人間牧場

〇紅マドンナをいただきました

 このところの冷え込みで、鍋物の恋しい季節となりました。妻もそんなことを意識してか、わが家ではおでんや鍋物が2日に一回食卓に出るようになりました。おでんの具材には勿論わが家の菜園で採れた、大根や自家製シイタケ、メークインなどが入りますが、鍋物にも白菜や春菊などが沢山入って、野菜三昧です。

小西さんから頂いた紅マドンナ

 昨日も夕方妻が、「今日は味噌仕立ての鍋物にするので、白菜と春菊、ネギを畑から採って来て」と頼まれました。白菜は植えて間もない頃害虫に食べられて、外葉は網目のようになっていますが、中は十分食べられるので、外葉を剥がして収穫しました。春菊は豊作で包丁で新芽を摘み取りました。

そこへ親友の小西さんが、自分で栽培している紅マドンナを、段ボール箱に入れて持って来てくれました。紅マドンナといえば高級品種なので、産地といっても私たち庶民の口には中々入らない代物です。先日も贈答用として贈った人から、「まるでゼリーのような食感だった」とお礼のお便りが届きましたが、私たちの口には中々入らず、農家から頂いた訳ありハネものを味見する程度です。

私も何も差し上げるものもないので、先日息子が精製し瓶詰めし終えたばかりの蜂蜜を一瓶差し上げましたが、今日にでも同居の息子たちの食卓にも、紅マドンナをお裾分けしてやりたいと思っています。田舎に住む喜びは人と人との暖かい気遣いの会話や、お裾分けの気配りです。昨日も幸せ感に浸りました。そうそう昨日はじゃこ天のおばちゃんからもつみれをいただきました。

「鍋物の 具材菜園 調達し 連日妻は 腕を振るって」

「住む人の 少ない過疎の 町だけど 気遣い気配り てんこ盛りです」

「食感が ゼリーに似ている 柑橘を いただき賞味 田舎ならでは」

「じゃこ天の おばちゃんつみれ パック入れ いただきました 早速鍋物」

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〇ストーブの恋しい季節です

 いよいよ冬将軍の到来です。1週間前までは「暖冬?」なんて感じるほどの20度越えの温かさでしたが、昨日からは一転し日中でも気温が10度を下回る寒さでした。暖かかったり寒かったりの気温の変化は、寄る年波を感じるような私には体に堪えるようで、少し前風邪を引いたこともあって気をつけなければなりません。

書斎の時代遅れな反射型ストーブ

私の書斎にはエアコンがありますが、エアコン風の嫌いな私は、もっぱら暖を取る手段として、少し時代遅れな反射型ストーブを使っています。このストーブだと上に置いたやかんでお湯が沸き、適当な湿気が喉にもいいようだし、北海道の友人市川恵子さんが送ってくれたハーブ茶や、私手造りの紅茶を楽しむこともできるのです。

 わが家では、台所はプロパンガス、風呂とストーブは灯油です。10年前息子と同居する時、電気代は息子、ガスと灯油は私たちという取り決めを親子で行いました。水ぬるむ夏は良いのですが、冬は上灘地区内に石油店がなくなったため、いわゆるガソリン難民ゆえ、ポリタンクを軽四トラックに積んで足繁く、伊予市街まで買い出しに出かけなければならないのです。

 最近はガソリンも灯油もかなり高値で推移していて、年金暮らしの妻の財布が気になるところです。勿論電気代も敷地内には本宅、隠居、海の資料館海舟館、私設公民館煙会所と4棟も建物があって、かなりの金額となります。エネルギー費もデジタル使用料も家計を直撃しています。10年ほど前までわが家はお風呂や給湯は薪のボイラーでした。煙突から煙が立ち登っていたあの頃が懐かしいこの頃です。

「昼と夜 週間毎の 気温差が 激しく体 堪えて大風邪」

「風呂灯油 ガソリン難民 ゆえポリタン トラック積んで 中々大変」

「電気代 むすこの家計 灯油ガス 私が負担 どっちが得か」

「10年前 薪でお風呂を 沸かしてた 懐かしきかな のんびり過ぎし日」

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〇ブロッコリーの収穫

 普通の年であれば、晩秋に植えたブロッコリーの苗は、正月ごろに食べごろとなるのですが、今年は4~5日前の時ならぬ陽気で一気に成長して、早く食べないと花芽が開きそうになりました。早速包丁で切り取って、息子や娘にお裾分けしてやりました。わが家がこの手合いですから、市場の野菜もダブついて大根や白菜などは安値になっているようで、庶民にとっては有難いことですが、生産者にとっては思わぬ天候不順に翻弄され、豊作貧乏のようです。

立派にできたブロッコリー

ブロッコリーもカリフラワーも一本の苗から1個しか収穫できないため、何故か収穫は心が痛みますが、脇芽を伸ばして小さいながら春まで楽しみたいと思っています。今年は植えて直ぐに防虫ネットを被せて育てたため、青虫に葉っぱを食べられることもなく、順調に育って大豊作なので、当分の間ブロッコリーを使った料理が食卓に上ります。昨晩はさっと茹でてゴマダレで食べましたが、緑濃いブロッコリーを美味しくいただきました。

 虫に食われ育ちが遅れていた大根や白菜も、その後回復してそれなりに育ったので、このところは食卓に野菜料理が沢山出て、私の風邪はすっかり治りました。妻はまだ咳が少し残っているものの快方に向かっています。先日知人から貰ったユズと私が作った赤トウガラシを使い、大根を短冊に切った浅漬けを作りました。少しピリリと辛い歯ごたえの良い大根の浅漬けは、白い熱々のご飯やお茶漬け、それにお茶請けにも最適で、夫婦でポリポリ音を立てながら楽しんでいます。

「このところ 陽気誘われ ブロッコリー 成長促進 今が食べごろ」

「食卓に 手作り野菜 毎日の ように並んで すこぶる満悦」

「無農薬 安心安全 第一と 多少虫食い 納得食べる」

「ユズ大根 浅漬け作り 朝昼晩 三度の食事 夫婦ポリポリ」

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〇この人誰~れ!!

 昨日私の元へ一枚の写真が送られてきました。11月24日に開催された市町村職員年金者連盟伊予支部双海分会総会の時、撮影した記念写真でした。私は同席していたし長年一緒に仕事をしていたので、20人ほどの写真に写った人の顔と名前は一致していましたが、一緒に見た妻は小さい写真なので、天眼鏡を取り出して「この人は誰?」と盛んに質問し、私が「○○さん」という度に、「へえ~」と少し驚いた様子で見入っていました。

妻は写真い写っている人たちの名前は知っていても、私が役場を退職してからは殆ど出会いも交遊もなく、既に14年間も過ぎているのですから、名前と顔が一致しないのは当然と言えば当然です。自分がこの14年間、写真に写っている人たちと同じように歳を取っていることもすっかり忘れて、私の話すそれぞれの人の近況を興味深く聞いていましたが、歳相応な人、歳より若く見える人、年より老けて見える人などなど、14年の歳月は人の姿にも大きな変化をもたらしているようです。

 人は必ず歳を取り必ず老いて、やがては嫌でも死にます。また人は誰しも年齢より若く見て欲しいという願望もあります。自分では若いつもりでも、傍目から見ればそれなりに歳に見えるのですが、せめて身だしなみをきちんと整えていれば、だらしない格好をしているよりは2つか3つは若く見えるものです。毎日のように妻から「歳を通ったら身だしなみくらいはきちんとしてね」と言われていますが、私の同級生でも既に杖がなければ歩けない人もいるのですから、これからも健康寿命を既に過ぎている自分の年齢を意識して、せめて身だしなみを整えてしっかりと生きて行きたいと思っています。

「1枚の 写真見ながら この人は 誰と訪ねて 聞く度へえ~と」

「人は皆 白髪か禿に なるものだ 私はどっち? 何とも言えず」

「はい私 健康寿命を 過ぎました 伸ばすつもりで 毎日運動」

「さあ今日も それなりしゃんと やりましょう 自分にできる 最大限を」

送られてきた写真
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〇漁師を辞めることを決意した叔父

 数日前、下灘で漁師をしている叔父からわが家へ電話がかかってきました。91歳ゆえ電話をしてきた叔父は耳が遠く、電話に出た妻も一方的に話すだけの叔父と、会話を交わすこともなく一夫的に電話を切ったようでした。断片的でしたが、「91歳になってわしももう歳なので、医者の勧めもあって、ここが潮時と思い漁師を辞める」「網やロープが沢山あるので、畑に使うようだったら取りに来い」とのことでした。

叔父から貰った網やロープ

このところ私のスケジュールが立て込んでいて、その暇もなかったのですが、幸い2~3時間取れたので、叔父の家に行きました。叔父は耳が遠いためかなり大きな音量で、居間に座ってテレビを見ていましたが、私の来訪を心待ちにしていたようで、色々な話をしてくれました。3年前わが親父の妹である連れ添い叔母に先立たれ、同居の息子(60歳)も独身ながら病気がちで入退院を繰り返していて、底引き網漁を続けることができなくなったようでした。

 医者の勧めもあって91歳まで頑張ってきたけど、ついに漁師を廃業する決意をしたようでした。聞けば16歳から漁師をしていたのですから75年間もの長い間、この道一筋の漁師人生でした。これから乗っていた漁船のや大量の漁具類の始末など、沢山の残務処理をしなければならないようですが、海に生きた日々日に悔いはないけれど、船に乗れなくなることの寂しさはつのるばかりだと、涙ながらに話してくれました。

 帰り際、家庭菜園の野菜作りに使うようにと、沢山の網やロープをいただきました。早速今年の冬はいただいた網類をほどいて、菜園に使う算段をしなければなりません。叔父が漁師を辞めると私の親類ではもう漁協組合長をしている従兄弟一人しかいないため、私事ですがいつも沢山の魚を貰っていた補給源を断たれてしまい、わが家にとっても大打撃ですが、これも時代の流れと諦めます。帰り際「お前には世話になった。とくに母ちゃんが生きていた頃『ナミ子姉さんの詩(うた)』を編集してくれたことは感謝しても感謝しきれない」と喜んでくれました。人間はみんな歳をとります。やがて私も悲しいかなそのような日が来ることでしょう。

「電話にて 漁師廃業 すると聞く 早速出かけ 色々話す」

「凄いなあ 正業一筋 70年余 俺の年程 船乗り漁師」

「もう魚 くれる人なく 寂しいな 私の健康 どうすりゃいいの?」

「沢山の 網やロープを 持ち帰る 今度は俺が 野菜恩返し」

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〇暮らしのリズム

 人間には暮らしのリズムのようなものがあります。結婚以来同じ屋根の下に50年近くも一緒に住んでいる妻でさえ、私との間には微妙な違いがあって、私は朝4時起床の早起き型、妻は午前6時に起きる普通型です。妻と私の朝2時間のずれは私にとってとても充実している時間で、この2時間がなければ私の日々はまるで屁のようなものだと思っています。

私は朝起きると素早く着替えて書斎に入り、パソコンのスイッチを入れ、まずウォーミングアップのつもりでGメールを呼び出し、メールの発受信整理をします。直ぐに前夜粗方「明日はこんなことを書こう」と思っていたことを、アメーバブログとワードプレスブログに写真やイラストを入れて、ランダムに思いつくまま指を進め、読み直し登録して終了です。

5時になったところで天気予報の雨雲の動きを確認して、運動靴か長靴を選んで履き替え、雨が降っていると傘を差して約1時間のウォーキングに出かけます。今朝はこの作戦の見誤りで、家を出る時はまだ降っていなかった雨が、天一稲荷神社の大鳥居辺りで降り出し、あいにく傘を持っていなかったので、足早に歩いても雨は少し強くなり、濡れ始めました。

 本当はそのまま家に立寄り傘と長靴に履き替えてウォーキングを続行すべきでしたが、雨に濡れたためウォーキングを途中で断念してしまい、ガラケー携帯電話内臓の万歩計は5千歩近くでストップしています。今日は松山市のまちづくり研修会があり出かける予定なので、朝食を済ませると残りの歩数を確保するまで歩き、暮らしのリズムを元に戻したいと思っています。

パソコンには「上書き保存」という機能がついています。未完成な記事があって、その記事に修正を加え上書き保存しますが、自分の暮らしや人生も、やり直すことはできなくても、多少の修正を加え、上書き保存だってできるのだと思って生きています。雨降りの予想を見誤り狂った一日の暮らしのリズムを取り返し、夕方までには修正上書き保存したいと思っています。

「にわか雨 濡れて早起き ウォーキング 途中断念 修正上書き」

「私妻 一緒に暮らして いるけれど 暮らしのリズム 朝から違う」

「朝早く 起きる私と 朝遅い 妻とは既に 2時間開き」

「孫たちの 予定マラソン 大会も 雨で延期と 連絡届く」

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〇新聞とテレビ

 先日11月30日に新居浜市あかがねミュージアムで開かれた景観シンポジウムの模様がその日の夕方、テレビ愛媛の「EBCプライムフライデー」という番組で放映され、明くる日その記事が読売新聞愛媛版33面に掲載されました。あいにくその前後はスケジュールが立て込んでいて、テレビも新聞も忙しくて見る暇がありませんでした。

テレビ愛媛映像5コマ

 その後何人かの人から「見たよ」「読んだよ」「相変わらず忙しそうですね」と言われたものの、当の本人には分からぬことゆえ、「ありがとうございます」くらいな反応しかできませんでした。昨日主催した愛媛県都市計画課の係長さんと、取材してくれた読売新聞の記者さんから、相次いで画面5コマと掲載新聞が送られてきました。

 若い頃はまちづくりの世界にいたため、新聞・雑誌やテレビ・ラジオには、これでもかと思うほど日常茶飯事取り上げられていましたが、さすがにこの歳になると進んで出る気もないので、タヌキが石を投げる程度の露出ゆえ、送られてきた自分の画像や写真に写った加齢な姿に歳を感じてしまいました。それでも折角送ってもらったので、記録の片隅に記憶として残すことにしました。

「新聞と テレビで見たと 言われても 本人見ても 読んでもいない」

「丁寧に テレビ5コマと 掲載紙 送ってもらい 早速記録」

「この歳に なると進んで 出る気なく 自分の姿 少し落胆」

「どれほどの 新聞テレビ 出ただろう 今じゃ箱入り 倉庫片隅」

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〇人の撮った写真の思い出(その3)

受付風景
今年の交流集会のパンフレットも立派に編集されていました
歓迎ワークショップは浅野さんと宇津博美さんが担当しました
賑やかな名刺交換会
夕食交流会は西山・武智・谷川の黄門様ご一行が盛り上げました
「これなんぼ」、ご存じ競り市も5万円ほどの売り上げで盛り上がりました

「人撮った 写真facedeで 賑やかに 気がつきゃ私も あちらこちらで」

「実像は 消えているけど 思い出は 写真リアルに 残っています」

「水戸黄門 扮した司会 登場し 私も負けじ 競り人になる」

「それぞれの 人がそれぞれ 役割を 担い懸命 努力しました」

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〇地域教育実践交流集会で自分で撮れなかった自分の写った写真(その1)

 この週末の2日間、地域教育実践交流集会が国立大洲青少年交流の家で開催され、300人の人が集まりました。これまで開かれた11回全てに参加していますが、いつの間にか讃岐先生からバトンを渡され数年前から実行委員長として、また今年から立ち上がった地域教育実践ネットワークえひめの代表として、役にも立たないまま皆さんの輪の中に入り、楽しく2日間を過ごさせてもらいました。

 私は昭和19年生まれの、未だにスマホも使わない時代遅れなガラケー男です。それでも日々の生きざまを記録するため、毎日ささやかながらブログを書いているので、その添付写真としてデジカメを使っていましたが、そそっかしくて地上に落としたり忘れ物になったりしたため、娘婿の勧めで文字も書けて写真も撮れる一石二鳥のタブレットを手に入れました。

 タブレットのカメラは賢くて反転すれば自分の顔だった写るのですが、さすがに自分の写真を遠目に撮るのは難しく、今回の集会で私が写っている写真が、facebookの画面に盛んに出回り、一人歩きしているようなので、断りもなく思いつくままシェアーして、自分のブログの中へ仕舞い込んでいます。悪しからずご了承ください。

いつものことながら、ステージの吊り看板に私の名前が・・・(左隅)
わが町の小西千鶴子さんとツーショット
新居浜の市会議員篠原さんと
特別企画鼎談の様子

「わが写真 撮りたいけれど 撮れないが facebookに度々登場」

「会場で 請われるままに 記念にと にこやか笑顔 愛嬌振り撒く」

「壇上で 鼎談話す わが写真 音声付かず 幾分気楽」

「この頃は 壇上上がり 話しても 思わぬことまで 喋ってしまう」

 

 

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◯第11回地域教育実践交流集会(その2)

「11年前は私も64歳と若かった」と、この10年の時の流れをしみじみ思うのは交流会の最大イベント懇親夕食会です。10年前にも既にお酒を止めていましたが、皆さんの呑みっぷり食べっぷりを見ながら、若き頃を懐かしみました。それでも懇親夕食会はあっという間に予定の2時間が過ぎました。毎年担当している、みなさんが持ち寄った大量のお土産類の競り市も、私がセリ人となって大盛り上がりですべて完売、5万円ほどの収益をストックすることができました。

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