人間牧場

〇今日から来年5日まで人間牧場は冬休み
 自然とは偉いもので、昨日までは動けば少し汗が出るほどの陽気だったのに、今日は雨を伴ったかなり強い北西の風が吹き海は大荒れです。あの穏やかな海が荒れ狂うには気圧の変化によるえなるぎーが必要ですが、まるで風神様が起こっているようにも見えました。

 明日は新しい年の始まりなので、昼過ぎ人間牧場へ出かけ、用意した注連縄と鏡餅を神棚に供え、これまでの一年間への感謝と、これからの一年間の無事を祈りました。早いもので人間牧場を造って19年になります。来年はいよいよ20周年を迎える予定です。

 年輪塾の仲間たちと20周年事業の企画を練っていますが、10周年をやった時とは違い、私を含めみんな10歳年齢を重ねました。今日で今年の活動を終え、来年と言っても来月5日から活動を開始する予定です。さあもうひと踏ん張り頑張りましょうか。

「温かい 昨日がまるで 嘘のよう 風神様が 怒り狂って」
「19年 あっという間に 過ぎ去った 想いは若いが 歳相応」
「来年は 20周年 やる予定 一つの区切り フンドシ締めて」
「今日からは 1週間の 冬休み しめ縄飾り 餅を供えて」 

 

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人間牧場

〇妻の仕事
 妻は歩いて行けば5分ほどの近くにある宮田歯科医院にパートで勤めています。31年の長きにわたって勤めていることや年齢が78歳になっているので、4~5年前から退職したいと言っていましたが、一緒に勤めていた少しだけ若い人が娘さんの病気でいち早く止めたため、辞める時機を逸してしまい、後任も見つからぬまま、40代の女性と2人で勤めています。もう一年もう一年とは留意されて今日に至っています。

 私が退職したとき一念発起してカナダ・アメリカへ連れて行きましたが、妻が退職したときはどうしようか目下思案中です。妻の希望は2~3日別府温泉にでも浸かってゆっくりしたいと、妻らしい控え目な希望があるようですが、「今年で辞めたい」と院長先生に申し出たところ「もう少し」と留意されたようです。来年の私の年賀状の家族の近況について「間もなく退職」と書いてしまい、右往左往しています。

 私が60歳で現職をリタイアして念願の自由人人生を選んでから19年が経ちましたが、その代償として妻にはあれこれ面倒をかけていて、大黒柱であるはずの私がこのていたらくゆへ、少し後ろめたい所もありますが、そんなに長くないもう少しお勤めしてもらいましょうか。

 

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人間牧場

〇私は高1の孫のアッシー爺ちゃんです
 中2の孫と高1の孫あがそれぞれ冬休みになりました。4月から松山の中央高校に通っている高1の孫希心の通学パターンは、家からJR上灘駅まで自転車、JR上灘駅からJR北伊予駅までは列車、JR北伊予駅から学校までは約20分自転車通学でそれぞれ往復です。

 カバンやセカンドバッグ、それに部活の荷物があり、特に雨の日には自分と荷物を濡らさないため雨合羽を着なければならず、通学もまるで夜逃げか遠足にでも行くようです。最初は中々慣れず戸惑っていましたが、2学期が終わる今頃はすっかり慣れ、友だちもかなりできて毎日楽しそうです。

 冬休みでも学校でゼミなどがあるため普通と変らず登校していましたが、年末3日間、年始3日間は自由の身になったので、友だちと誘い合ってジムへ行く予定でしたが、昼過ぎの列車ダイヤは何時間も空白で、両親も仕事で留守だったので、私にJ「R北伊予駅まで連れて行って欲しい」と懇願されました。

所用がありましたが、仕方なく私の軽四トラックで乗せていくことになりました。高1なのに183㎝もあり成長著しい孫ですが、私とは日常的に仲が良く色々な話をしてくれるので、片道30分ほどの間色々な話をすることが出来ました。「おじいちゃんありがとう」と言ってJR北伊予駅の駐輪場から自転車を漕いで松山方面へ出かけて行きました。田舎に住む高校生は大変です。

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人間牧場

〇チョイと立ち寄り
 八幡浜でお墓参りを済ませて帰る途中妻が、「お父さん、昨年もそうだったけれどクリスマスは終わっても、長浜町大和地区のイルミネーションはまだ飾っているかも知れないから、遠回りして行って見ない」と誘われました。

 国道378号から沖浦地区の露地道に入り、赤橋のたもとを越えて、肱川西側の道を進み、出石大橋のたもとを右折すると、綺麗にイルミネーションで飾った家々が見えてきました。少し遅い時間だったしクリスマスの喧騒が終わっているので、私たちだけの見学となりました。

 肱川付近は吹きさらしで気温が下がり冷たく感じたので、車の中からの見学となりましたが、見応えのある飾り付けだした。今年は尾道や三原方面へツアーで出かけクリスマスイブのペットボトル5万個の冬ほたるのイルミネーションも見れて、思い出に残る年末でした。

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人間牧場

〇外水道の故障
 わが家の長い塀の片隅に水道の蛇口が取り付けられています。塀の中に埋め込んでいますが、水圧をかけると蛇口からホースが抜けて、何度も針金で縛り直しても抜けてしまうので、思い切って蛇口を新しいのに取り換えて欲しいと地元の水道屋さんに頼みました。

 早速従業員さんがやって来てとりかえてくれましたが、エスロンパイプが古いのかその周辺が漏水と思われるように濡れてきたので、もう一度水道屋さんに来てもらい、診てもらったところ塀を斫るか新しいパイプを立ち上げるかどっちにするか選択を迫られました。

 埋め込みのため塀を斫ることは時間も費用もかかることから、新しいパイプを立ち上げる方法を選択することにしました。運よく予約の仕事が早く片付いたので工事に取り掛かってもらい、年内にどうにか修理工事を終えました。ホースもきっちりと取り付けてもらい、これで安心して年が越せそうです。

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人間牧場

〇真冬の草刈り作業
 正月を間で蚊に控えた今日は、急な思い付きでお墓に供えるシキビを取りに人間牧場へ行きました。その折気になっていた人間牧場梅園の草刈りが、秋ごろできていない部分があったので、草刈り機を積んで出かけ、シキビを木に登って切り終えてから、草刈りをしました。

 普通草刈りは春から秋にかけて草丈が伸びるこのにやるのですが、こんな寒い時期に草刈りをするのは初めてとあって、山々に木霊する草k力のエンジン音を聞いた近所の人やミカンの収穫作業をしている人は、「誰だろう今頃草刈り機を使うなんて」と思ったに違いありません。

それでも背に腹は変えられず、刈り残した梅園を2時間ほどかけて綺麗に草を刈ることが出来ました。これで懸案が片付き新しい気持ちで正月を迎えることが出来そうです。今はポンカンや伊予柑などの雑柑類の取入れの真っ最中で、農家の人は寒さに震えながら忙しく収穫作業をしているようでした。

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人間牧場

〇「川中島」不識庵機山を撃つの図に題す
 ~べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
  あかつきにみる せんぺいのたいがをようする
  いこんなりじゅうねん いっけんをみがき
  りゅうせいこてい ちょうだをいっす~

 わが町はかって公民館活動で詩吟が盛んに行われていました。そのころ吟者が朗々と吟じる漢詩の意味も分からぬまま、時が過ぎ今日を迎えています。昨日旅のツアーで尾道の名刹千光寺を訪ねましたが、その一角に頼山陽の立像が建っていました。

 吟者が「不識庵機山を撃つの図に題す 頼山陽」と吟じていたのをふと思い出しました。「(上杉の軍は)鞍の音立てないよに 静かに夜に乗じて川を渡った。明け方武田信玄は上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然前に現れたのを見て大いに驚く。しかし誠に残念なことにこの数十年、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃がキラリと光る一瞬のうちにあの憎い信玄を打ちもらしてしまった」そうです。

頼山陽は江戸後期の著名な歴史家であり日本外史を作った儒学者でもありますが、漢詩も沢山遺していて、一度その足跡を学んでみたいと思いました。

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人間牧場

〇年賀状印刷裏話
 私のパソコンには筆王というソフトを利用して年賀状用の住所録を入力していますが、厄介なのは400人の名前と宛名の中に、今年亡くなった人の名前が載っているため、消去しなければその人の元へ届いてしまうのです。

 今年も印刷してから確認していると2人の人の名前をプリントアウトしていました。一人はシーサイド公園にあったじゃこ天のお店で長年活躍した松本洋子さんです。消したくないという思いの表れだと勝手に思いながら、ブログ記事で「松本洋子さん」で検索すると沢山の記事にヒットし、年賀状製作の手を休めて懐かしく往時の思い出を偲びました。

在りし日の松本洋子さん(左端)

 もう一人は宇和島水産高校漁業科の大先輩玉井恭介さんです。玉井さんは広告代理店の部長をしていたころ、私の出世作?となった、「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の自著本の監修を手掛けてくれた恩人です。特に宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」の事故ではお互い心を痛め、「希望海」という鎮魂歌を作詞したり、慰霊碑の建立に力を注ぎました。晩年は松山五行歌などに私と一緒に参加して、わが宴会所や人間牧場で句会などを催しました。

煙会所での句会風景(右端が玉井さん)

 偶然間違ってプリントアウトした2枚の年賀状は、投函せず、私の思い出として手元のハガキ入れに入れ、「届かなかったハガキ」として大切に保管したいと思います。お二人とも今頃天国のどこを旅しているのでしょうか?。

「誤って 2人の名前 消し忘れ プリントアウト 出すに出されず」
「お二人の 名前で検索 あれこれと 出るわ出るわで 懐かしくなる」
「まあこれも 二人私に 呼びかけた 出来事でした 冥福祈る」
「このハガキ 手元記念に 遺し置く 生きてる限り 大切にする」

 

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人間牧場

〇Stay Hungry Stay Foolish
 私は英語を書くことも勿論喋ることも苦手です。第10回総理府派遣青年の船の班長に応募した時、班長の資格は英会話1級程度の語学力でしたが、かつて咸臨丸が太平洋を渡ってアメリカへ行った時、乗船した勝海舟も福沢諭吉も英語が喋れませんでした。

 ところが咸臨丸に乗船した四国土佐清水出身のジョン万次郎だけは英語が喋れたのです。「100年後の昭和の咸臨丸と銘打って太平洋を始めて渡る青年の船に、みんな英語が喋れて四国出身の私だけが喋れないのも何かの因縁です。英語が喋れないだけで私のアメリカへ行く夢を断たないで欲しい。帰国したらナンバーワンに活動します」と大見えを切り、見事選ばれ建国200年のアメリカへ行くことが出来ました。

 こんなやり取りがあるほど愚かな私ですが、外国の著名人が話した言葉を、メモ帳に時々忘れないように書いていましたが、今日そのメモが見つかりました。「Stay  hungry Stay Foolish」とたどたどしい英語で書いていました。ご存じアップル社創設のスティーブ・ジョブズ氏が言った有名な言葉です。直訳すると「ハングリーであれ、バカになれ」ですが、「日常の中の非日常」「常識にとらわれない」という意味もあるようです。

 何でこんな英語を書いたかは何年か前のことなので分かりませんが、この言葉を聞いた時衝撃を受けたことは事実です。以来この言葉のような生き方がしたいと思って生きてきましたが、残念ながらバカの壁は未だに越えられていません。でもこれからもこの言葉を反芻しながら生きて行きたいと思っています。

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人間牧場

〇12月22日は冬至
 今日は一年拾で夜が一番長い冬至の日です。世の中は便利になったもので、インターネットで「双海町の今日の日の出と日の入り」を入力し検索すると、瞬時に日の出は6時56分20秒、日の入りは5時01分00秒と、表示してくれるのですからこのくらい便利なことはありません。

私が作った夕日の時刻表

 私が夕日でまちづくりをしていた頃、夕日が何時に涼むのか分からないため、松山地方気象台へ出かけて一年間の日没時間を調べて帰りました。その資料を基に、日本で初めてという夕日の時刻表を作りました。それが話題となって千部作った時刻表があっという間に売り切れたことがありました。

 今はそんなことをしなくてもインターネットという優れものがちゃんと教えてくれるのですから有難い世の中です。今晩は早めにお風呂に入り一年で一番長~い夜を存分に楽しみ、ゆっくり休みたいと思います。

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