人間牧場

〇どこか懐かしい四万十市への小さな旅(その2)

 PTA主催の講演会は、新築間もない素敵な中村小学校の2階で行なわれました。この部屋は冷房が効いていて、約80人ほどの参加者にピッタリの中会議室といったところです。午後7時から「逞しい子どもを育てるために」というテーマで90分間目いっぱいお話をさせてもらいました。四万十市といえば昨年日本で一番暑い温度を記録したことでも知られていますが、昨日は冷房のお蔭で快適で、寝る人もなく私の話に熱心に耳を傾けてくれました。

DSCN0528 講演会が終ると、かつて頻繁に行き来をしていた旧友の和田さん、篠田さん、乾校長さんが集まって、西土佐出身の人が経営している笑竹という居酒屋で私の歓迎会を開いてくれました。和田さんと乾さんは今年一杯で定年らしく、篠田さんは農林関係の課長として活躍されているようで、昔の懐かしい話から現在の近況、今後の身の振り方などを楽しく話しました。年齢的には一歩も二歩も先を行く私ですが、「これからの生き方がこれまでを決める」という逆転の発想についても体験を語りました。

 テーブルの上には今が旬の鮎の塩焼きや、四万十の天然ウナギの蒲焼、それにカツオのたたき、メジカ(ソウダガツオ)の味噌和えなど、美味しいものばかりでした。私は酒が呑めないので残念でしたが、呑むほどに酔うほどにボルテージは高くなるばかりでした。今回も日帰りの小さな旅だったので、10時30分にお暇して帰路に着きましたが、口屋内の民宿せん母に約束の鮎を貰いに立ち寄ったものの、11時を過ぎてもご主人は火振り漁から帰らず、遅くなるので後ろ髪を引かれる思いでお暇をしました。

 片道150キロ、往復300キロは日帰りにしては少し遠い距離です。松野~三間~大洲~長浜を経由し日付の変った今日の午前1時前に無事わが家へたどり着きました。和田さんとは西土佐村役場時代から手紙を交換したり、一緒に私の講演会に同行したりした親しい友人です。篠田さんは中村市で開かれ結婚披露宴の司会をしたご縁で今も時々お米をいただくなど交遊が続いています。乾さんは若いころ派遣社会教育主事として3年間派遣された折知り合い社会教育で今もご縁をつないでいます。3人三様懐かしく、かけがえのない人たちです。

 また行き帰り立ち寄った民宿せん舟の3人も私にとっては若いころ結婚披露宴の司会をするなど思い出に残る人たちです。11月には幡多農業高校へ講演に出かける予定が組まれていて、民宿の美空ちゃんの通っている高校だけに今から楽しみです。昨日は講演会でアドリブながら木になるカバンの忍ばせているハーモニカを取り出し、ペギー葉山のかつての大ヒット曲「南国土佐を後にして」という歌謡曲を、下手糞ながら臆目もなく披露してし、大きな大きな拍手をいただきました。これも忘れられない小さな四万十の旅の思い出です。皆さんありがとうございました。

  「若いころ ご縁いただき 今もなお 忘れることなく お座敷お声」

  「結婚の 披露宴では 高知まで わざわざ出かけ 司会数組」

  「県民歌 南国土佐を 後にして 下手糞ながら ハーモニカ吹く」

  「四万十は どこか懐かし 味がする 狭いカーブを 思い出しつつ」 

 

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〇いただいた一幅の掛け軸(その2)

 先日年輪塾の塾頭を務める親友の清水和繁さんがわが家に見えられました。先日行なわれた年輪塾の修学旅行で、中江藤樹のふるさと近江小川村を訪ねた時、同行してもらった大洲藤樹会の辻喜千治会長さんが自ら画いて6年前、中江彰先生に差し上げていた一幅の掛け軸を、辻会長さんも了解され、年輪塾にいただいて帰ったと報告を受け、塾長である私が受け取ることにしました。

清水塾頭が持ち帰った一幅の掛け軸
清水塾頭が持ち帰った一幅の掛け軸

 私はこれまで生きた70年間に、自分の生き方を決める様々な場面に出くわし、それらを手に入れてきました。小学校2年生の時下灘小学校の校庭にあった二宮金次郎像の上に上がって、時の校長に叱られたことがきっかけで、金次郎の読んでいる本が中国の古書大学であることを後に知りましたが、大阪梅田の古本屋で大学という古本を手に入れ、年輪塾では尊徳翁夜話を学び、金次郎の七代目の子孫中桐万里子さんにも出会うことができました。また私の金次郎狂いを見て、愛媛大学名誉教授の讃岐先生から二宮金次郎のブロンズ像まで頂きました。

 昨年末、大洲藤樹会の辻会長さん直筆の「五事を正す」という桐板に書いた掲額をいただき、今回は藤樹に縁の深い「孝経」の一節を書いた掛け軸までいただいて、この上ない喜びでした。無知文盲に等しい私が曲がりなりにも人の道を外さず生きてこれたのは、こううした多くの人を巻き込んだ人間ドラマだったような気がするのです。辻会長さんの書かれた掛け軸は中江藤樹の坐像絵まで添えられ、孝経の一説が分り易く書かれています。

 「仲尼閒居したもう。曾子侍坐せり。子曰く参先王至徳要道有って、以いて天下を順にす。民は用いて和睦す。上下怨みみ無し。女之を知るや。曾子席を避けて曰く、参敏からず。何ぞ以て之を知るに足らん。子曰く、それは孝は徳の本なり。教えの由って生する所なり。復り坐れ。吾女に語げん。身体髪膚は之を父母に受けたり。敢えてそこない傷らざるは孝の始めなり。身を立て道を行い名を後世に揚げて、以って父母を顕すは孝の終わりなり。それ孝は親に事えるに始め、君に事えまつるに中ごろし、身を立つに終る。大雅に云く。璽の祖を念うこと無からんや。厥の徳を聿べ修む。」

 これから少しずつ学習に励み、詳しい孝経の教えをしっかりと学習し、人に語れるようにしなければなりません。今回私は在宅介護をしていた親父の介護のため、そして死期が近づく予測の中、断腸の思いで予定していた修学旅行を断念しました。結果的にはその判断が正しかったようで、修学旅行中に親父は亡くなり、死に目にも会うことができました。満足の行く孝行はできませんでしたが、孝行とは何かを考えるいいきっかけとなりました。清水さん、辻さん、中江さんの深いご配慮に感謝します。

  「塾頭が 一幅掛け軸 持参して 孝行談義 花を咲かせる」

  「大学や 金次郎像 掲額に 掛け軸増えて 嬉しい限り」

  「世の中にゃ 徳高き人 多くいて 浅学この身 恥ずかしきかな」

  「また一つ 石段の上 見つけたり 歳を重ねて 身の程知らず」

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〇友遠方より来るあり(その1)

 昨日から早くも8月です。親父の死亡や葬儀のゴタゴタで、今年の7月は忙しくてほろ苦い忘れることのできない一ヶ月となりました。親をあの世に見送るということが、長男たる私にとっていかに大変なことかということを、身を持って体験しました。天井目標となるべき親父の享年98歳までには、まだまだと思える27年もありますが、親父の最後を見届けながら自分自身のこれまでの生き方とこれからの生き方を、自分自身に問いかける日々が今も続いています。

手土産にいただいたポケットサイズの小さな本
手土産にいただいたポケットサイズの小さな本

 そんな矢先の数日前、年輪塾の塾頭である清水さんがわが家へやって来ました。主な用件は先日私が参加できなかった、滋賀県への年輪塾修学旅行の報告でしたが、親父の祭壇に線香を手向けてもらった流れで、祭壇の置かれた部屋で座卓を囲み、2時間ばかり色々な話をさせてもらいました。清水さんと知り合った日はもうかなり年月が経っているのではっきり覚えてはいませんが、彼がJAえひめからえひめ地域政策研究センターへ研究員として出向してからお付き合いは始まりました。当時私はえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を務めていたので折に触れ交流交遊し、彼が5年間の任務を終え出向元へ帰った後も、また私が代表運営委員を辞してからも私的な関係は続き、年輪塾の塾頭をお願いしていることもあって、私の最も親しい親友として公私にわたり付き合っています。

 清水さんは一旦役職定年を迎えた後も再任用で古巣に止まっていましたが、今年の春に全ての職を辞し私と同じ自由人となって、今は一応失業扱いでハローワークに顔を出しています。これからの人生をどう生きるか模索していて、自由人の先輩である私の生き方にも興味を示しているようでした。親父が亡くなった私と職を失った彼とでは随分立場や内容は違いますが、それでも「これからの人生をいかに生きるか」という点では一致していて、お互いが熱を帯びた話を気がつけば2時間もしてしまいました。

 清水さんは博学で、年輪塾の塾頭として存分の働きをしてくれています。特に二宮金次郎の学習の折は、名高い尊徳翁夜話233話を毎週彼が開設しているあらしやまネットで塾生にデジタル配信し、個人学習や集合学習の道筋をつけてくれました。私塾年輪塾がここまでしっかりと運営ができているのは、塾頭の清水さんと小番頭松本さん、それに筆頭塾生浜田さんの力に負うところが大きいのです。清水さんは私のところへ、中江彰さんの出版物と共に一幅の掛け軸を持参してくれました。

  「友が来る 祭壇飾る 居間座り 二時間ばかり あれやこれやと」

  「二人して これから人生 どう生きる 考えながら 意見述べ合う」

  「人により 生かされ生きる ゆえなりて 友の存在 有難きかな」

  「手土産に 小さな本を 二・三冊 勉強足りぬ 私励ます」

 

 

 

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〇庭木の剪定

 親父が亡くなって3週間が過ぎました。毎日在宅介護して親父を中心にした暮らしをしていた私たち夫婦は、内心ホッとした感じもしていますが、どこか空しさもあって、昨日は親父の隠居にある冷蔵庫に、念仏に来てくれる親族に呑んでもらうためのビールを冷やしていましたが、念仏が終ってビールを取りに行った誰かが、親父の台所の電灯を点けたまま消し忘れていて、そのことに気がついた私が寝る前に消しに行きましたが、まるで親父が生きていた時のような錯覚をしてしまいました。

半日かけてたった一本の松の木の剪定
半日かけてたった一本の松の木の剪定

 親父といえば夏のこの時期になると、庭に自分が植えた庭木の剪定をしている姿を思い出しますが、今年からはその役目が私にバトンタッチされました。葬儀や仏事のゴタゴタで、庭木の手入れなど手につきませんが、そろそろやらねばと昨日、蜂蜜の採蜜作業が一段落したので、見よう見真似で松の木の剪定に取り掛かりました。雑木はどこを切ってもどこからでも芽を吹きますが、松の木はそういう訳には行かず、業者さんに頼もうかとも思いましたが、自分でできることは自分でしようと、思い切って一番大きな松の木に脚立を当て、腕抜きや軍手をはめて剪定を始めました。

 松の木はその手入れに手間がかかって厄介だし、松くい虫の心配もしなければならないので、殆どの家の庭から松が姿を消しつつあるようですが、常緑の風格は松の木に敵う庭木は見当たりません。昨日の日中は35度近くまで温度が上がる猛暑で、炎天下の作業は大汗をかいてしまいましたが、何とか半日で下手糞ながら1本の松の剪定を終えることができました。上手くできたかどうかは今後の芽吹きを見ないと分りませんが、まあそれなりといった感じでした。今日は高さ5mもある大物のクロガネモチの木に挑戦です。くれぐれも怪我のないよう、親父の意志を継いで行こうと思っています。

  「親父死に 庭木の手入れ 委ねられ 親父の苦労 今更ながら」

  「松の木は 何と手間暇 かかるのか 半日かけて たった一本」

  「脚立たて 登って剪定 する姿 妻が言うには 親父そっくり」

  「熱中症 ならぬようにと 水を飲み 炎天大汗 かきつつ剪定」

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〇スイカのハーロウィン

 昨年に引き続き私は家庭菜園でスイカ作りに挑戦しました。植えつけて間もない頃、やまぜと呼ばれている南西の突風にあおられ、無残な姿になりましたが、それでもその後順調に回復して、小玉スイカの実を20個余りつけてくれました。実をつけてから25日~30日が食べごろと、知人に教えてもらっていたので、7月25日に2個収獲して包丁を入れましたが、スイカは完熟していて、冷蔵庫で冷やして食べてみましたが、味も食感も抜群で大満足の手合いです。

孫にプレゼントした未熟のスイカ
孫にプレゼントした未熟のスイカ

 

ローソクに火をつけると効果抜群
ローソクに火をつけると効果抜群

私はスイカが大好きなので、夏になると東峰の赤尾さん宅へ妻は何度かスイカを仕入れに行き、食べさせてくれていますが、昨年からは私の作ったスイカも家族みんなが喜んで食べてくれています。草が生えないよう敷き藁をしたり、ハクビシンやカラスに狙われないよう、周りに網を張ったりしなければならない難儀な作業もありますが、来年はもっと大事に育てたいと、リベンジを誓っています。今年はテレビで見て試験的にやってみた、スイカ畑に地下足袋を吊るしたお蔭でしょうか、今のところ有害鳥獣の被害にも遭っていません。

 スイカ畑でこぶし大ほどの未完熟スイカを見つけました。孫希心にプレゼントしてやると大喜びで、早速お母さんとハーロウィンに挑戦したようで、一昨日の夜妻と二人でお披露目に招待されました。部屋の灯りが消されスイカのくり抜きに突き刺した、ローソクに火がつけられると、まあ凄くロマンチックな雰囲気になり、孫たちも大喜びの手合いでした。特に口の部分のギザギザからこぼれる光がダイニングテーブルの白い部分に写る姿は大成功でした。田舎ゆえできる楽しい遊びの空間でした。

  「今年も スイカ作りに 挑戦し 難儀はしたが それなり成果」

  「鳥獣の 被害も遭わず 食べごろの スイカ毎日 美味い美味いと」

  「畑から 未熟のスイカ 取って来て 孫に渡すと ハーロウィン作る」

  「ダイニング 電気を消して 灯り付け 怪し雰囲気 みんな喜ぶ」

 

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〇今日は健康診断の日

 今日は3ヵ月に1回の健康診断の日です。朝から食事をせずに家を出て、午前8時に県立中央病院へ到着しました。今は夏休み中なので、道も病院も余り混むこともなくスムーズです。自動受け機での機械受付と、外来受付を済ませて順番を待っています。いつものことながら予約時間は8時30分なのに、時間になっても診察の気配はなく、結局診察が始まったのは9時近くでした。

 ロビー待合室では入院経験を何度も繰り返した、病気に詳しい人が沢山いて、話が弾んでいました。聞くでもなく耳に入るそうした会話を聞きながら、私は手持ち無沙汰なので、近頃はタブレット端末を持参して、こうして思いつくままを文字にして遊んでいます。お蔭でイライラしながら診察時間を待つこともなく時が過ぎるのです。「若松さん。中へお入り下さい」と呼び込まれ診察が始まりました。消火器専門の主治医の先生と雑談を交わしながら、機械で測った血圧の結果を見ながら、ベッドに横たわるよう指示され、手で腹部を診察してもらいました。今日は血液検査もなかったので問診程度で、次の10月30日にエコー検査をする予約を取り、次の診察に向いました。

 2年前健康診断エコー検査で前立腺が少し肥大しているとの指摘を受け、以来尿検査と薬の服用、それに健康診断を受けていますが、今のところは問題もなく今日の全ての診察を終りました。病院は病気を治すところであると同時に、病気を見つけたりしてくれますが、正直なところ余り行きたくない場所でもあります。今日のように何の異常も見つからなければルンルンでしょうが、見つかったらどうしよう、悪くなっていたらどうしよう等と、気を揉むのは余りいい気分ではありません。とりあえず次の10月30日までの保証期間はあるようなので、健康増進に気をつけたいと思っています。

  「早来たか 三月1度の 診察日 行きたくないけど 予約までして」

  「どうですか 体調聞かれ 元気です 私を見ずに 医者はパソコン」

  「病院の ロビーで患者 博学な 病気の話 医者より上手い」

  「とりあえず 賞味期限は 三ヶ月 それまで元気で いれるかどうか」

 

 

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〇わが家の玄関はまるで虫ワールド

 小学校二年生の希心と保育所年長の奏心の、腕白盛りの男の孫二人がいるわが家では、春頃から玄関先はまるで虫ワールドのようです。チョウチョのさなぎが終ればオタマジャクシとイモリが登場し、続いて最近はセミやカブト虫、クワガタ等を入れた虫篭がやたら所狭しと並び、時折やって来る孫の友だちを交えて、朝から晩まで何かと賑やかです。

息子が持ち帰ったイベントの看板
息子が持ち帰ったイベントの看板
わが家の玄関先はまるで虫ワールド
わが家の玄関先はまるで虫ワールド

 最近はそれに輪をかけて同居している長男息子が、中山町出身の松山に住む友人と二人で、クワガタランドなる大人の遊びとしては世にも珍しい、地域づくり活動を始めたものですから、孫がもう一人増えたような錯覚にとらわれています。昨日の夜は伊予市で100円ショップの小さなイベントがあったようですが、息子たちは100円でクワガタ・カブト虫釣りなるものを考えて出店し、子どもたちの関心を集めたようでした。

 孫たちもお母さんに連れられて出かけたようで、小クワガタの雄雌2匹をゲットしたと意気揚々と帰って来て、私に自慢話を聞かせてくれました。息子もイベント大好きな私に似ていて、伊予市の商店街を中心にした地域づくりに関わって、ささやかながら楽しくやっているようです。孫もまたおじいちゃんである私と、お父さんである息子の姿を一緒に参加してみながら育っているので、多分同じような道を辿ることでしょう。

 うろ覚えながら子どものころ、バカボンという漫画で主人公が、「これでいいのだバカボンボン」と歌っていたようですが、親子孫3代、本当に氏名の若松ではなくおそまつ君の手合いです。でもこんな素朴な幸せの中で生きれることも幸せなのかも知れないと時々思うのです。わが家の玄関では早くも来年に向けて、カブト虫やクワガタの卵を孵す作業が始まっているようです。

  「遺伝かも? 親が親なら 子も子だと 納得しつつ 玄関先見る」

  「その昔 漫画で読んだ ことがある これでいいのだ 首をかしげる?」

  「息子夢 クワガタランド 作ること 仲間と共に せっせせっせと」

  「夏夜店 クワガタ釣りで 子ら夢中 自分で釣った クワガタ自慢」 

 

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〇ビールもどき

 私は三度の飯より好きだったビールを15年前、胆のう摘出手術をしたのを機会にきっぱり止めました。今でも友人が美味しそうに呑んでる姿や、真夏大汗をかいた後などは正直言えば呑みたい気持ちはありますが、そこは意志の強い私ゆえ一度決めたことは何が何でも意地を通しています。最近わが家で親父が亡くなり、葬式や仏事が続いていますが、妻が車を運転する人のために、ノンアルコールのビールを沢山買って来て、冷蔵庫に常時冷やしているのです。

ビールもどきのノンアルコールビール
ビールもどきのノンアルコールビール

 仏事の後の食事会になると「亭主三杯客一杯」という言葉どおり、私もノンアルコールのビールをコップ一杯嗜む程度呑んでいます。これまでにも年輪塾の会合やまちづくりの呑み会等では酒を呑まない私のために、松本さんや浜田さんが気配りをしてくれ、ノンアルコールのビールを呑んでいましたが、家で呑むことは殆どなかったので、ちょっとした寝酒風です。ところがこのビールもどきのノンアルコールビールは、泡もホップの味も本物のビールと殆ど変らず、酔った雰囲気になるのですから不思議です。

 どんな製法で作られているのか知る由もありませんが、酒を止めた私にもし本物のビールとノンアルコールのビールで目隠しテストをされても、舌や喉が昔のビールの味を忘れていて、私は見破ることさえできなくなってしまっているのです。
 昔は「酒を呑まないでまちづくりを語ることはできない」と言っていた私も今は、「酒を呑まなければ語れないようなまちづくりは本物ではない」などとうそぶいているのですから、そのいい加減さに呆れています。でも酒を止めただけのせいではありませんが、13kgも体重が減りながら、今もどうにか元気で過ごせているのは、酒を止めたからだと、自分を納得させています。

  「アルコール ゼロのビールが 登場し 昔のように ビール呑む真似」

  「ゼロだけど 酔った気分に なりにけり 車運転 少し心配」

  「近頃は 酒を呑まない こと知って 友人ゼロの ビール気配り」

  「呑まないと 決めて早くも 十五年 強い意志力 妻だけ誉める」

 

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〇花火大会の是非

 何といっても有名なのは東京隅田川の花火ですが、夏といえば花火と形容されるほど、全国各地で花火大会がこれでもかというほど行なわれています。特に今年は平成の大合併があって新しい街が誕生してから10周年を迎えたこともあり、花火大会に「合併10周年」という冠名をつけているところも少なくないようです。

墨田の花火 先日ある町の議会で「合併10周年花火大会」に1千万円の予算が計上され、賛否両論のホットな議論があったようです。この財政難の折、1千万円のお金が一夜のうちに消えてなくなるのですから、「はいそうですかと」と認める訳にいかないと難癖をつけた議員の質問はもっともな素朴な疑問です。また「合併十周年を機に町民が一致団結して未来を目指す足がかりにしたい」という町長さんの答弁もそれなりに納得するのですが、この議論は意外な方向に向かいました。

 再質問した議員は、「この花火大会が中央でやられることに問題がある。活性化のためにやるのだったら合併で支所化した旧町村でもやるべきだ」と我田引水を始めたのです。向こう意気荒い議員の質問に、来年は是非予算を組んであなたの出身地でもやりましょう」となだめようとしました。それを聞いた別の地区の議員が「それだったら私の地区でも」と相乗りし、結局合併した旧町村5地区で5年間に5千万円の花火大会の予算をつけることになってしまいました。

 5年間で5千万円といえば1億円の半分とはいえ大きな予算です。5千万円あれば活性化のためにもっと別のことを考えられるのに、こんなお粗末なやり取りしかできない理事者や議会が日本の各地に今なお存在しているのです。議会って一体どういう役割を持っているのでしょう。選挙で選ばれたといいながら「わしは議員だ文句があるか」と言わんばかりに、僅かな日数で高い報酬を受け取り、胸にバッジをつけ誇らしげな姿はどこか滑稽にも見えます。地方自治とは一体何なのでしょうか?。私には分りません。

  「一千万 合併記念 予算付く たった一夜で 口開け消える」

  「中央で やるのだったら おらの地区 我田引水 ドブ板議員」

  「来年は あなたの地区で やりましょう 町長約束 お粗末話」

  「合併は 見栄無駄省く ためにした これじゃあ賛成 浮かばれません」

 

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〇五行歌7月の歌

 私の所属している松山五行歌会から7月歌会の結果が送られてきました。私の今月の歌は次のとおりです。
  朝顔の花
  ヘチマの花
  ゴーヤの花
  窓辺に涼しく
  グリーンカーテン

 次のような講評が添えられていました。 
 ☆「近所にもこの歌のとおりの緑のカーテンがあるんだよ。」「色々あったら涼しいだろうなあ。」「お世話するのが楽しいです。」ゴーヤは今や人気の食材ですが、ヘチマも食用になるんだよ・・・・というトリピアも飛び出して楽しい作品でした。

 今月の出席歌一席は高市範子さんの次の歌でした。
  雨もいいなあ
  南堀端の街灯は
  ぼんやりと
  市内電車は
  交差点をゆっくりと

 今月の欠席歌一席は和子さんの次の歌でした。
  何をしても
  楽しい頃
  何をしても
  身に付く頃
  今、何をしても疲れる

  「今月も 私の歌は 駄作なり 人の歌見て いつも納得」

  「いいんです オンリーワンを 自認して 次の月にも 駄作を送る」

  「友人に 入らないかと 勧められ 入ったけれど その人脱会」

  「歌会に 一度も出席 せず経過 進歩するには それしかないかも」
 

 

 

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