人間牧場

○東京からのお客様

 ご主人の単身赴任という生活をしたことのない私には、そのプレッシャーが留守を預かる家族にもたらす重さは計りようもありません。ましてやご主人が赴任先でどんな仕事や暮らしをしているのかは、心配するもののこれまた全てを知る由もないのです。
 一昨年の夏一人の男性が東京から松山へ単身赴任して来ました。そのポストはキャリア組なので非常に高くて重いものなので、リタイアして何の重さもない無位無官な私とは出会うはずもないのに、ふとしたことから知り合いとなり、この1年半余りつかず離れずの付き合いをしてきました。人は100回会っても1回しか合ったことのないような薄い付き合いもありますが、この男性は1回会っても100回会ったような人間性豊な人なのです。ゆえに土日等たまの休暇を利用して愛媛県内を案内したり、時にはお互いの研修会に知恵を出し合って濃密な活動を展開してきたのです。

 

人間牧場にて

 その男性から、子どもが春休みになったので東京から家族がやってくるので、ご一緒したいというごく内輪な話が届きました。双海町へ来たいというので早速どこへ連れいていこうかスケジュールを立てました。ご希望は翠小学校や、菜の花畑、人間牧場だったので、午後2時過ぎに伊予市駅まで自家用車で迎えに行きました。東京暮らしの今度小学校3年生になる男の子と、今度在京の大学に進学する女の子、それに奥さんの3人が男性と共に駅に降り立ち、早速双海町へ向かいました。この日は冬が来たような季節はずれの寒い北風が吹いて、南国四国の暖かさを楽しみにしていた家族は、首をすぼめ寒そうにしていました。
 翠小学校はお休みだったので運動場へ入り外から眺める程度で記念写真を撮りました。その後大森さんのハウスイチゴ園に無理を言って入れてもらい、品薄ながらイチゴを頬張りました。この時期のイチゴは甘いはずながら団体客が食べた後なので残念な気もしましたが、まあ都会の人には思い出の片隅に残ればいいくらいな感じで案内しました。

 

菜の花畑にて

 続いて閏住の満開の黄色い菜の花畑やマッチ箱のような一両の列車が入ってきた下灘駅を案内しましたが、いずれも春の四国路旅情をかき立てる風情があっていい雰囲気でした。その後曲がりくねった道を人間牧場まで行きました。急峻な地形、曲がりくねった細い道、ウッドデッキから見下ろす瀬戸内の遠望や絶景、ロケ風呂の不思議に子どもたちは事の外興味を示してはしゃいでくれました。
 夕日を見る時間になっても西の空は時折しぐれるような雲行きだったので、高速道路に乗って少し高台から後に夕日を感じながら、松山へ向かいました。松山では妻と合流し、ご主人が予約していたこじんまりした鮨屋さんで、耳鼻咽喉科の院長ご夫妻とも合流して賑やかな夕食会となりました。聞けば院長先生の奥さんは旧上灘中学校で20年も前に、長男や長女を教えたことのある先生だったそうで、子どもたちの話に花を咲かせました。

 時の経つのも忘れて美味しいお寿司に舌鼓を打ちながら、久しぶりに出会った家族のふれあい振りを見学することが出来ました。家族とはいいものだとも思いました。多分この男性は今年の夏の異動で2年間の任務を終え家族の住んでいる東京へ帰るものと思われますが、やはり家族は同じ屋根の下に住んだ方がいいに違いありません。でも離れているから逆に親子の絆を感じることもあるし、多分この家族はそれをしみじみ感じていることでしょう。
 お別れをして帰宅する車の中で妻と色々な話をしました。離れることなく一緒に暮らしている夫婦の絆や、息子家族との賑やかな同居の意味も感じることができました。聞けば昨日は息子さんの誕生日だったそうで、また娘さんとわが長女の誕生日が2月26日という同じ日であることも分かり、まあ面白いご縁がありました。奥さんも控え目な素敵な方で、時々息子さんと二人の連名連文でハガキをいただいていて、家族の姿を垣間見ることが出来ました。

  「単身で 赴任生活 してる人 家族呼び寄せ 春を楽しむ」

  「遠くても 絆の深い 家族にて ほのぼの姿 あやかりたいな」

  「わが家族 幸せですと 胸を張る 姿は違え 賑やかですよ」

  「いきなりに あなたの子ども 教えたと 言われ世の中 狭いもんだね」

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人間牧場

○千本桜の森づくり事業に思う(その2)

 昭和56年に仲間12名とともに結成した21世紀えひめニューフロンティアグループは、これまで空から故郷を見る運動を皮切りに、無人島に挑む少年のつどいや竪穴式住居語り部の集い、丸木舟瀬戸内海航海、ブーメランテーブル製作、10年で40回のフロンティア塾など、①今やれる青春、②一年一事業、③社会への揺さぶりをテーマに、主に青少年の健全育成と自らのスキルアップを目指して活動してきました。しかし主要メンバーの高齢化はいかんともし難く、数年前から青少年の健全育成から地域づくりとメンバーのスキルアップに軸足を置き換え、スキルアップは国内世界遺産を巡る旅を計画し、これまでに広島原爆ドーム、安芸の宮島厳島神社、石見銀山、姫路城、熊野古道、京都・奈良の神社仏閣、そして白川郷合掌造りと旅を続けてきました。来年は九州の屋久島への旅が計画され、それなりにスキルアップが図られていることは喜ばしい限りです。

愛媛新聞朝刊

 さてフロンティアグループにとって地域づくりとは何か?、色々考えた結果田畑や里山の荒廃を見て、千本桜の森づくりという事業を思いつきました。一ヶ所100本の桜を東・中・南予十ヵ所選んで植えようとするものです。新聞で募集をしたところ、愛南町柏地区、国立大洲青少年交流の家、伊予市佐礼谷地区、伊予市双海地区、今治市菊間地区などがそれぞれ名乗りを上げてくれ、既にこの2年間で700本を越える桜の苗木が愛媛の地に植栽されたのです。嬉しいことに苗木をプレゼントした地域ではどこも喜ばれ、佐礼谷地区は2年間、菊間も2年間継続事業となって、大いに気を吐いているのです。
 植栽の話や計画が持ち上がる度に、私と大野事務局長が現地に飛んで打ち合わせを行い、苗木の手配は今治の河上さん、標柱ポールは日浅さんが製作し文字記入は佐賀山さんがそれぞれ担当し、地域づくりにいささかなりとも役立っているのです。

 私たちのグループには、関奉仕財団というパトロンがついていて、毎年財政的援助をいただいていますが、昨年はえひめ地域政策研究センターの助成金もいただき、小さな集団ながら千本桜の森づくり事業は順調に推移しているようです。
 千本桜の森づくり事業に呼応してもらった団体が植栽を行なう場内私たちのメンバーの誰かが立ち会うようにしていますが、これまで私が出かけた伊予市佐礼谷や今治市菊間町松尾の取り組みはどこも熱心で、しかも参加した人たちは若い頃に青年団活動などに参加して、ボランティア精神がしっかりと根付いている人たちばかりであることを、ある意味嬉しく思いました。

 先日友人で先輩の玉井恭介さんが自分のブログ「考える村」に次のような言葉を書いていました。1200年前のガンダーラの遺跡に彫られた言葉に、「少年時代は礼節を学び、青年時代は感情をコントロールすることを学び、中年時代は正義を学び、老年時代は弱い人間に援助することを学ぶ、そして悔いなく死ぬ」とあるそうです。私と同じように佐礼谷の人も松尾の人も、この言葉と同じような学びをしていると実感したのです。そして悔いなく死ぬ前に弱い人間に援助しなければ生きている意味がないとも思いました。高齢化時代を向かえていますが、残念ながら現代の高齢者の殆んどはこうした学びをしていないため、孤独になったり社会から疎んじられて寂しく生きているのです。いい高齢者にならなければ・・・・。

  「少・青や 中・老それぞれ 学ばねば 老を楽しく 生きられぬかも」

  「これからは 悔いなく死ぬる 気概持ち 人に援助の 手心加え」

  「穏やかな 春の日差しを 受け植える 桜の若木 今に花見が」

  「ああ今日も いいことしたと それなりに 満足しつつ 友と語らう」 

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人間牧場

○子どもおもしろ教室の閉講式

 一昨日の土曜日、双海地域事務所で子どもおもしろ教室の閉講式が行われました。前日まで泊り込みで香川県小豆島余島へロータリークラブのセミナーに出かけていたため、担当の赤石さんから列車の中へ携帯電話が入り、簡単の打ち合わせだけで当日を迎えました。9時から双海地域事務所の3階会議室に親に連れられた子どもたちが沢山集まって、とても賑やかでした。
 私が開会の挨拶をしました。今年のプログラムを少し振り返りながら、間もなくオープンする東京スカイツリーと高さと同じ634mの明神山に登ったこと、10月の収穫祭ではイノシシに食べられてサツマイモの収穫がゼロだったため、イノシシ鍋を食べたこと、この4年間ボランティアスタッフとして活躍してくれた宮崎君が、前日の愛媛大学卒業式で栄えある学長表彰を受賞したこと、東日本大震災の福島から疎開している渡辺さんの娘さんが、教室に参加して元気に頑張ったり、渡辺さんの奥さんが間もなく5月1日、双海町民となるであろう赤ちゃんを産むことなどをしっかりと話してやりました。

 今年のおもしろ教室は、ジュニアボランティアを育てることを大きな目標としていましたが、この日も4人のジュニアボランティアが朝早くから来て準備や運営を手伝ってくれました。おもしろ教室には6年生が3人いて、それぞれ中学校へ進学する予定ですが、ジュニアボランティアになりたいと言ってくれていて、もう一分張りしっかりと育てたいと思っています。
 前日教職員の異動や市役所職員の異動内示が出たようで、お世話になった由並小学校の校長先生と教頭先生、下灘小学校の校長先生もそれぞれ新しい赴任地が決まったようで、この日は参加してみんなに励ましの言葉を述べてもらいました。
 今年は32人の子どもたちがおもしろ教室に参加しましたが、13人も皆勤賞がいて嬉しいことでした。今の子どもたちは私たちの子どもの頃と違って塾通いなど結構忙しいので、全てのプログラムに参加することは難しいようです。

 この日は、宮崎さんの送別会を企画しました。宮崎さんの卒業論文は双海町を素材にした過疎地の活性化がテーマのようで、約20分間パワーポイントを使って論文を、私たちスタッフの前で堂々と発表してくれました。発表後はじゃこ天さんにお願いして作ってもらった、オードブルで心ばかりの送別会を開いてあげました。地域事務所の松本さんや、途中参加してくれた前翠小学校長和田由美子先生も加わって、楽しい会となりました。
 さて、来年度の話になりますが、地域事務所の米湊さんも松本さんも、公民館の赤石さんも松原さんもみんな人事異動がなかったようでホッとしています。この日、来年度のプログラムがみんなの前で発表されましたが、来年度もいいプログラムになるようみんなで知恵を出し合いたいと思っています。
 双海町の子どもを双海町民が守り育てる気風も随分しっかりとしてきましたが、もう少し組織力を強くしておかないと、次につながる人たちにバトンタッチすることが出来ません。今年はそうしたテーマも解決の方向に剥けたいと思っています。

  「今年また 早くも一年 閉講式 色々あった 成果もあった」

  「一年が 終れば次の 目標に 向かって新た 歩み始める」

  「とりあえず 事務局異動 なくホッっと 一息ついて マンネリ脱皮」

  「学長賞 貰う喜び 分かち合う お茶で乾杯 旅立ち祝う」

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人間牧場

○ライラセミナーの目指すもの

 今回のセミナーには12人の班が4つ作られていました。二十四の瞳で有名な小豆島でやるからなのか、12人が二つの瞳を持っていると各班それぞれが二十四の瞳なのです。またロータリークラブの歯車の歯も24枚あるようです。そんなセミナーのパンフレットの表紙に、意味ありげな横文字が10個並べられていました。英語は余り詳しくないのでパンフレットを読んだだけでは、何を意味するのか全てを理解することが出来なかったので、帰宅後その意味をデジタル辞書で調べてみました。

 Lifu          生命
 Family                           家族
    Community                  社会
 World                            世界
    Future                           未来
 Peace                             平和
 Dream                              夢
 Responsibility                   責任
 Respect                               尊敬
 Justice                                正義

 英語を訳してみて、その意味の深さに驚ろくと同時に、この言葉の正しい意味を、今の若者たちにしっかり教えてやらなければならないと思いました。私は若い頃青年団に入ったお陰で、①仲間、②ふるさと、③主張、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れましたが、今もその道具は私の大きな心の支えとして大切に使っているのです。私たちの若い頃は戦後の窮乏を脱し、地域社会が成長を遂げようとしている上り調子の時代でした。ゆえにどの町や村にも若者が沢山いて、活気に満ちていました。しかし今はグローバル化が進む一方、下り調子のいわば縮む社会となって、町や村の元気が消えようとしている時代なのです。若い頃は考えもしなかった世界とか平和とか生命といった、地球規模の考えを持たなければ最早生きて行くことができなくなってしまったのです。

 しかし社会が幾ら変わろうとも、この世の中の主人公は私たち人間ですから、不易なものは変えず、流行は変えるという物差しを持って、二度と来ない人生だから大いに楽しく生きて行かなければなりません。そのためには今回のセミナーのように、次の世代を背負う若者に視点を当てて、有能な若者を正しい理念に基づいてしっかり育てたいものです。
 幸い私もこの40年余り、家の横に設置した私設公民館煙会所や人間牧場を使い、また21世紀えひめニューフロンティアグループや年輪塾で、私たちに続く若者を育ててきました。勿論これからも力の続く限り今回のセミナーで学んだ10の教えを訓えて行きたいと思っています。

  「英語では 分からないので 英訳す 十の言葉の 意味を噛みしめ」

  「わが人生 五つの道具 手に入れて これまで大事 使って生きた」

  「訳もなく ただ人生を やみくもに 生きたようでも それなりの意味」

  「いい人に 巡り合いたる それぞれに 色々教え 感謝をしつつ」 

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人間牧場

○神戸YMCA余島野外活動センターでのライラセミナー

 昨日と今日の2日間、「神戸YMCA余島野外活動センター」という名称ながら、何故か香川県小豆島にある島へ講演を頼まれて出かけていました。かれまで無人島キャンプを20年間もやって来た私にとって、無人島という名前はとても新鮮で、一度は訪ねたいと思っていただけに、ラッキな機会を与えてもらったと、喜び勇んで出かけました。

 (この続きは疲れたので明日書きます。ご期待下さい)

 セミナーは27日から3泊4日で開かれていましたが、私は自分勝手ながら開校式やオリエンテーションをキャンセルし、18時からのオープニングパーティーからの参加となりました。このセミナーは32年間続いている伝統的なセミナーで、この32年間に1900名もの受講生を世に送り出しているのです。セミナーでは、指導力(リーダーシップ)の基礎、建設的指導力(リーダーシップ)の倫理規範、効果的なリーダーシップにおける伝達力の重要性、問題解決と紛争管理、ロータリーとは何か、ロータリーは地域社会のために何を行なっているか、自身と自尊心を培うこと、地域社会の市民であり、世界の市民であるという要素などが修得できるような内容と運営がなされているようでした。

 さていきなりオープニングパーティから参加しましたが、無人島での集団宿泊訓練なので、飯ごう炊飯や簡単なオードブルくらいなものかと思いきや、どうしてどうして一流ホテルでもこんなには出ないと思われるほどのご馳走に目を丸くしてしまいました。私は小学校の卒業式や列車での移動もあって、昼食を食べ損ねて腹が減っていたので、立食パーティということや酒が飲めないためあちらこちらに出没して、料理の数々を堪能しました。この日は兵庫県と四国四県から48人の青年が集まっていました。またロータリークラブの役員さんが沢山集まり、名刺交換も半端ではありませんでした。参加者の中には青年もロータリアンも何人か顔見知りがいて、久しぶりの嬉しい出会いとなりました。

 この日一番の出会いは米山工業の米山社長さんさんと桜うずまきの酒造の篠原社長さんに会ったことです。米山さんは初めての出会いでしたが、何年か前何かの機会に米山工業を訪問した折、坊ちゃん列車が展示されているのを見ました。また篠原さんとは何回かお目にかかっていますが立派な方で、旧交をお温めました。
 もう一人海沼美智子さんという東京恵比寿ロータリークラブの方と出会いました。この方は童謡「みかんの花咲く丘」の作曲家がお父さんだそうで、私は常々ハーモニカでこの曲を盛んに吹いているのです。
「みかんの花咲く丘」といえば、加藤省吾作詞、海沼寛作曲の名曲です。確か「里の秋」も海沼寛の作曲だと記憶しています。いやあ嬉しい出会いが次々と広がって行きます。私はこの日の講演で手持ちのハーモニカで「みかんの花咲く丘」を吹き参加者から拍手喝采を受けました。

  「世の中は 狭いものだと 感心す 名曲作曲 お父様とは」

  「ハーモニカ 調子に乗って 吹きました 拍手喝采 アンコールかな?」

  「一流の 料理食べつつ 話しこむ 酒を飲めない 言い訳しつつ」

  「兵庫人 四国の人と どことなく 違う風だと 異文化感じ」  

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人間牧場

○愛媛新聞カルチャースクール

 昨年の10月に松山コミュニティセンターと愛媛県歴史博物館で相次いで開かれた、ものどくり生命文明機構のシンポジウムに講師として出演した際、共催で事務局を勤めた愛媛新聞社事業局の次長さんが私の話を聞いて、カルチャースクールの講師として講座を開いたらどうかとお誘いがありました。愛媛新聞カルチャースクールは現職のころ、「夕日学入門」などという講座を立ち上げ、今で言うご当地検定を組み合わせた講義を何回かやった経験があるので、どうせ暇だからとその時は快く引き受けていました。
 ところが講座の準備をするようになってくると、担当の方から開催日や受講料等様々な細かい打ち合わせが入り、「これはしまった」と思っては見たものの結局後の祭りで引き受けざるを得なくなってしまいました。

 何日か前、松山での会議に出席すると、色々な人から「若松さん、愛媛新聞のカルチャースクールでも訓えるのですね」とか、「何を話すのですか?」とか聞かれたりするようになり、改めてことの重大さに気づくようになりました。実は忙しさにかまけ私はカルチャースクールの案内をまだ見ていなかったものですから、何日か前愛媛新聞朝刊の下の方の社告欄に、カルチャースクールの案内が何回か出始めました。2面や6面等かなり目立ったところに出るものですから、少し「やばい」と思うようになっています。
 まあここまでくると仕方がないので、諦めなければなりませんが、はてさて私は一体何をこのカルチャースクールで離そうと思っているのでしょうか。自分自身に聞くことにしました。

 新聞社に提出した講座の内容に次のような文章を送っています。
 「私は伊予市双海町下灘の標高130mの瀬戸内海を一望できる丘に、人間牧場を開いています。水平線の家やロケ風呂、ツリーハウス、かまど小屋などを利用して、子ども体験塾や年輪塾を開いていますが、少し遠隔地にあるため、街中で移動人間牧場を開き、私が出版している『夕日徒然草』を基に、落語ならぬ落伍夕日寄席をカルチャースクールで開くこととしました。毎回楽しい笑いの絶えない講座で、生きがい発見のヒントになるようなお話をしたいと思っています」
 上のような文章を送ったことさえすっかり忘れていた私ですが、はてさてこんなことで受講生が集まるのでしょうか?。

愛媛新聞朝刊の社告に載ったカルチャースクールの案内

 今回の講座の名前は「街中の人間牧場移動塾」です。受講料も多分他の講座と比較しても一番安いようで、まあ修行のつもりでやってみたいと少しだけ一歩だけ前に進もうとしています。宜しかったらお誘い合わせてお越し下さい。多分この講座に参加した人は時機を見て、いつか本物の人間牧場へ案内して人間牧場の様々を体験できる特典があるものと思われます。

「新聞社 カルチャースクール 講義する 社告に載って 一瞬驚き」

「街中の 人間牧場 移動塾 これも修行と 思って始む」

「新聞に 載っているよと 電話来る 恥ずかしいやら どうしていいか」

「何するの? 家族そろって ブーイング 悪いふざけと 一蹴されて」 

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人間牧場

○目は口ほどにものを言う

 数日前、年輪塾の塾頭をしている清水和繁さんから、「緊急入院するので、3月末に予定されている塾生の送別会に出れない」と連絡がありました。聞けば「網膜はく離」という目の病気だそうで、聞きなれない病名に驚きました。病気が分かってから即入院、即手術というのですから本人も心配をしていました。入院すれば少し長引くし、手術後の経過を見てお見舞いに行こうと思っていた矢先、浜田さんから一緒に見舞いに行こうと誘われました。うっかり明日の午後1時で約束をしてしまいましたが、明日は香川県へ一泊二日の出張が組まれていて、急遽今日の11時で調整しました。
 今日は家の入り口にあるお大師さんの縁日なので、妻は朝早くから赤飯を炊いてお接待の準備をしていました。私はタッパに注ぎ分けた赤飯をゴムバンドでとめて近所や親類に急いで配り、親父に代わって縁日のお大師さんの幟を立てました。赤飯を備えていると隣の叔父さんが、これまたいつものとおり、お菓子を沢山お供えしに来てくれました。

 下灘へも赤飯を配り終え急いで県立中央病院へ見舞いに出かけました。病院に通じる道はかなり渋滞していて、中々車が進みませんでしたが、携帯電話で連絡を取り合い、仲間から聞いていた本館5階、ナースセンター隣の4人部屋へ向かいました。友人の稲葉さんも駆けつけてくれ、見舞いに来ていた奥さんを交え賑やかな会話となりました。
 清水さんの説明によると網膜はく離はフスマが破けるような病気で、レザーで焼いて修復するのだそうです。医学が進んでいるため完全によくなるそうですが、手術してからこの4~5日は下向きになって養生をしなければならなかったそうで、それがかなりきつかったようです。いつも私たちは両目で何の疑いもなく物を見ていますが、片目を閉じて物を見たり暮らすと、遠近が分からなかったり、それはもう大変なようでした。何につけても洞察力の凄い清水さんですから、今回の病気や手術でまた今までにない新しい発見をすることでしょう。

 今朝パソコンをいじっていたら、「人間の耳は不思議な耳で、聞こうという心がなければ、聞いていても聞こえない」という言葉を見つけました。確かに私たちの周りにはありとあらゆる音が聞こえていますが、その気になって聞かないと聞くことはできないのです。これと同じように「人間の目は不思議な目で、見ようという心がなければめ見えていても見えない」という言葉も成り立つのです。
 私たち人間は聞こえることや見えるもの以外にも、心耳、心眼があれば聞こえたり見えたりしますが、人間の五感の一つ一つである耳も目も、正しい聞き方正しい見方をしなければ役には立たないのです。耳が聞こえる、目が見えるという当たり前のことに感謝しながら生きて行かねばと、清水さんの姿を見て思いました。そういえば私の目は67歳の今日まで近眼や老眼にもならず、まだメガネの世話にならなくても、新聞が読めるのですから有難いことです。これは死ぬまで老眼の世話にならなかった母親の遺伝かも知れません。「顔が悪いので目だけはいい」などと、ふざけたことを言って仲間を笑わせていますが、目のいい、目のよく見える子どもに産み育ててくれた母親に感謝しています。

  「顔悪い けれど目だけは いいですと 人を笑わせ 自慢をしてる」

  「見舞い来て 貰うことより 見舞い行く ずっといいなと 健康感謝」

  「何げない 暮らしの中に 幸せが 見える聞こえる 有難きこと」

  「四十二や 還暦来ると そこここが 傷み始める これが厄年」

 

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人間牧場

○おどろがんすレディ山んごす京子という女

 「おどろがんすレディ山んごす京子」という今日のブログのタイトルを見て、「これ何?」と思うのは当然かも知れません。実は昨日、伊予地区生活研究協議会の一行7人が、研修会と称して人間牧場へやって来ました。双海町の小西千鶴子さんが会長をしていて、地域事務所の松本さんを通じて研修受け入れの相談があったものですから、娘の子どもを預かる予約を急遽キャンセルして、受け入れることにしたのです。予定通り11時に人間牧場へやって来た皆さんは、かまどで炊いたご飯と味噌汁に加え、それぞれが持参した自慢の漬物を添えて、いきなり楽しい食談となりました。
 研修のテーマは「地域資源の活かし方と特産品開発のヒント」でしたが、参加した皆さん方は日ごろ熱心に活動している方ばかりなので、私の話など何の役にも立たず、ただ生き方のヒントや自分の生き方に納得するための会合のようでした。ゆえに私は多くを語らずむしろ私の生き方にふれてもらえればいいという軽い気持ちで話の輪の中に入りました。

 メンバーの殆んどは顔見知りで、話は上げたり降ろしたりと終始なごやかでした。中にぎんこい市場代表の向井京子さんというやる気満々の女性がいました。積極的な発言やその中身が濃いので、ついつい引きこまれましたが、ご主人が建設会社に勤めていたものの、両親の病気や老いを機に広田村へ帰郷し、仲間と共に松山市銀天街にぎんこい市場という空き店舗を利用したお店を出店し、話題となっている人なのです。
 彼女には自分で名前をつけているもう一つの愛称があって、それが「おどろがんすレディ山んごす京子」なのです。「おどろがんす」というのは人が入り込めないほど荒れた所と、私も田舎者ですから直ぐにその意味が分かりました。「山まんごす」とは「山の奥」を意味します。要は私と同じく「田舎者」を強く意識し、田舎を見せびらかせて生きているのです。「山奥組」など男性なら田舎を自慢して生きている人は沢山知っていますが、女性では高知県四万十市西土佐の「山間屋」を名乗る中脇由美さんを知ってて、彼女に匹敵するパワーの持ち主のようでした。「地産外商を企てる「おどろがんすレディやまんごす京子」という愛称は大いに気に入り、直ぐにお友達になったような気持ちになり、今後の交流がとても楽しみになりました。

 さて京子さんとの議論で最後に話題になったのは、やはり今後の情報発信の仕方でした。彼女はかつて私がそうであったように、非人間的なインターネットやメール等を余り信用していないようで、通信手段ももっぱらFAXを多用しているようでした。私の例を話しながら、これからは好む好まざるに関わらずインターネットやメールでの情報発信は、欠かせない世相になっていることを話しました。彼女のバイタリティーや溢れる生き方や、FAXに書いている日常の何げない話はもう飛びっきりいい田舎発の情報なのです。ネットやメールが全てではないものの、世界に通じる情報手段を手に入れて、それを蓄積すれば凄いことになるのです。
 かくいう私も7年前までは彼女と同じでデジタルに疑心暗鬼でした。それがブログをやり始めてから滅茶苦茶面白くなって、ブログやメールの蓄積は今や人から見れば気違い沙汰のようなのですから驚きです。私にとってブログやメール、それに人間牧場という施設は強力な武器であり、この武器なしで「ザ・ワカマツシンイチ」を語ることは出来ないのです。
 若松進一という人間のこの7年間の進化は、あれ程夢中になってやった夕日によるまちづくりをしのぐ勢いなのですから驚きです。私の勧めで始めた島根県西ノ島町の角市さんや、私に影響されて始めた伊方町三崎の浅野さんなどはもう私より何歩も先へ行っていますから、驚く他はないのです。「おどろがんすレディ山んごす京子」さんも、来年は見事に変身していることでしょう。大いに期待したいものです。愛を込めて・・・・。

  「愛称を 聞いて驚く この女 田舎者だと 看板背負って」

  「ブログ書け 熱を込めたる 訳がある 俺さえ進化 できたのだから」

  「この女 やり手ひと目で 惚れました 他人の女に 惚れるだなんて」

  「世の中にゃ 達人いるもの 連れ添いの 顔が見たいと ついついニヤリ」 

 

 

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人間牧場

○昨日の日曜日広島県福山へ出かけました

 一昨日は広島県廿日市から大勢の視察がやって来たり、6月9日~10日に第30回記念逆手塾の記念講演が決まっていたり、また早々と10月17日に広島県公民館大会の記念講演がスケジュールに入るなど、このところすっかり広島県とのご縁が深くなっています。そんな中、1月21日の福山市松永地区に続いて、昨日は同じ福山市の中央地区へ生涯学習と地域づくりのミックス事業として、講演を頼まれ出かけました。
 広島県広島市へは岡山県岡山市と共に、その先へ向かう中継点としてよく足を運びますが、広島県尾道市もしまなみ海道の基点だけに、その先へ向かう場合必ず通過するのです。本当は伊予インターから小松ジャンクションを経ていまなみ海道の基点今治から、行くのが時間的には一番近道ですが、今治市内の高速道路がまだ未開通なため、私は松山から一般国道196号線を海岸沿いに走り、今治北インターからしまなみ海道へ乗るのです。
 昨日は朝から弱い小糠雨が降っていました。周りの視界も霧が出て春霞といったところでした。昨日は予定されていた早朝の打ち合わせ会が雨で中止になったので、予定を変更し少し早めに出て少しゆっくりを心がけて走りました。途中の大浜サービスエリアでトイレ休憩をして、カーナビに会場となる生涯学習施設ローズコムを入力すると、近くにバラ公園が表示されたので、急遽ちょっとだけ立ち寄ることにしました。

 

バラ公園
 バラ公園の入り口にある駐車場に車を止め、公園内を散策のつもりで一人ゆっくり歩きましたが、バラも今はまだ芽吹きの季節で、剪定されたバラの枝には、芽を吹こうとする新芽が、このところの陽気と雨に誘われて、顔を覗かせていました。散閑とした公園内のバラに目をやりながら、中核都市の会議に植えたと思われる全国の名だたる市長さんの銘記プレートの中に、「松山市長中村時広」という現愛媛県知事の名前を見つけて、柄にもなくつい嬉しくなってしまいました。
 待ち合わせ予定の12時30分近くになったので急いで会場へ引き返し、藤本さんに携帯を入れ、出迎えに出てくれた小川さんと藤本さんの案内で車を駐車場へ止め、生涯学習センターの中へ入りました。いきなりお茶と共に広島風お好み焼きの昼食が用意され、一人控え室で食べましたが、この量が半端でではないボリュームのたで、残しては失礼とばかりに、ゆっくりと時間をかけて食べました。とても美味しかったものの満腹過ぎて、公園に差し障りはしないか心配しましたが、かえって腹が座っていい雰囲気で話が出来ました。
まちづくりフォーラム
 まちづくりフォーラムの一部は発表で、霞学区の「道三川選定・ばら花壇整備事業」と久松台学区の「緊急情報カードの取り組み」の事例が詳しく紹介され、最前列で聞かせていただきました。
 発表の中身は特長があって中々のものでした。私の話は15時からの予定でしたが、発表が早く終ったので2時45分から始まり、その分早く終るようにとの指示があったので約90分間「まちづくりの新しい風と題してお話しました。参加した人は少し年齢的に高いようでしたが、午後の眠くなる時間ながら居眠りする人もなくあっという間に終ってしまいました。予定していた持参したDVDの映写も取り止めてしまいましたが、中部ブロックのまちづくりフォーラムの役割を果たし、16時20分に会場を出発し、雨の上がった夕空に向かって来た道を引き返しました。
 北条辺りで雨上がりの西の空に綺麗な夕日が見えました。残念ながら運転中だったため余所見をしないよう注意をしつつ、ちらちらと夕日を眺めながら、約3時間余り経った7時30分頃に自宅へ到着しました。社教主事の小川さんは何年か前、私の話を聞いて直ぐに奥さんと二人で双海町へ夕日を見に来られたそうです。生涯学習センター次長の藤本さんも、わが家の私設公民館煙会所まで何年か前来ている懐かしい仲間です。今回も深いご縁をいただいたり確認しあったりした、とても印象に残る小さな度でした。
北条の夕空
「幾つもの 橋を渡りて 中国へ 近くなったと 思いつ出かけ」
「バラ公園 咲く頃夢に 描きつつ 名前なぞりて 一人楽しむ」
「雨上がり 西空向こう 夕日出る 家路急ぎつ 心さわやか」

 

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人間牧場

○視察効果

 昨日は広島県から地域づくりの団体が双海町へ視察にやって来ました。会場や資料の手配のこともあって、地域事務所の松本さんに連絡したところ、休みにもかかわらず快く出席してくれることになりわが意を得たりと喜びました。合併して7年が間もなく終ろうとしていますが、この7年で双海町へ視察にやって来た団体や個人は数知れず、その都度最初は市役所を通すようにしていましたが、会場使用料がいるとか、土日は休みなので受け入れられないとか、依頼の公文書を出して欲しいとか、手続きや対応が面倒で、そのくせ当日は対応してくれなかったりするものですから、ついついこちらも面倒くさくて、最近は私が勝手に対応することが多くなっていたのです。一昨年えひめ地域政策研究センターに出向していた松本さんが帰って来て丁寧に手配をしてくれるので大助かりです。

熱心に私の話に聞き入る視察者

 視察に来たいと私に電話がかかってくる場合は、私が講演などで全国を歩いているため、私の話が聞きたいという人が圧倒的に多いのですが、中にはシーサイド公園や人間牧場の視察もあって、最近は大忙しなのです。昨日の団体は広島県廿日市の後藤さんという代表をしている女性の方から相談がありました。後藤さんの最初の希望は人間牧場見学と私の話でしたが、20人乗りのバスでも車高の比較的高い中型バスなので、乗り入れすることが出来ず、結局はシーサイド公園の夕日のミュージアム内で、説明をすることにしました。
 私の持ち時間は僅か40分でしたので思いつくまま話しました。最後は松本さんがコンビ宜しきを得て恋しぐれや夕やけソフトクリームの話をしたものですから、お買い物タイムには商品が空になるほど買ってくれました。これを視察効果というのでしょうか。

 

 しかし視察効果は経済的なものだけではなく、本当は私と松本さんが広島県廿日市の団体から逆に受ける人の縁と人からの学びなのです。昨日の団体には団体代表の方々が沢山いて、様々な話をさせてもらいました。最近は高学歴社会でしょうか、また団塊の世代がリタイアして地域づくりをするようになったからでしょうか、見識のある方が増えているのです。向学の意思さえあれば居ながらにして学べるのですから、これほどいいチャンスはないのです。
 一行は閏住の菜の花畑を寄り道見学して帰って行きました。私はワカメの実験をある人とするため、シーサイド西の海岸で漂流ワカメを少しだけ拾って持ち帰るため、最後までお付き合いすることが出来ませんでしたが、昨日は気温が20度近くまで一気に上がる雨上がりの天気に恵まれ、視察した廿日市の人は春を連れてやって来てくれた感じがしました。気象庁は昨日、九州・四国・中国で春一番が吹いたと発表したようです。

  「土日だが 視察したいと 連絡が サンデー毎日 喜び受ける」

  「バス一台 重たいほどの 買い物を 視察効果は 大したものだ」

  「視察とは 言いつつ逆に 学ばせて 貰う喜び 感謝をしつつ」

  「春一番 連れて視察が やって来る ポジティブ生きる ゆえに恩恵」 

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