shin-1さんの日記

○鳥取米子市は綺麗な街でした②

 鳥取県には東部に鳥取市、中部に倉吉市、西部に米子市と中心となる市街地があり、それぞれ独特の文化圏を築いているため特徴があって結構楽しい旅が楽しめます。しかし瀬戸内海に面した私たちの街から行くには瀬戸内海に架かった3つの橋の何れかを渡り、山深い中国山脈を越えなければならず、米子道や浜田道が抜けたからといって結構遠い場所であることに変わりはありません。いつも島根や鳥取の山陰に行って思うのですが、島根や鳥取の県境までは意外と多いのに、県境のトンネルを越えると意外と近いことを実感するのです。

 これまでは島根も鳥取も米子を経由することが多かったため、松山~岡山~米子を特急しおかぜと特急やぐもを乗り継いで行くJR列車利用の旅が殆どでした。ところが最近はわが町から一旦松山に各駅停車の列車に乗って出なければならない煩わしさや、帰りが深夜になる場合が多く妻の迎えが中々かみ合わないため、結局は自家用車の気ままな一人旅が多くなったようです。そのためでしょうか私の愛車は高知県四万十市西土佐5千キロの旅や熊本への出張もあって、このところメーターがうなぎ上りで走行メーターが増加しているのです。

 前日米子入りした私は、大西さんが予約してくれた駅前のワシントンホテルに逗留しました。駅から外へ出ることで米子の空気や風を感じていた私にとって、今回の旅はホテルの一室から駅舎や駅前広場を見ることになったのです。夜来の雨であいにくの朝でしたが、目が覚めてホテルの窓から下や外の景色を見ると、素敵な視界が開けていました。

 これが駅舎と駅前広場です。米子駅は何度となく降り立ちましたが、こんな素敵な景色は始めて見ました。またその前の道路はかなり広くて整備が行き届き、早朝の車の少ない時間だったためかゆったりとした秋の風情を感じ取ることが出来ました。

 かつては交通や観光の要所として栄えた米子ですが、県境のせいか宍道湖の松江市や境港の水木しげるロードなどの恩恵にあずかるような実態もあって、天下の名湯皆生温泉も大型ホテルが苦しい経営を迫られていると聞きました。

 そんな中になって、駅から程近いところに会場となった文化ホールはありました。昨年生涯学習フェスティバルで同じ壇上に立った経験を甦らせながら、車を置いて会場辺りを少し散策しました。まだ時間も早く人の気配の少ない文化ホールの前には早くも私の名前入りの看板が立っていて、道行く人が何気なく看板に目をやりながら通り過ぎて行きました。

 文化ホールの前の通りは、等間隔に彫刻が配置されとてもアカデミックな通りでしたし、色づく街路樹がその価値をなお一層引き立てていました。

 いつも屋外イベントに利用される正面玄関の広場も、雨に濡れて気高く感じられました。

 会場はかなり立派でしたし、音響も抜群でした。ただ惜しむらくは人の数が今一だったのが残念でした。でも参加した方々はかなりレベルの高い人で、人数の何倍もの迫力を感じました。「人は集まるもの」なのか、「集めるもの」なのか、生涯学習の世界では永遠の論争となっています。でも無理やりやらせで人を集めても余り意味がないと私は思っています。でも主催者としてはできるだけ多くの人の来て欲しいと願う気持ちも理解できるのです。でもでも「雨だから人が集まらない」「別の集会が重なって集まらない」という言い訳だけはしない方がいいと思うこともあるのです。

 まあ講師が悪いと思えば諦めがつくかも知れませんね

  「窓越しに 駅舎や広場 見る景色 普段と違う 見慣れた光景」

  「集めると 集まる違う 言いながら いつも苦労の 種は尽きずに」

  「山陰の どこかゆったり 歩く癖 弁当忘れて 傘も忘れて」

  「看板に 俺の名前が 書いてある うれし恥かし 急ぎ立ち去る」  


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sin-1さんの日記

○旅先で拾った話題①

 私の旅は安上がりをモットーに様々な工夫を凝らしています。工夫といっても別に工夫するのではなく安上がりなルートを探すだけなのです。急ぎの旅でもなかって上手く夜行高速バスで先方の日程に連絡できそうな先日、東京往復夜行高速バスに乗ろうと松山インター口でバスを待っていると、JR便夜行バスに乗るという中年の女性に出会いました。バスに乗るまでの待ち時間のほんの少しの会話だったのですが、その女性は夜行バスと電車を乗り継いで成田まで行くのだそうでした。「海外旅行でも?」と尋ねると、「いえいえ、実は韓国俳優の××さんに会いに行くのです」というのです。何でも「プロモーション映画を見ていると××さんが明日の飛行機で成田に着くというニュースが飛び込んできたので、いても立ってもいられず一目だけでも見に行こうと仲間を誘い2人で行くのです。会えるといいのですが・・・」と不安そうな中にも目を輝かせて言うのです。この女性は見たところ四十歳半ば、中学生の娘と旦那もいるのだというのです。「ご主人や娘さんは××さんに会いに行くといったらどう言いましたか」と訪ねると、「あきれ返っていました」とあっけらかんで笑い、「私馬鹿でしょう」と私に同調を求めてきましたが、「いえいえ、やりたいことをやるのが一番ですからねえ」と相槌を打ったものの、心の中では「おっしゃるとおりあなたは馬鹿です」といってやりたいような気持ちになりました。私の妻は多分そんな馬鹿な行動はしないと思いますが、もし私の妻がこんな話を切り出すともう離婚問題に発展するかもしれないとあきれ返りました。

 明くる日私は講演の仕事を済ませ、同じバスに乗るべく新宿西口19時10分発のバスを待ちました。何と驚いたことにその女性と友人の二人が同じバスに乗り込もうとしているではありませんか。女性は「ご縁が深いですね」とあいさつをするので、「如何でしたか。××さんには会えましたか」と尋ねると、「何せ凄い人で、ほんの一瞬顔をチラって感じで通り過ぎました。でも会えて満足です」と目と顔をうっとりさせながら幸せそうに言うのです。「見てください彼の写真です。素敵でしょう」と、10枚ほどの××さんのブロマイドを見せながら、まるでわが孫の写真のように自慢するのです。その夜のバスの中は何時になく二人のひそひそ話しが耳について中々眠れませんでした。

 あくる朝眠れない夜を過ごしたお二人も私と同じように松山インター口で下車しましたが、何とその奥さんを迎えに来たご主人とばったり、とても優しそうな人でした。「どうだった」と聞くあたり、このご主人も相当いかれているなとも感じつつこの家庭の有り様や中学二年の子どもとの関係をいろいろ考えて見ました。

 中学2年生の娘が××さんを追っかけて成田まで行くというのは、若いのですから一応納得できる話です。でも子持ちの主婦がいくら韓流ブームだからといったって、××さんを追っかけて成田まで行くというのは、余りにも幼稚で自制心がないとしかいいようがありません。ここら辺にも今の家庭教育の貧困さが隠されているように思うのです。何か問題があったらやれ学校の責任だと騒ぐのに、自分の行動はまるで成長しない動物のようです。こんな母親に育てられた子どもは一体どんな母親になるのでしょう。韓国人俳優が来日する度に群がる中年女性の姿をテレビで見る度に「あれは都会の出来事だ」と思っていたのに、現実に愛媛の松山での出来事だっただけに少々ショックでした。××さんの追っかけに投資したお金は多分安く見積もっても片手5万円くらいは要ったでしょうが、家庭主婦ののやりくりにとってこの金額は決して安い金額ではありますまいにと、この女性の財布が気になった出来事でした。

  「娘なら 分るがおばちゃん 成田まで 追っかけ出来る 日本は平和」

  「夜行バス 乗り継ぎ×× 追いかける もっとやること おありでしょうに」

  「この人の 旦那の顔が 見てみたい 思う目先に しょぼくれ旦那」

  「俺の妻 ××見たいと 成田行く そんなら離婚だ 俺の家庭は」


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shin-1さんの日記

○鳥取の愉快な仲間たち①

 「お父さん、つい最近鳥取に行く機会が多いがいい人でも出来たのじゃないですか」と笑って妻がいうとおり、最近鳥取へ行く機会が多いようです。事始は9月19日鳥取県伯耆町まちづくり講演会に招かれ、鳥取ではありませんが鳥取を通って島根県隠岐西ノ島牧畑シンポジウムへ行ったのは10月6日のことでした。それから10月12日に鳥取県北栄町のコナンのまちづくり委員会、11月6日に鳥取県江府町のまちづくり講演会、今回の11月18日米子講演会と3ヶ月で5回もお邪魔しているのですから、いい人が出来たといわれても仕方がないくらいです。しかもその殆どが旧友伯耆町、旧溝口町の人権室長の大下さんが微妙に絡んでいるのです。更に来月12月10日には鳥取県日野町の生涯学習大会に招かれており、どう表現してよいか分らないくらいすっかり鳥取通になりました。

 鳥取へは高速道路を使うと簡単に行けるのですが、鳥取の四季を味わおうと出来るだけ往復沿線の知人と出会う用事を作って途中で少し高速道路を降り、一般道を使い沿線の風物を写真に収めて小さな一人だけの旅を楽しました。今回も少し手前で高速道路を降り、峠道の紅葉を存分に楽しむことが出来ましたが、あいにくの雨模様で写真には写しませんでした。それでも県境の峠を越えた瞬間伯耆大山の山頂に雪を抱いている素敵な水墨画的光景にはこれまた魅せられてしまいました。

 (ここまでブログを書いて時間切れで登録し、埼玉県深谷市への旅に出ました。昨日帰ってきてメールを開くと鳥取県日野町の飛田さんからメールが入っていました。この峠は明智峠というのだそうです。飛田さんは12月10日の研修会の担当者で、彼からは4枚もの名刺をいただいていましたが、その一枚はこの写真のロケーションだったのです。どうりで美しいはずでした。)

 出発間際になって米子市教育委員会の大西さん、大山町養育委員会の入江さん、日吉津村総務課の前田さんから相次いでメールが入り一瞬「えっ」と思いましたが、夕方6時から私が鳥取入りしたことを理由にわざわざ開いてくれた懇親会でその訳が分りました。今回の担当者の大西さんは一番上の少し太めの方ですが、大山町の汐田美穂さんも紅一点で駆けつけ2次会まで付き合ってくれました。


 その夜の交流会は県公連の会長さんも参加する大掛かりなものとなりました。

 飲み屋の料理は所変われば品変わるで、ナマズの活け造りまで登場するというもので、鳥取の人情と料理にはさすがの私も脱帽でした。

 鳥取の居酒屋は満席で、あちらこちらに顔見知りの人がいて、特に日吉津村の前田さんはメールどおり別の会合と飲み会の後合流してくれましたが、最後は誰が主役なのかわからないほどの盛り上がりでした。

 私はかつて教育委員会で社会教育主事と公民館主事を13年間勤め、最後の2年間は教育長と中央公民館長を兼務したので、通算15年間教育に携わりました。35年間の役場生活の20年間がまちづくりですから全てが住民運動だった訳です。その間日本全国各地の皆さんとこうして出会い、深いご縁をいただいて様々な学びをしてきました。鳥取県で出会った一人一人の顔を思い浮かべながら、また次なる出会いを楽しみにしています。

  「若松が 来るからみんな 集まれと 居酒屋まるで 蜂の巣のよう」

  「グロテスク ナマズの顔が 俺見てる 地震博士も 自信なさそに」

  「三瓶に 似てる米子の 担当者 みんなに言うと みんな納得」

  「高速を ちょいと降り行く 峠にて 大山雪の 帽子頭に」



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shin-1さんの日記

○最近は宇和島に何かとご縁が

 愛媛県貯蓄広報委員会が「知って得する金融講座」の一環として商店街で研修会を開き、その講師に招かれて片道2時間の道程を宇和島市まで出掛けました。最近は宇和島に何かとご縁があって、先日は生協の招きで「生活設計講演会」に招かれ、また2ヶ月前には福路町商店街の「地域活性化講演会」とまったくジャンルの違う話を、都合3度もする羽目になりました。あなたの得意はと聞かれたら、どれも得意でどれも不得意と中途半端な自分が少々情けないくらいでしたが、いずれも1時間30分の決められた時間をそれなりに話をして役割を果たしました。今日、偶然にもその3回の講演会全てに参加した人がひとりいて、当の私はまるで首実験のようで赤面してしまいましたが、相手は私のレパートリーの広さに脱帽したと、一応美辞麗句を並べてくれましたが、はてさて信じてよいかどうか心配です。

 最初袋町商店街の中にあるホテルのホールで行った地域活性化は「地域づくり」や「地域活性化」、いわゆるまちづくりというもので、私の20年間の実践や成果を考えると最も自信に満ちた話でしょう。夕日をキーワードに小さな双海町という町に年間55万人の観光客が訪れることや第三セクターの経営成功などを話すと5時間や6時間でも話せるほど話題は尽きないのです。お陰さまで集まった人からは好評を得ましたし、それがご縁で既に商店主とのメールや手紙のやり取り、新しい実践に向けてのアドバイスなど話が進んでいます。

 2回目は小高い丸山公園にある厚生年金休暇センター生協の組合員に呼びかけて生活設計についての講演会でした。この講演会のテーマは貯蓄推進委員という肩書きから金融広報アドバイザーに名前は変わっても30年の長きに渡って実践地区や若者のたちに対して生活設計の重要性を説いてきた私にとってはこれまた十八番の話なのです。金銭の貯蓄、人間関係の貯蓄、健康の貯蓄、知識の貯蓄、感動の貯蓄をベースに話す講演は、綿新人せいそのものなので、このときも沢山の人が集まり大盛況でした。特に追っかけと呼ばれるような人も来てくれ嬉しい再開が実現しました。

 さて3回もの今日は恵美須町商店街の一角に空き店舗を利用して開設されている「えびす町こどもランド」という商店街アーケードの真ん中にあるオープンスペースで行われました。最初は人数こそ少なかったものの次第に人が増え、終わる頃には満席の盛況でした。ここでの話は金銭教育をベースにした子育論です。この話は社会教育13年、教育長2年の教育実績に加え無人島キャンプなどを二十年にわたって行ってきたボランティア活動の経験があるものですから、まあこれも自信のあるなしでしょう。特にわが子を4人も育てた子育て実績や、PTA会長を6年間やるなど青少年活動は枚挙に暇がありません。


 結局自分のこれまでの活動が存分に生かされる結果となりました。これまでもこれからも、この3つのテーマは人間牧場に凝縮されて成長を続けてゆくことでしょう。忙しい目をして忙しい活動をやった意味があると宇和島3回の講演会に招かれて思いました。

  「同じ街 まったく違う テーマにて 講演仕組む 俺はしたたか」

  「同じ人 同じ私の 話聞く まったく違う 話に驚き」

  「同じ街 テーマ違うと 顔ぶれも 違う当然 でもひとり」

  「もう一度 あなたの話し 聞きたいと 二時間道程 車走らせ」


 この方がわざわざ三崎半島旧瀬戸町から来ていただいた緒方二三子さんです。私の誕生日をおぼえていて、毎年花束やサツマイモをプレゼントしていただいています。4人の子持ちの元気で素敵なお母さんです。

 

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shin-1さんの日記

○燃え尽きる孫の一日

 嫁いでいる娘に二子の出産の兆しが見えたのは夏の盛りの頃でした。助産婦をしている娘ゆえの知識過多もあって何かと心配の種が多いのか、つわりが激しいのか周りから見た感じの妊娠症状は少しオーバーに表現すれば病気のような感じでした。助産婦としてそんな患者さんを毎日見ているのだから、それなりの対処法もあるだろうにと親の目から見れば不足気味の状態でした。

松山という近所に住むよしみで、また娘夫婦の子育ての手助けをしてやろうとする親心のよしみで、孫の世話というやっかいな仕事を分担しながら日々の暮しを組み立てている今日この頃です。

 昨日は娘の仕事が遅くなるので、松山の幼稚園へ迎えに行かなければなりません。迎えといっても目と鼻の先の幼稚園ではなく片道25キロですから車が混雑する松山のラッシュの時間帯ですから車で小一時間かかります。昨日は午前中大洲青少年交流の家、午後は伊予厚生年金センターでそれぞれ会議が入っていて忙しい日程を終えて幼稚園に到着したのは午後4時過ぎでした。幼稚園は3時までに殆どの子どもが迎えに来た親や祖父母と共に帰るので、働く親のために居残り保育が行われているのです。孫も居残りの一人で、先生がひとりついているのですが、集団保育というよりは思い思いに目の届く範囲で遊ばせるような雰囲気なのです。

 孫は最初居残りを寂しく感じていたようで、幼稚園に連れて行く度に「今日は居残り?」なんて言葉を私に言って確認し自分で自分を納得させているようでした。また迎えに来るパターンが2つあって、母親が迎えに来る日は松山のわが家、おじいちゃんが迎えに来る日は双海町の実家と決めているようなのです。多分その様子を見ればみんなと同じ3時に母親に迎えに来て欲しいような寂しさが見え見えのようです。

 午後4時過ぎ私が幼稚園に到着すると孫は他の数人とジャングルジムのに登って遊んでいました。先生が「おじいちゃんが迎えに来たよ」と声を掛けると、大きな手を振って嬉しそうに降りてきました。まあその姿を見たとき「凄い」と思いました。朝出る時の姿を知っていますから、顔の汚れ、衣服の汚れは尋常ではないほど泥と汗によって「泥んこ」という表現がピッタリの姿なのです。娘からくもんという家の近所の小さな塾に連れて行くよう頼まれていたので、車を道後のマンションに止めて歩いて孫の手を引き出掛けました。その頃には孫の姿が何となく元気がなくうつろな感じもしましたが、約30分のお任せをして5時に迎えに来るよう言われたので、そこら辺の神社仏閣辺りを散策散歩し、万歩計が約5000歩を見計らって再びくもん塾に迎えに行ったのです。そこへ行って驚いたのは孫の姿でした。くもん塾の玄関でスヤスヤと眠っているのです。塾の先生が気遣って起して学びを促すのですが完全にアウトなのです。私は孫を抱きかかえ車に戻り助手座席に座らせてシートベルトをして車を走らせました。孫は少し正気に戻ったのか、孫のために用意していたおやつのクッキーを食べながら眠気から冷めたのです。

 「燃え尽きる」という表現がピッタリかどうかは分りませんが、幼稚園で泥んこになって遊んだ姿やくもん塾ですやすや眠る孫の姿を見てそう思いました。普通この姿を見たとき遊び疲れた姿やくもん塾で人はばかることもなく眠る姿は格好悪い姿です。でも私の目には孫は孫なりに幼稚園の遊びを目一杯生きてると感じました。「燃え尽きる」姿は素晴らしいとも思いました。

 孫は「何でこんなによく寝るのだろう」と思うほどよく寝ます。「寝る子は育つ」という諺が本当ならば、この孫は正真正銘の諺の落し子なのです。最近夜更かしで眠い子が問題になりますが、孫は確実に9時には寝ます。そして朝も7時まで夜は一度も目を覚ますこともなく眠ります。その睡眠は10時間を越えるのです。

 建国記念の日である11月23日に生まれた孫はあと一週間で4歳の誕生日を迎えます。「僕はお兄ちゃんになる」とか、「僕は4歳になる」とか

「僕」という言葉もすっかり板についてきた成長著しい孫の姿は朝の姿、夕方は燃え尽きたマッチ棒のような汚れた姿、まあこの落差が子どもの本当の姿なのでしょう。子どもは子どもらしくあって欲しいと願っています。

 「じいちゃーん」、向こうの居間で私を呼ぶ目覚めの孫の声が聞こえます。いい朝です。今朝は伊予市の病院へ親父を同乗させて病院まで送り、孫を送った後診療の終わった親父を迎えに立ち寄り、その後は宇和島で子育て講演会に向かいます。今日も忙しい一日になりそうです。

  「孫眠る 塾の玄関 驚いた 燃え尽きぐったり これでいいのだ」

  「寝太郎と あだ名付けたい 孫姿 寝る子育つか これでいいのだ」

  「孫四つ あれから俺も 歳四つ 同じ四つでも 俺はマイナス」

  「孫言葉 時々驚く ことがある どこで習うか 意味さえ分らず」



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shin-1さんの日記

○レパートリーが広くなりました

 私の武器は知識はないが多少の知恵と、理論はないが実践から生まれた多少の論理です。多少の知恵と多少の論理を巧みに使って、様々な場所で様々なテーマに沿ってお話をするのです。その場合、他の人のように美しい文字を黒板やホワイトボードに書くでもなく、またパソコンを使ってデータや映像を見せるでもなく、またレジメを用意して配るでもない、まったく無防備の言葉だけが勝負の世界に挑んでいます。これはアドリブで機転が利いたり心の中の引き出しにジャンル毎の事例が多くないと、2時間とか3時間の講演や講義は持たなくなります。大衆の面前で恥をかかないためには、大衆の面前で恥をかき、恥をかかない訓練を何度となくしなければならないのです。私はこの訓練を「話芸訓練」と考えています。漫才師や落語家が話芸を仕上げてゆくのに、2年とも3年ともいう下積みの世界を経験し、なお一つのネタを話として人前で披露するのに何回も練習するという話を聞いて、話芸を磨き真打などというレベルへ到達するまでの厳しさを実感するのです。

 私には漫才師や落語家のような師匠が残念ながらいません。ですから独学です。独学は人の色に染まらない独特のオンリーワンの世界なのですが、独断と独善のためマンネリに陥りやすく、ほおっておいたら自然と楽な道を歩こうとします。つまり日々の訓練を怠り過去の遺産でお茶を濁そうとするのです。

 そんな私の訓練に嬉しくも強い見方が登場しました。ブログとハーモニカです。ブログはデジタル時代の文字書きなので、話芸とは一見何の関係もなさそうなのですが、実は深い関係があって①話芸のネタを仕込む、②話芸のストーリーを考える、③話芸の結果を公表する、④話芸の反応を確認する、⑤話芸のエリアを広げる、⑥話芸のネットワークをつくる、⑦話芸の魅力を伝えるなどの道具として重宝に使えるのです。ブログで自分の知らなかったデジタル世界の話題を沢山拾いました。それらを組み合わせ話芸のストーリーを仕上げてゆきました。自分の話芸の話を公表し人々の画面上で交流しましたし今も盛んに交流しています。私の話芸への反響もデジタルによって入り、その成果を確認しています。ブログやメールでエリアも随分広くなってきました。

話芸のネットワークも今まで以上に全国へと広がり、話芸の魅力は留まるところ知らず核分裂を繰り返しながら広がっているのです。ブログが私の話芸の深さ・広さ・大きさに磨きをかけつつあるのです。

 ハーモニカも今ではなくてはならない持ち物に変身しつつあります。カバンに忍ばせてあちらこちらの会場で披露するのですが、お世辞のアンコール拍手が起こる度に日本的音楽の魅力にとりつかれレパートリーを広げています。音楽音痴だった私には考えられなかった成長で、今では特老や公民館などからおしゃべり話芸とハーモニカをセットでお座敷がかかるほどになりました。ハーモニカも楽譜を読めない私には即興です。歌さえ知ってれば何とか詰まりながらも吹けるようになりました。

 今日も話芸とハーモニカの手前味噌なコラボレーションが始まりますよ。さあいらっしゃい、いらっしゃい。

  「俺の武器 楽し話芸と ハーモニカ たったこれでも 人は喜ぶ」

  「アドリブで 話芸披露の 講演会 また来て笑顔 ばあちゃん拍手」

  「演奏が 終わって拍手 勘違い アンコールだと 思って更に」

  「暇あらば 車の中で ハーモニカ 練習してる 成果上がりて」 


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shin-1さんの日記

○野の花の美しさ

 ガーデニングブームで街中に花が溢れる平和な時代を迎えていますが、ガーデニングを楽しむ人は何故か作った花を自分の庭や塀で囲い込み、自分だけの内向きな花として鑑賞してる人が多いようです。かつて私は世界一の花の街といわれるニュージーランドクライストチャーチを海外派遣団の団長として訪ねたことがありますが、この街ではガーデニングが盛んなのですが、勿論家で花を楽しんでいますが、その花の一部を外向きにして街に暮らす人々にも見えるようにしている姿を見て、風土や人間性のの違いを思い知らされました。日本だと外向きに花を飾っていると、心無い人が植木鉢毎持って行く者もいて、中々うまくいかないのが実情のようです。

 今日は愛媛大学の講義日でそれ以外に夕方までスケジュールが空いているので、久しぶりに大根畑の大根を漬物用に引き抜いて水洗いし6本まとめてビニール紐で縛り、あらかじめ用意した竿に振り分けながら吊るして干しました。今年も大根は豊作で、仕事に出かける前に妻が抜くのは30本と言って出かけたので30本の大根を引き抜きました。葉っぱの緑、青首、土に埋まった白い肌など、まさに自然の芸術品とでもいえる大根が、晩秋の太陽と風に晒されている風情は田舎の長閑さを象徴しているようです。いつもの年だとおやじが全ての作業をやるのですが、足をひねって昨日病院へ連れて行ったばかりなので無理をさせれず、私の出番とあいなりました。

 3日前から一年収めの九州場所も始まり、いよいよ冬支度です。私が子どもの頃の昔は九州場所頃はもっと寒かったように思うのですが、今日の水仕事も全然冷たくもなくむしり爽やかな感じがするほどでした。

 流れる雲も穏やかでわが家の借景と思われる本尊山の周辺はハゼ紅葉やクヌギの木がようやく色づき始め、裏山には盛りを過ぎようとしているツワブキや野菊が名残の美しさを見せようとひっそりと咲いていました。野の花は派手さはないものの清楚でどこか気品に溢れています。一生懸命咲いているこれらの花は見られ愛でられることもなくやがては野に枯れる運命にあるのですから、せめて咲いている間でも愛でてやりたいものです。

 わが家の庭にも秋の気配が漂って、親父の作である裏庭の枯れ木や石に這わせたノキシノブが見事な紅葉を見せています。このノキシノブの紅葉が枯れて風に飛ばされ荒縄のようになったらいよいよ本格的な冬将軍がやって来るのです。

 それにしても見事でしょう。


  「野の花を 愛でる気持ちは 自由人 風流肴に 酒も飲めぬに」

  「大根の 緑と白の 色分けて 竿に吊るして しわ寄るを待つ」

  「ノキシノブ 紅葉に熟れて 彩りを そえつつ庭で 季節深まる」

  「この色を 亡き母見ては 褒めていた 俺の言葉を 誰が思いし」

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shin-1さんの日記

○横文字のメールに占領されそう

 コンピューターウイルスの話は聞いたことがあるけれど、この正体がどんなものであるかも知らぬままパソコンをいじっている私にとって、毎日新着メールを見るのは楽しい反面、新着メールに混じって訳の分らぬ横文字のメールが沢山届くようになって、その消去には正直閉口しています。横文字の意味が分れば呼んだり返事を書いたりも出来るのでしょうが、その能力さえも持たない私にとっては何とも不気味で、今はその全てを×印の画面で消去作業をしているのです。誰かに聞こうと思っても忘れたり、恥かしくて聞けないような雰囲気もあるのです。「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」という言葉が正しいのなら、仲間内に相談して教えを請うのもいいかも知れません。

 ひところ私のパソコンにエッチな写真や動画が沢山進入してきて、私のホームページを立ち上げてくれた大学に勤める娘婿に相談したところ、簡単な操作で一掃されたことを思えば、それも可能かもしれないと思い切って今日にでも彼にメールで相談したいと思っています。

 もう一つ、私宛に届く不可解な文章があります。その文章は「セレブな女性と交際して高収入を上げませんか」というメールです。文章の中には私の名前をしっかりと書き込んでいるので、メールに慣れていない時は普通だと、てっきり返事を出さなければならないと思うような文章なのです。でも読んでいくうちに変な誘いであるような気がして、これも×印の画面消去しているのです。男性が失敗するものには「酒と女と賭け事」という三つがあるのだと昔ある人から教わりました。体の都合で酒を断っている私にはもう酒で失敗することは殆ど100パーセントなくなりました。また賭け事も余り好きでない私には縁遠いものなのですが、それでも最近は遠のいたものの、スズメの涙ほどしかない退職金を当て込んでのことでしょうが、投資をしないかと盛んに先物取引や株取引の電話がかかってきたものです。でも金融広報委員会のアドバイザーを長きに渡って務める私にはその誘いも無縁で、きっぱりとお断りする心の準備が出来ているのです。

 さてもう一つの人生失敗の原因である女の件に関しては、男性の場合女に持てたいという願望があるため、少しの誘いで胸がときめくものなので、意外と失敗が多いようです。セクハラや携帯で女性の下半身を写真に撮ったり、出会い系サイトで知り合った女性と交際し、役職や人生までも棒に振った人の数は相当数に上っているようです。私に送られてくるメールも、多分私の公式ホームページを見てのアクセスになったのだろうと思われますが、何の連絡もせず無視しているにもかかわらず執拗に返事を求めてくるのです。

 男性が異性に興味を持つことは当然のことでしょうが、酒も賭け事も女も全て自分というもう一人の自分と向き合って無言で会話しながら決めて行動するのですから、目に見えないもうひとりの自分をいかに強い人間にするかが決め手のようです。そのためには日ごろの学びと心を強くする誘惑に負けない訓練こそ必要だと思うのです。

  今朝も20数件の横文字メールと女性に関する誘惑メールが2件届きました。いつもの如く全てを×印で消してブログを書き始めました。

  「世の中は よっぽど暇な 人ありて 俺にメールを 送り続ける」

  「いい人が いるとメールが 誘ってる 俺は強いぞ 女妻だけ」

  「×印 マウスで処理し 始めるが 無駄なことだね パソコン音痴」

  「誘い手に うっかり乗ると 火傷する そんな歳など とっくに過ぎた」


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shin-1さんの日記

○山里に通い続けた20回5000キロの旅・大宮地区(20-20)

 秋のつるべ落としの太陽が山の端に隠れる時間が段々早くなり、夕方5時頃になるともう山里には夜のとばりが下りて人恋しくなります。昨日は四万十市西土佐への20回の集落巡り最後の日なので、何となく晴れやかで、それでいて「今日で来れないのか」と思うと何となく寂しく、複雑な心境の一日でした。盛夏を間近に控えた6月からはじめた集落巡りも約6ヶ月の長い期間となってしまいましたが、片道125キロ、往復250キロ、20回で5000キロを走破した計算になるのですから驚きです。第一のふるさとは生まれ育った双海町ですが、第二のふるさとは高校3年間を過ごした宇和島だと心に決めています。もし私にとって第三のふるさとがあるとすればそれは、連続的に20回も足を運んだ高知県四万十市西土佐だと言わざるを得ないほどの土地になってしまいました。

 この日も例によって今や西土佐の関所になった彩花という軽食喫茶に、2時間近くの運転の疲れを取るため立ち寄りました。奥さんと他愛のない話をしながらお茶を飲むのですが、この店に立ち寄ることも暫くはないだろうと少し寂しくなりました。そこへ役所の中脇係長さんから電話が入り、今晩の夕食はこの店でするから注文をして待つように言われました。今晩の会場となる大宮という地区にはこの先の橋を渡って30分余りの所にあるそうなのでとんかつ定食を注文し、居合わせた近所の奥さんが持ってきていた大根を見ていたので、とんかつを大根おろしと酢醤油でいただこうという相談がまとまりました。久しぶりに食べたとんかつの揚げだちは格別で、最後の講演会に向けて馬力が出たような感じがしました。

 大宮地区は9人ながら小学校があり、元気な集落の一つだそうですし、JAの合併で消えかかったお店を、地域の人が共同出資して引き継ぐという世にも珍しい地域だと聞いていたので楽しみにしていました。隣接する滑床渓谷や愛媛県松野町目黒は直ぐ目と鼻の先で、帰りはこの方面を通って帰るとあって、中脇係長の運転する公用車の後をノコノコとついて進みました。夜のことゆえどこをどう走ったかはまったく分りませんし、私のカーナビゲーションもそんな田舎道は白地図同然で、車の走った後が白く地図に表記されてゆくのみでした。

 到着した集会所の前の畑には真っ暗ながら遅咲きの背丈の低いコスモスが少し冷たい風に揺れていました。私は車に積んだデジカメを取り出し幻想的な夜のコスモスに向けてフラッシュをたきました。ピントも合っているかどうか分りませんでしたが、結構な写真に写っていました。集会所の中に入ってみるとこの地域では厄年の人たちが毎年厄落としの祝い事をした後撮った記念写真がもう30枚も鴨居の上に飾ってありました。中には赤いちゃんちゃんこを着、帽子を被っている人もいますが、既に高い日田人もいるようで、みんなで感慨深げに鑑賞をしました。

 集会には結構な数の人が集まり楽しい雰囲気でした。特に私の追っかけをしてくれた西ヶ方の方もいたりして、まあ最終20回目のフィナーレに相応しい会合となりました。私の話もいつもにも増して熱のこもった話を展開しましたが、思いのある方々ばかりなので反応も上々だったように思いました。

 「こんな楽しい話しだったらまた来てくださいや」とお世辞にもせよ、ありがたいお言葉をいただき大宮を後にして、初めて通る目黒経由の道を和田課長さんの先導で帰路に着きました。

 別れ際和田課長さんが「最後なので少し時間を下さい」と耳打ちされていたので、課長さんの先導車の進む方向に進みました。県境のトンネルと相変わらず曲がりくねった道を下りて、田舎にしては珍しい小奇麗な一杯飲み屋に着きました。9時半を回っていることもあって店に他の客はなく、課長さんの顔見知りの店なので、ママさんとマスターと私たち4人で、四方山話に花を咲かせました。「来てくださいや」という言葉をことらの方言では「きちくれや」といいますが、吉と屋を漢字にした田舎言葉の造語が店の屋号なのです。

 

  それから延々11時30分までの2時間、私のつたないハーモニカを吹いたり、かつて若い頃に兄弟のように付き合った昔を懐かしみながら、課長さんはビールや焼酎、私はウーロン茶というかみ合わぬ嗜好品で話し込みました。さっきのとんかつでお腹が一杯の上に湯豆腐まで注文し、腹の具合が悪くなりそうな雲行きでした。

 美人ママと人のよさそうなご主人と課長さんをカメラに収め、夜道を宇和島経由で帰り、家についたのは午前1時半になっていました。中脇係長さんや藤倉さん、それに雇用促進協議会の石川さんなど、今回も多くの人々のご縁をいただき、何はともあれ20回の西土佐集落巡りは無事終了しました。深夜にもかかわらず帰りの遅い夫を心配して待ち続けていた妻の温めた布団にもぐりこみ、二人ともいつしか夢の世界へ旅立っていました。

  「二十回 五千キロの 旅でした 深いご縁の 人また増えて」

  「年齢を 考えもせず 日帰りの 少々きつい 仕事こなして」

  「同じまち 二十を越えた 記憶なし 故に記録だ 俺のギネスに」

  「二十粒 元気の出そうな 種を蒔く 芽が出て花実 つけて欲しいね」

 

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shin-1さんの日記

○えっ、もうお正月?

 人々は何を目安に生きているのだろうと思わせるように、世の中には何でも早く取り組もうとするせっかち野郎がいて、何だか気あせらしくて仕方がありません。まだ2ヶ月向こうだというのに巷にはジングルベルの音楽が鳴り響き、クリスマスの赤い飾り付けがやたらと目に付くようになったし、ケーキ屋さんやコンビニにはクリスマスケーキ予約受付中の幟がはためいて、新聞折込にも日々そんな慌しさを更にせかすようなチラシが入っているのです。勿論クリスマスだけではありません。10月31日の昼頃近所の郵便局に手紙を出しに行くと、11月1日の年賀状発売を前に何と門松がお目見えして、「えっ、もうお正月?」なんて錯覚をしてしまいました。

 普通門松は正月を迎える縁起物として元旦の2~3日前に大安のようなよい日を選んで飾り付けるのが普通ですが、多分今の日本で一番早く門松を取り付けるのは全国の郵便局だろうと思われるのです。年賀状を売りたいという魂胆は分るのですが、これは世の中の流れや社会通念を無視したり、正月本来の習慣を変えるようなやり方で余り感心しないと私個人は思っています。現代の日本はこのように一事が万事早いものがさも価値があるかのようになっていて、うかうかすると一儲けを企む人の格好の標的になりかねないのです。もうここらで「ウサギと亀」の童話ではありませんが、もう少しユックリズムを取り戻して欲しいと思うのです。

 そうは言っても季節を追って暮らしている人々にとってこれは死活問題ですから、ケーキや年賀状を売るのも競争相手がいることなので仕方がないと諦めねばならないのでしょうが、要は消費者たる私たちがそんなコマーシャルに安直に乗って衝動的行動をしないよう心にブレーキをかけることが大切なのではないでしょうか。

 昨日妻が年賀状を買ってきました。私は現役の多い頃には約千枚近くも年賀状が届き、約800枚程度出していたのですが、今では500枚に縮小しています。でも一枚五十円のハガキでも500枚だと2万5千円と結構な値段なのです。勿体ないけどハガキ人間の私としては仕方がないのです。今年は少し減らそうと頑張るのですが、自分のパソコンに入った住所録を整理する間もなく、結果的には今年も多少の増減はあっても500枚くらいに落ち着きそうな雲行きなのです。

 クリスマスケーキも昨年は無駄なことをしました。妻でみると家族はそれぞれ独立して少なくなったけど、せめてケーキぐらいはと注文したのですが、息子たちがそれぞれ良かれと思い思いに注文したのが三つも届いて、毎日ケーキを食べる羽目になってしまいました。いくら最近のケーキが甘さを控えているからといっても、ケーキばかり食べれる若い時とは違いますから、最後は勿体ないと思いつつ生クリームで賞味期限のこともあって、捨ててしまいましたし、アイスケーキなどは溶けると食べれないので冷凍庫の中で正月まで保存されていたようです。

 冷蔵庫や冷凍庫には物が溢れ、わが家のような貧乏さんでさえ飽食の日本を象徴するように片付かない余り物が散らばっています。毎日出る生ゴミの中には賞味期限の切れた封も切らない食べ物まで捨てられて、何と勿体ないことでしょう。私は講演などで日本全国を旅したり、また視察者が全国からやって来るためそれぞれの土地の名物的お菓子を持参してくれたりします。殆どは近所や友人におすそ分けするのですが、それも限界があり不始末を余儀なくされる事だってあるのです。

 お正月を迎えるのを機に少し暮しの仕方を変えようと妻と話しています。ゴミ袋が有料化されて少しの間は減ったゴミも、馴れるとまた元に戻りつつあります。暮しを変えることは容易なことではありませんが、せめて一年の区切りぐらいでもそう考えて日々の暮しを見直したいものです。

  「門松は 正月飾りと 思ってた ところがどうだ 二ヶ月前に」

  「クリスマス 見まがう程に 電飾し おいで買ってと お客呼び込む」

  「ああケーキ 今年も食えと 妻が言う 食いたくないのに 何でこんなに」

  「見直そう 見栄無駄無理な この暮らし 日本は何て 豊かなんだか」 

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