人間牧場

〇はかどった薪割り作業と焚き火

 私が子どものころの家庭は、どの家も土間にはかまど、家の裏には風呂場があって、食事の煮炊きから風呂を沸かすまで、全て薪を使っていました。その薪も焚物とか割り木とか呼んでいて、冬の間の寒い時期にお百姓さんに頼んで1間ほどの長さに切った、クヌギやコナラの雑木を買っていました。木が運ばれてくると朝な夕なに鋸で3つに切り分け、マサカリで割って行くのです。それらの作業の殆どは子どもの仕事として親から申し付けられるのですが、弟たち2人は要領よく理由をつけて逃げたり、小さいゆえ役にも立たず、結局は長男の私にお鉢が回って、一年中使う薪の量たるや半端ではないため、小切り、薪割り、片付けなどなどで、難儀な思いをしたことを今もはっきり覚えていて、できることならしたくない作業の一つなのです。

黙々と薪を割る私
黙々と薪を割る私

 人間牧場にはかまど、風呂に加え昨年ピザ釜が誕生しました。風呂こそ灯油ボイラーと薪で沸かせる両用にしていますが、ご飯や味噌汁、それに餅つきなど頻繁に使うかまどやピザ釜で燃やす一年分の薪の量はかなり大量で、確保するのは容易なことではないのです。人間牧場のかまどや風呂ができて6年になりますが、最初は火力と火持ちの良いクヌギの木にこだわって使っていましたが、それだけでは間に合わず、今は薪割り体験というメニューもあるので、杉の間伐材をいただいて使っているのです。
 今年も薪を作るシーズンとなり、一昨日公民館主事さんたちの協力を得て、クヌギ林で手ごろな木を切って人間牧場まで軽四トラックで運んでいたので、スケジュールの合間を縫って割ることにしました。

割り切った薪
割り切った薪

 クヌギの木は生木のままだと面白いように割れるのですが、少し時間を置くと水分が蒸発して木が固くなり割れないという特徴を持っています。加えて余り長く切ると割りにくいことを知っているのも、子どもの頃の体験で得た知識なのです。昨日は午後3時に島根県西ノ島町の南さんが、自宅へ訪ねて来るという一報を貰っていたので、朝食を済ませると直ぐに人間牧場へ行き、一人薪割り作業を始めました。氷が張るなど少し寒い一日でしたが、薪割り作業は汗をかくほどの労働で、前日伐採していた直ぐ下の、シャシャ木や杉の枝打ち残材を、薪割りの横に集めて焼却処分したため、上着を脱いでの作業となりました。お茶やみかんなどを食べて昼食を抜いた作業で、前日の2時間と昨日の4時間ほどでほぼ割り切ってしまいました。

煙たなびく残材焚き火
煙たなびく残材焚き火

 あとは割った木をこのまま数日間寒風で自然乾燥させ、乾いたらピザ釜小屋の中を片付け、誰かの協力を得て積み上げようと思っています。薪をうず高く積んだ風景も人間牧場のインテリアなので、少し綺麗に積みたいと思っていますが、親友の浜田さん以外手伝ってくれる人は見当たりそうにないようです。今年はコンニャク体験もする予定なので、薪はかなりの量を使うだろうと予測していますが、多分昨日の薪割りで確保した分を合わせると、間に合いそうでひとまず安心です。
 そろそろ梅やスモモの剪定も手掛けなければならないし、冬場のの作業は意外と多いのですが、毎年のことながら1月・2月は既に、県内外への講演出張などのスケジュールが立て込んでいて、例年のことながら少し遅れ気味で推移しているようです。

  「薪割りは 子どもの仕事 決ってた しんどい仕事 懐かしき日々」

  「剪定の 残材焚き火 しながらに 一人薪割り 少し汗かく」

  「素性良い クヌギ玉切り したものを 目がけマサカリ 小気味良い音」

  「農作業 遅れているが 少しずつ 手間暇かけて 楽しみながら」 

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人間牧場

〇苗床用の落ち葉を集める

 家庭菜園や人間牧場を持っていると、寒い冬でも春の準備のためにやらなければならない農作業が山ほどあって、休む暇はありません。アリとキリギリスの話ではありませんが、その冬場の仕事を怠ると春から秋にかけて、キリギリスのような惨めな結果が予想されるので、旧暦や昨年の農作業経験を頼りに修正しながら、作業を組み立てるのですが、冬の寒さは戸外の作業ゆえについつい億劫になってしまうのです。
 昨日は強力な助っ人?の力を借りて、薪用のクヌギの木の伐採作業をした余力を借って、苗床用の落ち葉集め作業をしました。人間牧場に通じる細い道の片側には、秋に落ちたクヌギやコナラの落ち葉が沢山積っているので、軽四トラックの荷台両横にコンパネ用のベニヤ板を2枚立て、その中に集めた落ち葉を積んで行くのです。少しずつトラックを進めて三人で落ち葉を拾い集めました。積んだ落ち葉の上に乗って、まるで羽毛布団のようなフワフワした落ち葉を踏み固めると、幾らでも積めるのです。

荷台に積んだ落ち葉フカフカベッドの上で
荷台に積んだ落ち葉フカフカベッドの上で

 

苗床へ落ち葉を移す作業
苗床へ落ち葉を移す作業

 昨日は落ち葉集めに必要な手箕を持って行くのを忘れてしまい、人間牧場に置いてある浅めのキャリーを使っての作業となりましたが、30分ほどの作業で、軽四トラックの荷台が一杯になるほど集めました。赤石さんと久保さんはフワフワの落ち葉の上に寝転んだり座ったまま、人間牧場の苗床まで到着しました。その後トラックを縦付けして鍬や熊手で苗床へ移動させ上から踏み固めましたが、例年は二度行なっていた作業も、今年は一杯になったので一回の作業で終りました。
 この落ち葉の上に米ぬかと木質ペレット、それに油粕を振り撒くと微生物の作用によって発酵が促され、上にビニールシートを被せて何度か切り返しをすると、春には立派な落ち葉堆肥ができるのです。

苗床一杯になった落ち葉
苗床一杯になった落ち葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  その発酵温度を利用して、毎年サツマイモの苗床にするのですが、最近はその作業も失敗続きなので、昨年は智恵を絞ってカブト虫の幼虫を育てることを試みました。カブト虫の幼虫が羽化して成虫になる頃、苗床の上に防虫網を張ってカブト虫を20匹ほど捕獲しましたが、防虫網の網目が小さ過ぎてカブト虫の足が絡まったりして、これまた散々結果になりました。はてさて今年はどんな利用の仕方をするか、思案六方といったところです。
 子どもたちにとってカブト虫は、憧れの小動物です。去年は養殖したカブト虫に加え、近所の西嶋さんからカブト虫を貰って孫たちはご満悦でしたが、子ども体験塾の子どもたちに分け与えるほどの確保ができませんでした。そろそろカブト虫の養殖場整備を真剣に考える時期に来ているのかも知れません。

  「道縁の 落ち葉集めて トラックに 山盛り積んで 苗床運ぶ」

  「フカフカの 落ち葉の上に 寝転んで 青空流る 雲を眺める」

  「発酵を 促し腐葉土 作ったら ちゃっかりカブト 自分の寝床」

  「カブト虫 養殖場を 作ろうか 思案六方 思い悩んで」

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人間牧場

〇空白の一日を埋める

 昨日は前日に、九州福岡県行橋市へ少し遠出の講演旅行に出かけたため、移動日として取っておいたスケジュール空白日でしたが、相手のご配慮で講演が終わると直ぐに特急ソニックや新幹線のぞみ、山陽本線、防予汽船などを、まるで薄氷を踏むような乗り継ぎで引き返したため、余裕の一日となりました。
 早速午前中は公民館の赤石さんや久保さんが自宅に見えられ、息子嫁の入れてくれたカフェオレを飲みながら、間近に迫った子ども体験塾プログラムの打ち合わせを行ないました。今回は1月19日の土曜日に、シーサイド公園のじゃこ天の店でふたみ名物体験をする予定ですが、その折午後から「ふたみのサクラ咲くプロジェクト」と称して、海岸国道沿いに植えている桜並木の維持管理をすることになりました。

カズラが巻いて見苦しくなった桜
カズラが巻いて見苦しくなった桜

私が役場でまちづくりを担当し、私の発想で昭和62年をまちづくり元年と定めて始めたまちづくり事業の一環として、まちづくり青年会議のメンバーが海岸国道沿いに沢山の桜の苗木を植えました。以来20年以上にわたって早春の彩を添えて桜は、見事な花を咲かせていますが、最近この桜にカズラが巻きつき何とも見苦しい姿になっているのです。私も一私人として折に触れカズラを切っていますが、量が多いので間に合わないのです。そこで今回私の発案で、子ども体験塾にボランティア活動の一環として維持管理をお願いすることにしたのです。
 早速赤石さんは国道沿いの桜の実態を調査して地図上に落とし、写真を添付して当日の作業手順やボランティアにも協力を依頼してくれているようで、美しい町づくりの助走が始まったことを喜んでいます。私はこの日は三重県から岸川さんを招いて高校生によるまちづくりの講演会や、シンポジウムに出席せねばならず、あいにく欠席しなければならず、少々悔やんでいます。

昨日の自慢の夕日(ふたみシーサイド公園にて)
昨日の自慢の夕日(ふたみシーサイド公園にて)

赤石さんたちが帰った後、今度は3月2日に講演に出かける広島県竹原市からまちづくり推進課の職員が二人して打ち合わせのためにやって来ました。今はカーナビという優れもののお陰で、わが家の近くまで迷わず来られ、県道まで迎えに出て事なきを得ました。
 私は広島県竹原市へは忠海公民館などへ何度もお邪魔しているし、その後竹本英子館長さんたちとも深い交流を続けているので、今回のまちづくり活動報告会での基調講演となったのでしょうが、訪れた品部さんと道林さんという若い市役所職員さんと、コミュニティやまちづくりについて、私の書斎で楽しく議論をしました。ついでに私設公民館煙会所や海の資料館海舟館も見学してもらい昼過ぎ帰られました。
 昼食の後、今日行なう予定の薪を作るためのクヌギの木の伐採に使う、チェンソーを取りに人間牧場まで出かけ、ついでに遅れている人間牧場の農作業を少し行ないました。偶然やって来た市役所職員さんに人間牧場を案内したりしながら、午後5時近くに山を降りましたが、昨日はとても美しい夕日が落ち、少し肌寒さを感じながら、帰り道シーサイド公園で一人、しばし夕日鑑賞をして忙しくないけど忙しい、空白の一日を埋めました。

  「空白の 一日埋める あれやこれ 振り返るなら まあまあ充実」

  「予定など ないに等しい 一日を 綺麗な夕日 見ながら終える」

  「久方に 自慢の夕日 眺めつつ 日本一だと 胸張り帰る」

  「デジカメで 撮った夕日の 写真見せ 妻に自慢し 夕餉を囲む」

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人間牧場

〇九州から四国への移動時間中の学び

 前夜の夜遅く関門海峡を渡って小倉入りした私は、小倉から30分ばかり離れた行橋での講演が終わると、主催者に用意してもらったタクシーで行橋駅まで出ました。大分・別府から到着した12時23分発の特急ソニック26号に乗り、僅か15分で小倉へ到着、9分しか乗り継ぎ時間がないホームを足早に新幹線改札口まで行き、12時47分発のJR新幹線のぞみ32号に乗り、関門海峡の下トンネルをくぐって、これまた僅か18分で山頭火のふるさと新山口へあっという間に着きました。

 

立派な高架の行橋駅西口
立派な高架の行橋駅西口

 新幹線のぞみの自由席は1号車から3号車でしたが、私の座った3号車2番の席の前には、「ついていきたいと思われるリーダーになる51の考え方」という、元スターバックスコーヒー株CEO岩田松雄さんの本の一部が紹介されていました。僅か18分の車内で、なるほどと思いながらコートも脱がず背中の荷物も降ろさず、紙片に殴り書きのようにしてメモを取りました。この本は13万部を売り上げベストセラーになったそうです。
 1、「どうして自分がリーダーに?」でまったくかまわない。
 2、人を動かす前にまず自分を動かせ
 3、リーダーが発するべきは「ミッション」
 4、判断は必ずしもスピーディでなくていい
 5、部下は上司の人間性をこそ見ている
 6、挫折の経験が人の痛みを想像できる人にする
 7、権力の恐ろしさを理解しておく
 8、トイレに行く姿まで常に見られているという意識
 9、言葉ひとつで部下のやる気は変わる

 新山口でこれまた6分の短い乗り継ぎ時間を、急いで4番線ホームまで走りJR山陽本線岩国行き、各駅停車14時21分発の列車にやっとの思いで乗りました。車内は空き席が目立つほど空いていましたが、私が座った席はお年寄りや体の弱い人が座る優先席でした。ふと気がつけば私もシルバー割引を受けられる68歳という初老の身なので、納得しながら胸を張って座りました。事務局長さんが持たせてくれたとても美味しい握り寿司弁当を頬張りながら、持参していた「大学・中庸」という、浜田さんから貰ったポケットサイズの本を読みながら、1時間22分の列車の旅を楽しみました。
 柳井港に14時32分に到着、わずか8分という乗り継ぎ時間のため高架橋を走り降り、国道の点滅信号もボタンを押して待たぬまま、車が途切れたことをいいことに他の人に混じって渡り、切符売り場で乗船券を買い求め、防予汽船に乗り本州を離れました。柳井港から三津浜までは2時間半の道中です。広い座敷船室は私一人で、衛星放送番組を何げなく見ました。これが南米コロンビア沖の太平洋上にに浮かぶ周囲100mという小さな島に1200人が暮らす、世界一人口密度の高いイスロテ島の話題で、人間いかに生きるかといった意味で、大いに参考になる番組でした。この話は明日にでもブログで紹介したいと思っています。

周防大島を左に、二神島を右に見て海峡を走るフェリー
周防大島を左に、二神島を右に見て海峡を走るフェリー
思い出のひょうたん型湯利島共和国
思い出のひょうたん型湯利島共和国

 山口県と愛媛県の海の上の県境を越えたころ、夕日に輝く瀬戸内海の島々が目に映りました。二神島や思いで多い由利島、そして西瀬戸に沈む綺麗な夕日を見ながら17時10分に三津浜港に着き、置いていた自家用車で自宅まで帰りました。書斎に入ると私宛の少し大きめの封書が届いていました。長い間ご無沙汰している栃木県那須塩原に住む阿久津一志さんから、自著本「職人を教え・鍛え・育てるしつけはこうしなさい!」という本のプレゼントでした。この話も後日ブログで紹介したいと思います。
 昨日の午後は、九州福岡での講演のための移動時間でしたが、わが親父が「勉強は学校へ行かずともできる」と口癖のようにいっていたことを地で行くような、考えさせられた大きな学びの場となりました。学びの心がけはこれからも大事にしたいものです。

西瀬戸に沈む美しい夕日
西瀬戸に沈む美しい夕日

  「乗り物を 乗り継ぎながら そこここで 色々学ぶ これも意義あり」

  「わが親父 学校行かずも 学べると 常々俺に 諭していたな」

  「青春を たぎらせやった 無人島 今はダッシュに 奪われている」

  「ああ綺麗 航跡はるか 島影に 美し夕日 余韻残して」

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人間牧場

〇今日の夕方から九州福岡へ出張します

 今夜から明日にかけて、九州福岡へ今年最初の出張講演に出ます。帰りは明日夜遅くかあさっての午前中になる予定です。ご用の方は私の携帯電話へご連絡下さい。

 

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人間牧場

〇講演講師欠席の波紋

 今年に入り葬儀が相次ぎ、新年草々の華やいだ気分が一変し、少々×××な気持ちになっています。私などは葬儀に参列するだけで×××になるのですから、葬儀を出さなければならない当事者や家族は、寒さの中で心も体も打ちひしがれ、×××は相当なものだと深く同情するのです。死は多少の前触れはあっても、突然やって来ます。故に死んだ人につながる周りの人々のスケジュールを、待ったなしで狂わせてしまうのです。
 昨日身内の葬儀がありました。僅かの患いで96歳の人生を閉じたおばさんは、私の家から嫁いだ親父の妹叔母の義母なので、通夜や葬儀のためこの二日間の私のスケジュールは、全てキャンセルとなりました。

 私も困惑しましたが一番困惑したのは、講演を明くる日に控えた団体の担当者で、「身近な親類に不幸があって、講演をキャンセルしなければならなくなりました。何とかご理解を・・・」と電話口で口もこわごわ話すのですが、相手の「困りましたが、仕方がありませんね」という困惑反応に、これまた×××になりました。相手から「人を集めているので、誰か代役で適当な人がいれば紹介して欲しいのですが・・・」という真実味を帯びた話になると、昨日今日ゆえ頭に浮かぶ人もなく、「考えて見ますが・・・」と電話を切りました。

 葬儀や精進落としの食事会もずっとそのことが気になって、帰宅後担当者に電話を入れましたが、ビデオ鑑賞したりして、どうにかお茶を濁したようですが、今日も後味の悪い気持ちを引きずっています。
 昨日は午前中の講演をキャンセルしたばかりでなく、2月9日に迫った講演の打ち合わせに、はるばる兵庫県三田市からやって来る人と、同じく2月2日講演に出かける予定のJA担当者が午後やって来る予定でしたが、二つともキャンセルを余儀なくされました。JA担当者は葬儀がJAルミエールだったので、葬儀前の寸暇を惜しんで普及センターの応接室をお借りして、打ち合わせをさせてもらい事なきを得ましたが、兵庫県三田市の人にはすまないことをして終いました。

 昨日の書斎の日めくりカレンダーに「今日の言葉」として「運命は神が考えたものだ 人間は人間らしく働けばそれで結構だ」という、小説家夏目漱石の言葉が載っていました。人の死は神や仏が考えたものかも知れません。私のとった行動もこれ以外はないと思っています。しかし少し割り切れない思いが残ったのも確かです。まあこれはこれとして割り切って、今日から始まる新しい年の初仕事をしっかりとやりたいと思っています。

  「前触れも なく近き人 亡くなりて 講演キャンセル 右往左往し」

  「新しき 年×××の 出来事が 神の考え 俺にゃ分からぬ」

  「葬儀にて 音信不通 皮肉にも 解消されて 懐かし人に」

  「日めくりに 私の心 言い当てる 漱石言葉 少し救われ」 

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人間牧場

〇新春草々の訃報

 今年は新春から訃報が相次いでいます。思い返せば昨年も新春草々叔父と叔母が同じ日に亡くなり、同じ日に葬儀をしたり、その一週間後に従兄弟が亡くなるなど最悪のスタートでしたが、人が生まれたり死んだりするのは世の中の常なので、どうすることもできないのです。
 一昨日の夕方親父の妹の義母が亡くなったと知らせがありました。遠隔地ならいざ知らず田舎は従兄弟やはとこでも親しく付き合っているので、早速妻と二人でお見舞いに駆けつけました。この家では昨年叔父が72歳で亡くなっていて、二年続きで正月草々葬儀を出さねばならない寂しさに打ち沈んでいましたが、昨年の叔父の死で覚悟も葬儀の仕方も分かっていて、96歳という高齢での最後なので叔父の時ほどの涙はありませんでした。

 昨晩は午後6時から自宅でお通夜があるので、午後5時にわが家を出て下灘へ向かいました。冬至も過ぎたこの頃は、日の入りが午後5時15分と随分遅くなって、シーサイド公園から唐崎に通じる海岸国道から、西に沈むそれは見事な夕日を拝むことができました。
 通夜は親類縁者が部屋に入りきれないほど集まって、慶徳寺住職の枕経で始まりました。お経や焼香は30分ほどの短い時間でしたが、通夜式の最後に住職さんの「山鳥の声」という説教がありました。「ほろほろと山鳥の泣く声聴けば父かとぞ思い母かとぞ思う」という歌のお話でした。親というのは生きている間は「あれをしろ、これはしてはいけない」と言い、何かと煩わしいものだが、いざ亡くなったり自分が子どもを育ててみると、いちいち最もなことばかりだったと思うもので、亡くなって初めて親の恩を感じるが、「親孝行したいけれども親はなし」となるものだそうです。通夜は現世で親の顔を忘れないようにしっかり記憶するためにあるので、しっかりと親の顔を覚えて下さいと締めくくられました。

 昨日の夕方通夜に行く前、94歳の親父に叔母さんの死を伝えたところ、叔母さんが一つ歳上だということを覚えていて、「そろそろわしの番だ」と悲しそうでした。親父は12人兄弟姉妹の長男ですが、既に3人の弟と3人の妹が亡くなっています。それでも親父を含めて6人がまだ存命で、大阪に住んでいる叔母を除けば4人の妹が町内で暮らしていて、何かにつけて声を掛け合って、ある意味幸せなのです。
 私が今年の目標の一つに掲げた通り、今年からは今までの不義理を悔い改め、老いた親父の面倒を見る覚悟をしっかりとしたつもりですが、身近な人の死に直面したり、和尚さんの説教を聞けば、「人生とは何か」「死とは何か」を考えさせられるのです。
 今日は納棺や葬儀と急に予定が入り、人に会う約束を延期せねばならず、兵庫県から来る予定の人や松山から来る人たちに、お詫びと延期の電話やメールを入れましたが、あいにく昨日は日曜日とあって連絡がつかない人も何人かいて、今日の連絡に持ち越されています。

  「今年も 新春草々 また訃報 悲しきことぞ これも現実」

  「通夜式で 住職説教 聞きながら 老いし親父に 孝行誓う」

  「人は皆 いつかは死ぬと 心得る 故に毎日 思いを込めて」

  「今頃は 一足先に 旅立った 叔父とあの世で 親子仲良く」

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人間牧場

〇ビッグサイズな入塾願に驚く

img488 自分で言うのもおこがましいのですが、私も人生において様々な修羅場を乗り越えて来た人間なので、少々なことでは驚かないものの、今回は少しドキッとしました。昨日の昼前、郵便局の配達員が自宅へ郵便物を届けてくれました。正月を過ぎたというのに昨日届いた年賀状は、普通の人であれば元旦に届くくらいの量と思える50通を越えていました。その中に見覚えのある達筆な墨字で書かれた封書がありました。封には「俳句で遊ぼ」と猫のイラストシールが張ってあり、送り主は宇和島市に住む脇谷梨花さんからでした。脇谷さんは私が講師を務めている愛媛新聞カルチャースクールの受講生ながら俳句の名手で、地元のコミュニティFMでは俳句をテーマにパーソナリティもしています。宇和島から松山まで月に一回のカルチャースクールに通ってて来ることは大変な労力だと思うのですが、見るからなファイトウーマンとして、出会ってからまだ半年しか経っていないのに、彼女が名を連ねている「花信」という俳句雑誌に、私も2~3度投句して彼女の温情で掲載してもらいました。

ビッグサイズな入塾願
ビッグサイズな入塾願

 封書の中から出てきた俳句雑誌「花信」は、いつもいただく見覚えのある体裁でしたが、今回はかなり分厚いような気がしました。雑誌を真っ二つに割るように開けると、中から何やら茶色い包み紙のようなものが出てきました。表に「入塾願」と書いていました。丁寧にたたんだ十六折を開けると風呂敷一枚もあろうと思われる紙一面に、墨字で巳年にちなんだ巳のイラストで囲んで、「あけましておめでとうございます。昨年はたくさんの元気をいただきありがとうございます。3月で講座が終了とのこと、4月からはぜひとも入塾させていただくことにお願い申しあげます。 2013.1.1 脇谷梨花」と大書していて、見た瞬間あっけに取られるやら驚くやらで、久々に思わず「何だこりゃー」「オー」といった感じでした。
 私は人間牧場で6年前から年輪塾を開いています。常時は30人くらいの集まりですが、二年に一度開く公開セミナーは100人近くにもなるほど活況を呈しています。人間牧場や年輪塾に来ない人には分からないこともあって、辻説法のつもりで「街中の人間牧場移動塾」という世にも珍しいテーマで愛媛新聞カルチャースクールを開いていますが、私のエネルギー負担とスケジュール負担が大きいので、3月には終了する予定にしているのです。

 そんなこともあっての「入塾願」となったのでしょうが、年輪塾への入塾は塾長の私と塾頭の清水さん、大番頭の米湊さん、小番頭の松本さん、塾生第1号の浜田さんの5人で決めることになっているので、早速塾議にかけて入塾を許可すべきかどうか検討したいと思っています。
 人間牧場を造り始めた8年前、「人間牧場へ入りたい」という願書が浜田久男さんから届きました。その頃は人間牧場の整備に夢中になって、年輪塾をまだ計画していなかった頃だったので、はてさてどうしたものか思案しましたが、浜田さんの願書がきっかけとなって年輪塾は生まれ、今日の隆盛を見るにいたりました。人は歩く前に考え、歩きながら考え、歩いた後に考えるものです。年輪塾は多分歩きながら考える部類でしょうが、浜田さんといい、今回の脇谷さんといい、いい意味でやる気の人たちが集まって来ることは、多いに刺激になるのです。カルチャースクールで学んでいる兵頭さんも、既に年輪塾のメンバーとして活動しており、年輪の如き広がりを嬉しく思っています。

  「封書にて 俳句雑誌に 挟み込み 入塾願 届き驚く」

  「たいがいの ことで驚く ことないが 入塾願 ビッグサイズで」

  「広がりは 嬉しいことと 受け止めて 入塾願 受け取りました」

  「また一つ 伝説増えて 面白く 活動の巾 次第に広がる」 

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人間牧場

〇その日の吉凶がわかる日めくり

 私は神や仏を余り信じない現代人だと自負していますが、68年間も生きていているのに、自分の書斎の壁に吊り下げて毎日めくる日めくりカレンダーなのに、そこに書かれている六曜や選日について、何の知識も持たず、また知ろうともしないで今日まで無頓着に過ごしてきたことを、少々恥じているのです。新年に当り書かれていることに少しだけ興味を持ち調べてみました。

その日の吉凶がわかる日めくりカレンダー
その日の吉凶がわかる日めくりカレンダー

 日めくりカレンダーには六曜、選日、行事、二十八宿、九星、六十干支、月齢・潮の名称などが細かく記されています。六曜とは暦法の一種で、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六星を旧暦に定めた日に配し、順次循環させて、それぞれの星に当る日の吉凶を占います。本来は古代中国の占いでした。
 選日とは、古くからその日がどのような日柄であるかということから、あらゆることについて吉凶の判断をするために、意味づけをしたものです。一粒万倍日・不成就日・八専・三隣亡・天一天上・天赦日・十方暮・三伏日(初伏・中伏・末伏)の六選日があります。行事は二十四節気や年中行事、祝祭日等を掲載しています。
 二十八宿は天を四つの方角と七つの宿に分け(計二十八)、各々を月日に当てて毎日の吉凶を占ったものです。九星は九星術にもとづき、五行と方位で運命や運勢、吉凶を占います。六十干支は十干と十二支の組み合わせでおこないの吉凶を判断します。月齢・潮の名称は、月の満ち欠けをイラストで表現、大潮等の名称も掲載しています。

  なるほどと頷く部分はほんの少しで、大部分はまさにチンプンカンプンといったところです。でも時々悪いことが重なると「今日は三隣亡だ」などと選日の中にある言葉を訳も分からずに使っていて、三隣亡が「普請、棟上げなどは後日に災いを招く大凶の日」であることを知ると、やはり避けたほうが無難だったと、あらためて後悔するのです。また大安に結婚式を挙げたり、友引にお葬式をしないという風習は、私たちの暮らしの中に深く溶け込んでいるのです。もっとも最近は仏滅の日に結婚式を挙げると安くするというブライダル産業の悪智恵や触れ込みで、あえてその日を選んで結ばれるカップルだってあるのですから、六曜や選日も地に落ちたものです。

 私の家は代々漁家だったので、暦は旧暦にこだわっていました。それは月齢によって潮の満ち引きが繰り返され、海に生きる動物たちは旧暦で生きているからなのです。潮の悪い時に幾ら頑張って漁をしても魚は獲れないし、大切な漁業道具を破損してしまうのです。旧暦は農業にも大いに関係していて、昔の人は種蒔きや収穫など、今でも旧暦こだわり納得したりしながら利用しているようです。
 言い伝えや迷信などに惑わされたり、過信する必要はありませんが、暦は中国から伝来された部分が多いようで、中国三千年の歴史に基づいている部分も多いことを考えれば現代人は、せめて月齢や潮を科学的に裏づけして、もっと賢く生きるべきだと思っています。そういえば今日は小寒です。寒い。
 今日の日めくりの言葉「種まかずして小判も逸歩も生える例なし」(井原西鶴)

  「今年も 書斎の壁に 日めくりを 掛けて毎日 日めくりながら」

  「旧暦に 基づき野菜 作ってる 家庭菜園 今年あれこれ」

  「これまでに 六十八年 生きたけど 教え習わず 日めくり無知で」

  「今日五日 うかうかすると 日は過ぎて 春の準備が 遅れてしまう」

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人間牧場

〇私のWORD PRESSブログの背景を変えました

 退職し自由人、サンデー毎日な暮らしに甘んじるようになって、真っ先に始めたのが長年の夢であった人間牧場造りと、娘婿から勧められたブログ書きでした。私のホームページを作ってくれたのもブログ書きのお膳立てをしてくれたのも全て娘婿なので、私にとってパソコンの師匠は娘婿なのかも知れません。そのため何かトラブルがあれば真っ先に電話やメールで助け船を出し、時には自宅まで来てもらってトラブルを解決してもらい今日を迎えているのです。
 私がブログを始めたのはアメーバブログでした。変換ミスの文字をそのままアップし、修正するすべすら知らない幼稚な私でしたが、一日2本という驚異的な更新を続け、そのうち子どもたちに誕生日プレゼントして貰ったデジカメで写真を撮り、挿入の仕方を学んでからは、これまた沢山の写真をアップして有頂天になっていたようでした。

 そのうち写真の全体枚数が限界ギリギリまで近づいたのを機に、写真挿入制限のない方法はないものかと娘婿に相談し、アメーバブログ一辺倒だったのを、一本はアメーバブログ、一本はまるで自動車メーカーホルックスワーゲンのマークのような、〇印のWが頭文字となっている、WORD PRESSというブログを娘婿が用意してくれ、一昨年の9月からアメーバブログとワードプレスブログをまるで二足の草鞋のように使い分けて、殆ど毎日それぞれ一本ずつ記事を書いているのです。
 記事を書いた後、校正のつもりで短い時間ながら毎回読み返して、変換ミスや誤字脱字の修正をするようになって、かつてのような書きっ放しは無くなりましたが、それでも急ぐ時には見過ごして思い込みミスが幾つも見つかり、今なお赤面したりもしています。

 ワードプレスのメンテナンスは、師匠である娘婿が時々やってくれているそうですが、画面を少しでも美しく見せたいという配慮から、背景に木目調の画面をあしらってくれていましたが、保存のためにプリントアウトすると、余白の木目調がやけに多く、そのため黄色いインクがやたらと減るので、正月礼にやって来た娘婿に相談し、そのうち修正してもらうことにしました。娘婿は泊まりもせず帰りましたが、昨日の朝起きてワードプレスの画面を見ると、いつの間にか私の記事画面の背景が既に修正されていました。いやはや有難い反応に大いに感謝した次第です。
 アメーバブログは一ヶ月に二回程度火曜日の午前2時から午前8時まで、メンテナンスのため書き込みができなくなるので、その日は多少悶々していましたが、二本立てブログのお陰で多少その問題も、トラブルがある時もとりあえずどちらかで対応できて一安心といったところです。
 私のブログの修正を遠隔操作で手直しできる娘婿の技術能力に、新年早々脱帽しました。そんな訳でこのブログのイメージが多少変わりましたが、引き続きご愛読下さい。

  「プリントを するのに黄色 インク減る そんな理由で 背景変える」

  「背景を 替えただけだが イメージが 変わるブログに 感心しつつ」

  「遠隔で 私のブログ 見守って メンテナンスも してくれ感謝」

  「少しずつ 変化対応 しながらも 八年目春 迎えて新た」 

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