shin-1さんの日記

〇ひじき乾し

 昨日は通称やまぜと呼ぶ南西の風が吹き荒れました。海沿いに面した町は、冬の北西の風、春の南西の風、夏の南からの風、秋口の東よりの風と、季節を通じて色々な風が強く吹くのです。「風通しが良い」という意思疎通の表現言葉がありますが、ひょっとしたらこの町は風通しの良い町かもしれません。昨日の風もすっかり収まり、今日は上天気のようなので、今朝は朝早くから、昨日かまどで炊いたひじきをサナに干す作業を行いました。「春に三日の日和なし」といわれるように、また今年は風がよく吹くので急いで乾燥させないと危ないと思い、急な思いつきで始めました。

若松進一ブログ

 そんな作業をする場合いつも頼りになるのは年老いた親父です。親父はこまごました道具を倉庫にきちんと収納していて、かまどや鍋はどこ、サナはここといった風にしっかりと収納した場所を覚えているため、とっさの作業が済む図に出来てとてもはかどるのです。私などは親父の足元にも及ばず、使ったままほったらかしにして親父に随分しかられたものでした。それでもこの歳になると、「使ったものは元に戻すのが原則」という親父の言葉を肝に銘じて元の場所へ戻す訓練のお陰で収納場所も随分分かってきました。

 今朝は倉庫からサナを出し、水洗いをして庭先の風通しと日当たりのよい場所に並べ、かまどの上に置いてある大鍋の中から、昨日炊いたひじきを取り出し、サナ2枚に広く薄く干したのです。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 昨日は松前町に住む叔母森脇ルイ子が急逝し、加えて孫たちが松山からやって来てバタバタしたため、ひじきへの注意を怠り、残り火でひじきを多少焦がしてしまいました。燻製したと思えばいいと妻は言いますが、料理するために水で戻す時に水洗いをすれば何のこともないようなので、まずは一安心でした。

 干し終わった頃、由並小学校へこの春から昇任校長先生として赴任された武田先生と、オーストリアウィーンの日本人学校から3年の任期を終えて帰国、し由並小学校に帰ってきた中尾先生がお揃いでご挨拶に見えられ、嬉しい再開となりました。武田先生は3年前まで由並小学校の教頭先生だったこともあり、とても懐かしく感じました。

 ひじきの匂いは磯の香りそのままです。親父も歳をとり久しく遠のいていたわが家の漁師の匂いが丸で復活したような、そんな気持ちになった朝でした

  「ひじき乾す 久方ぶりの 磯匂い DNAが 思い出させて」

  「海草は ミネラル豊富な 食べ物だ これで少しは 長生きするか」

  「乾しひじき 一年分の 食料に 我も海の子 知恵が働く」

  「叔母が逝く 孫が来るなど 忙しく ひじき焦がして 少し言い訳」 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇自家製ひじきを作る

 わが家は代々漁師の家系です。祖祖父、祖父、父と3代続いて漁師をしていました。漁師の長男に生まれたゆえに私も子どものころから漁師になるものと家族も自分も思っていました。親父は漁協の役員をしていて、母も漁協婦人部の部長をしていました。ある意味物分りのいい両親に恵まれたため、当時は中学校を出ると高校へ行かずに漁師になる人が多い時代でしたが、高校を卒業してからでも遅くはないと、私と中学校の先生とのわがままを聞いてくれ、水産高校へ進学させてくれたのです。

 今にして思えばこれが間違いの始まりでした。水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海まで航海した私は、地球が丸いこと、日本以外の国に行ったことなどなど、まるで咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉がアメリカへ行った時の驚きにも似た価値観の変化に目覚め、青年団活動などを経て体を壊し役場に入ることとなったのです。

若松進一ブログ

 その結果60歳で役場を退職するまで実に35年間も公務員生活を送り、わが家は親父の老化とともにいつの間にか漁家でなくなってしまったのです。それでも漁村に親類の多い本家の跡取りですから、従兄弟が漁協組合長をしたり、自らも若い頃役場で水産行政を担当して荷さばき所や漁村センターを造ったり、ウォーターフロントにシーサイド公園を造って漁協女性部のじゃこ天作りに関わったため2年前から愛媛海区漁業調整委員をやったりして、漁業とは今も縁が切れないのです。

 そんなこんなで海のこととなると血が騒ぐのですが、一昨日所要でシーサイド公園へ出かけました。久しぶりに海に突き出た突堤を散歩していると干潮の海に海草のひじきが美しくなぎさに漂っていました。このままにしておくのは勿体ないと思い、早速家に帰ってキャリーと鎌を持ってひじき刈りに出かけました。折りしも南風が吹いて天気は荒れ模様となり雨も降り出したことから、キャリーに二つ採って引き上げてきました。


若松進一ブログ

 昨日はこれまた朝から南風の大嵐が吹きましたが、親父と二人風下の東屋にドラム缶を切って造ったかまどと大きな釜を持ち出して、早速自家製ひじきを作ることに挑戦しました。お釜の底に十文字の綱を敷き、その上に山盛りひじきを乗せ、少しだけ水を入れて早速火入れをしました。時折南風が突風となって吹き付けましたが、早朝6時過ぎから作業をしたため十文字の綱で上下ひっくり返すこともできて、9時には火を止め夕方までそのまま蒸しておきました。

 夕方冷めたひじきを取り出して、昨晩夕食に使う分を水洗いして灰汁を取り、妻はニンジンやじゃこ天とともにひじきの煮物を作りましたが、柔らかくてとても美味しいひじきに仕上がっていました。

 今朝は南風も収まったようなので、ひじきを釜から取り出して、作った干し場に干して感想ひじきを作る計画です。こうすれば一年中のひじきを味わうことが出来るのです。海草ひじきはミネラルを含んだ健康食品なのでこれから一年は大好きなひじきを折に触れ味わうことが出来るのです。漁師の家系ゆえに何かとても得をしたような感じのする二日間でした。


若松進一ブログ

  「突堤を 散歩していて ひじき見る 早速刈って 自家製ひじき」

  「いや美味い 綺麗な海の 贈り物 これさえあれば 海草摂取」

  「元漁師 ゆえに自家製 ひじき出来 親父と二人 知恵の伝承」

  「火の番を する親父さん 顔赤く 焚き火が照らす 春が来たよと」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇ミツバチたちもスタンバイ

 昨年から命のリレープロジェクトの一環として人間牧場で始まったミツバチ飼育はいよいよ二年目の入ります。心配されたミツバチたちの越冬もどうにか成功し、昨日のように日中の温度が10度を超えると、ミツバチたちは一斉に活動し始め、遠近の蜜源の花から花粉や蜜をせっせと運んできています。越冬が出来るかどうか心配していただけに種蜂たちが動き回る姿は嬉しい限りです

若松進一ブログ

 昨日は午前中、ミツバチの師匠である西予市野村町の井上登さんに来てもらって、ミツバチの巣箱の点検を行いました。野村町の自宅から2時間近くもかかって来ていただくご苦労には毎回頭が下がり、早く一人前になって自立したいと思っていますが、まだまだ修行が足らない自分を深く反省するのです。

 少し早めに人間牧場へ行き、前日刈り残したツリーハウス周辺の草を刈り、水平線の家の周りの草引きをしていると井上さんはやって来ました。二人で防虫用の黒いネットを頭にすっぽり被り、種蜂の巣箱から点検を始めました。ミツバチたちは時ならぬ人間様のいたずらに気分を害したのか、黒い頭巾めがけて我ツンガツンと攻撃を仕掛けてきましたが、お陰さまで刺されることもなく作業をしました。巣箱の中では既に新しい営巣が行われているのか、古い巣が底板に落とされていました。

若松進一ブログ

 続いての作業は他の3つの巣箱を逆さまにして中のゴミ類を取り除き、バーナーで焼いた跡に蝋蜜を塗ってゆくのです。この作業は井上さん一人がほとんどやってくれ、私はただ見守るだけでした。昨年と同じ見慣れた光景の作業でしたが、蝋蜜の塊をいただいたので、4月24日開催予定の年輪塾セミナーに、馬路村の木下さんがミツバチの巣箱を二つ持参してくれるようなので、出来れば自主独立の気風で家の近くへ置いて、新しいミツバチの住処を作りたいと密かに思っているのです。

 何はともあれ、これで春先の準備は全て終え、あとはミツバチの気ままわがままな分封を待つだけとなりました。咲く園のように今年も全ての巣箱に分封してくれることを祈っています。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

  「ミツバチの 巣箱に蜜蝋 塗り終わる あとは分封 待つの楽しみ」

  「いっちょまえ 蜂除け頭巾 防備して 作業進める 師匠と私」

  「顔めがけ 怒った蜂が 突進す 頭巾なければ 顔が台無し」

  「一年間 飼ったけれども 分からない 今年も右往 左往の日々が」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇年輪塾塾生の活躍

 3年前人間牧場水平線の家で開塾した年輪塾は、清水塾頭、米湊大番頭、松本小番頭以下10人余りの塾生が名前を連ねていますが、その中に高知県馬路村で建設課長をしている木下彰二さんがいます。多分塾生の中では一番遠隔の地にいるのですが、そんな距離をものともせず足繁く塾に参加して研鑽を積んでいる男がいます。まだ若いのに感心と思うか、若いから出来ると思うかは異論の分かれるところですが、彼の場合は若いのに感心であり、若いから出来るのです。

 彼との出会いはそんなに古くはありませんが、出会ってからこれまでの進化の速度は他の塾生よりはるかに速く、熟度も濃密なので将来が楽しみです。

 彼は人に会っていいことがひらめくと必ずメモをします。時にはメモがない時などは、ボールペンで手の甲に直接書いたりしている姿を見かけるほどメモを欠かしません。何年か前のある日のこと私は馬路村に講演に招かれ馬路村役場に立ち寄りました。彼は私のブログをプリントアウトして綴りをつくり活用していました。当時私はブログを書いてもプリントアウトしていなかったのですが、彼の姿を見て早速自宅へ帰り全てをプリントアウトして表紙をつけ毎月一冊のブログ集を作り、人間牧場の長い書棚に置いて来訪者に供覧しているのです。

 彼は私と同じく「いいことは即実行、悪いことは即止める」「本物と真心」をモットーに、どちらかというと走りながら考えるタイプの実践家なのです。

若松進一ブログ

 面白い名刺が手に入ると即真似をして作り、人々をあっと言わせます。私もそれにあやかってではありませんが、この春「裏が味噌」というPR名刺を作りました。名詞の裏は普通白紙です。その裏を使ってPRをしようと地元のギノー味噌という企業にこの企画を売り込み、社長に採用してもらって私の名刺大を全部払っていただきました。1000枚の印刷で3万円余りでした。つまり会社は私を動く広告塔として価値を評価してくれたのです。

 清水塾頭のデザイン協力で出来上がった、この「裏が味噌」の広告名刺は予想以上の反響を呼んでいるのです。まあ一例ですがやる気や行動力さえあれば、どんな田舎に住んでいようと、あるいは閉塞感漂う時代であろうと、一点に集中して突破し成果を収めることが出来るのです。

若松進一ブログ

 年輪塾では清水塾頭が中心になって年輪塾ネットというサイトを運営していますが、一昨日高知新聞に掲載された新聞スクラップ記事を添付してネット会員に配信していました。長野のパティシエ清水さんを招き宇摩時の子どもたちを集めて親子イベントを開催したというニュースです。

 普通こんなイベントを企画すると、「予算はいくらいるか?」「金がないから無理」とこうなって、やらないことをやれないというのです。彼は一点突破、「金がないけど来てくれる」と開き直り子どもたちの夢を見事に叶えてやりました。いやあ嬉しい活躍のニュースです。

 彼が中心になって高齢者や村民を巻き込んで結成したうまじっくクラブという手品集団も、今では随分あちこちからオファーがかかり、独り立ちするまでになりました。

 仲間の活躍する姿は嬉しいものです。ネットで彼は私のことを海猿、私の彼のことを山猿と呼んでメールのやり取りをしていますが、安田川蒸留を守る本物の活動も、幅広い人間関係も、何処か若い頃の私の姿に似ていると目を細めてその成長を見守っています。

 私も65歳の高齢者になったとうそぶいていますが、まだまだ彼らに負ける訳にはいきません。現役の気概でもう一分張りしたいと思っています。

 さてお互い次のヒットやホームランをいつ打つか、密かに狙っているのです。

  「塾生の ヒットのニュース 聞く度に わがことのよう 嬉しくなりて」

  「山猿は 海猿よりも 歳若く 素早実行 感服しきり」

  「居ながらに 隣の県の 新聞を 読んでコメント 便利世の中」

  「名は清水 姓は慎一 どことなく 塾長塾頭 似たよう名前?」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇今年度最後の日に思う

 日本は不思議な国で、旧暦と新暦が混在し、新暦中心の暮らしをしているのに、どちらかというと暮らしの知恵は旧暦を使うのです。種蒔きなどの農作業には昔から言い伝えがあって、年寄りなどはむしろその言い伝えを忠実に守って野良仕事をしているのです。「八重桜が咲けば遅霜に会わない」などという言葉を聞く度に納得して作業を始めるのです。

 ところがつい最近、旧暦や言い伝えさえも当てにならない異常気象が頻繁に起り、農家はかなり苦しめられているようです。東北では春が来たと芽吹き始めたアスパラガスが、突然の春先の積雪によって冬が来たと勘違いしたアスパラは休眠状態となって成長を止めてしまったというのです。例年日本人が大移動をするゴールデンウィークの頃に出荷する予定だったアスパラガスは再びの眠りから覚めて芽を出しても、間に合わないと農家の方々をがっかりさせています。

 柿の産地和歌山県では南風が吹いて春が来たと思って芽吹いた芽がその後の寒波で枯れてしまい、このままだと収穫ゼロも予想されると嘆いているし、温度管理して作っているはずのハウストマトだってこのところの寒さで揺るだけの加温が真昼にも加温しなければならず、加えて日照不足で玉太りが悪いと嘆いているようです。農林関係の調査によると、そすした異常気象の影響を受けている都道府県は日本の半分にも及んでいるというから、農家の悩みは深刻です。今後の野菜の価格変化を注意深く見守らなければなりません。

 さて日本にはもう一つ会計年度と教育年度というのがあります。これは4月1日に始まり、翌年3月31日をもって終わりになる制度です。会計も税金も全てこの年度が採用されているため、年度末には確定申告、年度初めには税の確定、そして税の取立てと、息つく暇もなく貰う金は少ないのに税金だけは容赦なく取り立てられるのです。税金を払えるのだからまだ結構と幾分諦めてはいますが、年金生活者になってみて初めて「税金は高い」ことがしみじみ分かるのです。

 教育年度も会計年度と一緒です。学校は一年の一区切りを終えて殆どの人が進級します。最近は就職難で卒業しても内定がもらえない人の中には留年という道を選ぶ人もいるようです。私の子どもが大学に進学した折、親子の約束として「大学は4年で卒業すること」などといっていた言葉も今は変えざるを得ない就職の現状を思うと、本人は勿論のこと親の悩みも深いのです。

 昨日上灘中学校の浅野校長先生が異動離任の挨拶にわざわざ自宅までお見えになりました。学校評議員をしていたこともあって校長先生とは色々なご厚誼をいただきました。菅外から異動で来られこの2年間、下灘中学校と統合するという節目の年にめぐり合って翻弄され、心労はピークに達したのではないかと思われますが、異動先は鬼北町泉小学校だそうです。休む間もなく新しい任地で学校経営をしなければならない教育年度のことを思うと、どうかご無事でいい仕事をして欲しいと祈るばかりです。

 異動しなかった人も移動した人も、特に行政職員や学校職員はしっかりと自分自身の生き様を総括して、子どもたちが進級したのを見習って、ワンランクアップして欲しいと思うのです。人は何かの区切りがないと総括しないし成長の確認も出来ません。一日、一ヶ月、一年などなど、区切りはあっても、異動から異動まで何の総括も進級もせずに過ごすような愚かな仕事だけはして欲しくないのです。かくいう私も今日で終わる年度を総括して、リタイア後6年目を迎えるに当たり、目標を立ててまた心新たに生きたいと今朝を迎えて思いました。


  「新暦や 旧暦年度 使い分け 日々の暮らしを 組み立て生きる」

  「子どもさえ 進級するから 俺たちも 進級目指し 励まなければ」

  「明日から リタイア六年 事始め 五年総括 新た目標」

  「メリハリの 効いた五年を 生きてきた これから先も 健やか生きる」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇名残の椿

若松進一ブログ

 春が来て、桜に人々の目や心は奪われているようですが、海沿いに面した暖地の四国愛媛県双海町では、そこここに椿の花が咲いて、人知れず名残の花を咲かせたり散らしているのです。風情を楽しみたい私としては野山にひっそりと咲くやぶ椿の赤い花が何とも愛しいのです。

 最近は椿愛好者も結構増えて、品種改良や輸入品種も増え、春先には展示会などを行われているようですが、艶やかな西洋椿もさることながら、やぶ椿も単調さゆえに大好きな品種なのです。厚手の濃い緑の葉っぱの上に対照的に配置された赤い色、そして黄色い雌しべは何ともいえない美しさなので、可愛そうだとは思いましたが一輪折って持ち帰り、備前焼の一輪挿しに挿して机の上に置きました。

若松進一ブログ

 ふと去年の夏から秋にかけてかまどを造った時のことを思い出しました。老練な本田さんという左官さんお願いしてかまどを2基造ってもらいましたが、その折かまどに塗ったべんがら色を際出させるため本田さんは、人間牧場の椿の葉っぱを細かく砕いて布に包み、かまどを磨き始めたのです。椿にはつばき油というのがあるくらい植物油が豊富です。花が終わると私たちが子どもの頃、「かたちもも」と呼んでいたボール状の実を幾つもつけるのです。それらは全て見向きもされることなく地上に落下して砕け、中の実は鳥たちに運ばれてあちこちで芽吹くのです。

 これまでまちづくりで特産品づくりを手がけてきた私としては、このい未利用資源を何とかできないかいつも考えていました。椿油は伊豆大島、「あんこ椿は恋の花」などで知られていますが、この油の活用と利用方法を考えたら面白いと、椿の花を愛でながら思いました。

 早速今年の夏には「かたちもも」を野山に分け入って拾い集めて油を絞ることを考えてみたいと思っています。この油がもし食用になるようなら最高なのでしょうが、油は化粧品や磨き油としても利用できるはずなのです。せっかく本田さんという左官さんがヒントをくれたのですから考えてみたいものです。

 子どもの頃はこの花をポロリともぎ取って、花茎の穴から花蜜を吸って遊びました。まるで蝶やミツバチのように甘い蜜を吸った経験は、食べ物に不自由した戦後間もない少年時代の思い出として今も忘れることが出来ないのです。

若松進一ブログ
(今も庭の隅に咲く西洋椿の艶やかな花々)
若松進一ブログ

  「人知れず 野山に咲きし やぶ椿 見る人もなく やがて散りゆく」

  「濃い緑 葉っぱがゆえに 赤い花 見事に咲いて 目心奪う」

  「かたちもも 何かの役に 立たないか 今年の夏は 挑戦したい」

  「やぶ椿 去年今年も 来年も 見る人なくも 咲いて散り落ち」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇水ぬるむ頃

 自然界に生きてるものは人も動物も植物も全てが、特に四季の国日本では気温の変動によって生かされて生きています。粉雪が北風に舞うあれほど寒かった冬が終わり、寒いといっても朝の気温が5度以上、昼の気温は10度を超えるこの頃になると、木々は一斉に芽吹き始め、日本の代名詞といわれる桜も、もう4~5日で満開の春を迎えるのです。

 昨日今日双海町の海岸線を通って見ましたが、木々によって差異はあるものの美しい桜の花がいっぱい咲いて、「ああ春だなあ」と思わず見とれてしまいました。

 学校も待ちに待った春休みで、子どもたちの歓声も何処となく進級の喜びに満ち溢れているようです。今日は人間牧場へ草刈に出かけました。弁当も用意せずどうせ午前中で終えようと思って出かけたのに、草刈りと倉庫の掃除に手間がかかり、結局自宅へ帰ったのは午後4時頃でした。

若松進一ブログ

 この頃になるとつわぶきやワラビなど山菜採りを楽しむ人に良く出会います。また水が幾分ぬるんだため海岸では、ワカメやひじきを採る人で賑わっていました。ところで皆さんは山菜採りも海草採りも厳密にいうと泥簿であることをご存知でしょうか。山は地主のもの、海は漁業者のものだからです。「えっ本当」といわれそうですが、山菜の王様といわれるワラビもゼンマイもウドもフキも全て映えている土地の所有者のものなのです。

 私も一昨年人間牧場でちょっとしたハプニングがありました。人間牧場の畑にはフキが沢山生えています。元々植えたものが次第に広がったのですが、これを自然の恵みと勘違いして、私に相談もなく収穫し持ち帰ろうとしたのです。注意をすると「どこに書いているのか」などといちゃもんをつけられ、結局乗りつけた車を狭いため回転することが出来ず、後味の悪い結果となったのです。


 今日も松山から来たというおばさん2~3人が目敏くわが家のフキを見つけ、「少し分けていただけないでしょうか」といわれました。容姿の美しい女性に弱い私のことですから、ついつい「一緒に採ってあげましょう」「お幾らですか」「いえいえタダでいいです」なんていい格好をしてしまいました。

 帰り際海沿いを通ると、海岸ではワカメやひじきを採っている人を沢山見かけました。厳密にはワカメもひじきも共同漁業権が設定されていて漁民のものなので、密漁ということになるようです。まあ今時そんなにとがめる漁民もいないでしょうが、黒いウエットスーツを着てアワビやサザエを我が物顔で採ることは完全に密漁で、罰則の対象となるのでご用心です。

 私も許可を得てワカメを採りに行きたいのですが、残念ながらその暇は毎年ないようです。


  「水ぬるむ 海山川に 出かけるが 人の持ち物 採れば泥棒」

  「このフキを 分けて下さい 上品な 女に弱く 採ってあげます」

  「植えぬのに 勝手に生える 雑草は 早くも俺の 仕事を作る」

  「草刈機 そろそろお暇 出す予定 随分俺の 役に立ったな」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇大臣表彰の伝達式

 昨日は平成21年度金融知識普及功績者に対する金融担当大臣と日本銀行総裁連名の表彰伝達式があり、

会場となったえひめ県議会議事堂4階委員会室へ出かけました。この歳になって大臣表彰をいただくなんて思っても見なかっただけに、えひめ県知事さんの代理である愛媛県県民環境部長さんから表彰状と副賞を手渡された時は、今回の受賞が1個人(私)、2団体(大臣表彰は今治市富田小学校・知事表彰は宇和島市宇和津小学校)と少なく、少々戸惑ってしまいました。また県知事さんと日銀松山支店長さん、それに財務局松山財務事務所長さんたちの祝辞にも、私たち受賞者のことがかなり詳しく述べられ汗顔の至りなのです。

若松進一ブログ

(知事代理の県民環境部長さんから大臣表彰状を伝達されました)

 受賞が終わって受賞者それぞれが謝辞を述べなければなりませんでした。私は昭和51年に時の貯蓄増強中央委員会から貯蓄推進員という委嘱状を頂き、3年刻みの更新を経て今に至っていますが、貯蓄増強中央委員会は金融広報中央委員会へ、貯蓄推進員は金融広報アドバイザーと名前を変え、それぞれの時代を反映した取り組みを行ってきました。最初に委嘱された時は全国で一番若い推進員でしたが、今は若い人も増えて年齢が高くなってきました。

 事務局を担当した人の思い出、実践地区の思い出、それぞれの講座での思い出などなど、思い出は数限りなくあり、この仕事で広がった人間関係や知識、それに人生観は私の一生の宝物なのです。

若松進一ブログ
(県知事代理と金融広報委員会長さんに謝辞を述べる私)

 自宅に帰って妻に表彰状と副賞(立派な木製の電波時計)を見せました。私の人生にとって多分最後の大臣からの表彰状だけに、まあ素直に喜ぶべきだと思った次第です。貰った表彰状を見ながら不思議なことを思い出しました。

 かつて双海町役場で地域振興課長をしたいたころ、福井県鯖江市で開かれた地域づくり全国大会で私の発表した事例が最優秀賞に選ばれ、主宰した国土庁長官賞が贈られましたが、その時の大臣が亀井久興さんでした。今回の金融担当大臣が亀井静香さんで同じ亀井さん、しかもお二人はその後自民党と袂を分かった国民新党なのです。まあどっちでもいい話ですが私的には面白い話なのです。

若松進一ブログ

(いただいた賞状と副賞)
若松進一ブログ

  「表彰は  これが最後と 妻に言う 辞めろ烙印 妻がポツリと」

  「三十年 時を越えれば 意味がある 素直喜べ 自分を褒めろ」

  「いい人に 出会い生き方 教えられ 人生観まで 変わった自分」

  「表彰に 恥じぬ生き方 すると謝辞 拳拳服膺 忘れず生きる」



若松進一ブログ
(後日4月4日の愛媛新聞あの町この街欄に載った記事) 



[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇息子の転勤②

 無量寺の枝垂れ桜を見学したため、息子の官舎に着いたのは9時半を回っていました。息子がこの官舎に移ったのは2年前のようです。私たちは忙しい仕事の合間を縫って一度は訪ねてやりたいと思っていましたが日程が合わず、今治へは再三再四来ているにもかかわらず、官舎訪問は今回が初めてなのです。鉄筋コンクリート4階建ての官舎はエレベータもないので、住んでいる3階から荷物を運び出すのは容易なことではないと思っていました。部屋は男一人で住んでいるゆえ乱雑と思いきや、異動が内示されてから少し時間が経っていたのでかなり片付けられていました。


 玄関に車を止めて、まず一番大きな荷物であるベッドを外し下ろしました。そして順次重い冷蔵庫や洗濯機などを運ぼうとしていたら、腕力と体力に自信のある警察の同僚たちが応援に駆けつけいとも簡単に下の車まで運んでくれました。私はその荷物を順序良くトラックの荷台に整理をしながら積み込み、息子の乗用車と息子の友人のジープタイプ乗用車にも積み込み、11時過ぎに出発できるようにこぎ着けました。

 掃除のため官舎に妻を残してしまなみ海道を異動先の伯方まで走りました。満車状態の後ろに積んだ荷物を気にしながら、時速70キロ程度で走りましたが、既に高速道路は日曜日とあって交通量が増え、時々路側帯に車を停車させて後続車に迷惑のかからないよう走りました。

 伯方のインターで下車しオアシス伯方という道の駅で合流し官舎のある木浦まで一般道を走りました。官舎は警察署をやり過ごした少し奥まったところにありました。部屋はまだ空いていないようで、とりあえず倉庫に荷物を入れましたが、これを一人で部屋に入れ、片付けることは大変だと思いましたが、仕方のないことだと割り切ってもと来た道を引き返しました。多分新任地では3年間は異動しないだろうと思われるので、息子の仕事を陰ながら支えてやりたいと思いました。

 官舎へ帰ってみると妻は既に明け渡す部屋の拭き掃除を終え、ゴミを外に出して一服していました。その荷物を車に積み込み全ての作業を終え、ドコモで携帯電話の機種交換をして玉川のそば屋で引越しそばを食べました。遅い昼食だったため腹ペコで、美味しくいただきながら息子の話を聞き、分かれて帰途に着きました。


 異動とはほとほと疲れるものです。独り身の身軽な異動ながらそれでもあれだけの荷物を運ばなければならないのです。警察という仕事の特異性ゆえ仕事の話など一切話せないこともあって、妻の息子を思う気持ちは痛いほど分かるのですが、お互いそのジレンマにこれからも悩むものと思われます。まあ5年前この仕事を好きで選んだ訳ですから、そこはお互い越えないとこの仕事は勤まらないのです。

 ある部分すっかり逞しくなった息子と、時折見せる苦悩を垣間見ながら、願わくば早く良き伴侶をと願っているのです。どこかにいい人いませんかねえ。


  「逞しく なったと思う 息子見て 少し安堵の 胸撫で下ろす」

  「異動とは こんなに疲れる ものなのか 当の本人 もっと心労」

  「ありがとう 言葉残して 去る息子 社会荒波 もろに被りて」

  「私など 上下左右 ささやかな 異動だったと 昔述懐」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

〇息子の転勤と無量寺の枝垂れ桜見学①

 昨日は末っ子で警察官をしている息子がこの度の人事異動となったため、引越しの手伝いに今治まで出かけました。息子にとって初任地である今治は、この4年間過ごした場所だけに思い出も一入のようでした。願わくば4人の子ども全てを県内に住まわせたいと思い、その通りになったもののまさか県内を移動する転勤族になろうとは思っても見ませんでした。

 この4年間派出所、駐在所などを経て私服での勤務など様々な職場を体験し、ある意味初めての異動だけにと惑いや驚き、それに郷愁もあって住み慣れた官舎を引き払う作業は何処か気の重いものでした。

 妻は昨日は幾分早く起きて、転勤作業で朝飯も昼飯も食べる暇がないだろうと弁当を作りました。私たち夫婦は自家用軽四トラックに毛布や座布団、荷造りロープなどを積んで午前7時半に自宅を出発しました。日曜日なので奥道後~水ヶ峠経由の道を選びました。

 昨日の夜夫婦で何気なくテレビを見ていたら、今治無量寺の枝垂れ桜が満開というニュースを見ました。インターネットで調べて見ると、寺の位置が朝倉村上朝倉辺りで、目的地の官舎へ行く途中のようなので、お参りがてらちょっと寄り道しようということになりました。


 付近の人に場所を尋ねると、「学校と農協の近く」と教えていただきました。やがてお寺の屋根と桜の梢が遠く近くに見え、近所に車を止めて歩きました。噂をかぎつけた人たちが9時前だというのにお寺の境内には何人もの人が桜見物にやって来ていて、愛でるというより持参したカメラで盛んに写真を撮っていました。

 「綺麗で見事」な桜を横目に、私たちはまず本堂の前で手を合わせお賽銭を入れ、桜を見せてもらうお礼も込めてお参りさせてもらいました。そしてじっくり桜を鑑賞させてもらいましたが、今月18日に内子町で見た川沿いの枝垂れ桜以来の銘木に目を奪われてしまいました。

若松進一ブログ

 「せっかくだから」と嫌がる妻を桜の前に立たせて早速2枚記念撮影しました。さながらモデル撮影会のようですが、残念ながらこの肌寒さや引越し準備のためドレスアップしていないため、ただのおばさん撮影会となってしまいました。

 85歳まで生きる予定を考えると、桜の季節はもう20回しか巡って来ません。ゆえにこのような満開の素晴らしい桜にもっともっと出会いたいと思っていますが、妻は今年初めての桜見物とあって感激し、桜を表側裏側からじっくり眺めていました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 私のカメラの技術では、ましてや地上に落として故障したりしているカメラ道具では、この素晴らしい桜をより美しく表現することは出来ず、立派な一眼レフデジタルカメラで桜を狙っている人を横目で見ながら、迷惑にならないようについついちょい撮りをしてしまいました。

 帰ってからこの桜が今治地方では有名な桜と知り、夜にはライトアップしていることを知り、また沢山のカメラマニアが無量寺の桜の風景をインターネットで紹介していることを知りましたが、私の写真技術での表現は難しかったようで、パソコンに入力した写真を見て多少がっかりしてしまいました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

  「冬耐えて 見事開花の 桜かな 見上げる空の 青に浮き出て」

  「妻モデル 桜びっくり してるよう 普段着ゆえに 桜引き立て」

  「凄いねえ 二人感心 するばかり いいもの見たと 妻も感激」

  「この桜 息子に見せて やりたいと 思ったけれど どさくさ忘れ」

[ この記事をシェアする ]