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○新生双海中学校開校式

 先日双海中学校の開校式に出席しました。今は無位無官の私ですが、これまでに引き続いて新しい学校の学校評議員に就任して欲しいと要請があり、断る理由もないためお引き受けしたための案内でした。

 少子化の影響で追々細りだった中学校も、二校の統合によって33人の生徒が入学し、90人の中学校が誕生、久しぶりに活気に満ち溢れた学校となりました。

 新生双海中学校の校舎はまだ建設中で間に合わず、仮校舎でのスタートとなりました。この日は小雨が降るあいにくの一日でしたが、校庭の桜はまだ少し残っていました。

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 プレハブ職員室の玄関先で受付をしていたのは、この三月に閉校した下灘中学校で教頭をしていた中嶋先生でした。この度の異動で上灘中学校は校長も教頭も異動したため、地元出身の中嶋先生が学校のまとめ役として春の異動で双海中学校の教頭に赴任してきたのです。

 私たち一般来賓は旧職員室を改造した図書室に案内されました。統合したため下灘からも来賓が多く参列していて嬉しい限りでした。

 式は市長さんも出席して校章の染め抜いた校旗が市長さんから校長さんに授与され始まりました。校歌・校章の作詞者・作曲者・デザイン者などが招待されて壇上に並び、式辞や祝辞の後、それぞれが製作の意図を話されました。

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 この日は開校の模様を難解放送テレビが取材に来ていました。取材に来ていたアナウンサーの和気さんは子どもの頃、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの主催した無人島に挑む少年のつどいに参加した経験のある顔馴染みのある方で、久しぶりに名刺を交換してお話をさせてもらいました。この日の模様は夕方の難解放送ニュースで紹介されました。

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 隣の席に座った上田元町長さんと久しぶりに色々なことをお話しました。学校統合は私が教育長をしていた折、町内全域でアンケート調査を実施知るなど、学校統合のための合意形成を町長さんとともにしてきま、した。そのため、色々な準備や協議で関係者は苦労したものの、他の地域の人が不思議がるほどスムースにその点では上手く事が運んだように思うのです。そのことを知っているのは上田さんと私ぐらいかもしれませんが、草の根的にいささかなりのお役に立てたことをお互いがひそひそと喜び合いました。

 新しい学校がスタートしました。私も学校評議員として他の4人とともに、いい学校を作る手助けをしたいと思っています。


  「終わりあり 初めがありて こもごもの 歴史の重さ しみじみ思う」

  「今思う 水面下の やりくりを つじつま合えば それも忘れて」

  「『実はねえ 子どもの頃に 無人島』 アナウンサーの 顔に見覚え」

  「無位無官 なのに案内 届きたる 言葉に甘え 式に参列」 

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○桜の花見の出来る場所を10ヶ所作りたい

 今日は朝から花散らしの雨が降っています。冬の寒さの中で桜の花の咲くのを大きな期待を込めて待っていたのに、いざ桜が散り始めてもそれほど騒がず、結局は雨や風のなすがままに今年も桜の季節を終えようとしているのです。

 春来れば夏を思い 夏来れば秋を思う

 秋来れば冬を思い 冬来れば夏を思う

 日々年々歳々 人は皆明日を思い

 悲しきかな 今日に生きる

         (奈良駅前のホテルにて)


 しかし日本は広く、南や西の地方で散り終えた桜前線も、東や北の国ではやっと開花宣言といった場所もあるようで、暇が出来たら九州から北海道まで桜の花を追い続けて楽しみたいと思っていたものの、未だにその夢は実現していないのです。でも寄稿のいたずらなのか、今年くらい長い間桜の花を愛でたことも過去にはないような気がするほど、今年は桜の花を堪能することができました。

 昨日までの二日間奈良へ旅をしたため、平城遷都1300年の古都奈良の桜を行く先々の社寺仏閣で見ることができて、これまた思い出に残る桜を見ることができたのです。

 私が代表を務める21世紀ニューフロンティアグループでは、昨日の世界遺産を巡る3年目の旅先で、色々な話をしましたが、その中で桜を植樹する話を提案しました。これまで無人島キャンプや丸木舟瀬戸内海航海、フロンティア塾など数々の企画事業を20年余りにわたってやってきたグループも私をはじめ会員の高齢化が目立ち始めたので、そろそろボランティア活動のも限界が見え始めてきました。

 さこで最後のsy回への恩返しとして、千本桜の植樹を考えました。一ヶ所100本の桜を東中南予それぞれ1ヶ所づつ3ヶ所、3年間で約千本の桜を愛媛県に植えようという計画です。

 県下には耕作放棄地が沢山増えており、願わくば希望する人たちに土地を提供してもらい、底に桜を植えようという計画なのです。桜は成長が早く植樹して10年もすれば桜の花見の出来る名所が出来るのです。私たちと共同で植樹や草k理などをしようと思っていますが、計画はまだ緒に着いたばかりなので、これから希望を募る作業をしなければなりません。桜の苗木購入費は私たちのグループが負担する考えで、一本千円程度の3年生若木を千本用意すると百万円の財源が必要となりますが、まあ10人余りの小さなボランティアグループなのでこれが限界と思っています。会員の賛同は得ましたので、いずれその計画を発表したら、このブログを読まれた方々の応援や参加をよろしくお願いいたします。

  「待ち焦がれ 咲いた桜も 早散って こうして一つ また歳とりぬ」

  「今年ほど 長く桜を 見た年は ないと思える ほどに堪能」

  「千本の 桜植えると いう話 仲間賛同 わが意を得たり」

  「色々な 夢をかなえて きた仲間 いよいよ桜 最終章に」

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○言葉を忘れた日本人(旅先にて)

 旅先で今朝ホテルの飛鳥という天然温泉に入りました。「朝寝・朝酒・朝湯が大好きで、それで身しょう潰した」は小原庄助さんの歌の文句ですが、私は朝寝も朝酒もやりません。しかし旅先での朝湯はとても楽しみで、ついつい長湯をしてしまうのです。

 ビジネスホテルといいながら、つい最近のホテルは風呂好きな日本人に対応して、天然温泉共同浴場を別に備え、24時間サービスしているのです。このホテルの温泉も飛鳥の湯と呼ぶにふさわしい肌触りのよい温泉で、肌がすべすべして、多分帰ったときには妻がわが主人を見まがうほどに男前を上げているのではないかと思うのです。

 風呂に入るとたくさんのビジネスマンや観光客が入浴してきます。人懐っこい私は誰かれなく「おはようございます」「どちらから来られましたか?」などと話しかけるのですが、残念ながら眠い目をこすり、迷惑そうな顔をして背を向けるのです。「おはよう」といえば「おはよう」と返ってくる、たとえ見ず知らずでも同じ日本人ですから、言葉くらい掛け合っても罰は当たらないと思うのです。

 昨日レストランに入りました。食事を注文して食事を食べ、支払いをしてそのレストランを出る時、レストランの従業員は教育ができているので皆さん丁寧に「ありがとうございます。またお越しください」と声をかけてくれるのですが、殆どの人は「わしはお客だ」と言わんばかりに無口で去って行くのです。


 飛行機に乗っても同じです。飛行機に乗り込めば優しい笑顔で「いらっしゃいませ」とスチュワーデスが笑顔で挨拶をしてくれます。飛行機を降りるときも「ありがとうございました。またのご搭乗をお待ちしています」と声をかけても殆どの人が無口で飛行機を降りてゆくのです。

 「ありがとうございました。美味しかったよ」と言葉をかけてレストランを出れば、どれほどレストランの従業員は喜ぶことでしょう。またスチュワーデスも喜ぶに違いないのです。

 何気ない「ありがとうございます」の一言はを忘れた日本人に、もう一度感謝の言葉を思い出して欲しいと思った朝でした。


  「何故なのか 言葉忘れた 日本人 余りに多過ぎ 注意もできず」

  「旅先で 声をかけたが 返答も なくて寂しく 温泉浸かる」

  「ありがとう 美味しかったと お礼言う 相手びっくり 嬉笑顔で」

  「旅に出て 朝寝朝酒 ないけれど 朝湯楽しむ 心ポカポカ」

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○奈良駅前の旅先ホテルにて

 旅先奈良の駅前にあるロハスを謳い文句のスーパーホテルに泊まり、旅の疲れで昨晩11時に、テレビを見ながら眠ってしまいました。ふと気がついて目が覚めたのは午前4時でした。これは何も珍しいことではなく、家にいても夜12時に床に就き、朝4時に目が覚める習慣なのです。したがって昨晩は日ごろの暮らしより1時間も余計寝た計算になるのです。それもそのはず昨日は朝4時に起きて身支度を整え、朝5時に家を出て仲間とともにレンタカーに乗ってはるばる奈良県まで旅足を伸ばして多少気疲れしていたからかも知れないのです。


 昨日の夕方妻から旅先に電話がかかってきました。これも旅先にかかるいつもの電話なので、「そちらの天気はどうか?」「何か変わったことはないか?」「親父の具合はどうか?」くらいの短い消息確認なのです。電話をしてきた妻もいつもと同じように「そちらの天気はどう?」「体調はどう?」「いつごろ帰るの?」「お土産は柿の葉寿司と葛餅がいい」などと注文し、最後は「旅ができて羨ましい」で「それじゃあ待ってるから早く帰ってね」で幕を閉じるのです。

 この何気ない会話は、毎日のように全国を講演などで飛び歩く私の体を心配して、退職して6年間変わらぬ定期便のような妻からのメッセージなのです。

 今朝は朝起きてもまだ外が暗いため散歩にも出られないため、エレベーターでロビーまで降りて、パソコンの前に座り、思いつくままにこの部ログを呼び出して、思いつくままに書いているのです。

 横のもう一台のパソコンの前には、中国人と思しき若い女性がすでに陣取り、パソコン画面を見ながら国際電話をかけて画面を操作しています。電話でのしゃべる声は時折笑ったり怒ったりで、少し声が大きくなり、我に返って小さくしたり、中国語なので何の話か分からず、時々諭すように私もわざと咳払いをしたりしています。

 ホテルの朝は早く、既に若い女性たちは荷物をまとめてエレベーターから最終階の4階まで降りてきて、ロビーのある4階から別のエレベーターに乗り換えて出発しているようでした。


 今日はこれから温泉に入り一風呂浴びて身支度を整え、6時半に軽い朝食をして、8時にはホテルを出発して奈良界隈の遷都1300年を迎えている古都を訪ね歩きます。土産話は帰ってから手持ちのデジカメ写真を交えながら紹介したいと思っています。


  「世の中は 随分便利 なりにけり ホテルのロビーで ブログが打てる」

  「旅先に 安否気遣う 妻の声 いつもながらの 優しき心」

  「いつもより 少し余分に 寝て起きる 眠気覚ましに ホテルのお湯で」

  「ロハスゆえ 無駄がないのか カミソリも なくて持参の カミソリ出して」  

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○今日から二日間世界遺産を訪ねる旅に出ます

 私が代表を務める21世紀愛媛ニューフロンティアグループでは、毎年一回国内の世界遺産を訪ねる旅を3年前から始めており、これまでに和歌山の熊野古道、広島の原爆ドーム、広島の安芸の宮島、島根の石見銀山を巡って来ましたが、今年は今日から二日間遷都1300年の奈良路を訪ねます。

 今朝は家を間もない早朝5時に出発して、待ち合わせ場所の松山市駅で合流し、10人乗りのレンタカーで一路奈良を目指します。帰りは明日の夜遅くになる予定です。その模様は帰ってから書き込みます。

 今夕午後6時30分、奈良駅のスーパーホテルに到着し、皆で近くの居酒屋へ夕食と交流を兼ねて呑みに出かけました。ホテルのフロントで聞いた居酒屋は焼き鳥などが中心のメニューでしたが、鶏肉といいながら肉料理はあまり好きでない私は、刺身と揚げ出し堂豆腐やつみれ、それに野菜サラダを中心に食事をしましたが、なれない普通の食事と違い腹持ちがよくって、おなかがパンパンに張って眠れそうもありません。

 そこでロビーに備え付けているインターネットを使って、奈良発の部ログを書き込んでいるのです。今朝は5時に自宅を妻の車で出発、松山市駅で他の仲間と合流し、小松のサービスエリアで河上、日浅両氏を乗せ、松山道、高松道、鳴門海峡大橋、淡路島と、河野、田宮両氏の運転する10人乗りのレンタカーで走りました。途中北淡町の阪神淡路大震災でできた野島断層の記念館を見学して、明石海峡大橋を渡り、目的地の奈良県へ向かいました。

 最初の目的地は亀石と石舞台や明日香村の壁画でした。一昨年奈良県へ講演に出かけた折、青年の船の仲間だった谷川氏の案内で、明日香村の本物の壁画を見せていただいているし、石舞台も見ていたので記憶はすぐに蘇りましたが、桜の花咲く明日香路は初めてなのでまた違った趣がありました。その模様はデジカメに記録しているので帰ってからのお楽しみとしたいと思います。

 とりあえず今夜はここで記事を書くのを止めておきます。お休みなさい。


  「今年また 遺産巡りの 旅に出る 友と一緒に ワイワイ言いつ」

  「久方の 奈良の都で 桜見る ああ美しや 日本の春は」

  「割引の 恩恵預かり 高速道 走りに走り 奈良の都へ」

  「傍目から 見れば初老の 団体か? 若いつもりも 人はそう見る」

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○統合中学「伊予市立双海中学校」の開校式

 60年余りの歴史に幕を閉じた上灘中学校と下灘中学校がその長い歴史に幕を閉じたのは10日ほど前でした。そして今年4月1日から旧上灘中学校跡地に、双海中学校が誕生しました。昭和50年代には双海町議会に中学校統合のための特別委員会まで設置されながら、根強い地元の反対に会ったり、私が最後の教育長をしていた折、学校統合のアンケート結果を実施して、統合の道筋をつけたことなどが懐かしく思い出されますが、まだ統合校舎の建築が間に合わない、仮校舎での船出となりました。

 特に寂しかった昨年度末の下灘中学校の閉校式などを思えば、昨日の開校式は実にイキイキとした未来に向かう胎動のようなものを感じたものです。

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(制定披露された新しい統合中学校の校歌)

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(新しく制定された双海中学校の校章)

 その際たるものは愛媛大学の渥見秀夫先生の作詞と、井上洋一先生の作曲による新しい校歌です。

 一、菜の花の道をたどれば

    夢育つ 明るい母校

    たわわなる双海の山よ

    夕日が染める茜の空は

    明日の希望が生まれるところ

    胸躍る未来を望み

    胸躍る未来を望み

    若人われら 背伸ばす

 二、水仙の道をたどれば

    理知光る 清しい母校

    清らなる双海の川よ

    夕日が染める茜の空は

    明日の夕日が生まれると

    胸熱く真理を求め

    胸熱く真理を求め

    若人われら 瞳を上げる

 三、石蕗の道をたどれば

    愛集う 優しい母校

    平らかな双海の海よ

    夕日が染める茜の空は

    明日の笑顔が生まれるところ

    胸深く平和を願い

    胸深く平和を願い

    若人われら手を繋ぐ


 新入生と在校生が歌う校歌はとても清々しく感じました。というのも、歌詞に盛り込まれ書かれた全ての自然景観などはこの20年余り、私たちが深く関わって作り上げてきた旧双海町のイメージなのです。夕日も花もそれなりの反対や失敗、それに抵抗もありましたが、この歌詞にはそれらがうまく盛り込まれているのです。


  「新生の 中学校歌 初披露 嬉しい言葉 随所ちりばめ」

  「関係は ないがこの曲 覚えたい 評議員ゆえ 口ずさむくらい」

  「校章の デザインハートに 見えますね 心真ん中 中も凛々しく」

  「胎動を 感じる開校 式に出る 久方多い 新入生数」

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〇雑草は元気ですね

 肌寒いといっても外の気温が上がってくると、日々の暮らしは過ごし易いのですが、厄介なのは庭の草が伸び始ることです。植えもしないのにそこここやたらと芽を出し、ほおって置くとあっという間に草だらけになって見苦しいのです。祖母が元気な頃は祖母が、今は何とか元気な親父が草引きをしてくれていますが、家の敷地が再演も含めると660坪もあるので、今の親父の処理体力では限界があるのです。そのため私も折にふれ雑草引きをしていますが、まあそのスピードの速さには着いて行けない速さなのです。

 昨日は半日をかけて入り口近くの庭の草削りをしました。わが家に入ってすぐ横の庭木の植わった庭なので、目に付くからと、妻も親父も都度都度やっていますが、やはり手に負えないようで私の出番となりました。この庭は多分年末に草引きをしてから手入れをしていないので、草削り専用の鍬で削ると、一輪車2台分もの雑草を採ることができました。草を削り進むと、春になったことを感じた緑色のカエルが数匹ピョンピョンとユーモラスに飛び跳ね、何ともほほえましくも長閑な光景です。

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(ひょっこり顔を出しユーモラスに飛び跳ねる緑のカエル)

 昨日は北寄りの風がふいて肌寒い一日でしたが、天気はよく直射日光の当たる場所では帽子を被らないと暑く感じるほどでした。人間牧場での草刈は麦藁帽子に地下足袋のいでたちですが、自宅では野球帽に長靴のため、少し日に焼けたようでした。

 草を引きすっかり綺麗になった庭を眺めながら、はてさてこれからこの庭の剪定作業も含めた手入れが老いを迎える私へと変わりつつあることを実感しました。歳をとっての庭いじりが大変だから、庭のないマンションに住むという人の気持ちも分かるような気がするのです。

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(すっかり綺麗になった庭先)

 最近は雑草除去のため草枯らし剤を散布する人も増えているようですが、人間牧場も家庭菜園も庭も含めて、環境によくないという草枯らし剤を散布することだけはできるだけするまいと心に誓っているのです。今の農家は草枯らし剤は体や環境によくないと分かっていても、人手不足を補うためやむなく使っているようですが、あの元気な草が枯れるほどのダメージゆえ、人体によいはずはないと思い、今年も草との格闘を楽しみたいと思っているのです。

 とっくに使用期限の過ぎた草刈機を今年はお金を蓄えて何としても購入したいと思っていますが、使えるうちは多少不自由でも使ってやろうと、「勿体ない精神」が頭を持ち上げている今日この頃です。


  「植えもせず 頼みもしない 雑草は 伸びるは伸びる あっという間に」

  「祖母親父 代々受け継ぐ 草取りも いよいよ俺の 出番近づく」

  「草枯らし 散布はしない 心決め ゆえに雑草 わが物顔で」

  「草取った 庭の風流 見事なり 自画自賛して 眺め楽しむ」

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〇リユースすることになった二つの鍋

 不用物を回収・再生し再資源化・再利用することを【recycle】、手を加えて改良し作り直すことを【reform】、再使用することを【reuse】といい、これらを3Rといっていますが、資源の少ないわが国では3R運動を行っているものの、相変わらずの消費大国で、月に一度の不燃物回収の日などは、「こんなもの何で捨てるの?」と目を疑うようなものが出されているのです。行政もそのことを知っていて、リサイクルセンターなどを作って対応していますが、一度消費癖のついた国民を元に戻すのは容易なことではないようです。リサイクル、リフォーム、リユースという言葉は、研修会などでしばしば聞き、とくにリサイクルという言葉などはもう日本語化しているほど、私たちの暮らしの中で使われているのです。

 先日長浜へ行った帰り、道端軒先に沢山の道具類が出されていました。全て埃を被り明らかに不燃物回収に出される運命にあるようなものばかりなのです。鍋・釜・鎌・鋸・鍬などなど、かつてはこの家の日々の暮らしに重要な役割を果たしてきたであろう道具類ですが、鍋も釜もかまどがあった時代のもの、鎌・鋸・鍬などは野良仕事に使ったもので、既にそんな暮らしが殆ど存在していないのです。

 郷愁に駆られた訳でもなく、勿体ないと思った訳でもないのに、鍋と釜を見て「人間牧場のかまど小屋で使えそう」と思い、家の中に声をかけました。中から80歳がらみの顔見知りのおばさんがごぞごぞでて来ました。聞けば全ていらないものなので、「欲しければ全部あげる」ということでした。そうはいっても要らない物までいただく訳にもいかず、鍋2つとはがま1つ、それに餅つき用の杵の頭だけをいただいて帰りました。

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 早速全てを車から降ろして水場に運び、亀の甲タワシでゴシゴシこすりながら水洗いをしました。全て古びてはいますがまだまだ使用可能なようです。傍で見ていた妻は「そんな汚いものを何にするの」と怪訝そうでしたが、私の構想を話すと納得した様子でした。

 先日製材業を営む従兄弟にお願いして板切れを貰ってきていたので、親父に訳を話して鍋の蓋を2つ造ってもらうよう頼みました。昨日の午後親父は早速鍋の蓋造りをしてくれました。二枚の杉板をボンドで一枚に引っ付け、カンナをかけて鍋の大きさを測って円を描き、鋸で切って円形にしました。いびつな所をカンナをかけて修正し、取っ手をつけて見事な鍋の蓋が2時間余りで完成しました。

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 ひとつの鍋は吊鉤がなかったので、親父は自分の工房にあるステンレス製の棒を取り出して何やら曲げては伸ばししていましたが、ご覧の通り見事な吊鉤も再現してくれたのです。いやはや91歳の年齢とは思えない出来栄えに尊敬の念が湧いてきました。

 「捨てればゴミ、「使えば資源」なんて言葉もよく耳にしますが、私はこの鍋を人間牧場のかまど小屋で様々な料理に使おうと思っています。さしあたり手ごろな大きさなので味噌汁を作る道具として使いたいと思っています。と同時にやって来た皆さんに味噌汁を食べながら不用になった鍋に命を吹き込んでリユースしたことを話そうと思っています。これも立派な環境教育なのです。小さな鍋だけど人間牧場で第二の人生を送ることになったこの鍋はこれからもう一踏ん張り働いてもらう予定です。


  「捨てるから 要らないあげる 頂いた 二つの鍋に 親父蓋つけ」

  「鍋に言う もう一働き してくれと 鍋も納得 化粧し変えて」

  「この鍋は リユースですよ 言いながら 味噌汁食べる 顔が浮かびて」

  「気がつけば 勿体ないと 言う世代 いない時代に なってしまって」

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〇47年ぶりの再開

 先日ある風呂屋で、47年ぶりに高校時代の同級生に会いました。私も相手の同級生も裸ゆえ、最初は余り気にもしていませんでしたが、サウナや薬湯などに同じように入りながら、「どこかで見た顔だな」とお互いが思いつつ、どちらということもなくお互いが、「毛利君じゃない?」「若松君じゃない?」と声を掛け合い、47年ぶりの再会を果たしたのです。彼は宇和島水産高校では製造科、私は漁業科だったため学生時代もそんなに濃い付き合いはありませんでした。でも八幡浜から通う彼と宇和島に下宿していた私は、昼休みに何度か自家製の弁当を食べさせてもらった間柄で、今もその思い出だけが残っているのです。

 水産高校の卒業生は市内以外から入学した生徒が多く、加えてその性格から船乗りも多く、卒業してこれまで一回も同窓会などしたことがないのです。ましてや製造科と漁業科はそんなに交流もないため、顔47年ぶりにを合わせても、多分見過ごしてしまうのです。

 それから30分余り風呂に浸かったり出たり入ったりしながら、その後の消息を聞き合いましたが、現在八幡浜に住む彼は未だに私のことをよく覚えていて、新聞やテレビに私が紹介される度に意識をしていたとのことでした。私が水産高校に入学したのは47年前の昭和36年でした。高度成長真っ只中ゆえ日本中が活気に溢れていた時代でした。当時の宇和島も活気に満ち溢れ、田舎育ちの私には宇和島という土地がまるでユートピアに感じていたのです。

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(私愛用の二本のハーモニカ)

 私が水産高校を卒業して大学進学を志したものの、親父のがん闘病と重なりやむなく帰郷した昭和38年に舟木一夫が歌って大ヒットした「高校三年生」という歌がありますが、今でもこの曲を聞く度に懐かしい思い出が蘇ってくるのです。

  高校三年生

 赤い夕日が 校舎をそめて

 ニレの木陰に 弾む声

 ああ 高校三年生 ぼくら

 離れ離れに なろうとも

 クラス仲間は いつまでも

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(ホラも吹くがハーモニカも吹く人-自写像)

 手持ちのハーモニカで一曲吹いてみました。いやあ懐かしい、当時の思い出が鮮やかに蘇ってきました。男子校だったため、淡い恋心など抱く余裕も暇もなく、ましてや高校三年生になると実習船愛媛丸に乗って遠洋航海に行ったため、この曲のような思い出はないものの、47年ぶりの同級生との出会いはやはり嬉しいものでした。

 これからの私の残された人生においても、そんなに多くの高校時代の同級生には会えないだろことを思うと、この日はとてもラッキーな一日となりました。またいつか同級生の毛利君とどこかでお会いしたいものです。


  「半世紀 ぶりの再開 風呂屋にて 裸なれども 嬉し恥ずかし」

  「ハーモニカ 取り出し吹いた 一曲は 高校三年 思わずジ~ンと」

  「ふと思う 昭和だんだん 遠くなる まして俺など 古い人間」

  「いつの間に 65年の 歳重ね 余命指折る 歳になったか」  

 

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〇「実を見て木を知れ」というが?

 数日前全国の友人に向けて、今年最後のポンカンやデコポンといった雑柑を10箱も送りました。いつも季節のものを送ってくれる友人たちが全国には沢山いて、これでは足らないのですがとりあえず今回は10人にげんていしました。送ろうとして荷造りをしている所へ一個の宅配便が届きました。あて先を見ると年輪塾塾生の大河内結子さんからでした。蜜柑を送る所に蜜柑が届くのは変な話ですが、わが家から送るポンカンやデコポンは全て知人で近所の農家から買い求めるため、わが家が食べるポンカンやデコポンも全てそこから買っているのですから、大河内さんから届いたイヨカンはわが家にとって今年最後のイヨカンとして、夫婦が大事小事に毎日夫婦がそれぞれ一個ずつ、朝フルよろしきを得て美味しく食べているのです。

 大河内さんたちは朝フルと称して朝新鮮な果物だけを食べる運動を推奨しています。リンキャベの朝食をもう20年以上にわたって続けている私は理解できるのですが、この運動を定着させるには中々骨が折れるようです。大河内さんから届いたイヨカンは桜イヨカンといって、桜の咲く季節まで貯蔵しているため、外観の色は深いオレンジ色、そして味も酸味よりも糖度が乗ってとても美味しいのです。私たちの町でもイヨカンを作っている人はいますが、これほどこだわって美味しい味に仕上げている人は殆ど見当たらないようです。

 ひところイヨカンの品種である宮内イヨカンや大谷イヨカンは注目を集め各農家が競って栽培していました。ところが果汁が多く手が汚れて食べにくい難点からか、消費が思うように伸びず、デコポンやポンカン、それにハルミや清見などの雑柑に押されて、次第のその収穫量を減しているようです。

 でもイヨカンの味と香りはたの柑橘類には引けを取ることはないと、大河内さんから送られてきた桜イヨカンを食べながら思うのです。果実を食べて手が汚れれば洗えばいいし、それくらいの努力をしない人は柑橘類を食べる資格がないのです。

 一昨日日曜市の世話をしている森田イチさんから、晩成の蜜柑が届きました。「えっ、今頃みかん」と驚きました。外観は干からびてしわだらけになっていましたが、これが何と美味しいのです。自家用に貯蔵していた酸味の強い蜜柑も、こうして長く貯蔵すると酸味が糖度に変わり、甘さ抜群となるのですから、吊るし柿の渋が糖度に変わるような面白い変化なのです。

 わが家はみかん所だけあって、このところ様々な柑橘類に囲まれて暮らしています。知人や友人が「お食べんか」と言って持ってきてくれるのですが、この時期ゆえに雑柑類の味を堪能しています。

 格言に「実を見て木を知れ」という言葉があります。「この実はどんな木に?」と思いを巡らせるものの、蜜柑の木を見ても残念ながらその気を識別することは出来ません。何故なら蜜柑の台木に別の品種を高接ぎすれば、2年後にはその品種が成り始めるのです。農家はいい品種が出回り始めるといち早くその穂木を求め高接ぎして増産するといった作業をこの20年間繰り返していて、農家自身でさえ一見で「実を見て木を知る」ことすら出来ないのです。何はともあれ今朝もこれから大河内さんから届いた桜イヨカンを朝フルしながら、桜の花びら舞う春を楽しんでいるのです。

  「仲間から 届いたイヨカン い~予感 桜と命名 味を楽しむ」

  「実を見れど どんな木々に 実をつける 知らぬ存ぜぬ 美味けりゃいいわ」

  「今年又 届いたイヨカン 箱開ける 友の匂いが ぎっしりつまり」

  「サプリなど 食べないけれど ビタミンC 蜜柑で充分 お陰で元気」 

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