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○わが家は人生の楽園

 最近忙しくて自宅の周りを観察する間もなかったのですが、昨日の夕暮れ時散歩の帰りにわが自宅を外の道から見返して驚きました。いつの間にか家庭菜園の周りに植えているつつじが満開を迎えているのです。出会った近所のおばさんが、「いつも目を楽しませてもらっています。あんた方は人生の楽園だね」と奇妙な表現をされました。人生の楽園といえば田舎暮らしに憧れ、田舎暮らしを手に入れて生きている方を紹介するテレビ番組のタイトルなのですが、このおばさんに言わせるとわが家は人生の楽園だと目に写るのだそうです。はてな?と思いつつ軽く言葉を交わし、急いで自宅へ戻って暮れなずむ中、デジカメで花々を急ぎ足写真に収めました。

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(道沿いから見える石垣の上のつつじの花帯)

 わが家のつつじは細長い家庭菜園の畦に植えているため、白塀を加えると100メートルにも及ぶ帯をしています。下は他人の田圃ですが、下の道から見ると石垣の上に程よくマッチして見えるのです。花の中には満開を迎えた木とまだまだ蕾の木があって、ここ一週間が見ごろかなと思うのです。

 このつつじは私が20年も前に挿し木して増やし、杉垣だった杉を切った後に植えたものです。その後の手入れは親父に任せきりですが、親父は花後の剪定手入れや年に一度マシン油の消毒を欠かさず行っていて、それがこの花を美しく見せているのです。


(近づけばほらこの通り百花繚乱、大洲の富士山には負けますがオンリーワンです)
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 ピンクや白や紫の花々が程よく入り混じり、このまま今日の雨に打たれて散るのかと思うと、何とも勿体ない気持ちです。確かに林芙美子のいう通り「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」なのです。ゆえに今夕から上がるであろう雨を期待して、明日からじっくりこの花々を家族とともに楽しみたいと思っています。

 いよいよ間もなくゴールデンウィークが始まります。娘家族は娘婿のお父さんの法事のため大阪へ行きますが、長男家族の孫たちはやってきます。また賑やかな日々が戻ってきます。幸せをかみしめながら行く春を楽しみたいものです。


  「気がつけば 百花繚乱 咲き誇る つつじの帯は わが家へ続く」

  「白ピンク 紫色が 程よくて 絵にも描きたい 写真撮りたい」

  「この花が こうして咲くは 年老いた 親父のお陰 そんな思いで」

  「人生の 楽園ですね 言うてくれ 田舎暮らしを 誇りに思う」

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○ちょっとしたトレッキングを楽しむ

 寒い寒いといいつつも季節は巡り、早いものでもう4月も終わりが近づいてきました。寒いと戸外へ出るのがついつい億劫になりがちですが、このところの陽気に誘われ朝晩散歩がてら裏山を歩いています。山歩きの楽しみは何といっても植物との出会いです。冬の間殺風景だった木々が一斉に芽吹き、周りの山々はまるで黄緑色の衣を着ているように、目にも鮮やかに見えます。多分この木々たちも生きるために呼吸しているのでしょうが、根から水を吸い上げ、周りの空気を吸って吐き出している酸素は、私たち人間に大きな活力をくれているに違いないのです。

 土日は年輪塾とだんだんつながろう会の皆さんとの学習会や交流会があって、忙しく過ごしたため、せっかく久しぶりに泊まりにやって来た孫たちと遊ぶことができなかったので、誘ってちょっとしたトレッキングを楽しみました。孫朋樹は小学校2年生なので、足元もしっかりしているのですが、孫尚樹は来月3歳になる程度なので、まだまだ山歩きはおぼつかず、狭い山道では私の手を握って歩くものの時々しりもちをついたりしましたが、それがまた楽しいのか、何度もわざとふわふわの落ち葉の上に転げてキャーキャー言って遊んでいました。健康やレクリェーションが目的でする山歩きのことをトレッキングといいますが、まさにこれこそちょっとしたトレッキングでした。

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(木漏れ陽の山の中をゆっくり歩く孫たち)

 山歩きの途中に竹やぶで筍を見つけました。子どもたちにとって食卓に出されている筍は、この季節ゆえ沢山食べさされますが、どんな格好をしているのか見るのは初めてなので、珍しそうに眺めていました。「おじいちゃん、おばあちゃんに筍を採って持って帰ろう」と尚樹が言いました。すかさず朋樹が「この筍は他所のものだから採ったら泥棒になるからいかん」と釘を刺しました。いい会話だと内心ニコニコしながら聞きました。

 木漏れ陽の中を歩くと道端に様々な植物が見えてきます。私の目の高さと孫たちの目の高さが違うため、見つけるものが随分違います。「おじいちゃん、今度はあの山まで登ろう」とか言いながらトレッキングを楽しみました。

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(道端で見つけた大きな筍にびっくりする孫朋樹)


  「木漏れ陽の 中を三人 ゆっくりと 春を見つけて スッテンコロリン」

  「ニョッキリと 雨後の筍 顔を出す 採ったら泥棒 弟諭す」

  「春衣 まとっているよな 山の色 目にも鮮やか 空気がうまい」 

  「筍を 見たよと婆に 報告す 三歳孫の 得意な笑顔」 

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○人間牧場にて

 人間牧場の水平線の家にウッドデッキが造られています。このウッドデッキは重宝なもので、冬こそ窓で仕切られていますが、春から夏、夏から秋にかけては雨の日を除けば観音開きのような戸を開け、室内の25畳とほぼ同じ25畳が一体になって使えるよう設計されているのです。私の希望を叶えてくれた設計者の長男に感謝しながら、色々な集会に合わせて便利に使っているのです。

 ウッドデッキの空間は背後の水平線の家が二階建てのため背後天空を通る太陽の光を遮る影の部分があって、この日陰が何ともいえない癒しの部分にもなっています。この日陰は夏の暑い日の草刈の後の昼寝の場所としても最適で、昨日などは日焼けを気にする女性のためのスポットとして利用されていました。

 私と息子は陽ざらし雨ざらしのこのウッドデッキをできるだけ長持ちさせるために、半年に一回メンテナンス作業として防腐剤を塗る作業をもう5年間も行ってきました。ウッドデッキは特に若い人たち誰もが憧れ、自宅にウッドデッキを造っている家を最近よく見かけるようになりましたが、高温多湿の日本では防腐剤を塗らずにほおっておくと、まず5年くらいで継ぎ目や割れ目、釘穴から水分が入って腐り始め、10年もすると危険で使えなくなるのです。息子と私のほどよい手間によってまだ腐ることもなく大切に使っています。

 私は時々暇さえあればこのウッドデッキに背もたれ椅子を運び出して、その植えに寝転んで瞑想にふけったり読書をしたりします。最近異動で島の警察に転勤した息子の部屋で要らなくなった少しお洒落な背もたれ椅子をいただいたので、長男が買ってくれたものt含めて2台になりました。

 昨日はこの2台を運び出して孫朋樹と二人で雑談にふけりました。いつの間にか孫朋樹も小学2年になりすっかり大きくなって、背もたれ椅子が似合うようになってきました。椅子を出してカメラを置き自動シャッターでツーショットの写真を撮りました。

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 ウッドデッキに椅子を置いて写真を撮ると、バックの青い空や海、水平線や島々をバックに何となくアートを感じる写真が出来上がるのです。放射線状に張られたデッキの板や、誰も座っていない椅子、そして椅子の陰が何か主張のようなものを感じさせてくれるのです。近々いい日和を選んで人間牧場へ行き、そこここの光と影を撮影したいと思いました。

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 人間牧場で面白いものがあります。ウッドデッキの両側に植えた訳でもないのに勝手に2本の杉の木が生えました。癒えの直ぐ横なので土台を狂わせないために本当は切るべきなのでしょうが、実はこの木は人間牧場成長の証にしようと考えました。しかも人間牧場とともに育っている孫朋樹を結びつけて「朋樹の木」と命名しました。最初は朋樹より小さかった杉の木も今では朋樹を追い越して3倍くらいの大きさに伸びているのです。

 これからも人間牧場のシンボルとして大きく育って欲しいと願っています。

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(孫朋樹の3倍に伸びた朋樹の木)

  「牧場の ウッドデッキで 瞑想に 耽りウトウト ついつい昼寝」

  「いつの間に 杉は軒先 近づいて 孫も負けじと 日々に成長」

  「窓開けりゃ ウッドデッキが 広がって 色々知恵が 浮かんで消える」

  「今年また 季節巡りて 年重ね 少しゆとりの 春を向かえる」 

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○西予市からのお客様

 昨年の4月19日、西予市宇和町のだんだんつながろう会に招かれ、それがご縁で人間牧場へ行ってみたいという皆さんの要望で、10月25日の秋の頃皆さんが人間牧場へやって来たと記憶をしています。その後筆まめなお世話役藤本明美さんとの交友も深まり、願わくばミカンの花咲く春の季節に是非という相談がまとまりました。要望の日時は4月25日か5月9日でしたが、私の日程の都合でリクエストだったみかんの花咲く頃にはまだちょっと早い昨日25日に15名ほどの一行はやって来ました。

 一度や二度で人間牧場の場所を覚えるほど簡単な場所に人間牧場はないものですから、例によって下灘コミュニティセンターで待ち合わせをしました。藤本さんから「足湯」の希望もあったので、前日から泊まりに来ていた孫朋樹を同伴し、8時に牧場へ上がって風呂を沸かし、味噌汁のサービスをするためかまど小屋のかまどに火を入れ鍋で味噌汁の出汁を沸かしました。皆さんの滞在時間が昼食や私の話を含めて3時間ということもあるので、事前準備をしっかりしました。運よく前日に年輪塾の学習会があって、昨日主か以後綺麗に掃除をしていたので多少助かりました。

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(足湯を楽しむ皆さんたち)
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(豪華な二の膳までついた弁当を広げての食事会)

 一行は14~15人でしたが、車を連ねての人間牧場への移動は遅れ気味の車もいて、携帯電話での誘導となりました。松本小番頭もえひめ地域政策研究センター出向中にお世話になったからと、わざわざラブじゃこ天を差し入れにやって来ました。前日は年輪塾があり、その後懇親会で御前様だったのに、律儀なことで感心しました。早速足湯を楽しみながら皆さんで日向ぼっこをしました。そして私の炊いた味噌汁を注ぎ分けてちょっと贅沢なお弁当を広げ昼食です。明治時代のお膳が配られ、人間牧場でこれまで食べた昼食では一番豪華なものとなりました。藤本明美さんの気配り手配り目配りには感心するばかりです。

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(皆さんで記念写真を撮りました)

 明治の軍服を着たとんでもない来訪者が途中で侵入したり、フロンティアグループのメンバーがブーメランテーブルの輸送中に顔を見せたり、はたまた何の前触れもなく訪ねてくる人がいたり、まあ賑やかな対応となりました。食事後私の卓話を熱心にメモをしながら聞いた方々を孫朋樹と二人で見送り後片付けの後、二人で先日植え残っていたコンニャクイモを植え、嶽の支柱を立てて作業を終わりました。

 今年は天候不順でサツマイモのツルの伸びが悪く、このままでは間に合いそうにもないようです。これも天候のせいだと諦め次の手立てを考えなければならないようです。

 ともあれ忙しかった人間牧場での二日間は天候に助けられ何とか無事に終えることが出来ました。積小為大を実感した二日間でした。

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(孫朋樹が撮影してくれた私の作業風景)
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(45個の種芋を植え終わりました)

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(コンニャクの5年芋はもうこんなに長く芽を伸ばしています)

  「日向にて 豪華弁当 食べながら 味噌汁すする 長閑なりけり」

  「ああ今日も よき人群れて 縁重ね 日和味方の 出会い楽しむ」

  「雲もなく 風心地よく ほお撫でる 遠く漁船の エンジン音が」

  「この二日 来客ありて 忙しく 話聞きつつ はがきしたため」 

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○第二期年輪塾②

 朝10時にいつもの潮も灘コミュニティセンターに集まり、人間牧場で年輪塾のセミナーが始まったのは10時30分からでした。私は塾長なのですが皆さんの学びのサポートをするため、8時に人間牧場へ上がり、かまどに火を燃やし、昼飯の準備をしました。昼食時間を1時間としているため12時過ぎにはご飯と味噌汁が出来上がっていないといけないのです。この作業は全て私と松本さんの仕事なのです。

 昨日は先月ウィーンの日本人学校へ3年間赴任していた由並小学校の中尾先生が年輪塾に入会されて早くやって来て準備を手伝ってくれて大助かりでした。大番頭の米湊さん、小番頭の松本さん、それに中尾先生の三人は私が教育長をしていた時代の教育委員会の同僚なので気心が知れていてすっかりお世話になりました。


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 清水塾頭の指導で午前中は90分代「表的日本人」の輪読をしました。酸化した殆どの人を指名して輪読してもらい、その都度その内容の意味することを清水塾頭が解説をするのです。微細な解説はとても参考なることばかりでした。ジョンF・ケネディが愛読をしたということですっかり有名になった内村鑑三の「代表的日本人」は私も未読だったため清水さんにお願いして購入し、事前に読破して望んだため良く分かる話でした。

 講義が始まって約60分が過ぎたところで私と松本さんはかまど小屋に入りご飯と味噌汁を作りました。かまど小屋ができてから既に5~6回もかまどでご飯を炊いているため、おおよそのことは分かるようになりましたが、水加減は失敗が許されないので晴美さんお願いして見てもらいました。お陰さまでそんなに焦げもせず美味しいご飯と味噌汁を作ることができました。

 米は清水さんが調達したもの、漬物はそれぞれが持参したものだけのシンプルな食事でしたが、2升5合炊いた二釜のご飯も、30人分の食が賄える煙会所専用の大きな鉄鍋いっぱいの味噌汁も全て完食となりました。

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 午後からは90分、今度は参加者にネット配信されている尊徳翁夜話の解説を実話を交えながら、話してもらいました。その後ゲストスピーカーとして招いたエコバイオ株の立川京介さんのお話を聞きました。立川さんはコープえひめの理事長を務めた立川百恵さんと、高知大が宇野学長を勤めた立川涼先生のご子息で、銀行マンから転進した方です。天ぷら油を再利用する事業に取り組んでおられますが、話は中々楽しく中身の濃いものでした。

 午後4時で一応終了となりましたが、久しぶりに学習らしい学習をした充足感を感じました。後片付けをして急いで松山で開かれた地域社会実践交流会の実行委員会に参加するため松山に向かいました。どうにか委員会には間に合いましたが、清水さんから電話が入り、「久しぶりに心地よい充足した疲れた感じたようです。それもそのはず3時間もぶっ通し喋り続けたのですから・・・・。

 私塾ながら年輪塾という名の基に始まった第二期目の年輪塾もある意味いい方向へ向かいそうでホッとしています。手綱を緩めることなくいい年輪塾に育てたいと、清水塾頭と誓い合いました。

 昨晩は久しぶりに仲間と二次会に繰り出し、ウーロン茶ながら付き合って自宅へ帰ったのは12時でした。

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(岡崎直司さんから配信された写真・立川さんのお話)
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(マジックを披露する馬路村の木下さんとアシストする四万十市の和田さん)

  「家でせぬ 飯と味噌汁 調理する 年輪塾の 俺の仕事と」

  「シンプルな 飯と味噌汁 故なのか 釜鍋底が 見えるが如く」

  「その昔 力碗力 思ってた 金や情報 よりも心力」

  「天ぷらの 使い捨てたる 油にて 車が動く 何と痛快」

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○第二期年輪塾始まる①

 私は意外と晴れ男です。かつて公民館に勤めていた頃、13年で13回文化祭をやったけれど12回までは晴れでしたし、夕焼けプラットホームコンサートも一回だけ台風接近で中止しただけです。勿論無人島に挑む少年のつどいなどは台風で帰れないほどのダメージを受けたことがるのですから一概には言えませんが、「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がる」とその都度開き直り、ポジティブに生きてきたお陰でしょうか、悪天候を気にするような無駄なことをしないのです。

 昨日は人間牧場で年輪塾が行われました。人間牧場をオープンして3年目の2年前に、えひめ政策研究センターへ出向していたJA出身の清水さんや松本さん、米湊さん、浜田さんたち何人かと図って私塾なるものを始めました。私はこれまでにも1年に4回、10年で40回のフロンティア塾を開いてきましたが、今回の私塾は塾是・塾訓に述べているように、偉大な先人にスポットを当て、2年間じっくりその先人の生き方を学ぼうという本格的な私塾なのです。しかも参加する塾生は今流にパソコンネットで情報を共有し学ぶ本格的な私塾なのです。当然塾生には読書やネットでの情報発信などの事前学習が義務づけられているため、かなり濃密な成果が期待できるのです。

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 3年前に始めた時は、民俗学者宮本常一を学ぶという点ではしっかりと焦点を絞れ、周防大島との交流や読書術をマスターしたり、公開セミナーも宮本常一の研究では第一人者と目されるノンフィクション作家佐野眞一さんを招聘するなど大きな成果を収めています。しかし学習方法がいまいちしっくりきませんでした。

 そのことを改良し、今期の人物を二宮尊徳にしたため、清水塾頭をチーフに据えて清水塾頭自らが「尊徳翁夜話」をテキストにする作業を始めたのです。300話余りにも及ぶ膨大な資料を読み解き解説してインターネットで配信し、それをネットで会員に届ける作業はとりあえず3分の1ほど終わっていますが、皆さんはそれぞれ資料をプリントアウトして望んでくれました。

 昨日は前日までの曇りや雨とは一変し、雲ひとつない絶好の天気に恵まれました。水平線の家のガラス戸を全て開放し、年輪演台をウッドデッキに運び出し、外と中が一体化した畳50畳の広間を会場にしました。風が少しあって日陰は肌寒いものの、日向に陣取れば少し熱いくらいの陽気でした。

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 松本小番頭の司会、清水塾頭の指導で塾は始まりました。この日集まったのは25人でしたが、遠くは高知県四万十市や馬路村、安田町などからも駆けつけまず塾是・塾訓の唱和から始める厳しさです。塾長の私と清水さんが練りに練ってつくった「年輪塾の誓い」は以下の通りです。

 ■塾是

  年輪を刻むが如く、常に己の輪を広げる

 ■塾訓

  歴史上に生きた先人の生き様を検証しながら、自らの進むべき道を探求し、塾是に基づき進化・自立の気風

  を養う

 さて清水塾頭の指導で始まった学集会は「内村鑑三が著した「代表的日本人」の輪読という一風変わった学集会からスタートしました。 

  「尊徳の 教え学ぶと 肝命じ これから二年間 修行積みつつ」

  「傍目では 塾是塾訓 唱和する 姿を見れば 宗教似たり」

  「窓開き 海に向かって 胸開く 六十手習い 遅きに失す」

  「私塾ゆえ 決まりもなくて 自由なり 来るを拒まず 去る人追わず」         

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○キンセンカが綺麗に咲きました

 今は何処へ行っても花が咲いて、花好きな私としては車に乗っても歩いても、右や左をキョロキョロしながら結構楽しんでいます。私たちがまちづくりを始めた頃は、花を植えようと言えば、「花より団子」とばかりに花には目もくれず、理解者が殆どいなかったのです。ところが水仙や菜の花、バーベナテネラ、桜や杏などで生家が見え始めこともあって、また人々の暮らしの中にガーデニングなどが広がったこともあって、花に思いを寄せる人が最近は町内のあちこちで見かけられるようになってきたことは嬉しい限りです。

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 昨日は西予市公連の総会に招かれ出かけたため、海岸国道を西に向かって走りましたが、あちこちに花が咲き乱れ、百花繚乱という言葉がぴったりの富貴などは藤やキンセンカ、遅咲きの桜などが艶やかな姿を見せていました。「花作り花見る人は他所の人」ゆえ、花を作った人のことを思いながら見させていただきました。

 そんな中で私の妹が閏住の国道沿いにクジラという海産物屋のお店を開いていますが、お店の直ぐ横の空き地にキンセンカを植えているのを見つけました。妹と妹の同級生の店員さん二人が、忙しい仕事の合間を縫って育てたオレンジ色のキンセンカは、猫の額ほどの狭い空き地にそれなりに咲いて、道行く人の目を楽しませているようです。

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 普通国道沿いの花作りは婦人会や公民館などの団体がやるものなのでしょうが、国道に面した事業所やお店が、ほんの少しでも自分の持ち場をこんな息例にしてくれたら、街はどんなにか美しくなるだろにと思いながら、自分の妹ながら少し褒めてやりました。

 しかし国道に面しているがゆえに、心無い人に花を相談もなく摘まれたり、時にはプランタごとごっそり盗まれたりして悔しい思いを何度もしているようです。

 そんなことでたくれずに頑張れよと激励しましたが、勝手に盗んだ花など自分の周りに咲かせて果たして美しいのだろうかと、ついつい疑問に思うのです。花は底に咲いてこそ美しいのですから、どうか撮らないでくださいと、目に目ない心無い人にお願いをしてやりました。


  「花作り 花見る人は 他の人 見るのは良いが 泥棒やめて」

  「春が来た 言わんばかりに キンセンカ 今を盛りに 綺麗な花を」

  「妹も 少し兄似で ボランティア 花を作りて 街を綺麗に」

  「菜の花が 終わし空き地 キンセンカ バトンタッチし 春を受け継ぐ」

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○私の心に潜む夕日のDNA

 やはり私の体内には夕日のDNAが潜在能力としてあるのでしょうか。昨日は朝から曇り空で、「ああ今日も夕方夕日は見えないだろうなあ」と諦めていました。西予市の公民館連絡協議会の総会での講演を終え、松山での小集会に出席するため、懇親会を僅か10分で切り上げ岐路に着きました。本来なら宇和インターチェンジから松山まで高速道路を走り予定でしたが、夕日が見たくて国道56号線から大洲~長浜~国道378号~双海の道を選びました。

 長浜まで帰ると西瀬戸を夕日がおぼろげながら照らしていました。この時期の夕日は確か6時40分頃だと、幾分スピードを上げようとしましたが、こんなときに限って前をノロノロ運転の大型トラックが道の行く手を妨げているのです。車のバックミラーに写る夕日は少しずつ状況を良くして期待が持てました。

 夕日を見る絶景のスポットは何と言っても下灘駅です。下灘の国道を右折して下灘駅に行きました。車を止め持っていたデジカメを取り出し自慢でもない腕で駅の風景や夕日を狙いました

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(駅舎の待合室から夕日を望む)
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(フーテンの寅さんも寝そべったプラットホームベンチを入れた夕景)

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(ローカル線海岸周りの列車の窓越しに見える夕日)
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(少しアップした2010・4・23のメモリアル夕日)

 この日は折からの季節はずれの寒波で少し肌寒いためか、またさっきまで曇り空で夕日を見ることができないと思ったのか、私以外は誰も駅構内にはいませんでした。運よく夕日が沈む頃予讃線海岸周りの列車が入ってきました。何人かの昇降客が私の前を通り過ぎましたが、みんな無造作に襟を立て寒そうに足早に、夕日を見るでもなく家路へと急いでいるように見えました。

 一度雲の中に隠れたのに、夕日が雲の切れ間から再び夕日が顔を出し、何と二度も夕日を拝むことができたのです。これも夕日への思いをもって生きている私の役得だと強運を一人喜びました。秋の夕日に比べ春の夕日はどちらかというと余韻が少ないのが特徴です。それでも夕日は沈んでからしばらくベンチに座ってポケットの名刺入れの中から裏白な名刺を取り出して、思いつくまま短めの詩を作りメモをしました。


 帰ろうと思い駅舎に入りました。駅舎も随分様変わりして、最近は日喰老人会の皆さん、特に私の従兄弟である西下芳雄さんが色々と世話をしてくれて、すっかり綺麗になっていました。いやはや嬉しいことです。花が活けられ、掲示板には着た人に諭すようにさりげなく西下芳雄さんの書いた言葉が張ってありました。西下芳雄さんも私に似て、いや私に輪をかけた凝り性なのです。この様子を見て今日一日の幸せを思いました。

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  「よし!夕日 見ようと国道 ひた走る 間に合い駅で 夕日を拝む」

  「何故なのか 分からぬけれど 夕日好き 心に潜む 変なDNA」

  「殺風な 待合室も 人の手で 心の和む 場所に変身」

  「掲示板 張った言葉に 感心し 思わずパチリ 写真に収め」

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○満開のブルーベリーの花

 今年の春はエレベーターと形容されるように、このところの天候は寒暖の差が大きく、東京などでは前日より15度も下がって真冬並の寒さに逆戻りしたため、寒さに震えて足早に通り過ぎる人の群れがテレビに映し出されていました。またやっと東北まで到達した桜前線も満開の桜に真っ白な雪を被り、思わぬ光景に困惑したり、またビヤガーデンの回転を予定していたホテルも客の来ない空を恨めしそうに見ている姿も話題になっていました。それでも西国四国に住む私たちの身の周りには確実に春がやって来て、わが家の庭のブルーベリーの鉢植えは寒さに震えながらも、満開となっているのです。

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(わが家で一番大きなブルーベリーの木には今年も花をいっぱい咲かせました)
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(品種は分かりませんがピンク系のようです)

 ブルーベリーの花はまるでホタルブクロのような小さな花を房状に付けて咲くのが特徴です。遠くから見ると花が小さいのでそんなに目だって美しいと感じませんが、傍に寄って虫の目で見ると可憐で愛くるしいのです。普通ベルーベリーは実を収穫して食べるため、花などには目もくれませんが、ミカンの花といい野菜の花といい、作物の花も見ようによっては綺麗で、写真に撮るために近づいてよくよく観察してみると、ミツバチが何匹も飛び交って、結構ミニチュアの世界は面白いものです。
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(近くに寄って観察するとホタルブクロのような、またドウダンつつじのような可憐な花をいっぱい咲かせています)

 私は毎日三枚のはがきを書いていますが、近頃はデジカメで撮影した写真の中から面白い題材を一枚選び、はがきにプリントアウトして使っていますが、今月は一番上の写真を選んで作りました。説明文は「満開になった庭のブルーベリーの鉢植え」と書きました。多分7月頃のはがきにはたわわに実ったブルーベリーの実をデジカメで撮影して届けることでしょう。ちなみに昨年は下の写真を使っているようです。

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(昨年はがきに使ったブルーベリーの写真)

  「朝晩に 交わす挨拶 寒いねえ いつになったら 温くなるのか」

  「今年また 庭の鉢植え ブルーベリー 可憐な花を 咲かせています」

  「デジカメで 撮った写真を プリントし 知人友人 近況はがき」

  「二ヵ月後 鈴なりベリー 写真撮り ポストカードで 近況書こう」

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○孫奏心の独り立ち歩き

 昨日は一日雨でした。普通春の雨は霧雨のような雨が降りますが、昨日は前線の影響かかなり激しい雨が降って、わが町の降水量は分からないものの、松山市では60ミリもの雨が降ったようで、それもそのはず、10時頃にコープえひめで開かれたっりじかいに出席するため玄関先に到着した頃には、車のワイパーが間に合わないほどの雨が降り、お陰で僅か10メートルの駐車場から玄関までなのに、水も滴るいい男になってしまいました。

 雨が降って喜び、雨が降って困るのは子どもたちです。昨日は理事会出席のついでに、長女と長男のマンションに、清水さんから先日いただいた清見タンゴールのおすそ分けを持って行ってやりました。まず9時半に息子のマンションを訪ねましたが、エレベータで4階に降りチャイムを鳴らすと、前もって訪問の電話をしていたため、直ぐに澄んだ声で「ハーイ今開けます」と嫁の澄んだ声が響きました。玄関の鍵を開けて中に入るなり2歳の孫希心と、あと一ヶ月で誕生を迎えるゼロ歳の奏心が玄関めがけてやって来ました。希心はいつものことながら「おばあちゃんは?」と、相変わらず私よりもお気に入りの「おばあちゃん」が一緒に来ないことを不思議がって安否を気遣うのです。「おばあちゃんはお家」と話してやりました。

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(私の存在の気付いて立ち上がり歩いて玄関までやって来ました)

 普通だと下の孫奏心はハイハイの猛スピードで声の方向を頼りにやって来るのですが、昨日はやわら立ち上がり、玄関先までの3メートル余りをヨチヨチ歩いてやって来ました。嫁の話だと2~3日前から一人立ちして歩けるようになり、今では3メートルも歩けるようになったのだと言うのです。いやはや孫の成長の早さには驚いてしまいました。歩いた最後のゴールは靴を履いたままの私の懐の中に飛び込んでくれました。こんな嬉しいことはありません。思わず抱きしめ歩いたことを褒めてやると嬉しそうにキャーキャー言いながら、フロアーに降ろすとまた歩くのです。孫奏心はこれから平均的に生きるとして、これから100年近くも長い人生を歩いて暮らすのかと思うと、ついつい嬉しくなり、愛おしくなりました。

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(仕事で留守の父親を除いて、母親と兄希心と三人で毎日元気に暮らしています)

 家の中ではこれまで主役だった長男希心は心中穏やかではないようです。周りの人の関心が立ち歩きができるようになった弟奏心に向くようになり、自分が蚊帳の外に置かれているような錯覚をするのでしょうか、今まで以上に私にじゃれ付きはしゃいで関心を集めようと、おもちゃのオルゴールを鳴らして大きな声で歌ったりしていました。何はともあれ歩けるようになった孫の成長に目を細めた一日でした。

 日リマの会合が終わり、今度は娘のマンションを訪ねました。雨は相変わらず降っていました。2歳になる孫尚樹は今年から幼稚園に通うようになり、小学校二年生に進級した孫朋樹と二人はそれぞれ3時頃には帰宅しているようなので訪問したのですがあいにく留守でした。携帯電話で「清もタンゴールと牛乳を置いて帰る」旨告げましたが、「孫尚樹の咳が出るので近くの小児科に立ち寄って帰るから待ってて欲しい」とのこと、車の中でカーラジオを聞きながら30分ばかり読書にふけりました。そのうち相次いで帰って来た孫たちと少しの時間遊び相手になって帰りました。

 昨日は大学に勤める娘婿の誕生日のようでした。4月22日は「良い夫婦の日」ながら、「仕事で今夜は遅くなる」と告げて家を出たそうでした。何気なく過ぎてゆく日々の暮らしですが、息子の家族も、娘の家族もそれぞれ確かな一歩を刻んで暮らしているようでした。


  「這って立ち 歩けるように なった孫 これから百年 歩き続ける」

  「主役の座 当分弟 気に入らぬ 兄の仕草が これまた楽し」

  「進化する 孫に比べて わが夫婦 退化の速度 少し速まり」

  「幸せは わがことよりも 孫成長 バイバイ手振り 送ってくれる」



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