人間牧場

〇人間牧場の蚊帳つり実験

 人間牧場開設10周年と、年輪塾公開セミナーの一大イベントを来週末に控え、何かと準備で忙しい気分になってきました。中心的に役割を受け持っている清水塾頭、松本小番頭、浜田塾生はそれぞれがそれぞれの思惑で動いてくれていますが、昨日は浜田さんと息子が相談して、会場となる人間牧場のウッドデッキに、蚊帳を張る実験をするというので、家の大掃除を中断して出かけました。子守りも兼て孫たちも連れて行ったので、終始賑やかでした。

ウッドデッキ蚊帳吊り実験
ウッドデッキ蚊帳吊り実験
蚊帳の中には入り孫たちも大はしゃぎ
蚊帳の中に入り孫たちも大はしゃぎでした

 人間牧場には10年前の開設時に、こんなこともあろうかと、防虫ネットを一巻き買ってミシンを持ち込み、ウッドデッキに張る大型蚊帳を作っています。その後余り使わず倉庫に終ったままになっていましたが、昨日はビニール袋に入った蚊帳を納戸から取り出し、ウッドデッキに広げてみました。心配された虫やネズミの被害もなく、蚊帳は新品のままでした。早速ウッドデッキ下に差し込んで終っていたステンレス棒を取り出し、雑巾で拭いて脚立を立ててボルトで組み立てました。その上に蚊帳を被せましたが、ものの20分ほどで作業は終りましたが、とてもいい感じで、少し手を加えて当日使いたいと思っています。

 白い蚊帳を張ったウッドデッキは幻想的で、中に入るとことさら趣がありますが、約10日後に控えた10月3日の天気が気になるところです。昨日はまだ気温の高い状態が続いていて、上がり藪蚊が少し多いようですが、順調に気温が下がれば藪蚊も蚊取り線香で充分対応できるかも知れません。聞けば10月3日のイベントには、既に50人を越える人が申し込みをしているようで、多分満席の状態のようです。50人分の靴だけでも、また50人の口だけでも半端ではなく、気を引き締めて怪我のないよう安全に気を配り、それでいて実り多いものにしなければなりません。

 前日大洲市田処の亀本さんから、亀本さんの指導で植菌し、人間牧場のホダ場に置いているクヌギの木の原木に、椎茸が芽吹いていないか連絡がありました。ホダ場に下りてよく見ると、既にジャンボなしいたけが10個ほど生えていたので収獲して持ち帰りました。原木のあちこちには椎茸の白い芽吹きも見られ、10月の収穫祭に間に合うかも知れません。極早生みかんも少しずつ色づき始め、秋は次第に深まりつつあります。孫たちは蚊帳の中には入って大はしゃぎでした。

  「10年も 前に作った 蚊帳納戸 出して広げて 吊って調子見る」

  「まだ藪蚊 ブンブン飛んで 人を刺す 蚊取り線香 しっかり用意」

  「10日後に 迫った記念の イベントの 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「椎茸の 原木やっと 白い芽を 吹いて深まる 秋を迎える」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇翠小学校の運動会

 シルバーウイーク期間中の9月20日、立ち寄った親友の浜田さんと一緒に、急な思いつきで翠小学校の運動会を見に行きました。これまでにも何度か運動会のご案内を受けていましたが、県内外への出張で見る機会を逸していました。先日町内の有線放送で、「翠小学校のギンモクセイの花が咲き始めました。見に来ませんか」と紹介されていたし、先日校長先生に双海中学校の運動会で出会った折、「連休中がギンモクセイの満開のようなので見に来てください」とご案内を受けていたので、楽しみにして出かけました。

秋晴れの翠小学校運動会
秋晴れの翠小学校運動会
周囲一キロに香りを放つ満開のギンモクセイ
周囲一キロに香りを放つ満開のギンモクセイ

 児童の数が僅か16人の小さな小学校の運動会ですが、毎年のことながら校区総出でやっている運動会だけに、県道沿いには沢山の車が駐車していて、私を降ろした浜田さん運転の車は石、窯香房みどり付近まで駐車に持って行きました。校門に入ると校長先生が言っていたギンモクセイが満開で、甘い香りが学校全体を優しく包み、香りを写真に撮れないのが残念!!って感じでした。翠小学校では運動場の白線トラックに杉葉を差し込むユニークさで、入場門も杉葉で出来ています。多分PTAや地区ぐるみで手間暇かけて作ったことでしょう。

 この杉葉がまた木造校舎やギンモクセイの大木と見事に調和し、これぞオンリーワンといったところです。翠小学校も校区外通学や移住促進などを推進しているお蔭で、地元の子どもの数は少ないものの、児童の数は上向きだそうで、何はともあれ一安心といったところです。学校という字を分解すると「木が交わって学ぶ」と書きます。珍しい木造校舎や、市指定天然記念物ギンモクセイの大木を見ながら、子どもに及ぼす無形の恩恵を感じましたが、子どもの数だけで、コミュニティを無視した学校統廃合を進めるご都合主義的な現代のやり方に、一石投じる翠小学校の教育に大きな拍手を送りたいと思います。

  「ギンモクセイ 周囲一キロ 香しい 匂い振り撒き 存在感を」

  「児童数 たった16 だが凄い 地域総出で 杉葉トラック」

  「少しだけ 今年は早く ギンモクセイ 運動会に 花を沿え咲く」

  「来年も 来たいと思う 運動会 オンリーワンと 自慢がしたい」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇人間牧場10周年(その3)

 「えっ、もうそんなに経ったの?」と時の流れの早さに自分自身驚いています。人間牧場構想を描き、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事も実現する」というポール・J・マイヤーの言葉を信じて、50代の10年間で無謀と思えながら目標であった1千万円の資金を貯め、60歳の定年を機に人間牧場を造りました。退職のあれから10年があっという間に過ぎ去りました。私にとってこの10年間は第二の人生とでも言うべき実り多い日々でした。構想の10年を第一ステージ「始める前の活動」とするなら、活動の10年は第二ステージ「始める活動・高める活動」でした。そしてこれからの10年は第三ステージ「続ける活動・さらに高める活動なのです。第三ステージの問題点は色々ありますが、何といっても私の加齢による気力体力の衰えはいかんともし難く、基礎体力を維持するための日常的努力は怠っていませんが、10年後の第四ステージ「止める活動」に向けて、どういう準備を進めるか、今から考えなければなりません。10周年は振り返りと同時に未来への挑戦を宣言する日でもあるのです。10周年記念行事の日は私の71歳の誕生日でもあり、感慨深い日になりそうですが幸い心許せ夢を語り合える愉快な仲間たちがこの10年間で沢山増えました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇夕日徒然草「心の書」半完成(その2)

 私は「夕日徒然草」という小さなポケットサイズの本をこれまでに5冊自費出版しています。五輪の書にあやかり、1冊に30話の小話を地の書、水の書、火の書、風の書、空の書と続け、今では150話まで積み上げてきました。最初は150話で完結予定でしたが、その後少し心境の変化が起こり、とりあえず30話を書き、心の書として夕日徒然草リレーを続けることにしました。この程原稿を書き上げましたが印刷が間に合わず、とりあえずプリントして製本することにしました。何日か前、筆頭塾生の浜田さんが手伝いにやって来て、プリントした30話をホッチキス止めを手伝ってくれました。明くる日私は、黒い製本テープをA4サイズにハサミで切り、背表紙をつけたり参加予定の70人分の表紙に、サインペンで言葉と名前を書きました。友人が篆刻してくれた落款用の印を押してデザインに工夫する等、なかなか手間のいる作業でしたが、字のまずさは相変わらずながらひとまず作業を終えました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇近づく人間牧場10周年と年輪塾公開セミナーの準備(その1)

 春先の年輪塾役員会で、人間牧場10周年と年輪塾公開セミナーをドッキングして、10月3日にやることが決っていましが、まだまだ先のことだと思っていたのに、早くも2週間後に迫って来ました。清水塾頭は企画や渉外を担当し、松本小番頭は企画と準備を担当、浜田筆頭塾生は人間牧場の掃除や当日配布する「夕日徒然草」の製本をそれぞれが担当し、ぬかりなく準備が進められています。いつものことながら塾長の私は人間牧場の草刈や内外回りの掃除や、当日の天気を心配する程度でお茶を濁しています。今回の気炎行事の私の出番は、講師二人を交えた一時間30分の鼎談進行と、夕日亭大根心の芸名を持つ私の40分落伍ですが、この二つはまだ私のスキルがアップしていないので、これからの作業となります。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇九死に一生を得る(その2)

 車を止めてパンク修理のため、運転席のシート下にしまっているジャッキなどの小道具を取り出そうとしましたが、この軽四トラックを購入してからまだ一度も、自分でパンク修理をしたことがないので、どこに何がるのかさえも分らず右往左往しました。現場は昼なお暗い杉林の中だし、秋の陽が西に傾きヒグラシの鳴く声がやたらと不安をかき立てました。結局ジャッキだけは見つかったものの、ボルトを外す工具も見当たらず、とっさに親友稲葉さんの顔を思い出しました。

パンク修理に駆けつけてくれた親友の稲葉さん)
パンク修理に駆けつけてくれた親友の稲葉さん)

 稲葉さんは車の修理工場を営んでいますが、最近はその仕事を息子さんに譲って双海町で農業をしています。電話がつながり運よくというのでしょうか、石久保の畑にいることが分り、早速助け船に来てくれることになりました。それまでに忘れ物を取りに行こうと歩いて人間牧場まで車道や近道の、急な山道を大汗をかきながら登り、カゴを持って現場に戻ると、稲葉さんは既に到着して、自分の車のジャッキを使って作業を始めていました。まあ手早いこと、さすが車屋さんです。

 稲葉さんは私の落石に遭った状況説明を聞きながら、「もしこの石が車の運転席を直撃していたら、あなたも車も危なかった。パンクは仕方がありませんが、運が良かったというほかはありません」と、自損事故をむしろポジティブに捉えて幸運だったと喜んでくれました。考えてみればそのとおりだと自分でも納得し、助け船ならぬ助け車に来てくれた稲葉さんに大感謝し、二人で山を降り家路に着きました。帰宅して若嫁や妻にそのことを話すと、やはり稲葉さんと同じように、身の安全を喜んでくれました。

 田舎の山道で時折、「落石注意」という看板を見かけます。落ちた石に注意するのか、落ちてくる石に注意をするのか分りませんが、私は偶然にも落ちてきた石に当たってしまいました。落石は一昨日まで降った雨で地盤が緩んだからからなのか、4日前に起こったチリ沖地震の影響なのか、石に聞くすべもなく分りませんが、必然にも似た偶然に遭遇するとは、私もよくよく強運の持ち主のようです。稲葉さんが言うように、家族が言うように昨日は九死に一生を得た」心境でした。

  「急な崖 いきなり石が 落ちて来て ドーンと大きな 音してパンク」

  「助け船 運よく親友 やって来て いとも簡単 タイヤスペアに」

  「不運だと 思っていたが 幸運と 思いなさいと 諭されその気」

  「また一つ 伝説増えて 物語 人間牧場 次から次へ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇今年の蜂蜜採集終る

 春たけなわの4月始めに巣箱の掃除をしたり、巣箱にバーナーで温めながら溶かした蜜蝋を塗って準備をし始めてから、あっという間に6ヶ月が過ぎました。今年は天候異変らしく、例年より入居が遅れたり少なかったと、養蜂仲間から風の噂が聞こえる中、私にとってもいつになく不安なシーズンでした。それでも蜜蜂の師匠である西予市野村町の井上登さんの、変らぬ暖かいご指導や日本ラン・キンリョウヘンの切り花提供を受けたお蔭で、人間牧場2箱、わが家の裏山6箱の巣箱に蜜蜂が入居し、7月28日と8月16日、9月2日に採蜜作業を行なった結果、1升瓶16本の収獲がありました。

 3日前箱が軽く期待薄の最期の1箱を思い切って採蜜しましたが、それでも1升3合ほどの収獲がありました。何だかんだといいながら結果的には10升の目標に対し、17升もの収獲があり、満足なシーズンで幕を閉じました。私の採蜜方法は巣の一部を残さず総取りするため、これまでは採蜜後蜜蜂が逃げてしまっていました。今年は少し方法を変えたためでしょうか、今のところ5つの巣に蜜蜂が残っていて、このまま行くと来年の春まで越冬する期待も持てそうです。最初採蜜をする方法は、巣箱の下から二本の鉄製の長い突きノミで天井から巣を外していましたが、今は天板のネジを電動ねじ回しで外し、ステンレス製の包丁を天板と側板の隙間に差し込んで、巣を外す方法を考え付きました。

 こうすることで巣を素早く採集することができるのです。採集した蜂蜜滴る巣に群がっている蜜蜂を丁寧に刷毛で巣箱の中へ落とし、プラスチック容器の中へ巣を入れます。こうすることでこれまで巣と一緒にプラスチック容器の中へ入って身動きが取れなくなっていた蜜蜂の犠牲蜂数が大幅に減り、今では数えるくらいになりました。今年は念願だった採蜜後の残存と、蜜蜂の犠牲という二つの懸案事項に進化の後が見られたことは、何よりも嬉しい出来事です。蜜蜂入居誘引のための日本ラン・キンリョウヘンはまだもう少し師匠の手助けが必要ですが、ここに来てやっと入門の域を脱しつつあるような気がしています。何はともあれ今年の養蜂はいい一年でした。来年もさらに進化を目指して頑張ります。

  4月から 9月中まで 6ヶ月 蜜蜂飼って それなり成果」

  「目標は 10升でした 努力して 17升と 予想を超えて」

  「蜜蜂の 犠牲も大幅 改善し 今では数匹 進化の後が」

  「来年も 今年以上に 進化する 自分に約束 させて終わりぬ」

今年最期の採蜜
今年最期の採蜜
[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇8月の五行歌

 先日8月の松山五行歌歌会の結果が送られてきました。私の8月の作品は相変わらず欠席の部で、次のとおりです。
  悲しい
  悲しい
  親父の死
  涙が出て
  止まらなかった

 講評には次の文章が載っていました。
 ☆自分の場合は、父親を早くなくしました。闘病生活がなかったせいか、父の死はあ っけなく泣けなかった。素直に泣けることはいい事かもしれませんねとの評。最近は女性よりも男性の方がよく泣くのかもという声が女性から出てましたよ。
 (なるほどなるほど、頷ける講評でした)

 出席歌一席は、曽我部礼子さんの次の歌でした。 
  夏空に
  ポパイ雲が
  こぶしあげ
  ちからじまん
  こぶじまん

 欠席歌の一席は不徳竹さんの次の歌でした。
  あゝうまく描けない 
  モリモリと出した
  絵具がすっかり乾いて
  カチカチに固まって
  パレットの上で笑ってる

  「どれ見ても どれを読んでも なるほどと 納得するもの ばかりなりけり」

  「気がつけば 私の歌は どの歌も 親父のことだけ 余程のショック」

  「毎日が あっという間に 過ぎてて行く 人はこうして 歳をとるのか」

  「この歌を 最期にしよう 思いつつ 今日も親父の 隠居の掃除」 

  

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇夏の名残と秋の訪れ

 暑かった夏も終わり、自然型BGMもセミから虫の声に代わって、そこここに秋の気配を感じるようになりました。昨日の朝ウォーキングに出る時、右のズボンポケットに万歩計内蔵の携帯電話を入れ、右のズボンポケットに、机の上に置いていたデジカメを無意識の内に入れて出歩いていました。双海中学校体育館横の坂道の傍で真っ赤な彼岸花を見つけました。近くに寄って中腰で座り込み、彼岸花の美しさに見とれながら、持っていたデジカメで写真を一枚撮りました。

満開の彼岸花
満開の彼岸花
夏の名残のヒマワリ
夏の名残のヒマワリ

 その後県道まで出てもと来た道を引き返すと、やがて杉林や桧林に通じる坂道にさしかかかります。舗装した道には沢山のコナラのドングリが落ちていました。思わず地面にカメラを向けてシャッターを押したドングリも、彼岸花と並んで秋の代表選手といったところです。ふと目をやると傍にセミの死骸が夏の終わりを告げるように一匹、寂しく横たわっていました。セミは羽化するまで何年も土の中で過ごします。羽化し成虫となってからの寿命は短期間ゆえに、暑いひと夏を駆け抜けた一生を不敏に思いました。

トランペットというトランペットに良く似た花
トランペットというトランペットに良く似た花

 頂上付近の坂道を3回、体力づくりの目的で登ったり下ったりして、家の近くまで帰ると近所の庭先で中くらいの大きさのひまわりの花、その二軒向うのの庭先で木にぶら下がったラッパ状の花を見つけました。ラッパ状の花はトランペットという花らしく、色の違う二種類の花を納得して見学させてもらいました。こうしてみると夏の名残花や秋迎えの花も春に似て結構あるものです。久々に童心や自然に帰り、心が癒されました。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇農作業が忙しい

 秋も少しだけ深まりつつありますが、このところ毎日のように畑に出ています。昨日は倉庫の中の網袋の中で、芽が出始めたワケギの種芋を植えました。1htもある広い家庭菜園なのに、辺りかまわず植えるので空き地が殆どない状態です。前日草を取り耕運機で中耕した畑に棒縄張って畝を立て、前日オズメッセのホームセンターで買って来たキャベツと白菜のセル苗も植えつけました。

植えたセル苗の白菜とキャベツ
植えたセル苗の白菜とキャベツ
石灰を撒いたホウレンソウの畝
石灰を撒いたホウレンソウの畝

 普通白菜の苗は一本が60~70円しますが、セル苗だと72本で1000円なので、一本14円ほどと苗は小さいものの、これから植えても大きく育つし安価で大助かりです。ただしセル苗は野菜処大洲でしか売っていないようなので、少し遠いような気もしますが、前日妻と出かけたついで買いをしてきました。セル苗の難点は小さなビニールの苗床穴から苗を抜き取る作業が難しく、苗床の下に手を入れて少し揉み上げるように根を抜かないと、苗が切れてしまうのです。特に白菜の苗は根が柔らかく、結果的には一本だけ切りってしまい駄目にてしまいました。

 お節介な隣りのおばあさんから教わったホウレンソウ畑への節介ならぬ石灰振りもやりました。本当は石灰を振って中耕してから植えつければ良かったのですが、後手に回ってしまいました。振る際飛散しにくい消石灰を買ったので、飛び散ることもなく白い粉を振ったホウレンソウの畝は、一際異彩を放っているようです。昨日はサツマイモを試し掘りしました。サツマイモの収穫はまだ1ヶ月も先ですが、珍しい間に食べようと、試し掘りしました。そんなに大きくはありませんでしたが、早速水洗いして妻が焼き芋にしてくれました。焼きたてのサツマイモは栗に匹敵するほどの美味しさで、二人で大いに楽しみました。

  「セル苗の キャベツ・白菜 買ってきて 慎重抜いて 畑に植える」

  「一町も ある菜園に 色々と 思いつくまま 植えて満杯」

  「お節介 隣りのおばさん 指導受け 白い石灰 畑振り撒く」

  「試し掘り サツマイモ掘り 焼き芋に 妻と二人で 秋を楽しむ」

セル苗
セル苗
[ この記事をシェアする ]