shin-1さんの日記

○どこで習ったのでしょうか孫の言葉

 昨日泊りに来ていた孫を松山に送って行きました。少々風があって外は寒いものの車内は暖房が効いて温かでした。私がカーラジオをひねってNHKのラジオビタミンを聞いていると、チャイルドシートから解放されて前の座席に座った孫朋樹は、盛んにCDやカーナビをを触るのです。去年孫の操作でカーナビが故障したこともあって、触らせないようにしようとするのですが、手元のリモコンで画面を操作し松山城などをしっかり呼び出しているのです。そういえば最近はテレビゲームもできるようになって、私よりはるかに進化した姿に時折驚いたりするのです。昨日は松山地方気象台から桜の満開宣言が出されたようで、どこを通っても桜は満開に近いような姿を見せていました。

 途中100円ショップのダイソーに立ち寄りました。まだ早い10時だというのにもう店内には家族連れのお客さんが多く来店していて、思い思いの場所で品定めをしていました。私は迷うことなく文房具の売り場で紙の表紙ホルダーを5セット買い求めました。これは毎日書いているブログ記事をプリントアウトして一ヵ月をまとめて一冊の綴りにして保存するために使うのです。早いものでもう三年半が経ったため、綴りは40冊を超えました。表紙を付けると暦年に月を加えて2008・4と記して人間牧場のオープン書棚に陳列するのです。

 私は3枚組5冊を5百円+消費税で買いましたが、孫朋樹は色折り紙とセロテープを2百円+消費税で買ってくれとせがみました。わたしが「そんなもの家にあるでしょうが」ととがめると、「おじいちゃん、このくらい安いものよ」とまるで大人のような口利きの言葉が返ってきました。いつの間にこんなこましゃくれた言葉を話すようになったのか、驚いたり呆れたりで開いた口がふさがりませんでした。

 そういえば最近孫朋樹の言葉が妙に気になっています。何かの言葉い頻繁に「チョー楽しいとかチョーやばい」などと「チョー」という言葉をつけるのです。私たちの子どもの頃には聞いたこともないような言葉がどんどん出てくる姿を見て、「これは幼稚園で知らず知らずのうちに身についたものだと直感しました。確かに今の若者世代は若者言葉といわれるような言葉を使っており、それが家庭でも話され子どもたちは知らない間に耳から入って幼稚園で広まるという循環なのです。

 日本人は日本語という共通の言語を話します。外との交流が殆どなかった昔は「えっこれ日本語」と思われるような理解に苦しむ方言が幾つもあって、分からない言葉が沢山ありました。しかし今は大学も地域間の交流も広域的になって、東北弁も鹿児島弁も殆ど姿を消してしまいました。しかし困ったことに「これでも日本語?」といわれるような短めの単語が流行り、瞬く間に日本全国に広がっているのです。

 ある日本語学者に言わせればこれは日本語ではなく、今は日本語という文化の危機だとさえ言っているようです。「チョー」くらいなら私にも分かりますが、時折変な日本語を話す孫の言葉を聞いて、私も古くなったものだとしみじみ思うのです。

 子どもの向こうには必ず親や家族、仲間や職場、地域や団体などが存在し多かれ少なかれそれらの影響を受けて育ちます。せめて子どもに対して正しい日本語を教えてやるような賢い親になってほしいと思いながら「このくらい安いものよ」という言葉を聞きました。


  「このくらい 安いものよと いう孫に どこで習った 思わずハッと」

  「日本語が 乱れていると つい思う まず親たちが 直さなければ」

  「チョー嬉し 孫に習って 言ってみた 妻に止めてと 注意をされて」

  「方言jを 言ったら孫に それは何? 孫と俺とは どちらが正し」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○みかん類は美味しいねえ

 今年の春はどういう訳かわが家にあちこちからオレンジ系の果物が届き、家の玄関が最も温度が低く安定しているので、段ボールに入れて置いているのです。外出する時と外出から帰った時は必ずこれらのオレンジ系が目につき、手に取って食べるのです。一番早く送られてきたのは今治市大西町の大河内結子さんからいただいた伊予かんとはるみでしたが、それらはもう底をつきました。続いて閏住の谷岡顕伸さん、宮栄重治さん、塩崎さん、武田さん、黒田さん、是沢さん、長沼さんと続き、まるでオレンジ系のオンパレードのように沢山の種類を毎日食べているのです。このころになると柑橘は追熟が進んで気をつけないと腐りが出て、その腐りが傍のかんきつにも移ってしまうのです。

 昔は多少腐っても腐った部分を包丁で取り除けば、かえって完熟した美味しい部分が食べれるし、勿体ない思想が働いて好んで食べていました。今はそんなこともせず、少し腐りが出れば捨てますが、最近は毎朝妻がそれらの柑橘類を野菜と一緒にジューサーにかけてジュースを作ってくれるので、居ながらにして新鮮なオレンジ入り野菜ジュースを飲んでいます。


 それにしても最近はわが町の農家では色々なオレンジ系が作られていて、私たちの知らない品種が沢山あるのです。三崎半島の突端部分井野浦に住む塩崎さんのお陰で毎年届く清見タンゴールは今が旬で、瑞々しくて甘い果汁いっぱいの果実を輪切りにして食卓に並べるともうたまらなく幸せを感じるのです。塩崎さんは最近この清見タンゴールを手搾りしたジュースを届けてくれますが、これはもう最高でどこにもない手作りの味なのです。同じ三崎半島平磯に住む浅野さんからは少し酸味の強いオレンジ系ジュースが届きますが、同じ三崎半島でも全然違った味なのです。

 ある柑橘農家の人が、「最近は新しい品種が多く出回って、どれを作れば儲かるか全く見当がつかない」とこぼしていましたが、私が察するに売れるみかんはどうやら女性にちなんだ名前がいいようです。清見・はるみ・せとかなど素敵な女性を連想するものが好まれるようです。

 私たちはこのように毎日毎日当たり前のようにかんきつを食べていますし、庭先にはこれから旬のすっぱい歯触りの甘夏柑がこの時期になっても一杯樹上に実をつけていますが、はるか東北や北海道などでは柑橘そのものが珍しいらしく、送るととても喜んでくれるのです。昨日もひょんなことで知り合った北海道佐呂間町の船木さんや井田さんに清見タンゴールを発送しました。船木さんも井田さんも北海道の漁師さんですが、ご縁は続くもので9月には佐呂間町から講演の依頼が舞い込んでいて今から楽しみにしているのです。

 南西の四国からみかんを送れば、北の北海道から毛ガニやホタテが届くという、物々交換に似た交流はこれまた楽しいものです。柑橘もいよいよ終わりに近づきました。残った柑橘を楽しみながら食べている今日この頃です。


  「いつもある 物ゆえ価値も 分からぬが ビタミンCで 健康持続」

  「美味しいね みかん王国 だからこそ 毎日食べる 幸せ感じ」

  「今日もまた オレンジ入りの ジュースにて 朝食とって 愛情感じ」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○人間牧場で夢の実現をしたい

 新しい年度なんてリタイアした私には関係ないはずだのに、何故か35年間も勤めた役場の垢が落ちなく、今でも年末年始で変わる年の変化より、年度で変わる年の変化の方が性に合っていて、季節が冬から春へ変化することも手伝うのか、どこか浮き浮きした気分になります。リタイアして満4年間が瞬く間に過ぎ去りました。「65歳までは働く」と自分自身に言い聞かせ、妻にもそのことを約束していましたが、私は10月生まれですから後半年で目標の歳を迎えるのです。ですから仕事と思しき講演などの仕事はほどほどにして、人間牧場で楽しい遊び心を思う存分やってみたいのです。

 新年度を迎えるにあたって人間牧場での色々な夢の整理をしつつ優先順位を決めました。今年の第一の目標はまず人間牧場に釜戸小屋を造ることを計画しています。この4年で水平線の家、ツリーハウス、ロケ風呂、赤トンボの家を次々に整備してきましたが、釜戸小屋はどうしても必要な施設なのです。薪でご飯を炊いて食べるのも夢ですが、人間牧場で採れたフキや梅を使って加工品を作リたいと思っています。梅酒はこの3年間で一升瓶換算にして約50本も作りましたが、その梅酒に付け込んだ梅を使ったジャムはまだ火を使えないためできていないのです。フキも肥培管理に務めた結果見事なフキ畑が出来上がり、後は加工を待つのみなのです。昨年試作したお茶の加工もホーロクを使えば簡単にできるのです。さらには魚の燻製も今年は挑戦してみようと思っています。

 第二の目標は人間牧場でスタートした年輪塾のしっかりとした運営です。塾頭や大番頭、小番頭も決まり運営の筋道は決まりましたが、まだ愛媛県内においても知名度は低く、情報発信までには至っていません。当面年2回の年輪塾と年2回の移動塾を考えていますが、夕やけ徒然草の発刊と落伍を組み合わせた話芸への挑戦も、大切な自分自身の進化のためのノルマとして、完成させなけれればならないのです。

 今年から愛媛大学農学部の学び直し講座「地域マネジメントスキル習得講座」が人間牧場を会場に15時間1単位で始まります。集中講義のため2日間びっちりと講義しなければなりません。すでにそのプログラムは出来上がってているので少し安心しているところです。

 人間は学習によって成長します。また人との出会いによっても成長するものです。人間牧場を作って4年が経ちましたが、人間牧場の学習機能は次第に高まりを見せる様相を呈していますが、もっと格調高くをモットーに成長したいものです。

 第三の目標は人間牧場を使ったふるさと教育です。すでにおもしろ教室も3年を終えました。命のリレープロジェクトもサツマイモやミツバチ飼育でいい方向に進んでいます。今年は人間牧場内の杉の木を使って、子どもの遊び心や冒険心をくすぐるような本物のツリーハウスづくりにも挑戦したいと思っています。既に仲間とはそんな夢を実現するべく準備に取り掛かっているところです。

 長年育ててもらったふるさとへの恩返しをする年代となりました。先日九州大学の教授に転出しているえひめ地域政策研究センターの部長だった丹羽先生にお会いしました。先生は私の生き方を見て「アメリカでは若松さんの生き方は理想の生き方です」と褒めてくれました。若い時に一生懸命仕事をして、ある年齢になったら大学の仕事をして余生をボランティア活動に捧げながら楽しく生きる生き方はそ、自分自身れほど価値がるとは思っていませんでしたが、丹羽さんの言葉を甘んじて受け、これからも楽しく暮らしたいと思いました。

  「春が来た 新年度連れ それぞれに 思いめぐらせ 今年頑張る」

  「公務員 辞めたけれども 好夢員 未だに続く 俺は幸せ」

  「アメリカじゃ 俺の生き方 理想だと 褒めて持ち上げ その気になって」

  「天下り せずにどうにか 四年過ぎ 茶碗と箸で 飯を食ってる」

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○異動の時期は人生いろいろです

 異動や旅立ちの季節になって、人の動きが活発になってきました。特に異動は陰に隠れた誰かが隠密裏に異動される人の話や心など殆ど無視してやるものですから、蓋を開けてみて驚いた様子がよく伝わってくるのです。自分の意に反して左遷異動させられた人、働きが評価に値すると自分が確信するような昇進異動の人などなど様々です。私も一時期異動の原案を作る作業にかかわったことがありますが、私事を挟むまいと思うけどそこは機械でもない人間のすることゆえ、どこかに温情や気追いが入るのです。しかし異動というのはその人の人生をも決める大切な出来事なので考えた異動をさせねば一生に禍根を残す結果になるのです。

 私も町役場に勤めたいた関係上春の異動のころになると何かと心が動きました。教育委員会・産業課・企画調整室・地域振興課と現職では3回しか異動の辞令はいただかない、比較的異動には縁の少ない人間でしたが、教育委員会から産業課に異動した一度だけ、町名変更の責任を取って左遷と誰もが認める異動をしました。しかし恩人から届いた一枚の色紙に「ぼうふらも 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水すすり浮き沈み」と書かれていて、自分の心の狭さを痛感して直ぐにギアチェンジ、その後まちづくりという大きな仕事をいただき、人生の積み木を壊さず積み上げてこれたのです。

 異動の中には満期で定年を迎えた人もいれば、早めに退職して新しい道を模索する人もいます。昨日一人の中年男性がアポも取らず私を訪ねて来ました。この人は昔Sという印刷会社に勤めていました。観光の仕事が中心でしたがイベントのポスターやチラシ、テレフォンカードなどの印刷に深くかかわってくれていましたが、ノルマ至上主義のこの仕事に限界を感じ、農業の道に入りたいと相談がありました。「儲けなくてもいい農業は楽しいが、飯を食う農業は厳しい。その厳しさに耐えられる意思があるかどうかだ」と諭したつもりでしたが、彼は40代後半で農業に転身したのです。その後2~3回会った記憶がありましたが、最近は音信普通でした。

 久しぶりに会った彼は太陽の恵みなのか、顔は農作業に適した赤銅色になってすっかり逞しくなっていました。奥さんが学校の先生をしているので経済的に助かった話、手助けしてくれたお母さんが81歳になり自損事故を起こしたため車の免許を返上した話、息子が身障者で手がいる話、細々ながらやっと農業で飯が食えるようになった話など、咳を切ったように話す言葉一つ一つに苦悩の人生を垣間見る思いでした。

 彼は自分の作った自慢のポンカンを一箱持参してくれました。「自分の心が揺れ動いていた頃、双海町の役場で営業の折、コーヒーをいただきながら人生について色々語ってもらったことが励みになった」とウルウルするような話を聞きながら、甘んじてポンカンをいただきましたが、そのポンカンは飛びきり上等な味でした。

 年齢的は早くも55歳になったと言っていましたが、彼は先見の目があったのか今は厳しい印刷業界に早々と見切りをつけこの歳を迎えています。最後の再チャレンジが55歳とよくいわれますが、早めに再チャレンジした彼の行動は称えるべきだと思いました。彼は今まで「一人前になるまで若松さんには会わない」と心に決めていたそうです。何年か前段階3の上という大腸ガンにかかり大病を克服したようでした。数日前師匠と仰ぐみかんの指導者に自分の園地を見てもらい及第点を付けてもらったことや、病院の定期診断でガン克服の良い結果が出たことを契機にして私に会おうと決意したようでした。

 人はそれぞれの想いでそれぞれの道を歩みます。それを左遷と思うか栄転と思うか、また転職を終焉と思うか最初っぱつと思うかはこれまた人それぞれです。彼のような生き方は目立たないけれど凄い立派な生き方だと思いました。近々奥さんを連れて人間牧場へ来たいと笑顔で去る彼に大きな拍手を送ってやりました。


  「そういえば そんな話を したっけな 逞しなりて われを訪ねる」

  「栄転も 左遷も心 がけ次第 新た生き方 つかんで生きる」

  「役職は 定年なれば くそくらえ みんな同じだ 何が残るか」

  「十年も 音信不通の 人が来る ポンカン提げて 嬉じゃないか」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○釣りの釣果がありました?

 花冷えとでも言うのでしょうか、このところの気温は異常なほど寒く感じるのです。今日も朝から北西の風が吹いて海は白波が立って漁にも出れないほど時化ているようです。昨夕孫が春休みも最後なので泊まりに来るというので夫婦で迎えに行きました。帰りに温泉につかり孫のリクエストに応えて回転寿司屋さんで食事をしました。私たちは魚中心ですが、孫は唐揚げやポテトなどを注文して、寿司屋らしいものはイクラとエビ程度でした。

 孫には今回のお泊りの魂胆があって、釣りをしたいとうのです。帰りにジャンプという釣り具屋さんに立ち寄り、釣針とサビキを買って帰りました。普通自宅では8時過ぎには寝るそうですが、この日は少し遅くなって9時半の就寝となりました。寝る前釣りの夢を見るのだと張り切っていましたが、疲れたのか5分で夢の世界です。

 私は通常と同じで朝4時に目がさめブログを書いたりして過ごしていましたが、孫は7時半に起きてきました。本当かどうか分かりませんが、昨晩は魚を10匹も釣った夢を見たそうです。今日は釣りに行くと張り切って身支度をしたものの北西の風がかなり強く吹いていて、釣には行けそうにもないのです。妻は「折角楽しみにしているのだから、内港から釣り糸を垂らす程度でも納得する」と勧めてくれました。私と孫は釣竿を用意して釣りの仕掛けを作りました。さあ出発です。着膨れするほど洋服を着て上灘漁港に行きましたが、かなり風波が強く釣りを楽しむような雰囲気ではないのです。それでも風の比較的吹かない木陰を選んで釣り糸を垂れました。

若松進一ブログ (何処となく釣り人の風格が漂い、様になっている朋樹君)
若松進一ブログ (「釣りは楽しいねね」と言わんばかりに、寒さをものともせず釣りを笑顔で楽しんでいました)

 「朋樹君寒いか」「寒くない」、こんなやり取りで30分ばかり釣り糸を垂れましたがさっぱり釣れません。思い切って遠くへ投げた釣り糸に何やら引っかかり、釣り糸をぐいぐい引っ張るのです。「しめた」と思ってリールを巻くものの大き過ぎたのか残念かな逃げられてしまいました。朋樹君の落胆は相当なものでした。大きいから逃げたのか、逃げたから大きいのか分かりませんが、まあこの程度で幕引きとなりました。朋樹君は別の場所へ移動して再びチャレンジしたいと言い張りましたが、風も波もさらに激しくなってきたので諦めてシーサイド公園の岡田鮮魚店に立ち寄りました。訳を話すとそれは可哀そうだと生け簀の少し小ぶりなコショウという生きた魚をくれました。朋樹君は釣竿を持ってきて、海ならぬ肴屋の店先で見事大きな魚を釣り上げたのです。この様子に来店した人たちは思わず大喜びでみんなで拍手をしてくれました。

若松進一ブログ (海ならぬ魚屋さんの前で釣りを楽しむとは・・・)
若松進一ブログ (どうだ、釣ったぞー)

 じゃこ天のお店に立ち寄ると今度はおばちゃんたちにたこ焼き用の生きたタコをいただきました。ここでもタコの話で大にぎわいでした。結局私たち二人は釣りに出たものの釣るどころか、釣り上げた以上の釣果を得て帰宅したのです。タコは塩で揉んでぬめりを取り、コショウという魚はうろこと内臓を取って煮つけ用として、妻の手料理で食卓に上りました。タコの刺身もタコを使ったお好み焼きも最高でした。

若松進一ブログ(じゃこ天のおばちゃんに貰った大きなタコ)

 食事が終ってただ今19時33分、相変わらず北西の風は衰えることなく吹いています。「春の一日(ひして)西」ということわざがあるので、明日にはこの風も収まるものと思われますが、満開を迎えた桜もちょっぴり寒そうでした。早く春がいたと思っていたのに意外や意外、とんだ春への足踏み状態で、私の春休み二日目も相棒である孫と二人三脚の楽し一日となりました。


  「海ならぬ 魚屋店で 釣りをする 魚にタコが 釣果となりて」

  「時ならぬ 風波に魚 逃げたのか 逃げた魚は いつも大きい」

  「食卓に 上った魚 さも自分 釣った顔して 大ぼら吹きぬ」

  「春休み 間もなく終わる 思い出に 孫は間もなく ピカピカ一年」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私の春休み第一日目は人間牧場の草刈り

 「この一週間は私の春休み」とブログで公表してお休みを取り始めての第一日目の昨日は、「それなら家にいるだろう」と、ブログ愛読者の何人かから御誘いの電話が入りました。それでも昨日は曇りながら人間牧場での草刈りや春を迎える準備をするべく、誘いの電話での予約を夕方に回して、草刈りを決行しました。春まだ浅いというのに外の風はまだ結構冷たく、体を動かしても汗をかくこともなく草刈りには絶好の日和でした。人間牧場の草刈りは半日ペースで3日間くらいかかるのですが、とりあえず水平線の家やロケ風呂、ツリーハウス周辺の草を刈ることにしました。私と同じく古くなった草刈り機に混合油を入れ、始動のひもを引っ張ると、昨年秋からお休みしていたエンジンなのに2~3回で動き始めました。ロートルながら凄い働きの草刈り機に感謝しながら草を刈って行くのです。人間牧場のあちこちには青々と茂った野生のツワブキがやたらとあって、草刈りの度に残しておけば3年で立派な親株ができて、このころになると食用になる太い新芽が次々伸びているのです。草刈りの手を休めて食用に二束ほど引き抜きました。皮を剥く手間がアクが強くて厄介ですが、これがとびきり美味しい山菜なので、明日の夜には魚と一緒に煮つけて食べる予定です。

 草刈りの邪魔になる、草に埋もれている冬の間に剪定していた杉の枝を一か所に集め、焼却処分することにしました。毎回野焼きする場所にそれらをうず高く積んで火をつけると、杉葉は勢いよく燃え始めました。牧場内のあちこちから枯れ木を集めるため、畑を上がったり下がったりするため結構きつい運動力でした。

 草刈り機で草をなぎ倒していくのですが、この時期ははこべ草がスネくらいの深さほども伸びていて、何度も草刈り機に巻き付き、その度にエンジンは鈍い音を立てて息絶え絶えです。午前中約3時間で周辺は見違えるようにすっきりとしました。

 ウッドデッキに座り妻の用意してくれた弁当を食べながらお昼をのんびり過ごしましたが、小雨がパラついていた天気も予報通り、昼を過ぎると青空が広がり、海の色も真っ青な春の海に変身です。遠望の山々は新芽が伸び始めもう間もなく萌えるような季節を迎えます。山桜は深い小豆色の葉と花をつけて春を彩っています。遅まきながら藪椿も咲き始め人間牧場周辺は一年中で一番美しい時期なのです。


 草刈りの途中にズボンのポケットに入れた携帯電話のマナーモードが振動し、盛んに私を呼び出すのです。そういえば昨日は年度末最後の日でした。退任・新任・異動の連絡がひっきりなしにかかってきました。また北海道の船木さんからは9月18日に佐呂間での講演依頼が入りました。便利な世の中になったもので、草刈りの仕事をしながら、またこんな人里離れた場所で連絡が取れ会うのですから驚きです。この4年間、この人間牧場でどれほどの講演依頼や打ち合わせをしてきたことでしょう。電話回線にインターネットを接続すれば完璧にここでも仕事は十分可能なのです。

 草刈り機で草を刈って行くと、思わず刈るのは惜しい草花に出会います。アザミなどはその典型で、とげがあるものの濃い紫の花は気品漂う花なのです。いちいち残しておくこともできないので倒しましたが、可哀そうと思いデジカメに収めました。

 草刈りを午後3時に終え、水平線の家の窓を全部開けて風を送り込み、掃除機を丁寧にかけて掃除を終え、友達との待ち合わせ約束のために山を降りました。


  「山桜 濃い小豆色 咲き誇り メジロ二三羽 長閑に飛びぬ」

  「ポケットで 携帯バイブ 肌伝う その度作業 中断せざる」

  「草埋もれ 刈られし定め 野アザミを カメラに収め しばし見とれて」

  「野の花に 囲まれ過ごす 一日を 至福と思い 鼻を花寄せ」 

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○考える村村長のブログは面白い

 考える村の村長こと玉井恭介さんは私の大先輩です。宇和島水産高校漁業科を卒業しているため、初代の愛媛丸に乗った経験があるため、何かと気が合って何度となく出会い、色々な感化を受けてきました。私たちの学校のとりわけ漁業科卒業生は、同窓生の殆どが海人と呼ばれて船に乗るため、卒業後40数年経っていますが、殆ど交流することもなく、ましてや同窓会などしたこともないのです。時折先輩や後輩に会っても、もう昔のことなので名前と顔が一致しないのです。そんな中で玉井さんとはあるモーニングセミナーで出会いました。その後急速に交流が深まり今日に至っているのです。

 玉井さんは広告会社に勤務して定年で退社しましたが、在職中から多芸でコーラスをやったり詩を書いたり、時には玄人はだしの絵を描くのです。本人はいたって謙虚ですが、私のような無芸人から見れば何ともうらやましい限りの多芸ぶりなのです。そんなこともあって玉井さんの勧めもあって、「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の本をアトラス出版から出した折も、編集について大変お世話になりいい本ができたのです。


 1ヶ月ほど前に私の影響でもありませがブログを始めたいと連絡がありました。文章は私など足元にも及ばない人なので期待をしていましたら、このほど「考える村・孫長のブログ」というタイトルでブログ発信をするようになりました。毎回ブログにアクセスして読ませてもらっていますが、実に面白い文章で、私は新しい文章が載る度に妻に読んで聞かせてやるのです。妻も時々やってくる玉井さんのことはよく知っていて、二人が思わず大笑いをしてしまうのです。ここで玉井さんのブログの原稿を私が紹介するよりも、直接アクセスして読んでもらった方がいいので敢えて書きません。ちなみにバックナンバーでテーマを見ると、趣味は散歩、賞味期限の切れた亭主、女性に囲まれ働く、明るい遺言ノート、孫長の不況対策、ヨイトマケの唄、ひもじい毎日、捨てられない物、企画道楽、退職後のイロハと続いています。3月29日付の退職後のイロハでは、私のブログを基に面白い記事に仕上げているのです。


 私の書斎には、玉井さんから貰った一枚の小さな額が飾られています。

 「・・・・・のぼってゆく。坂の上の青い点に一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみを見つめて坂を上っていくであろう。」     司馬遼太郎   「坂の上の雲」より

 この額は私の公務員生活の晩年を好夢員にしてくれました。お陰さまでいい仕事ができて軟着陸のリタイアができたし、今も白い雲を追い求めて生きているのです。

 私と玉井さんの出会いはそんなに長いものではなく、むしろたの友人からすると短い方です。でも人間には百回会っても一家しか会わないような人もいるし、一回の出会いでも百回の出会いのような人もいるのです。玉井さんはもちろん後者で、私の貴重な友人なのです。

 昨日は玉井さんからメールが入りました。私がこの度えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を降りたことを惜しむ文章でした。私を灯台に見立てて持ち上げてくれていました。有難いメールを私は今日のブログとともにプリントアウトして大事に保存したいと思っています。

  「考える 村の村長 名前つけ 考えること 確かにおもろい」

  「水産高 故に先輩 少ないが 唯一俺に 感化さす人」

  「なるほどと よそいき脱いだ 文章に 感心しつつ 見習うつもり」

  「読み聞かせ 思わず笑う 妻ありて 食卓いつも 話題なる人」   

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○果てしなく生え続ける雑草との戦いは続く

 わが家は田舎の家らしく敷地が660坪と、都会の人がうらやむほどの広さを有しています。他所から来た人たちはこの家庭菜園や果樹園付きの敷地を見て、羨ましがるのです。確かに狭いより広いに越したことはありませんが、広いと悩みも大きいのです。まず固定資産税がかかります。敷地を宅地と農地に分けているものの宅地並み課税と思われるほど税金がかかるのです。私たち夫婦が若くて安月給のころ、妻は役場に勤める私に内緒で「税金が高いのでは?」と役場税務課長に相談に行ったそうです。冬至の税務課長は「分相応な場所に住めばいいのに、分相応以上の場所に住んでいるのですから仕方がありません」と軽くあしらったそうです(笑い)。

 さらに広くて困るのは草が生えることです。草は春から夏にかけてが一番旺盛です。私たちが住んでいる四国愛媛では暖地のため3月の初めにはもう寒風をついて雑草が伸び始めます。4月の声を聞くともう伸び放題になるのです。91歳を超えた親父の日課は草との戦いなのです。祖母が亡くなってからは毎日毎日、来る日も来る日も草を引いたり削ったりする作業に汗を流しています。

 祖母が存命中、「家の周りの草を引きながら一周すると、最初に引いた場所にはまた新たな草が生えている」と嘆いていましたが、親父もまたそれに似た話を時々人にしているようです。

 本当は家の周りに除草剤でもまいたらいいのでしょうが、除草剤は体に悪いと聞いているので今のところは除草剤をまかず人力除草に頼っているのです。親父の話によると「歳をとったのでもう限界」と、時々弱音を吐きます。親父の姿を見て私もそう思いますが、いよいよ除草の仕事が私に回ってくるひも近くなったと実感しています。私には4年前から人間牧場の草刈りという年に4~5回の仕事があるので、家の除草を加える余裕は今のところないのです。私の場合多分これから10年くらいはまだ体力的に人間牧場の草刈りは大丈夫なのでしょうが、それ以降は規模縮小をしなければ追いつかないと、親父が私に話すように、私も息子に話をしているのです。

 この数日私は草削りの鍬を持って庭のあちこちの草を削っています。親父から見ればほんのままごとのような言い訳程度の草削りなので、親父の手助けどころか、削った草の処分まで親父が後始末しなければならず、結局はあまり役立っていないようです。

 先日わが家を訪ねた奥東のおばちゃんたちが、家の周囲の草の生えてないのに気づいて、「草野手入れが行き届いていて凄い」と褒めてくれました。奥東のおばちゃんたちは農家なので、わが家と同じような広い敷地を持っているようで、同じように草が生えて困ると嘆いていました。おばちゃんたちは間に合わないから除草剤を使うのだそうですが、それでも草は生えてくるとこぼしていました。

 昨日は大学での仕事を終えて午後4時過ぎに帰ってきました。妻が仕事に出ていて留守なので作業着に着替えて鍬を持って畑に出ました。そして夏みかんの園地内で草削りを少しだけしました。僅か1時間程度の作業でしたが、親父は大層喜んでくれました。

 草削りをすると日ごろ使わない腕の筋肉を使うため体力作りになったのでしょうか、小腹が空いて昨日の夕食は殊の外美味しくいただきました。今日は私の春休みです。お弁当を持って人間牧場へ作業に出かける予定です。


  「植えぬのに 肥料もやらぬ 雑草は どうしてこうも 毎年豊作」

  「雑草の ようになりたや 逞しく 踏まれけずられ それでも生える」

  「おばちゃんが 及第点を つけた庭 親父の苦労 少し報われ」

  「春が来た 喜びばかり 言うけれど 草引く者は 気持ち重たく」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○明日から一週間、私も春休み

 昨年の12月から、毎週月曜日と木曜日愛媛大学農学部に通っていた仕事もいよいよ今日が最後となりました。いわゆる世間を騒がせている契約社員のような身分でこの4ヶ月間、与えられた研究室でただ一人、理論体系も分からぬまま「地域活性化論」について考えてみました。ある時はそれらの本を読み、ある時は思いつくままに用意されたパソコンを使って書いてきました。またその道の関係者とも出会いましたが、相手のいない自由を謳歌しながらも不自由な自由に多少面喰いました。それでも出勤簿に押印した33日間の大学での思考は、これからの自分自身の生き方に大きなインパクトを与えてくれたように思うのです。

 3日後には新しい年度が始まりますが、とりあえず「社会人の学び直し対応教育推進事業」の「地域活性化論」について、学生35人の前で15時間講義する準備だけは整いました。今年はこれまで6年間、愛媛大学法文学部で教えてきた「地域振興と地域づくり」についても年間60時間の講義をしなければならず、大学が多少重荷になるようです。それでも20年間務めた地域づくり研究会議代表運営委員を辞任することができて、多少余裕ができたので何とか歯車は回るだろうと鷹を食っているのです。

 これまでは交遊のある先生たちとの出会いのみで外から大学を見ていましたが、いざその中に入ってみるとまるで迷路のようで、「分からない世界」というのが正直な感想です。この年齢になって大学と付き合うとは夢にも思わなかっただけに面喰っていますが、客員教授といっても非常勤だし、まあ楽しく過ごしたいと思っています。

 明日から私は束の間の春休みを自分自身のリフレッシュのために一週間用意しました。春休みといっても別にパジャマを着て朝から寝るわけでもなく、また旅行に出かけるわけでもありません。ただボーと過ごしたいだけなのです。今週末の土日には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループ恒例の「世界遺産をめぐる旅」として、近場の広島原爆ドーム、安芸の宮島、島根石見銀山を訪ねる予定だし、今春一年生になる孫朋樹の最後の春休みにも付き合わなければらりませんが、この一週間は仕事のことを忘れてしっかりリフレッシュしたいと思うのです。昨年の12月から33日間も日程表に加わった大学での仕事が、気力や体力を減退させているように思うので、畑仕事も加えながらのんびり過ごしたいと思っています。


 私が使っている予定表は市町商工会からいただいたオレンジ色の、持ち運びには不向きな少し大きめのものですが、これまで3ヶ月の予定表には、リタイアした人間とは思えないような数の予定が書き込まれています。これも今日で終わりで、この1週間はあえて白いままの空白となっています。

 また台所の大きい2か月毎のカレンダーには予定表から書き写した予定がびっしり書かれていますが、今朝妻が、「今週は予定表を書き忘れているのでは?」というほど真っ白なのです。ワクワクルンルンの1週間をさてどんなに楽しく過ごしましょうか。

 先日こーぷえひめの理事会の後、大川理事長さんにお願いして賀川豊彦の本を一冊お借りしています。この本は少し長めの本なのですが今週には読み終えたいと思っています。また3ヶ月間貯めていたブログ「shin-1さんの日記」のプリントアウトもしておかなければなりません。やりたいことは山のようにあって、案外自由ではないかも知れないと思ったりしていますが・・・・。


  「明日から 春の休みと 決めたけど やりたいことが 山ほどあって」

  「空青く 少し寒々 するけれど 桜も咲いて 心浮き浮き」

  「大学の 前庭写真 撮るらしく 椅子を並べて 座る人待つ」

  「トラックに 荷物を積んで 忙しく 車行き交う 異動の季節」

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○お口の門限を破った妻

 妻は「孫が来ると食事をしたような気がしない」とよくいいます。それもそのはず、昨日のように娘家族3人、息子家族3人、次男と一気に7人も人数が増えると、気の遠くなりそうな量を作らねば間に合わないのです。妻は早速昨日の午前中買い出しに行くというので運転手兼荷物持ちとして付き合わされました。昨日は食材は伊予市のフジ、お肉はAコープでした。本当は日常買い物をしている近所のお店で買いたいのですが、心を痛めながら品物がそろわないので出かけました。

 出かけ際「おばあちゃんと一緒に買い物に行く」と孫朋樹が乗り込んできました。もう1週間すれば小学校に入学する孫はこの歳になると知恵が働いて、財布を持っている少し甘めのおばあちゃんにつくのが目的達成には一番早道と知っていて、妻もそれを百も承知していながらついつい財布のひもが緩むのです。

 お留守番するはずの孫尚樹も子守りのつもりで同行、フジでは店内のカートに乗せるようせがむ尚樹を乗せて私の担当です。フジの店内は春まっ盛りで、弁当売場には市内近場の谷上山桜2分咲き、シーサイド公園桜2分咲きなどと桜前線の情報がしっかりと書き込まれ、弁当を売る商魂のたくましさに驚きました。

 孫たちはお目当てのキャラクター商品を買ってもらいご満悦でしたが、妻のカートに乗せられた品物の多さに驚きました。「何でそんなに買うのか」ととがめると、「お父さんは分からない」と相手にもせず、「はい次のAコープで肉の買い物をするので、レッツゴー」です。二人の孫を店内に連れて入るとまた何かを買わされそうなので車の中で待機しながら待ちました。ここでも肉を中心にかなりの買い物をしたようです。

 やがて買い物も終わり家へ帰りましたが凄い量でした。妻はそれをてきぱきと仕分けして昼食の準備に取り掛かりました。昼は水炊き、夜は焼き肉のメニューは若者向きで、私たち夫婦は魚中心の別メニューを食べましたが、孫3人と娘や息子、嫁を中心に食事が回転するため、私たち夫婦は結局後回しになって、それも孫の世話をしながらの食事ですから、食べたのか食べなかったのか分からないような一日でした。

 前日吊るし雛と花見をしに出かけた写真をプリントアウトしようと試みましたが、あいにく最後の一枚になってインク不足のランプ警告が点灯して全てはできませんでしたが、それらの写真を見ながら妻と私は、お泊まりで一人だけ残った孫朋樹を風呂に入れて寝かせ、お茶を飲みながら色々な話をしました。

 見ると妻はいつの間にかちゃっかり花見団子を食べているのです。就寝前3時間、願わくば5時間は食べないのが原則と心に決めているのに、妻は5時間前の門限を知らず知らずのうちに破っているのです。昨日のように若い人の食事は糖分と脂肪分が多いので、余程気持ちを引き締めないと糖分と脂肪分が胃に蓄積するのです。それでも妻は「今日だけ」と断りを自分に納得させて食べたようです。久しぶりの日曜休日を子どもや孫のために使った妻の忙しさを考えればそれもやむを得ないと、注意はしましたが納得しました。

 「寝る前3時間か5時間がお口の門限、午後8時か9時がお口の門限」は理にかなっているので、今後も守らないと写真に写ることが怖くなると妻に警告し長い一日を終りました。


  「糖分と 脂肪分には 門限を 守らなければ 写真が怖い」

  「日曜日 来る度わが家 大家族 賑やかいいが 余分はカロリー」

  「食べたのか 食べなかったか 分からない 習慣乱す 台風襲来」

  「痩せたよう 妻は願望 だが写真 ウソはつけぬな 体正直」

[ この記事をシェアする ]