人間牧場

〇お酒を止めた記事を書きましたが・・・
 昨日自分の家で原木に生えたシイタケと、農家さんからいただいた紅まどんなを、松山に住む娘や息子のところへ、お裾分けしに妻と2人で出かけました。両方ともあいにく留守だったので、いつもの勝手口近くに置いて帰りました。

 若嫁の勤める喫茶店に立ち寄り、が主人が亡くなっているので一人身ゆえ、シイタケも紅マドンのほんの少し差し上げ、お茶をして松山市堀江の次男息子嫁の実家へ立ち寄りました。お父さんは最近まで病気だったのでお見舞いのつもりで立ち寄りましたが、お父さんは本屋さんへ出かけてあいにく留守でした。

 お母さんがいて帰るに沖縄県うるま市の神山酒造の泡盛をいただきました。私がお酒を呑まなくなっているのをしっているので、親しい友人と酒盛りをする時振る舞ってくださいとのことでした。今朝のFacebookに「お酒を呑まなくなって二十二年」の記事を偶然にも書いたこともあり、少々酒を呑んでいた頃が懐かしくなりました。

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〇喫茶店でホワイトを飲む私
 私たち夫婦は息子家族4人と同居をし一つ屋根の下で暮らしています。ゆえに息子や私が敬意をもって鬼嫁と呼ぶ若嫁、それに高1と中2の孫に元気を貰いながらすこぶる仲良く暮らしています。

 若嫁の実家は喫茶店を経営していますが何年か前マスターだったお父さんが亡くなってからは、お母さんが経営を引き継ぎマスターとしてお店を切り盛りしています。若嫁は喫茶店に勤め、おもにコーヒーの焙煎や接客をやっています。

 そんな関係もあって時々客として店に立ち寄りますが、妻はブラックを注文しますが、コーヒーのカフェインが体内に入ると夜寝れないことがあるので、今日も松山に出かけた折立ち寄りましたが、妻はミックスジュース、コーヒーの飲めない私は通称ホワイトと呼んでいるホットミルクなのです。

「あんな美味しい香りの高いコーヒーが飲めない人間なんて」とよく呆れられますが、私から言えば「あんな苦いものをよく飲むなあ」とは私の弁です。わが家でコーヒーを飲まないのは私だけで、あとの6人はコーヒーが大好物のようです。

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〇年賀状作成
 毎年この時期になると年賀状の作成に取り掛かります。私の年賀状は風変わりで、まず虫眼鏡がないと読めないほど小さな文字で、今年の私の10大ニュースを選んで書いています。去年までは「〇月〇日 あれこれ」と書いていましたが、同じ日もあるので月日をやめて「〇 あれこれ」と書くことにしました。

 届いた方から「文字が小さくて読めないのでもっと大きな文字にしろ」とお叱りを受けますが、私はわれ関せずで今年もさらに小さい文字で書いています。若し届いたら虫眼鏡か天眼鏡で読んでください。さて私は現職の頃は毎年約10000枚もの年賀状を出していましたが、今は徐々に減らし、年金暮らしの身分をわきまえて400枚限定にしています。

 昨日総務省が来年からハガキを今の63円から85円に値上げするという、大それた発表がありました。今でも63円×400枚=25,200円で痛いのに、これ以上の出費は自殺行為です。ましてや私はこの20年間毎日ハガキを3枚書いて出しています。計算だとポケットマネーで3枚×63円=189円使っているのに、来年から3枚×85円=255円、4日で1,020円です。私のような庶民のささやかなたしなみまで値上げされるとは、トホホです。

 ちなみに今年の年賀状に書いた私の10大ニュースは、①108体の人形が語る漁村の昔、②48年間の金融広報アドバイザーを今年で辞める、③第16回地域教育実践交流集会、④県公民館研究大会の鼎談出演、⑤鼎談打ち合わせのため島根・山口・広島の小旅行、⑥県景観シンポのパネリスト出演、➆愛車をエアコン故障で買い替え、⑧双海ジュニアリーダーの活躍、⑨人間牧場のウッドデッキ大修理、⑩テレビ・新聞・雑誌・ブログなどで情報受発信などでした。印刷所校正終了、年賀状持ち込み終了、住所録修正終了、あとは2~3日内に印刷、投函予定です。

 

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〇結婚披露宴こぼれ話
 昨日吉永早希ちゃんの結婚披露宴で少し涙が出るような光景に出会いました。昨日の結婚式は式も披露宴も和服姿は前撮りだけで、その模様は披露宴会場の大きなスクリーンに映る姿を見せてもらいました。新郎も新婦も終始洋装でした。

 故にお色直しは白いドレスからピンクのドレスに替えただけでした。その1回だけのお色直しに介添え役として指名されたのは早希ちゃんの祖母に当たる私の実姉でした。

 サプライズだったため姉は驚いた様子でその任に当たりましたが、結婚式には2年前亡くなった夫の写真を持参して早希ちゃんの花嫁姿を見せていました。夫が生きていたらさぞ喜んだことでしょう。

 孫である早希ちゃんの手を引いて保育園へ送り迎えした姿が思い出されますが、昨日は介添えというよりは早希ちゃんに手を引いてもらっているような感じがしましたが、姉にとっては生涯忘れられない思い出になりました。その姿を目の当たりにして私も少しだけウルウルしました。

 

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〇男に生まれてよかったとしみじみ思います
 男女の性差の問題があれこれ議論される時代になりました。そんな時「男に生まれてよかった」などと言うと、不謹慎な男としてレッテルを張られ、批判されそうですが、今日結婚式に夫婦で案内を受けていました。妻は1週間前から結婚式の前日までに美容院の予約を取ったり、着て行く服の心配をしてるのに、夫たる私はいつものことながら全く無頓着で、背広にネクタイさえあれば結婚式に出席しても一応の身だしなみが整うし、当日も物の5分もすれば出かける準備が整うのです。

 片や妻は化粧をしたり髪をといたり、また沢山ありもしない洋服の中から季節に応じた似合いそうな服を選んで着たり、真珠のネックレスをさりげなくつけ、お祝いのお包みを袱紗に包んで持って行くバックに入れ、家のストーブ、電気、鍵など「戸締り用心火の用心」の確認をして家を出るのです。いつものことながら、私たち夫婦に限って言えば「男に生まれてよかった」としみじみ思うのです。

帰宅してからも、背広を脱ぎネクタイを解き、背広とズボンをハンガーにかけてクローゼットに吊り下げ、革靴を下駄箱にしまって5分もすれば一件落着です。私と妻は年齢が私より一つ年下ですが、私はそれからテレビの前に座りニュースを見ながら新聞を読むのに、妻は洗濯物を取り込んでたたんだり、明日の朝の準備に取り掛かり、疲れているであろうに寝るのはいつものように11時過ぎ風呂に入り一日を終えます。今日も妻に感謝の一日でしたが、「男に生まれてよかった」と今日もしみじみ思いました。

 

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〇防寒用のニットの帽子をかぶって
 毎朝午前6時に、毎日一万歩を目指してウォーキングしていますが、今は夜明けが遅く午前6時にはまだ外は暗いので、LEDの懐中電灯を点け足元を照らしながら歩いています。1ヵ月前から手袋をはめ野球帽をかぶっていましたが、寒くなったので妻が毎年冬場になると防寒用に被っているニットの帽子を締まっていたタンスから取り出し用意してくれました。

 この帽子は少し大きめで、被ると耳まで隠れる優れもので、温かく重宝していますが、この2~3日は冬師走とは思えないほどの季節外れの暖かさで、今朝は南の風も吹いていたので、暑くて帽子を脱いで歩きました。脱いだ帽子をジャンバーのポケットに入れて歩きましたが、いつの間にかその帽子がポロっと稚樹に落ち、そのまま歩きました。

 ふと気がつくのと、同じ道を一周回って同じ場所を通りかかると帽子が落ちていて、幸運にも拾い返すことが出来ました。汚れもせず手元に戻ったニット帽子を再び被って家に戻ることが出来ました。年齢を重ねると細々した持ち物を気がつかない間に落とすこともしばしばです。あ~あ、悲しいかな私もその域に達しつつあるようです。

「ウォーキング 朝も早うから 寒かろう 妻が用意の ニット帽着け」
「今日の朝 季節外れの 温かさ 帽子を脱いで ポケット入れる」
「一周を 回って元場所 もどり来た 私の帽子 道端発見」
「歳重ね あれやこれやと 失態が 増えてわが身の 悲しき姿」

 

 

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〇散歩の途中で出会った親子
 仕事が片付いたし、スマホ内蔵の万歩計があと500歩ほど目標の1万歩に届いていなかったので、久しぶりに夕方散歩に出ました。上灘川に沿って川向うの道を少し急ぎ足歩きました。

 夕暮れ時ゆえ、また人家から少し離れている道なので会う人もなく、また寒いこの時期なのに戸外の温度は20度近くまで上がり、少し汗ばむほどの陽気でした。河口に近い鉄橋の下まで来ると、見慣れた人に出会いました。

 娘さんと連れ立って歩く2人の顔見知り女性の親子で、「〇〇さんお元気?」と声をかけると、80歳を過ぎた女性は首を傾げ、「あんた誰?」って感じの反応でした。連れ立っていた若い娘さんが「若松の進ちゃん」よと告げても、しばらく思い出せなかったので、私が「若松の進ちゃんよ」と握手をしながら話しかけると、やっと「ああ進ちゃん」と思い出してくれました。

 少し立ち話をしましたが、娘さんも60近くになって、お母さんをデイサービスに預けながら務めをこなし、お母さんの面倒を見ているようで、ここにも高齢化、認知症の波が押し寄せていると感じました。子どもにとって年老いつつある親の存在は、何年か前私自身が介護を経験しているだけに身につまされる問題です。

 幸いわが父は亡くなるまでそれほど認知症にもならず、97歳で亡くなるまで自分のことが出来たので、殆ど手はかかりませんでしたが、私自身も気がつけば79歳の高齢者です。他人事ではないなと思いました。

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〇コンクリートはどうして石のように固くなるのか?
 今日庭の隅の窪みを治すため、業者に頼めないほどの小さなことなので、私一人でセメントや砂、砂利などの原材料を集め、大雑把な目分量で混ぜ合わせ、真ん中に窪みを作って水を入れ、スコップで練り合わせました。

 これも勘ですが適当な柔らかさになったので、スコップで掬って窪みに運び、コテで丁寧に撫でて終わりました。後は乾くまで雨風に濡れたり、犬や猫、人間に足跡をつけられぬよう、竹を2本空間をつけて置き、その上に空の肥料袋3枚を広げて終了しました。

 ふといつものことながら、こんな柔らかいコンクリートが何故石のように固くなるのだろうと、不思議に思いました。貝のような形をしたオーストラリアのオペラハウスや、わが町の明神山と高さが一緒の東京スカイツリー(634m)の芯柱もコンクリートで出来ていることは知っていますが、今やコンクリートは世界中どこでも建築材として使われているのです。

 私たちはコンクリートの水分が無くなれば固くなる程度しか知りませんが、建築設計の仕事をしている息子から聞いた話では、水を加えるとセメントは水和化学反応を起こしエトリンガイドという物質が発生し硬くなり、28日間で石のような硬さになるのだそうです。

 息子に昔聞いた話なのでCSHなどの専門用語の意味もすっかり忘れてしまいましたが、コンクリートの建築物を見たり、コンクリート作業をする度にこのことを思い出しています。コンクリートは人間が発明した最高の建築資材のようです。

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〇干し柿の仕上げ作業
 12月の初旬に渋柿を一箱買い、妻が皮を剥き、私がビニール紐で結んで連を作り、風通しの良い雨の当たらに洗濯干し場にぶら提げました。その後北西の季節風が吹いて表面に黄色い膜が出来干し柿として順調に進んでいます。

真新しい手袋をはめて揉んだ干し柿

 この時期を見計らって真新しい手袋をはめ、今日は干し柿を揉む仕上げの作業をやりました。干し柿は耳たぶのような柔らかさになり、2~3日後もう一回揉むと渋が完全に抜けて4~5日後には柔らかくて甘い干し柿が出来る予定です。

 あの渋い柿が天日干しするだけで何故甘くなるのかは、凡人の私には到底説明が出来ませんが、これで正月の鏡餅の横に供える干し柿はゲットできそうです。孫と出来たら一緒に味見をしようと約束をしているので、4~5日後には味見をしたいと思っていて、今から楽しみです。

「渋柿が 何故に甘柿 なるのだろう 凡人私 知るすべもなく」
「皮を剥き ビニール紐で 連作り 洗濯干し場 ぶら提げ10日」
「手袋を はめてモミモミ 揉んでやる 4~5日すれば 食べられそうだ」
「子ども頃 親の目盗み 干し柿を 食べた思い出 母ちゃんの顔」

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〇正月までにやるべきことが多過ぎる
 私は田舎に住んでいるゆえ、正月を迎える準備をそろそろしなければなりません。一番大仕事は稲わらをそぐり、しめ縄を作ることです。ホームセンターで買えば簡単ですが、わが家は漁師をしていた時代から縁起を担いでしめ縄は長男がするものと決められていて、親父の手ほどきを30歳で終え、私一人でこの50年間作り続けてきました。

 私の一番の危惧は私のしめ縄を作る作業を長男息子に伝承していないことです。ひところ息子に伝えようと試みましたが、遊びの中で子どもの頃縄ないを覚えた私と違い、息子は縄をなうことが出来ないため、教える私と習う息子の距離は結局縮まらず断念して今に至っています。

 しめ縄が出来ると裏山に入りシダの一種であるウラジロを取らなければならないし、まつわる仕事もいっぱいあります。また正月用の鏡餅もつかなければなりません。松山に住む娘と息子宅へ、お餅をついて持っても行かなければなりません。大掃除や年賀状作りなど、あれやこれやと色々あるもので、何となく師走という言葉通りの毎日が近づきつつあります。

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