人間牧場

〇子ども体験塾収穫祭カメラスケッチ

先週の日曜日、人間牧場で行った収穫祭の写真が公民館主事さんから送られてきました。私は当日運営に携わっていたため、子どもたちのスナップ写真を撮りたくても撮れないので、保存や報告書に使う目的で、前もって年度初めに写真の公開了解を得て毎回送ってもらっています。送られてきた写真には体験塾の様子と子どもたちの活動の様子がリアルに写っていました。

開講式で眼下に広がる瀬戸内海の眺望を紹介する私
芋掘り体験
こんなイモが取れました
サツマイモ畑での収穫後の集合写真
サツマイモチャンピオンの表彰式
芋粥と漬物だけのシンプルなお昼ごはん
ウッドデッキで焼き芋を食べる子どもたち
謎解き宝探し
気持よかったロケ風呂足湯体験
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人間牧場

〇子ども体験塾収穫祭(その2)

 子ども体験塾のプログラム原案は昨年度のプログラムを基に修正を加え、担当している公民館主事さんが原案を作ります。それを基に担当する実行委員さんが手を加え、更に公民館長と実行委員長の私がチェックを加えるという1加+1加+1加+1加=10くらいになるような気概でやっています。1+1+1+1=4なのに、みんなの知恵を加えれば10人力になるという方程式?です。

公民館主事のアイデァで楽しかった謎解き宝探し
サツマイモもそれなりに
足湯も好評でした
振り返りの感想文を寝そべりながら書く子どもたち

 活動には①始める活動、②続ける活動、③高める活動、④止める活動がありますが、さしずめ毎年継続している収穫祭は続ける活動と高める活動に力点を置かねば、マンネリのそしりを免れないのです。事務局を担当する公民館主事さんもそれをしっかりと理解していて、企画段階から「どうしたら子どもたちに感動を伝えられるか」考えて企画書を作成してくるのです。ゆえに子どもたちは①楽しい、②新しい、③ためになる、④主体的に動くの4つを体感するのです。

 故に時間の使い方に余裕ができ、プログラムで予定していなかったプラスワンが生まれてくるのです。昨日の朝長男息子が、「お父さん今日は芋掘りで汚れるので、子どもたちに足湯でもしてやったら?」と予定にない提案があり、その役目を買って出てくれ薪で風呂を沸かしてくれました。ロケーション風呂と名付けたこのお風呂は、設計のお仕事をしている息子が設計した自慢の五右衛門風呂なのです。小さなことですがプラス1に充分なりました。

 公民館主事さんのアイディアで取り組んだ「謎解き宝探し」も子どもたちは人間牧場周辺を動き回り、みんなで頭と体を使ったようです。子どもたちに余り人気はありませんが、毎回プログラムの最後に感想文を書かせています。板間やウッドデッキに寝そべりながら書く絵と文章は、お世辞にも素晴らしとは言えませんが、それでもコツコツ貯め込んでいます。

 昨日の朝、人間牧場の直ぐ近くに住んでいる新春那さんの自宅を訪ねました。10月21日松山市で開かれた第43回全国公民館研究集会愛媛県大会の、私がインタビュアーを務めたダイアローグでサブインタビュアーを務め無事大役を果たしてくれたことへのお礼を言いたかったのです。新さんは双海町で行っている通学合宿に授業実習生として参加していて、その模様をスライドで紹介してくれました。

 また、現在砥部町広田小学校に先生として勤務している宇津博美さんは、わが町の子ども体験塾で育った人財逸材で、昨日も寸暇を惜しんでスタッフとして加わり、戦力として活躍をしてくれました。さらに3代前の公民館主事赤石さんもスタッフとして加わり、小さな積み重ねがこうして10人力になっています。23年の積み重ねは伊達ではないと頼もしく思いました。さあもうひと踏ん張り、10人力を11人力に高めるために働きましょう。

「収穫祭 コロナ禍ながら 無事開催 みんなの力 10人力に」

「小さくて 目にはさやかに 見えねども プラス思考で 大きくなりて」

「ふるさとを 語りたくても 語れない そんな昔が 原点でした」

「いい歳に なったとそろそろ 思うけど やり残したこと まだまだありて」

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人間牧場

〇秋の到来

 放射冷却現象もあって、朝晩の冷え込みが強く、手元のパソコンに表示された今朝の気温は8度で、「えっ」と目を疑いました。早朝ウォーキングで出会う人たちのあいさつは「おはよう」より先に、「今朝は寒いですね」の言葉でした。

咲き始めた野生のツワブキの花
南天の実も色づき始めました

 この頃になると北向きのわが町のあちこちには、自生している黄色いツワブキの花がそこここに咲き始め、少しずつ進む秋の深まりに彩りを添えて、秋の到来を存分に感じさせてくれるのです。双海町に吹く風は冬北西、春先は南西、夏南ですが、秋の季節風はこちらでは「くだり」と呼ぶ北東の少し冷たさを感じる風です。昨日もかなり強い「くだり」の風が吹きました。

 昔からこの地方では、「くだりの風と夫婦喧嘩は宵に凪ぐ」と言われていて、昼過ぎまで強く吹いていた北東の風も、夕方には何事もなかったように収まるのです。そう言えば夫婦喧嘩も何度かしましたが、一日の終わりころには収まったような気もしています。

 今年も庭のあちこちに植えている南天に沢山の実がつき色づき始めました。「難を転じる」縁起の良い木として植えていますが、まだ野山に沢山の食べ物があるこの時期は、野鳥は南天やクロガネモチの実を食べに来ませんが、年末頃にはこれらの実は野鳥の餌食に遭ってしまうので、今が見頃のようです。

「北東の くだりと言う風 吹き始め 秋は次第に 深まりつつあり」

「くだり風 夫婦喧嘩と 同じよう 宵には凪ぐと 上手い表現」

「自制した ツワブキの花 咲き始め 秋を感じつ 清楚を愛でる」

「南天の 梢に赤い 実がついて 間もなく野鳥 餌の運命」

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人間牧場

〇尿トラブルはチン事とシッコ猶予でした(大笑い)

 土曜日の朝からこんな他愛のない下品な話ですみません。私は1週間前の早朝尿トラブルに見舞われました。尿意があるのに尿が出ないのです。夜明けを待って近所の診療所に出けけ診て貰いましたが、「うちでは処置ができないので泌尿科行くよう」勧められました。仕方なく紹介された松前町の病院へ行き、訳を言って順番を早めてもらい、応急処置でオチンチンに尿管を差し込み、膀胱に満杯の尿を取ってもらいました。

 尿が出ないトラブルは脂汗が出るほどしんどいものですが、主治医の話によると「尿管を差し込んだまま帰宅し1週間様子を見る」というのです。先生に「5日後の木曜日に公民館の全国大会が松山市民会館であって、インタビュアーという大事な役目をしなければならないので何とかなりませんか」とお願いしましたが、「再発する可能性があるので尿管を差し込んだまま対応してください」と突き放されました。

 「あ~あ、長くて細い管と簡易膀胱の袋までぶら提げてどうしよう?」と大いに悩みました。それでもインタビューダイアローグのインタビュアーを直前になって断ることもできず、長~く感じる悶々の日々でした。ブルゾンを着て隠す妙案を思いつき何とか事なきを得ましたが、大役とそのことで疲労困憊でした。昨日は尿管を抜く日だったので、朝6時に電話予約システムで予約を入れ、病院へ出かけて尿管を抜いてもらいましたが、行動も制限された数日間の難儀さを思うと、とても身軽になりました。

 主治医の先生から「全国大会の出番は上手くできましたか?」と尋ねられたので、「お陰様で何とかこのチン事を乗り切りました。シッコ猶予のお陰です」と笑って話すと、診察室は看護婦さんも巻き込んで笑いの場となりました。今のところ尿トラブルも治って順調ですが、日赤松山病院で感染症看護師をしている次男の話だと、「前立腺肥大が原因のようなので、そろそろ手術を考えたら」とのことでした。主治医の話だととりあえず1週間経過観察をするそうです。

「尿管と 簡易膀胱 ぶら下げて 全国大会 ステージ上がる」

「どうしよう? 最初は少し 悩んだが ポジティブ生きる 私のことゆえ」

「チン事だと シッコ猶予だと 笑いネタ 診察室に 笑いの渦が」

「脂汗 かいて病院 飛び込んだ しんどさ忘れ 今は何とか」

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人間牧場

〇赤いブルゾンでカモフラージュ

 昨日の第43回全国公民館研究集会愛媛県大会のインタビュアーとして松山市民会館のステージに上がるに当たり、細くて長い尿管に繋いだままの尿袋をぶら下げた醜態をどのようにするか色々悩みましたが、結局スーツの下に隠しその上に、私が塾長を務めている年輪塾で製作したブルゾンのジャンパーを着てカモフラージュする策を思いつきました。

 早速妻に頼んでタンスの奥にしまっていた赤ワイン色のブルゾンを出してもらい、ああでもないこうでもないと立ち鏡の前で身支度を整えてみました。私は日ごろ着る服には無頓着で、妻の用意してくれた服を着て外出するので、こんなことをするのは初めてで、自分自身の滑稽な姿に少し苦笑いしながら、とりあえずこのジャンバーで乗り切ろうと思いました。

 スーツと思いきや真っ赤なジャンバーで登場した私の姿に、登壇者やサブインタビュアー、それに運営に当たる関係者は目を疑ったようですが、訳を言って了解をしてもらいステージに上がりました。会場には県内600人、県外100人、合わせて700人の参加者がディスタンスを取って座っていましたが、会場が広くて大きいので、私の姿など余り気にならない感じでした

 カモフラージュはどうやら成功だったようで、何はともあれホッとしました。この赤いブルゾンは年輪塾最高齢の塾生西田和子さんが米寿祝のご芳志としてお金を出し、小番頭の松本さんが製作に関わり、わらび座の演劇二宮金次郎上演のプロローグとして、同じ松山市民会館でお披露目した思い出のジャンバーなので、これからも大事に使いたいと思っています。

「尿袋 尿管などを どう隠す? 色々策を 練ってはみたが」

「タンス奥 しまったブルゾン 出して着る 鏡の前で 見えない工夫」

「着てみると 赤いブルゾン それなりに カモフラージュでき 少し満悦」

「トラブルを 隠すつもりが あれこれと FaceBookで 執行(シッコ)猶予」

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人間牧場

〇おやつに駄菓子

 私は余り間食をしない方ですが、講演などに出かけると、時々その地方の銘菓と呼ばれるお饅頭や地酒などをお土産にいただきます。酒を飲まない私ですから酒や焼酎は、仲間内に横流しして喜ばれますが、お饅頭の類は妻の大好物で、喜んで食べています。しかし余り食べると体重増につながるので用心をしています。

 97歳で7年前に亡くなった親父は、ピーナッツ入りの煎餅が好きで、湿気の来ない空き缶に煎餅を入れて10時や3時のおやつとしてしょっちゅう食べていました。その煎餅が無くなると妻や若嫁にスーパーで買って来てくれとせがんで、その都度妻や若嫁は親父にプレゼントしていましたが、もうその必要もなくなりました。

 先日何を思ったのか妻が、親父が好んで食べていたピーナッツ入りの煎餅を2袋買って帰り、「あなたも食べて見たら」と勧めてくれました。食べてみるとこれが中々美味しくて、一つまた一つ食べながらテレビを見ていて、どうやら癖になりそうで、「煎餅を食べている姿はお父さんにそっくりじゃねえ」と言われ大笑いをしました。

 わが家ではもう亡くなって7年も経つというのに、海の資料館「海舟館」に親父の遺物を展示してることもあって、折に触れ親父のことが思い出され、親父の話がよく話題になります。もしも、もしも私が亡くなったら、私の思い出話をしてくれる家族はいるのだろうか?、などと他愛のないことを思ったりする今日この頃です。

「お土産に 貰った饅頭 妻が食べ 喜びながら 太る原因」

「貰いもの 酒や焼酎 横流し 友人喜び 肝臓負担」

「生きていた 頃に親父が 食べていた ピーナッツ入りの 煎餅食べる」

「煎餅を 食べる姿が 父似だと 妻に言われて 少し嬉しい」  

 

 

 

 

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人間牧場

〇軽四トラックの故障と修理

 一年中わが家の屋根のない中庭に止めている軽四トラックは優れもので、車検以外は殆ど手入れをしませんが、故障することもなく妻のの愛車として、また私の農作業用として乗らない日はないくらい重宝に使っています。

ゼロに戻ったメーター

 ところが今年の夏、息子が使った後家の入口の傾斜地に止めていたら、サイドブレーキが甘かったのか、勝手にバックし隣の家のブロック塀に激突し、荷台の後ろが壊れてしまい、修理工場で治してもらいました。余り金を掛けなかったため修理した個所は少しいびつですが、何の問題もなく使っています。

 ところが先週の金曜日、エンジンを止めキーを抜いてもメーター画面の明かりが消えず、このままだとバッテリーが夜のうちに上がってしまう恐れががるので、バッテリーの接続コードを外して一夜を過ごした明くる日、近所の修理工場へ修理に出しました。

 聞けば修理はメーター画面をそっくり取り換えねばならず、修理費用は4万円程度する旨の連絡入りました。仕方なく修理を頼み、土日に双海中学校の運動会だったので、息子夫婦が父兄としてテントなどを運ぶためトラックがどうしても必要で、代車を借りて急場をしのぎました。

 昨日修理が終わってトラックがわが家へ戻ってきましたが、新しいメーターと交換したため、メーターの距離表示が何と「000000」と新車並みに並んでいてびっくりしました。「0」からまた新しい走行が始まります。大事に使います。それにしても故意に傷めた訳でもないメーターの故障で4万円の出費は痛いです。

「キー抜いて なおもメーター ランプつく 故障の原因 分からずじまい」

「修理代 4万円と 聞きショック 諦め半分 何かモヤモヤ」

「代車借り 運動会は 乗り切った 軽四トラック 便利認識」

「メーターを 変えたお陰で ゼロになる まるで新車の ようだと錯覚」

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人間牧場

〇体調トラブルに見舞われました

 昨日の深夜、尿意を模様しトイレに行きました。年齢を重ねると尿の回数も多くなり、寒くなったこの頃では午前2時と午前4時の2回トイレに行くのが習慣になっています。ところが尿意があるのに小便が出なくなり、30分程度に1回トイレに駆け込んでも出ないのです。妻に相談したところ病院へ行くよう勧められたので、朝食後近くの診療所へ診て貰いに出かけました。

 診察は9時からなのですが10分前に病院の窓口でその旨伝えると、直ぐに診て貰いエコー写真を撮りましたが、診療所では尿トラブルの処置をすることができないとのことで、松前町にある武智泌尿器科を紹介されました。少し遠いので冷や汗をかきながら我慢して、病院の受付に駆け込みました。

 私のしんどそうな顔を見て、ロビーで待っている患者さんより先に診察室に案内され、軽い問診を受けながらベッドに表向きに寝て性器に管を差し込まれ、とりあえずパンパンに張った尿を取り出してもらいました。脂汗をかいた難儀が嘘のようでしたが、これで一件落着かと思いきや、4~5日間も管をつけたまま生活することになりました。

 「実は先生、今週の木曜日に愛媛県で公民館の全国大会があって、私はそのシンポジウムで司会をしなければならないので困りました」と渋々切り出すと、先生は早速机の上のパソコンで公民館全国大会の要綱を呼び出て見ながら、「凄いですね。大役のご様子ですが、色々工夫してやってください」と逆に勇気づけられました。

はてさて困ったものです。性器に尿管を差し込んだまま多くの参加者の前で、インタビューダイアローグの司会をした人など聞いたことも見たことない、まさに珍事とはこのことのようです。当日の資料がほぼできたので、担当している県教委社会教育課の安倍係長と事前打ち合わせをしようと思いましたが、結局病院を出てから県庁へ向かい、安倍係長に第一別館玄関先まで降りて来てもらい、車の中での打ち合わせとなってしまいました。全国大会が3日後に迫り、「あ~あ」と少し憂鬱な気持ちになっています。この場に及んでキャンセルも出来ないので、このまま一点突破の心意気でやるしかかりません。他人事だと思って笑わないで下さい。

「昨日の 深夜尿に トラブルが 処置はしたけど 恥ずかし姿」

「尿管を 差し込んだまま 一週間 不便生活 余儀なくされて」

「どうしよう 尿管つけた まま壇上 上がる羽目とは トホホのホなり」

「仕方ない これも試練と 諦めて やるしかないと 居直り気分」

 

 

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人間牧場

〇昨日今日は昼間の気温が17度となり寒いです

 3日前まで、昼間は気温が30度近くまで上がって夏を思わせるような陽気でした。ところが昨日は前日の雨は上がったものの朝から冷たい北東の風が吹き気温がぐんぐん下がり、昨日の午前中行われた双海中学校の体育祭は、新型コロナの影響で観客が制限され、両親のみの観客となりましたが、会う人ごってに「寒い寒い」を連発するほど肌寒く、風でテントが飛ばされそうだったと、ブルブル震えながら若嫁と息子が帰って来ました。

 心地よい音色で鳴いていた秋の虫たちも一斉に鳴くのを止めて、昨晩は静かな夜となりました。わが家では毎年お祭りが来ると妻が居間に、保温はしないものコタツを出しますが、2人の孫は「寒い寒いと言いながらコタツの中に潜り込んでいました。勿論私たちも風呂上りには風邪を引くといけないので、下半身はコタツ布団の中に入ってテレビを見ながら過ごしました。息子は早々と先日片付けた扇風機に変って、ファンヒータ付きの石油ストーブを用意していました。

 今日は天気予報によると最高気温は17度前後のようで、この大きい気温差に私たちの暮らしが慣れるまでには暫くかかりそうです。わが家の長い塀のあちこちには何匹かのカマキリが、急にやって来た寒波に戸惑いながら、まるで日光浴でもするように留って羽根を休めていました。今朝ウォーキング途中で出会った殆どの人は口々に、朝のあいさつ代わりに「寒くなりましたねえ」の枕言葉を言っていました。

「まるで夏 今度は一転 まるで冬 北国早くも 積雪便り」

「歳とると 気温の落差 あり過ぎて 順応できず 右往左往す」

「妻コタツ 息子ストーブ 早々と 準備を終えて 寒さ備える」

「何匹か 塀にカマキリ つかまって 日光浴する 寒いのだろうか?」

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人間牧場

〇正月の注連縄用のワラが届きました

 正月はまだ2ヶ月半も先の年中行事ですが、稲刈りもそろそろ終わりを迎えた昨日、友人の西岡栄一さんが正月に欠かせない注連縄用のワラを今年も届けてくれました。最近はコンバインの普及で、刈り取ったワラはコンバインで短く刻まれ、稲刈りとともに畑へ返されるので、注連縄に使うワラは特別に取らなければならず、この忙しいのに手間暇かけてわざわざ持って来てくれるののですから、感謝の言葉もありません。

 わが家が漁家だったため私が子どもの頃年中行事である正月を迎える準備は、漁師特有の縁起を担いだ様々な風習・習慣がありました。しかし私が家業である漁業を継がなかったため、またそれらの伝統行事が大事だと口うるさく言っていた親父も既に亡くなっているので随分簡素化しましたが、注連縄だけはしっかり受け継いでいて、今でも戸長である私の責任だと思い、毎年作り続けているのです。

 ホームセンターでは正月が来ると注連縄を安く売っているので、こんな面倒くさいことをしなくても、神様のご加護は一緒かも知れませんが、神仏に対する向かい方も大事なような気がするのです。残念ながら私が親父から受け継いだしめ縄作りは、私の長男にはしっかりと受け継いでいません。できれば今年もいただいたワラを使って、これから4~5年かけて伝承を試みたいと思っています。はてさて上手く行くかどうか・・・。

「今年も 注連縄飾り 作るワラ 親友わざわざ 届けてくれた」

「最近は コンバイン普及 ワラ確保 難しくなり いつまで続く」

「注連飾り もち米ワラが いいと聞く 届いたワラを じっくり乾燥」

「正月は 2ヶ月以上 先のこと 準備おさおさ 怠りなきよう」

 

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