人間牧場

〇今年最後の会議
 私には退職して17年が経ったというのに今も色々な役職があり、それなりに忙しくこなしています。愛媛県公民館連合会の専門委員長もその一つで、今年は新任公民館長研修、新任公民館職員研修会、公民館全国集会に加え、会長から諮問のあった「県公連が今後10年間で取り組むべき施策」の答申に向けて、何度か会議を重ね、その答申案がまとまったことから、昨日は愛媛県生涯学習センターで臨時会が開かれ、最終打ち合わせをするため出かけました。

 1階会議室に私を含めた4人の委員さん(都合で1人欠席)と事務局長(事務局員1人)が集まり、事務局長の説明を基に議論しました。答申案は1.当面する公民館を巡る4つの重要課題(①100歳まで生きる超高齢化社会、②人口減少社会、③情報化社会、④自然災害多発社会)、2.Tha Kominkan Sustainble Development Goals(公民館を発展させるための16の目標と、それぞれ5つのチェックポイント)、3.県公連が今後10年間で取り組むべき施策で構成され、その試案の中の16の目標と5つのチェックポイントは、全国大会等でも公表して好評を得ています。

 昨日の議論の結果この答申案が概ね了承されたので微調整を会長である私と事務局に一任を取り付けました。今後は来春1月20日に予定されている答申に向けて準備をしたいと思っています。年末ギリギリになりましたが、これでやっと懸案が片付きそうでホッとしています。さてこれからが大変で、この答申を斜陽化する公民館の振興にどう使い普及啓発して行くか、様々な策を巡らせています。

「年末に なってもあれこれ やっている 仕事が多く 貧乏暇なし」
「諮問受け 答申案を 私案書き 原案基に 議論重ねる」
「発想を 公民館版 SDGS いい発想 苦心はしたが 出来栄え中々」
「汗と知恵 出した答申 春先に 提出予定 1月20日」

 

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人間牧場

〇正月を迎える準備(その2)
 2週間後に迫ったお正月に欠かせない準備は沢山ありますが、中でも身だしなみを整える散髪は必ずしなければなりません。「お父さん、間もなく入院するのだから散髪に行ってね」と、このところ毎日のように妻に口うるさく言われるので、それもそうよと納得し、一昨日親友の葬儀に参列した後の外出時間を利用して、馴染みの伊予市街のスーパー散髪屋さんに立寄りました。

散髪屋さんで順番を待つ私(ビフォー)
散髪して自宅に帰った私(アフター)

 この時期は私と同じような理由で込み合う年末より早めに、散髪をしようと思う人が沢山いるだろうと予想して店内に入りましたが、午後1時ころだったこともあって、運よく待合客は4~5人程度でした。コロナ対策のマスクをして手指消毒、それに3蜜を避けて座りました。やがて店長さんの手で散髪は始まりました。店長「今回は少し長く伸びましたね」、私「4~5日後に入院するので、それまでに散髪をしようと思いまして」、店長「えっ、また入院ですか?、今度はどこの?」、私「尿トラブルに見舞われ前立腺肥大の手術です」、店長「そりゃあ大変ですね、綺麗に散髪して入院しましょう」、私「よろしくお願いいたします」何て、とりとめもない身の上話に花を咲かせながら、20分ほどの手作業ですっかり綺麗になりました。

 散髪を終える頃には、いつの間にか散髪屋さんの店内はお客さんでいっぱいになっていました。間一髪早く来た好運を喜びながら外に出ると、この時期に散髪をすると何気なく寒く感じるもので、思わず「寒っ!!」と首をすくめました。帰宅すると妻が「男前になったね、これで安心して入院できる」と持ち上げてくれました。地元の長年馴染みだった散髪屋さんの大将が亡くなってから、散髪屋を替わりました。替わったお店はスーパー散髪屋で、オール電気バリカン刈りなので、時間も30分以内、しかも3400円だった散髪代も1320円と半分以下で助かりますが、ガソリン難民(ガソリンスタンドが町内に一軒もない)、散髪難民、銀行難民(今年からATMのみで閉店)と過疎化の余波は留まることを知りません。寂しいですが仕方のないことと、諦め半分で日々を過ごしています。

「入院と 正月準備 重なって 散髪するよう 妻が後押し」
「最近は ガソリン加え 銀行も 店をたたんで 難民状態」
「スーパーと 名がつく散髪 売り物は 早いと安い 私は助かる」
「男前 上がったような 気分なる 鏡を見たが それなりでした」

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〇親友の訃報そして葬儀
 親友松本宏さんから、「松本洋子さんがお亡くなりになりましたのでお知らせします」と、私の携帯電話に訃報が届いたのは、双海町子ども教室のおもしろ大作戦で今治市菊間町を訪れ、菊間町の公民館を借りて子どもたちと一緒に、昼食をしている日曜日のことでした。旅先のことでもありとりあえず親友福岡憲子さんに電話を入れ、その後の様子や通夜・葬儀の日時を聞きました。明くる日が友引ということもあって、通夜は家族のみで14日自宅、葬儀は15日伊予市街のルミエールとのことでした。

 明くる月曜日の朝6時半過ぎ、いつものようにウォーキングを終えて自宅へ帰りズボンのポケットに入れていた携帯電話のlineに、松本洋子さんの携帯からメールが入っていました。「えっ、松本洋子さんは亡くなったと聞いていたのに?」と目を疑いました。電話の主は松本洋子さんの娘さんが、お母さんの携帯電話を使い、親しかったメル友に亡くなったことや葬儀の日時などを伝えるものでしたが、病気を発症してからも時々メールのやり取りをしていたし、「毎日あなたのブログを読むのが楽しみです」と書き込みが何度も寄せられ、時々line電話で励ましの言葉をかけていました。

 明くる日曜日、私は外反母趾手術後の診察に愛大附属病院へ行きました。レントゲン検査の後診察の順番を待っていると、「松本洋子さん、若松進一さん、中待合室へお入りください」とマイク放送があり「えっ、松本洋子さん?」とわが耳を疑いました。「は~い」と私の前を通って中待合室へ入った人は確かに松本洋子さんで、どうやら同姓同名の方でしたが、別人ながら同姓同名の松本洋子さんとご一緒に相前後して診察を受ける偶然にも大いに驚きました。

 26年前私が担当してシーサイド公園を造った折、漁協女性部の部長だった富岡喜久子さんや松本洋子さんたちとじゃこ天のお店を立ち上げ、以来長年に渡り一緒に活動をし続けて来ただけに、昨日の11時からの葬儀に参列しましたが、涙が出て仕方がありませんでした。富岡さんや県女性連の喜田会長さんも駆け付け、生前の故人を偲びながらお別れをしました。また一人気心の知れた大切な友人を亡くしました。享年69歳は人生100年時代ゆえ余りにも早い旅立ちです。自分の進行する病気をさておいて、「進ちゃん、足の手術後の回復はどう?」とか、「長生きしてね」とか気遣ってもらった、携帯電話での言葉のやり取りが懐かしく思い出されます。悲しいね。

「友人が 携帯電話で 一報を 届けてくれて 訃報悲しく」
「検診で こともあろうか 同姓で 同名の人 いぃしょに受診」
「亡くなった はずの人 lineにて メールが届き ビックリ仰天」
「悲しいね また一人親友 亡くなった 69歳 早過ぎですよ」 

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〇北海道北見からハーブ茶が届きました
 私には全国に沢山の知人友人がいて、その地でしか味わえないような珍しい物が宅配便で届きます。先日北海道北見市に住む市川恵子さんから今年も自作したハーブ茶が沢山届きました。コーヒーを飲まない私はもっぱら緑茶や紅茶を飲んでいますが、市川さんが毎年この時期にハーブ茶を送ってくれるので、最近は妻と二人で楽しんでいます。

ハーブ茶に入っていた手作りの素敵なしおり

 北海道北見市は春の来るのが遅く、秋の来るのが早い北国で、既に私たちの町では考えられないような寒い日々が続いているようで、その短い温かい時期にハーブ類を育てることは容易ではないはずと、話しながら飲んでいます。市川さんと初めて出会ったのは、高知県馬路村で開かれた全国地域づくり交流会の時でした。その時は私は基調講演をしたため言葉を交わすことはありませんでした。その後北海道へ講演に招かれた折、佐呂間町に住むオホーツク寒気団の船木さんを介して出会い、後に市川さんご夫妻がわが人間牧場へ見えられ、急速に交流が深まりました。

 驚いたのは市川さんは笑いヨガもやっていて、北海道で開かれた笑いヨガの全国大会に、愛媛県で笑いヨガの活動をしている玉井千恵さんも参加されていて、会場で市川さんと知り合い会場から、2人の弾んだ声を電話で聞かせてもらったのです。玉井さんは私が町の教育長をしていたころ、町内の下灘小学校で校長先生をしていて、今も交友をしています。まあ思い出は切りがないほどありますが、世間の狭さと縁の不思議を感じながら、ハーブ茶をたしなんでいます。

「しばれてる 北国親友 今年も 自作ハーブ茶 宅配便で」
「あれこれと 交遊重ね 親密に 人のご縁の 不思議感じる」
「妻入れる ハーブ茶口に 広がって 癒されながら 冬の夜長を」
「恵子さん 私の好きな 名前です facebookで 歳々音信」

追記 私は子どもの頃担任だった女先生が「恵子」という名前だったため、「恵子」という人と結婚したいと思っていました。結果は恵子さんという人と出会って恋をすることもなく、繁子さんと結婚しました。今度産まれる時は「〇〇」さん、う~ん難しい。(大笑い)

 

 

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〇講演の打ち合わせ
 このところ毎日のように私の元へお客さんがやって来ます。その都度ゲストハウスの掃除をしたり、石油ストーブを持ち込んで部屋を暖めたり、妻や若嫁が留守の時は、慣れない手つきで妻や若嫁が準備をしてくれた茶器を使ってお茶を入れたりして来客をもてなしています。

 昨日は2月に予定されている松前町の生涯学習推進大会の記念講演の打ち合わせのため、西公民館の中島館長さんと坂本係長さんの2人が見えられました。中島館長さんは3月に現職を退職し、再任用で西公民館長さんになられましたが、現職時代からよく気心の知れた方だし、現職中にこの煙会所へも来られているようでした。

 打ち合わせはスムーズに終わり、その後お2人を海の資料館に案内し、雑談に花を咲かせました。煙会所や海舟館に芳名録など好きでもなく置いていないので、記念に写真を一枚撮りましたが、別にぼかす必要もないのに帰宅後撮った写真を見るとまるでモザイクのような写真になっていて、失礼ながらこの写真を記録のつもりでアップしました。

 早くも年明けのスケジュールが動き出しています。オミクロン株など新型コロナの第6派が心配されていて、今のところ流動的ですが来年も、体調をしっかり確保し対応したいと思っています。さあもうひと踏ん張り、「ファイトで行こうリポビタンD」です。

「連日の ように千客 万来で 昨日は講演 打ち合わせでした」
「客人が 来る度ゲスト ハウスなど 人を迎える 準備忙し」
「本来は 囲炉裏使って 暖を取る 予定だけれど ストーブ
                        ごまかす」
「年明けも あれやこれやと 予約入り 忙し予感 体調一番」

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〇双海町子ども教室おもしろ大作戦(その2)
 かわら館を出た一行は、次の目的地野間馬アイランドを目指しました。この公園は今治市野間地方の在来種の小型馬を飼育している珍しい公園です。私も2~3度訪れたことがありますが、昨日は日曜日ということもあって、大勢の観光客が訪れていました。子どもたちも約1時間の自由時間を利用して、園内のアスレチック遊具などを使って楽しく遊んでいました。

 昨日は冬とは言いながら、晴れた穏やかな比較的暖かい天候に助けられ、新型コロナの影響で外遊びもままならない、不自由な日々を過ごしている子どもたちゆえ、元気に園内のあちこちを走り回って、嬉しそうに遊んでいました。自由時間はあっという間に過ぎ、車内で感想文を書いた後再び元来た道を引き返しました。車内では私がにわか作りで考えた、①バスのナンバー数遊び、②参加者の田のつく人の人数当て、③同行した市役所保健師さんの名前、④菊間と双海の共通点、⑤菊間とハイランドの共通テーマなどについてクイズグランプリを楽しみ、大いに盛り上がりました。

このところコロナ感染ゼロが続いているためでしょうか?、昨日の帰り道は車が渋滞気味で、運転手さんの配慮で裏道を走ったものの、帰りの時間が少しだけ遅れましたが、わずか10分ばかりの遅れで無事到着し、解散式を終えて迎えに来た家族の方々と帰って行きました。子どもたちにとっては楽しい旅でした。コロナ支援のお陰でバスを借りて小旅行ができ。目的通り「双海を飛び出して愛媛の伝統文化を体験」することができました。楽しくも充実した一日でした。

「野間馬は 今治地方の 在来馬 小型の馬が 沢山飼われ」
「園内の アスレチックに 群がって 楽しく遊ぶ 子どもら元気」
「いい天気 恵まれあれこれ バス旅行 伝統文化に 触れて充実」
「このところ コロナ感染 ゼロ続く 帰りの道は 車渋滞」

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〇過疎化現象が止まらない
 先週の金曜日、所用で双海地域事務所へ出かけました。この事務所や昔の役場庁舎に35年も勤めていたので懐かしさも一入ですが、最近は事務所で働く人の数も減り、加えて合併したため町外から通っている顔も名前も知らない職員もいるので、どこかよそよそしい雰囲気です。

 所用を終わって見上げた柱に現在の双海地区の人口・世帯数が表示されていました。戸数はそんなに減っていないのに、人口は3,500人を僅かに切っていました。双海町の人口は昭和の大合併で双海町が誕生した66年前頃は10,700人ほどでした。その後高度成長期に急激な人口減少が起こり、色々な過疎対策と称した施策を私たちもやって努力しましたが、その効果もなく過疎化現象は今も続いています。

 私が広報を担当していた頃、広報に「人口7千人を割る」というテーマで特集を組み、「人口がゼロになるのはいつの日か」なんてショッキングな記事を書いたところ、当時の町長に「住民の不安をあおる」と叱られ、議会でも「町の人口がゼロになるとは何事か」と大問題になりました。随分ド派手なショックを与えた反省はするものの、今思えば私の予言は「言い得て妙」だったようにも思えるのです。

 人口実態を振り返れば双海町は、この66年間で毎年100人づつ人口が減った計算になります。この数字を基に将来の人口を推計すると34年後双海町の人口は限りなくゼロになるのです。奇しくも66年+34年=100年、つまり双海町は双海町と名乗って以来100年目にして人口がゼロとなる予定です。多分こんな記事を書いても、皆諦めているから驚きもせず、「ああそうか」くらいで終わってしまうようですが、「過疎」なのか「適疎」なのか、市長も議員も職員も、勿論私たち市民(町民)も今一度この推計に思いを巡らせて欲しいものです。

「所用あり 出かけた事務所の 正面に 只今人口 3,500人」
「ふと昔 広報担当 してた頃 人口ゼロで 物議を醸す」
「早いもの あれから人口 減り続け このまま減ると ゼロは来るかも」
「仕方ない 諦めながら あれやこれ やってはいるが 焼け石に水」 

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〇コスモスの咲くJR下灘駅での出会い
 2日前、西条から私を訪ねて来た友人を、人間牧場へ案内した帰り道、JR下灘駅に立寄りました。いつもは下灘駅を横目で見上げながらバイパス道路を通りすがるのですが、遠くから来た人を人間牧場を案内する時にはやはり下灘駅とセットとなるのです。この日も平日で午前中なのに下灘駅には、かなり沢山の人が来ていました。

 

京都から来たという女性たち

 私「どこから来ましたか?」。女性3人組「京都からです」。私「えっ京都から?、それはそれはようこそお越し下さいました」と言葉を交わしました。見ず知らずの高齢者の、しかもマスクをした私を不審者?とは思わなかったのか、はたまた私の誘導尋問が上手かったのか?会話が弾み、JR下灘駅で福井さんたちとともに、ボランティアガイドと思しきことをやっている三好先生も集まり、蜜を避ける程度の人の輪ができてしまいました。

 持ち合わせた似顔絵入りの私の名刺を差し上げ、「またお会いしましょう」とその場を離れました。何ということでしょう。今朝私のブログに友だち承認依頼と、私と出会ったその時の様子や私のブログを読んだ感想などが、少し長めのコメントとして書き込みがありました。唯一私が撮った写真だけが頼りで、顔も分からないのに依頼承認と相成り、また一人日本のどこか(京都)に住む見知らぬ人とお友達になってしまいました。

JR下灘駅構内には綺麗なコスモスの花が満開です

 いまJR下灘駅は少し遅めの、少し低めのコスモスの花が満開です。何もない長閑な無人駅ですが、地域の人たちの育てた人をもてなす思いの詰まったコスモスが訪れた人の心を癒してくれています。ひょっとしたら、新型コロナの影響で疲弊した心に癒しを求めて来るのかも知れないと思うと、納得の手合いでした。一期一会、若い女性たちとの心温まるいい出会いでした。

「どこから?と、いきなり初老の 私が 声をかけると
『京都からです』」

「『へえ、京都』 ここは下灘 双海町 双海言葉で 熱弁PR」
「JR  下灘駅は コスモスが 今が盛りと 綺麗に咲いて」
「名も知らぬ 若い女性に 似顔絵の 名刺渡した 早速書き込み」

 

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人間牧場

〇千客万来
 今年の締めくくりともいえる私が代表をしている、地域教育実践ネットワークえひめの交流集会や、松前いいとこ見つけ隊の子ども夢会議も無事終わり、一区切りついてホッとしていますが、待ち構えていたかのように、このところ毎日のように来客があり、その対応を楽しんでいます。

 来客の希望も、人間牧場や海の資料館海舟館など様々ですが、基本的には私のゲストハウスである私設公民館「煙会所」に案内し対応しています。この時期本当は「煙会所」の囲炉裏に火を入れて来客をもてなしたいと思いつつも、ついつい火を起こしたり炭を準備するのに手間がかかり、2~3時間くらいならダイニング用の石油ストーブを持ち込んで暖を取っています。

 昨日は親友浜田さんが2人の人を伴ってやって来ました。一人はまちづくり学校双海人に高校生時代足繁く通っていた石井さんです、彼は愛大卒業後山口や岡山に就職していましたが、父親の病気で退職し今は松山に戻って浜田さんと交遊しているようでした。もう一人は町内松尾集落に住む演歌の好きな福井さんです。福井さんは「松尾ひろし」の芸名でCD「夕陽の向こうに」を出すなど農業者とは思えない秀でた才能を持っていて、浜田さんが一押し応援しているのです。

 3人それぞれの生き方が交錯し合い、1時間余り楽しい話に花が咲きました。福井さんの歌は有線カラオケにも登録されていて聞くことができるようですが、次2作目の製作に思いを巡らせているようで、つい最近各駅に掲示が始まった青春18きっぷのキャンペーンポスターに、福井さんのお膝元である「串駅」が登場したこともあり、夕日や海、港、線路、駅など演歌の似合う素材が揃っているだけに、また新しいドラマが始まりそうです。

「今年の 大きな仕事 一段落 ホッと一息 するもつかの間」
「このところ 私の元に 次々と 千客万来 楽しい話」
「自由人 故に暇だと 勘違い しているようだが 私は多忙」
「あれやこれ 夢を語ると 暖かい コロナ禍ゆえに 忘れていたな」

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人間牧場

〇4年前の写真
 昨日パソコンを使っていつものようにfacebookに記事を書いていると、いきなり4年前の写真が自動的にアップされました。こんな目まぐるしく進化する現代、特にこの2年間は新型コロナの影響で、何もかもが一変するような年月ですから、4年前といえどすっかり懐かしくなりました。

 その写真は毎年12月第一土日に、国立大洲青少年交流の家を会場に開いてきた、地域教育実践交流集会の模様でした。この2年間は新型コロナの影響で集まることもできずリモートでの集会となりましたが、ゆえに200人もの人がマスクもつけずに集まっている写真は異常なほど新鮮でした。

 ふと、果たしてこの先、こんな集会を再び開けるのはいつになるのだろう?と思いを巡らせましたが、今は沈静化しているものの第6派と思われるオミリオン株の日本上陸やお隣韓国の流行再燃など、新たな不安材料が毎日のように報じられていて、まだまだ先が見えない状態です。

 人間・時間・空間と書くように、人は一人で生きていくことは出来ず、本来地球上の空間で時間を使い人間同士が寄り添い助け合って生きるものです。新型コロナで「間」のあり方が大きく変わり、顔の半分をマスクで隠し、息遣いや笑顔さえ、それに言葉さえも話さず、息を凝らして生きています。早くこんな暗いトンネルを抜けて、元の姿に戻って欲しいものです。

「パソコンの 画面いきなり 4年前 熱気の写真 懐かしく見入る」
「そういえば 人間・時間 空間の 間という文字を 忘れた世界」
「息凝らし 笑顔や言葉 消え失せて 生きてる実感 無きに等しい」
「神仏に 来年こそはと 祈ってる 人間弱い 動物実感」

 

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