人間牧場

〇わが町は銀行難民?
 3年ほど前、わが町唯一の伊予銀行上灘支店が郡中支店に統合され、窓口業務は週に1日程度の出張でなくなりました。私は愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーを長年していているのに何故か現金決済派で、主流になりつつあるスマホで支払することもなく、相変わらず財布を持ち歩いて買い物や飲食をしています。

 伊予銀行上灘支店閉店の折キャッシュカードを作ったので、預貯金の引き出しは郵便局も銀行も暗証番号さえ間違わなければ出来るのですが、ATMは日曜日が休みのため多少不便です。それでもアメリカのシリコンバレーバンクやファーストリパブリックバンクのような銀行の経営破綻などを聞く度に、預金残高が少ないゆえに多少不安になったりします。

 銀行の経営破綻の原因は①貸出先の資金繰り悪化、②利上げなど金融政策の影響、③SNSによる情報拡散などだと言われていますが、アメリカの25万ドル保証、日本の元金1千万円保証という制度もあるので、私たち庶民は大丈夫のようです。ガソリン難民に続いて銀行難民というレッテルまで張られた私たちの不安はまだまだ増えることでしょう。そうそうJAバンクのATMも上灘から姿を消しました。

「難民と 言われるレッテル 増えて行く 今度はどんな レッテル張られ?」
「キャッシュレス 時代になった現代で 町中銀行 なくなり不便」
「成り行きに 任せていると あれこれが 消えてなくなる どうしたものか」
「そのうちに 住人ゼロに なるかもね いやいや私 だけでも残る」

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人間牧場

〇ふるさとを守る人たち
 田舎の町は過疎と高齢化、それに少子化が同時に進行し、ふるさとを守る人たちがどんどん少なくなってきています。今日訪ねた大洲市田処もかつては沢山の人が地域づくりに関わって賑やかにやっていましたが、その活動も徐々に規模が縮小しつつあるようです。

 そんな中、私の友人で酪農家の亀本さんは、長年地域づくり活動を続けています。私が代表を務め塾長をしていたフロンティア塾に長年積極的に参加して、その後始めた年輪塾にも参加し見事処志検定に合格した熱意は称賛に値するものがあります。

ホタルの住む活性化センター前の透き通った水が流れる川
山村の風景に溶け込んだ西田さんのお宅

 ホタルの保護や観察、ホタル祭りの実施、菖蒲園の手入れに加え、昨年度から活性化センター横の畑で交流を目的にしたジャガイモづくりを始めています。ただ長年一緒に活動してきた西田和子さんが高齢のため住み慣れた自宅を出て、大洲市内の特養施設に入ったため、立派な自宅が空き家状態になってしまいました。

(手入れが行き届いた菖蒲園)

今日田処を訪ねましたが、活動を継続している亀本さんの熱意には頭が下がりますが、今後の地域のことを思うと、少し考え込んでしまう状態になっています。出来るだけお手伝いをしたいのは山々なれど、自分のハエを追うのが精いっぱいの私ゆえ、手も足も出ない状態です。妙案はないものか考える今日この頃です。

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〇お墓参りと神棚祈り
わが家は代々漁師をしていましたが、水産高校漁業科を卒業したにもかかわらず、私が若い頃体調を崩して役場勤めに変わったため、残念ながら7年間漁師をしただけで漁師の跡を継ぐことが出来ませんでした。

 それでも家の風習やしきたりは古い漁家並みで、しっかり守れと教えられて育ちました。その最たる神仏に対する気持ちの持ち方は、今も変わることなく引き継いでいます、例えば家にある仏壇や神棚にはシキビや榊を供えることは、欠かさずするよう言われ仏壇にはシキビ、神棚には榊を切らさず備えています。

幸いわが家には仏壇と神棚があり、加えてわが家と妻の実家にはお墓があるため、先祖の霊を慰めるため年末と年始の墓参り、秋と春のお彼岸、お盆の年4回のお墓掃除とお墓参りは忘れたことがありません。

シキビを立て替えお墓参りしたお陰で清々しい気持ちになりました・

その都度私は10㎞離れた妻の実家八幡浜のお墓の掃除をしたり、シキビや榊を山から切って帰ってから適当な大ささに束ね、お墓や仏壇に供えて回るのです。その都度妻の実家分は1回に6束、わが家お墓用2束、仏壇用2束、神棚用4束をきちんと束ねて墓地へ持って行くのです。神仏に頼みごとをしても助けてくれないので、当てにはできませんが、今日は天気も上々だったので妻と2人でお墓参りに出かけ、シキビを供えたり、線香に火をつけ。しっかり涼しい気持ちの良い一日となりました。

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〇ハガキの達人からハガキが届きました
 私の知人友人にはパソコン万能なデジタル人間もいれば、ハガキや手紙をよく書くアナログ人間もいて様々です。世の中の流れとしてはスマホなどの普及によってメールの方が圧倒的に多く、年に一度の年賀状すら出さに人が増えてきました。

送られて来た2枚のはがき

私はどちらも使う、大谷選手のような二刀流の人間ですが、広島には平井さんや半田さん、宇田さんのようなハガキの達人が何人もいて、若いころからあれこれ影響を受けたお陰で、今も殆ど毎日ハガキを3枚書いて投函しています。ハガキを3枚書き、ブログを3本書くだけでも続けるのは容易ななことではあません。

昨日広島の宇田さんから「第42回広島はがき祭り」のご案内が来ました。残念ながら6月10日は残念ながら予定が入っていて参加することが出来ません。宇田さんから届いた封書に坂村真民さんの「念ずれば花開く」と「八十八ヶ所巡礼の旅」のハガキガ舞同封されていました。

 早速別の夕日をあしらった手製のはがきを宇田さんに書いて投函しました。参加できないこと、元気で過ごしていること、またお会いしたいことなどなど、近況を書きました。

「広島の 友人はがき 大会の 案内添えて 四国のはがき」
「最近は デジタル人間 多過ぎて アナログ人間 肩身が狭い」

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〇今年は甘夏柑が超不作
 毎年この頃になると家の横の果樹園に甘夏柑がいっぱいなって、あちらこちらにお裾分けで送るのですが、今年は天候の関係か殆ど実がつかず、自家用さえも危うくなるほどです。毎年楽しみにしている友人や知人から、やんわり甘夏の時期が来たよと期待のメールが入っていますが、このブログを借りて断らざるをえなくなりました。

 日本一の裸麦の産地である伊予市や松前町の、田んぼに植えている裸麦が黄色く熟れて麦秋の頃となりました。麦の穂が熟れるこの時期は程よい酸味の甘夏柑が美味しい時期で、生食もマーマレードにしても独特の香りがして、気に入っていますが、超不作なので、いずれも楽しむことはできません。

 甘夏柑には早くも沢山の花がついて、豊作を予感させますが、こう花がつくと摘蕾や摘果などの管理を余程しっかりしないと小玉しかできないため、手間がかかり大変です。昨日は妻が丹念に皮を剥いて冷蔵庫で冷やし、食べさせてくれました。今日は松山であった会合から帰って農作業で汗をかき、畦道に座り込んで木になっている甘夏柑一個美味しく食べました。

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〇田舎者は都会を目指し、都会人は田舎を目指す
 私たちが若い頃は、ネオン輝く都会に憧れていました。その結果田舎者は都会に流れ、田舎は過疎となりました。一方都会に住んでいる人たちは都会の雑踏から逃れ、自然豊かな田舎に何故か憧れるのです。

 ゴールデンウィークが始まりました。一年に一度の長い休みをどう過ごすか、考えただけでもワクワクするものですが、結果的には田舎に住んいる人は都会を目指し、都会に住んでいる人は田舎でのんびり過ごす構図は余り変わらないようです。

 かく言う私たち夫婦は、連休中娘たちや孫たちがやって来たりするので、自分たちの予定は第2にして、家族サービスを優先しますが、毎年のことながら、その重要な役目を担うのはやはり妻で、料理をしたり布団の用意をしたり、年金暮らしの財布を気にしながら相変わらず、疲れを忘れてサービスの余念がありません。ご苦労なことです。

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〇自然の姿は美しい
 わが家の周りは自然だらけです。ゆえに名前も知らない色々な雑草が咲き、時には立ちどまったりしゃがみ込んで見たりして楽しんでいますが、通りすがりの人は「何しているの?」と声をかけ、「若松の進ちゃんもそろそろ可笑しくなったか?」と首をかしげながら通り過ぎて行きます。

 家の周りの斜面には最近気がついたのですが、藪椿の実を野鳥が食べ、それがあちこちへ糞とともに落とされて発芽したと思われるように、藪椿がやたらと生えて大きく育っています。小さくても成木のように冬から春にかけて藪椿の花が咲き、今年は殊の外花の多い年でした。

藪椿の葉っぱ

 藪椿は照葉樹といって、油っ気のあるつやつやした葉っぱをしていますが、この時期になると新芽が伸び始め、古い葉っぱは生理作用によって色づいて葉っぱを落とすのです。今日雨の中小路を歩いていると、色づいた椿の葉っぱが沢山落ちていました。その色は深みのある赤色で、とても綺麗でした。

 早速気に入った何枚かを持ち帰り、水で洗ってガラス製のデザート皿に飾ってみました。私たち人間がこんな色を人工的に出そうと思っても、中々出るものではなく、秋の頃のカキの葉っぱが色づいて地に落ちたのとよく似ていて、何かの表現に使えないか考えています。

「まだ夢の 息を越えない 椿実で 油を搾る そろそろ準備」
「野鳥食べ 糞に交じって 落とされた 藪椿の実 芽を出し成長
「照葉樹 椿の葉っぱ 色づいて 自然の営み 地面に落ちる」
「藪椿 落ちた葉っぱの 色を見て 思わずしゃがみ 拾って帰る」

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〇藤棚・藤棚・藤棚
 昨日のブログに、富貴の白藤藤棚の話題を載せたら、早速「行って見たい」と書き込みが数件寄せられました。早速返信して教えてあげましたが、その人の話によると今日は上天気だったので、年老いた両親を連れて見に連れて行き両親も殊の外喜んで、「いい親孝行ができた」とお礼のメールが届きました。

 双海町にはこれ以外にも、池久保土山地蔵堂の藤棚や、潮風ふれあい公園の藤棚、私の妹の閏住という菜の花畑の直ぐ近くにある、くじらというお店の藤棚などあるのでと付け加えていると、その人は潮風ふれあい公園の藤棚も、くじらというお店の藤棚も回ったそうで、双海町の景色の良さにビックリしていたようでした。

くじらの藤棚
潮風ふれあい公園の藤棚
妻も一緒に写ってしまった富貴の藤棚

  双海町は地元の人に聞くと「何ちゃない町」だと言いますが、まず「双海ブルー」と呼ぶにふさわしい海があります。海岸線の海抜ゼロメートルから見る海もいいですが、高台から見下ろす海の景色も最高で、自慢の一つです。明日から始まるゴールデンウィークに、行く場所のない人には、お金のかからないお勧めスポットです。どうぞのんびり海を眺めリフレッシュしてください。

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〇春の夕日
 双海町の海岸線は東西16キロあって、弓なりの地形なので町内のどこからでも一年中海に沈む夕日を見ることが出来ます。冬の間曇って見えない日本海側と違って瀬戸内海側は天気率も良く、見える機会が多いのも特徴です。

 最近は下灘駅に人気が集まっていて、昨日も沢山の人が下灘駅からの夕日を楽しんでいたようです。私は昨日大洲方面からの帰り道、夕日を背にして帰りました。最初に車を止めたのは富貴の藤棚付近でした。藤の花を見ながら海に沈む夕日を見ました。

富貴海岸の夕日

 そのあとシーサイド公園に立ち寄り夕日を見ました。

 自宅へ帰って車を車庫に入れて西の空を見ると綺麗な夕日が見えました。素早く裏庭山に駆け上がり、柿の木の枝越しに綺麗な夕日が見えました。これから晩夏まで、わが家から居ながらにして美しい夕日が見れるので楽しみです。

「夕暮れに なると何故だか 胸騒ぎ 夕日のことが 気になりソワソワ」
「帰り道 夕陽を背にして 運転中 バックミラーに 写る写る写る」
「富貴にて シーサイドにて 写真撮り 最後は自宅 間に合いパチリ」

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〇雨の中で野菜の種を蒔きました
 私は常々「植えない木は育たない。蒔かない種は生えない」と言って、植物と共存する暮らしをしています。お陰様でSDGsの14海の豊かさを守ろうや、15陸の豊かさを守ろうに呼応して、海の見える丘にドングリを蒔いて育てた苗を植え、クヌギの森を作ろうと、多くの仲間の協力を得て楽しみながら作業をしています。

野菜の種の色々
インゲン豆の種を蒔きました

 ところが先日私の話に反論して友人が、「進ちゃん、蒔かない種は生えないというが、雑草は自分で勝手に種を落とし生える」と言うのです。そう言えばそうに違いないと思いましたが、私もへそ曲がりな性格をしているので、「雑草という名の草はないそうで、雑草と思っている草にもしっかり名前がついている」と、爆笑するような会話を返しました。

 昨日は朝から晩までこの時期としては冷たい小雨が一日中降りました。私のこれまた小理屈ですが、「天に向かってブツブツ言うな。雨の日には雨の日の仕事がある」と、先日ホームセンターで買い求めていたインゲンのの種蒔きをしました。インゲンにはつるありとつるなしがありますが、両方ともあらかじめ用意していた2つの畝に植えました。

 恐らく1週間もすればインゲンの種は芽を出すものと思われますが、しっかり育てて食べたいものです。僅か3日前に畝を立てた時は草など見えませんでしたが、この雨で蒔きもしない草の種がしっかりと生えてきました。さあ草との戦いが始まりました。草に負けないように中耕を繰り返し、作物を作ろうと毎年自分自身に誓うのですが、泣く子と地頭、それに休みのない草には毎年最後は白旗を挙げます。

「植えない木 蒔かない種は 育たない 小理屈言う人 雑草生える」
「蒔かずとも 雑草生える なるほどな 雑草言う名の 草などないと」
「雨が降る それでも種を 蒔く男 少し馬鹿げて 見えるようです」
「さあやるぞ 去年の反省 しています まずは第一 草に負けない」

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