人間牧場

〇太陽と地球、そして私

 夏至の日が近づくと、太陽が随分北よりのコースを通るようになり、今頃はわが家からでも綺麗な夕日が西瀬戸の海に沈むのが見えます。私たちは毎日太陽の恩恵を受けて暮らしていますが、ポーランドの天文学者コペルニクスが言っているように、「太陽の運動と見えるものはすべて実は地球の運動である」のです。一年をかけて地球が太陽の周りを回るのを公転、一日をかけて地球が回るのを自転といいますが、天動だと思っている全てが地動であることを、私たち人間はいつの間にか忘れて暮らしているのです。

 これは人間にも言えることで、人のせいや社会のせいだと思っている日々起こっている出来事のことの中にも、自分のせいで起こっていることが随分あるようです。凡人はよき成果を自分が努力したからだとひとり占めする反面、失敗すると他人のせいや社会のせいにしてその場を逃げようとする悪い癖があるのです。 ましてや全てがその人の失敗ではない、職場での飲酒運転事故などになると、テレビカメラの前で上司が「あってはならないこと」「綱紀粛正を図り今後は事故のないよう信頼の回復に努めます」と薄くなった頭を下げて平謝りに謝っていますが、「私がやった訳でもないのに、何で私が頭を下げなければならないのか」という素振りが垣間見えるようです。

わが家から見える夕日も実は地球が動くから見える現象なのです
わが家から見える夕日も実は地球が動くから見える現象なのです

「上司とはいかなる立場で仕事をしなければならないか」、私がかつて若い頃、町長さんからまちづくり専従班に指名された時、「長がついたら金を出す、口を出すな、責任を取れです」と、顰蹙を買うような言葉を、こともあろうか町長に言ったのです。普通であればこんな言葉を言えば左遷ものでしょうが、度量の大きかった町長さんは「分った。急げ、急ぐな」という言葉を返してくれました。以来その町長さんと4期16年もの長きに渡ってまちづくりの仕事をして、それなりの成果を収めました。その町長の偉さは、まちづくりの成果を全て私たちの成果として誉めてくれました。不幸にも事故で亡くなったその町長さんのことを思うたび、上司のあり方を垣間見るのです。

 今年わが家の菜園ではタマネギが大不作でした。冬の寒さのせいか苗が悪かったのか色々考えましたが、農業に浅学な私にはその原因がいまだに分らないのです。今年は近所の人の畑ではタマネギが大豊作のようです。原因があって結果があるのですから、私の肥培管理の手違いだときつく誡め、肥料のやり方や肥培管理のあり方を一からやり直し、来年こそはとリベンジを誓うのです。
 天道を地動にし、天災を人災にする心構えは、日々の生き方の中で育まれるものです。リタイアして失うものの何もない私ですが、せめて家庭菜園や家庭で起こった責任だけは、自分で取らなければ誰が取るのでしょうか。亡くなった元町長さんが夢に出てきた朝でした。

  「天道と 思ったことが 地動だと 今頃思う 平凡な俺」

  「亡くなった 元町長さんが 夢に出て 夢からさめて 少し冷や汗」

  「タマネギが 不作だったは 苗のせい 転嫁をしても 今年は終わり」

  「責任を 逃れることは 簡単だ 責任取るは もっと簡単」

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人間牧場

〇天草の晒し作業がやっと終る

 今年の梅雨は空梅雨気味で、適当なお湿りはあるものの、好天が続くため農作業がはかどります。この時期はジャガイモやタマネギの収穫取り入れや草引き草刈りと、毎日これでもかというほどの農作業が待ち受けているのです。それでも私のように外に出る機会が多いと、下手をしていたら時機を逸することもしばしばです。
 今年は人間牧場の梅が大豊作で、その取り入れに思わぬ時間がかかり、手間段取りが狂ってしまいました。折角梅の木の棘に刺さりながら苦労して収穫した梅も、多過ぎて処分に困りつつの収穫です。

 今年は去年にはない天草の晒し作業が加わったため余計手間を取られたようです。天草は収穫するのに1日2時間を2日間程度でしたが、それをサナに広げて天日干しする作業や、毎朝天草を発泡スチロールのリンゴ箱に水を張って揉み洗いした後、再びサナに干す作業を10日間ほど行わなければなりません。その使用する水の量もかなりになって、水道使用料金を跳ね上がるので、幸い家の敷地内ある井戸水を使って晒しました。最初は茶褐色や黄色だった天草も晒しをやる度に脱色し、また強烈な磯の異臭を放っていた匂いも消えて、白髪のようになって、やっと晒し作業が終わりに近づいたようです。

晒しと乾燥の終わった天草
晒しと乾燥の終わった天草

 その間梅雨の時期なので雨に濡れたりしましたが、腐らせることもなくどうにか保存できるまでに仕上がりました。昨日は最後の仕上げとして完璧に乾燥し、ナイロンの袋に4サナずつ入れて封をしました。これで一件落着です。天草はこうして置くと、何年でも保存が効くのです。定かではありませんが天草は今年のものより、何年も寝かせて置いた物の方がトコロ天やゼリーにした時、透き通ったものができると聞きました。わが家でも倉庫の隅に寝かせて、古いものから順次使いたいと思っています。

 昨日シーサイド公園で店番をしている地元の女性から、天草にまつわる意外な話を耳にしました。妻が天草を使う手順は、天草の分量に見合った水を鍋に張り、ガスコンロで煮立て、吹き零れないよう煮立てた頃合を見計らって、食酢を入れて天草を溶かし、木綿袋で漉してた液にジュースや砂糖で味付けをしてフルーツを並べたパレットに流し込み、固まったところで冷蔵庫に入れるのですが、残りかすはゴミ箱に捨てていました。その女性は酢を使わず少し長めに火に掛けてドロドロにしたものを、金網ざるを二重にして漉し、残った天草に水を入れ再び煮て使うため、捨てるものは殆どないと聞きました。一回漉しただけで捨てていたわが家では、いやはや驚きです。妻に話して再現しようと思っています。

  「天草の 晒し作業を やっと終え 乾燥海草 ナイロン終う」

  「朝晩の 晒し作業で 白くなり 妻がOK 一件落着」

  「酢を使う 妻のやり方 以外にも こんな方法 あると聞きつけ」

  「妻作る 天草ゼリーは 大好きで 昨日も今日も デザート食べる」

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人間牧場

〇梅の漬け込み

 今年の冬はことのほか寒かったため、梅やビワといった農作物の出来が心配されていましたが、いざ蓋を開けてみるとビワは豊作らしく、美味しいビワがわが家にもお裾分けで届き、毎日「美味い美味い」と言いながらご相伴に預かっています。梅の実も値崩れするほどの大豊作だそうで、行き場を失った梅の実は折角収穫しても、腐らせてしまうようです。わが家にビワの木はなく、木の上で袋かけをする重労働も、カラスの悪戯被害を心配することもなく、温々と人の作ったビワをいただき、ちゃっかり楽しんでいるのです。
 わが家の梅の畑も今年は大袈裟な言い方をすれば、史上一番の大豊作で、今月に入って本格的に収穫作業をしていますが、既に20キロ入りキャリーに15箱収穫していますが、取っても取っても終らず、まだ相当残っていて、この分だと20箱に届く、つまり20kg×20箱=400kgという数量になるのです。

無農薬の綺麗な梅の実
無農薬の綺麗な梅の実
梅の実の加工をする妻
梅の実の加工をする妻

 一昨日は朝から一日中小雨模様でしたが、日曜日だったため妻と私の二人で、ウッドデッキにザルやヘルスメーターなどの七つ道具を広げ、梅の実の加工を行ないました。加工といっても梅干しにする梅の塩漬けと梅シロップを作る砂糖漬けです。妻は塩と砂糖をスーパーで大量に買い込み、収穫した梅をまず選別してゴミやヘタを丹念に取り除き、発泡スチロールの箱に入れて綺麗に水洗いしたものを、ザルで水切りし、木陰に入れて乾燥させるのです。その梅の実をヘルスメーターで3キロずつ計量し、まずプラスチック容器の中にかなり大きなナイロン袋を入れます。こうすることによって雑菌が入って腐らないようにするのです。3キロを3回入れたところで20%の塩1.8kgを降りかけ、その作業3回で1樽に27kgを漬け込み、最後はカビ防止のためにホワイトリカーを2合ふりかけ、ナイロン袋の袋口をビニール紐できつく縛り蓋をして完了です。今年は梅の追熟が早いので、少し大目のホワイトリカーで減塩にも挑戦しています。

 梅干用の梅を4樽漬け終ると今度は梅酒作りです。わが家は梅酒というより梅シロップと言う方が正しいのかも知れません。8Lの広口瓶に3kgの梅を入れ、その上に2.5kgの砂糖を入れるのです。既に広口瓶は12本水洗いして用意をしていたので、砂糖を入れるのに少し苦労はしましたが、毎年やっている作業なので難なく仕上げました。大体1本の広口瓶で1.5升の梅シロップができる予定なので、1升瓶に換算すると18本分の梅シロップができる予定です。これで一年中の梅シロップは確保できるのです。漬け込んだ梅シロップ瓶は煙会所前の地下倉庫に入れて1年間熟成させ、来年のこの頃に新シロップが飲めるのです。梅シロップは冷水や温水で割って飲みますが、とても爽やかな飲み物で、またこのシロップを料理に使ったり、お裾分けして喜ばれているのです。

 梅干し加工は少し厄介で、夏の3日3晩の土用干しをしなければなりません。漬け込んだ梅の実をザルですくい上げ、サナに並べて天日乾燥と露取りをするのです。天日に干すことで赤い梅ができ、露取りで柔らかい梅に仕上がりますす。天日干しした梅は瓶に詰められ、紫蘇を入れて梅汁を入れて本漬け込みが終了するのです。こんな手の込んだ作業は今の若者には受け入れ難く、もう私たちの代で終りそうな雲行きです。それでも一年中塩分を少し控え目の梅干しを、毎日一個ずつ食べているお陰で健康だと、梅干しに感謝しつつ、夫婦揃って梅の加工に今年も挑戦しました。親類や近所、漁協のおばちゃんたちに梅を差し上げ喜ばれましたが、残りの取り残している梅の収穫をどうしようか?、思案しているこの頃です。

  「今年ほど 梅ができたの 初めてと 豊作祝い 豊作疲労」

  「この梅が 何で梅干し なるの?聞く 孫の不思議に いちいち説明」

  「梅ジュース みんな大好き 愛飲家 お陰でわが家 胃腸が丈夫」

  「梅干しも 梅酒もわれら 世代まで 作る手間暇 若い人には」

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人間牧場

〇島根県からのお客さん(その2)

 南さんに連れられてやって来た6人のメンバーに座布団を勧め、年輪切り株高座の周りへ車座になって座ってもらいました。そして約30分余り私が話した後自由討論をしましたが、好夢塾の皆さんは熱心で3時までも話し込んでしまいました。好夢員という言葉は私が若いころ作り、盛んに使った言葉ですが、退職して8年が経ったためすっかり忘れてしまっていた言葉でした。最後は夢の話になり「若松さんにはどんな夢がありますか?」と訪ねられドキリとしました。

 私はこれまで夢を食べて生きてきたような気がするのです。26歳で結婚し4人の子どもを産み育てたい、30歳になったらアメリカへ行きたい、85歳まで生きたいなどなど、私の生活設計の時々に掲げた夢をことごとく手に入れていることを思うと、「夢はドリームではなくターゲットである」としみじみ思うのです。長さ10m、直径1m60cmのアラスカ産モミの木をくり抜いて丸木舟を造った切り株に会いにアラスカへ行きたいとか、双海町の夕日が朝日となって見える地球の裏側ブラジルリオデジャネイロへ行って朝日を見たいとか話しました。

煙会所にて
煙会所にて

 私が最近よく使う、進化論を唱えたチャールズ・ダウインの言葉に、「強いものが生き残るのではない、賢いものが生き残るのではない、順応したものが生き残る」というのがあります。歳をとって若干進化のスピードが落ちたものの、潜在能力を大きくしたり、潜在能力を顕在化させる営みこそ進化なのだと順応の必要性について多少力説しました。
 その後一行は人間牧場を視察した後、わが家の私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を見に立ち寄りました。妻も若嫁もあいにく留守でお茶も出さずに失礼な接待になってしまいました。何人かは家庭菜園の中にある甘夏柑畑に入って甘夏柑を珍しそうにちぎって楽しんでいたようですが、昨日のうちに島根県松江まで帰るとあって、早々に引き上げて行きました。

 かつて私も若い頃、南さんと同じように日本全国のまちや村へキーマンを訪ね、いろいろな教えを請うたものでした。その甲斐あっての今の自分がある訳ですから、特に若い人が煙会所や人間牧場の門を叩けば、許せる限り出会って面談し、持っているものはそんなにありませんが、請われるままにアドバイスをしてあげたいと思っています。それは自分の進化にとっても、また加齢による退化の速度を落とす意味からも大切なことだと思いました。そうそう今日も、若者が2人、来週の土曜日にも2人、私の元へやって来ます。私ももう少し進化をしなければ・・・・。

  「若者が 人間牧場 煙会所 門を叩いて 教えを請いに」

  「若い頃 私もまち村 キーマンを 訪ね旅した 懐かしき日々」

  「手土産に 出西生姜 持って来る 今日は菜園 植えねばならぬ」

  「高まりて わがふるさとに 恩返し 若いパワーを 少しいただく」

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人間牧場

〇何がどうなっているのか、とにかく忙しい

 「あなたの行動を見ていたらこっちまで目がまわりそう」と、昨日の夕方妻が私に言うとおり、確かにこの一週間だけを取ってみても、講演あり、梅の実の収穫あり、天草の晒しあり、来客ありと、まあ休む暇もないほどの忙しさです。最近は講演をほどほどにして、農作業や人と会うことに軸足を置いているため、田舎のオープンカーもフル回転で、妻に買ってもらった庇の大きな麦藁帽子を被って、いかにも田舎のおじさんって感じで働いています。お陰様で顔も首根っこも両手も、初夏の太陽に焼かれかなり日焼けが進んでいるようです。

 それもこれも今のところ体調が良く、食欲旺盛、睡眠(一日4時間)熟睡、20キロの梅の実の入ったキャリーも軽々とまではいきませんが難なく持ち上げ、朝晩のストレッチ体操のお陰で、腰痛も陰を潜めているのです。人間にとって体調がいいくらい幸せなことはありません。明くる日の予定を頭に入れ、朝の目覚めを楽しみに床に就く、そして夜明けを待たずに目覚めて起床し、ストレッチ体操やブログを書いて一日が始まるのです。何げないことですがこの何げないことの積み重ねと、何げないことへの感謝が、日々の暮らしを幸せだと実感させてくれるのです。

 今朝親父が5時ごろ、「雨がポロポロ降り出した」と声を掛けてくれました。急いで外に出て、干している天草を間一髪で雨に濡らさず取り込みました。降り出した雨が小降りだったので畑に出て、昨日の夕方ジャガイモを掘った後、耕運機を掛けていた畑に平鍬で畝を作り、そこへトウモロコシの種をまきました。トウモロコシは既に市中に出回っていて、「今頃?」と思われるかも知れませんが、今からでも結構間に合うのです。蒔いた種はこの恵みの雨で発芽が促されるものと思われます。
 朝食を取った後、収穫した梅の実を選別して水洗いし、梅干しと梅酒に加工する作業を妻と二人で始めます。これも根気のいる仕事ですが、一年に一度の作業なので心を込めて、失敗しないようにやりたいと思います。

  「何となく ただ何となく 忙しい だから元気で 病気にならず」

  「さあ今日も 元気で朝を 迎えたり いつもの通り やることいっぱい」

  「手と顔と 首筋辺り 日焼けして 会う人毎に お元気そうね」

  「小雨降り 人は休むが 私には 雨には雨の 仕事がありて」

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人間牧場

〇家をつくって子を失う

 10畳ほどの広さの私の書斎には、壁面一面を使って書棚を作っています。この書棚は半分が私のもの、半分は息子のもので、共用して使いっていますが、リタイアした私と現職の息子では、本の量もジャンルも違うため、水と油のように相容れない部分がるようです。建築設計の仕事をしている息子はいつの間にか本の量も増えて、私の領域まで侵し始めています。時々注意をするのですが馬耳東風とばかりに聞き流され、この分だと主の私はいつまで経っても、肩身の狭い気持ちで過ごさなければならないようです。
 最近パソコンを打つ手を休めてしばし物思いにふける時、息子の読んでいる本の幾つかに目を通しています。その中に「家をつくって子を失う」というショッキングな題名の本があり、興味を誘われてページをめくりました。息子はこの本に共鳴したのか、付箋をかなりの数挟み込んでいるようでしたが、著者の松田妙子さんという人の本心が知りたくて、前書きをざっと読ませてもらいました。

 著者が立派な家から出てきた半ズボンの子どもの姿を見て、ズボンの前のジッパーが開いたままになっているのに気付き、「僕、ズボンのジッパーが開いているよ」と注意をすると、何を思ったのかこの子どもは著者に対して、「この助べえ女」と一蹴したようです。こんな立派な家に住みながら、何故にこんな粗雑な言葉しか言えないのか、衝撃を受けた建築関係の仕事に携わる著者の物語はここから始まるのです。
 日本は戦後の混乱期から抜け出し、高度成長の追い風に乗って日本人の殆どが、自分の家を持ちました。それらの家は機密断熱工事が施され、空調施設も完備した夢のマイホームで、家族それぞれにプライバシーが守れる個室が用意され、特に子ども部屋はどの家にもあるのです。かつて障子やフスマの文化だった日本の家屋は、いつの間にかドアの文化に様変わりして、同じ屋根の下に住み親子だと言うのに、まるで孤独な人間のの集合体で、家族の穏やかな人間関係で育まれるはずの、家庭教育がなされぬまま子どもは成長しているのです。

 言われて見れば日本の子どもの教育、とりわけ家庭教育は誰からも束縛されることもなく、また指摘されぬまま放置され、子ども部屋の危険は今もなおざりにされたままになっているのです。
 私の住んでいる田舎では、古民家の立派なお屋敷があるのに子どもが都会に出て、年老いた親がひっそりと暮らしていたり、空き家になっているのをよく見かけますが、住む人のいない家は部屋の中に空気が停滞し、そのうち雨漏りし始め哀れな末路を辿るのです。
 わが家は貧乏はしていますが幸せなことに、いずれも長男である親父、私、息子、孫の四代が同一敷地内に住んで、それなりに幸せな日々を過ごしているため、「家をつくって子を失う」様なことはないと思いますが、息子のお陰でいい本に巡り合うことができました。これからも折に触れ息子の本から何かを学びたいと思っています。

  「半々の 書棚息子に 占拠され 行き場失う 私の書籍」

  「目に留まり 読んだ本には なるほどと 思うことあり さすが息子だ」

  「これからも 時々息子 いない間に 読んでやろうと 心に決める」

  「年齢に よって読む本 違うため 私の六感 くすぐり始め」

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人間牧場

〇94歳の軽業師

 昨日の朝五時頃、何を思ったのか親父が私の書斎の窓を外から叩くのです。窓を開けて聞き取りにくい親父の話を聞くと、「今日は天気がいいようなので庭木の剪定作業をするから、裏に収納している長い方の脚立を出して欲しい」と言うのです。書斎から見える中庭には親父がこの家を建てた時、山取りして植えた立派なクロガネモチの木が、枝葉をいっぱい茂らせていて、この木の剪定作業するらしいのですが、さすがに杖がないと歩くのもおぼつかない親父が、登って剪定するには多少無理があるようなので、「暇ができたらわしがするから」となだめましたが、いつもの通り私の言うことを聞かず、「脚立を出してくれ」の一点張りでした。仕方なく外に出て3メートル以上もある長い脚立を出してやりました。

クロガネモチの木の上に登った94歳の親父
クロガネモチの木の上に登った94歳の親父

 やがて親父は脚立を自分の思い通りに立て、脚立を使って器用に、クロガネモチの木の樹上付近まで上り、バリカンのような剪定バサミで剪定作業を始めました。下から見ていた私や家族は親父の確かな足取りと、手さばきに感心しきりでしたが、「危ないから気をつけて」とか、「落ちないように」という声かけしかできず、みんな朝の細々が忙しいのでそのうち周りからいなくなりました。
 私も食事の後、梅の実の収穫のため家を離れ、家族全員がそれぞれに出かけて昼間は結局親父だけになりました。夕方家に帰ってみると、あれ程枝葉を茂らせていたクロガネモチの木が、まるで散髪をしたようにきれいに剪定作業を終え、剪定クズもすっかり片付けられていました。

剪定の終ったクロガネモチ
剪定の終ったクロガネモチ

 今朝も昨日と同じように朝5時、私の書斎の窓を親父は叩きました。聞けば小さい方の脚立を広げて天草の晒し場として使っているので、その脚立をこちらへ運んで欲しいと言うのです。夜も白々明けたところでしたが、私は外に出て晒している天草をどかせて脚立をたたみ、親父の求めに応じて中庭へ運んでやりました。「庭木の剪定はもう今年が最後だ」と口癖のように言っている94歳の親父の言葉は、重く私にのしかかっていますが、この時期になると親父は自分の体の不自由も省みず、自然と手足が動くのか、今年も一生懸命剪定作業に精を出してくれています。介護をされてもおかしくない年齢ながら、家のために仕事までやってくれるとは、いやはや有難いことです。願わくば怪我などしないようにして欲しいと、今朝も「怪我をしないように」と声を掛けました。

 「モチノキのに 登って剪定 作業する ハラハラドキドキ 本人平気」

 「危ないぞ 言う私たち 手伝いも せずにそれぞれ 仕事に出かけ」

 「夕方に 帰ってみれば 剪定も 掃除も終わり          一件落着」

 「歳なんぼ? 聞いて驚く 軽業師 今年もやはり 親父の仕事」

 

 

 

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人間牧場

〇百姓ニュールック(その2)

 この二日間、人間牧場の梅林で梅の収穫をしています。今年の人間牧場の梅は大豊作で既に10箱200キロを収穫しましたが、このところ農作業が忙しくて収穫した梅は、まだ梅干用の塩漬けや梅酒用の砂糖漬けに加工していないので、週末にはそれらの作業をこなさなければなりません。只今天草の晒し作業も同時進行なので、朝から晩まで百姓と漁師になったような感じです。
 梅の取り入れは梅の木が老木なため、木に登らなければ収穫できないため、梅の木には棘がやたらと出ているので、体中に引っかき傷ができて、風呂上りには軟膏を塗って肌の手入れをする有様です。特に手首辺りには棘傷が集中するため、何か妙案はないか考え妻に相談しました。

カラフルな刃ながら模様の腕抜きにカラスもびっくり
カラフルな刃ながら模様の腕抜きにカラスもびっくり

 妻は自分の小物入れから、どこかでいただいた手負いと言うべきか、腕抜きと言うべきが分りませんが、花柄の可愛らしい物を見つけてくれました。「何が何でもそれはちょっと派手過ぎでは?」と私が言えば妻は、「畑での梅取り作業はカラスぐらいで、誰も見てないのだから派手でも大丈夫」と、使うよう強要されてしまいました。仕方なく腕抜きをはめて梅の実の収穫を始めましたが、これが何と100点満点の効果を発揮してくれ、お陰で昨日の梅の収穫は腕に関しては順調そのものでした。
 昨日は梅取り作業をしていると、何人かが人間牧場の見学に飛び込みでやって来ました。その都度作業を中断して対応しましたが、私のカラフルな腕抜き姿を見て、「中々格好いい」とみんなに大笑いをされてしまいました。

百姓ニュールックの私
百姓ニュールックの私

 昨日は好天だったため麦藁帽子を被って作業をし始めましたが、縁の大きい日よけ用の麦藁帽子は込み合った枝の下での作業には不向きで、結局使い慣れている野球帽子となったため、多少日焼けをしましたが、日焼けした顔は精かんに見えるらしく、会う人誰もが「お元気そうで」と言ってくれるのです。
 梅雨の晴れ間だけに農作業は急いでやらなければなりません。今日で弁当を持っての梅の収穫は終わりにしたいと思っていますが、はてさて思い通りに行くかどうか心配です。
 日中の戸外の気温は25度以上になり始め汗をかくようになったし、汗をかいた身体に縞模様の薮蚊がまとわり付き始めました。季節は今年も早くも68年目の夏模様です。

 

 

 

 

 

  「カラフルな 腕抜き妻に 勧められ 顔赤くして 畑で作業」

  「腕抜きの お陰で手首 傷もなく 梅取り作業 はかどりました」

  「急峻な 地形に加え 木が高く 海猿私 枝から枝へ」

  「農作業 足腰肩に 堪えます 遊びのつもり 少し荷重に」

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人間牧場

〇街中の移動塾を人間牧場で(その2)

かまどで作るマーマレード
かまどで作るマーマレード

 フキの佃煮が出来上がったところで、今度は甘夏柑を使ったマーマレードを作りました。マーマレードの作り方も色々ありますが、今回は妻に教えてもらった通り、甘夏柑の皮と実を使うため、内側の綿毛を包丁で丹念に削り取りました。それを5ミリ程度の短冊に切りましたが、男性人に加え私も魚をおろす要領で手助けしました。女性たちは実の皮を剥ぎ黄色い実だけにしてもらいました。
 まず短冊に切った皮を水に晒してから鍋に移し、予めはがまで沸かしておいた熱湯を加えフキと同じように二度茹ではえました。これで下準備は全て完了です。

フキの佃煮も上々の出来栄え
フキの佃煮も上々の出来栄え

 鍋に灰汁を取った皮を入れ、その上に女性たちが剥いた実の約半分を入れ、その上に砂糖を入れてご飯用の竹しゃもじで実をつぶしながら煮詰めて行きました。かまど小屋の中は、さっきまで煮汁の嫌な臭いだったのに一転、甘い柑橘系のにおいに包まれました。鍋の中では黄金色の実と皮がグツグツと音を立ててマーマレードに変身し、昼時だったため食欲をそそりました。
 マーマレードが煮詰まるまで、皆さんには梅の実を選別しながら1キロずつ計量して、一人3キロの梅の実を水荒らしした後、水分を飛ばしてそれぞれ持参の広口ビンに入れ、砂糖を2キロ強入れてもらいました。これで梅酒ならぬ梅シロップは出来上がりで、冷暗所に置いておくと秋には砂糖が梅のエキスを引き出し、美味しい梅シロップが出来上がるのです。

梅雨の晴れ間ののどかな一日でした
梅雨の晴れ間ののどかな一日でした

 皆さんには私が人間牧場で作って絞った梅酒を、5合ずつお裾分けすることにしていたので、参加者は様々なビンを用意していて、用意していた3本3升の梅シロップが空になってしまいました。フキの佃煮も甘夏柑のマーマレードも、それぞれの容器に収まり、参加者は手荷物一杯の手合いで満足気味な顔で山を下りて行きました。僅か3時間半ほどのまかないでしたが、移動塾の夏バージョンは、都合で2人の女性が不参加となったものの、予想以上の盛り上がりだったようです。
 秋9月は鱧の骨切りと鱧料理に挑戦する予定です。既に私の従兄弟で調理師の免許を持つ、下灘漁協の若松組合長に協力要請をしていて、快く受諾してもらっています。はてさてどんなドラマが待っていることでしょう。私も三ヵ月後が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

  「甘夏柑 無消毒です ご安心 言いつ材料 細かく刻む」

  「気がつけば わが弁当は 人が食べ 腹が減ったと 終って気づく」

  「レシピなく 妻の様子を 見ただけで 調理実習 ちゃんと答を」

  「9月には 鱧の骨切り 鱧料理 私も楽しみ みんな楽しみ」

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人間牧場

〇情報源はネット配信

 昨日年輪塾ネットで双海地域事務所の松本さんが、日経新聞の記事を配信してくれました。最近は愛媛新聞しか読む機会がないので、朝日や毎日といった中央新聞の双海町に関するまちづくりの記事は、もっぱら松本さんに依存している状態です。松本さんはえひめ地域政策研究センターに3年間出向していたので、その間に新聞や雑誌のスクラップ能力が身につき、こうしてPDF処理をして配信してくれるのです。

松本さんから送られて来た日経新聞スクラップ
松本さんから送られて来た日経新聞スクラップ

 私たちがまちづくりをしていたほんのつい最近までは、情報流通は印刷物が主流を占めていました。今も新聞や雑誌といった印刷物はありますが、それをデジタル処理して配信したり保存する腕がなかったのです。私の部屋や倉庫にはこれまでスクラップした、おびただしい量の印刷物やVTRテープ類が無造作に段ボール箱に詰められて残っていますが、このままだと息子が私にいつも言うように紙ごみ・デジタルごみになりかねないのです。
 何年か前一緒にまちづくりをやった親友青木さんが亡くなった折、彼が長年撮り続けて残したスライドの活用について議論がありました。周防大島出身の民俗学者宮本常一は比、類を見ない全国を歩いて撮り続けた写真を残していますが、彼のような有名な人は別として、私たち庶民のささやかなスクラップや写真の数々は、やがてごみとして捨てられる運命にあるようです。

 退職したら元気な間にスクラップ類や写真類をデジタル化したいと思いつつ、既に退職して8年が経過しているのにまったく手をつけていないばかりか、この8年間で膨大なスクラップや写真が増えてしまったので、これはもう不可能だと内心諦めているのです。
 それでも最近は遅まきながら、また未熟ながらパソコンを操作して、それらのデジタル化に挑戦し、ブログに書いたり掲載したりしているのですが、これも焼け石に水・無駄な抵抗といった感じがするのです。昨日の新聞に増え続ける認知症若しくは認知症予備軍の記事が載っていて、国民の4人に1人が認知症のようです。近くに私と同じような年齢でも認知症の進んだ人を時々見かけるようになりました。忘れることは悲しいことばかりだけではなく、考えようによっては忘れることによって、本人は穏やかに生きれる部分もありますが、周りの温かい目配りや介護がなければ、穏やかな暮らしを担保できない厳しさもあり、老いと認知は大きな社会問題になりそうな気配です。

  「いながらに して届きたる スクラップ 記録に残し 少しコメント」

  「今もなお バトンを受けて まちづくり 活気と元気 嬉しく感謝」

  「周りには 私と同じ年齢で 認知進んだ 人を見かける」

  「ああ俺も 間もなく認知 仲間入り 家族迷惑 生きるは辛い」

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