〇梅雨が明けました
一昨日の夕方、梅雨明けを予感するように、久し振りに穏やかな夕焼けが見えました。青空・太陽・入道雲・夕焼けは久しぶりです。長雨への対応で、どことなく沈みがちだった気分が浮き浮きしてきました。
双海より
〇海は偉いな大きいな
家の周りは今回の大雨で、まるで水攻めに遭ったようで生きた心地がしませんでした。穴という穴から水が噴き出し、満水となった水路から水が溢れ、幸い倉庫で済みましたが、倉庫の中は床下浸水し、自慢していた自作の芋坪も、あえなく水没してしまいました。2階の窓から見ると家並みの向こうの上灘川は、茶色く濁った水が堤防を越えて早苗の田んぼに入っていました。
不思議なことにこれほどの大雨大水なのに、前面に広がる伊予灘の海は何一つ文句も言わず、全ての水や汚物を受け入れているのです。まさに「海は偉いな大きいな」です。昨日は漁師さんも久しぶりに船を出し漁に出かけたようで、夕方親類の叔父さんから「魚を取りに来るよう」電話が入り出かけました。魚はトロ箱から尾びれがはみ出すほどの大きな「ソコニベ」でした。
私も海沿いに面した町に住んでいるので、これまでにも色々な魚を見てきましたが、これほど大きな「ソコニベ」は初めてで、早速家に持ち帰り外の流し台で鱗を引き、出刃包丁を研いで3枚におろしました。中骨やヒハラ、頭は煮付け用にぶつ切りし、かなりの量の身は4つに分けて、トマトやスイートコーンを貰った親友宅へお裾分けしました。
勿論同居の息子嫁にもお裾分けし、昨晩の夕食は美味しい刺身とアラのみそ汁で至福の時を過ごしました。このソコニベも今朝まで大雨の流れ込んだ海で泳いでいたのかと思うと、不思議な気持ちになりましたが、大雨が運んだ大量の栄養分は、餌となって魚を育てるのです。知らない所で連鎖を繰り返す自然は、大きなホスピタリティだと実感しました。
「あれほどの 大雨降っても 受け入れる 海は偉いな 大きいなです」
「大雨で 休んだ漁師 沖に出て 久方ぶりに 浜に活気が」
「ソコニベを 出刃包丁にて 3枚に おろし知人に お裾分けする」
「昨晩は 美味しい刺身 舌鼓 元気回復 わが家も復興」
〇面白い表現
この4~5日、裏山が2度も崩れて被害に遭った経験のあるわが家では、家族全員が心配しながら大雨に翻弄され、心身ともに疲れ果てましたが、今朝書斎の窓から雲一つない抜けるような青空に、眩しい朝日が差し込んで、嬉しい朝を迎えています。各地から大雨の被害状況がfacebookで届いたり、安否確認やお見舞いのメールが届き、その都度返信をしてきましたが、やっと収束って感じで、今日は濡れた物を干したり、雨で傷んだ家庭菜園の修復作業をしようと、食事をしながら妻と話しました。
この3日間交通手段を絶たれたため身動きが取れず、私たち夫婦と息子家族4人の6人の家族が一日中家にいて、色々なことを話しました。「30年に一度なら、30年後親父はもうこの世の中にはいないので安心しろ」と言う息子の言葉に、自分の余命の短さを思いましたが、今朝年輪塾々生の大洲市田処に住む亀本耕三さんから、安否確認のメールが入りました。亀本さんは「コンビニはローソン、田処は農村」「フランスはシャンソン、田処は農村」などと洒落た言葉を思いつき、私たちを笑わせていますが、今朝も新しいギャグに思わず笑ってしまいました。
「日本は自衛隊、田処は爺衛隊」だそうです。確かに今回の未曽有の大雨被害では、派遣要請された自衛隊が大活躍で、国民から大いに感謝されています。ところが一斉に起こった全ての被害に自衛隊が対応できるはずもなく、田処ではみんなが協力して重機を出し、土砂崩れで孤立した自分の地域の一か所の道を、自力で復旧したそうです。その主力メンバーは高齢者と言われる年齢の人たちで、「自衛隊ならぬ爺衛隊」と呼ぶにふさわしいようでした。「なるほど」とにんまりしながら納得しました。私を含めた高齢者はとにかく元気で、日本の宝です。
「あれやこれ 日本の自衛隊 頼りなる あちらこちらで 活躍感謝」
「自衛隊が 来ない地域は 爺衛隊 歳はとっても ふるさと守る」
「何日か ぶりに青空 朝日見る どこか元気が 出るよう予感」
「わが家でも 一番頼り なる人は 爺の俺だと 大雨自認」
〇蜜蜂巣箱の床上浸水
昨日は息子も若嫁も、妻も孫も全員が大雨で臨時の休みとなり、久し振りに一日中家族みんなが揃って過ごしましたが、私と息子はテレビの気象情報を見ながら時々外に出て、雨合羽と長靴の出で立ちで家の周りや裏山の側溝掃除を足繁くやりました。天気の日は側溝などの存在すら忘れていますが、昨日のように大雨が降ると側溝を溢れた大水が勢いよく流れて、詰まると小さな被害を引き起こすのです。
昨日見回りの途中、裏山から鉄砲水のような水の吹き出し口を見つけました。その水が折角入居している蜜蜂の巣箱を直撃して、底板に泥水が流れ込んでいました。蜜蜂にとっては床上浸水といったところで、逃げ場を失った蜜蜂が4~5匹入り口付近で助けを求めているような雰囲気でした。急いで底板の底上げを思いつき、倉庫から替えの底板を用意して、息子に手伝ってもらって巣箱を持ち上げ、やっとの思いで応急処置を終えました。
蜜蜂は人間様と同じく雨が苦手のようで、雨が降る日は余程のことがない限り、巣箱の中でじっとしていますが、昨日は床下浸水に驚いた蜜蜂が、羽根を乾かすためでしょうか、出たり入ったりしていましたが、夕方にはその行動も収まりました。今朝も小雨が降っているので、おとなしく巣箱の中で過ごしているようです。早く雨が上がることを、私も勿論蜜蜂も祈っています。蜜蜂は繊細な小動物です。住環境が悪いと思えば巣毎どこかへ立ち去り移住してしまいます。そのまま定住してくれることを願っています。
「蜜蜂の 巣箱床上 浸水し 4~5匹何とか してくれ騒ぐ」
「床を上げ 応急処置を したお陰 騒動収まり ホッと一息」
「大雨で 人間様も 蜜蜂も 緊急事態 人間第一」
〇送られてきた二神島豊田造船所資料集
昨日の昼頃、一通のレターパックが届きました。送り主は親友の豊田渉さんからで、封を切り中から出てきたのは神奈川大学日本常民研究所発行の、「二神島豊田造船所資料集」という150ページに及ぶかなり分厚いA版の報告書でした。豊田さんは旧温泉群中島町役場の職員でしたが、平成の大合併で中島町が松山市に合併して市役所職員となって定年退職した後も、再雇用でBGなどを経て現在は松山市役所中島支所で離島関係の仕事をしています。
豊田さんは私たちの町の沖合に浮かぶ二神島の出身で、神奈川大学の日本常民文化研究所は、二神島の旧庄屋二神家の文書を譲渡され、30年にわたって島の歴史や民俗などの追跡調査を行っていますが、その一環として豊田さん自身の実家が営んでいた豊田造船所について、調査や執筆をしたようで海の資料に興味のある私は、早速ページをめくりながら貴重な資料を読ませていただきました。瀬戸内海から姿を消した船のに関する資料の数々に、驚きを禁じ得ませんでした。
早速勤務中の豊田さんにお礼の電話を入れ、それらの資料や造船時に使った、今も残る道具類の保存について意見を交わしました。豊田さんは愛郷心の強い人間で、これまでにも若い頃から「よもぎ」という新聞を発行したり、離島青年協議会のメンバーとして活躍してきました。また私たちと一緒に由利島で「無人島に挑む少年のつどい」や「丸木舟建造航海」にも深く関わってくれましたが、今は島を離れ松山市久米窪田に移り住んで、再雇用で毎日中島本島へ高速船で通っています。
1921年に渋沢栄一により創設されたアチックミュージアムは、周防大島出身の民俗学者宮本常一の手によって大きな成果を収めました。戦時中日本常民研究所に改称され、その後1982年には神奈川大学に招致され現在に至っていますが、高度成長により散逸したり散逸しようとしている様々な生活文化に光を当て、調査研究をしてこのようにデーター保存することはとても意義深いことなのです。いつの日か私も親父の残した資料を調査研究して残しておきたい衝動に駆られました。
「親友が 送ってくれた 一冊の 報告書見て 感動一気に」
「瀬戸内の 海岸沿いは 一変し 昔の姿 忘れ去られて」
「わが家にも 昔の歴史 あれやこれ そのうち記録 残さなければ」
〇コンニャク畑の草引き
このところ息子から頼まれ暇を見つけて、人間牧場のカブトムシ養殖場で成虫になったカブトムシを探し、持ち帰る作業を手伝っています。この3日間で20匹ほど捕獲しましたが、息子は夜10時ころ仕事から帰ると、それらのカブトムシを倉庫の中の飼育場へ持ち込み、せっせと仕分け作業をしています。昨日の朝も雨合羽を持って出かけると運よく雨がやんでいて、7匹をゲットしましたが、折角雨合羽を持参していたので、コンニャク畑の草引きをすることにしました。
この時期は藪蚊が沢山出て体中にまとわりついて刺すので、蚊取り線香を腰にぶら下げての作業です。この歳になって思うことですが、若い頃やお酒を呑んでいた頃は、幾ら蚊取り線香をつけていても余り効果がなく刺されていましたが、藪蚊も私のような高齢者の血は美味しいご馳走と思わないのか、有難いことに思ったほど刺されなくなりました。地べたを這うように泥まみれになりながら、1時間ほどの農作業をしたお陰で、2枚の細長いコンニャク畑は綺麗に草を取り除くことができました。
まるでキリンの首のようなまだらな模様のある茎の周りには、コンニャクの小さな芽が沢山生えていましたが、それを雑草と一緒に引き抜かないよう気をつけるのも一苦労でした。私は子どものころからコンニャクは嫌いな食べ物なので殆ど食べないのに、人間牧場の体験メニューにどうしても欲しいのでコンニャク芋を栽培していますが、思えばこれも滑稽な話です。最近はコンニャク作りの名人で親友の西岡さんに芋を差し上げ、作ってもらう悪賢いことも覚えています。雨が上がったらもう一枚の残ったコンニャク畑の草引きをする予定です。
「雨やんだ ちょっとの隙間 利用して コンニャク畑 草引き挑戦」
「カッパ着て 地べた這うよう 草を引く 蚊取り線香 腰にぶら下げ」
「歳とった 私の血など 旨くない 藪蚊も相手 選ぶ権利が」
「コンニャクの 嫌いな私 芋作る 滑稽話 一人苦笑す」
〇カブトムシの飼育
腐葉土を作るため人間牧場に自作でブロックを積み、落ち葉ストッカーを造っていますが、息子はこの施設を利用して趣味のカブトムシ飼育を始めています。春先、「ブロックの上を金網で覆うにはどうしたらよいか」と息子から相談があり、挙句の果ては私が作ることになりました。早速息子と一緒にホームセンターへ出かけ、金網や算木、釘などを買い求め、春先の暇を見つけて作ってやりました。
作った金網蓋を運んで息子と一緒に実験をしましたが、ほぼ計算通りストッカーの上を覆えるようになりました。この数日前から気温がグングン上がり、冬を越したカブトムシの幼虫が成虫になって、腐葉土の中からはい出し始めました。毎日仕事で忙しい息子は、何かにつけて私に言い寄り、金網に留まったカブトムシを捕獲して自宅まで持ち帰るよう頼まれますが、自宅と人間牧場は10kmも離れているので、早々毎日のようには出かけれれないのです。
それでも少しだけ気になって、昨日は息子の用意した虫籠を持って出かけました。金網覆いの隅にカブトムシを見つけ、手足を傷めないよう角を持って虫かごに入れてやると、カブトムシは元気に動き回っていました。昨日だけで9匹をゲットし持ち帰りましたが、息子は仕事から帰ると倉庫の飼育場に持ち込んで餌を与えていました。7月中に200匹ほどもカブトムシを集め、松山空港で子どもたちへ無償で配るそうです。とてつもない馬鹿げていると思われる息子の夢の片棒を、どうやらいつの間にか私も担がされてしまっているようです。
「牧場の 腐葉土作る ストッカー カブトムシ飼育に 息子あれこれ」
「夏が来た 腐葉土中から カブトムシ 毎日ゾロゾロ 地上這い出る」
「頼まれて 金網囲い 作ったが 今度は成虫 回収までも」
「バカ息子 親バカ上手く 巻き込んで いつの間にやら 夢中にさせて」
〇自転車修理
昨日の夕方、外に遊びに行っていた小学校5年生の孫希心が、雨に濡れて泣きながら自宅へ帰ったそうです。聞けば愛用の自転車のチェーンが外れてペタル付近のシャフトに食い込んで故障したそうでした。幸いなことに伊予銀行上灘支店の前で行員さんに見てもらいましたが、手に負えないかったようで、次に郵便局の前で局員さんがネジを外して直そうとしてくれましたが、これもチェーンが外れず断念したようでした。
今朝若嫁がその自転車を修理屋へ持っていくため、自分の車に積み込もうとしていました。「このくらいのことならわしに任せておけ」と安請け合いしたものの、チェーンは中々外れませんでした。ドライバーを2本突っ込み、軍手をした手で少しずつ解きほぐして、やっとのことでチェーンが外れ、元の歯車に収めることができました。テストしてみましたがしっかり元通りに直っていました。それを見た若嫁は「まあお父さん、器用なのねえ!!」と褒めてくれましたが、「これで修理代5千円が助かりました」と、経済問答になりました。
実はこに自転車は、先週もパンクをして、地元に自転車屋さんがないので、軽四トラックに私が積んで自動車屋さんに持って行き、パンク修理台2千円を払って直したばかりでした。相次ぐトラブルに孫のテンションは下がりっぱなしですが、逆に私の株価は次第に上昇機運です。これも3世代同居の特典でしょうか。育爺の面目躍如といったところです。孫が学校から帰ると喜ぶだろうと、育爺バカの顔が緩んだ朝でした。
「自転車が 故障べそかき 濡れながら 孫が帰った 育爺出番」
「任せとけ 言ったはいいが 自転車の 修理骨折れ やっと直りぬ」
「お父さん あなたは器用 若嫁に 誉めてもらって お株上昇」
「よくもまあ 傷めるものと 感心す 成長証 納得しつつ」
〇旅先にて
私は住んでいる四国内なら自分の車を運転して出かけますが、海を渡って少し遠出をする時には、高齢期を迎えていることもあり、家族から「公共交通機関を使うよう」注意されています。さりとて私の行く場所は過疎地や田舎が多く、夜の移動もしなければならないので、はてさてどうしたものかと毎回悩んでいます。今回の鳥取行きもスケジュールが立て込んで日帰りだったので、JRの列車で行くことにしました。
列車の旅は気楽なもので、社内で居眠りをして休めるし、愛読書を読みながらタブレットを使って交信もできるし、何よりも面白いのは沿線の風景を楽しむことができるのです。今回も特急スーパーいなばで移動中、列車がスイッチバックしたり、大原という駅の近くに「宮本武蔵駅」というのがあることを知ってびっくりしました。早速タブレットで調べたり、宮本武蔵名言集を呼び出して読めるのも嬉しいお土産でした。私のタブレットには親友冨田さんが炊事してくれた自著本「夕日徒然草」が6冊電子辞書化されているので、宮本武蔵に思いを馳せながら、五輪の書ならぬ「地の書・水の書・火の書・風の書・空の書・心の書」を愛読しました。
最近は地方を走る列車もデザインが凝っていて、特急しおかぜの先頭列車は丸型、鳥取駅で見かけた特急列車はまるで新幹線みたいな格好良さでした。また鳥取駅に停車していた普通列車の側面には鳥取出身の漫画家青山さんが書いた「名探偵コナン」の漫画が画かれていました。復路瀬戸大橋からは綺麗な夕日夕焼けまで見れるお土産までついていて、列車の旅ならではの満ち足りた気分で小旅行を終えました。
「歳だから 列車で行けと 妻が言う 老いては妻に 従うことに」
「列車旅 まるで少年 タブレット 持ってあれこれ 眠る間もなく」
「大原の 駅で宮本 武蔵駅 近くにあると 知って驚く」
「窓際に 座って車窓 眺めつつ 荷物にならぬ 土産沢山」
〇とっとりふるさと元気塾開講式(その2)
昨日は片道6時間、往復12時間をかけて、瀬戸内から瀬戸大橋を渡って日本海に面した鳥取市で開かれた「とっとりふるさと元気塾に講演に招かれ、日帰りで出かけました。鳥取駅まで迎えに来てくれた事務局を務める藤原一輝さんと倉吉の福田京子さんと落合い、近くのカレー店でカレーを食べたり紅茶を飲みながら打ち合わせを兼ねた昼食会をしました。その後会場となっている国府町総合支所2階会議室へ入り、いつもは余り使わない事前に送っていたパワーポイントのテストをしながら、開会を待ちました。
その内塾長の市長さんも見えられ、開校式や藤原さんの年間スケジュール説明を終え、いよいよ私の出番となりました。少し力を入れて写真をセレクトして作ったパワーポイントだったので、時間が足りず少し心残りとなってしまいました。会場には何年か前私の町や人間牧場、それにわが家にも研修で来られた顔見知りの人が何人もいて、少し切り口を変えた話をしましたが、まあそれなりに役目を無事果たすことができました。
昨日は台風接近や梅雨明けぬ悪天候を予想していました。それもそのはず前々回は大雨で列車が不通となり、高速道路を使って岡山まで送ってもらい、前回は大雪で列車が大幅に遅れるなどの経緯があるので心配していましたが、30度を超す暑い一日だったものの雨にも遭わず大助かりでした。講演が終わった後福田京子さんに鳥取駅まで送ってもらい、列車を乗り継いで無事11時前に自宅へ着きました。往復12時間の移動は多少疲れたものの、今朝は元気を回復して朝を迎えています。
「中国の 山超えここは 鳥取市 市長塾長 開校熱弁」
「県民の 人口わずか 57万 小さいけれど やることでかい」
「大伴の 家持似した 人もいて 古代のロマン 生かした活動」
「腕により かけて作った スライドを 使い私も熱弁振るう」