人間牧場

〇手相って本当に当たるの?
 私は若い頃体調を壊して病院に入院し、退院の日松山の繁華街大街道を何気なく歩いていると、小さな机と椅子に座った易者さんに声をかけられ呼び止められました。別に急いでもいなかったし興味半分で言われるままに右手を出して、診てもらいました。

 全てのことはもう昔のことで覚えていませんが、要約すると「あなたは教育関係の仕事に就くかもしれない。人のために尽くして大成する」と言うのです。「手相なんてものは当たるも当たらぬも八氣」と余り信じていませんでした。言われるまま高いと思ったのですが千円札を渡しその場を後にしました。

 

 気が進まぬまま「無理をしてはいけない」と言う医師の言葉に従って漁師を辞めて役場に転職しました。当時は県の青年団連合会の会長をしていて私の活躍を見ていた町長から「これはヘットハンティングだ」とこれまたおだてられ、教育委員会で社会教育の仕事に配属されました。

 以来当時の朝日新聞に「酒を呑み過ぎて公務員になった男」などと悪評を書かれましたが、頑張った結果目標にしていた「日本一の公民館主事」として10年目に全国公民館優良職員として表彰を受けたのです。

 以来町名変更問題など紆余曲折はあったものの、双海町という名もなき小さな自治体の町づくりを背負い、夕日の町としてそれなりの効果を上げたのですから驚きです。ふと53年も前の易者の言葉を思い出しました。

 ある部分大まか当たり、ある部分細かく外れた易者の見立て通り、私はまっしぐらに汗水知恵水を出して働き、それ相応の評価もうけましたが、さて左手が私の過去なら右手の手相は未来です。残された余命をどう占うか、手相は余り信じずに今まで通りしっかりと動けるだけ動こうと思っています。

「50余年 前に易者が 声かける 手相を見つつ 少し褒められ」
「千円を 払って聞いた あの話 当たっていたと 改め思う」
「易などは 信じはしない ひたすらに 行動すれば 道は開ける」

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人間牧場

〇動かないと情報は入ってこない
 役場に勤めていた現職の頃は、町内のことは良いこと悪いこと、何でも耳に聞こえていました。ところがその役場を辞めた途端に情報が入らなくなりました。「これはいかん」と思って見てもどうしようもなく、時々「みんな知ってるよ。あんたそれも知らないの。遅れてる。」と言われる有様でした。

 一番はみんなの活動の輪の中に入ることだと、色々な場と機会を捉えて顔を出し始めると、「ここだけの話だから言わないように」と釘を刺される話まで元のように情報が入りだしました。加えてまるで釣りの撒き餌のようにfacebookやブログで毎日自分の情報も発信し始めると、私の情報に呼応してみんなの情報も手に取るようになりました。な~るほどと思いながら毎日発信・受信をしています。

 しかし活動に参加する人、snsやラインだけでは、活動に参加しない人、インターネットやスマホを使わない人の情報は入ってこないのです。昨日と今日は歩いたり車に乗ったりしながら町内を回りましたが、知らなかった身近な情報を沢山聞き、動くことの大切さを思い知らされました。これからもできるだけ動いて口伝えの情報を得ようと思っています。ただし間違ったり嘘の情報があることも忘れないようにしなければなりません。

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〇人のことは笑えない
親父が元気なころ、歩く時に使う杖を色々な所に置き忘れ、「杖がない。どこへ置いたのだろう。お前知らないか?」と探すさまを見て「またかよ!!」と笑って良く一緒に探してやりました。そんなこともあろうかと親父は杖を何と5本も用意していましたが、1本の時よりはるかに超える頻度で、探すことが多くなっていました。

 石垣の草を取った半年前、使っていたはずの剪定ばさみをどこへ置いた無くなってしまい諦めていたのですが、昨日石垣の草を引いていたところ、石垣の穴の中にハサミが置いているのを見つけました。半年間も行方不明だったのに、石垣の穴が少し深かったため雨にも濡れず錆びることもなくそのまま見つかったのです。

 親父の杖のことを思い出しながら、親父の物忘れを笑っていた自分が恥ずかしくなりました。最近私も鍬がない。どこへ置いたのだろう?とよく忘れ、よく探すようになりました。「失せ物は今来た道を戻れ、必ずそこにある」と言われますが納得の格言です。今日も来客がありタブレットで写真を撮った後、延会所に置き忘れ、「はて」と思いつつ元をたどってすぐに見つかりました。あ~あ~、私もいよいよです。「人のことを笑えない」そう思いました。

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〇毎日歩いていても
 退職を機に18年前毎日1万歩を目指して歩いてきました。その間左足親指が薬指の上に乗る外反母趾になり、歩くと痛みが出ることもあり、思い切って愛大附属病院で手術をし、その後約1ヶ月ほど伊予病院でリハビリをして徐々に慣れて、今では元通り元気に歩いています。

 今日テレビを見ていたら①20分以上歩かないとダイエットの効果がない。②1日1万歩歩く。③毎日続けて歩いた方がいい。というよく聞く話に3人の専門家がそれぞれ〇か×かカードを上げたところ個人的考えとこ断りながら、意外や意外①も②も×でした。

 20分以上歩かなくても歩き始めると確実に体の中でエネルギーが消費されるので歩く効果はあるとか、1万歩もだらだら歩きでは余り効果がないとか、毎日歩く必要はないとのことでした。要は歩き方に気をつけて大股で腕を振って少し速く歩けばいいとのことでした。

 私のやってる歩き方も、コースに坂道があるし、人のいないところでは手を振って早歩きしたり工夫をしているので、別に問題はないというのが結論でした。運動の基本は歩くことです。1万歩を目指して歩くことも勿論これまで通り続けたいと思っています。

「1万歩 目指して歩く 18年 今の元気は そのお陰かも」
「あれこれと 言う人多く 疑問符が? 今まで通り 少し負荷かけ」
「最近に なって近所の おじさんが 私を見習い 歩き始めた」
「ウォーキング しているお陰 腹も出ず 夜もよく寝れ いいんじゃないの」

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〇今日は親類の多さに驚きながら家を守り続けてくれている妻の誕生日
 97歳で8年前に生涯を閉じた私の親父は、12人兄弟の長男に生まれています。大正7年生まれでしたから生きていたら100歳を超えていますが、気がつけば親父の兄弟姉妹も一人減り2人減りして、4人の妹が残るのみとなりました。一方母は80歳で亡くなりましたが6人兄弟姉妹はみんなあの世へ旅立ちました。

 昔は殆どの兄弟姉妹が町内に分家したり、近隣に嫁いでいたためやたらと親類が多く、盆正月や冠婚葬祭ともなると家の中がごった返すほどの親類が集まりそれは賑やかでした。その本家の長男に生まれた私と嫁いで来た妻と2人でささやかながら「若松家」という家を守り続けてきましたが、いつの間にか「つき合い倒れ」と思える冠婚葬祭も少しずつ減り、何とか峠を越しました。

 私はこの家の長男として生まれたのでそれなりに納得していますが、倒すこともなこともなくこの家を守り続けて来てくれたのは、八幡浜から見合いで嫁いで来た妻なのです。文句も言わずただ黙々と今も働き続けてくれている妻には感謝してもしきれない大恩があると、口では言わにものの心に深く刻んでいますが、その妻が今日78歳の誕生日をめでたく迎えました。

 大した病気やケガもなく、今も近所の歯科医院でパートとして働いていますが、そろそろ31年務めた職場を辞めようと決めているようです。今日は女・妻・母・主婦・勤務と一人5役も6役もこなし働き続けている妻の肩でも揉んでやろうかと、内心思っています。78歳の過去年齢に比べれば、100歳まで生きるとして後23歳の未来年齢しかありません。色々考えさせられる妻の誕生日です。

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〇シーサイド公園の願い石にまつわる笑い話
 私が若いころ手掛けたシーサイド公園の一角に、「願い石」というちょっと変わった石の彫刻が置かれています。私はちょっとした遊び心でこのモニュメントを造ることを思いつきました。モニュメントの上には男性と女性の手形が「願い石」と書いた文字とともに彫り込んでいます。

願い石のモニュメント

 側面には「上の手形にそっと手を乗せ夕日に向かってお祈りすると二人は幸せになれる」と文字が刻まれていて、時折若者がお調子半分でワイワイいながら「本当に幸せになるのだろうか?」と言いながら手を乗せて楽しんでいますが、昨日「瀬戸内Tシャツ展」があって訪れると、老夫婦と思われる2人が、「わしらでも幸せになるるのだろうか?」と会話しながら手をかざして夕日に向かって祈っていました」

 このモニュメントを造る時、隣町の馴染みの石屋さんのご主人に相談し見積もりをしてもらうことになりました。見積もりは確か当時10万円くらいだったと思うのですが、「そんな費用はなく私費で3万円出すからやってくれ」と頼むと、「材料代にも届かない」と断られました。粘って「モニュメントのそこに石屋の名前を書いたら宣伝にもなる」と甘い言葉で説得し了解を取り付けました。

 そのうちモニュメントは出来上がり運ばれて今の場所に設置しましたが、私は「そこ」と言ったのに石屋さんは「底」と勘違いしてしまい、設置すると石屋の名前は土の中へ完全に埋まってしまいました。「若松さんに騙された」と言われましたが、「そこと底はそこが違う」と相変わらずのトンチで切り抜けましたが、悪いと思った私は3万円に1万円を上乗せしてポケットマネーで払いました。今となっては笑い話です。

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〇裸で失礼しました
一昨日の午後3時ころ、農作業を終えシャワーを浴びて汗を流しました。それでも暑いので上半身裸で扇風機の前に座り涼しい風を体に受けてテレビを見ていると、玄関のチャイムが鳴りました。あいにく私一人だけの在宅だったので、「はあ~い」と返事をして玄関に出ました。

恥ずかしい私の裸の写真

 すると素敵な中年の女性が2人立っていました。見覚えがある顔なので直ぐに思い出して立ち話をしましたが、何とまあ私は裸であることをすっかり忘れ、裸のままでの接客でした。我に帰り「こんな姿ですみません」と断りを入れましたが、そこは中年の女性、「まあ若松さんの裸の姿初めて見ました。素敵!!」と言ってくれました。

 若い頃ならいざ知らず78歳になったおっさんの上半身裸などみすぼらしいはずですが、私は日常的に多少鍛えていて、年齢にしては腹も出ておらず、農作業などをしているので筋肉もそれなりについています。体は老化しますが筋肉や筋力は鍛えればある程度維持できるはずです。

 お世辞の誉め言葉とも知らずすっかりその気になって、昨日の夜その話を妻にすると、ゲラゲラ笑われましたが、「歳の割には体が引き締まっている」と、枕詞に「歳の割には」をつけて褒めてくれました。間もなく誕生日が来れば私はまた1つ年齢を重ねます。過去年齢が増える分未来年齢が減りますが、くよくよせず楽しく生きて行きたいと思いました。

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〇毎日新鮮野菜を収穫しています
 家の横の菜園で野菜を作っているため、妻は何を作るかメニューを考えるより、収穫した野菜で何を作るか考えることが多いようです。昨日野菜かごにピーマン、アマトウ、ゴーヤ、ナス、白オクラを入れて渡すと、焼きナス、オクラとサワラの塩焼き、ピーマンの天ぷら、ゴーヤの佃煮、それに赤タマネギのスライスを添えたサワラの刺身が出てきました。肉が余り好きでない私としては野菜系・魚系の質素ながら好きなメニューで、熱々のご飯が進みました。

 毎日無農薬の安心安全な野菜を手に取って収穫していると、果たしてこの野菜は一体どのくらいの値打ちがあるのか、正直分からないため、時たま出掛けるスーパーなどで、買いもしないのにナス1袋、ピーマン1袋などを手に取って金額を見たり、産地表示などを見たりします。金額的にはあまり高くはなく、むしろこの野菜を作ったであろう農家の方々の収入に思いを巡らせることが多いようです。

 グローバル社会を反映して、店頭に並んだ野菜や果物の産地は全国区で、中には外国産の物もあって、地産地消と言いながら地元産の商品はそんなに多くはないようです。最近は見た目重視から安心安全重視に消費者の目も変わりつつありますが、自分が作った物を食べれる幸せは何にも代えがたい価値があるようです。さあ、もうひと踏ん張り頑張って野菜作りに励みましょう。

 

 

 

 

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〇活躍する隣のおじさんから貰ったミニ耕運機
 私は本当の農業者ではありませんが、草刈り機や耕運機など農耕に必要な道具は小型ながら一応揃えています。中でも普通畑を耕す耕運機と違って、人間牧場のサツマイモ畑を耕したり菜園の狭い場所など耕運機が入らないところでは、二人で持ち上げれる小型のミニ耕運機を使います。

便利この上ないミニの耕運機

 今日も狭い場所を耕すため、妻に頼み2人で金網柵の上から畑へミニの耕運機を入れて耕しました。鍬で耕すと大変な労力が要りますが耕運機だとたとえ多少硬い畑でもそれなりに中耕できるので大助かりです。ただ難点は余り深く中耕できないので、土が乾き過ぎるこの時期には不向きかも知れません。

 元々この耕運機は隣の96歳で昨年亡くなったおじさんが5年前、断捨離をした折要らないのでと譲ってくれたものです。古い割にはエンジンの調子も良く、紐で引っ張って始動するタイプですが、2~3回力を入れて引っ張ると簡単に始動します。軽四トラックに積めば移動も簡単で重宝この上ない道具で、天国に行った隣のおじさんの顔を思い出しながら使っています。

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〇花あれこれ
 先日わが家に一輪だけ咲いたハスの花を紹介したところ、友人から「花にも色々あります」と一枚の色紙を送ってくれました。なるほどと頷きながら書いている花を思い浮かべました。

 きくのはなから始まり、くちなし、ふじのはな、ひまわり、ばらのはな、しらゆり、あじさい、たちばな、さくらばな、はすのはなに理由をつけて面白い表現でした。

 花づくしに詠まれている花は全て知っていますが、今年わが家に植えた古代ハスに一輪だけ咲いただけに、納得のいくいいプレゼントでした。今年は花の話題が何かと多い夏でした。

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