人間牧場

○人間牧場も建築して早7年が過ぎました(その1)

 今から7年余り前の、平成17年4月に伊予市・中山町・双海町が合併し、新しい伊予市が誕生しました。35年間務めた役場を2005年3月31日教育長を最後に退職、明くる日の4月1日私は念願の自由人となり、妻の作ってくれた弁当を持ち、双海町下灘池久保の荒地に入りました。かつて母がみかん畑として大事に育てていた畑は、母の死後放任園という言葉がぴったりするほど荒れるに負かせ、人も寄せ付けないように雑木・雑草が生い茂っていました。救いはその荒地の真ん中に下のお墓へ行くため車が通れるほどの道が整備舗装され、その農道工事の時土地を提供したお礼にと、今水平線の家が建っている辺りの土地が、土木業者の手によってブルドーザーで平地にして貰っていたことでした。

 平地の横には地区の人たちが信仰しているお室があって、子どもの頃母に連れられてみかん摘みや芋掘りに行った折、母とともに祈りを捧げたものでした。傍には樹齢不詳の大きなヤマモモの木が威風堂々と立ち緑陰を作っていました。持参したチェンソーと草刈機、鋸と鎌、マサカリと地堀鍬をお室の前に並べ、持参した一合ビンの日本酒と米・煮干を供え、手を合わせて作業中の安全を祈りました。
 生い茂った潅木やカズラ、茨が行く手を阻み作業が容易ならぬことであることを実感したのです。以後弁当を持ってこの地に分け入って作業する私の姿に、地元の人たちも何事かと、作業する姿を見に来たり尋ねたりされましたが、私の人間牧場を造るという構想は話しても、目に見えないものだけに理解してもらえないと思い、しばらくはみかん畑だった場所を開墾する程度の軽い説明に終始していました。

 雨の日を除けば来る日も来る日も、妻が買ってくれた地下足袋と麦藁帽子、作業着、軍手という出で立ちで約2ヶ月、抜開・伐採・抜根を行い、畑の真ん中でそれらを順次焼却処分しながら前へ前へと進みました。全容が見えてきたのは5月、そうこの頃でした。視界が開けたその向うには私が幼かった頃見た伊予灘の海と豊田漁港の見事な眺望を確保したのです。私の人間牧場構想の土台となるいい場所だと確信しながら、並行して設計士の息子に頼んで進めていた、中心施設となる水平線の家の設計図も5月半ばには完成し、いよいよ夢は膨らんで行きました。わが家の隠居を建築した折棟梁を務めてくれた藤建設に建築を依頼して、度々打ち合わせを繰り返し、7月から基礎工事などの本格的工事が始まり、難産の末大安の7月29日を選んで建前に漕ぎつけました。

稲葉さんの農地に上がった鯉幟

 水平線の家と名付けた中心施設の北側には、その後オーシャンビューを楽しむために畳25畳程もある広いウッドデッキを造りましたが、水平線の家の観音開きの広くて長い自慢の掃き出し窓を開けば、25畳の室内とウッドデッキで50畳もの広さを確保できるのです。
 あれから7年近くが経ちましたが、ウッドデッキはホワイトファーという外国産の建材を使っているため、防腐剤を塗るなどの補修が大変で、毎年1回~2回の防腐剤塗料塗りは欠かせないのです。先日は息子と二人でウッドデッキの陰になる部分に少しコケのようなものが見え始めたので、棒刷りで綺麗のこすって水洗いをしていました。
 昨日は午前中買い物に出かける妻に防腐剤の購入を頼み、午後1時に二人で作業のため人間牧場へ出かけました。途中私の農地を貸している稲葉さんの農地に、今年も鯉幟が立ったので、息子と二人で立ち寄りました。稲葉さんはタマネギの収穫作業をしていました。
 稲葉さんの畑からは同じような風景ながら人間牧場とは違ったリアルさがあって、海がより近く感じられ、しばし談笑や作物の出来具合、今後の作業予定等を聞きました。

 

  「少しだけ 七年前を 振り返る 早いもんだな 時の流れは」

  「あの頃の 自分はもっと 輝いて いたとちょっぴり 感慨ふける」

  「妻買いし 防腐剤積み 軽四で 息子と二人 牧場出かけ」

  「子どもの日 友の農場 鯉幟 中々やるわい 感心しきり」

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人間牧場

○ゴールデンウィークの一日

 急な思いつきで、ゴールデンウィークの休みを利用して帰省している娘家族と、同居の長男家族に私たち夫婦が伴って、八幡浜・宇和経由で野村の朝霧湖ダムやホワイトファームへ出かけました。私の車の後ろの席に二つのチャイルドシートを設置し、4歳の孫希心と尚樹、それに小4年の朋樹を乗せ出発することにしました。出発に当り2歳の孫奏心がどうしても私の車にお兄ちゃんたちと乗りたいと大泣きして訴えましたが、定員やチャイルドシートの関係で、もう一台の車に母親と一緒に乗せるのに一苦労しました。
 助手席には、自分はカーナビだと言いつつ当てにならない妻を乗せ、長浜~保内~八幡浜~宇和へと車を走らせました。孫たちはルンルン気分で、みんなでワイワイガヤガヤ、歌を歌いながらの小旅行です。

藁で造ったマンモス象の前で

 途中宇和岩城駅近くに設置している藁で造ったマンモス象のオブジェを見ました。昨日は少々肌寒い北西の風が吹いていましたが、田圃の中に威風堂々と立つナウマン象には孫たちも驚いた様子でした。私は先月この象のオブジェを車の中から見ていたので、どうしても孫たちに見せてやりたいと思ったのです。早速持参のデジカメで写真を撮ろうと思いましたが、ブログを書くためデジカメのチップを抜き、パソコンに差し込んだままにしていたのを、すっかり忘れてしまっていたのです。仕方なく息子のカメラのチップを差込み事なきを得ましたが、忘れ状がいいのは年齢のせいでしょうか?。

ヤギ牧場で筍の餌やり

 国道沿いの東洋軒というレストランで昼食を食べ、両岸をまたぐように鯉幟を泳がせている野村ダム朝霧湖を通って、ホワイトファームへ行きました。長閑な自然を満喫できる場所にあるものの、子どもたちには遊び道具もなく、少し不満気味でした。それでも順番待ちをして借りたキッカーという乗り物に乗って遊んだり、公園内のヤギ牧場でヤギに餌をやったりして遊ばせました。自慢のアイスやソフトも肌寒い風が吹いていたので、それ程喜ぶこともなく、ダム湖の湖畔まで引き返し、鯉幟と咲き揃うツツジをバックに記念撮影を撮りました。妻は家を出る時私の説明が野村町だったので、野村町=大野ヶ原と勘違いして期待をしていたらしく、少し不満を言っていました。

キッカーに講じる孫奏心

 帰路は渓筋経由で大洲へ入りましたが、物足らない子どもたちを臥龍の湯下、水天宮の沈下橋付近の河川敷へ連れ出し、川面に石を投げたりして汗をかかせた後、臥龍の湯で1時間ばかり温泉に浸かりました。孫たち3人は女湯、私と息子と孫朋樹は男湯だったので、久しぶりにサウナにも入りいい汗をかきました。

鯉幟泳ぐ朝霧湖畔

 オズメッセ近くの洋食レストランで食事をしましたが、和食系の私はトロ丼しかないので、それを注文して食べましたが、車の長旅に酔ったのか一番下の奏心が、食べたものを戻してしまうハプニングもあって、少し騒動しました。それでも子どもたちはレストランで貰った玩具類に講じながら午後8時頃自宅へ帰り、連休ということもあって、9時頃までビデオでコナンを見せてもらい、運転で疲れた私たちと同じ蒲団で早めの床に就きました。

「束の間の 休日楽し 小旅行 みんな浮き浮き 最後お疲れ」

「野村町 てっきり草原 大野ヶ原 妻の目論見 見事にはずれ」

「お湯浸かり 夕食食べて のんびりと 妻の財布も 軽くなりけり」

「孫たちの 喜ぶ顔が 何よりと 爺婆ハッスル お疲れモード」

美しい朝霧湖畔のつつじの前で家族写真

 

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人間牧場

○ゴールデンウィーク中日

 この3~4日天気が定まらず、雨が降ったり止んだりするため、ゴールデンウィーク真っ只中といいながら遠出もできず、少しイライラがつのっている人も多いのではないでしょうか。普段の年だとこの時期は、すっかり早くなった田植えの真っ最中なのでしょうが、雨が影響しているのか家の直ぐ下の田んぼはまだ田起こしさえやっていない状態です。それでも冬眠から目覚めたカエルたちは、雨を待ちかねていたように賑やかな大合唱を始めて、初夏の訪れを告げています。

双海人のピザのお店

 昨日はサイコーダイガクの流れを汲む双海人の松本さんや戸田さん、浜田さん、冨田さん、広田さん、北風さんたちが、ふたみシーサイド公園で移動式ピザ釜を使ってピザを焼き、双海人の資金集めをするというので、手伝いこそしないまでも賑わかせと多少の協力をしたいつもりで、孫朋樹を連れて昼前に出かけました。その頃には天気も回復して青空が広がり、運の強いメンバーの底力を見せ付けました。前もって松本さんにピザを3枚焼いてもらうよう予約を入れておきましたが、雨の影響で火入れが少し遅れたようでした。

ピザ焼きに奮闘中の松本さん

 双海人のメンバーはそれぞれ生地を麺棒で伸ばしたり、ソースを塗った上に具材をトッピングしたり、それをかまどに入れて焼いたりと、手分けをして作業をしていました。シーサイド公園の界隈を訪ねて来る人の中には顔見知りの人の顔も多くあり、「久しぶり」とか「懐かしい」とかいいながら立ち話をしました。孫朋樹は教えてもらった紙ヒコーキを作り砂浜で飛ばして遊んでいましたが、心地よい風に乗って階段式護岸から飛ばした紙ヒコーキが恋人岬の海まで飛んで、あえなくチンして、その飛行距離に驚きながらも、がっくりしていました。また冨田さんから貰ったクワガタが気に入って、みかんを餌に与えて遊んでいました。

 

焼き上がったピザ

 そのうち注文していたピザ3枚も焼けて、ひとまずその場をお暇して自宅へピザを持ち帰り、早速家族で熱々のピザを美味しくいただきました。カメンライダーショーに出かけた孫3人と息子はあいにく留守でしたが、家族の反応は上々で人間牧場のピザ釜を使って、早くピザパーティをしたいと盛り上がりましたが、そういえばピザ釜も出来てからまだ一度も家族にお披露目していないので、近いうちにみんなを招待したいと約束しました。ピザ昼食が終ったので、孫朋樹を連れて人間牧場へフキを収穫に出かけました。数日前じゃこ天のおばちゃんたちに差し上げたフキがとても美味しかったと誉めてくれたので、お裾分けをしてあげようと思いました。

 

くじらの店の前のキンセンカの前で孫朋樹

フキは雨を含んで濡れていましたが、雑草を掻き分け1時間余りで7束収穫しました。私がフキを収穫する間、孫朋樹は木を使って切り出しナイフで何やら工作したり虫を追っかけたりして遊んでいました。収穫した蕗を持って下山し、途中妹の店くじらに立ち寄り、シーサイド公園に立ち寄ってフキをお裾分けし、お礼につみれをいただきました。双海人の仲間は相変わらずの奮闘で、ピザは50枚を越えて売れたようで、この分だと目標の60枚は達成できそうな雲行きでしたが、5時間以上の立ち仕事に少しお疲れモードのようでした。ピザの販売は今日もやるようです。暇を見つけて立ち寄ってやって下さい。
 
  「連休を ピザ焼き過ごす 仲間たち 感心感謝 私賑やかし」

  「ピザ三枚 熱々のまま 持ち帰り 美味い美味いと 言いつつ食べる」

  「牧場で フキ七束を 収穫し お裾分けする 破顔一笑」

  「お礼にと 貰ったつみれ 食卓に のどかなりけり 連休中日」

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人間牧場

○夕日徒然草・空の書の執筆始める

 「5年間で150話の創作落伍を創り、話芸として演じたい」。そしてそれを「夕日徒然草として出版したい」という、とんでもない思い付きを5年前にして、こともあろうか人様に公言してしまいました。私の悪い癖は目標を立ててそれを人様に公言し、人から見れば「多分無理だろう」とか、「大風呂敷だ」などと思われても、自分を追い込んで成し遂げていくやり方で、これまでにも様々なことを成し得てきました。凡人の私が人間牧場を造れたのも、アメリカへ青年の船で行けたのも、また私設公民館煙会所を造れたのも全て「私ならできる」と自分に暗示をかけた賜物なのです。

 「5年間で150話の創作落伍創り」は、私にとって書くことへの挑戦でした。150話を1年30話に小刻みし、毎年地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と積み重ねて行けば、5年間で150話が完成するという目論見でした。しかし最初の地の書までは書きたいことがいっぱいあって、筆は順調に進みましたが、浅学な私には150話がいかに途方もない数字であるか、水の書執筆に入った所で早くも露呈してしまいました。それでも筆を起こしその後4年間で目標どおり120話を書き上げ、夕日徒然草を風の書まで4冊出版することが出来たのは、印刷工程を担当してくれた友人の清水和繁さんや、村上太さんのお陰だと深く感謝をしているのです。

 夕日徒然草の出版には一冊25万円+5%の消費税(1万2千5百円)がかかります。印刷屋に支払ったお金だけでも26万2千5百円×4冊=百5万円という金額になるのです。貧乏なリタイア生活の私にはこれまた難儀な金額ですが、経済は回るということを考え付いたのです。つまり初期投資の26万2千5百円さえ用意して、一冊5百円に設定した本を525冊売って26万2千5百円さえ回収すれば、自転車操業よろしきを得て、何冊でも出版が可能なのです。私には525冊を売る自信はありました。目論見どおり地の書は1年間で千部の売り上げを記録し大ヒットとなったのです。本代を人間牧場の運営費に回すという目論見にはまだ達成していませんが、とりあえず夕日徒然草の売上代金は味噌の入っていた樽二つ(一つは自分の書斎、一つは水平線の家)にストックされて、最終5冊目空の書の資金も確保されているのです。

 何はともあれ、空の書は目標どおり5月一杯をめどに原稿30本を書き上げなければなりません。今月1日から恐る恐る執筆を始めました。スピードが上がるどころかまだアップアップの状態で、先が思いやられますが、まあ何とか1日1本書けば30日で30本ですから、可能性は十分あるようです。
 今これまで書き上げて出版した夕日徒然草を基に、愛媛新聞社カルチャースクールで、街中の人間牧場移動塾というのをやっています。これは話芸ではなく講義タイプですが、夕日徒然草の読みほぐし解読も中々味があって面白いものです。さあもう一分張り、目標の150話の完成に向けて頑張りましょうか。

  「百五十 小話創る 目標に また一歩づつ 近づく辛さ」

  「遠いなあ 思いつつ書く 徒然も やっと向こうが 見えるとこまで」

  「書くよりも 資金心配 してたのに 今は逆転 書くが心配」

  「書く作業 鉛筆消しゴム 要らずして キーを打つだけ 世の中変わった」

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人間牧場

○わが家のツツジが満開です

家庭菜園石垣の上に咲くツツジ 昨日の夕方5時頃郵便物を発送するため、自宅から歩いて約1キロの所にある双海郵便局へ行きました。小雨が降ったり止んだりするあいにくの天気でしたが、昨日から五月、しかも立春から数えて88日目に当たる八十八夜とあって、暑くも寒くもない風が心地よく頬を撫でました。歩き始めてものの5分もすると近所に住む宮田さんの奥さんに出会いました。宮田さんは昔母が親類の共栄木材という地元会社に夫婦で就職を斡旋し、今は定年退職して悠々自適で農業を営んでいますが、時々野菜や果物等珍しいものを届けてくれるのです。畑からの帰りと思しき手押しの一輪車には春キャベツが積んでありました。「おひとつどうぞ」と2個もいただきました。そこら辺へ置いて行くのも気が引けたので、少々重いと思いながら郵便局のポストまで提げて歩きました。郵便物の投函を終え、帰宅の道はキャベツを持っていることもあって裏道を通りました。 孫たちが通う上灘保育園の前を通っていると、今度は今年の春から上灘保育園に赴任してきた成本園長先生に出会い立ち話です。近々上灘保育園で子育て講演会をやりたいので、その時は講師をお願いしたいと頼まれ、「いつでも快く」と返事をして分かれました。 やがてわが家の畑があるはずれの場所まで帰ると、近所に住むおばさんたちが2~3人立ち話をしていました。歩いて帰った私を見つけ、「ツツジが見ごろで綺麗ですね」と声をかけられました。見ると目先の向うに延々とわが家の畑の隅に植えているツツジの花が、今を盛りとばかりに咲いているのです。「大洲の冨士山へ行かなくてもこれで十分花見が出来るね」「お陰で毎年ツツジの花を楽しませてもらっています」と会話も弾みました。家庭菜園の内側から見えるツツジ

 いつの間にかわが家の家庭菜園には、今年もツツジが満開の頃を迎えているのです。親父が丹精をこめて世話したツツジですが、今年も綺麗に咲きました。ツツジは株によって早咲きと遅咲きがあって、全てが満開ではありませんが、近所のおばさんに綺麗と言われて初めてその全容を見たのです。一昨日・昨日・今日の雨で花が塗れて、可哀想にも見えましたが、何とか連休中は晴れて、綺麗なつつじの花を大いに楽しみたいものだと思いました。急いで自宅へ引き返し、早速デジカメで写真に収めました。

 

 ツツジは100mに渡って延々と続いているため、何処を撮っても綺麗で、ブログ画面に取り込んむのにどの写真がいいのか迷うほどでした。今のデジカメは精度が高いのか、午後6時の時報を知らせるチャイムが鳴っている夕方、しかも雨模様で薄暗い感じがしたのに、むしろ好天の日より綺麗に撮れるのです。今日はもう一度いい時間に写真に収め、親父のために感光紙にプリントアウトして、見せてやりたいと思っています。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は林芙美子の言葉です。「花作り花見る人は別の人」でもあります。明日から始まる連休はわが家のツツジを目いっぱい楽しんでやろうと思いつつ・・・・・。

  「綺麗だと 近所の人に 教えられ わが家のツツジ 確かに綺麗」

  「ツツジ咲く 花の命は 短くて 早く愛でねば 盛りを過ぎる」

  「丹精の 後を覗う ツツジかな 赤白紫 色とりどりに」

  「デジカメで 時間を止める 艶やかさ 散ることもなく 写真に残る」

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人間牧場

○孫たちと遊ぶ

小雨に煙るえひめ子どもの城

 ゴールデンウィークの真っ只中ながら、仕事が忙しいといって出勤した長男息子に代わって、昨日は雨模様で手持ち無沙汰な孫たちを連れて、急遽子どもの城へ遊びに行くことになりました。「動物園か子どもの城かどっちがいい」と、孫たちにとっては毎度おなじみの施設ながら聞くと、3人の孫たちは異句同音に「こどもの城」をリクエストしたのです。
 10時にわが家を2台の車で出発しました。チャイルドシートの備わった息子嫁の車に3人の孫たちが乗り込み、私たち夫婦の車は後追いの格好で続きましたが、途中所用を済ませるため私たちの車は20分も後れて、生涯学習センター側の入口から、駐車代300円を払って入りました。駐車場に到着すると早速携帯電話で居場所を確認し、妻と二人で歩いて坂を登って行きました。

室内ゲーム

 私はかつて子どもの城の建設当時、建設企画検討委員会のメンバーとして深く関わったし、そのためオープニングにも招待され、またその後長らく運営委員会のメンバーをしていたこともあり、少し遠のいていたとはいえおなじみの施設なのですが、妻は子どもの城へ来るのは初めてだそうで、雨模様の景色ながら色艶やかに咲きそろ、うハナミズキやつつじの花をバックに威風堂々と立つ子どもの城の姿に、感嘆しきりでした。ゴールデンウィーク真っ只中なので、さぞや混んでいるだろうと思いきや、午前中だったこともあって、予想していたほどの人出ではなく、比較的落ち着いた雰囲気でした。それでも子どもたちのテンションの高い歓声や鳴き声に驚きながら2階のホールへ入ると、孫たちはインストラクター主導のゲームに夢中になって心地よい汗をかいていました。

足漕ぎボート

 その後昼近くになったので一旦外に出てレストランで軽いお食事です。弁当を持っていくかどうか迷いましたが、雨のこともあって野外で食事をすることができないと判断し、レストランでお子様ランチを注文しました。私たちはうどんでしたが、レストランの窓から下を眺めると、調整池に足こぎボートが優雅に浮かんでいるのを見て、「あのボートに乗りたい」と言うので、食事後下に下りてボート二隻に分乗して、30分の所要時間を目いっぱい楽しく遊びました。私は尚樹と奏心、妻は希心を乗せて足漕ぎをするのですが、これが結構な運動量で、妻は軽い船酔いの中大汗をかいたようで、二人ともハッスルして漕いだため疲れてしまいました。息子嫁は船に弱いのでウッドデッキで、手を降りながら見守って正解だったようです。

足漕ぎボートを楽しむ孫たち

 その後手づくり宝石箱作りや、風車作りのコーナーを回ってそれぞれの手作りを楽しみましたが、私たち夫婦はまさにフーフー言いながら、後について回ったような感じで午後3時に、次の目的地星ヶ丘温泉へ到着、孫たちは女湯へ入ったため、私は一人男湯でのびりゆっくり1時間温泉を楽しみました。温泉は雨の日とあってお年寄りを中心にかなり混んでいましたが、知り人も何人かいて話しながらいい汗をかきました。
 その後娘や息子と合流して、天山のすけろくという中華料理店で夕食を食べ、充実した一日を終え帰宅しましたが、孫たちも疲れたのか帰宅途中に深い眠りについての帰宅でした。ゴールデンウィークの前半が終わりました。後半には子どもの日や私たちの結婚記念日、地元のウォーキング大会とまたまた疲れることが目白押し、内心早くゴールデンウィークが去って欲しいと思いました。(笑い)

  「孫たちの リクエストにて 子ども城 ノコノコついて 出かけお疲れ」

  「孫たちの 生き生き姿 見ていると 疲れも忘れ ボート足漕ぐ」

  「おじいちゃん あっちこっちと 手を引かれ 同じ人たち あちらこちらに」

  「行楽地 よりもこちらが 充実し 来てよかったと みんな満足」

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人間牧場

○若草物語ならぬ草取り物語

 わが家は貧乏人ながら、家の横にある家庭菜園を含めると敷地が田舎らしく660坪もあるのです。都会ならこの広さを聞いただけで、どんな金持ちだろうと思われがちですが、田舎ではこんな家はざらなのです。敷地が広いと庭も広いし家も広く余裕があって、それなりにのんびり暮らせるものの、困ったことが幾つかあります。その最たるものは雑草への対応です。特に春先から秋先にかけては雑草の活動が活発で、ほおっておくと雑草に埋まるのではないかと思うほど草が庭中畑中生えてしまうのです。
 私の家では代々庭と畑の草取りは年寄りの仕事、家の周りの傾斜面の草刈りは当主の仕事と暗黙の了解があって、死んだ祖母も母も暇さえあれば下向きに下を向いて草を引いたり削ったりして晩年を過ごしました。今草取りは93歳になった親父の仕事と暗黙の了解があって、親父は漁師を引退して陸に上がってからは、毎日毎日明けても暮れても草引きと草削りの作業を、言葉で感謝されることもなくやり続けているのです。

 親父は若い頃鼻ガンで生きるか死ぬかの大病を患いましたが、再発することもなく生き延びてわが家の草から家を守り続けているのですが、最近になって少し気力や体力に衰えを感じ、特にスネが思わしくないため、もっぱら「陽の当たる坂道」という電動自転車を愛用して片道7キロの下灘診療所まで毎週一回通院しているほど行動範囲は広いのですが、全てに限界を感じる言葉を言うようになり、草引きもいよいよ代替わりで、長男である私に回ってきそうな雲行きです。
 私には家の周りの斜面の草刈に加え人間牧場の草刈という、今も行なっている重要にして重労働な役割があります。これに加えて畑や庭の草取りもやらなければならないとなると、これはもう大変な作業で、そのことを考えると今から老後の暮らしが憂鬱になるのです。いっそのこと農家の人がやっているように草刈らしという農薬を撒いて作業を軽減しようかとも思うのですが、一緒に暮らしている孫のことや、環境のことを考えるとそれもできず、頭を悩ませています。

 草は植えもしないし頼みもしないのに庭中勝手に生え、意地悪い草は何と屋根の瓦と瓦の間にまで蔓延って、ほおっておくと屋根の雨漏りの原因にもなるのです。「生き場所がここにもあった屋根の草」なんて風流を楽しむこと等などできず、切羽詰っているのです。都会でマンション暮らしをしているセレブの人は、庭木の剪定も草取りもせずに、年をとったらすることがないと嘆いているようですが、わが家へ春先から秋先まで疎開してくれれば、草引きの作業を楽しくやらせて上げますので、新聞広告でも出そうかと思っています。でも草に向かって「頼みもしないのに何故生えた」とブチクサ言ってみたところで草は減るわけではないので、昨日もゴールデンウィークで、世の中の人々は海外旅行や国内のあちこちへ行って浮かれているというのに、私はゴールデンウィークを使って草刈りをしました。まあものは考えようで、レジャーに金が要らないので、そのお金で昨日はホームセンターで、草刈機の刃を2枚1,980円で購入した程度の出費でおさまることが出来、目出度し目出度しです。

  「庭畑 初夏から初秋 雑草が 敷地一杯 どうにかしてよ」

  「田舎では 敷地の広さ セレブ並み  税金雑草 何とかしてよ」

  「わが家では 老後の仕事 草引きと 決まっています 何とかならん?」

  「屋根にまで 生えて瓦を 押し上げる 雨漏りしないか それが心配」

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人間牧場

○妻にゴールデンウィークはない

 ゴールデンウィークとはよく言ったもので、正月やお盆のように格式ばった行事は一切なく、友だちや家族と暑くも寒くもない初夏を、目いっぱい楽しむことが出来るのですから、この上ない幸せな一週間なのです。しかし私の暮らしている四国・愛媛・伊予ではそうでも、東日本大震災に遭った方々にはゴールデンウィーク等と浮かれておれない厳しい事情があったり、狭いといいながら日本は東西に細長く、やっと春の季節に目覚め、桜がほころび始めた所だってあるのです。日本人は忘れ状がいいのか、自己中心主義なのか、そんなことなどすっかり忘れて海外へ足を延ばす人も多いようです。

 リタイアして8年目を迎えた私なんぞは、ゴールデンウィークは何処へ行く当てもなく、また人混みの中にわざわざ出かける煩わしさが嫌で、家でのんびり過ごすことをモットーにしていますが、残念ながらあれやこれやと薮用があって、今年も忙しいゴールデンウィークになりそうです。
 昨日の夜は松山に住む孫尚樹が長男息子に連れられ、わが家へ泊りにやって来ました。間もなく今月の誕生日で5歳になる尚樹はすっかり自立し、同級生の内孫希心と遊ぶのが楽しみでやって来たのですが、間もなく3歳になる内孫奏心が二人の間に割って入って茶々を入れるものですから、まあ家の中は大騒動です。

 ゴールデンウィークは未だに近くの歯医者さんで働く妻にとっては、一年に一度の休暇ウィークなのでしょうが、前述のように孫が泊りに来ると、孫が息子家族と過ごしたがるので何かと気を使い、食べ物を運んだり風呂に入れたり寝起きさせたりと、結局は休むこと等できないのです。昨日は急に電話がかかって看護師の次男が急に松山から自転車で、昼ごはんを食べに帰って来ました。昨日は妻も仕事で昼休みは午後1時30分まであるのですが、結局自分の昼食もそこそこに次男の食事を作っていました。
 去年はゴールデンウィーク中、高速道路が何処まで行っても千円だったため、しまなみ海道を渡り思い切って岩国の錦帯橋と、安芸の宮島へ夫婦揃って日帰り旅行をしましたが、今年はどうやら雑事で終りそうなのです。

届いた宇和島水ヶ浦段々畑の早掘り馬鈴薯

 妻はこのように忙しく、このように休めないのに、それでも家族と過ごせるゴールデンウィークを楽しみにしていて、ゆっくりのんびりなどと、手前勝手なことばかりしている自分を少々恥じていますが、まあこれも夫婦の人生と納得しています。
 昨日は夕方、宇和島遊子水ヶ浦の段々畑で収穫した早掘りジャガイモを持って親友の藤田さんがやって来ました。藤田さんは愛媛新聞の記者をしていて、高知県へ嫁ついでいった圭子さんの親父で、もう20年来の友だちです。毎年早掘りのジャガイモをこうして持って来てくれるのです。立ち話をして帰りましたが、妻は早速このジャガイモを使って、孫たちのために大鍋でカレーを作っていました。新ジャガの味は格別でとても美味しくいただきました。わが家庭菜園ではまだジャガイモはやっと芽が出て伸び始めただけなのに、もう収穫とは偉い違いだと、去年訪れた水ヶ浦の段々畑を思い出しながら食べました。

 

わが家のジャガイモ畑

  「のんびりと ゴールデンウィーク 過ごそうと 呑気孫六 私のことだ」

  「休むはず 休めないのは 主婦ばかり 可哀想だと 思うことしか」

  「早掘りの 馬鈴薯届き 早速に カレー作って 舌鼓打つ」

  「わが家では ジャガイモ収穫 一ヶ月 後だと言うに どうしたことか」

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人間牧場

○わが家はもう初夏の装いです

亜鉛ドブ付けメッキの立派な階段

 一昨日の朝、伊予市三秋の西田鉄工所の若い社長さんが何やら階段のようなものを積んで来て、いきなり作業を始めました。この社長さんは設計事務所に勤めている長男とは無類の親友で、家族ぐるみで付き合っているのです。そのため人間牧場のウッドデッキに取り付けた蚊帳張り用のステンレスも、家の裏の外用流し台周辺等のステンレス工事も全てこの社長さんと、息子が相談して整備をしてくれました。しかし今回の屋上へ上がる階段の工事は聞いていなかったので藪から棒って感じでした。
 これまで使っていた階段は親父が漁師をしていた頃網にかかって引き上げたものを、捨てるのは勿体ないと再利用していたのですが、長年海水に浸かっていたため赤く錆びて老朽化が著しく、息子が屋上でソーラー発電の試験を行なっているため、再三再四屋上に上がるので、子どもが踏み外して事故でもあったら大変と、注文をしたようなのです。

 その日の夕方自宅に帰った息子に妻が、「あの階段工事どのくらいお金がかかるの?」と聞いたら、「10万円するので5万円自分で出すから5万円はお母さんが出して」と、事後承認の形で不満ながら「お父さんに聞いて見ないと」と、その場は即決を避け、保留にはしたようですが仕方がないと言っていました。私も孫が同居してから気になっていた危険階段だったので、「やる時は前もって相談するように言っておけ」と、少し不機嫌さを前面に出して妻に伝えました。
 今朝新しく取り付けられたこの階段を使って車庫の屋上に上がってみました。息子が実験と言って楽しんでいる、ソーラーパネルが4枚置いてありました。屋上から見える町のシンボル本尊山周辺は、目の覚める様な新緑です。この新緑を借景に出来る幸せを思いながら、山の端から上がった朝日に向かって思い切り深呼吸しました。

車庫屋上から見える新緑の本尊山

 車庫の横の緋モミジも新緑ならぬ見事な新緋の葉っぱを広げています。家庭菜園の隅では満開に近づいた色とりどりのツツジが咲き誇っています。行く春を惜しみ、来る初夏を思いながらさわやかな春の風に吹かれて眺めていると、何だか幸せな気分になりました。
 

綺麗な緋モミジ
 この緋もみじも家庭菜園の横に100メートルに渡って植えたつつじも、私が苗から育てて植えたものなので、もう30年も経って今では立派に葉を茂らせ、立派に花を咲かせて見る人の目を楽しませているのです。植えない木は育たないし、花も咲かないのですから、親父と二人で育てたこれらの木々をこれからも大切の育てて行きたいし息子に譲りたと思っています。
満開を迎えた家庭菜園横のつつじ
  「階段を いきなりつける 半分は 出して欲しいと 妻を通じて」
  「車庫の上 向かいの山を 見渡して 深呼吸する 何とも言えず」
  「このツツジ 親子二代で 育て来た 次の世代へ 引き継ぎたいが」
  「連休は 何処へも行かず このツツジ 眺め過ごそう 納得しつつ」
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人間牧場

○ウィークリーえひめ掲載記事

 私は、日本銀行松山市店内に事務局がある、愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーをやっていますが、事務局から先月ウィークリーえひめに原稿を書いて欲しいと依頼され、あれこれ迷った挙句二宮金次郎のことについて書くことにしました。締め切りに間に合うように原稿をPCで書いて事務局へ送ったこともすっかり忘れていた一昨日、更生保護女性会の総会に招かれて、会場となっていた双海地域事務所を訪ねた時、事務所の松本さんから、「ウィークリーえひめを見ていたら、若松さんの書いた記事が載っていました」と、丁寧にも掲載紙を手渡してくれました。地方紙ならいざ知らず、こんなタウン情報にまで目が届くとはと感心してしまいました。別れ際「PDFファイルにして送っておきました」と、私がブログに使って保存するであうことを想定し、かゆい所に手が届くような配慮です。

ウィークリーえひめに掲載された私の原稿

 講演が終わって自宅へ帰り、Gメールを開いてみると、年輪塾ネットに書き込みがされ、PDFファイルが添付されていました。
 今朝は早立ちで岡山県へ行くため、ここまで書いて家を出ようとしましたが、PDFファイルを挿入する手順を間違ってしまい、結局自宅へ帰ってから、朝書いたものを全て破棄し、新たに書き加えることになってしまいました。
 今回の原稿は左のPDFファイルの通り「二宮金次郎は何の本を呼んでいるのだろう?」です。「読む人の中には「二宮金次郎なんて古い話」と思われる方がいるかも知れませんが、二宮金次郎の教えは今の時代だからこそ大切な教えなのです。
 お金の教育は現代教育の欠落部分といわれるように、学校も家庭も社会もこれまで子どもたちに熱心に教えてきませんでした。特に家庭教育で正しいお金の使い方を教えていなかったことが、金銭感覚の麻痺した現代の青少年犯罪に大いに影響しているのです。

 私がウィークリーえひめに原稿を書いたのはこれが2度目ですが、その時は「大きな音のしない落し物」ということを書いたと記憶しています。10円や100円や500円の硬貨を落とすと「チャリン」と音がして、誰もが振り向き、落としたことに気がつくのですが、千円札や一万円札は10円・100円・500円より高価なのに音がせず、落としたことに気づかないのです。私たちは枝葉末節に気を配るけれども、目に見えない大切なものを失っているのではないでしょうか。一度じっくり考えて見ましょう。

  「早立ちで 急いで書いた 原稿は 入力ミスで ゴミ箱移動」

  「金次郎 何の本読む? 知っている? 聞いては見るが 誰も答えず」

  「PDF メール添付で 届いたり 早速ブログ ネタにして書く」

  「記録した ゆえに記憶が 蘇る 先人の智恵 大事教わる」 

 

 

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