人間牧場

〇役割を終えたウォーキングシューズ

 毎日一万歩を歩くことを目標にして始めてから、早くも10年があっという間に過ぎました。平凡なことしか出来ない平凡な男のやることですから、大した意味もなく「出来なかったら出来なかったでいい」くらいな、軽い気持ちで始めたものの、毎日一万歩の目標は、今にして思えば中々難易度の高い目標であることに気がつくのです。毎日のことゆえ雨の日も風の日も、体調が優れない時もありますが、雨の日には傘を差して長靴で、体調の優れない時は無理をせずやっていますが、その効果でしょうか、体調はすこぶる良く、快食・快眠・快便といったところです。

駄目になった5足目のウォーキングシューズ
駄目になった5足目のウォーキングシューズ

 私の一万歩を陰で支えてくれているのは、妻が買ってくれたウォーキングシューズです。この10年間で4足駄目にして新しいのと交換しましたが、今朝5足目のシューズに穴が開き、靴底から道の水分が入り始め、履いている靴下が濡れていることに気がつきました。表面はまだ綺麗なのに、靴底には私の体重を支えながら地面の凹凸を踏みしめ、何の文句も言わずただ黙々と役割を果たしてくれていたのです。私の足は左足の親指が内に曲がる外反母趾です。祖母も外反母趾で難儀をしていたので、多分遺伝ではないかと思うのですが、詳しい原因は分りません。

 もう一つ私は田舎者特有の歩き方をしているようで、靴底の後ろの部分が両足とも均一にちびず、外側が極端に磨り減っているのです。靴が新しい時は親指に力を入れて正しい歩き方をしようと試みますが、直ぐに正しい歩き方を忘れてしまうのです。私は靴に余りお金をかけない貧乏性な性格なので、靴屋さんに出かけても安売りとまでは行かなくても、サイズ25.5cmの靴を履いてみて、合えばそれを買う程度なのです。ウォーキングシューズが傷んできたことを今朝妻に話すと、よそ行きのシューズを下ろして履くよう言われました。明日は新しいシューズを買ってくれるそうです。子どものころ運動会の前の日に新しい運動靴を、母親に買ってもらった嬉しくも懐かしい思い出が蘇りました。

  「この十年 目指す歩数は 一万歩 靴底悲鳴 早くも5足」

  「わが健康 靴のお蔭と 感謝する 水漏れあっさり お払い箱に」

  「わが足は 遺伝でしょうか 親指が 外反母趾で 少し曲がって」

  「ウォーキング 最近何故か 雨多く 長靴代用 それでも歩く」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇人間牧場・水平線の家の大掃除

 数日前親友の浜田さんから電話が入り、10月3日に予定されている人間牧場10周年の記念行事が一ヵ月後に迫っているので、大掃除をしようと相談を持ちかけられ、とりあえず第一回目を9月2日にすることにしました。前日電話で午前9時わが家に集合して出かけることに相談がまとまりましたが、浜田さんは律儀な方で納骨を済ませた親父の墓参りをしたいと言うので、途中わが家の墓地に案内して線香を手向けてから人間牧場を目ざしました。

水平線の家の掃除をする浜田さん
       水平線の家の掃除をする浜田さん
いつまでも歳をとらない私の等身大パネルも虫干し
いつまでも歳をとらない私の等身大パネルも虫干し
昨日の朝は天気が回復したかに見えたので、まず水平線の家の板間に置いている、切り株台座や座布団をウッドデッウキに出し、玄関先のマットも食器入れも外に出し、作業を始めました。私はこの日、まだ採蜜していない最後の蜜蜂の巣箱から採蜜する計画だったので、板間の掃除とワックス掛けを浜田さんにお願いして、雨合羽、長靴、ゴム手袋、防虫頭巾の出で立ちで早速始めました。この巣箱は私の知らない間にいつの間にか入居したおまけのような巣箱なので、余り期待はしていませんでしたが、手応えとしては一升以上はあるようでした。
高座台もお化粧しました
高座台もお化粧しました

 最近は天板を外して総取りする方法を身につけたため造作もなく、しかも安全で蜜蜂を巻き添えにして殆ど殺すこともなくできるようになり、収穫後の残存入居率も高いようで、それなりに悦に入ってやっています。私が採蜜作業に夢中になっている間に、浜田さんはワックス塗りを汗をかきながら一生懸命やってくれましたが、私も負けじとかまど小屋の大掃除をしました。やがて雨がポツポツ降り始めたので、ワックスが乾かないのに全ての小道具を板間に入れ、作業を終えました。

掃除終了後の記念写真です
          掃除終了後の記念写真です

 掃除をした日は毎回浜田さんと二人で、潮路というレストランで昼食を楽しみますが、昨日は運悪く定休日だったので、本村のラーメンショップまで足を伸ばし、とんこつネギラーメンを美味しく頂きました。10周年記念事業を1ヵ月後に控えていますが、これから2~3回は倉庫やロケーション風呂、作業小屋、ウッドデッキなどの掃除をする計画です。その都度浜田さんと二人で他愛ない四方山話を楽しみながら、作業は続くことでしょう。少しモヤモヤの晴れた一日でした。

  「何よりも 掃除が大事 口癖の ように言いつつ 二人で掃除」

  「等身大 人型パネル 歳とらず ウッドデッキで 虫干し笑う」

  「蜂蜜の 採蜜作業 最近は 上手になりて 造作もなしに」

  「掃除した ご褒美いつも おご馳走 残念ながら ラーメンでした」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇高島屋で開かれた五行歌作品展

 前日私が会員となっている松山五行歌の主宰者見山あつこさんから、メールが入りました。「高島屋で開催されている五行歌の展示会に来ませんか」という案内でした。そういえばこの2ヶ月は親父の終末や葬儀、仏事、後始末に翻弄され、忙しくて他のことが手につかない手合いだったため、失礼ながら展示会のこともすっかり忘れていました。昨日は午前中人に会う約束でしたが、かなり激しい雨に見舞われ警報が出るほどだったため、朝早くキャンセルの電話が入ったため、急な思い付きで展示会に出かけることにしました。

作品展の会場にて
            作品展の会場にて
私の作品の前にて
            私の作品の前にて

 高島屋の開店は10時なので、開店一番に出かければ午後の予定もこなせると思い、きっちり開店の10時に高島屋へ到着しました。早速3階から連絡通路のある2階へエレベーターで降り、南館2階の展示会場へ行きました。すでに顔見知りの会員さん2名が受付にて笑顔で対応してくれました。忙しさにかまけてどんな歌を作って送ったかさえも忘れていましたが、見山さんは私の歌を夕日をあしらった台紙に、2首並べて作品に仕上げてくれていました。しかも見栄えのする場所に展示してもらい、いつものことながらその気配りに感心しました。

私の作品
              私の作品

 先日、展示会場を訪れて私の作品を見たと、何人かの人から電話やメールが入っていました。特に松山に住んでいる次男息子嫁のお母さんからも電話をいただいていたので気を揉んでいましたが、話を合わせることができ、見学に出かけてよかったと安堵しました。私の作品は親父の最期や私の心情を綴った次の2首でした。

   「家の畳の上で
   死にたい」と言ってた
   言葉どおり
   親父は九十六歳の夏
   生涯を閉じました

   六日間
    親父の布団で
   添い寝した
   ささやかながら
   最期の孝行でした

 駄作も駄作で人の前に晒せるような歌ではありませんが、受け受けの女性に聞けば私の歌を見ながら涙ぐむ人もいたそうです。お世辞でも「嬉しい」の一言に尽きますが、五行歌は短い表現ゆえの難しさがあり、やってもやっても奥が深いと実感するこのごろです。

  「高島屋 開店同時 中に入る 展示会場 わき目もふらず」

  「住所録 名前を書いて 作品展 感心しつつ 人の歌読む」

  「わが駄作 夕日あしらう 台紙にて 綺麗にできて 中々のもの」

  「親父詠む 五行歌二首を 出品す 見た人電話 メールで感想」  

   

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇思わぬハプニング(その2)

ふるさと絶賛バラエティ番組「いーよ」の取材が昨日ありました。私の車は4WDなので、雨の中やぬかるんだ道でも平気なのですが、大きな取材用のワンボックスカーとなると話は別で、細くて急な坂道、しかも周囲には灌木や雑草が生い茂っていて、熟練した運転手でも中々手こずるのです。前にNHKや南海放送の同じような取材用の車が入ったことを告げると、秋本ディレクターは乗り入れを決断しました。

 ところが恐る恐る、潅木を掻き分けるように何とか人間牧場まで下りて来た車は、その後スリップをして回るに回れず、取材スタッフや私を巻き込んで、取材そちのけの一大救出作戦が始まりました。小刻みにハンドルを切って回転させ、押したり引いたり、時には反動をつけて登りましたが、スリップするタイヤの下に板を敷き込んで押した際、その板をタイヤが後に跳ねて、秋本さんの向こう脛を強打しました。

 取材の中心人物である秋本さんが、動けなくなったらどうしようと困惑しましたが、秋本さんは痛みを堪え気丈にも最期まで取材を続行しました。今朝一番で電話をかけ様子を聞きましたが、取材が終わり病院でレントゲンを取ってもらったところ、骨折もなく何とか打撲だけですんだようで一安心です。私はこれまでにも無人島で台風に遭遇したり、子どもが足を船に挟まれたりするなど、幾度となくハプニングに見舞われましたが、その都度危機管理能力を働かせ対応して来ましたが、今回も寸前で何とか危機を回避することができ、ホッとしています。

 それにしても人間牧場の細くて狭い坂道は色々なドラマを生むものです。これまでにも網の目のような農道に入り込み、迷子になって助けを求めたり、車を溝に突っ込んで大破して動けなくなった人もいました。また今回のように大勢の人に押してもらって坂道を登った人もいました。いずれも自己責任とはいいながら、わが人間牧場が絡んでいるだけにほおって置くこともできず、随分心を痛めました。せめて人間牧場への道案内看板でも立てて欲しいと皆さんから言われていますが、それさえも隠れ家ゆえ拒み続けています。人間牧場を開設してから10年、狭くて急な坂道は変えようもなく、相変わらずそのままの設えです。

  「牧場へ 取材車入り スリップで 出るに出られず ハラハラ・ドキドキ」

  「取材車の 後を人間 気合入れ 押して坂道 やっと登りぬ」

  「ディレクター 向こう脛打ち 難儀する 大事至らず ホッと一息」

  「坂道と 看板改善 要求を されるが私 これでいいのだ」

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇畜生、またやられた!!

 畜生とは人間が飼っている動物のことをいいますが、怒りを顕わにする時にも使います。私が今回思った「畜生、またやられた!!」の畜生は後者で、怒り心頭の意味です。2日前の土曜日、明くる日お客さんを招く準備のため、人間牧場へ出かけました。国道・私道・農道と次第に狭くなる山道を登って、人間牧場の私道に入るとコンクリート舗装した道幅の半分に、道の側面の土が崩れて行く手を塞いでいるのです。

イノシシに崩された畦畔
          イノシシに崩された畦畔
大汗かいて土を跳ね上げ
          大汗かいて土を跳ね上げ

 いつものことなので、これがイノシシの仕業であることは容易に理解できましたが、同じような出来事が一週間前にもあり、難儀をして大汗をかきながら土をスコップで跳ね上げて片付けたばかりなので、誰に当たるでもなく目に見えぬイノシシに向けて「仕方がない」と思いつつも、行き場のない怒りが込み上げてきました。イノシシが斜面を荒らしている姿を見た訳ではありませんが、察するにイノシシは昨日の夜出没し、闇に乗じて両足と鼻で土を掘り返し、餌となる大好物のミミズを食べたに違いありません。

 この日の私の作業予定は草刈と水平線の家の掃除で、午後から雨が降るという天気予報だったので、道を塞いでいる土を除ける余裕はありませんでした。でもそれら全てをやるしかなく、とりあえず草刈りと掃除を休まず、昼食を食べるのも伸ばしてやりました。午後1時頃天気予報どおり小雨がポツポツ降り始めました。急いでスコップを倉庫から取り出し、土除け作業に取り掛かり、少し雨に濡れたものの片づけを終わりました。今回はイノシシが暴れ回ったのか、落ちている土の量も半端でなく、足腰・腕に堪えるほどの難儀さで、大汗をかきヘトヘトになりました。

 子ども体験塾で作っている芋畑は金網柵で囲っているため、今のところ大丈夫のようですが、この時期山は端境期でイノシシの食べ物がなくなる時期だけに、少し気がかりです。今年3度目の被害で、私の体力ももう限界です。いっそ道の出口と入口に、「イノシシさん、どうか悪さをしないで下さい・人間牧場主」と書いた看板を立てようかとも思いますが、残念ながらイノシシは学校を出ていないので、文字が読めないのです。警察に被害届を出すことも出来ず、当分はイノシシと私の知恵比べが続きそうです。嘆かわしいことです。

  「こん畜生!! 怒り心頭 また被害 道の半分 土を落として」

  「スコップで 土をエッチラ ほり上げる 大汗かいて 州に2回も」

  「崩すなと 看板立てても 効果なし 文字の読めない イノシシさんには」

  「知恵比べ、勝ったつもりが いつも負け イノシシ軍配 上がりっぱなし」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私はホラ吹き?

 昨日人間牧場の水平線の家の掃除をしながら、板壁片面に設えている木製書棚も少し整理をしました。家の書斎書棚から移した本で書棚はこの10年間で完全に埋まり、小型の本は置き場がないので二重三重に置かれて窮屈そうでした。書棚のあちこちには小道具類も置かれていて、背もたれ椅子で休憩する際、ハーモニカなどは時々練習のつもりで吹いて気分転換をしています。

見つけた外国人から貰った角笛
         見つけた外国人から貰った角笛
大ボラを吹く私
           大ボラを吹く私

 昨日はその中に水牛の角でできた角笛を見つけました。何年か前外国人のお客さんが来た折、お土産にいただいたものですが、いつ誰に貰ったかは記憶にないのです。早速白いテッシュペーパーで表面や口が当たる場所を綺麗に拭きました。早速ほら貝を吹く手合いで吹いて見ました。最初は息を吹き込む要領がつかめず、まるで屁のような音しか出ませんでしたが、そのうち段々馴れて上手くなり、雨のため窓全てを締め切った部屋の中に響き渡りました。

 私は奇想天外なことを発想し言うので、仲間は多分私のことをホラ吹きだと思っているに違いありません。「ホラ吹き」という本当の意味は出来もしないことを言う人のことなので、出来そなことを言い、それを実践し実績を上げてきた私のそれとは少し違いますが、まあ大差はない小さなホラ吹きでしょう。そういえば年齢を重ねるとさすがにホラを吹くことも少なくなって来たような気がします。多分それだけ夢がなくなったのかも知れません。夢なき民は滅びます。もう少しホラを吹いてみようと思いました。

 何年か前人間牧場のご存知切り株高座に上がり、落語ならぬ落伍をやった折、この角笛を演目に加えて演じた記憶があります。結果的には上手く角笛を吹くことができず、落ちで「私はホラ吹きではありません」と公言し爆笑を誘いました。近々この演目で再びやってみようと思っていますが、昨日は雨で湿り気があったためでしょうか、大ホラ吹きとなりました。お後が宜しいようで・・・。

  「掃除する 手と足止まり 角笛を 見つけて座り 吹くが吹けずに」

  「何回か やってるうちに 音が出て 窓閉め室内 大いにホラ吹く」

  「多分だが 私のことを ホラ吹きと 思っているに 違いないかも」

  「演目に 加えてホラを 吹こうかな 歳をとったか 夢も萎んで」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇明日の準備のための一日

 今日は明日、私が会長をしている公民館OBで組織する公友会の夏の勉強会を人間牧場で計画しているため、掃除や草刈りのため弁当を持って人間牧場へ行きました。天気予報だと曇り後のち雨だったので、何はともあれ屋外での草刈を優先し、朝ガソリンとオイルを混ぜて混合油を作り、草刈機のガソリンタンクを満タンにして、地下足袋を履いて早速作業を始めました。まずウッドデッキ下のアジサイ園とブルーベリー園を、それぞれの花木を傷つけぬよう注意しながら刈って行きました。

 曇り空で秋の気配が漂う絶好の草刈り日和でしたが、まだまだ日中は暑く夏の名残の蒸し暑さで作業着は瞬く間に、まるで水を浴びたように汗と飛び散る草汁が衣服に付着し、体中にまとわりつきました。今日は渦巻き蚊取り線香を腰にぶら提げたため薮蚊に悩まされることもなく、午前中で草刈り作業を終えましたが、12時30分頃から雨が降り出しました。急いでスコップを倉庫から持ち出し、人間牧場の両側にイノシシが落とした土を1時間ほどかけてハネ上げ何とか片づけを終えました。

 汗で濡れた作業着を着替えようとしましたが、着替えのシャツを持参するのを忘れたため、裸になって妻の作ってくれた弁当を食べ、お茶で喉を潤しながら休憩しました。雨は降ったり止んだりを繰り返していましたが、昼食後は部屋の掃除を掃除機で少し念入りにやりました。特に2階は日ごろ使うことも殆どないので、この半年一度も掃除機をかけていなかったので良い機会となりました。昨日年輪塾筆頭塾生の浜田さんから電話が入り、10月3日に予定されている人間牧場10周年の集いのために、9月2日に少し大掛かりな掃除を私と2人でやることを決めたので、今回はワッコスを塗ることもなく終えました。

 午後3時にテレビ愛媛の秋本ディレクターがやって来て、8月31日の取材打ち合わせをやりました。今回は少し手の混んだストーリーのようで、何かと面白くなりそうです。何はともあれ明日の下準備は何とか済みました。飲み食いの準備万端はいつものことながら、親友の松本さんが手配をしてくれているので、明日は手伝いの妻と二人で9時頃に出かけようと思っています。このところ何かと忙しく、昨日は葬儀に参列するため出張先の広島を朝5時に発ったりして、少し無理をしているようなので、早々に引き上げて自宅に帰り、熱いシャワーを浴びてさっぱりしました。

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇久しぶりの広島(その2)

 昨晩はリーガロイヤルホテルでの研修会が終わり、レセプションパーティがありました。美味しそうな料理が並んでいましたが、講演を聞いた参加者が次から次へと私の元へ訪れ、名刺交換しながら楽しいお喋りをしたため、食いっぱくれてしまいました。講演の反応があるという事は少しお世辞がかっていても嬉しいもので、特に私の「斬新なアイディアと行動力に感心した」と言ってくれました。青年団活動も含めると今日まで約50年、半世紀も地域づくりやボランティア活動に関わり、また様々な人の前で自分の過ぎ越し人生を話してきました。

 私の人生を語るのにピッタリな言葉に、ポール・J/マイヤーの「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」というのがあります。若い頃青年学級で学び作った生活設計のお蔭で夢を描き、自分の信念を貫き、しっかりと行動したお蔭で今の自分があるのです。最近経営学の父と言われるドラッガーの本を読む機会がありましたが、ドラッガーの世界は「書く」「教える」「相談に乗る」ですが、私がドラッガーの比でもない凡人ながら、これとよく似たスモールな生き方をしていることに気がつきました。

 ドラッガーは、今の世の中が人類史上初めて個が組織よりも長命になったことを取り上げ、セカンドキャリアをどうするかという、新しい問題が生まれていることに気付き、人間はなるべく早いうちにセカンドキャリアのために助走しなければならないと力説しています。それは40代に突入する前に、仕事とは別の活動を実生活に見つけることのようです。ただの趣味ではなく活動です。活動をし始めるとそれまでとまったく違ったネットワークが生まれ、ネットワークは人に生きる力を与え、気持ちを豊かにする働きがあるというのです。

 私たちはパラレルキャリアだけでなく、セカンドキャリアについても、自分で何とかする術を身につけなければならなくなるようで、どのようにして自分の活動分野を、何歳の時につかみ取るかが人生にとって重要なことのようです。私は30代で21世紀えひめニューフロンティアグループを組織主宰し、様々な活動をしてきました。また退職後は自費で造った人間牧場をフィールドにしてこの10年間、年輪塾を開塾し、学びの活動ネットワークを作ってきました。ゆえにドラッガーが提唱しているセカンドキャリアという概念や意味がよく分るのです。もう少し自分のこれまでやってきたこと、今やっていること、これからやろうとしていることを整理して、理論・論理に組み立てたいと思っています。今回の久しぶりの広島はそのことに薄々気付かせたいい旅でした。

  「講演を 聞いた人たち 集まりて 名刺交換 様々意見」

  「ドラッガー 著した本読み 納得す セカンドキャリア なるほどうなづく」

  「これまでの 人生重ね 本を読む これからどうする 正念場です」

  「本を読み 人に教えを 請うてきた うだつ上がらず 情けないったら」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇盆踊り終る

 私が青年団活動をしていた50年前は、夏になると町内の各地で盆踊りが行なわれていました。盆踊りは青年たちの社交場だったので、盆踊りの準備も運営も全て青年たちが仕切り、みんな浴衣を着て出かけました。ところが高度成長が終って社会が落ち着くと田舎に過疎化の波が押し寄せ、若者の姿が見えなくなり、盆踊りも一つ減り二つ減りと姿を消し、今町内に残っているのは下浜と池久保、それに灘町の3ヶ所となってしまいました。

昨年の盆の盆踊り
今年の盆の盆踊り
昨年の盆踊り
昨年の盆踊り

 双海町内の盆踊りは沖合いに浮かぶ青島にルーツがあると伝えられていますが、今では猫の島としてすっかり有名になっている青島でさえ、県の無形文化財に指定されている盆踊りも島民15人では支えきれず休止に追い込まれ、今年から長浜から応援が出て、かろうじて開催に漕ぎつけた有様です。私の住んでいる灘町では自治会が中心になって運営していますが、さしたる妙案もなく細々と続けている様で、青島の二の舞になりはしないかと心配しています。

 灘町では盆踊りに合わせて、戦没者や新盆を迎えた人の遺影を飾り慰霊祭をしていますが、わが家でも先月親父が亡くなったため、妻は親父の遺影を風呂敷に包んで、集会所へ持って行って飾らせてもらいました。私はあいにく松山市日浦地区のまちづくり勉強会に出席して留守でしたが、台風接近で小雨がぱらつく中何とか開催できたようです。昨日私のパソコンに何がどうなっているのか分りませんが、昨年の盆踊りの写真をブログに載せていたものがメールに出て来てビックリしました。

 同じくfacebookに灘町の藤岡さんが今年の盆踊りの写真をアップしていて、ビフォーとアフターではありませんが、偶然にも対比することができました。聞けば孫たちも盆踊りに参加して、練習もしていないので踊れぬのに踊りの輪の中には入って、一生懸命踊っていたようで、保育所の先生が誉めてくれました。盆踊りが終ると間もなく長かった夏休みもいよいよ終わりです。今日はそんな暑かった夏の思い出を払拭するように、台風が去って最初の雲ひとつない好天に恵まれています。ぶり返すであろう残暑を気にしながら、今日はこれから広島へ出張するため出発します。

  「盆踊り 思い出一杯 あるけれど 今は残念 見る影もなし」

  「浴衣着て あちらこちらの 盆踊り 渡り歩いて ワクワクしたな」

  「今年は 親父の遺影 慰霊祭 飾ってもらい ことさら意味が」

  「パソコンに 去年の写真 何故か出て ビックリしつつ 今年と対比」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇鱧祭りと夕焼けコンサートが近づきました

 3日前、親父の49日の法要に参列してくれた、従兄弟で下灘漁協組合長の若松利光さんが、刷り上がったばかりのインクの匂いのするチラシを持参して、宴会の席でみんなに配り、「イベントに是非お越しください」と宣伝していました。こうしたイベントのチラシは普通観光協会などが作製しますが、特に鱧祭りは組合長が実行委員長をしていることもあって、冨田さんたちの協力を得てチラシ作製にも深く関わっているようでした。

組合長に貰った鱧祭りのチラシ
組合長に貰った鱧祭りのチラシ

 鱧御膳や鱧バーガーもすっかりお馴染みとなっていて、今回は新商品鱧ごはんも登場するようです楽しみです。また同日夕方下灘駅のプラットホームで開催する夕焼けプラットホームコンサートは、今回節目となる30周年を迎えるようで、何はともあれ嬉しいことです。30年前多くの反対を押し切って、金も理解もない中で始めたコンサートですが、双海町の名前を一躍有名にしてくれたのは、無人駅でのコンサートでした。「10年続けると物語が生まれる」と意気込んで、始める活動・続ける活動・高める活動をやった結果、多くの禍福をもたらしました。

 それもこれも30年も続いたのは、多くの人の想いと支援のお蔭だと思っていますが、そろそろ変革の時期を迎えているのかも知れません。しかし私はもう蚊帳の外ゆえ口出しや手出しをする立場ではなく、一市囲の人として参加して見守るしかないのです。幸せなことに下灘駅は無人駅ながら様々な仕掛けによって、年年歳歳多くの話題を集め、沢山の人が集まっています。私の従兄弟の西下芳雄さんもその先頭に立ち、不慮の怪我で腰の骨を折りながら再起して、しっかりと支えてくれています。気がつけば鱧祭りも下灘駅も偶然でしょうか従兄弟の頑張りによって成り立っています。私ももうひと踏ん張り頑張りましょうか。

  「鱧祭り するから来てと 組合長 法事の席で パンフを回す」

  「30年 前に始めた コンサート 多くの人が 続けてくれた」

  「気がつけば 二つのイベント 従兄弟らが 支えてくれて 有難きかな」

  「この俺も 負けてはおれぬ もう少し 馬力をかけて 前に進もう」

[ この記事をシェアする ]