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〇今年も早半分の半夏生

 昨日松山からの帰りに、親父に頼まれたエナメルペイントを買うためホームセンターへ立ち寄りました。店内は涼しいというより、風邪で体調を崩している私にとっては寒いくらいでした。それでも皆さん半袖姿で平気に店内を歩いていました。最近はホームセンタにさえ、産直市と銘打った食料品売り場があって、思わず首を傾げたくなるような部分も見受けられるのです。レジを終え産直市を通って外へ出ようとしましたが、この産直市には鮮魚部門があって、「半夏生にはタコを食べて元気回復」と書かれていました。私は漁師出身なので関西地方では半夏生にタコを食べる風習があることを知っています。

 半夏生は夏至から11日目の日、つまり7月2日をいいますが、この時期は田植えや忙しかった農作業もやっと一段落するので、疲れた身体にはタコが一番というのでしょう。開催地方の特に瀬戸内海は、磯や浅瀬が多くタコが格好の住処のため、良質な天然ダコが昔から沢山獲れ、ご存知明石のタコも、たこ焼きに使う大阪のタコ焼きも瀬戸内海で獲れたタコを使った一品なのです。
 タコは主にタコツボという素焼きの壷を使い、海底に沈めてタコの習性を利用して漁獲します。タコは綺麗好きで、フジツボや泥で汚れると入らないため、猟師さんは暇さえあれば天日干しにしたり金具でフジツボ等を取り除く作業をして、入居条件を向上させているようです。タコは最高のグルメ雑食で、魚やアワビサザエ、伊勢海老などもタコの巻きつき吸盤吸い付き戦術に遭えば、抵抗も空しく餌食となってしまうのです。タコはアミノ酸の一種である良質なタウリンを多く含んでいて、このタウリンが蒸し暑さが強まり、疲労が蓄積している半夏生に食べられるのは理に叶っているのです。

 最近は乱獲か海況の変化か、海の汚染か原因が定かではありませんが、地ダコの漁獲量が少なくなり、スーパー等に出回っているタコの殆どは輸入品なのです。そのタコも半端な大きさではなく、足一本でも持ち上げられないほど大きな水ダコだってあるのです。多分大阪のたこ焼きも、露天商に並ぶたこ焼きも、中に入っているタコは殆ど輸入品で、自国でさえ食べないタコを輸出して、外貨を稼いでいる国は幾つもありますが、最近は国産にしろ輸入品しろ産地表示が義務付けられていて、国名が表示されているものの、「えっ、こんな国どこにあったっけ?」と思うよなまったく無名な国名に驚くことだってあるのです。
 7月2日の半夏生にうどんを食べるのはご存知お隣香川県、富山県では焼きサバを食べるのだそうです。所変われば品替わるです。ちなみに7月2日は「タコの日」「うどんの日」です。知ってましたか?。

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〇自由くらい不自由なものはない

 時の流れは早いもので、今年も早半分が過ぎ昨日から7月です。この半年私はどんな生き方をしてきたのだろう振り返るものの、加齢による歳のせいで忘れ状がよくなったのか、中々思い出せないのが実感です。でも幸いに日々の暮らしを「sin-1さんの日記」というブログを殆ど毎日2本書いているお陰で、記憶が鮮明な人以上に記憶を辿ることができるのです。「それがどしたん」と言われたらそれまでですが、ブログ記事1本を書き上げるのに約1時間、2本だと2時間の無駄と思える費やした時間は、私の自由時間の範囲内だし、妻より2時間早く起きて書くため、妻との暮らしのリズムも上手くかみ合っているのです。

 私のブログの愛読者から、「よくもまああんな長いブログ記事を毎日書くもんだ!!」「あなたのブログは長過ぎて読むのに時間がかかる」などと呆れた声が届きますが、「あなたの自由時間は1日にどのくらいあるの?」「寝る時間は何時間くらい?」とよく尋ねられます。私は60歳を機に現職をリタイアし自由人の道を選びました。経済的には苦しいものの人生高々80年を思うと、残された年数は20年程度なのですから、地方公務員ゆえに制約されたり、やりたかったことも数多くあって自由人の道を選んだのです。ゆえに私は只今1日24時間全てが誰に束縛されることもない自由時間なのです。

 「自由くらい不自由なものはない」、これは自由人を8年間過ごした私の偽らざる言葉です。それまで定期的に毎月一回の給料と、一年二回のボーナスをいただいていましたが、それもなくなり経済的に不自由です。職場で自動的にやってもらっていた税金の申告も自分でやらなければならず不自由です。これまで役場勤務を理由に免責されていた、区長や宮総代などの細々した仕事がどっと舞い込み、自由時間を侵し始め自由時間がどんどん削られているのです。でもその殆どは自由と思うか不自由と思うかだけで片付けられるので、少しだけ自律・自立したような気もするのです。これからも「自由は楽しい」を自分に言い聞かせ、自由の楽しさを見せびらかせて田舎暮らしを楽しみたいと思っています。

  「何をする? そんな考え する暇も ないほど忙し われ自由人」

  「自由とは いいもんだろうと 憧れた いざ手にすると 何と不自由」

  「あと少し 残り少ない 人生を 見せびらかせて 楽しく生きる」

  「程ほどに 満足すれば それでよい 50点以上が 目下目標」

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〇どうも体調が可笑しい

 6月13日の朝、手袋の中に忍び込んだムカデに刺されて呼吸困難となり、救急車で日赤松山病院へ運ばれてから、そのことが原因なのかよく分りませんがその後体調が思わしくなく、この2~3日は微熱と咳が出てまるで雲の上を歩いているような感じがしました。そうかといって私が実行委員長を務めていることもあって、スタードームキャンプを体調を理由に休むこともできず、どうにか役目を果たし無事終えることができホッとしています。
 キャンプが始まる前日、私は新装なった愛媛県立中央病院で定期健康診断を受けました。本当は5月末に受ける予定でしたが、病院側の移転ゴタゴタもあって、1ヶ月伸びてしまったのです。勝手知ったる病院と違い、近代的に生まれ変わった病院は、まるでホテルのような行き届いた雰囲気でしたが、行く場所も分らず、その都度そこここに立っている説明員に尋ねながら血液検査、エコー検査、内診と順番に進みました。
 血液検査の結果はオンラインで結ばれていて、エコー検査をしている間に主治医のところへ届くようなシステムになっていました。エコー検査もこれまでのようにワンフロアーをカーテンで仕切っただけのものとは違い、個室で受けました。

 「上半身裸になってベットに仰向けに寝て下さい」検査技師の言うがままに寝そべると、やがて検査技師が私の腹部にゼリーを塗り始めました。エコーカメラの端末が滑りやすくするための措置ですが、気持ちが悪いと言うのが正直な感想です。若くて美人の(暗くてよく見えないので)検査技師が「はい、大きく息を吸って、そこで止めて下さい。はい楽にして」と矢継ぎ早私に命令し、私もその言葉に呼応して検査を受けました。いつものエコー検査より少し長めの時間だったため、「もしや病気が見つかったのでは?」と少し不安になりました。その後その検査技師は「見落としてはいけませんので、もう一度替わった担当者が検査します」と言って、別の検査技師が手馴れた手つきで検査を始めました。私の心配は募るばかりで、これは大変と観念しました。やがて検査が終わり、「検査の結果は内診の先生から説明を受けて下さい。ご苦労様でした」とお辞儀をされ、検査室を出ました。

 病院の待合室は、病気にかかった人が来るのですから当然なのでしょうが、見慣れた顔の人が次々に現れ、「胃を全部取った」とか「3分の2取った」とかの話で持ちきりでした。私の顔を見るなり、「あんたはどこが悪いんぞな」と聞き返してくるのです。その都度概略説明をするのですが、こうも大勢の顔見知りの人が多いのでは、説明に困ってしまうのです。
 そのうち、クラークさんが「若松さん、中へお入り下さい」と案内され主治医の前に座りました。主治医の先生はパソコンに映し出された血液検査のデータやエコー写真を見て、「検査結果はいいようです。その後体調は如何ですか?」と尋ねられたので、「はい、先日ムカデに刺された以外は、すこぶる健康です」と少し嘘つきの発言をしてしまいました。先生はその言葉を信じたのか、内診もせずに次の予約日をさっさとパソコンに入力し、これにて一件落着です。ムカデに刺されて以来どうも体調が可笑しいと思っていますが、これが単なる風邪なのか、ムカデが災いしてるのかは、もう少し様子を見る必要があるようです。今朝はとりあえず近所の医院へ、風邪の症状を理由に診察を受けに行こうと思っています。今日は午後から、明日は午前中、講演予約が入っているので、体調が悪いからといって休む訳には行かないのです。

  「体調が 今一なのは ムカデかも よからぬ考え 頭を過ぎる」

  「体温計 妻が差し込み 検温す 38度と 少し高めだ」

  「食欲も 全然なくて 大弱り まるで雲上 歩いているよう」

  「病気だと 妻が優しい これからも 時々病気 妻に怒られ」

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〇スタードームキャンップ始まる(その2)

 例年は夏休みに入った土日を使い実施していた子ども体験塾のキャンプを、今年は底引き網体験航海と思い切って入れ替えました。この時期は梅雨末期でキャンプには不向きな時期ですが、会場を廃校となっている体育館に周辺に切り替えたため、例え雨が降ってもプログラムの運営には支障がないのです。体育館を使ったキャンプなど、一見何の魅力も感じないようですが、今回はスタードームという半円形のドームを造り、その中でキャンプをしようという試みなのです。
 そもそものアイディアのきっかけは、たまたま国立大洲青少年交流の家の運営委員会に出席した私が、中庭に設置展示していた竹の骨組みを見つけ、当時の新山雄次所長さんにアイディアの出所や資料をいただき、私が代表を務めている双海町子ども体験塾に取り入れたらどうかと持ちかけました。話はトントン拍子で進み、愛媛地域政策研究センターのアシスト事業に、赤石主事さんが鉛筆をなめて応募したところ、幸運にも助成が決定したのです。

早速見積もりを取りましたが、スタードームの生地だけで20万円ほどかかってしまい、骨組みは自分たちの勤労奉仕で賄うことになりました。しかし折角の助成事業決定なので、備品購入だけでは知恵がないものと思い、隣の傘屋さんに出向いて傘の生地を無償で提供してもらうことになりました。竹を切ったり割って加工したりする作業は、宮栄公民館長、実行委員の西岡さんに頼み、みんなで日尾野の竹薮まで竹の伐採に出かけ、日尾野公民館の玄関先広場をお借りして、半日掛りで汗をかきました。しかし3メートルを3本つなぎ合わせるのが難しいと、欲を出したお陰で会場となる下灘中学校まで運ぶ途中で、割れたり使い物にならなくなるものも現れましたが、国立大洲青少年交流の家にご無理を言って借用して、やっと間に合いました。もし発注の日程の誤差で間に合わないかも知れないと、傘屋さんに貰った生地を皆さんの協力を得てミシンで縫い上げ、半分の大きさの手作りドームを含めて3つのドームが完成しました。

P1030303 前日の夜、前もってジュニアリーダーを対象に講習会を開き、少し自信のついた3人を棟梁に任命し、開会式の後さっそくスタードームの建設に取り掛かりました。幾何学模様のように竹を星型に組んでいく作業は難航を極めましたが、何とか一時間30分ほどで竹が組みあがり、それぞれの班では万歳三唱や記念撮影を行なう等、達成感いっぱいでした。その後竹のドームに縫ったばかりの布を被せました。出来上がりは思ったより立派で、中は快適空間となりました。
 子どもたちにとってスタードームの製作は未知なる物への挑戦なので、みんな一丸となって働きました。その後時間をかけてゆっくりと、団ボール紙を利用して防災住み家を作りました。昨日は雨が降ることもなくプログラムも順調に進みました。惜しむらくはかまどで炊いたはご飯にシンがありましたが、よもくれ団子汁も野菜サラダも好評でした。
 夜は手作りの行燈集会や、スタードームの天井に夏の星座を写し、みんなが天井に向かって寝転んで話を聞きました。その後肝試しも盛会でしたが、私は夏風邪を引いたのか体がだるく熱もあるようなので、泊りを変更して自宅へ帰りました。

  「梅雨だけど 雨の影響 ないように 体育館内 スタードームで」

  「風邪引いて 体調悪く 雲の上 歩いているよう 私も人間」

  「ことのほか 出来栄え上々 竹組んで テントを被せ 思わず万歳」

  「毎年の ことゆえマンネリ ならぬよう アイディア活かし 今年も成果」

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〇スタードーム製作への挑戦(その1)

 二年前、運営委員会に訪れた国立大洲青少年交流の家の中庭で、奇妙な竹で編んだドーム型のフレームを見ました。直径メートルほどの大きさのフレームがスタードームだと知ったのは、当時の所長で今は那須甲子青少年交流の家に転勤された新山雄次さんの説明でした。以来気になって何とかそのスタードームを手に入れたいと思っていました。公民館の赤石主事さんが、えひめ地域政策研究センターのまちづくりアシスト事業にジュニアリーダー会として助成申請していたところ、幸運にも事業費20万円の採択を受け一気にその夢が広がり始めました。
 アシスト事業の採択を受けなくても、隣に住む傘屋さんから大量の傘生地をいただいていたので手作りしようと考えていたので、寸暇を惜しんでいただいた生地を縫い合わせ、4~5日前にやっと完成に漕ぎ着け、またスタードームのフレームとなる竹は、実行委員の西岡さんと公民館長の宮栄さんの協力で、日尾野の竹薮から切り出し、既に分割して作っていたのです。

スタードームの組み立て作業
スタードームの組み立て作業

 赤石さんが国立大洲青少年交流の家で開かれたスタードーム製作指導者講習会に参加して、内々準備をしていたこともあって、早速今年の子ども教室キャンプを「スタードームキャンプ」と名付けました。昨晩は中・高校生のジュニアリーダーが20人ばかりが午後6時に下灘中学校体育館に集まり、その組み立て作業を行いました。紐の結び方もろくに知らない中・高校生なので、最初からかなり疑問符のつく作業でしたが、赤石主事さんと久保さんの指導もあって、一時間余りで何とか組み立てることができたようです。私は昨日の夜小さな集会があって、一時間半ほどでお暇しましたが、赤石sんから昨夜遅くメールが入り、何とか仕上げたようでホッとしました。
 例年だと6月のプログラムは底引き網体験ですが、例年雨や霧に阻まれて中止を余儀なくされるので、今年は思い切って7月に行なう予定のキャンプと入れ替えました。勿論キャンプも雨が降ると困るのですが、今年は廃校となった旧下灘中学校の体育館を使う予定なので、雨が降っても体育館内に作ったスタードームでのキャンプとなるので、雨は心配ないのです。

形が見えてきたスタードーム
形が見えてきたスタードーム

 今回製作したスタードームは協から始まるキャンプは勿論のこと、色々なまちづくり活動に使いたいと思っています。シーサイド公園のビーチにでも設置するとこれはもう最高の演出ができるはずです。今回は国立大洲青少年交流の家から参考のためにお借りした竹のフレームと、先日切り出し加工したフレームを使いますが、切り時のよい時期に孟宗竹を切り出して、加工ししっかりとした備品にしたいしたいと思っています。県内の高校は今が中間テストの最中なので、参加したくてもできない生徒もいますが、昨夜は金曜日ということもあって、代表の中島君も一生懸命組み立てをしていました。
 私は昨日から少し風気味で咳と微熱に悩まされていますが、今日と明日はキャンプ活動の全日程に参加したいと思い、早速妻に頼んで持参品をリュックサックに詰めてもらいました。今日と明日は梅雨の晴れ間が期待出来そうです。

  「割り竹を 幾何学模様に 組んで行く スタードームと 名付けたテント」

  「久方に 廃校母校 訪ねたり 運動場に 桜根付いて」

  「変わってる 梅雨の最中 キャンプとは 非日常ゆえ これも楽しい」

  「二十人 中学生が 集まって 紐も結べぬ その子を指導」 

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〇自然水の利用

 わが家の水道は田舎ゆえ上水道ではなく、簡易水道の部類に属します。しかし水の綺麗な牛の峰山系から流れ出る奥大栄から、はるばる何キロにもわたってパイプで、中の宮の貯水配水タンクまで引いているため、どんなに渇水期でも水に困ったり濁ったりすることはなく、むしろ簡易水道ゆえに大した消毒もせずに美味しい水を利用できるのです。わが家は3世代同居の家庭なので、毎日沸かす風呂、トイレの流し水、炊事洗濯水など多方面に使っているので、人が見れば驚くほど水道の使用量が多いのですが、水の使用量は文化生活のバロメーターとばかり勝手に思い込み、節水をすることもなく使用料を払い続け、その恩恵に浴しています。

わが家の庭の隅に掘られた井戸
わが家の庭の隅に掘られた井戸

 これ以外にも田舎ゆえ野菜や魚の調理前洗い水や、家庭菜園・ガーデニングへの散水は、二つの水源を利用できるようにしています。一つは井戸水です。三十年前地元の水道屋さんにお願いして庭の隅に、小さな井戸を掘ってもらいました。井戸からポンプアップした水は、親父が日曜作業で畑の隅々までエスロンパイプを張り巡らせ、概ね3ヶ所の蛇口さえひねれば、いつでも雑用水が出るようになっているのです。お陰様で日照りの続く真夏でも、朝夕の水やり作業さえ小まめにやれば、被害もなく野菜を作れるのです。
 親父のしたたかな配水設備で、今年の初夏は海で採集した天草の晒し作業も、水道水を使わず大助かりでした。天草の晒し作業には毎日沢山の水を使いましたが、井戸水なので多少のポンプ用電気は使いましたが、水代はタダなのです。

裏山から涌き出る清水の取水口
裏山から涌き出る清水の取水口

 もうひとつわが家にはとっておきの水源があります。それは裏山からの湧き水です。小さな沢の湧き水ですが、年中枯れることもなく流れ出ています。このところの大雨で沢の水は溢れんばかりに勢いよく流れ出していますが、そのうち落ち着くものと思われます。湧き水の取水口は親父が造った小さな木造ミニチュア家が、お洒落に置かれています。わが家を訪ねる人が誉めてくれる、これらの遊び心いっぱいの設備は、残念ながら息子の私には受け継がれず、むしろ世代を超えてわが息子に受け継がれていて、風力発電や太陽光発電等その遊び心は水に留まらず、風や太陽熱といった未利用資源にまで広がっているのです。

 

 

  「地下水と 湧き水使い わが家では 日々の暮らしを さらに豊かに」

  「湧き水の 取水口にも 一工夫 遊び心が 随所に見られ」

  「不器用な 私に真似は できないと 諦め感心 しながら使う」

  「わが息子 親父持ってる 遊び心 受け継いでいる ような気がする」 

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〇旧温泉郡中島町を訪ねる(その4)

 NPO法人BLUE SEAの冨永正一さんからいただいたA4の紙に「島まるごと有機の島構想」と題した基本構想に次のようなことが書かれていました。

野忽那島
野忽那島

 現在、中島に於いては、過疎化、高齢化、少子化の波に押し流され、基幹産業である柑橘も、販売価格の低迷や園地の荒廃化、高齢化、後継者不足などにより、将来的にも悲観的な方向へと向かいつつある。
 この現状を少しでも打破するための構想として今後、将来性のある事業の一つとして着目したのが有機農業である。現在も長年に渡り有機農業の大家である泉精一氏が、宇和間地区で実践している有機農園(ゆうきの里)を発展させる為の構想として、普及しにくい原因を探りつつ比較的短時間で実現化できるのは、逆転の発想により過疎の島を逆手に取り、中島で一番小さい野忽那島を全て有機栽培の柑橘類や、無農薬野菜、自然飼育の鶏(有精卵)、ヤギ(雑草処理)、養蜂などを取り入れた「島まるごと有機の島」として全国に向けてアピールする、これは多分全国でも初めてのことと予想される為、ニュースバリューは高く、知名度を一気に高められる可能性がある。(幸い近年まで、シーサイド留学の島としてネームバリューは高く、発信しやすいメリットもある)。又観光面においては皿山展望台、ヌカバ海水浴場(赤手ガニの産卵)、灯台、地引網、釣、遊漁船などがあり、映画の撮影にも使われた島であり、アクセス面では松山からも近く他の離島に比べると便数も多く、受け入れ対策として宿泊所、食堂、レンタサイクルなどを整備していけばより充実した物となる。
 又メディアによって全国から有機農業に関心があり、静かな田舎(島)暮らしをしたい人たちや大学生のフィールドワーク(できれば愛大の試験農場)などで体験農業をしてもらい、将来の移住の可能性を広げる。(販路)有機農産物に関しては松山有機生協をメインに有機の島ブランドとして、インターネット販売(野忽那の柑橘農家は現在JAからはずれている)。(その他)野忽那の土壌の特性を考慮した農産物で尚且つ高収入の見込める産物を作ることが重要である。(候補として、生姜、玉ねぎ、らっきょ、柑橘レモン含む)、玉子、蜂蜜など、中島には6つの友人島があるが、中でも最も小さい島が野忽那島である。島まるごと有機の島構想を推進するに際し93世帯しか住んでいない野忽那は絶好のピンチをチャンスに変え得る地であり、農業人口も13人程度(4軒)である為、島全体を有機農業で売り出す事は、関係各位及び住民の協力と、熱意があれば必ず実現可能であると信じている。(原文のまま)

野忽那集落
野忽那集落

 富永さんの話を聞いて、島の現実の厳しさと将来への不安を垣間見ました。ほおっておいたら島の暮らしは朽ち果てます。しかし幾ら声高に叫んでみても、高齢あの進んだ島で、誰が共感共鳴して動くのだろうと思うと、理想の考えが引き戻され夢が萎んでしまうのです。「急ぎたいけど急げない」、富永さんのジレンマは続きそうです。はてさて「いつするの?、誰がするの?」と問われたら、「私しか、今しかない。今でしょう」と自問は自答になるのですが・・・・・・。「ウーン」。

 

  「有機島 作る構想 ご立派だ 誰がするのか? いつするのかと・・・」

  「構想は 急ぎたいけど 急げない ジレンマ続く いつ霧晴れる」

  「日本の 田舎どうなる このままじゃ 10年先は 希望も持てず」

  「日本の 政治貧困 島などは 眼中ないと 言わんばかりに」 

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〇旧温泉郡中島町を訪ねる(その2)

宝山亭の前に広がる姫ヶ浜海水浴場
宝山亭の前に広がる姫ヶ浜海水浴場

 姫ヶ浜海水浴場と言えば、近郷に知れた有名な海水浴場です。最近はトライアスロンの会場としても使われているようですが、何度か訪ねたことはあるものの、本当に久しぶりの訪問でした。私の知恵を借りたいという座談会の会場は海水浴場の中ほどにある民宿宝山亭でした。ここの女将は小田美恵さんという私と同年代の女性で、ふと気がつくと同じフェリーに三津浜から乗っていたようでした。
 参加者は富永さんと古野さん、それに中島ゆうきの里・中島天恵農場・百姓という名刺を差し出した80歳がらみの老人泉精一さんと、農業・岡田義之さん、それに宝山亭の女将小田美恵さんの5人でした。

 前もって古野さんから電話で概略な話を聞いていましたが、話によると高齢化の進んだ野忽那島を有機の島として売り出そうというのです。この「島まるごと有機の島構想」は、かなり冨永さんの理想論が先走っているように感じましたが、渡されたA43枚のコピーには、面白いアイディアがいっぱい詰まっていて、実現すれば日本でもかなり注目を集めそうだと実感しました。しかし地域づくりはそう簡単にできるものではありません。私がいつも言っている言葉ですが、「いいこととできることは違う」からです。高齢化率70パーセントを越える島で、この構想を実現するためには、クリアーしなかればならない問題が余りにも多いような気がしました。

 W2Hに当てはめ、What-何をするのか、何から始めるのか、When-いつまでにするか、Where-どこで仕事をするのか、情報はどこにあるのか、Why-何故この仕事をするのか、Who-誰がこの仕事に関係しているか、How-方法や進め方、owmuch-幾らいるのかなど、思いつくまま整理をして見ましたが、まるで気の遠くなるような話です。ただこの話の推進には、既に中島で数十年にわたって有機農業に取り組んでいる有名な泉精一さんという実践家や、若い実践家岡田さんも加わっている強みがあるのです。野忽那島は航空写真で見ると北海道の姿にまるでそっくりでした。かつてはシーサイド留学の島としても有名でしたが、子どもがいなくなりその実践も残念ながら消えて久しいようでした。
 もしこの構想を推進するなら、当てにならないといいながら行政のバックアップも必要だし、実態調査や、推進組織を立ち上げなければなりません。また地域おこし協力隊のような部外の強力な知恵と力も必要となってくるものと思われます。第1回の話は程ほどにして、泉さんと岡田さんの有機農業の実態を知るべく、二人の案内で二人の農場を訪ねました。

  「構想は 凄いもんだが いざ実践 問題余りに 多く難問」

  「有機には 勇気がいると 実感す 社会の波に 逆行なので」

  「実践家 変わり者だと 世間では これが普通の 世の中つくる」

  「百姓と 書いた名刺を 持つ人の 生き方凄い 見習いたいが」

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〇雨合羽を着て雨読もせずに農作業

 梅雨を実感するように、昨日は朝からあいにくの雨でした。晴耕雨読を最上の生き方としようとしている私にとっては、晴れでも雨でも二者択一の選択ができるので、それなりにやることがあるのです。雨の日は雨読にふけるものなのでしょうが、昨日は雨合羽を着た出で立ちで、雨に濡れながら午前中3つの農作業をやろうと決意し、妻に頼んで雨合羽と長靴、麦藁帽子を用意してもらいました。
 まず菜園に出て、1ヶ月前に植えて伸び始めた芋のツルの中から、枝分かれした芋のツルを40本ばかり選び、新枝を40本ほど切り取りました。これは近所のおばさんから教えてもらった方法で、まだ十分秋の収穫までに間に合うから、ツルを買うと高いので、自前で作ったツルを使って栽培する方法です。前日晴れ間を見て畝立てしていた二畝に、切り取ったツルを伏せました。運よく雨なので今までのように植えると萎れることもなく、水をやらなくても元気に根付くようです。

雨合羽を着た私
雨合羽を着た私

 その後、採果袋とキャリーを軽四トラックに積んで、雨の中を人間牧場へ向かいました。人間牧場の果樹園ではスモモの実が赤く熟れていて、雨の日を外すとスモモの実が烈果したり腐って落ちてしまうのです。毎年たくさん実をつける比較的大きなスモモの木には、今年も鈴なり状態です。雨で濡れたスモモの木を少し揺らして雨のしずくを落とし、採果袋を肩に提げて木に登り、赤く熟れている実を片っ端からもぎ取りました。今年は実も大きく今のところ烈果や鳥、虫の被害にも遭わずいい状態で、あっという間に採果袋がいっぱいになり、キャリーに7分方収穫したところで採果を終えました。わが家で食べる分と、近所へお裾分けするには多少大目でしたが、何とか処分できそうでした。
 その後、子ども体験塾の芋畑の周囲に電気柵を張り巡らせている、電線の下に草が沢山生えてきたので、草刈機を倉庫から取り出し、撫でるように草を刈りました。雨の日の草刈りは草刈機の刃切れが良く、その勢いでウッドデッキの下の、今年植えたアジサイが草に埋まっているようなので、アジサイを刈り払いしないよう注意しながら、ブルーベリーの畑まで草刈りをしました。

たわわになったスモモの実
たわわになったスモモの実

 ブルーベリーの畑では早くも早生系の実が黒く熟れていて、野鳥が2~3羽熟れた実を啄ばんでいました。このままほおっておくと、野鳥の餌食になってしまうので、作業小屋から小さめのタッパーをひとつ持ち出し、ブルーベリーの収穫をしました。あっという間にいっぱいになり、スモモとブルーベリを軽四トラックの荷台に乗せ、草刈り作業で汚れた雨合羽や長靴を、ロケ風呂下の水道水で綺麗に洗い流し、雨の中の全ての作業を終えました。昨日は農家の人も雨で農作業を見合しているのに、農民で見ない私が、雨合羽まで着て作業をしている姿を見て、何事かと驚いた様子でした。
 束の間の雨合羽を着た農作業で、少し汗をかいたので、自宅へ帰ると直ぐに雨合羽を脱いで水洗いして干し、私は風呂のボイラースイッチを入れて、シャワーで汗を流しました。午後から松山工業高校の学校評議員会があり、スッキリさっぱりした姿で松山へ向かいました。

 

 

 

 

  「雨の日に 雨読もせずに 雨合羽 着て農作業を こなす日もある」

  「スモモ取る ブルーベリー取る 草刈りに 加えてツル植え 全てをこなす」

  「雨が降る 合羽着てまで 何をする? 妻は私の 行動疑問」

  「昨晩の 食後のデザート 少し変? スモモに加え ブルーベリーとは」 

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〇妻と二人で列車小旅行

 昨日は少し朝早く身支度を整え、妻と二人で西条市に住んでいる三男末っ子の所まで、車を取りに出かけることにしました。ところが伊予市駅まで送ってもらうはずの長男が、予定の時間が近づいているのに、近くの上灘川へ、ウナギの仕掛けを引き上げに行ったまま帰って来ないのです。イライラを募らせながら仕方なく特老夕なぎ荘前の河原まで声かけに行きました。息子は職場の仲間と前夜仕掛けた釣り糸を既に引き上げたところで、釣果はウナギ一匹だったようです。急ぐ私と、「まだ十分間に合う」とのんびりな息子の間に挟まって、妻は心配気味でしたが、まあ何とか10分前に伊予市駅に到着し、窓口で女性の駅員さんと言葉を交わしながら、特急しおかぜの片道切符を二人分買いました。

P1030199 特急しおかぜの始発は普通松山駅ですが、8時前のこの便だけは宇和島始発になっていて、乗り換えることもなく西条まで直通で行けるのです。私は出張の度に車で行けない遠出の時は列車に乗りますが、妻はもうかれかれ5年以上も列車に乗っていないようで、前夜からまるで子どもが遠足にでも行くように、楽しみにしていたようです。ましてや夫婦で列車に乗るのは、姪の結婚式で京都に出かけた折以来ですから、同じ座席に並んで座る気恥ずかしさも、少しありました。
 列車はアンパンマン列車らしく、車体にはアンパンマンの絵が車内にまで書かれていて、アンパンマンの声が車内放送で流れたりしていました。「孫を乗せてやったら喜ぶかもしれない」と、妻はいつもながらの口癖で話していました。

三男息子が乗っていたインプレッサ
三男息子が乗っていたインプレッサ

 列車は9時15分ころ西条に着きました。電話で到着時間を知らせていたので、三男が駅前迎えに来てくれていました。今回の西条行きの目的は、三男が車検を機に車を買い替えるため、まだ5万キロしか乗っていないので、今乗っている富士重工業スバルのインプレッサという車を、長男に譲ることになり、その車を取りに出かけたのです。警察官をしている三男はこの春の人事異動で、伊予署から西条署へ転勤になりました。その折移転を手伝った経緯もあって、三男が住んでいるマンションへは今回が二度目です。一人住まいのマンションの部屋は、思ったより綺麗に片付いていました。三男はこの日夜勤の予定なので、早々に引き上げましたが、新車プリウスが届くまでのこれから1週間は、自転車通勤をするのだそうです。持ち帰ったインプレッサは早速車検に出して名義変更し、少し貧乏な長男が乗る予定のようです。
 列車を片道だけ使った夫婦だけの小旅行?は、妻にとってはとても楽しかったようで、「お父さん、また行こう」とせがまれました。

  「列車乗り 妻と二人で 小旅行 妻と久々 並んで座る」

  「三ヶ月 ぶりに息子の マンションを 訪ね綺麗な 部屋見て安心」

  「長男の プライドなのか お下がりの 車何だか 気乗りがしない」

  「勿体ない 瀬に腹変えず 実で行く 田舎暮らしを 乗りきるために」 

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