人間牧場

〇ブログ書きの休日予告

 私は退職後殆んど毎日、朝夕の寸暇を惜しむように、ブログを書いています。人間には①始める活動、②続ける活動、③高める活動、④止める活動がありますが、もう一つ休む活動もあるのです。始めたことが習慣化するようになると、休むことに罪悪感のようなものを感じるものですから、これまでは極力無理をしてでも続けてきました。その結果続けられたし高められたと思うのです。しかし休むことによって今まで見えなかったり感じたりしなかったことが見えてくるかもしれないとという淡い期待を持って、今は躊躇せず休むようにしていますが、習慣とは恐ろしいものでどこか気になって仕方がないのです。

 今日から少し遠目の栃木県宇都宮市へ講演旅行に出かけます。したがって明日は終日家を留守にすることから、ブログ記事を書くのは久しぶりにお休みとします。最近は宿泊先のホテルにインターネット用のパソコンが置かれていたり、移動用のパソコンがあるにはあるのですが、そこまで凝る必要もないので、明日は伸び伸びとお休みを楽しみたいものです。
 毎日書斎の机に置かれたパソコンに向かって、私のペースでだいたい朝1時間、夜1時間ブログを書いていますが、その2時間を休むだけですから、その分しっかりとデジカメで写真を撮り、ブログのネタを取材したいと思っています。

 そろそろ出かけます。帰りは15日の夕方です。

 

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人間牧場

〇子ども体験塾の下見紀行(その1)

 昨日の午後急な思いつきで、私が実行委員長を務めている子ども体験塾12月行事の下見に、公民館の赤石さんと久保さんの3人で出かけました。昼食を終えホッと一息ついた13時30分に、公用車で自宅まで迎えに来ていただき、早速車内で色々な打ち合わせをしながら、出発起点となるコミセンまで行き、そこから車のメーターをゼロにして、歩くであろう下灘・大洲間の県道や農道を走りながら、ポイント毎に綿密なキロ数を記録して行きました。目的地は朝が峠を経て大洲市旧田処小学校ですが、私たちが子どものころ遠足で歩いた大貫道は、歩行者利用の激減で既に通れず、草木に埋もれているため今回はその殆んどは、県道を歩かなければなりません。故に15キロの距離をいかに縮めるかがポイントなのです。

今が盛りの矢落川沿線の紅葉
見事な黄金色に色づいたイチョウ

 子ども体験塾には40人の子どもがいますが、中には小学校1年生の子もいるので、8キロが限界のような気がするため、起点を内子と大洲の枝分かれにすることにしました。ここまでは当日ご父兄に無理を言って、連れて来てもらおうという話になりました。集合場所に予定しようとしている場所は、道幅もかなり広く最適との判断です。ここから朝が峠まで3キロ、朝が峠から双海町の最後の集落法師を経て、矢落川沿いに約5キロ歩くと目的地の旧田処小学校という大まかな目算です。
 下見をした県道沿いは今が紅葉の真っ盛りで、目が覚めるような紅葉に目を奪われ、時折車を止め戸外に出て、持参のデジカメや携帯で写真に収めながら秋の風情を楽しみました。

田処集落の道端で見つけた鶏頭の花に目を奪われました
ほたるが自宅から観察できる親友西田和子さんのお宅

 下灘を出て30分ほどで旧田処小学校に到着しました。この場所にある活性化センターという体育館は、何度も講演会や交流会に来ているので、懐かしく周辺を散策し、近くにある親友西田和子さんのお宅を訪ねました。急な私の訪問に驚いた様子でしたが、運よく在宅中だったので、今回の計画のあらましを玄関先で、立ち話のような形でお話し協力を求めました。願わくば12月8日の当日は、昼食会場として活性化センターをお借りしたいし、当日少しここら辺のお話をしてもらおうと思っているのです。この件に関しても快諾をいただき西田さん宅を後にしました。

  「目の覚める ような紅葉に 目と心 奪われ矢落 川沿い歩く」

  「この道を 昔遠足 歩いたが 余りに遠い 記憶おぼろげ」

  「遠くまで 行かずも紅葉 楽しめる 近々妻を 連れて来たいと」

  「そこここに 友人がいて 助かると 急な来訪 嫌がりもせず」

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人間牧場

〇遠い情報は知っていても近い情報を知らない

 熱狂したアメリカ大統領選挙も、オバマが接戦の末ロムニー候補を破り再選されました。プロ野球では読売巨人軍がセリーグ、日本シリーズを連覇して日本一になりました。また日馬富士が2場所連続全勝優勝して第70代目の横綱となり、その大相撲一年納めの九州場所も昨日開幕しました。最近は平成の大合併で再編された県下の首長・議員の選挙も軒並み行なわれ、当選や落選の一報が入る度に、ごひいきや支援の人間模様もあって一喜一憂しています。特に年輪塾のメンバーである友人の首長選落選は、友人や家族のことを思うと、何もしてあげれなかっただけに心が痛んでなりません。願わくば新しい方向に向かって力強く生きて欲しいと願っています。

 私が会長をしている公友会の副会長であった菊地邦求さんが、昨年のこの頃不慮の事故で亡くなったため、副会長が欠員となっていて、総会で鬼北町の西村司郎さんに後任をお願いすることで、会長一人を取り付けていたので、昨晩彼の元へ電話を入れました。彼の話によると3年前にリタイアしてから好きな釣り三昧な暮らしをしていたようですが、最近週に3日程度アルバイトに行くようになったと近況を話してくれました。彼は数年前内臓を患いましたが、術後の回復も順調で大好きな酒も復活したようで何よりですが、快く私の申し出を聞いて副会長就任を引き受けてくれ、何はともあれホッとしました。

 西村司郎さんに菊地邦求さんの事故や葬儀のことを話すと、その話は初めて聞いたと驚いていました。遠い海の向こうアメリカの、縁もゆかりもないオバマ大統領のことは毎日のように情報が入るのに、僅か100キロ以内の鬼北町に住む仲間が、仲間の死さえ知らなかったことを思うにつけ、遠くが近く近くが遠い情報の切なさを垣間見るのです。
 先日私のブログで紹介した、目と鼻の先の離島に住んでいる友人のご主人の訃報もこれと同じで、私の元へ風の噂として辿り着いたのは約半年後でした。

 便利さや情報化社会の中に生きていると、こんなミスマッチは日常茶飯事で、近所はもとより、同じ敷地内の隠居に住むに親父の様子でさえ、この一週間まったく知らずに過ごすことだってあるのです。私たちの暮らしは車やインターネットの普及で随分便利になり、遠い情報を手に入れれるようになりましたが、歩くことを忘れたり、顔を見て言葉を交わし合うことの大切さを忘れてしまったようです。
 車もインターネットもさして必要のない老域に差しかかりつつある私も、これからはそのことに配慮しながら、歩いたり顔を見ながら会話するような、穏やかな余生を送りたいと思っています。

  「オバマ勝つ 知ってはいるが 同じ家 住んでる親父 さえも知らずに」

  「顔も見ず 風の噂を聞く耳も 役に立たずに 日々を生きてる」

  「もう少し すれば私も 仲間入り 井戸端会議や ゲートボールに」

  「このところ ネットで遠い ことばかり 近い話を 聞く耳持たず」

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人間牧場

〇公友会秋の勉強会(その1)

 昨年の11月、松山市のチャイナレストラン白魂で開かれた公友会(愛媛県公民館連合会OB会)総会で、計らずも佐伯会長さんの後を受け、三代目の会長に就任してから早くも、何をするでもなかった一年が、あっという間に過ぎ去りました。少し自責の念に駆られながら、傷心の思いで秋の勉強会に出席しましたが、この会としては多い16人も参加することを事務局から聞かされ、少しだけやる気が湧いての勉強会となりました。
 昨日は友輪荘という道後にある福祉関係の施設が会場となりました。前もって相談していた松本宏さんを伊予市内で乗せ、松本さんが手配してくれた花束を田中フラワーで買い求め、11時前に会場に到着しました。既に殆んどの人が集まっていて、受付で会費と参加費を払い会議室に入り、参加予定者が全員揃っていたので早速スタートしました。

楽しかった公友会

 県公蓮の渡邊事務局長から、秋の勉強会なので挨拶を兼ねた、少し長めのお話をと頼まれたので、日ごろ思っている幾つかのことを、アドリブで約30分お話しました。まず一つ目は公友会の在り方です。会員の皆さんが毎年一つずつ歳を重ねるOB会は、既に高齢化しているため、このままだと活力を失なって自然消滅の道を辿るのです。故に新しい若い会員さんを引き入れることが必要で、一人が一人の会員を勧誘することをお願いしました。また自分自身への向かいあいとして、もう歳だなんて思わずお互いが、年に一度くらいは集まって交流しようという気概を持って、生きて欲しいと頼みました。また若い人を中心に公民館10人衆のような、知識と智恵を集約した活動集団を作って、公民館の活性化のお役に立つべきとの構想をお話しました。

 さて公民館は今大きな帰路に立っています。私は今年福井県公蓮、広島県公蓮、福岡県公蓮の研修会や大会に講師として出席しましたが、そこで見聞きしたのは「公民館が極めて危ない」問題に直面して右往左往している姿でした。一つは公民館をなくして、コミュニティセンターに移行しようとしている首長の教育への介入です。特に東日本大震災以降はこのことが顕著で、安心・安全を確保するという名の元に、どんどん公民館が姿を消しているのです。コミセンが悪いというのではなく、首長の教育への介入は何としても阻止しなければなりません。
 また公民館を効果効率という名の元に、指定管理者制度を使って民間に管理託させるという手法も、随分全国では普及してきました。管理委託が悪いのではなく公民館の職員を引き上げて安上がりな貸し館になると、これはもう教育施設としての機能が果たせなくなるのです。公民館は施設の維持管理も大切ですが、組織や機能がなくなると、住民の公教育の権利が奪われてしまうのです。

 この2つの問題は何処へ行っても今日的課題なのに、県公連も全公連も何ら手を打たず思い悩んでいるというのが実態なのです。昨日もこの話しをすると、同席してもらった岸尾県公連会長さんも同感だと賛同していただきましたが、愛媛県内もそろそろ早い機会にその策を打たねば遅きに失し、県公連存亡の危機に貧するのです。
 これらの問題を含めこれまで傍観者だった公友会が、一歩踏み込んで県公連の発展に寄与するため、とりあえず何らかの行動を起こそうと訴え、皆さんの賛同を得ましたが、その前途は問題が問題だけに厳しいようです。
 少し難しい専門的な話になってしまいましたが、私の30分の熱弁は皆さんの心に響いたでしょうか。?

  「久方に 出会う人あり 懐かしく 昔のことが 走馬灯のよう」

  「会長に 就任一年 過ぎ去った 自責の念に 駆られながらも」

  「どうすべき 分かっているが どうするか これがこれから なすべきことだ」

  「来年は 少し楽しみ 減しながら 少し動いて 少し貢献」 

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人間牧場

〇中川食品の豆腐は絶品でした

 昨日大洲市に住む一人の青年が人間牧場へやって来ました。大洲商工会議所青年部・大洲の魅力発信委員会委員長という非常に長い役職をしている中川雄一さんが、11月22日夜講演に行くことになっている例会の打ち合わせに、わざわざ私を訪ねて来るものですから、最初自宅のゲストハウス煙会所でもと思いメールをしたものの、大洲からだと人間牧場の方が便利だと思い、下灘コミセン前の駐車場で落ち合うことにしたのです。出掛けに私の携帯電話の不具合を解消するため、電話機を交換する手続きにすっかり手間取ってしまい、約束時間5分前に駐車場に着くと、彼はもう到着して私を待ってくれていました。連れもいないようなので、私の軽四トラックに乗ってもらい、いつも私だけの時通る狭い下浜の道を、ハラハラ・ドキドキさせながら登って行きました。

 前日イノシシに荒された入口付近の私道を、修復したばかりなので何の問題もなく到着、早速名刺を交換した後打ち合わせに入りました。中川さんの話を聞けば今回の講演に至ったのは、8月29日の夜大洲市で開かれたまちづくり関係の会議に、景観形成アドバイザーをしている私に愛媛県庁から派遣の依頼があって、講演をした私の話を聞いたメンバーからの推薦らしいのです。多分あの時は30分しか話さなかったくらいしか覚えていませんので、アドリブ極まりない私は少し困惑しましたが、まあ口コミで私の話が広がったことは嬉しいことなのです。
 「地域を元気にする情報発信の方法を学ぶ」というテーマは、私にはうってつけだと思いつつ、中川さんとしばらくの間打ち合わせを行なった後、人間牧場のそこここを案内しましたが、人間牧場の様子にすっかり感心したようでした。

講演打ち合わせのため人間牧場を訪れた中川さん

 中川さんは大洲市の100年以上にわたって、代々豆腐店を営む老舗中川食品という会社の跡取りのようで、手土産に持参した豆腐を差し出し、豆腐談義に花を咲かせました。私は豆腐が大好物で一丁でもぺロリ平らげる大の豆腐通なのです。持参した中川食品のすくいどうふとしめとうふは大洲市のええモンセレクトの認定品になっているらしく、パンフレットでその内容を詳しく紹介していました。
 いただいた豆腐を自宅へ持ち帰り、お昼にショウガとネギと鰹節、醤油をたらしていただきましたが、認定品であり自慢するだけあって、久しぶりにおご馳走を食べた感じがしました。昨日は妻と二人でいただきましたが妻の評判もよく、今度は大洲のスーパーにも卸しているようなので、買い求めて食べたいと思いました。

 豆腐は原料の大豆、水、にがりという単純なものを組み合わせて作るのですが、そのシンプルさゆえに匠の技とでもいうべき技術は奥が深いものがあります。豆腐は日本人が世界に誇る食べ物で、ご当地にはご当地自慢の豆腐があるようで、私も全国を旅する仕事柄今までには数え切れないくらい豆腐を食べ歩いています。「好きな豆腐を食べさせてあげる」という口約束で、今年の1月11日には岐阜県白川郷まで講演に出かけたほどなのです。豆腐には日本人の心があるような気がして、何かしらほのぼのとするのです。夏は冷奴、冬は湯豆腐、勿論味噌汁にもつみれ汁にも豆腐は名脇役を演じてくれるのです。中川さんと出会ったことで豆腐への思いが蘇りました。11月22日の再会が楽しみとなりました。

  「打ち合わせ 二人だけにて 牧場で 手土産豆腐 気になりながら」

  「口コミで 私の話し 広がって 講演依頼 とても嬉しい」

  「いただいた すくいどうふに 薬味乗せ 醤油垂らして 味わい食べる」

  「さて俺の 講演何を 話そうか いつも思うが いつもアドリブ」   

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人間牧場

〇人間牧場の秋を演出する花二題(ツワブキとススキ)

 私の住んでいる双海町は瀬戸内海に面していて、瀬戸内海気候といわれる比較的穏やかな気候に恵まれています。比較的穏やかと表現したのは、瀬戸内海の中でも西の方の外洋性の高い伊予灘に面しているため、多島美に囲まれた穏やかな燧灘、黒潮が流れ込む暖かい宇和海に比べ、北西向きで水温が低く、関門海峡を吹きぬける風浪がまともに当る地域で、特に冬場の北西の季節風は高い突堤を揺り動かすように、何日も何日も吹くのです。それでも春から夏の季節風は南寄り、秋は北東寄りの風が吹くので、その時期は瀬戸内海らしい気候を体感できるのです。

 北東寄りの風が北西に変わるこの時期、双海町の海岸は黄色いツワブキと真っ白いノジギクがいたる所に咲いて、馥郁とした香りが漂い、桜やツツジといった人の手で植えられ咲く花々と違い、野の花だけに派手さこそありませんが、一年中で一番穏やかな季節なのです。
 私はこの季節が大好きで、特にツワブキは草刈りの時に残しておけば、次第に株が大きくなって、無数の花を咲かせるのです。また土壌のいい場所に移植して植え除草をすると、3年くらいでちょっとした花壇のようになるのです。葉っぱは常緑だし、春には綿帽子を被った春子が顔を出し、それを採集して皮を剥いで一度茹ではえ水で晒して灰汁を取り、メバル等の魚の煮汁で炊くと、これはもう味の良い絶品に仕上がって、酒の肴になるのです。

標準木枝垂桜の根締めに植えたツワブキの花

 2年前に千本桜の森づくり事業を思いついた時、人間牧場へその標準木として枝垂桜を植えた折、石垣工事で移転移植したツワブキが活着して元気に育ち、今年の秋は見事な花を咲かせているのです。
 これ以外にも人間牧場のいたる所にツワブキの花は今が盛りと咲いていますが、花に心を動かせる歳になったのかと、納得しながら、「ああ綺麗だ」と一人花を愛でながら、深まり行く秋を楽しんでいるのです。

 

 

四季それぞれの彩を楽しませてくれるススキの大株

 

 ふと目をやるとススキも今が盛りのようです。このススキは人間牧場を造るため開墾した折、沢山の株の中からこの株だけ残しておいたものです。これまで人間牧場の季節の演出には欠かせないものとして、春の芽立ち、夏の深緑の爽やかな姿、目隠しとしての効用を存分に発揮してくれました。
 昨日はその周辺のシャシャキを思い切って伐採したため、斜面に生えたススキの大きな株が目立つようになってきましたが、これだけでまるで大型の花瓶に活けたようなダイナミックさです。人間牧場のススキは少し晩生なのか穂が熟れるのはまだ先のようですが、このススキも春先に一度刈り取り作業を行うなど、これからも大切にしたいと思っています。

  「今年も 静かに秋が 深まりて ツワブキ・ススキ 今が盛りと」

  「花愛でる 歳になったと 納得し 右に左に 場所変え眺む」

  「瀬戸内の 眺望目やる 人多し ツワブキ・ススキ 見るは少なし」

  「指折りを 数えてみれば この風情 何度楽しむ ことができるか?」

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人間牧場

〇ロケーション風呂を一人楽しむ「い~い湯だな」

 私は人間牧場にロケーション風呂という、一風変わった五右衛門風呂を持っています。人間牧場を造る時、「標高130メートルの高台から、眼下に広がる瀬戸内海を見ながら風呂を楽しめたら、どんなに気持ちがいいだろう」と思い、設計を担当した長男息子に相談したところ、「それなら親父の夢を叶えてやろう」と、一戸建ての小さな風呂家屋を造ってくれたのです。その風呂家屋は土地が急峻なため、まるで砦のような雰囲気をしていて、屋根に半分に割った竹を裏表交互に敷き詰めているため、一目見ただけでこれが風呂家屋とは誰も気がつかないのです。

長男息子が理想に描いたロケ風呂のイメージ

 小さいながら一坪ずつの脱衣場と五右衛門風呂場の二部屋に分かれていて、戸口の戸を開けスノコを敷いた脱衣場で脱衣し、仕切り戸を開けて五右衛門風呂場に入る仕組みになっていますが、この風呂場の両袖には隠し格子戸、北側の大きな戸は押し上げて半開きにし、支え棒で支えるという何とも表現が難しいからくり戸になっていますが、あれもこれも始めてみる人にとっては驚きと言う他はありません。
 風呂が湧いていることを示す立派な暖簾は、私の友人井石さんが京都の染物屋に注文して作ってもらった立派なもので、風に吹かれて揺れる暖簾は何とも風情があるのです。

 この五右衛門風呂は坪くり形式になっていて、回りに車座に座れば最大8人程度が足湯を楽しむ事だって出来るのです。下から火を焚いて沸かすことも出来るし、町内で下水道設備工事店を営んでいる藤岡さんという友人から、廃棄処分した古い灯油ボイラーをいただいて取り付けているため、10分もすれば直ぐにでもお風呂に湯が張れるのです。実はこの風呂釜は移動式になる優れもので、釜を上に引き抜けるようになっていて、軽四トラックに積めば見晴らしのよい場所で、水と薪さえあれば何処ででも風呂を楽しむことができるのです。(まだやったことはありません)。

押し上げ窓を開けてロケ風呂で思い切り深呼吸

 

窓を閉めるとほらこのように

最近は忙し過ぎる私の都合で宿泊訓練や泊まる人が少ないため入浴をする人は殆んどなく、もっぱら足湯専用として使っていますが、私や息子は時々風呂を沸かして、こっそりのんびり入浴を楽しんでいるのです。先日人間牧場で愛媛新聞カルチャースクール「街中の人間牧場移動塾」という講座を開きました。私が講師を務めて毎月一回開いている講座を是非にも現地でという私と参加者の思いが一致して5人の受講背がやって来ました。その折足湯のサービスを楽しんだ一行が帰ってから、掃除や後片付け、それに農作業をした後、少しお湯を足して一人風呂を楽しみました。まさに至福のひと時で30分もすっかり長湯をして大汗をかきました。

 この日は少し強めの北西の季節風が吹いて、晩秋の風情を醸すススキが風に揺れていましたが、眼下に漁船が綺麗に並ぶ豊田漁港や伊予灘の海が開け、これ以上の贅沢はないと持参したデジカメで、自分の裸体を自動シャッターで撮影する等してふざけたり、水平線の家の書棚から持ち出した読みたい本を、風呂の中で読んでみたり、誰も見ていないプライベート風呂で、まあ色々な楽しみ方を体験しました。
 風呂を沸かすのが面倒だと思い殆んど利用していませんでしたが、これからはもっともっとこの風呂を楽しんで利用したいと思っています。

  「ロケ風呂を 沸かして足湯 車座に なりて来客 気持ちい~い」

  「来客が 帰った後の 風呂一人 足し湯したあと 入り三昧」

  「ススキ揺れ 雲もゆっくり 流れ行く 晩秋風情 生きてる証」

  「立ち昇る 湯気中自分 写真撮る 自動シャッター 光眩しく」  

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人間牧場

〇街中の人間牧場移動塾の移動塾

 「街中の人間牧場移動塾」というタイトルで、愛媛新聞社のカルチャースクールを開くようになって8ヶ月が経ちました。私はこれまで出版している5冊の「夕日徒然草」をテキストにして、毎回6人の受講生を前に、喋り続けていますが、最初3ヶ月だと思って組み立てていた話が、どんどん伸びて、今年末で終ろうと思っていたのに、主催者側の都合で、とりあえず来年3月の年度末まで続けることが、先日決まってしまいました。
 さてどうしたものかと思案しているのですが、まあ「何とかなるだろう」と、生来のポジティブで甘い人間性を盾にとって、後4回を何とか乗り切りたいと思っているのです。

カルチャースクールの受講生

 その講座が昨日あって、カルチャースクールの教室から飛び出して人間牧場で開催しました。受講生で本物の年輪塾生でもある浜田さんに、受講生への連絡と道案内を頼み、私は妻の用意してくれた食材や料理に使う水をポリ容器に入れて、軽四トラックに積み込み、8時過ぎ人間牧場へ向けて出発しました。
 夜来の雨も止んで上天気とまでは行かなくても、まずまずの好天に恵まれホッとしながら、慌しく受講生を迎える準備に取り掛かりました。部屋の掃除、トイレの掃除、水回りの掃除、かまど小屋と玄関の掃除を急いで済ませ、ボイラーのスイッチを入れて、ロケーション風呂に足湯のためのお湯を張りました。ここまで作業が終ったころ、宇和島から参加の脇谷さんから、「シーサイド公園に到着」したと携帯で一報が入り、浜田さんと出会うよう頼みました。

湯気の立ち昇るかまど

 はがまと鍋を持参した水で丁寧に洗い、はがまに妻の研いでくれた6合のお米を入れ、手の甲で水の目分量を計りかまどに乗せました。鍋には同じように妻が小切りしてタッパーに入れてくれている鱧、シイタケ、出汁の素、エノキダケを入れて水を張り、これもかまどに乗せました。これで全て準備OKとばかりに、かまどに杉葉や小枝、薪を順序良く入れ、マッチ一本で火がつくようにして、受講生の来るのを待ちました。
 予定していた10時30分より5分早く、ほぼ予定通り浜田さんの車と兵頭さんの車に分乗して、やって来た受講生は、浜田さんを除けばみんな人間牧場には始めてなので、みんなそのロケーションに感嘆の声をあげ、携帯やデジカメで盛んに写真を撮っていたようです。

足湯を楽しむ皆さん

 早速私は羽織を着て馬路村産魚梁瀬杉の高座に上がり、座布団に座り落伍を思いつくまま、2~3見繕ってお話をしました。前神さんたちが贈ってくれた座布団を、一人2枚ずつ使う贅沢さは、まるで人気テレビ番組笑点の大切りのようだと大笑いしながら、時にはクスクス笑いも出て長閑な講座となりました。
 皆さんがロケーション風呂で足湯を楽しんでいる時間を使って、私と浜田さんはかまどに火をつけ料理を始めました。火のつきもマッチ一本で点火し、順調に進みました。味噌汁は勿論ギノー味噌からいただいた味噌を使い、ここでも人間牧場のパトロンの一人である、ギノー味噌のPRをさせてもらいました。豆腐とネギを入れて味噌汁は出来上がりました。

 

はがまご飯と味噌汁を食べる皆さん

 足湯を終えてポカポカした身体で、早速少しは止めの昼食を食べました。ご飯も味噌汁もこれまでで一番出来がいいのではと、自画自賛するほど美味しく炊き上がり、お代わりしながら昼食を食べてもらいました。脇谷さんが手土産に持参した、宇和島名産のじゃこ天やちくわも美味しく、また食後には明神さんが差し入れてくれた、珍しいカボチャのプリンをいただきましたが、いやはや満足の手合いでした。
 皆さんは午後1時頃に後片付けをして、山を下りて行きましたが、私は作業着に着替えて掃除や畑仕事を終え、午後4時頃風呂を楽しんで山を下りました。楽しい移動塾でした。来年の3月にはここでピザ作りを楽しみ、閉校式をやろうとみんなで約束をしました。

  「カルチャーの 受講生たち 牧場に 集いて楽しい ひと時過ごす」

  「飯を炊き 味噌汁作り おもてなし これも大事な 私の仕事」

  「米を研ぎ 具材調達 してくれた 妻に感謝を しながら食べる」

  「座布団を 二枚ずつ敷き 大切りの ようだと笑い 落伍楽しむ」

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人間牧場

〇後で知った友人のご主人の訃報

 友人や知人の訃報は、仲間や友人・知人からまるで芋づる式に伝わって来たり、新聞のお悔み欄で見つけるものですが、少し長めの出張で家を開けることの多い私なので、時々知らずにやり過ごし、不義理をすることがあるのです。そんな場合は通夜・葬儀や告別式が終ってから、相手に訳を言って仏壇に線香を上げに行きますが、中々ばつが悪いものです。
 私の友人が沖合いに浮かぶ中島に住んでいます。一緒に公民館に勤め一時代をともに過ごした間柄なので、時々手紙のやり取りや近況報告の電話をしているのですが、そういえば正月に年賀状をいただいてから、音信が途絶えていました。それでも趣味の川柳が時々愛媛新聞の文芸欄に掲載されるので、風の噂程度に元気なようだと思っていました。

 1ヶ月ほど前、その友人のご主人が4月頃に亡くなっていたことを、これまた風の噂に聞きました。本人ではないものの、ご主人が亡くなれば葬儀に参列し、慰めの言葉もかけなければならないのに、今回だけはまったく寝耳に水だったのです。とりあえずお悔みの電話を入れて、近々線香をあげに行こうと思っていたものの、沖合いに浮かぶ離島ゆえ、このところの多忙もあって中々その機会が得られませんでした。
 それでも気になり、昨日は満を侍して行くことを決め、前日在宅を確認して出かけました。妻から娘のマンションへ届け物を預かったので、6時30分に身支度を整えて自宅を出発しました。夜来の雨が朝も降っていましたが、道後緑台のマンションで荷物を下ろし、高浜の港へ向かいました。船便は2便の8時30分高浜港発の高速船でした。

お二人の表札が仲良くかかった彼女の自宅
手作りのパッチワークで飾られた彼女の別棟書斎

 海は鉛色でかなり時化ていて、余り大きくない船なので揺れましたが、途中の港に寄港して30分で、眠る間もなく目的地の中島大浦港に到着しました。「自転車で迎えに行くから」と約束していましたが、雨が降っていたため、彼女は近所に住む親類の女性に頼んで、軽四の小さな車で迎えに来てくれていました。
 彼女の家に行くのはこれが2度目なのですが、もう10年前のことなので、記憶を辿りながら路地道を歩き家へ到着しました。彼女の家は農家らしくかなり立派な古民家風の家で、玄関入口には亡くなったご主人と彼女の表札が仲良く並んでいて、往時の姿を思い出しました。中に入ると一人身になった女性らしく部屋はきちんと片付いて掃除が行き届いていました。

仏壇の前で記念写真

 

船着場まで送迎してくれた二人の島美人

仏壇に線香をあげ香典を供えて、懇ろに手を合わせました。その後日ごろ彼女が使っている居間で二人が向かい合って、お茶を飲んだりお菓子や果物を食べながら、思い出話に花を咲かせました。彼女は別棟に二間続きの書斎を持っており、玄人はだしの書道で書いた書や掛け軸、それに幾つもの師範免状が飾られ、また趣味のパッチワークも女性らしく綺麗に飾られていました。新聞のてかがみ欄や文芸川柳欄に度々紹介され、また本も執筆出版している才能豊かで前向きな生き方には、ただただ頭が下がる思いでした。
 11時45分発のフェリーに乗るため再び迎えに来てもらった、親類の奥さんに船着場まで送ってもらい島を離れましたが、若い頃丸木舟で航海した折、離島センターに仲間とともに泊まり、夏の明くる日の朝、日傘を差して見送りに来てくれた、若き頃の彼女の姿を一瞬思い出しました。

  「友人の ご主人訃報 後で知る 遅いながらも お悔み訪問」

  「活き活きと 輝き生きる 島女性 見習いたいと いつも思って」

  「雨の中 連絡船の 着く港 二人の女性 迎え送りて」

  「ふと思う 何年か前 丸木舟 出航送る 日傘の彼女」

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〇今年も柿は不作でした

 わが家の裏庭に5本の柿の木があります。急斜面の土が崩れないようとの配慮で植えているので、毎年親父が大きくならないように強剪定をしているため、これまで殆んど柿の実をつけませんでした。妻がその様子を見て「うちの柿の木はどうして実をつけないのかしら?」と不思議がりますが、その都度妻も私も「親父が剪定をし過ぎるからだ」と親父に責任をなすくりつけていました。それだったらと、親父の足腰が弱ったことをいいことに昨年は、私が剪定を引き受けました。多分私の選定だから実をつけないかも知れないと思う不安と、今年こそは実をつけるだろういう淡い期待も持っていました。春先新芽を出し、そこここ花も見え少し手応えのようなものを感じていましたが、いざ秋の稔りの頃を迎えると、柿の実は合計13個しかなりませんでした。

秋の訪れを告げる柿の実

 それでも妻は「柿の実がなった」と大喜びで、先週その全てを私が鋏で丁寧に収穫しました。柿の実の数が少ないためなっている実は大ぶりで、皮を剥いて食べると、甘味も味も申し分なく、息子たちにも「わが家で収穫した柿だ」と、少し自慢をしてお裾分けしてやりましたが、息子もわが家に柿の木があることを始めて知ったようです。
 柿はこの頃になると一斉に紅葉し、秋の訪れを演出しくれるのです。一年納めの大相撲九州場所が今週末から始まりますが、その頃になるともう間もなく木枯らしが吹き始め、折角紅葉した柿の葉っぱも振るい落とされることでしょう。

 今年の冬も親父に代わって柿の剪定をしようと思っています。そして今年は柿の実を13個も稔らせてくれた柿の木にお礼肥えをやろうと思っています。
 先日広島県の稲井誠さんご夫妻から、木の箱に詰められた美味しい柿の葉寿司が、まるで箱入り娘の嫁入りのように沢山届きました。妻は大好物なのでたしなんで食べていたようですが、5本もある柿の木の葉っぱを何とか利用して、魚の柿の葉寿司を作れないものか考えています。多分使用する柿の葉っぱは新緑の頃の柔らかい葉っぱを取って、塩漬けしたものを使うだろうと推測していますが、また体内で好奇心の虫が動き始めたようです。

  剪定が 悪いと親父 批判する 自分がやると 同じ過ち」

  「剪定を したが今年も 十三個 柿の実獲って 面目保つ」

  「お礼肥 しっかり与え 来年も お願いします 祈り捧げる」

  「柿の葉を 使ってお寿司 できないか 好奇心虫 体内巡る」 

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