人間牧場

〇太陽と地球、そして私

 夏至の日が近づくと、太陽が随分北よりのコースを通るようになり、今頃はわが家からでも綺麗な夕日が西瀬戸の海に沈むのが見えます。私たちは毎日太陽の恩恵を受けて暮らしていますが、ポーランドの天文学者コペルニクスが言っているように、「太陽の運動と見えるものはすべて実は地球の運動である」のです。一年をかけて地球が太陽の周りを回るのを公転、一日をかけて地球が回るのを自転といいますが、天動だと思っている全てが地動であることを、私たち人間はいつの間にか忘れて暮らしているのです。

 これは人間にも言えることで、人のせいや社会のせいだと思っている日々起こっている出来事のことの中にも、自分のせいで起こっていることが随分あるようです。凡人はよき成果を自分が努力したからだとひとり占めする反面、失敗すると他人のせいや社会のせいにしてその場を逃げようとする悪い癖があるのです。 ましてや全てがその人の失敗ではない、職場での飲酒運転事故などになると、テレビカメラの前で上司が「あってはならないこと」「綱紀粛正を図り今後は事故のないよう信頼の回復に努めます」と薄くなった頭を下げて平謝りに謝っていますが、「私がやった訳でもないのに、何で私が頭を下げなければならないのか」という素振りが垣間見えるようです。

わが家から見える夕日も実は地球が動くから見える現象なのです
わが家から見える夕日も実は地球が動くから見える現象なのです

「上司とはいかなる立場で仕事をしなければならないか」、私がかつて若い頃、町長さんからまちづくり専従班に指名された時、「長がついたら金を出す、口を出すな、責任を取れです」と、顰蹙を買うような言葉を、こともあろうか町長に言ったのです。普通であればこんな言葉を言えば左遷ものでしょうが、度量の大きかった町長さんは「分った。急げ、急ぐな」という言葉を返してくれました。以来その町長さんと4期16年もの長きに渡ってまちづくりの仕事をして、それなりの成果を収めました。その町長の偉さは、まちづくりの成果を全て私たちの成果として誉めてくれました。不幸にも事故で亡くなったその町長さんのことを思うたび、上司のあり方を垣間見るのです。

 今年わが家の菜園ではタマネギが大不作でした。冬の寒さのせいか苗が悪かったのか色々考えましたが、農業に浅学な私にはその原因がいまだに分らないのです。今年は近所の人の畑ではタマネギが大豊作のようです。原因があって結果があるのですから、私の肥培管理の手違いだときつく誡め、肥料のやり方や肥培管理のあり方を一からやり直し、来年こそはとリベンジを誓うのです。
 天道を地動にし、天災を人災にする心構えは、日々の生き方の中で育まれるものです。リタイアして失うものの何もない私ですが、せめて家庭菜園や家庭で起こった責任だけは、自分で取らなければ誰が取るのでしょうか。亡くなった元町長さんが夢に出てきた朝でした。

  「天道と 思ったことが 地動だと 今頃思う 平凡な俺」

  「亡くなった 元町長さんが 夢に出て 夢からさめて 少し冷や汗」

  「タマネギが 不作だったは 苗のせい 転嫁をしても 今年は終わり」

  「責任を 逃れることは 簡単だ 責任取るは もっと簡単」

[ この記事をシェアする ]