人間牧場

○子ども体験塾始まる(その1)

 双海町に住む子どもたちを優しくたくましい子どもに育てる、「子ども体験塾」がいよいよ今年も始まりました。町内の小学校三校にお願いして募集をかけたところ、定員30人をはるかに超える40人が応募をしてくれました。以来実行委員会で決まった担当が中心になって、その内容吟味や準備が行なわれました。私は実行委員長をしていることもあり、また第一回のいもづる植えと秋の収穫祭の会場が人間牧場なので担当することとなり、事務局の赤石さんと何度も打ち合わせを行い、また公民館の松原さんたちの協力を得て、事前に芋畑の中耕やマルチ掛け、草刈りなど、今迄で一番労力を費やしました。

 前日雨が降り、その余勢が残る深い霧が残ってはいたものの心配された天気も、むしろ初夏の太陽を遮ってくれて、ラッキーな一日となりました。私は朝起きて水タンクに炊事用の水を2個入れて、トラックに積み込もうと思いましたが、腰の具合が今一だったため、居合わせた長男息子に詰んでもらい、7時30分に自宅を出発しました。人間牧場へ到着すると腰の痛さなどすっかり忘れて水タンクを降ろし、水平線の家の大きな窓を全開して、とりあえず掃除を始めました。そのうち浜田さんがやって来て、一緒に掃除をしたり段取りをしました。午前8時30分になったので、開会式に出席するため浜田さんに掃除の依頼をして、一旦下灘コミセンへ向かいました。

 コミセン2階には参加する親子連れが集まり、受付や雑談をしていましたが、その人の群れの中に福島から原発疎開で福島県から、わが町にやって来ている渡辺さんの奥さんの姿を見つけました。先月末の29日に元気な男のこの赤ちゃんを出産していて、その子を抱いて娘さんを連れて来ていました。嬉しい双海っ子の誕生を、開会式のあいさつに入れ、みんなからお祝いの拍手が贈られました。
 開会のあいさつでは、「心が優しくて逞しい子どもを育てる」、子ども体験塾の趣旨をしっかりと話しました。実行委員やスタッフが紹介され、いよいよ今年の子ども体験塾がスタートしました。私は開会式が終ると直ぐに人間牧場へ引き返し、既に到着していた松本さんや戸田さん、冨田さん仲神さん、宮栄館長さんたちとともに慌しく準備をしました。

 コミセンから約40分の山道を歩いて登る子どもたちのために、今年はオリエンテーリング形式のクイズを道沿いに配置していたようで、スタッフも中々やるものです。そのうち子どもたちの歓声が聞こえ始め全員元気に人間牧場へ到着しました。子どもたちの中にはまだ体力が備わっていない子どももいて、到着するなり「疲れた」を連発してコンクリート舗装の道路に寝転んだりしていましたが、これも想定内の逞しさ育成術なのです。40人は五つの反に分かれていて、今年はそれぞれの班がメニューにローテーションを組み、別メニューで進行しました。班旗づくり、薪割り、いもづる植え、案山子づくり、ピザ体験を20分程度やるのですが、どれも楽しいメニューで、今年初めて取り入れた薪割りやピザ体験は大いに盛り上がったようでした。

  「今年も 四十人の 子どもたち 人間牧場 歩いてフーフー」

  「この町で 生まれた子ども 抱いて来る 原発疎開 逞し母さん」

  「心根の 優しい子ども 育てたい 人間牧場 造った意味あり」

  「新たなる メニュー子ども 歓声を 挙げて楽しい 一日過ごす」

 

歩いて人間牧場へ到着した子どもたち

 

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人間牧場

○長崎県諫早への旅(その3)

私のお相手を一日していただいた小川課長さん

 今回の長崎県諫早への旅は、諫早市社会福祉協議会から諫早市民生児童委員協議会連合会総会の記念講演へのお招きでした。人口15万人近くの長崎県第三の都市ともなると民生児童委員の数も300人を超えていて、少し離れた郊外の高台にある諫早文化会館中ホールは満席状態でした。
 列車の都合で会場へは午前中に到着しましたが、行く場所もなく講師控室で小川課長さんを相手に3時間近く色々な話をしました。12時30分の受付開始時間になると、会長さんや諫早市長さんも見えられ、慌しく名刺交換した後開会式のあいさつをするため出て行かれ、控室は再び私と小川課長さんだけとなりました。小川課長さんは地元の大学で福祉に関する講義もされているようで、女性ながら比較的私とよく似た二束の草鞋を履いているようでした。

諫早湾の象徴水門を車窓から

 そのうち長崎市と合併した香焼町の公民館に勤める武次さんがやって来ました。武次さんとは20年来の友だちで、香焼町へも講演に招かれて出かけたり、生涯学習の必要性を強く感じている気の会う人の一人なのです。聞けば長崎県下の仲間に呼びかけ昨年社会教育支援草社の会を立ち上げたようで、第一線を退き再任用で同じ香焼公民館職員として働きながら、元気に活動していることを聞き嬉しく思いました。私も公民館のOBで組織している愛媛県公友会の会長になっているので、これまたよく似たことをしていると苦笑いをしてしまいました。
 講演は予定通り14時30分から始まり16時までの90分、参加者の反応のよさに助けられて淀みなくお話をすることができました。終了後直ちに迎えに来たタクシーで諫早駅へ向かい、JR特急白いかもめに乗り、車窓に広がる干いた有明海を見ながら長崎を後にしました。

幻想的なミストつきミュージック噴水

 午後5時を回っての列車は佐賀駅から混み始め、自由席だったので通路もデッキも立っている人が沢山いました。博多で連絡している特急ソニックに乗り小倉を目指しました。博多を中心に発着するJR九州の列車は形や色調にどれも特長があって、見飽きないものばかりです。特に白を基調の特急白いかもめや黒と赤の配色が九州らしい特急ソニックはどこか旅の風情を感じさせてくれまあいた。
 丁度良い時間に小倉に着き、駅前で軽い食事を済ませ駅周辺を少しだけ歩きましたが、海に面した駅前広場のミュージック噴水はミスト(霧)が発生し、カクテル光線に照らされて見事でした。その場所は来訪者も若いカップル一組と私ともう一人の行きずりの人の4人だけで、何とも贅沢な見学となりました。

  「久方に 長崎友人 出会いたる 益々盛ん 嬉しくなりて」

  「諫早の 水門車窓 消え行きて 次の機会は いつになるやら」

  「干潟見せ 有明海は 静まりて 遠望はるか 雲仙山並み」

  「この海も わが瀬戸内海と 続きたり 不思議思いつ 車窓眺める」

 

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人間牧場

○長崎県諫早へ行って来ました(その2)

諫早公園の眼鏡橋

 人の記憶はあやふやと言いつつ、私の記憶もまんざらではないと思ったのは、諫早市社会福祉協議会から今回の講演依頼の話があった時、直感で諫早=眼鏡橋=楠の大木=友人の武次さんや松本さんを思い出したことです。眼鏡橋と楠の大木はさておいて、今回の講演依頼が長崎市と合併した元香焼町の公民館に勤める武次さんの推薦だと小川課長さんから聞かされた時、懐かしくも嬉しくなりました。間髪を入れず武次さんから「再会が楽しみ。できたら長崎へ泊まって松本さんを交え一杯やりましょう」との誘いの電話が入っていました。しかしよくよく日程を調整してみると、明くる日の午前中既に予約が入っていて、諫早へ行く数日前に武次さんにその旨を電話連絡し、呑み会を断わった始末です。

城跡の大楠の木(樹齢推定600~800年)

 諫早といえば、物議を醸し今も相対する意見が真っ向から対立している、諫早湾の干拓や水門の話を思い出すほど、開発か保全かで話題になっている人口10万人を超える長崎県第三番目の大きな街です。特急列車白いかもめに乗って佐賀県から長崎県に入ると、列車の左側には有明海が、そしてその向うには大爆発を起こし、多くの犠牲者を出した雲仙普賢岳が見え始め、そして水門が見えてきます。
 諫早駅に降り立ち、とりあえずタクシーに乗って諫早神社まで行き、大楠群を見学しました。またそこからは少し歩いて眼鏡橋まで行きました。大楠も眼鏡橋も私の記憶どおり威風堂々として私を迎えてくれました。大楠は樹齢500年を越えていて、その根回りや枝張り、根張りは神社の境内ゆえに注連縄が張られていて、木霊が宿っているような雰囲気でした。
 また石造りの眼鏡橋も今まで全国を渡り歩いて見て来た橋の中でも一、二を争う見事なものでした。眼鏡橋を左右、裏表、上下から見学しましたが、改めて先人の技術の確かさに感嘆してしまいました。

蛍塚句碑

 木になるカバンと着替えを入れたもう一つのカバンを両手に抱え、加えて今回はカバンの中に講演で使うため金次郎の銅像を入れていたため、腕や肩が張って諫早公園の中にある城跡の大楠に辿り着くころには、大汗をかいてしまいました。それでも城跡の山頂から見える諫早の街の眺めは最高で、吹き渡る初夏の風に癒され、つわものどもの夢の跡に思いを馳せました。
 眼鏡橋の周辺には蛍の幼虫を育てるカワニナ養殖水路があって、防虫ネットを張っていました。また眼鏡橋の袂には句碑や中学生の蛍塚なども立っていました。再び汗をかきながら河川敷の中の散策道を歩いて、飛び石等を渡り諫早駅まで帰り、前もって送られているタクシーチケットを使って、講演会場である諫早文化会館まで辿り着きました。少し早い到着に準備をしていた社会福祉協議会の皆さんは、一応に驚いた様子でしたが、皆さんとレストランで名刺交換したり、用意していただいた食事をして時を過ごしました。

  「わが記憶 この歳なりて 定かなし されど記憶の 糸を手繰りて」

  「眼鏡橋 大楠群に 感激し もう一度みたい 念願叶う」

  「金次郎 までも同伴 した故に 手や肩ズシリ 大汗かいて」

  「日本には まだまだ誇れる ものがある 諫早湾を 何と聞くらん」  

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人間牧場

○久しぶりの九州路(その1)

 1月18日に福岡県直方市へ講演で出かけて以来、約4ヶ月ぶりの九州路です。瀬戸内海や宇和海を挟んだ隣の島でなりながら、九州はやはり遠いと感じます。と同時に北九州を中心とした発展ぶりはミニ東京といった感じで、小倉も博多も町の中を歩いていると何かエキゾチックな雰囲気があるのです。
 小倉駅周辺のコンベンションホールはとてもでっかくて、また動く歩道やモノレールがあってすごく便利です。その反面駅から少し歩くと素晴らしい小倉城公園もあって、いい雰囲気の街です。今回は早朝だったため小倉や博多の街中を歩くことはありませんでしたが、近い7月6日には京都郡町議会議員研修で、8月2日には福岡県公民館大会でそれぞれ相次いで福岡県へ入る予定なので、前後の日程を割いて周辺を回って見たいと思っています。

私の乗った特急白いかもめ

 小倉から特急ソニック、博多から特急白いかもめという列車を乗り継ぎました。ウトウトしつつも本を読んだり車窓の景色を眺めながらのんびり過ごしました。福岡県から佐賀県に入ると車窓の景色は一変し、小麦畑が長崎県まで続いていました。今は麦秋の頃で刈り取り前の小麦が黄色く色づいて目にも鮮やかでした。松山地方の日本一を誇る大麦裸麦の黄金色に比べるとやや見劣りしますが、それでもあの広い麦畑には圧倒されました。
 麦畑を眺めながら親友の青木晴美さんに携帯でメールを入れました。彼女からは先日も岩手への旅の途中でメールを貰いましたが、私も時々列車の中でメールを送ったりするのです。

佐賀平野の小麦畑の麦秋

 佐賀県辺りから長崎県に入ると有明海の干潟が広がってきました。干満の差が多いため海は淀んでいて、私の町の海のように澄んではいませんが、それでも海の広がるる光景は何ともいえない開放感がありました。目的地の諫早が近づき、何かと物議を醸し続けている諫早湾の巨大な水門が見えてきました。列車の中からか見ることはできませんでしたが、一度近くによって見てみたいものです。
 私が諫早の駅の降りたのは今回が3度目です。前2回は大村市と周辺での講演でしたが、特急白いかもめが止まらないため、諫早へ降りて迎えに来てもらったり、諫早から別の列車に乗るため途中下車したのです。前2回の強烈なインパクトが頭を過ぎって、メガネ橋と楠の巨木群はどうしても見たいと思っていたのです。僅か1時間ほどの余裕しかありませんでしたが、メガネ橋と城山の楠の木、それに諫早神社の楠の木群を見ることができラッキーでした。

  「久方に 西の彼方の 九州路 列車に乗って 旅を続ける」

  「佐賀県は 何年か前 大会に みんなで出かけ 思い一入」

  「佐賀平野 小麦畑が 延々と 続く圧巻 メールで知らせ」

  「有明は 月の引力 見える海 干満の差あり 海の底見え」

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人間牧場

○家族で金環日食を見る

 

雲の切れ間に見える日食

 私の住んでいる四国愛媛県伊予市双海町では、前日の夜から雨が降っていて、金環日食を見れないだろうとすっかり諦めていました。いつものように朝4時に起床して書斎の窓から外を眺めても、窓から見える明け行く空は、相変わらず曇っていました。仕方なく6時半からダイニングで新聞を読みながら食事を取っていると、7時ころ息子が少し興奮気味に私や家族に、「金環日食が見え出したので早く外に出て」と呼びに来ました。食事を一時中断して玄関先の庭に出て空を見上げると、うす曇の空の彼方に少し欠け始めた太陽が肉眼で見えました。息子は目を焼くから直接見ないようにと、特殊なフィルター付きのメガネを用意していて、みんなで代わる代わるかけて空を見上げました。

妻と一緒に

 うす曇が幸いして金環日食か部分日食かも分からぬまま、家族みんなでワイワイガヤガヤ言いながら天体ショーを楽しみましたが、塀の外に見えるご近所で空を見上げて金環日食を見ている人は皆無で、馬鹿騒ぎをしているわが家が恥ずかしいほどでした。
 私はデジカメを用意して何枚か、世紀の一瞬を写真に収めようとしましたが、簡易な私のデジカメでは多分写らないだろうと諦めつつ最大ズームにして何枚か試みましたが、綺麗には写らなかったものの、まあ何とか様子だけは撮れたようで、撮ったばかりのデジカメの写真を家族に見せながら、20分ばかり過ごしました。孫たちもメガネをかけて見えにくい日食を見ていましたが、そのうち飽きてむしろ私のデジカメの写真の方に興味を示し、「見せて見せて」とせがみました。

 

本当はこう見えるのです

 日本で金環日食が見られたのは沖縄以来26年ぶり、県内では767年ぶりといいますから、沖縄へ見に行った人以外金環日食を見た県民はいないのです。金環日食は太陽と地球の間を月が横切り、中心部を月に隠された太陽の輪郭がリング状に見える天体現象です。太陽と月の見かけの大きさはほぼ同じで、月が完全に太陽を隠した場合は皆既日食といいますが、月が遠くにあるときは太陽の淵が隠れずにリング状になるのだそうです。皆既日食とは違って、太陽が眩しいままのため、直視すると目を傷める危険性があるそうで、インターネットやデパートなどでは早くから、専用のメガネを販売しているようでした。子どものころはそんな道具もなく、板ガラスにローソクですすをつけてみたような記憶が残っています。
 県内で次に金環日食が見られるのは83年後だとか。多分ではなく絶対生きていないので、昨日が見納めです。息子に感謝の朝でした。

  「お父さん 早く早くと せかされて 庭先に出て 金環日食見る」

  「デジカメで 記録記憶に 留めたる 金環日食 ラッキーでした」

  「口開けて 家族全員 空仰ぐ 金環日食 幸運予感」

  「天文は いまだ不思議な 事ばかり 金環何故に 凡人私」

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人間牧場

○人間牧場で野良仕事にいそしむ

 このところの好天続きで、春先の寒さや忙しくて遅れ気味だった野良仕事が、一気に片付いて少しだけ余裕が持てるようになりました。今週末に予定されている子ども体験塾が少し気になって、昨日も人間牧場へ出かけ、半日ほど草刈りやコンニャク畑の草引き等の野良仕事で汗を流しました。ミツバチの巣箱に出入りするミツバチたちも活発で、入居している四つの巣箱は順調なようですが、新しく杉の木の下に置いた巣箱は兆候が見られるものの、まだ本物とはなっていないようで、雨除けのために巣箱の上に仮に置いていた肥料袋を、持参した波型エスロンと取り替えました。
 昨日は夕方から雨が降るという天気予報だったので、先日サツマイモ畑から取り出した雑草類を道の下まで運び、見苦しいので焼却処分しました。これで子どもたちを迎える一通りの準備を終えホッと一息つきました。

小窓もついた作業小屋が完成しました

 私が赤とんぼの家と命名している作業小屋も、すっかり片付いて、隣のピザ釜小屋に面した壁面に小さな窓を造る工事も後はハバキをつけるだけとなり、窓がついただけで作業小屋の中が一変したようです。作業台は息子がどこかの工事現場からいただいたという大理石の板が、かまど小屋と同じように贅沢にも使われ、ピザの生地をこねたりトッピングの作業もこれでOKのようです。願わくば小さなシンクも置きたいのですが、まあとりあえず使ってみてからにしたいと思っています。
 この部屋には高知県馬路村魚梁瀬に住む湯浅さんからいただいた魚梁瀬杉の大きな板を使う計画でしたが、余りにも場所を取るため、また勿体ないため今回は断念し、作業小屋の壁に立てかけて収納するため場所を移動しました。

ピザ釜小屋小窓から見える作業小屋

 さてもう一つ難問ができました。それは今回の子ども体験塾で子どもたちに体験させるため用意した、杉の丸太をチェンソーで小切りして、薪を作る計画ですが、その大量の薪を何処へ収納するかです。3年前に風呂、かまど、ピザの三つの場所で使うため大量に用意したクヌギの薪もまだかなり残っていて、どうやら薪小屋が必要になってきました。薪は綺麗に収納できれば人間牧場のインテリアになると思っていましたが、このままでは美観を損なうことにもなりかねないようです。
 昨日は新しい発見もありました。今年はサツマイモの苗床を寒さのため使うことができず、また忙しかったため苗床へ枯葉を入れることができませんでした。昨日苗床の草を引いていると、大きなかぶと虫の幼虫が出てきました。多分この中には無数にかぶと虫の幼虫がいるものと思われます。今年は早めに防虫ネットをかけてかぶと虫を捕獲したいと思っています。子どもたちも喜ぶことでしょう。

  「牧場で あれやこれやと 野良仕事 汗を流して 一人楽しむ」

  「作業小屋 すっかり片付き 大理石 使った台も できて嬉しい」

  「窓一つ できただけでも 雰囲気が がらり変わって 写真一枚」

  「苗床に カブト虫たち 幼虫が 苗に代わって 新た資源に」

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人間牧場

○目に異物が・・・・・

 今朝もいつもと同じように朝4時に起床しました。朝晩は気温も上がりすっかり過ごしやすくなっているため、パジャマのままでその上に一枚袖なしを羽織り、書斎へ入っていつものように朝読を始めました。10分くらいして瞬きをすると急に左目が痛くなりました。目の中に何か異物が入ったようで瞬きをするとコロコロして痛くて、目を開けていられないほどなのです。妻はまだ夢の中なので起こす訳にも行かず、洗面所へ行って流水を手ですくって目を洗いましたが、治るどころか益々痛くなりました。タオルを濡らし拭いても一向にゴミは取れませんでした。仕方なく朝読を断念しパソコンで左目を気にしながらブログを書き始めましたが、右の片目だけではキーボードの位置が微妙にずれて、画面とキーボードを同時に見ながら打つこともおぼつかないようでした。

 ところが何がどうなっているのか、目の異常を感じてから30分もすると痛みが取れて目の状態が元の姿に戻ったのです。多分自分の涙が異物を外に押し出してくれたのではないかと思われるのです。いやあお陰で助かりました。異物が混入して目が痛くなるまでは、目が何処にあるのかさえ気がつかず、目が見えることが当たり前のように思っていました。
 これと同じことは日常茶飯事で、一週間前には食事中喉に食べた鯛の骨が刺さりご飯を丸呑みして事なきを得たり、向うスネを思い切りぶつけて少し裂傷を負い、リバテープを貼ってもらいスネの存在にも気づきました。ある病院の先生が「人間は体の存在を忘れることができる時が一番健康である」と言っていましたが、まさにこの言葉は名言のような気がするのです。

 今のところ私は手足や耳目鼻、内臓に異常を感じることはなくとりあえず健康に過ごしています。目だってこの歳になってもまだ裸眼で新聞が読め、メガネをかけたことは一度もないのです。何げないことですがこれはもう、メガネのご厄介にならなければならなくなった妻からいわせると飛び切り上等な目で、「目の良い子どもに産み育ててくれたお母さんに感謝しなさい」と言うのです。80歳で亡くなった母親もメガネを生涯かけることなく本が読めたのですから、遺伝なのかも知れません。
 「顔が悪いのだから目くらいは良くなくっちゃあ」と周りを笑わせていますが、目に異物が入って改めて目の大切さを再確認した朝でした。

  「目に異物 目の存在を 改めて 認識しつつ 朝を迎える」

  「この歳に なってもメガネ 要らぬとは 羨ましいと 妻に言われる」

  「母からの 贈り物だと 感謝する 目は口ほどに 仕事している」

  「片目でも 遠近見えず 一苦労 日々の暮らしの 幸せ実感」

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人間牧場

○人間牧場での農作業(その2)

 子ども体験塾は公民館の主催事業の中でも特に人気の高い目玉行事です。合併以来公民館職員は人数が少なくなったため、館長以下みんなが協力しないと運営が成り立たず、また色々な方にお願いして実行委員会を組織し、スタッフとして手助けをしてもらっています。私も教育長時代から退職後のもずっと実行委員長としてその企画や運営に携わっているのです。特に人間牧場ができた7年前からは人間牧場の農地を利用してサツマイモの栽培をプログラムに組み込んでいるため、あれやこれやと忙しく、また知恵や体力を使っているのです。人間牧場は私の持ち物ながらそのようなプログラムを実施することを目的に作っているの生涯学習私設なので、大いに進んで参加と協力をしているのです。

耕運機で急斜面の畑を中耕する松原さん

 一昨日は一週間後に迫ったサツマイモのイモヅル植えの準備をするため、畑を耕すことになりました。この日はあいにく担当の赤石主事さんが人間ドックで留守のため、例年の事ながら家が農家の松原主事さんにお願いして耕運機を持参して手助けしてもらうことになりました。畑は前もって畑の草を10日程前に刈っていて、その枯れ草を除けなければ耕運機が掛けられないため、午前中に一人でその作業を行い大汗をかきました。松原さんと久保さんが約束の時間通り午後1時30分に耕運機を軽音トラックに積んでやって来ました。早速耕運機を3人で担いで畑まで急斜面を下ろし作業開始です。二日前に雨が降って程よい固さでも、畑が急斜面のため耕運機の刃が中々立ちにくく、耕運機を運転して中耕する松原さんは汗をかいて孤軍奮闘でした。それでも何とか1時間余りで綺麗に中耕することができました。

マルチをかけすっかり綺麗になった畑

 お茶を飲んで一休みした後今度は畝立てとマルチをかける作業に取り掛かりました。畝立ては主に私の仕事で持参した巾鍬で畝を立て、その上に栗マルチシートを被せて土で固定させる作業は、日ごろ馴れていない者ばかりでこれまた大汗でしたが、全ての作業を2時間余りで終えることが出来ました。本当は中耕した畑の青草を除けた方がいいのですが、マルチをかけてこれから一週間置くので、マルチの下は高温になって草を枯らすため、目をつぶって作業をしました。
 すっかり綺麗になった畑に一週間後は子どもの歓声が聞こえることでしょう。例年この時期は梅雨の走りなので雨も予想されますが、ここまで作業をしていると例え雨が降っても子どもたちは、イモヅルを楽に植えることができるのです。さあいよいよ今年も楽しい子どもたちのプログラムがスタートします。

  「イモヅルを 植える準備を するために 神輿のように 耕運機担ぎ」

  「子育ては 手間暇かけて するゆえに 成果大きく 心が育つ」

  「中耕し マルチをかけて 準備する 苦労したこと 子どもに話そう」

  「準備終え 木陰でお茶を 飲みながら 遠望船の 行き交うを見ゆ」 

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人間牧場

○人間牧場での農作業(その1)

親父を囲んで朝食中の弟夫婦

 人間牧場界隈では前日の雨で春が終わり、気候が一気に初夏へと変わったような気がしています。みかんの花は今が満開で、ミツバチたちも巣箱を出たり入ったりしながら、元気に蜜を集めているようで、私もミツバチたちに負けないように元気に活動しています。昨日は久しぶりに帰郷した弟を家族みんなで見送り、その後孫たちを保育園に連れて行ってから、草刈機、鍬、マルチシートなどの農作業道具を、軽四トラックに積んで人間牧場へ出かけました。
 人間牧場へ到着してみると藤建設の社長さんが来られて、作業小屋に窓をつける作業をしていました。10日程前息子と二人でウッドデッキの防腐剤を塗った折、電話で急遽人間牧場へ来てもらい、ピザ小屋と作業小屋に通じる小窓を開けたいとお願いしていたのです。

元気に保育園に通園する孫二人

 社長さんは私が到着した時には、既に外壁の波型スレートを切り破って小窓を取り付ける最中でした。器用にやるもんだと感心しながら見たり棚をどうつけるか相談し、私も身近に迫った子ども体験塾で、大勢の人たちが来るので見苦しくないよう、ウッドデッキの下の斜面の草を草刈機で刈り始めました。この場所の草刈りは今年に入って早2度目で、いつもながらこの時期の草の生えるる早さに驚きながら刈りました。草刈機の調子も刃の切れ具合も申し分なく、あっという間に終りました。
 社長さんの窓取り付け工事も一段落したようで、11時前には仕上げの材料が不足したのでこの日の作業を終え、早々と帰って行きました。

 私は午後1時30分に公民館の松原さんが耕運機を積んでやってくるまでに、サツマイモを植える畑の枯れ草や青草を丁寧に集め、畑の隅に運んで耕運機が耕し易いように集めたり、倉庫に残っていた石灰を撒いたりして時を過ごしましたが、少し曇り空でしたが気温がグングン上がって、汗を一杯かきました。
 昨日は妻が作ってくれた巻き寿司弁当を持参していたので、水平線の家の窓を全て開け、心地よい風を取り込みながら、ウッドデッキの日陰で昼食を食べ、本を読みながら20分ばかり背もたれ椅子に座って午睡を楽しみましたが、早くも遠くでは間もなく実りを迎えるビワの畑を荒らす、カラス脅しのためのガス鉄砲の音が谷間に響いていました。

 時折ズボンのポケットに忍ばせている携帯電話が鳴り、その度に作業を中断して対応しましたが、講演の依頼が2件あったものの、あいにくスケジュール表を持ち合わせていなかったため、昼に自宅に電話して私のスケジュール表を妻に見てもらい、2件とも快諾確約の電話を返信しました。いつもながら思うことですが、田舎も便利になったもので、人里離れたこんな山間僻地でも携帯電話があれば、何不自由なくビジネスができるのですから有り難いことです。農民作家と名乗っている山下惣一さんを見習えば、私も百姓地域づくり活動家と名乗ろうかと思ったりもしました。

  「弟も 帰って親父 寂しそう 今度いつ来る いいつつ帰る」

  「一雨で 春から初夏へ 衣替え 季節巡りて いい汗をかく」

  「いながらに 携帯電話 スケジュール 人間牧場 講演依頼」

  「久しぶり 背もたれ椅子で 午睡する 幸せ極み サンデー毎日」

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人間牧場

○LEDソーラー懐中電灯と電光掲示板

 昨日の朝モーニングセミナーに参加した折、様々な人に出会いましたが、中でも松山市大街道で彫金ギャラリー絵夢を開いている藤島寛昌さんとの出会いは少し違った意味合いを醸しました。というのも2年前の前回モーニングセミナーで出会った時、私がネクタイに着けてレクチャーした電光掲示板が藤島さんの目に留まり、藤島さんは大阪の友人と相談して電光掲示板をヒントに同じようなものを開発し、自らも使うと同時に販売を始めたそうです。これがかなり売れてテレビにまで登場したようで、「あなたからアイディアをいただき実践に移したお陰です」と持ち上げてくれました。そして卓話や朝食会が終わり帰り際、何やら小さな手土産を二ついただきました。私は倫理法人会の「万人幸福の栞」という本が欲しかったので、お願いしていただいた本の方に気持ちが行っていて、正直二つの手土産には失礼ながら余り興味を示さず帰宅しました。

藤島さんからいただいた電光掲示板七つ道具

 帰宅して二つの手土産を開いて驚きました。一つはソーラー型のほんの小さなLED懐中電灯です。大震災後こうしたものは幾つも売り出されていますが、手の中にスッポリ納まる小さな懐中電灯ながら光源もしっかりしていて、これはありがたいと思いました。横で見ていた妻から「お父さんこれ私にくれない」と頼まれました。妻は週に二回歯科医院のパート勤務が7時過ぎまであって、少し帰りが遅くなるため、このLED懐中電灯を使いたいというのです。藤島さんにその旨を今度出会ったら話そうとおもっています。
 さてもうひとつの手土産は開けてビックリしました。私が今まで使っていた電光掲示板よりほんのちょっぴり大きめの電光掲示板なのです。私が現在使っている電光掲示板は新居浜の十亀さんに貰ったものなのですが、頻繁に使うため少しくたびれてきていて、ハラハラしながら使っているのです。新しいものに買い換える余裕もなく気を揉んでいただけに、まさに助け船といった感じです。

 息子に言って早速この電光掲示板についているソフトを入力し、文字を入れようと思っていますが、私が現在使っている電光掲示板には清水さんにお願いして入力して貰った恩義もあるので、相談の上入力したいと思っています。世の中は生きて積極的に活動していると、様々な人に出会います。そしてその人たちから色々な感化を受けるのですが、藤島さんとの出会いもまた忘れられない思い出となりそうです。何はともあれ藤島さんのご好意を無駄にすることなく、藤島さんのことを十亀さんに加えながら人様の前でお話をするつもりです。
 松山西倫理法人会の武田会長さんと倫理研究所法人レクチャー藤島さんに無理を言って貰った、「万人幸福の栞」も折を見て読み解かなければなりません。私の進化の道具立てがどんどん増えていることに心をときめかせている今日この頃です。

  「手土産と 言って渡され 持ち帰る 開けてビックリ 電光掲示が」

  「アイデアを 貰い実践 したお陰 感謝されつつ 土産いただく」

  「まあ素敵 私にこれを 頂戴と ソーラー懐中 電気妻取る」

  「進化には 目にもの見せる 道具立て 必要思い 次から次へ」

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