人間牧場

〇四国も遅ればせながら梅雨明けです

 今年は夏の太平洋高気圧の張り出し勢力が弱く、また7月としては珍しい3つの台風の影響で、四国より北や東の関東や甲信越、近畿に加え中国地方まで梅雨明けしたというのに、四国や北九州が置いてけぼりのようでしたが、昨日やっと四国地方が梅雨明けした模様だと、気象庁より発表がありました。前々日が暦の上の大暑だったし、昨日は土用丑の日という願ってもない日と重なったため、喜びも一入だったようです。

夕日に照らされた自画像
夕日に照らされた自画像
昨日の綺麗な夕日
昨日の綺麗な夕日

 梅雨が明けると待っているのは農作業です。雨が降ることを理由に農作業を休んでいたし、今年は在宅介護していた親父が7月11日に死亡し、家の中が今でもゴタゴタしているため、それどころではなかったため、作業が大幅に遅れてしまいました。今年に限っては仕方のないことと諦めるしかないようですが、それでも最低限のことをしないと来年につなげれないし、美観を損ねて周りに迷惑をかけるので、重い心を奮い立たせ、昨日は家庭菜園横の斜面の草を刈り大汗をかきました。

 今日はその片づけをしなければなりませんが、願うことなら長男息子に手助けの応援を求めたいと思っています。わが家の家庭菜園に隣接した人の畑も、持ち主の人が高齢で体調が思わしくないらしく、放任園化し始めました。他人の畑なので勝手に草を刈ることはできませんが、草刈機のバーが届く範囲で草を刈ってあげているものの、これもいつまで続くか限界のようです。
 昨日は梅雨明けを喜ぶように、前日の夕日夕焼けよりさらに綺麗な夕日夕焼けが見えました。台風から熱帯低気圧になり、再び息を吹き返して台風になった台風12号の行方も気になりますが、そろそろ体力全開で暑い夏に挑戦です。気力と体力が落ちているゆえみんなから「無理をしないよう」に言われていますが、誰も助けてくれないので・・・・。

  「待っていた 梅雨明け宣言 丑の日と 重なりウナギ 精つけ食べる」

  「梅雨加え 家のゴタゴタ 重なって 作業が遅れ 気ばかり焦る」

  「菜園の 横の畑の 持ち主も ついにダウンし 放任園化」

  「無理しない ようにと気休め 言うけれど 誰も口だけ 助けてくれぬ」

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〇梅雨の晴れ間の夕日夕焼け

 周りの地方では梅雨が明けて、連日35度を越す猛暑日が続いているというのに、四国愛媛双海では、梅雨末期の雨が毎日のように降り続いて、昨日暦の上では一番暑い大暑を迎えても、お天道様の顔を見ることができません。それでも梅雨明け間近かを感じさせるように、昨日は雲を押し上げるようにして夕日が顔を覗かせ、夕焼けがとても綺麗に見えました。夕日夕焼けに照らされた周りの景色を見ようと裏山に登り、西の方向を見ると、青島の弁天崎付近に雲の切れ目から、まるでスポットライトのように、夕日が照ら

梅雨雲を押し上げた西の空
梅雨雲を押し上げた西の空
残照
残照

していました。

 デジタルカメラが壊れたつい最近までは、タブレットを使って夕日夕焼けの写真を撮っていましたが、次男息子が不自由だろうからと余り高くないNIKONのデジカメを買ってくれたので、今はもっぱらこのカメラがお似合いとばかりに持ち歩いています。長男息子が音頭を取って今年の父の日にプレゼントしてくれた、少し高めのNIKON一眼レフカメラは、殆ど使うこともなくケースに入れたまま、書棚に置かれていますが、時ならぬ親父の騒動で使い始める時機を逸してしまい、長男息子から「いつ使うのか?」とブーイングが起こっています。

 facebookなどにアップされる友人たちの写真を見て、その素晴らしさはカメラがいいからだと勝手に思い込んでいましたが、どうやら「弘法筆を選ばず」だったようで、私の写真技術の不味さは腕前だったことを、今頃になって痛感しているところです。
 「秋の夕焼け鎌を研げ」「夏の夕焼け川向こう渡るな」という諺があります。秋の夕日は明くる日天気、夏は夕焼けでも急に雨が降って川の水が増水するので、川を渡らない方がいいとの例えですが、昨日の夕日夕焼けは夏ながら、ひょっとしたら梅雨明けの前兆かも知れないと、今朝の久しぶりの青空を見て思いました。

  「梅雨雲を 押し上げ夕日 夕焼けが 見えてすっきり 気分が晴れる」

  「デジカメで 夕日夕焼け 写真撮る 腕の悪さを 自分納得」

  「古老から 聞いた諺 思い出す 夏の夕焼け 川向こう渡るな」

  「梅雨明けの 前兆のよう 昨夕の 夕日夕焼け 綺麗だったな」

 

 

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〇金縛りの大声

 昨日の夜11時30分ごろ、私は寝ていた布団の中で、家の中に響くほどの大声を発したようです。遅い帰宅で食事を終え二階で寝ようとしていた息子もその大声に驚き、二階から降りて来ました。勿論一緒に寝ていた妻も飛び起きて、「どうしたの?、大丈夫?」と心配顔でした。夢の記憶を辿りましたがあいまいで、殆ど思い出ませんでした。でも声を出そうと必死にもがくのに、声が出ない場面だけははっきりと覚えていました。

 これを金縛りというのでしょうか。妻も息子も親父が死んでまだ10日ほどしか経っていないので、「夫や親父にもしものことがあったら!!」と気が動転して心配してくれたのはもっともなことです。最近人に出会う度に親父へのお悔みの言葉をいただきますが、その折私や妻の心労に対しても気遣いの言葉をかけてもらいます。私に限ってはタフで疲れ等ないと思って鷹を食っていましたが、やはり親父の死亡前後や葬式の騒動が目に見えぬ形で身体に染み付いているようです。

 さりとて49日の法要が済むまでは気を抜くこともできないので、少し体調に気をつけて過ごさねばと、妻と二人で話しました。このモヤモヤした気分に輪をかけているのが、梅雨末期のジメジメした天気です。近頃は毎日のように、昨日も一日中朝から晩まで雨が降って気分がすぐれません。日ごろは寝つきのいい私ですが、最近は寝つきが悪く寝汗をかいたり、時には昨日のような嫌な夢を見ることだってあるようです。昨日の夜の金縛りを教訓に少しリラックスしようと思っていますが・・・・。

  「金縛り 家中聞こえる 大声を 出して家族が みんな驚く」

  「親父の死 身体に相当 堪えてる これじゃいかんと 思いながらも」

  「明けぬ梅雨 モヤモヤさらに 輪をかけて 気持ちが滅入る 今日も雨降る」

  「人に会う 葬式参列 お礼言う 堪えんようにと ねぎらい言葉」

 

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〇親父の戒名

 親父は96歳でこの世を去り、あの世へ旅立ちました。若い頃は小学校しか出ていませんが教師に色々教わり世の中にデビューしました。その後は自らが漁師として働いて生計を立て、老いた後は診療所の先生である医師のお世話になりました。そして死と同時に導師であるお坊さんの導きを受けたのですから、教師、漁師、医師、導師と、師の付く自分を含めた多くの人にかかわりを持ち続けた人生でした。

DSCN0422 亡くなると、お坊さんが戒名をつけてくれます。その折院号か居士か聞かれますが、わが家は代々貧乏だし、歴史に名を残すような社会的地位もないので、戒名代はさておき母親が大姉だったため、一も二もなく居士を選びました。和尚さんは引導を渡すとき、その人の一生を思い出しながら、引導の言葉を述べますが、その総合的な結論を戒名にするのだそうです。

 親父の戒名は「大網栄進居士」です。葬儀の明くる日のお寺参りで、戒名について和尚さんの薀蓄を聞きましたが、「大網栄進居士」という戒名はさすがにいい戒名だと感心させられました。親父は13歳で船頭をしてから70歳を越えるまで、60年近くも漁師をしました。貧乏だったため筆舌に尽くし難い辛酸をなめましたが、往時は腕の良い鯛網漁師として、下灘漁協の年間水揚げ高1~2を争う活躍ぶりでした。

 また5t15馬力の小さな船で県外出漁し、伊豆の下田を基地に遠くは伊豆諸島の三宅島まで出かけているのですから、尋常とは思えない根性の持ち主だったようです。親父の名前は「進」です。戒名に名前の一字を入れてもらったことも大満足です。現段階では親父の生き方を越えていないし、今後も見込めないことから私も、何年か後にあの世に行く時の戒名は、多分親父と同列の居士になる予定だし、そうして欲しいと息子に頼んでおきたいと思っています。「大網栄進居士」という位牌を前に、今朝も線香を手向けて手を合わせました。

  「戒名を 如何しますか 問われたが 母と一緒の 居士に落ち着く」

  「和尚さんに 見てきたような 戒名を つけてもらって 私満足」

  「大網で 鯛を沢山 漁獲した 親父栄進 位牌刻まれ」

  「私にも つけるとしたら 居士似合う 歴史に刻む 功績もなく」 

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〇やっとグリーンカーテンらしくなりました

 書斎の窓に朝日が差し込むので、ブラインドを下ろしたり上げたりして遮光していますが、息子の発案で「グリーンカーテンをしたらどうか」ということになり、大きな植木鉢2個とプランター2個を使ってヘチマ、朝顔、夕顔の苗を約1ヶ月前に数本植えました。その後伸び始めたツルを巻きつかせるため、山から竹を切って来て垣根を作り、そこへ園芸用の網を張りました。

目論見どおりグリーンカーテンになりつつあります
目論見どおりグリーンカーテンになりつつあります
ヘチマも大きな実をつけています
ヘチマも大きな実をつけています

 自分で言うのもおこがましいのですが、手前味噌ながら近所の人が羨むほどの出来栄えで、誉めてもらう度に悦に入っていました。数日前台風11号の接近で垣根は強風に揺れていましたが、葉っぱが4~5枚風で吹き飛んだ程度で、傷むこともなく持ちこたえました。いつの間にか垣には大きなヘチマが五個もなり、朝顔も綺麗な花を咲かせ始めました。夕顔もゴーヤもそのうち成長してくれることでしょう。今朝は天気雨というのでしょうか、弱い夏の太陽が顔を覗かせていますが、緑陰効果は抜群で、涼しい風が窓越しに入っています。梅雨明けももう間近です。クリーンカーテンは目論見どおり夏の暑い日差しを遮ってくれることでしょう。

朝顔の花も涼しげです
朝顔の花も涼しげです

 今年はヘチマが順調に育って実をつけているので、夏の終わりにはヘチマ水とヘチマのスポンジを作る計画です。ヘチマ水はヘチマの茎を根元から切り、一升瓶に差しておくとヘチマの水が逆流して瓶に溜まる算段ですが、上手く行くかどうか・・・。ヘチマ水は天然の化粧水になるらしく、美顔の妻の顔がさらにグレードアップするかも知れません。ヘチマの実はスポンジ状にしてお風呂で使おうと思っています。まだ作り方を調べていないので、誰かに聞いてやってみようと思っています。緑陰で楽しみヘチマ水やスポンジも楽しむことができるヘチマは、エコの代表選手のようなものになるかも知れません。誰かスポンジの作り方を伝授して下さい。

  「書斎窓 外にグリーンの カーテンを 腕によりかけ 作り正解」

  「ヘチマ五個 大きな実つけ ぶら下がり 夏を演出 黄色い花も」

  「朝顔の 花も鮮やか 雨に塗れ 蜂やチョウチョも 雨宿り来る」

  「暑い夏 梅雨明け間近か 来る予感 グリーンカーテン 少し涼しく」 

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〇夏の夜の花火

 台風11号の余波を受けて、台風が去った今も天候が不順で、奄美や関東地方では梅雨が明けたというのに、四国はまだ梅雨明け宣言が遅れているようです。家庭菜園の野菜類も長雨や日照不足で少し枯れ始めたものもあるようで、気を揉んでいます。昨日は久しぶりに草でも刈ろうと思い立ち、朝起きると作業服を着て準備をしたものの、結局雨が上がったのは午前10時頃でした。それでも雨に濡れた草は切れ具合が良いので思い切って畑へ入り、草刈機で果樹園や菜園の畦を中心にブンブン草を刈り、すっかり綺麗になりました。

家の庭で花火をする孫たち
家の庭で花火をする孫たち

 昨日はふたみの夏祭りの日です。主会場となったシーサイド公園には朝から大勢の人が訪れていたようですが、私は親父が亡くなってまだ一週間しか経ってなく、喪に服さなければならないので、お祭りのようなハレの行事は極力控えようと思っているので、昨日は気になってはいたものの夏祭り会場へ行くことを遠慮しました。わが家へは前日から娘家族が泊まりに来ていて、内孫2人に外孫2人の男の子が加わり、まあ賑やかな2日間となりました。前夜は若夫婦が花火を買って来て、自宅の庭でほんの小さな花火大会をしました。子どもたちは花火が大好きで、大いに盛り上がったようです。

自宅から見えた夏祭りの花火
自宅から見えた夏祭りの花火

 昨晩は孫たちも親に連れられて夏祭りに出かけ、一旦夕食に帰って再び花火見学に出かけました。私たち夫婦は家で留守番をしていると、午後8時30分過ぎ、外で大きな爆発音が聞こえました。家から全ての花火は見れませんが、山の端に綺麗な花火が、また大きな六尺花火は山の端を越えて見えました。夫婦でささやかながら夏の花火を楽しみました。
 この町の夏祭りを始めたのも私だし、夏祭りを長年運営したのも私です。ゆえに夏祭りといえば血が騒ぎますが、今も多くの人の思いによって、さして楽しみのないこんな田舎でも、ささやかながら夏祭りを続けてくれる多くの関係者いることを、感謝しなければなりません。昨日は多分朝から定まらぬ天気に翻弄され続けたことでしょうが、ご苦労様と労いの言葉を贈りたいと思います。

  「わが家でも 孫が集まり 花火する 夏の思い出 日記に書いて」

  「夏祭り 雨に翻弄 されたはず 昔の自分 思い出重ね」

  「喪に服し 祭りの参加 控えたり 心の中で 血が騒ぎつつ」

  「ド~ンドン 夜空の向こう 山の端で 花火上がるを 自宅から見ゆ」 

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〇子どもふるさと体験塾(その2)

 台風11号の影響で、楽しみにしていた底引き網体験は残念ながら没になりましたが、昨日の雨天対応プログラムは、それに負けないくらい盛り沢山で、参加した子どもたちも大喜びでした。底引き網に替えて共栄網の煮干し加工場を見学して、衛生管理の観点から、日ごろは滅多に見ることのできない加工場内を全て案内してもらいました。大きな冷風乾燥室では実際に強力な送風に当たり、釜揚げしたチリメンを急速冷凍するマイナス23度の冷蔵庫にも入れてもらい、運よくチリメン運搬船が陸揚げ堤防まで帰り、ホースで加工場まで運ばれる姿も見ることができました。

加工場見学をする子どもたち
加工場見学をする子どもたち

 二部は上灘漁村センター2階の調理室で、漁協役員さんと職員さんが総出で、調理実習をしてくれました。子どもたちも鱧の骨切り、鯛の刺身、タコのブツ切り、ノークリ(サメ)の三枚おろしなどを体験させてもらい、それらを使ったタコ飯、お刺身、お吸い物、ノークリと鱧のから揚げを堪能するほど腹いっぱい食べました。新鮮な魚はとても美味しく、魚嫌いな子どももいましたが、美味しいと言いながら舌鼓を打っていました。これまでのこうしたプログラムの調理実習は女性の方が殆どでしたが、今回は男主体の船頭さんたちが主役で、腕は一流でした。

 

鱧の骨切り
鱧の骨切り

三部は漁村センター3階の大広間をお借りして、私がリーダーとなり腹ごなしにレクリェーションをやりました。このところの天候不順や台風接近で、夏休みに入っているとはいいながら、外で思いっきり遊ぶこともできず、モヤモヤした気持ちの子どもたちもこの日は、久しぶりに笑顔で大いにレクリェーションを楽しみました。最近は子どものレクリェーション指導ができるリーダーも少なく、ましてや歌唱指導などもしないため、プログラムの進行だけに重きが置かれ、参加した子どもたちの心を揺さぶることが疎かになっているような気がしてなりません。子どもたちのにこやかな笑顔の笑い声が大広間に広がっていました。

大広間でのレクリェーション
大広間でのレクリェーション

 四部は灘町海岸とシーサイド公園砂浜のボランティア清掃です。台風11号の接近でこの2~3日海は大時化でした。ゆえに風や波にあおられて沢山のゴミが漂着して、美観を損ねていました。折りしも明くる日の今日は双海の夏祭りの日です。そこで少し時間的余裕があったので、急遽みんなで海岸の清掃をすることにしました。ビニールの袋を持ってみんなで燃えるゴミと、燃えないゴミに分別しながら拾いましたが、多勢の力は大したもので、沢山のゴミを集めることができ、夏祭りの主催者から大いに感謝されました。ボランティア活動をするのは気持ちがいいものです。子どもたちも久しぶりに晴れた青空に浮かぶ真っ白な入道雲に見守られ大汗をかきました。

海岸清掃する子どもたち
海岸清掃する子どもたち
入道雲が湧く台風一過の青空
入道雲が湧く台風一過の青空

  「加工場 工場長の 案内で 日ごろ見れない とこまで案内」

  「お魚の 料理挑戦 船頭さん 腕によりかけ 子どもに指導」

  「大広間 レクリェーションで 笑い声 日ごろモヤモヤ 吹き飛ばすよう」

  「台風が 運んだゴミを ボランティア すっかり綺麗 今日夏祭り」

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〇雨天時メニューの子ども体験塾(その1)

 たった一日なのに、台風11号に翻弄された昨日と、台風一過の今日とでは、こんなにも違うものなのかと思わせるほど今日は天気が回復し、夏の日差しが照りつけています。多分台風が梅雨前線まで連れて行って、梅雨明けしたような雰囲気です。
 今日は子ども体験塾の底引き網体験の予定でしたが、海岸線は海が穏やかに凪いでいるように見えても、中海に出るとうねりが高いと判断して、底引き網体験プログラムを中止し、あらかじめ予定していた雨天時プログラムに変更することを、昨晩の時点で決めて、昨日のうちに連絡網を使って子どもたちに連絡をしました。

海岸清掃を終えた集合写真
海岸清掃を終えた集合写真
体験塾で双海の漁業について語る私(冨田さん撮影)
体験塾で双海の漁業について語る私(冨田さん撮影)

 雨天時プログラムは底引き網体験に変えて、共栄網のイワシ加工場の見学を予定しました。午前7時10分に地域事務所のロビーに集合し、開会式が行なわれました。少し時間的な余裕があったので、双海町の漁業について実行委員長の私が薀蓄を垂れました。運よく地域事務所のロビーには、親父が造った巾着網船団の模型が展示されていて、話が随分リアルになったような気がしました。 
 その後海岸国道の路側帯を歩いて、台風一過の伊予灘を眺めながらイワシ加工場へ到着し、和田工場長の案内で工場内をつぶさに見学しました。私も新築なった加工場の中を見学するのは初めてだったので、興味津々でした。煮干し加工とチリメン加工の2ラインを見たり、-20度の冷凍庫の中へ入れてもらったり、子どもたちは大喜びでした。

 そのうちチリメンを積んだ中積み船が岸壁に接岸し、国道下のトンネルを潜る長いホースを通って工場内へ入る姿も見ることができました。会議室で子どもたちは熱心に和田工場長に質問していましたが、台風のお蔭で違ったいい体験ができたようです。 
 その後元来た道を引き返し、上灘漁協の2階にある調理場まで帰り、漁協役員さんの指導で鯛や鱧、サメのさばき方実演があり、子どもたちも調理体験をさせてもらいました。この日のメニューはタコ飯、鯛とタコの刺身、鱧のお吸い物、それに鱧とサメの天ぷらでしたが、子どもたちはそのおいしさに大満足の手合いで、何度もお代わりをしていました。昼食後のレクレーションや、灘町海岸・シーサイド公園の清掃ボランティアも楽しい思い出となりました。

  「台風で 底引き体験 変更し 加工場見学 それも充実」

  「町内に こんな工場 あるなんて 目を白黒し 熱心見入る」

  「鯛に鱧 タコサメ使い おご馳走 みんな満足 何度もお代わり」

  「夏祭り 前の公園 ボランティア 海岸清掃 汗を流して」

 

 

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〇台風11号四国直撃

 台風といえばお盆が過ぎ、秋風が吹き始める9月の210日前後がシーズンですが、今年はまだ梅雨が開けていないというのに、早くも12個も台風が発生し、台風11号は昨晩四国高知県室戸付近に上陸し、ネットで見たところ、ただ今午前6時前、香川県を通過中のようです。大型で強い台風、しかも雨台風のようで、一時間に20km程度のゆっくり速度を維持していているため、各地で被害が出ているようです。

今朝の台風11号状況
今朝の台風11号状況

 被害や避難をしている地域の人たちにはすまない話ですが、台風の直撃を免れた私たちの地域では今のところ大した被害もないようで、正直ホッとした気持ちで朝を迎えました。私は昨日の午前中、白波が立つ海の様子を見ながら、風と雨の対応をしました。側溝の溝さらえや家庭菜園の野菜などが吹き飛ばされないよう、杭を打ったり、竹で補強する等しましたが、直撃は免れたものの、これほど大きな台風なので強く吹くであろう吹き戻しの風を心配しています。

 昨日は裏庭に置いた蜜蜂の巣箱も、風で吹き飛ばされないよう、巣箱の上にさらに少し重い重石を乗せて補強しました。このところ親父のことで巣箱などには手が回らず、ほったらかしの状態でしたが、蜜蜂たちは巣箱が満杯状態になっているのか、巣箱の入口前面の板壁には沢山のミツバチがたむろしています。梅雨が明けたらそろそろ採蜜作業もしなければならず、気焦りがしている今日この頃です。何はともあれ早く台風が去って、梅雨が明けて欲しいと願っています。

  「台風が 四国直撃 上陸し 刻々変る 予報に一憂」

  「石鎚の お蔭瀬戸内 それほどの 被害もなくて 胸撫で降ろす」

  「遅いけど 早く来いよと 言うように 今は早よ行け イライラ募る」

  「蜜蜂も 巣箱の外に たむろして 雨風去るの 待っているよう」 

 

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〇主のいなくなった隠居家

 14年前母が死んでからずっと一人暮らしを続けてきた親父の隠居家が、ついに空き家になりました。私たちが暮らす家の同一敷地内の隠居なので、まさに味噌汁の冷めない距離を保ち、隠居といいながら同じ屋根の下に住んでいるような実感でした。夜が明け朝起きると親父の隠居へ「じいちゃんおはよう」と挨拶に行き、外出から帰ると本宅へ入る前に親父の隠居へ、「ただ今」とあいさつに出かける日課も、殆ど欠かさず行って来ました。

空き家となった親父の隠居家
空き家となった親父の隠居家

 

ガランとした人気のない室内
ガランとした人気のない室内

痴呆が進んだ最近は、夜と昼を間違えたり、エアコンの効いた台所の掘り炬燵に足を突っ込んで仮眠する姿もよく見かける光景で、風邪を引くからと布団に運んだり、そのままそっと毛布をかけてやることもしばしばでした。一番の気がかりは掘り炬燵に座布団や毛布が落ち込み、火事にならないか心配しましたが、何とかその心配が取り越し苦労に終わり、今では正直ホッとしていますが、隠居のそこここには一人で暮らす工夫が随所に施されて、偉いもんだと今更ながらその発想に驚いています。

 親父は94歳まで「陽の当たる坂道」という電動自転車に乗って、7キロも離れた下灘診療所へ診察に出かけていました。94歳で往復14キロの道程を電動といいながら自転車をこぐ姿は、老人暴走族とか、急に進路を変える危なさか「わが道を行く老人」などと揶揄されましたが、危ないからと自転車に乗るのを止めさせてからは急に足腰が弱りました。それでも今年の春先まではまあ何だかんだといいながら、それなりに元気に過ごしていました。昨日私は西予市明間公民館で開かれた消費者講座の講演を頼まれて出かけ、帰りが10時近くになりました。いつものようにまず隠居へ足を運び明かりをつけ、ガランとした3つの部屋を印象深く見つめながら思い出に浸りました。

 少し落ち着いたら親父の遺品等を整理し、少しリフォームして私たち夫婦が使う予定ですが、「ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞ思う」の心境で、昨晩も今朝も無意識のうちに隠居が気になり、親父の話題を家族みんなが話しています。在宅で介護をしているといいことばかりではなく、時には親父と少し強めの言い争いをしたりもしましたが、今となっては懐かしく、「もう少し長生きして欲しかった」と思うのは偽らざる気持ちです。私の兄弟は5人のうち私を含めて4人が町内に住んでいます。いつも気にかけて親父の元へ足を運んで声をかけてくれました。さっき妹が自分の畑で摘み取った切り花を持ってやって来て、親父の話に花を咲かせて帰りました。親孝行もそれほどできませんでしたが、それなりに幸せな親父だったように思います。

  「住み慣れた 親父の隠居 空き家なる そこここ暮らしの 足跡残る」

  「昨晩も 自宅へ帰り 隠居家へ 明かりをつけて 思い出浸る」

  「今頃は 死出の旅路の どの辺り 母と再会 したのだろうか」

  「孝行の 孝の字子ども 老いたるを 背負うと聞いて なるほど納得」 

 

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