人間牧場

〇種を播く

 「春に3日の日和なし」と言われるように、このところ足繁く雨が降るようになり、下手をすると農作業が一週間も遅れてしまうのです。幸いなことにそのことを意識して先日大根畑の後片付けをして、大根は切り干し大根に、雑草は果樹園の根元に緑肥として返し豚糞・石灰を満遍なく撒き、耕運機で中耕していました。三宅島の佐久間さんから送ってもらった赤目里芋も、少し種芋として残し作付けした残りも堀り上げ、中耕を終えていたので、跡地にゴボウの種を播こうと、昨日は午前中畝を立てました。

種を播いたゴボウ畑
種を播いたゴボウ畑
ビニールポットにトウモロコシとキュウリの種を播く
ビニールポットにトウモロコシとキュウリの種を播く

 私の場合は農家ではないので、まだ何をいつどのように、野菜の種や苗を植えればいいのか完全に飲み込めていません。毎日一万歩を目指してウォーキングする道すがら、近所の人の畑をよくよく見ると、「あっ、タマネギを植えた。白菜を植えた。肥料をやっている」などなどが手に取るように分るのです。近所のおばさんが3日前ゴボウの種を播いたようなので、早速近所の薬局に出かけ、ゴボウの種を2袋買い求めて帰りました。薬局の売店に野菜の種が置いて売っているのも可笑しな話ですが、田舎ゆえ病院で診察を受け、薬を貰いに来たついでに種を買って帰るのだという話を聞いて納得しました。

 立てた畝に草削り用の先の尖った鍬で溝を掘り、そこへ一粒一粒種を落とし込み、籾殻を乗せ、土を被せて行くのです。終るとその上に豚糞を振りかけ、野鳥が種を食べないよう、テグスを張って一丁上がりです。昨年近所のおばさんから、「柿の芽が開いた頃にゴボウの種が発芽するようにすれば間違いない」と教わっていたのを思い出しました。早いのか遅いのかも分らず、今年は自分のWritingCalendarにしっかりとメモをしたので、芽生えの時機を見て早いか遅いか修正したいと思っています。

 中興した折、先日ホームセンターから買って帰っていた黒いビニールポットに土を入れ、新しく作ったビニールハウスに入れていた苗床にも、キューリとトウモロコシの種を播きました。ビニールハウスで何をどう作るかはまだ決めていませんが、とりあえず今年はキューリとトマトを植えて促成栽培をしようと思っています。トウモロコシは種を播いて苗を立て、畑に植えて少し早く収穫したいと夢を膨らませていますが、小さいビニールハウスなので、あれもこれもはできっこありません。まあ小さなことをせいぜい楽しみたいと思っています。

  「昔から 春に3日の 日和なし 言われるゆえに 肝に銘じて」

  「まだ余寒 残りて畑 冬と春 同居していて 作業戸惑う」

  「薬局の 窓口野菜 種見つけ あれやこれやと 見繕い買う」

  「種まくと 待っていたよう 雨が降り 安心しつつ 天を見上げる」

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〇双海史談会設立10周年郷土史講演会

講演会のチラシ
講演会のチラシ

 坂本竜馬といえば高知県が生んだ明治維新の英雄です。ゆえに没後100年を越えた今でも根強い人気がありますが、坂本龍馬以外にも明治維新には、様々な秘話があって、後に上灘村・高岸村・高野川村の戸長を務めた大洲藩士中村惇も知られざる人物なのです。双海町史談会では設立10周年を記念して、「明治維新秘話ものがたり・大洲藩士中村惇(あつし)の事積」を出版している、双海町出身の武智利博先生(伊予史談会名誉会長)を招いて、中村惇をテーマにした講演会をすることになりました。

講演をする武智利博先生
講演をする武智利博先生

 昨日は午前9時に地域事務所3階の大ホールに関係者が集り、椅子を並べたり看板をかけたりして準備をしました。私も役員の末席を汚しているので役に立たないとも思いつつ少しだけ手伝い、そのうち講師の先生と別室で久しぶりに再会し、言葉を交わしました。今回は公開講座としてチラシを新聞折り込みしたため、また先生の人脈もあって予想を越える多くの人が集まり、満席状態で講演会が開かれました。先生は高校の校長先生をされていたこともあり、ノンフィクションな史実を丹念に研究していて、興味をそそるお話をいっぱい聞くことができました。

 

講演会場風景
講演会場風景

1862年、坂本龍馬脱藩。その2年後の1864年8月、田中光顕(のちに明治政府で宮内大臣等の要職を歴任)ら5名も土佐藩から脱藩を企てました。田中光顕らは、黒森峠~岩屋寺~久万~三坂峠~麻生を通過。その後松山に行かず郡中へ入りました。何故脱藩の道に郡中の道を選んだのでしょう。そして郡中に入った一行は、庇護してもらえる長州に向うために、船を調達しなければなりません。地元の協力者の存在に脱藩の成否がかかるのです。当時郡中の郡奉行であった大洲藩士中村惇は、土佐からの脱藩者にどのように接したのでしょう。チラシに書かれていたキャプションが興味をそそり、先生の話しに傍耳を立てて聞きました。

 講演会終了後先生を囲んで、近くの割烹灘で簡単な昼食会が持たれ、私も参加しましたが、残念ながら午後1時に高知県日高村から視察を受け入れることになっていて、その後の総会にも副会長ながら出席も出来ず早退して、不義理を囲ってしまいました。双海町が伊予市・中山町と合併するほんの前、改訂双海町誌を編纂する仕事を、当時教育長をしていたこともあって編纂委員長を務め、中尾先生たちと一緒に大事業をなし終え発刊することができました。その余韻を受けて設立した史談会ですが、早くも10年が過ぎました。これからも双海という郷土をキーワードに、みんなで勉強して行こうと思っています。

  「早10年 時の流れに 驚きつ 記念事業の 机並べる」

  「いや凄い ノンフィクションの 裏話 坂本龍馬と 比較をしつつ」

  「丹念に 調べ研究 した資料 読みつつ話し 耳を傾け」

  「沢山の 人が集まり 講演会 これも講師の 人徳広さ」

 

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〇忘れちゃならない2011年3月11日

 昨日は朝から晩まで一日中、2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災の恐ろしい記憶を、思い出させるようなマスコミの報道があり、日本列島は鎮魂の祈りに包まれました。犠牲となった死者・不明者・関連死者2万1千人や、避難したままの17万4千人のことを思えば、余寒が身に染みる一日でした。東京電力福島第一原発の廃炉作業を含めた復興の道のりはまだ遠く、忘れたいけど忘れてはならない風化への危機感も感じつつ黙祷を捧げました。

 阪神淡路大震災、えひめ丸事故、東日本大震災など、私の人生において忘れてはならない社会的出来事はいっぱいありますが、日々の暮らしの中でいつの間にか埋没してしまうのです。それでも昨日は朝晩の食事をしながら直近起こった東日本大震災のことを夫婦で話しながら、昨年7月あの世へ逝った親父のことに話が及びました。一番身近な人間の親父のことすら次第に話題になることが少なくなりました。私たち夫婦にとってとりわけこの5~6年は、親父の介護を忘れた日は一度もありませんでした。

 ゆえに亡くなって8ヶ月が経った今も、時々親父の夢を見たりオヤッと思うような親父の幻影を見たりするのです。これまでより頻繁に仏壇に手を合わせたり、お墓へシキビを供えたりしていますが、日が経つにつれて思い出は薄れつつあることも事実です。でも決して忘れてしまったわけではなく、母が亡くなって27年が経ちましたが、母の存在も同じように風化せず、心の奥底にちゃんと残っているのです。私たち夫婦が亡くなったら、子どもたちがこれほど思ってくれるかどうかは疑問ですが、折に触れ思い出して話するのも供養の一つと心得て、前を向いて生きつつ、後を振り返りたいと思っています。

  「3・11 あの日あの時 忘れない 心の奥に しっかり刻む」

  「目を閉じて 黙祷一分 大津波 テレビの光景 記憶で残る」

  「亡くなりし 親父のことを 思い出す 勿論母も 心の奥に」

  「人間は はかなきものよ 自然には 到底勝てぬ 自然と共生」

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〇蜜蜂巣箱のキットワクワク

 前日のかなり強い雨で、軽四トラックの荷台に積んだまま降ろせずブルーシートを被せたまま、一夜を明かした蜜蜂巣箱用の板を昨日は午前中片づけました。荷解きした板をリヤカーに乗せ東屋まで運び、倉庫を片づけてとりあえず収納しました。材木屋を営む従兄弟からのプレゼントですが、私が思っていた端材とは程遠く、見れば見るほど立派な板に驚くやら嬉しくなるやらでした。

 

貰った蜜蜂巣箱作りの板キット
貰った蜜蜂巣箱作りの板キット

側面板40枚は蜜蜂巣箱の黄金比率だと聞いている、30cmの巾に裁断されてキットになっていて、天板10枚を含めると50枚にもなるのです。近々蜜蜂の入口となる場所を切り取る作業をして、ネジ釘で止めて巣箱に加工する計画ですが、少しだけ心配はこの板が集成材なので接着剤を使っているため、蜜蜂のお気に召すかどうかです。これまでにも天板が足らなくなって、似たような集成材を使いましたが、支障はなかったようなので楽観はしていますが・・・・。

 昨日関奉仕財団のお世話をしている藤原さんから電話が入り、先日訪ねて懇談した関会長さんも私の活動報告に大満足だったそうで、その折手土産に持参した蜂蜜も気に入ってもらえたようで安心しました。蜜蜂一匹が集めてくる蜂蜜の量は僅か小さじいっぱいだと聞きますが、巣箱を作り、巣箱に蜜蝋を塗り、巣箱の前に日本ランキンリョウヘンを置いて誘引し、蜜蜂がせっせと集めた蜂蜜を蜜蜂と格闘しながらいただき、それを精製して瓶詰めしお裾分けする途方もない作業も、元はといえば木の板で巣箱を作ることから始まるのです。

 春がやって来ました。春は養蜂を志す私にとって、とても待ちどおしい季節でもあります。養蜂はワクワク・ドキドキ、時にはその神秘さがゆえにジーンとすることがいっぱいあります。今年もどんなドラマが待っているか楽しみです。既に蜜蜂の師匠からいただいた日本ランキンリョウヘンも、ダイニングの食卓の下で花芽を膨らませながら出番の来るのを待っているようです。

  「雨の中 ブルーシートに 被さって 荷台で一夜 明かした材板」

  「荷を解き 一輪車にて 持ち運び とりあえず倉庫 無事に収納」

  「パトロンと あがめる恩人 手土産の 蜂蜜食べて 美味しかったと」

  「春が来た やることいっぱい あり過ぎて ワクワク・ドキドキ ああ幸せだ」 

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〇確定申告がやっと終りました

 「エッ、今頃?」と思われそうですが、今年も確定申告がやっと終りました。昨日あったことさえ忘れるような年齢になると、この1年間の所得に関するあれやこれやを思い出すのは、愛用しているWriting Calemdarと、講演等に行った先々から送ってもらっている、支払い調書の紙切れですが、これを所得と旅費に分けて一覧表を作ります。若い頃はJTB発行の時刻表と首ったけで旅費を計算していましたが、今はインターネットで検索すると、いとも簡単に旅費の細々が示され大助かりです。

確定申告書類
確定申告書類

 私の場合、講演等でいただいた所得は、殆ど10%の所得税が既に差し引かれて支払われていて、むしろ講演料と旅費込みで所得税が引かれているので、旅費を必要経費として計上すれば還付してもらえ、毎年確定申告後に何がしかの還付金が戻ってくるのです。それにしても不思議に思うのは旅費にまで、10%の所得税がかかることです。旅費から10%差し引かれると旅費が10%足らなくなって赤字になるのです。まあ小さいことなので目くじらを立てることもありませんが、いつか専門家に聞いてみたいと思っています。

 私の場合、身体障害者総合1級の親父を扶養介護していたため、親父のお陰で所得税控除がありました。今年も7月まで存命だったので多少の控除があるものと思われますが、来年はそれもなくなるので、丸々所得税がかかるようです。いつものことながら私の確定申告は、税務に詳しい親友に頼んで申告手続きの記入を手伝ってもらいますが、昨日親友から計算が出来たと連絡があり受け取りに出かけました。今日は認印を押して切手を貼り、投函しようと思っています。現職を退職して11年が経ちました。これまではセミリタイアのような形でしたが、そそそろ年金一本の細々とした暮らしが始まります。しっかりと気を引き締めて暮らしたいと思っています。

  「何となく 肩の荷下りた 心境に 確定申告 今年も終る」

  「旅費にまで 10%の 消費税 理屈に合わぬ 首をかしげて」

  「この歳に なっても申告 親友の 手助けなくば 出来ぬ愚かさ」

  「そろそろと 年金一本 気構えて 質素倹約 生きる手立てを」

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◯春が来た

 先週の日曜日、私はあいにく大分へ出張していて留守でしたが、双海町では恒例の菜の花ウォークが行われ、春を待ちこがれた多くの人たちがウォーキングを楽しんだようです。この日の天気予報は雨でしたが、地元の人が「ボロでねじた(ポロっと降った程度)」と言うように大した雨にもならず、暖かい一日でした。

 私は喧騒の去った明くる日、大洲へ行く途中閏住の菜の花畑に立ち寄りましたが、一人で菜の花を独り占めしながら見るのもおつなものでした。冬から春へ季節が大きく動き始めました。目の覚めるような黄色い菜の花を見ながら、20数年前植えたらいけないというJRに歯むかって、ポケットから種を落とした逸話を思い出しました。もうこんな裏話を知っている人も殆どいなくなりましたが、今ではすっかり愛媛の春の風物となっているのです。

 今日はあいにく朝から雨が降っていますが、運の悪い人がいるもので、まちづくりの視察に10人ほどがやって来ました。この雨なのでリクエストのあった人間牧場へも行けず、結局私設公民館煙会所の囲炉裏に火を入れ、お話会となりましたが、菜の花畑は私が前日タブレットで撮影した画像を見せると、みんな口々に「まあ綺麗」「実物を見たかった」と残念さがかえって募る結果となってしまいました。。

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  「まあ綺麗 画像菜の花 室内で 見ながら雨の 天気を悔やむ」

  「この花も 元はといえば ポケットに 穴あけ落し まるで落語だ」

  「煙会所 囲炉裏囲んで 座談会 雨もまたよし 来た人喜ぶ」

  「菜の花と 夕日のコラボ 面白い 夜の菜の花 楽しむ人も」

 

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〇わが家もやっと遅ればせながら光が~

 何ヶ月か前、NTT関連の人がわが家にやって来て、「この町に光回線が入るのでお宅も如何ですか?」と勧められました。いきなりOCNとか光といった専門用語を言われても、デジタルやメカに弱い私なので、「あいにく留守ですが息子と相談して下さい」と、間違った判断も出来ないのでその場ではお茶を濁しました。後日息子の判断で工事が進められ、先日私の留守に電話下の機材交換作業が行われ、わが家も光回線になったようです。

 息子に聞けば光はその名のとおり、情報処理能力が質量ともに倍化したそうですが、質も量もそれ程ないと思われる私のPC仕事程度では、早いのか遅いのか、重いのか軽いのかさえも分らず、光の恩恵すら分らない、いい加減な人間なのです。まあ余り詮索しなくてもPCのことは息子に任せておけばいいと、安易な考えでいますが、回線利用は自動引き落としでお金がいることなので、チェックしておかなければなりません。

 最近はキャッシュレス社会で、携帯電話もインターネットも、また高速道路を走ってETCゲートをくぐっても、全て口座から引き落とされる仕組みになっていて、気がつけば貯金通帳に、沢山の引き落とし項目が並んでいて、騙されてたり間違っていても分りにくいほど数字が埋没しているのです。私は時代遅れな人間で、日常生活ではカードを殆ど使いませんが、わが家の暮らしを取り仕切る妻は、財布の中に沢山のカードを入れて持ち歩いているようです。便利だし安全だと言いつつ、少し不安も覗かせていますが、時代が変わったことを実感する今日この頃です。

  「OCN 光と言われ 何のこと? チンプンカンプン 古い人間」

  「通帳に 知らない数字 打ち込まれ 首をかしげて ただただ呆然」

  「世の中は 知らないことが 多過ぎる 時代遅れを しみじみ実感」

  「気にせずに 今まで生きて きたけれど これから先は どうすりゃいいの」

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〇元校長先生からの便り

 もう40年も前、さらにはもう10年も前、2度にわたって教育委員会で仕事をしたことのある、そして現在も教育関係の仕事が多い私ゆえ、そのことを反映して愛媛県内外の教育関係者とは今でも親しくお付き合いをしています。多分一番長い付き合いは愛媛大学名誉教授の讃岐先生ですが、先生からは二宮金次郎のブロンズ像までいただき、多少の重さを感じながら、このブロンズ像とともに同行二人の旅を続けています。

武田廣香元校長先生からのお便りハガキ
武田廣香元校長先生からのお便りハガキ

 先日元由並小学校長だった武田廣香先生から、一枚のハガキが届きました。心温まる文面には、「社会総がかりで取り組む愛媛の教育」を読んだ感想が書かれていました。多分昨年愛媛県松山市で開かれたPTAの研修会の折、私が発言したPTAをPTCAに替えてはどうかという意見が紹介されていたことへの感想でしょうが、嬉しいご意見でした。

 さらに文面を読み進めると、私が代表を務めている公友会の機関紙に投稿していた私と赤石さんの、記事を読んだ感想まで書かれていました。武田先生は退職前も退職後も私が実行委員長を務めているふるさと体験塾へも度々足を運んで、一緒に活動をしてくれているのです。情熱とファイト、それに軽いフットワークがリーダーには不可欠だとも書かれていました。

 何という温かいお便りでしょう。そして何という励ましの言葉でしょう。手にとって読んだ瞬間、思わず胸が熱くなりました。そして私もかくありたいと思いました。ゆえに私信で失礼とは思いましたが、あえて私の人生の年輪に記憶として遺すべく、今日のブログにて紹介することにしました。デジタル万能なこの時代ゆえ、ついつい見落としがちなアナログハガキが、どれほど人々に勇気や感動を与えてくれるか、再認識させれられました。世の中には達人がいるものです。

  「親友の 元がついたる 校長さん ハガキしたため 送ってくれた」

  「現代は デジタル万能 社会ゆえ 時代遅れと ハガキ思われ」

  「一枚の 手書きのハガキ 胸を打つ ハガキのような 存在なりたい」

  「一隅を 照らす人ほど 本物と あらため思う 遠い道のり」 

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◯大分県別府のホテルで朝を迎えました

5日前の3月1日に大分県国東市へ出かけた余感冷めやらぬ昨日と今日の二日間、今度は大分県別府市ヘ来ています。日本一の湧出量を誇る湯けむりの別府は私の大好きな街ですが、昨日は夜遅くの到着だったため、湯煙も見ずに眠り、今朝は逗留したホテルで穏やかで暖かい朝を迎えました。今朝は折角別府に来たのだから、これから朝風呂を楽しもうと思っています。

 今日は午前中大分県生涯学習センターで私の講演が行われ、午後はインタビューダイアローグや分科会が予定されていて、長い一日になりそうです。浅学非才な私ゆえその行方に多少不安を感じていますが、思いを込めて頑張ろうと思っています。

 今日の帰宅はかなり遅くなるものと思われます。お急ぎ用事の方は携帯でお願いします。

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〇蜂蜜のお裾分け

 昨日は日本銀行松山支店の3階会議室で、金融広報アドバイザーの研修会があり出かけて行きました。出かけるに当たって私が採取し息子が手間暇欠けて精製し、瓶詰めしてくれた蜂蜜を少々持参して、日ごろお世話になっている人たちに差し上げました。私の採取している蜂蜜は、日本蜜蜂が集めてくれた百花蜜なので、どの花の蜜か集めてくれた蜜蜂に聞いても答えてくれないので、知る良しもありませんが、身体や喉にいいと言われているので、一緒にアドバイザー活動をしているソプラノ歌手二宮典子さんにも、ほんの少しだけお裾分けしました。二宮さんは喉が命の人なのでと、勝手に思った次第です。

 会議と会食が終り帰宅途中、少し遠回りをして材木販売業を営む従兄弟の店に立ち寄り、蜜蜂の巣箱に使う板の相談をしました。私が現在使っている巣箱は馬路村産や野村町産、それに私が見よう見真似で作ったものですが、風に吹き飛ばされたりスズメバチやスムシに食い荒らされて随分くたびれてきているので、この際新しいものを子どもたちと一緒に作ろうと思っての相談でした。従兄弟は在社していて、少しの間私の話を聞いてもらい、この春まで小学校のPTA会長もしているので、子どものために一肌脱ごうと言ってくれました。

 お礼に蜂蜜を一瓶差し上げて帰りましたが、キットが出来るのが楽しみになってきました。蜂蜜はこうしてお裾分けという形で次から次へと人に手に渡り、人の心をつないでくれています。子どもたちと一緒に作る予定の蜜蜂の巣箱が今度はどんなドラマを産んで行くのでしょうか。一匹の蜜蜂が運ぶ蜂蜜は僅か小さじ一杯程だといわれていますが、今年は蜜蜂師匠の井上さんから花芽のついたキンリョウヘンも届いていて、春の来るのが待ち遠しいこのごろです。私も今朝妻の焼いてくれた食パンに蜂蜜をたっぷり塗って、元気を一杯いただきました。今日は新居浜~大分と忙しい出張が続きます。

  「ソプラノの 親友歌手の 友人に お裾分けする 蜂蜜一瓶」

  「材木屋 社長に相談 巣箱板 任せてくれと 強い味方に」

  「木の板で 蜜蜂巣箱 誰にでも 作れるように キット組み立て」

  「蜂蜜が 人と人とを 橋渡し 心豊かに 生きる喜び」

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