人間牧場

〇私は息子の支援者気取り
 私は若いころから地域づくりにかかわり、いまも衰えることなくやっています。既に亡くなっていますが親父は、私の唯一の理解者でした。家の敷地内に囲炉裏を備えた4畳半の私設公民館「煙会所」を作る時も、無人島に挑む少年のつどいの時も、また長さ10m・直径1m60㎝の丸太をくり抜き丸木舟を作った時も、つかず離れず支援してくれました。多分親父がいなかったらこれらの事業は完成することなく妄想で終わっていただろうと、今頃になって親父の偉大さを思うのです。

車庫の屋上に寒冷紗が張れるよう竹竿を組み立てました

わが息子も私に似て、地域づくりが大好きで、私とまったく違った新しい発想で、仕事の合間を縫って黙々とやっています。私は役場に勤めていての地域づくりでしたが、息子は設計事務所に勤めながらの地域づくりなので、「何もそこまで?」と首をかしげることも多々あり、時々は口喧嘩もしますが、「仕事第一で仕事に差しさわりのないように」と注意をしています。息子は自らが立ち上げたカブトムシプロジェクトと朝顔プロジェクトをやっていて、特に夏場は朝4時に起き夜12時ころに寝るほど超多忙な日々を過ごしています。

 強いて言えば息子の欠点は、自分の小遣いの範囲ながら、補助金などは一切貰わず自費だけで活動をしていることです。最近は妻の愛車である4WDの軽四トラックをわがもの顔に乗り回し、あれやこれやと活動しています。また最近は私が新型コロナの影響で不要不急の外出が出来ないことをいいことに、「あれしといて」「これしといて」と、半ば強引に作業を頼むのです。昨日も仕事に出掛ける時、「車庫の上の朝顔に西日が当たるので、寒冷紗を張るようにして欲しい」と一方的に頼まれました。「わしも何かと忙しい」と突っぱねましたが、気が付くと暇を見つけて山へ竹を切りに行き、気が付くとそれなりに出来上がっていました。「支援者気取り」をするとつけ上がるので、「いかんいかん」と思いながら、親父と同じような道を歩んでいるようで、大笑いです。

「若いころ 唯一理解者 親父殿 あれこれ支援 だから今ある」
「わが息子 私と同じ バカ息子 親バカ装い 手助け数々」
「わが息子 何をそこまで 思うけど 半分諦め 半分支援」
「気が付けば 親父と同じ ことしてる これも私の 影響かもね」

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