人間牧場

〇ハモの骨切り体験(その2)

 ハモの調理には流し台と大量の水が必要なですが、カルチャースクールの5~6人だといつも用意しているポリ容器で、人間牧場まで運べばいいと思っていました。ところがこの計画をかぎつけた地域事務所の松本さんと公民館の赤石さんから、相次いで参加の旨の相談がありました。松本さんからは森ゼミの「双海町で?を探す旅」という研修プログラムを受け入れていて、双海町のまちづくりを勉強している研修生を参加させたいと、また赤石さんからは通学合宿にボランティアスタッフとして参加している大学生も、参加させたいと相談があったのです。

 ならば人間牧場の収容能力では無理だし、天気予報も雨なので、思い切って下灘コミセンの調理室を教育目的で借りることにしました。運よく調理室は空いていてラッキーでした。しかしハモの調理には電気調理台だけでは湯引きもハモ汁も満足に出来ないため、人間牧場へ食器類をとりに行ったその足で、急遽戎井ガス店に前日お伺いして、屋外へプロパンガスを設置してもらうよう頼みました。25人のメンバーに膨れ上がった調理実習は、昨日10時から早速始まりましたが、使い慣れていない調理室なので調理器具の在り処も分らぬまま難儀をしました。

組合長の見事な包丁捌きに見入る参加者
組合長の見事な包丁捌きに見入る参加者

 実習に先立ち若松組合長さんに、ハモにまつわるお話をアドリブでやっていただきました。若松組合長さんは前日まで東京で開かれた魚食フードフェスティバルに、ハモの普及のため松本さんや富田さんと一緒に参加していて、東京での出来事も織り交ぜながら話してくれました。やがてデモンストレーションとして、一番大きなハモを参加者の見守る中調理をし始め、組合長の見事な手さばきにみんな感心しきりでした。私は骨や粗を持参した大きな南部鉄釜に入れ出汁を作りました。沸騰した出汁から浜田さんが丁寧に灰汁を取り、ハモ汁とハモ飯の用意に専念しました。

 やがて4班に分れそれぞれの調理台で悪戦苦闘が始まりました。何せ参加した人の殆どは包丁を持った経験が殆どなく、ましてやハモの表面のぬめりに翻弄され、傍で見ていると危なかしくてもどかしさを感じましたが、組合長さんとあとで手伝いに来てくれた吉野理事さんの、懇切な手助けで何とか骨切りまで、手を切ることもなく終えました。外の強火ガスコンロで湯を沸かし、少量の塩を入れた熱湯の中に3~4秒くぐらせ、釜揚げしたハモの短冊を、用意した氷水でしめて、見事な真っ白いハモの湯引きが出来上がりました。

  「6人の つもり始めた 鱧調理 25人に 膨れ上がって」

  「台風の 余波雨の中 出漁し ハモゲットして 調理実習」

  「魚では 調理しにくい ハモあえて 骨切り挑戦 悪戦苦闘」

  「ハモ湯引き ハモ汁加え ハモ飯と 三昧料理 アバウト作る」 

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人間牧場

〇天災は忘れた頃にやって来る

 人間はいい加減なものだとしみじみ思います。数日前までは1ヶ月間も、雨らしい雨が降らず、加えて連日の猛暑でくたくたになって、会う人毎に「雨が欲しい」と言っていました。柑橘地帯では渇水対策本部が設置され、雨乞いまでしたというのに、このところの思わぬ長雨にたたられると今度は、「もう雨は要らぬ」と、これまた会う人毎に恨み節とも取れる会話を交わしながら、雨の止まぬ空を見上げながら恨めしそうに過ごすのです。
 確かに今年の天気は異常続きです。山口や島根の水害や昨日埼玉・千葉で突如として起こった竜巻の被害は異常気象としかいいようがありません。

 昨日テレビを見ていると、午後2時過ぎに埼玉県と千葉県で竜巻と見られる激しい突風が起こり、住宅の屋根が飛ばされたり、窓ガラスが割れたり、あの強靭なコンクリート製の電柱まで根こそぎ倒れる様子がリアルに映しだされました。アメリカの竜巻の様子等を映画や映像で見たことはありますが、日本でも同じような被害が起こったのです。
 気象庁によると上空の寒気は平年並みだったものの、大気下層に温かく湿った空気が流れ込み、不安定な状態で、強い竜巻をもたらすことが多い積乱雲「スーパーセル」が発生した可能性が高かったようです。

 私はテレビや新聞で、スーパーの安売りセールならぬ、「スーパーセル」という言葉を初めて知りました。数キロから100キロ程度の幅で回転する積乱雲で、被害をもたらすような激しい竜巻はスーパーセルに伴うものが多いようです。普通の積乱雲は降雨などによる下降気流と上昇気流が同じ場所にあり、一時間程度で消滅しますが、下降気流と上昇気流が異なる場所でできるため、数時間持続するのです。内部に反時計回りの渦「メゾサイクロン」を持ち、被害はより大きくなるのです。
 大雨や津波はある程度予想され、避難や防ぎようもあるのでしょうが、竜巻は避難や防ぎようが今のところないようです。

 極端に暑かった夏、局地的ゲリラ豪雨に見舞われた夏も、やっと終わりに近づきましたが、はてさて私たちの住んでいる日本は、四季があって自然の美しい国といわれています。でもこうも災害が起こると、いつわが身に降りかかるかもしれない不安に、おののいて暮らさなければならず、首を傾げたくなるのです。
 「備えあれば憂いなし」というけれど、「天災は忘れた頃にやって来る」のです。二度も大きながけ崩れに遭って、大きな被害を経験したわが家ゆえに、竜巻の事故も人事とは思えないし、被害に遭った人の心情を垣間見るのです。ああ悲しきかな災害の国日本です。

  「降らぬのも 困るけれども 降り過ぎも これまた困る 自然身勝手」

  「昨日まで 一雨欲しいと 言っていた 今日はまた雨 空を見上げて」

  「竜巻は アメリカ大陸 そう思い 安気していた いやいや日本も」

  「電柱が 根こそぎ倒れ すさまじい 命あるだけ まだまだましと」

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人間牧場

〇今年の夏も終わりました

 今年はことのほか寒かった冬を超し、ことのほか暑かった夏を過ごしましたが、残暑は残っているもののやっとの思いで、汗疹を出しながら厳しかった夏も終わりました。朝夕鳴いていたヒグラシや、やけっぱちに鳴いていたセミの声も、台風15号が温帯低気圧になった雨にかき消され、今朝は静かな9月の朝を迎えています。
 暑いといいながら冷房の嫌いな私は結局、書斎の冷房を1回もかけずに夏を乗り切ったのですから凄いとしかいいようがありません。その分扇風機はフル回転で、寝る時まで扇風機のご厄介になりましたが、それも今となっては懐かしい思い出となりました。

 昨日妻と二人で松前町のエミフルへ買い物に行きました。田舎者の私は人出の多い場所は苦手なため、どうやらエミフルへは、今年になって始めてのようでした。ニトリとダイキの中間点に車を止め、小雨の降る中をお店に入り妻の買い物に付き合いましたが、目的はダイニングルームのデスク上のビニールシートを替えようという話になり、ニトリで小物と柱時計を含め2~3点買った後、ダイキで計り売りのビニールシートを買うことにしました。幾つかの花柄デザインの中から妻が気に入った物を選び、店員さんに2m50cm切ってもらいました。12時になったのでエミフル内の中華料理レストランで食事をしました。昨日は雨模様のためレストランも混雑気味で、少し待ち時間を余儀なくされましたが、私は黒ゴマ坦坦麺、妻はラーメンセットを注文し、汗をかきながら美味しく食べました。

ダイニングのビニールシートを替えました
ダイニングのビニールシートを替えました

 少し洋服や食料品の店で買い物をして、早々午後2時には帰宅しました。私はテレビを見ながら横になり少しウトウトしていましたが、妻は買って来たビニールシートを古いシートと取替えながら、ダイニング周辺の掃除をしていました。夕焼け村の講義が予定されていて、夕方出かけなければならないので、少し早めの夕食準備が出来たと妻が呼びに来てダイニングへ入りました。卓上のビニールシートを替えただけで室内の雰囲気は一変し、卓上に並べられた料理までがどこか違って見えました。
 料理に加え8月中ずっと食卓に並んでいるものに、私の大好物である赤いスイカがありました。妻が言うのにはスイカも昨晩の夕食で最後のようでした。ビールも飲まない私にせめてスイカぐらいはふんだんに食べて欲しいと、妻はせっせとスイカの産地である東峰へ通い、私のためにスイカを食べさせてくれたのです。ありがたいと思いながら、夏の終わりを感じました。

  「エミフルは どこか世界が 違ってる 田舎育ちの 私にゃ不向き」

  「ダイニング ビニールシートを 替えただけ どこかお洒落な 気分になりて」

  「冷房を かけずこの夏 乗り切った 扇風機様 ご苦労様で」

  「食べ収め スイカ来年 夏までは デザート何を 食べればいいか」

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人間牧場

〇今日から特別警報

 はるか南方海上で発生した熱帯低気圧はその後台風15号となり、沖縄先島諸島を迷走しながら北上を続けて本土をうかがっていましたが、日本海に伸びる秋雨前線と合流し、温帯低気圧なってしまいました。そのため日本海側を中心に各地で断続的に大雨が降り続き、各地に被害が出ているようです。
 今年の夏は「ゲリラ豪雨」という言葉が頻繁に使われるほど、1時間に100mmという今まで経験したこともない、バケツをひっくり返したような大雨が局地的に降りました。気象の専門家はその原因を様々な形で分析しているようですが、どうやら連日の猛暑で海水が温められ、例年より海水温が2~3度高くなって、南から湿った空気が流れ込んだことが原因のようだと結論付けているようです。

 このところ台風銀座といわれた九州南部や四国南部へは、台風が上陸しないのもそうした周辺気象条件が原因かも知れませんが、これまで自然災害に何度も遭遇した私たちの住んでいる地域が余り被害に遭わず、比較的少なかった地域に災害が起こっているのも一つの特徴のようです。
 昨日は先日大水害に見舞われた島根県江津市がテレビで紹介されていました。前回の大雨被害の片付け最中にまた、追い討ちをかけるように雨が降って、川に濁流が流れていました。今日から気象の注意報や警報に加え、特別警報というワンランクアップの新たな呼び名が加わるようです。特別警報が出ると何はさて置いて自分の身の安全を確保するため、直ちに避難をしなかればならないのです。

 日本は地震や津波、大雨といった自然災害の多い国です。3.11以来危険回避の仕方も、これまでどちらかというと弱者や地域ぐるみを優先していましたが、まずわが身を優先する方向に変わっているようです。だからといって弱者を切る捨てるのではない意識も待たねばなりません。
 最近近所づきあいが煩わしくて、地域の活動から外れる人が増えてきました。行政広報の配布も一斉清掃も、ましてや神社の村祭りも一切関係ないと拒否する姿は、役に就いて人の世話をすることを嫌がる「まず自分」の典型でしょうが、向こう三軒両隣の付き合いがなければまさかの時に困ってしまうのです。
 9月に入ると台風シーズンの到来です。甚大な被害が予想される気象現象に、最大級の警戒を呼びかける特別警報の出ないことを願っていますが、はてさてひょっとしたら、自分優先の世の中にこそ特別警報を出さねばならないのかも知れませんね。
 昨日は雨と強風の合間を見てナス畑の草引きをし、すっかり綺麗になりました。今日も雨のようです。

  「甚大な 被害対応 するために 特別警報 今日から運用」

  「これまでは 被害無縁の 地域にも ゲリラ豪雨は 容赦もなしに」

  「付き合いは 嫌だといって 村はずれ 災害時には どうするのだろう?」

  「世の中は 助け合いつつ 生きるもの それさえ出来ない どんな教育」

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人間牧場

〇親父の介護度は要介護1でした

 先日特別養護老人ホーム夕なぎ荘を通じて申し込んでいた、親父の介護保険の認定のため、市役所長寿介護課から職員さんがわが家へやって来ました。私も同席して介護保険担当の女性が、親父に面接する様子を傍で見ていました。生活機能のチェックは25項目にものぼり、耳の遠い親父の耳元で大きな声で質問していました。親父はその都度受け答えをしていたようですが、少し頓珍漢な応えもあるものの、緊張しているのか普通よりしっかりとしたようにも見えました。
 本人へのチェックが終わり、私にも親父の暮らしの様子について微細に聞かれました。親父は明日誕生日を迎え95歳になりますが、このところの親父に関する作業を通して、これまでどちらかというと自律・自立の道を歩んでくれていた親父の、本格的な介護が始まることを自覚させられました。

 介護保険担当の職員さんは帰られる時、月末ごろには要介護か要支援の認定結果を、文書で知らせるようになりますと言って帰られました。3日前予告どおり親父の名前で一通の認定結果通知書が届きました。親父の認定結果は要介護1でした。要支援2か要介護1を想定していたので、まあ相応な結果のようです。
 私は早速夕なぎ荘に出かけ、認定結果を基に居宅サービス計画書を作る作業を始めました。担当者と綿密な話をして、とりあえず水曜日と土曜日の週2回、デイサービスを受けることにしました。これまで頑なにデイサービスに行くのを拒んでいた親父も、身体に自信がなくなったのか老いを感じるのか、デイサービス受けることを承諾してくれました。
 在宅サービスを受けるには介護度に合わせて費用が必要で、介護度が高ければ介護の費用限度も高くなりますが、その分自己負担も高くなるようです。親父の場合入浴サービスや一食500円の給食サービスを受けると1回1200円程度の負担になるそうです。

 昨日は午後4時30分に夕なぎ荘で、諸々のサービスを受けるための契約をしました。本人に代わって第一介護者である私が署名捺印し全ての手続きを終えました。来週の水曜日からいよいよ親父の介護サービスが始まるのです。
 3日前、デイサービスに出かけることについて親父に話をしたところ、親父は何を勘違いしたのか、早速明くる日に出かける準備を始めたようで、妻に「明日は特老に行く」と話したようです。早速隠居へ行き「来週水曜日だ」と話しましたが、既に小さなバッグに下着等を入れて準備をしていたようです。親父は昨日私に、「散髪に行きたいので雨が降っているから乗せて行ってくれ」と頼みました。3丁目の小西理髪店に連れて行きましたが、デイサービスに行くため散髪をするとは・・・と、家族みんなで大笑いをしましたが、昔人間の親父にとってはディサービスに行くのも、小さな旅なのかも知れませんね。

  「要介護 1の認定 通知書が 届き始まる 親父の介護」

  「早々と ディの準備に 散髪も 笑う笑えぬ 老いの細々」

  「いよいよと 決意新たな 親姿 私もやがて 同じ運命」

  「今日孫の 明日は親父の 誕生日 目出度くもあり 目出度くもなし」

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人間牧場

〇私はいつの間にか養蜂農家に

 数日前一通の封書が伊予市役所から届きました。差出人は農業振興課のようでした。封を開けて見ると養蜂農家各位と書かれた宛先で、「蜜蜂の被害事例にに関する調査・報告について」と標記され、「消費・安全局農産安全管理課長より別紙のとおり通知がありました。別紙1の被害が出ましたら、伊予市農業振興課までご報告して下さい」と書かれていました。
 この文書を見て役所風だと思ったのは、まず宛先です。私は養蜂農家ではありません。養蜂農家とは多分蜜蜂を飼って蜂蜜を採集し、それを瓶詰め等に加工して販売する人たちのことを言うのでしょうが、私の場合は農家でもないし販売もしないのです。

 昨年同じような文章が舞い込み、法律が変わって蜂を飼っている人は市役所へ届け出るようになった旨の通知を受け、かつて役場に勤めていたこともあって分らぬまま、「10箱飼っている」という届出をしたため、私の名前が市役所のパソコンに打ち込まれているため、今回の通知になったものと思われますが、私の養蜂は趣味の域を越えてないため、愛蜂家と言った方が正しいのかも知れません。
 調査の対象とする蜜蜂の被害事例には、2つのことが書かれていました。一つは蜜蜂の大量死、もう一つは蜜蜂の減少でしたが、養蜂6年目の私には蜜蜂の行動を細かく観察できる能力もないので、はてさてどうしようかと迷っています。

 今回の通知文書には死虫、巣門、外勤蜂、内勤蜂などの専門用語が使われていて、漢字なのでおおよその意味は見当がつきますが、正式には分らないのです。巣門の前に死虫の山ができているような場合を、大量の死虫(2000匹以上)と捉えているようですが、数えれる訳でもないのでアバウトな捉え方しかできません。羽ばたきの異常や震えの見られる生虫も調査対象ですが、異常か正常か、震えなのか空気を送り込んでいるだけなのか、ましてや舌を突き出して死んでいる蜜蜂となると、これはもう専門領域のようです。
 巣箱には掃除を小まめにしないとスムシ(巣虫)という便所虫のような虫)が沢山増えて巣を食い荒らし、時には巣落ちして蜂蜜が採集できないほどになることがあります。巣虫と死虫も良く似た言葉で混乱しそうです。さてどうしよう。

  「役所から 一通文書 舞い込んで 私の肩書き 養蜂農家」

  「公文書 専門用語 多過ぎて おおよそ理解 おおよそ対応」

  「責任を 逃げるアリバイ 作るため 通知を出すが チンプンカンプン」

  「してもいい しなくてもいい 対応と 理解はするが 愛蜂ゆえに」 

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人間牧場

〇大分への講演小旅行(その2)

 「折角講演に行くのだったら、もっと講演先でのんびり過ごしたらどう」と妻に時々言われますが、生まれ持ったせっかちな性分は変えようがなく、この日の大分への講演小旅行も、自家用車やフェリー、列車、タクシーを乗り継いで講演会場へ行き、講演が終れば元来た道を慌しく引き返すという旅になってしまいました。それでも旅先までの往復路は、見慣れた光景とはいいながら、飛び飛びですが一つ一つに思い出があり、往時が懐かしく思い出されるのです。

佐賀関港の沖合いから見た夕焼け
佐賀関港の沖合いから見た夕焼け

 例えば佐田岬の突端に見える何度か訪ねたことのある灯台は、子どものころに見た「喜びも悲しみも幾歳月」という高峰秀子主演の映画や歌を思い出すし、灯台下の岸壁から漁船に乗って岬を海から眺めた時、同行した島根県旧吉田村の藤原洋さんが「海の流れる町」という表現をしたことを思い出し、また天気の良い日にはわが町からも一度は見たことのある、佐賀関のお化け煙突と称される佐賀関精錬所の煙突を見れば、親友渡邊又計さんや先日手書きのうちわを贈ってくれた、居酒屋の東布紀男さんを思い出すのです。

20基の風車が回る小焼けの佐田岬半島
20基の風車が回る小焼けの佐田岬半島

 私が若かった頃、愛媛県青年の船事業が行なわれていて、私はその指導者に選ばれ瀬戸内海を巡った後、大分鶴崎の臨海工業地帯を見たり山並みハイウェーを通って城島高原まで足を伸ばしました。今は高くて大きな火力発電所の煙突が建っている姿を、日豊本線を走る電車の車窓から懐かしく見ました。佐伯市旧本匠村の高橋美和さんや川野義和さん、旧清川村の渡辺久信さん、旧大山町の緒方英雄さん、河口さんなど大分の十指に余る人たちは元気だろうかと、会う機会の少なくなった懐かしい人々と過ごした交遊を思い出すのです。

 「そうだもう少し暇ができたら、そうした人々と地域を訪ね歩く旅に出てみよう」と、8年前リタイアした時思いました。ところがリタイアしたと同時に講演依頼が舞い込むようになり、現職時代をしのぐ忙しい日々が今日まで続き、私のささやかな願いは夢のまた夢になってしまっているのです。
 昨日佐賀の関を出航したフェリーの船上から綺麗な夕焼けを見ました。また三崎港に着く前、三崎半島の頂上に建つ20基の風車が、小焼けの空に美しく見えました。講演という目的もさることながら、この印象的な2つの光景を見ただけでも、いい旅だったと納得した旅でした。

  「旅先で 所用済ませて 引き返す 勿体ないと 妻は言うけど」

  「灯台を 見ても人々 思い出す 過ぎ越し日々は 懐かしきかな」

  「煙突の ある町生きる あの人は 元気だろうか 思いつ後に」

  「退職時 暇になったら 旅したい 思ったけれど それも叶わず」

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人間牧場

〇白菜の植え付け

 3日間降り続いた雨をたっぷり吸った家庭菜園は、全ての野菜がまるで生き返ったようになってきました。昨日は芋坪の中に入れる籾殻を買うため、長浜町出石の地元の人が野菜を売っているお店へ出かけました。一袋150円の一抱えもあるようなビニール袋に入った籾殻を5袋買いましたが、そのついでにオズメッセまで足を伸ばし、昨年この頃に買って植えたところ大豊作だった、白菜のセル苗を買いに行きました。そろそろ秋植えの苗物が出回る頃になりますが、わが家では親友の水口さんから毎年のように苗物をいただくので、白菜の苗だけにしました。

セル苗の白菜を植える
セル苗の白菜を植える

 セル苗とは一本一本ポットに植えている苗ではなく、セルという苗床に70本以上が植えられているもので、1セル千円でした。普通のポット植だと一本百円もするので、お徳用といったところです。お昼ころ自宅に帰り昼食と午睡を楽しんだ後畑に出て畝を立て、白菜のセル苗を一本一本丁寧に穴から抜くのですが、少し荒くするとたちまち根がバラバラになるので真剣にやりました。
 抜いた苗を畝一列20本程度定規を使って行儀よく植えましたが、昨日の午後は屋外気温が30度まで上がり大汗をかきました。

遅ればせながら今年初収穫したスイートコーン
遅ればせながら今年初収穫したスイートコーン

 植えた後水をたっぷりやって一夜が明けた今朝、菜園に様子を見に行きましたが、順調なようなので再び水をやり、少しだけ化成肥料を撒きました。わが家は特に葉物野菜については農薬を殆どやらないので、苗が活着したら牛糞等をたっぷりやって、美味しい白菜を思い切り食べたいと思っています。
 今朝は孫がどこかからか貰ってきた地這いキューリとスイートコーンを収穫しました。スイートコーンはもう時期が終っていますが、わが家では遅蒔きだったため今頃になってやっと収穫です。朝取りのスイートコーンの皮を剥きましたが、とてもいい具合の実入りでした。早速妻に茹でてもらい、家族全員で食べましたが、取れだち茹でだちのスイートコーンは、この上ない美味しさでした。

  「芋坪に 入れる籾殻 買い求め トラック積んで まるで百姓」

  「セル苗の 白菜丁寧 抜き取って 畑へそっと 植えて水やる」

  「孫貰い 受けたる種を 菜園に 蒔いたスイート コーン豊作」

  「美味しいと 家族みんなが 孫お礼 難儀したのは 私なんだが・・・」

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人間牧場

〇子どもからまちづくり取材を受ける

 最近はパソコンや携帯電話を使うデジタル人間が増え、このままだと紙に印刷されたようなものしか利用できないアナログ人間は、自然淘汰されるかも知れないと思うほどで、特にスマートフォンさえ持ち合わせていないし使えない、私のような古いタイプの人間は、どこか肩身の狭い思いがするのです。そんな時代背景もあって最近は人と出会って話をしていても、しょっちゅうポケットに入れた携帯電話の呼び出し音で中断され、対面よりも電話に集中する日本人の姿に、どこか違和感を覚えるのです。

 昨日は午前中高島屋で開催されている、松山五行歌会の展示会を見に行くため車を走らせていると、三秋峠を過ぎた頃、わがズボンのポケットに忍ばせている携帯電話が鳴りました。路側帯の広い所に車を止めましたが、上灘からそこまで走る短い時間内に、何と5件もの着信ですから、これはもう異常です。 5件目の処理を終えたところへもう一件、若い女性から電話が入りました。「双海町出身です。あなたのことは母から聞いています。松山に住んでいます。娘の夏休みの宿題で、子ども新聞の取材を小学生の娘がしています。人間牧場へ行きたいのですが今日は空いていますか」と要領よく話をしてくれました。「私はあいにく松山へ向かっていて留守です」と話すと、「松山のどこへ!!」「高島屋です」「高島屋で少しお時間を取ってくれませんか」「いいですよ。7階の展示会場で10時20分にお会いしましょう」と約束して再び車を走らせました。

高島屋のロビーで取材を受けた親子
高島屋のロビーで取材を受けた親子

 3階の駐車場に車を止めて7階会場へ到着して間もなく、女の子を連れたお母さんが現れました。「ここでは話せませんのでどこかロビーででも」と誘ったものの、年に一度か二度しか行かない高島屋のどこにロビーがあるのかさえも分らず、とりあえず高島屋内にある郵便局の窓口近くのロビーでお話をしました。女の子は少し大きめの手帳に質問事項を沢山書いて来ていたので、要領よく他のお客さんの迷惑にならぬよう少しトーンを低くして、30分ばかりお話をしました。最近は新聞も将来の活字離れに対応して、子どもに読めるような新聞作りに意を注いでいて、学校の授業でも子どもたちが取材に出、て学校新聞を書くようなことが多くなっているようです。

 今回は双海町のまちづくりをテーマの取材でした。どうしてまちづくりを始めようと思ったのか、どんなことに取り組んでどんな成果があったか、成功したり失敗したことは何か、何が問題点となっているか、将来はどうしたいかなどなど、まるで本物の新聞記者のように質問攻めに会いました。たまたま傍で私と子どもの話を聞いていた人、は愛媛大学農学部マネジメントコースの社会人学生として、5年前人間牧場へ来られことのある顔見知りの方で、私のデジカメで3人の写真まで撮影してもらい、懐かしく会話を交わしました。
 子どもに分りやすく話すことは容易なことではありませんが、幸い私は日常的に子ども体験塾などで子どもとかかわっているので、多分私の話は通じたものと思われます。名刺を渡し、「もし分らないことがあったら連絡をするように」と言ってお別れをしました。

  「子どもから まちづくり取材 受けながら 過ぎこし日々を 懐かし語る」

  「デパートの ロビーであれこれ 話する 横にいた人 私知り人」

  「失敗は なかったですか ドキリする 大人顔負け いいとこ突いて」

  「私でも 役に立つこと 少しある 今頃宿題 ねじり鉢巻」

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人間牧場

〇夏の花百日紅

 夏の花と言えばヒマワリや朝顔を連想しますが、その他にもダリアやグラジオラス、ペチュニア、ガーベラ、日日草など沢山の花が咲きます。道の駅シーサイド公園周辺には、私が現職のころ植えた芙蓉や酔芙蓉の花が、夏の終わりを告げるように咲き始め、道行く人の目を楽しませています。私は花を作るのも好きですが見るのも好きで、野山に咲く野生の花にも結構興味があって、道端に何げなく人知れず咲いている花を、愛おしく思いながら、時々デジカメで撮ったりして楽しんでいます。

白いサルスベリの花
白い百日紅の花

 蜂を飼うようになった最近は、今まで以上にに花に心を寄せるようになっていますが、盛夏猛暑のこの時期は蜜源となる花は少ないようで、蜂たちはどこから花の蜜を持ち帰るのだろうと、いつも不思議がりながら見ています。わが巣箱の蜂たちがどこから蜜を持ち帰るかは定かでありませんが、聞くところによると日本蜜蜂の行動範囲は、2キロくらい遠くまで出かけるようなので、なるほどと少し頷きました。私たち人間は周囲2キロを見渡しても花のありかを見つけることはできないのです。

赤い百日紅の花
赤い百日紅の花

 一昨日人間牧場へ行く道淵に、それは綺麗な紅白の百日紅の花を見つけました。百日紅と書くこの花木は、平仮名だとさるすべり、カタカナだとサルスベリ、つまり花木の木肌が人の肌のような茶色い色をしていて、サルがすべるようにツルツルしているからだと教わりました。木肌がまるで脱皮するように剥ける様子を見て納得するのです。最近は街路樹にも植えられ、長く伸びた徒長枝の先に咲く花は、まるで夏の夜の花火にも似ています。サルスベリはスス病にかかりやすく、まるで煙突から出る煙のススのような害虫が、防除をしないとやたら蔓延するのです。私の見たサルスベリはスス病にも冒されず、夏盛りの太陽の下綺麗な花を咲かせていました。多分人間牧場の巣箱に群れる蜜蜂たちも、この花の蜜も吸いにやって来ているのだろうと、愛おしく感じました。

  「紅白の 百日紅花 並び咲き 夏が盛りと 教えてくれる」

  「牧場の 蜜蜂たちも この花の 蜜源求め 飛んで来るのか」

  「夏の花 どの花見ても 艶やかで まるで花火に 負けないように」

  「花はいい 汗かきながら 道端の 百日紅の花 思わず見とれて」

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