人間牧場

〇教えられることは恥ではない

この歳になっても、未熟者の私には知らないことがあり過ぎて、色々な人に色々なことを教えてもらいながら日々を生きています。先日ある町の人が夕日をどのようにしてまちづくりをしたのか、聞きにやって来ました。その人は60歳ほどの人でしたが、自分の町も夕日が綺麗に沈むので何とか夕日によるまちづくりをしたいとのことでした。わが家の私設公民館や海の資料館海舟館、それに人間牧場をほぼ一日案内して、むしろ成功談より失敗談の方が多いまちづくりを大いに語りました。「こんなこと教えてもらったのは初めてです」と感謝して帰りましたが、その真摯な態度に頭が下がりました。人は得てして成功談を語りたがるものですが、失敗談から見えてくるものはいっぱいあります。ましてや教えてもらうことを恥のように感じる人もいますが、教えてもらうことは決して恥でなく、むしろ学ぶ心を持って頑張って欲しいと握手をして別れました。いつかどこかの町で夕日によるまちづくりが名乗りを上げるかもしれません。夕日はどこが先かは問題ではなくオンリーワンなのです。

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人間牧場

〇段々酷くなる野鳥の野菜食害

今日は寒い一日でした。それでもブロッコリーとキャベツ畑に野鳥が集団で現れ何とかしなければと、防虫ネットを被せてみたりしましたが、少し目を離すとせっかく張った防虫ネットの中まで入り込み手の付けようがないほど食い散らかすのです。妻が案山子を作ったらどうかと提案があり古着を利用して作り立てましたが、焼け石に水といったところです。何という鳥か詳しいことは分かりませんが,悔しくて防虫ネットの上から叩きましたが5~6羽は目を回していました。

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人間牧場

〇私立高校の受験

昨日と今日の2か日間、寒い中私立高校の受験日でした。わが孫も受験に臨んだようですが、私が中学3年の頃はまだまだ中学校を卒業すると田舎ゆえ、直ぐに実社会に出る人も沢山いました。集団就職列車に乗って都会を目指した人も家業を継ぐ人もいました。私は受かれば高校へ、落ちれば漁師を継ぐことになっていて、私立と県立を受けることなどしませんでした。親の願いは合格より落ちることを願っていました。幸運にも県立宇和島水産高校に合格し宇和島に遊学することになりました。懐かしい65年前の記憶です。

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人間牧場

〇少数与党の苦悩

パーティを巡る政治報告書に不記載が発覚したことに端を発した政治の混乱で選挙で自民党が大敗して議席を減らしました。その結果来年度の予算にも影響を及ぼし、少数与党となった自民党は重要なかなめである予算委員長の役職まで失い、勢いづた野党は数の理論で様々な修正案を突き付けて押し切ろうとしています。長年のおごりが招いた結果だけに仕方がありませんが、このままでは予算案が年度内に成立するか微妙な所のようです。関税で他国を手玉にとろうとしているトランプ大統領の行方も気になるところですが、グリーンランドに続いてパナマ運河を、さらにはガザ地区にまで影響を広げようとしてるアメリカは次々と国際機関からの脱退を表明し、私たち素人にも危うさを感じています。どうなる世界の秩序です。石破首相とトランプ大統領のトップ会談が近づきました。

 

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人間牧場

〇伊予路に春を呼ぶというが・・・・

伊予路に春を呼ぶという椿さんが今日から始まり、大勢の人が参拝に訪れている様子がテレビで放映されていました。しかし春を呼ぶという言葉とは裏腹に、立春を迎えたというのに、日本列島全体がまるで冷蔵庫に入ったようなこの冬一番の寒波に見舞われていて、北海道帯広では12時間で、120㎝もの積雪があったようで、町全体が雪に覆われていました。雪に慣れていない四国愛媛でも南予を中心に積雪が見られ、高速道路も伊予インターから宇和島までは通行止めになりました。4日前南予に出かけましたが、早かったため難を逃れました。今回の寒波はかなり長いのが特徴のようです。

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〇1万人いた人口が3,200人になりました

私たちの町の人口は昭和30年に町村合併促進法によって、灘町と下灘村が合併して双海町が誕生した頃は、1万人を越えていました。あれから70年があっという間に過ぎ去りましたが、東京オリンピックを境に人口が減り続け、おおよそ毎年年100人の人口が減った計算になります。東京さえも、増えたり減ったりする時代ですからこんな田舎の人口が増える訳がなく、3千人を割るのも時間の問題のようです。なぜ人が減るのか?、働く場所もなくガソリンスタンドもない不便な田舎ゆえ、便利さや快適さを求める時代に増えるはずがないと諦めていますが、私は人とは逆で、ここほど済むのにいい所はないとむしろこの町に魅力を感じて今を楽しみ、ある意味見せびらかして生きています。人口問題研究所が近い将来予測として、人口ゼロになる消滅市町村を発表していますが、私だけでも残るのでゼロのなることは絶対にないと意気込んでいます。

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〇志はどこから生まれてくるのであろうか

私は23歳の時85歳まで生きたいと思いました。そして生きている85歳までにやりたいことを生活設計表に書いて天井に張りました。26歳で2つ違いのK子さんと結婚し、4人の子どもを産み育てたいとも書いていました。しかも30歳になったらジョン万次郎に憧れ「アメリカへ行きたい」とまるで夢みたいなことを書いていました。80歳になった今過去を振り返ってみると、26歳の妻は1歳違いの繁子さんになりましたが、予定通り4人の子宝に恵まれ、30歳になった時、第10回青年の船に乗ってアメリカへ本当に行けたのですから不思議です。孔子の論語の中に「心から湧き出て来るものがなければ心は開かない。思わず何かを語ろうとしてももどかしい思いに駆られるようでは外に向かって何も出てこない」と自主的、自己探求心の志を生む出発点は自己啓発であると諭しています。80歳を前にして100歳まで生きたいと、軌道修正して公言していますが、味わい深い言葉です。(大笑い)

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〇暗闇を照らす港の灯台

わが家の庭に出てみると、周りが明るい間はその存在が分かりませんが、日暮れから夜明けまで上灘漁港の赤い点滅する灯台がよ~く見えます。海の上で生活した経験のない人には、中々その存在価値が分からないのですが、灯台は昼も夜も24時間、休むことなく点いたり消えたりを繰り返しています。どこの灯台も同じに見えますが、実は灯台によってすべて違うのです。例えば下灘の豊田漁港は点いている時間が3秒で消えている時間が5秒だったり、上灘漁港と違った輝きをしているのです。暗闇や霧の中でも海図を見るとどこの港の灯台であるかが識別できるようになっていて見間違えないような工夫が凝らされているのです。暗いほど存在感を増す灯台を目指して進む漁船を見る度に、漁師をしていた頃を思い出しては懐かしみますが、いつか私もこの灯台のようにな人に頼られる人間になりたいと思いましたが、夢を果たせずこの年齢になりました。

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〇拾った鳥の羽根

昨日わが家の庭を歩いているととんびが空高く飛んでいました。すると何やらヒラヒラと舞い落ちるのが見えました。何と言うことでしょう。それはトンビの羽根でした。拾い上げこれは幸運の印に違いないと勝手に思いました。家の中に入りインク壺に羽根元をつけて、古風にも書いてみました。残念ながら私の力では上手く書けませんでしたが、それでも味のある文字が書けました。

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〇ヤッホー切手シートが9枚も当たったよ

400枚の年賀状を出し、400枚状の年賀状が届いた今年のお正月でしたが、先日息子が郵便局からお年玉付き年賀はがきの当選番号を持って帰ってくれました。400枚以上の年賀状の中に一等30万円が当たるとあって、欲の皮の突っ張った妻は一枚一枚丁寧に調べていました。毎年のことゆえ私は「当たるはずがない」と調べもしませんでした。むしろ私はお金では買えない100枚に3枚しか当たらない切手シートが欲しくて毎年の切手シートを集めています。案の定切手シートが9枚当たっていました。早速郵便局へ引き換えに出かけました。局員さんがおめでとうございますといってくれました。115円と85円の2枚セットでした。早速当選番号の方にお礼のはがきを出しました。

 

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