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〇おまえの責任!!

 昨日近所の人と立ち話をしていたら、深刻な人口問題の話で大いに盛り上がりました。深刻な話で盛り上がるはずはないのでしょうが、立ち話の相手だった人が先日市役所双海地域事務所へ行った折、何気なく受付上に掲示している双海町の人口数を見て、とても驚いたとのことでした。下灘村と上灘町が合併して旧双海町が誕生したころは、人口が1万人を超えていました。ところが東京オリンピックのあった昭和38年ころをピークに人口が減り始め、伊予市・中山町と合併して伊予市になった平成17年ころには約半分の5千人にまで落ち込んでいました。盛り上がった話はここからです。

 「若松さん、あんた双海町の現在の人口を知ってるかい」と聞かれたので、「4千人を切っていますよ」と答えると「さすが元役場職員だけはあるな」と持ち上げられました。「わしはもっと人が住んでいると思っていたので、驚いてしまいました。何とかしないとこの町は潰れますよ」とここまでは穏やかな話でしたが、「あんたはこの現状を見て何とも思わないのですか」と突っ込まれました。「私だって過疎の現状には心を痛めていますが、私のような元役場の職員如きが考えたくらいで解決するような、そんな生易しいことではありません」と少し反論すると、今度は旧下灘中学校跡地について話し始めました。

 「下灘中学校が廃校になって9年が経ちました。学校統合の時跡地利用について必ず効果的に利用すると約束したのに、それもなしく崩し的で、議会広報を見ても議員の質問に理事者は、検討するような口ぶりだが、まったく進展がありません。あんたも元教育長だったのだから責任があるはずだ」と詰め寄られました。逃げる気は毛頭ありませんが、学校統合は私が辞め合併してからの話なので・・・」と反論すれば口論になることも考えられるので、「あなたはどうしたらいいと思いますか」と柔らかく聞き返しました。その人は妙案も持たず、来年度の由並小学校の新入生が一人らしいという話でまた堂々巡りをして別れました。

 「責任は お前にもある 言われると 反論したいが 火に油かな」

 「人口が どんどん減って このままじゃ 町が潰れる どうすりゃいいの」

 「一年に 百人ずつの 減少で このまま行くと 何年か後 ゼロの推計」

 「東京を 除きゃ全国 人口減 おれん所は 先進地じゃん」 

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〇タケノコのお裾分け(その2)

 わが家へタケノコが大量に届いたのは土曜日の午後3時ころでした。手持ちのタブレットに内蔵している気象クラウドによると天気は下り坂、しかも前線を伴った低気圧の接近で夕方から大荒れの天気が予想されました。さりとて大量のタケノコをそのままにして、明くる日の天気回復を待つ余裕もなく、思い切って大きなかまどを倉庫から取り出し、何はともあれ準備を始めました。まず灰汁抜きのための米ぬかを調達すべく、近所の米屋さんに電話を掛けてみましたが、「今はお米をつかないためない」と言われました。思いついたのが近所のコイン米つき機のある高村電器店でした。ご主人が電話に出て「差し上げますので袋を持って来てください」と言われ、単車を飛ばし貰ってきました。

風雨の中での大釜によるタケノコ茹で
米ぬかを使って灰汁抜きをしているタケノコ

 まず大釜を水洗いしてバケツで水を入れ、火を焚きつけました。少し風が強くなったので風で火の粉が飛ばないよう、かまど付近から離れないよう自分に言い聞かせ、タケノコを包丁で半分に割って皮を剥き、根元の固そうな部分を削り取り、さらに半分に割ってお湯の中へ順次投入した上に、貰って来た米ぬかを大量に入れました。風が適当に入り火力が強いのであっという間にお湯はグラグラと沸き立ちました。吹きこぼれないよう時々蓋を開けて水をつぎ足し、2度茹でたお湯を入れ替えて2時間ほどしていると妻が外出先から帰り、私のタケノコを茹でる姿を見て大いに喜んでくれましたが、手伝うこともないのであれやこれや注文を付けただけで家の中へ入ってしまいました。

 もうそろそろかな?と思い、タケノコ茹でに慣れている妻にを呼ぶと、妻は慣れた手つきで竹ぐしを茹でたタケノコに差し、「もうひとくべ」と言いました。軒先の薪を一抱え投入したころには大嵐になりました。軒先で雨を除けながらの作業は夕方まで続きましたが、何とか終えて火の気のなくなるのを見届けて、そのまま朝まで蒸しておきました。昨日の朝かまどの蓋を開けてみると余熱もなくなり、柔らかいタケノコができていました。大釜から取り出し丁寧に水洗いして、昨日は息子や娘、知人友人へ3個ずつお裾分けをするため走り回りましたが、みんな喜んでくれ、少しの苦労も報われた感じがしました。昨晩はタケノコと鯛のあら炊きが食卓に上りましたが、自分が茹でたタケノコだけに美味しさも一入でした。それにしてもタケノコは厄介な食べ物です。ましてや貰ったタケノコの剥いだ皮の量は大量で、貰ったほどもありました。

 「中庭に かまど大釜 据え付けて タケノコ茹でる 作業黙々」

 「米ぬかを 貰いあく抜き 手間かかる タケノコ掘った 人も加わり」

 「一夜明け 余熱で蒸した タケノコは 灰汁もすっかり 抜けて柔らか」

 「タケノコを 袋に入れて お裾分け やっと昨晩 私もご賞味」

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〇木嶋水産で美味しいシラス丼を食べました(その2)

 木嶋さんは現在伊方町の町議会議員さんです。若い頃から進取の気概に溢れていて、彼が商工会青年部で活躍していたころから、深いご縁の付き合いをしています。最近は三崎町で浅野さん兄弟が主宰する喜久家プロジェクトの、年に一度の交換会に小西さんや片岡さんたちも参加していて、そこで木嶋さんと出会い、私のいないところで私の悪口?(大笑い)を随分話していたらしく、「一度自慢のシラス丼を食べ臭に来て」という木嶋さんの誘いに悪乗りし、今回の訪問となりました。

美味しかったシラスたっぷり丼
木嶋さんと緒方さんとともに
同行ずっこけ3人組
木嶋さん親子がミザワで仕留めたアオザメの畳表を使った魚拓

 この日の海はあいにくの時化模様でしたが、木嶋水産の船漕ぎ網はシラス漁していたらしく、余熱の残る工場内を通って、2階の食堂へ案内してもらいました。食堂にはミザワで木嶋さん親子が仕留めたというアオザメが、リアルにも畳表に黒墨で魚拓されて飾っていました。昼には少し早かったのですが、早速お目当てのシラス丼をいただくことにしました。炊き立ての熱々のご飯の上に釜揚げしたばかりのシラスをたっぷり乗せ、生卵とねぎを散らし、木嶋さん秘伝配合手作りの出汁醤油を掛けて、かき混ぜながら食べました。これはもう絶品で、同行の小西さんも片岡さんもお替りをするほどでした。

 そのうち近所に住む緒方二三子さんが会いに来てくれました。緒方さんはもう20年間も友人の西岡真由美さんとともに、必ず私の誕生日に花束を届けてくれる最愛の人なので、嬉しい再会となりました。緒方さんには食後のデザートまで届けていただき、その気配りの細やかさには恐縮してしまいました。釜揚げのシラスをお土産にまでいただき、お暇してから折角ここまで来たのだからと、三崎二名津の田村菓子店を訪ねました。木嶋さん宅を出る時前もって電話を入れておいたので、田村さんはお店でお茶を出して歓待してくれました。田村さんは失礼ながらこんな小さな田舎の小さな集落で、菓子店をしっかりと経営していて、頼まれればどこへでも作って持って行く身体を張った積極商売をしています。何事にも積極的でまじめな生き方は、私の大好き人間の一人です。

田村菓子舗にて

 木嶋さんと田村さんに出会っただけでも昨日の一日はとてもラッキーでした。二名津を出る頃雨がポツポツ降り始めましたが、気象クラウドの天気予報は合っていて、夕方まではそれほどの雨でもなく、午後2時ころ自宅へ帰ってから細々身の回りの作業をしましたが、案の定予定通り前線を伴った低気圧の影響で、夕方からは強風を伴ったかなり強い雨が降り始めましたが、その内妻の友人がタケノコを沢山届けてくれたので、外に大釜を据えて多少濡れながら孤軍奮闘と相成りました。

 「獲れたての 釜揚げシラス ドンブリに たっぷり乗せて ネギも散らして」

 「社長さん 秘伝と自慢 するだけは あると納得 しながら食べる」

 「ああ美味い 満足手合い ご近所の 親友女性 デザート差し入れ」

 「足伸ばし 菓子店営む 友の店 これまた満足 出会い重ねる」

 

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〇美しい花にはトゲがある

春真っ盛りです。野辺のあちこちには沢山の名もなき花が咲いています。雑草が伸び始めてくると、間もなくそれらの花は草刈り機の餌食となって、人に見られることもなく無造作に刈り倒されてしまうのです。特にトゲを持つ花はアザミも野ばらも煙たがられて敬遠され、僅かに食用となるフキやツワブキが残されます。昨日も草刈りの途中でアザミの花を見つけ、少し鑑賞し写真に撮った後刈り取りました。

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〇ヨーグルトの賞味期限切れ

 わが家では毎朝、野菜とリンゴで妻が作ってくれるスムージーと、コープえひめの宅配ヨーグルトを飲んだり食べたりしています。お陰様で腸内環境がいいのか、すこぶる元気に過ごしています。特にリンゴとキャベツのスムージーはリンキャベと名前を付けて、自宅で無農薬栽培で作ったキャベツを使っているので、安心安全な飲み物として楽しんでいますが、そろそろ春キャベツも終わり、次のキャベツが育つまでは、残念ながら市販のキャベツに頼らなければなりません。

 昨日の朝食時私の定位置机に妻がヨーグルトを置いてくれました。妻は二つのヨーグルトを見比べながら、自分は賞味期限がまだ先の年月日の方を取り、私には賞味期限が前日に切れたヨーグルトを置いたのです。賞味期限に敏感で口うるさい息子なら、賞味期限の切れたヨーグルトはたちまちゴミ箱行きでしょうが、勿体ない精神の多い昭和19年生まれの私には、趣味期限の一日なんて何のことはないので、別に目くじら立てるほどのこともないものの、賞味期限の過ぎた方を私に渡す妻の一言、「お父さんは胃が丈夫だから賞味期限が一日過ぎたくらいでは、当たりもしないから・・・・」でした。

 普通なら「夫の私を殺すのか!!」とわめき散らすところでしょうが、私も負けじと机の上のメモ帳に、「二つ見て 賞味期限の切れた方 私に食わす 妻の気配り」と、笑売啖呵を書いて、読み聞かせてやり、犬も食わない夫婦の会話で大笑いをしました。あれから一日24時間が経ちましたが私の体内には何の変化もなく、お通じも今まで通りすこぶる快調です。はてさてヨーグルトや納豆などの発酵食品は、元々腐らして作るのですから、賞味期限が少しくらい切れても、雑菌さえ発生していなければ大丈夫のような気もするのです。ネットで調べてみると、私と同じような疑問や考え方がいっぱい紹介されていました。

 「2つ見て 賞味期限の 切れた方 私に食わす 妻の気配り」(大笑い)

 「妻くれた 賞味期限の 切れた方 食べたが別に 腹もうずかず」

 「ヨーグルト 賞味期限が 切れてなお 雑菌なくば 食べれるようだ」

 「私には 賞味期限が 分からない 蜂蜜などは 無期限のよう」

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〇子ども教室実行委員会

 昨晩は双海町子ども教室の新年度最初の実行委員会がありました。聞くところによれば市役所の地域事務所も、4月1日から宿直員が廃止され機械警備になったそうです。合併して13年が経ち、合理化という名のもとに次第に遠のく行政サービスを、「仕方のないこと」と不満を口にするだけで諦めている住民の姿に、多少憤りを感じながら、このままだと将来はどうなるのだろうと不安もよぎりますが、やはり諦めるしかないのかも知れません。

双海町子ども教室実行委員会

 昨晩の子ども教室実行委員会には予定されていた人がほとんど参加して、退職前から退職後の今日まで、断る理由も断る勇気もなく今年度も実行委員長に選任されましたが、まるでエンドレステープのように、新しく副委員長に選任された幸先生とともに、未来ある子どもたちのためにひと肌脱ごうと思っています。人から見れば毎年同じようなことをやっていると思われがちですが、私的には少しずつ進化していて、子どもたちの成長に目を細めています。

 事務局の隅田さんも4年目だそうで、2年目の森田館長さんとともに、少し知恵を出して「ハラハラ・ドキドキ・ジーン」の深度を強くしたいと思います。そのためにもう少し新しい顔ぶれの参加も考えなくてはなりません。財源不足を理由に市教委からの援助も右肩下がりのようですが、一番気がかりなのは私が現職を退いて実行委員長になってから13年間、知ってか知らずでか、まだ一度も教育長さんや社会教育課長さんが、子ども教室という社会教育の現場に顔を覗かせたことがないという不思議さです。子ども体験塾にしろ通学合宿夕焼け村にしろ、県内ではかなり名の知れたグレードの高い活動をしていると自負し、双海町子ども什の約束やジュニアリーダー会など、見るべき活動があるのになあと、少し不満がよぎっています。

 まあそんな不平不満より、一番は子どもたちのためにどうすればいいかみんなで知恵を出し合い、しっかりとやろうと思っています。不平不満は自分たちのやらないことを人や社会のせいにしてやれないと言い訳しているだけに過ぎません。今年も安全な非日常的な活動をやろうと思っています。

 「今年も 始まりました 諸活動 グレード高め しっかりやろう」

 「気がかりや 不平不満は あるけれど やらないことを やれない言わず」

 「もう既に 昨年植えた ジャガイモも 芽を出し子ども 待ってるようだ」

 「ボランティア だからやること 意味がある みんなそれぞれ 子どものために」

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〇患者さんを送って何十年かぶりに松尾集落へ

 昨日の夕方、わが妻から所用で出かけた人間牧場へ、携帯電話がかかってきました。「直ぐに自宅へ帰って欲しい」と言うのです。何の用事かも聞かぬまま、多分誰かが自宅へ訪ねて来たのだろうと思い、急いで帰りました。聞けば妻が勤めている歯科医院の患者さんがデマンドバスに乗り遅れ、帰る交通手段がないので送って行って欲しいと言うのです。妻は普通免許を持っているものの、患者さんが住む松尾集落までは行ったこともなく、ましてや道が狭いようなので、とっさに私の顔を思い浮かべたようでした。

松尾集落は長閑でした
答辞は全国的にも珍しかった、雨になると水路になる承水路の市道

 昨日の夜はまちづくり学校双海人の例会日なので、グズグズする暇もなく歯科医院の前で患者さんを乗せ、松尾を集落へ向かいました。その女性は私が公民館主事をしていた若い頃からの顔見知り人で、その家には今は亡くなりましたが同級生もいて懐かしさ一入で、道中車内でいっぱい昔話をしました。本村から細い山道に入りましたが、本村集落では夕暮れ時とあって何人か顔見知りの人にも出会い、「まあ珍しい、若松さんじゃないの。どこへ何しに」と矢継ぎ早に聞かれ、短いあいさつを窓越しに交わして進みました。

「青島の裏側が見える」と形容される松尾集落にも過疎の波が押し寄せ、患者さんの指さす家は空き家が目立っていました。スイッチバックを何度か繰り返し、見覚えのある家へやっと辿り着きました。「お礼はいかほど」と尋ねられましたが、かたくなに固辞しお礼にとキウイフルーツを一袋いただきました。途中偶然にも史談会の副会長を一緒にやっている竹田さんに出会いました。来週の4月21日には史談会の総会と、エクスカーションで松尾集落の妙見神社に来る予定も偶然重なり、とてもラッキーな患者さん送りでした。松尾から本村までの市道はその昔承水路、つまり雨が降ったら道が水路の役目を果たすという、当時は全国でも珍しい工法が取り入れられていて、役場で広報を担当していたころそのことを取材し書いた記憶が蘇りました。

 「患者さん デマンドバスに 乗り遅れ 妻に頼まれ 送り届けに」

 「何十年 ぶりに出かけた 集落は 人口半減 子どもも見えず」

 「若い頃 おいこにナトコ(映写機) くくりつけ 公民館へ 出かけた思い出」

 「青島の 裏側見えると 形容の 松尾集落 未来気になる」 

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〇鯉のぼりならぬまるでメダカのぼり(その2)

 昨日の朝若嫁が、「お父さん、もうそろそろ鯉のぼりの季節なので、お暇な時にお願いします」と、押し入れにしまっていたナイロン袋を玄関先に出してくれました。「今日は小学校の入学式や来客があるので、明日にでも・・・」と会話を交わしました。午後4時ころ学校から帰った孫奏心と、手紙を出すため近くの郵便局へ歩いて出かけた帰り道、「今日はこれから帰ったら鯉のぼりを上げるか」と話すと、「おじいちゃん、やろうやろう」と話がまとまり、早速若嫁が用意してくれていた袋からロープや鯉のぼりを出し、二人で作業を始めました。

鯉のぼり揚げを手伝う孫奏心
庭に揚がった鯉のぼり
ミニハウスの中から鯉のぼりを見る孫奏心と妻

 鯉のぼりは100円ショップで買ったミニチュアが15匹もあります。既にロープにマジックで印をつけている場所に鯉のぼりを取り付け、梯子で2階の屋根と電話線電柱の上に登り滑車を取り付け、ロープを張りました。僅か20分ほどの作業で準備完了です。孫と二人でロープを引っ張ると、鯉のぼりは頭上に綺麗に並んで泳ぎ始めました。まさに鯉のぼりと言うよりはメダカのぼりという表現がぴったりです。今年の春は庭に孫奏心の発案によるツリーハウスならぬミニハウスも出来て、鯉のぼりととてもマッチして、孫奏心も大喜びでした。

 早速孫奏心が、居間にいた孫奏心にとってはおある妻を呼びに行き、鯉のぼりを見に出てきました。孫奏心はさも自分がやったように、「どうだ」と言わんばかりの得意顔で、ミニハウスの中から見学しようと誘い、二人でミニハウスの窓から眺めていました。質素ながらもメダカのぼりは青空をバックに、初夏を思わせるような春の風をいっぱい吸い込んで泳いでいました。今年はいつもの年は玄関先に飾る、妻の実家から贈られた家紋幟もミニハウス周辺に飾ってやろうと思案しています。そのうち外から帰って来た小学5年生になった孫希心も加わり、賑やかでした。

 「鯉のぼり 息子が買った 15匹 群れて大空 綺麗に泳ぐ」

 「今年は 庭の隅には ミニハウス どこか風景 違い絵になる」

 「さも自分 一人が上げた 顔をして どうだとばかり 自慢する孫」

 「おばあちゃん 孫に誘われ ミニハウス 登って窓から 顔出し見学」

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〇臼をいただきました

 わが家には、餅つき用の臼が3つあります。一つは昔から自分の家で使っていたもの、もう一つは高知県四万十市西土佐の和田さんがくれたもの、そしてもう一つは建築現場に廃品となってゴミとして捨てられるはずだったケヤキの木臼です。いずれも自宅では使わないので、人間牧場の倉庫に運んで保管していて、毎年年末に餅つき大会をする時使っています。もうこれ以上必要ないと思っていたのに、先日息子が前建築士会長さんからいただいたと言って持ち帰りました。

いただいた立派な石臼

 見れば少し浅めの立派な2段式石臼で、今はチョイ置きで庭の隅に置いていますが、民俗資料的価値があるので、私設公民館煙会所横の東屋付近に移動して展示しようと思っています。最近はこうした古いものも、家を新築したり造作したりする度に、ガラクタ的にゴミとして処分されてしまうのです。特に石などでできた物は燃えないゆえ、処分に困ることから行き場所を失なってしまうのです。この臼もそんな運命を辿らぬよう心を配った末の譲渡だったように思うのです。

 わが家にはそんなこんなの、人から見ればガラクタと思える民俗資料類がやたらとあります。3年前に亡くなった親父と私の趣味が一致していて、親子二代にわたってコツコツ収集した道具類が倉庫を改造した展示場まで造る力の入れようです。親父はその一つ一つを大事にし、老後のライフワークとして大切に保存展示してくれています。私も年齢的にはその域に達しつつあり、そろそろ親父のような生き方をしようと思っていますが、どうやらわが長男息子も、親父や私と同じような雲行きで、まずは一安心といったところです。

 「わが息子 立派な石臼 貰い受け 庭隅デンと 降ろしそのまま」

 「立派だろ まるで自分が 造ったよう 貰い受けたる 石臼自慢」

 「似てるねえ 妻の一言 言い当てて いると私も 親父と息子」

 「古いもの 次々姿 消して行く 日本行く末 少し危ない」

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〇野に咲く花のように

 昨日は吹き荒れた雨交じりの北西の風で、朝のウォーキングができませんでした。毎日1万歩を目指して歩いている私としては、消化不良のような感じがしていたので、昼食の後思い切って戸外ウォーキングに出かけました。このところの陽気で少し薄着になっていましたが、昨日は久万高原町で薄っすら雪化粧するほど寒さが戻り肌寒かったので、手袋や帽子で少し厚着をしました。

シャガの花
野イチゴの花

 寒いと言っても歩き始めるとポカポカして、すっかり上手になったウグイスの鳴き声を聞きながら歩きました。道沿いには名前も知らない色々な野の花が沢山咲いていました。ふと若い頃口ずさんだ「野に咲く花のように」という曲を思い出し、口ずさみました。この曲は花王名作劇場の「裸の大将」というテレビ番組の主題歌でした。放浪の画家山下清を主人公にして芦屋雁之助さんが主演したユーモラスなほのぼのとしたドラマでした。歌はダ・カーポだったと記憶しています。

 ♯野に咲く花のように 風に吹かれて 野に咲く花のように 人を幸せにして そんな風に僕たちも 生きてゆけたらすばらしい 時には暗い人生も トンネル抜ければ夏の海 そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです♭。道端の水場付近でシャガの花、畑の斜面に野イチゴの花を見つけました。多分私以外にこの花を見る人もなく、多分短い一生を終えるのでしょうが、飾らない素朴な美しさに思わず立ち止まって見とれました。帰宅後ハーモニカを取り出し、下手糞ながら野に咲く花のようにという歌を吹いて楽しみました。

 「風強く 朝ウォーキング 出来なんだ 昼食食べて 歩き始める」

 「春ですね 道端あちこち 名も知らぬ 花が見てねと 笑顔振り撒く」

 「若い頃 歌った歌を 思い出し 口ずさみつつ 花を楽しむ」

 「ハーモニカ 取り出しそっと 吹いてみる 下手糞ながら それなり聞こえ」

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