前は変わっても30年の長きに渡って実践地区や若者のたちに対して生活設計の重要性を説いてきた私にとってはこれまた十八番の話なのです。金銭の貯蓄、人間関係の貯蓄、健康の貯蓄、知識の貯蓄、感動の貯蓄をベースに話す講演は、綿新人せいそのものなので、このときも沢山の人が集まり大盛況でした。特に追っかけと呼ばれるような人も来てくれ嬉しい再開が実現しました。

 さて3回もの今日は恵美須町商店街の一角に空き店舗を利用して開設されている「えびす町こどもランド」という商店街アーケードの真ん中にあるオープンスペースで行われました。最初は人数こそ少なかったものの次第に人が増え、終わる頃には満席の盛況でした。ここでの話は金銭教育をベースにした子育論です。この話は社会教育13年、教育長2年の教育実績に加え無人島キャンプなどを二十年にわたって行ってきたボランティア活動の経験があるものですから、まあこれも自信のあるなしでしょう。特にわが子を4人も育てた子育て実績や、PTA会長を6年間やるなど青少年活動は枚挙に暇がありません。


 結局自分のこれまでの活動が存分に生かされる結果となりました。これまでもこれからも、この3つのテーマは人間牧場に凝縮されて成長を続けてゆくことでしょう。忙しい目をして忙しい活動をやった意味があると宇和島3回の講演会に招かれて思いました。

  「同じ街 まったく違う テーマにて 講演仕組む 俺はしたたか」

  「同じ人 同じ私の 話聞く まったく違う 話に驚き」

  「同じ街 テーマ違うと 顔ぶれも 違う当然 でもひとり」

  「もう一度 あなたの話し 聞きたいと 二時間道程 車走らせ」


 この方がわざわざ三崎半島旧瀬戸町から来ていただいた緒方二三子さんです。私の誕生日をおぼえていて、毎年花束やサツマイモをプレゼントしていただいています。4人の子持ちの元気で素敵なお母さんです。

 

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shin-1さんの日記

○燃え尽きる孫の一日

 嫁いでいる娘に二子の出産の兆しが見えたのは夏の盛りの頃でした。助産婦をしている娘ゆえの知識過多もあって何かと心配の種が多いのか、つわりが激しいのか周りから見た感じの妊娠症状は少しオーバーに表現すれば病気のような感じでした。助産婦としてそんな患者さんを毎日見ているのだから、それなりの対処法もあるだろうにと親の目から見れば不足気味の状態でした。

松山という近所に住むよしみで、また娘夫婦の子育ての手助けをしてやろうとする親心のよしみで、孫の世話というやっかいな仕事を分担しながら日々の暮しを組み立てている今日この頃です。

 昨日は娘の仕事が遅くなるので、松山の幼稚園へ迎えに行かなければなりません。迎えといっても目と鼻の先の幼稚園ではなく片道25キロですから車が混雑する松山のラッシュの時間帯ですから車で小一時間かかります。昨日は午前中大洲青少年交流の家、午後は伊予厚生年金センターでそれぞれ会議が入っていて忙しい日程を終えて幼稚園に到着したのは午後4時過ぎでした。幼稚園は3時までに殆どの子どもが迎えに来た親や祖父母と共に帰るので、働く親のために居残り保育が行われているのです。孫も居残りの一人で、先生がひとりついているのですが、集団保育というよりは思い思いに目の届く範囲で遊ばせるような雰囲気なのです。

 孫は最初居残りを寂しく感じていたようで、幼稚園に連れて行く度に「今日は居残り?」なんて言葉を私に言って確認し自分で自分を納得させているようでした。また迎えに来るパターンが2つあって、母親が迎えに来る日は松山のわが家、おじいちゃんが迎えに来る日は双海町の実家と決めているようなのです。多分その様子を見ればみんなと同じ3時に母親に迎えに来て欲しいような寂しさが見え見えのようです。

 午後4時過ぎ私が幼稚園に到着すると孫は他の数人とジャングルジムのに登って遊んでいました。先生が「おじいちゃんが迎えに来たよ」と声を掛けると、大きな手を振って嬉しそうに降りてきました。まあその姿を見たとき「凄い」と思いました。朝出る時の姿を知っていますから、顔の汚れ、衣服の汚れは尋常ではないほど泥と汗によって「泥んこ」という表現がピッタリの姿なのです。娘からくもんという家の近所の小さな塾に連れて行くよう頼まれていたので、車を道後のマンションに止めて歩いて孫の手を引き出掛けました。その頃には孫の姿が何となく元気がなくうつろな感じもしましたが、約30分のお任せをして5時に迎えに来るよう言われたので、そこら辺の神社仏閣辺りを散策散歩し、万歩計が約5000歩を見計らって再びくもん塾に迎えに行ったのです。そこへ行って驚いたのは孫の姿でした。くもん塾の玄関でスヤスヤと眠っているのです。塾の先生が気遣って起して学びを促すのですが完全にアウトなのです。私は孫を抱きかかえ車に戻り助手座席に座らせてシートベルトをして車を走らせました。孫は少し正気に戻ったのか、孫のために用意していたおやつのクッキーを食べながら眠気から冷めたのです。

 「燃え尽きる」という表現がピッタリかどうかは分りませんが、幼稚園で泥んこになって遊んだ姿やくもん塾ですやすや眠る孫の姿を見てそう思いました。普通この姿を見たとき遊び疲れた姿やくもん塾で人はばかることもなく眠る姿は格好悪い姿です。でも私の目には孫は孫なりに幼稚園の遊びを目一杯生きてると感じました。「燃え尽きる」姿は素晴らしいとも思いました。

 孫は「何でこんなによく寝るのだろう」と思うほどよく寝ます。「寝る子は育つ」という諺が本当ならば、この孫は正真正銘の諺の落し子なのです。最近夜更かしで眠い子が問題になりますが、孫は確実に9時には寝ます。そして朝も7時まで夜は一度も目を覚ますこともなく眠ります。その睡眠は10時間を越えるのです。

 建国記念の日である11月23日に生まれた孫はあと一週間で4歳の誕生日を迎えます。「僕はお兄ちゃんになる」とか、「僕は4歳になる」とか

「僕」という言葉もすっかり板についてきた成長著しい孫の姿は朝の姿、夕方は燃え尽きたマッチ棒のような汚れた姿、まあこの落差が子どもの本当の姿なのでしょう。子どもは子どもらしくあって欲しいと願っています。

 「じいちゃーん」、向こうの居間で私を呼ぶ目覚めの孫の声が聞こえます。いい朝です。今朝は伊予市の病院へ親父を同乗させて病院まで送り、孫を送った後診療の終わった親父を迎えに立ち寄り、その後は宇和島で子育て講演会に向かいます。今日も忙しい一日になりそうです。

  「孫眠る 塾の玄関 驚いた 燃え尽きぐったり これでいいのだ」

  「寝太郎と あだ名付けたい 孫姿 寝る子育つか これでいいのだ」

  「孫四つ あれから俺も 歳四つ 同じ四つでも 俺はマイナス」

  「孫言葉 時々驚く ことがある どこで習うか 意味さえ分らず」



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shin-1さんの日記

○レパートリーが広くなりました

 私の武器は知識はないが多少の知恵と、理論はないが実践から生まれた多少の論理です。多少の知恵と多少の論理を巧みに使って、様々な場所で様々なテーマに沿ってお話をするのです。その場合、他の人のように美しい文字を黒板やホワイトボードに書くでもなく、またパソコンを使ってデータや映像を見せるでもなく、またレジメを用意して配るでもない、まったく無防備の言葉だけが勝負の世界に挑んでいます。これはアドリブで機転が利いたり心の中の引き出しにジャンル毎の事例が多くないと、2時間とか3時間の講演や講義は持たなくなります。大衆の面前で恥をかかないためには、大衆の面前で恥をかき、恥をかかない訓練を何度となくしなければならないのです。私はこの訓練を「話芸訓練」と考えています。漫才師や落語家が話芸を仕上げてゆくのに、2年とも3年ともいう下積みの世界を経験し、なお一つのネタを話として人前で披露するのに何回も練習するという話を聞いて、話芸を磨き真打などというレベルへ到達するまでの厳しさを実感するのです。

 私には漫才師や落語家のような師匠が残念ながらいません。ですから独学です。独学は人の色に染まらない独特のオンリーワンの世界なのですが、独断と独善のためマンネリに陥りやすく、ほおっておいたら自然と楽な道を歩こうとします。つまり日々の訓練を怠り過去の遺産でお茶を濁そうとするのです。

 そんな私の訓練に嬉しくも強い見方が登場しました。ブログとハーモニカです。ブログはデジタル時代の文字書きなので、話芸とは一見何の関係もなさそうなのですが、実は深い関係があって①話芸のネタを仕込む、②話芸のストーリーを考える、③話芸の結果を公表する、④話芸の反応を確認する、⑤話芸のエリアを広げる、⑥話芸のネットワークをつくる、⑦話芸の魅力を伝えるなどの道具として重宝に使えるのです。ブログで自分の知らなかったデジタル世界の話題を沢山拾いました。それらを組み合わせ話芸のストーリーを仕上げてゆきました。自分の話芸の話を公表し人々の画面上で交流しましたし今も盛んに交流しています。私の話芸への反響もデジタルによって入り、その成果を確認しています。ブログやメールでエリアも随分広くなってきました。

話芸のネットワークも今まで以上に全国へと広がり、話芸の魅力は留まるところ知らず核分裂を繰り返しながら広がっているのです。ブログが私の話芸の深さ・広さ・大きさに磨きをかけつつあるのです。

 ハーモニカも今ではなくてはならない持ち物に変身しつつあります。カバンに忍ばせてあちらこちらの会場で披露するのですが、お世辞のアンコール拍手が起こる度に日本的音楽の魅力にとりつかれレパートリーを広げています。音楽音痴だった私には考えられなかった成長で、今では特老や公民館などからおしゃべり話芸とハーモニカをセットでお座敷がかかるほどになりました。ハーモニカも楽譜を読めない私には即興です。歌さえ知ってれば何とか詰まりながらも吹けるようになりました。

 今日も話芸とハーモニカの手前味噌なコラボレーションが始まりますよ。さあいらっしゃい、いらっしゃい。

  「俺の武器 楽し話芸と ハーモニカ たったこれでも 人は喜ぶ」

  「アドリブで 話芸披露の 講演会 また来て笑顔 ばあちゃん拍手」

  「演奏が 終わって拍手 勘違い アンコールだと 思って更に」

  「暇あらば 車の中で ハーモニカ 練習してる 成果上がりて」 


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shin-1さんの日記

○野の花の美しさ

 ガーデニングブームで街中に花が溢れる平和な時代を迎えていますが、ガーデニングを楽しむ人は何故か作った花を自分の庭や塀で囲い込み、自分だけの内向きな花として鑑賞してる人が多いようです。かつて私は世界一の花の街といわれるニュージーランドクライストチャーチを海外派遣団の団長として訪ねたことがありますが、この街ではガーデニングが盛んなのですが、勿論家で花を楽しんでいますが、その花の一部を外向きにして街に暮らす人々にも見えるようにしている姿を見て、風土や人間性のの違いを思い知らされました。日本だと外向きに花を飾っていると、心無い人が植木鉢毎持って行く者もいて、中々うまくいかないのが実情のようです。

 今日は愛媛大学の講義日でそれ以外に夕方までスケジュールが空いているので、久しぶりに大根畑の大根を漬物用に引き抜いて水洗いし6本まとめてビニール紐で縛り、あらかじめ用意した竿に振り分けながら吊るして干しました。今年も大根は豊作で、仕事に出かける前に妻が抜くのは30本と言って出かけたので30本の大根を引き抜きました。葉っぱの緑、青首、土に埋まった白い肌など、まさに自然の芸術品とでもいえる大根が、晩秋の太陽と風に晒されている風情は田舎の長閑さを象徴しているようです。いつもの年だとおやじが全ての作業をやるのですが、足をひねって昨日病院へ連れて行ったばかりなので無理をさせれず、私の出番とあいなりました。

 3日前から一年収めの九州場所も始まり、いよいよ冬支度です。私が子どもの頃の昔は九州場所頃はもっと寒かったように思うのですが、今日の水仕事も全然冷たくもなくむしり爽やかな感じがするほどでした。

 流れる雲も穏やかでわが家の借景と思われる本尊山の周辺はハゼ紅葉やクヌギの木がようやく色づき始め、裏山には盛りを過ぎようとしているツワブキや野菊が名残の美しさを見せようとひっそりと咲いていました。野の花は派手さはないものの清楚でどこか気品に溢れています。一生懸命咲いているこれらの花は見られ愛でられることもなくやがては野に枯れる運命にあるのですから、せめて咲いている間でも愛でてやりたいものです。

 わが家の庭にも秋の気配が漂って、親父の作である裏庭の枯れ木や石に這わせたノキシノブが見事な紅葉を見せています。このノキシノブの紅葉が枯れて風に飛ばされ荒縄のようになったらいよいよ本格的な冬将軍がやって来るのです。

 それにしても見事でしょう。


  「野の花を 愛でる気持ちは 自由人 風流肴に 酒も飲めぬに」

  「大根の 緑と白の 色分けて 竿に吊るして しわ寄るを待つ」

  「ノキシノブ 紅葉に熟れて 彩りを そえつつ庭で 季節深まる」

  「この色を 亡き母見ては 褒めていた 俺の言葉を 誰が思いし」

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