人間牧場

〇ミョウガの収穫

 大雨の後3週間ほど雨が降らず、畑はまるで砂漠のように乾ききって、一雨欲しいと思っていたところへ、待望しない台風12号がやって来て、東から西へ異例のコースで日本列島を駆け抜けました。二次災害を起こすほどの雨ではなかったため、雨は地上に適当なお湿りをもたらし去りましたが、鹿児島県沖で迷走する台風はどうやら今後西に向かって進むようです。

顔を出し始めたミョウガ
ミョウガの色は綺麗です

 この湿りで庭の隅に自生しているミョウガの、濃い緑色の葉っぱの根元をよく見ると、乳白色の花をつけたミョウガが生え見え始めました。何個か取ってみましたが、よ~く見るとあちらこちらに生えていて、一度に食べきれるほど収穫しました。外の清水口で綺麗に水洗いして妻に渡しましたが、「あら珍しい、もうそんな時期ねえ」と納得していました。

今はハウス技術が進んで、ミョウガは年中スーパーの店頭に並んでいます。それらの殆どはお隣高知県産ですが、 これから少しの間は地元産路地物が出回ります。ミョウガは名脇役で、そうめんの薬味や、鱧料理の添え物として使ったり、時にはてんぷらにして味わったりしますが、独特の風味はやはり大人の味といったところでしょう。

わが家では最盛期になるとミョウガを水洗いして水を切り、広口瓶に入れてその上から沸騰させた2杯酢をかけて粗熱を取り、蓋をして2~3日置くと、らっきょうに似たシャキシャキ食感の酢漬けが出来上がります。夏の暑い時期なので日持ちは余りしませんが、冷蔵庫で保管すると2~3週間は十分楽しめます。ミョウガのポリフェノールが酢に溶け出して、綺麗な桜色の漬物となりますが、お寿司の添え物、お茶漬けのお供には最高です。

「台風の 思わぬお湿り いただいて ミョウガの茎の 下にミョウガが」

 「昔から 親に似ぬのは ミョウガの子 言われる通り 似ても似つかぬ」

 「収穫の ミョウガ清水で 水洗い 妻は早速 料理添え物」

 「わが家では ミョウガの酢漬け 今年も ポリフェノールの 色も鮮やか」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇次男息子の帰省

 私には4人の子どもがいます。私の理想は跡取り長男と同居すること、三人の子どもを県内に住まわせることでしたが、幸せなことに長男は若嫁と孫二人で同居し、長女・次男・三男も県内に住んでいて、今のところ全ての子どもが理想通り1時間圏内にいます。日赤松山病院の看護師をしている次男は3年前、職場内の転勤もないので松山に家を建てて住んでいますが、今年の5月から年末まで、資格を取るため横浜の専門学校に長期遊学しています。

台風接近の中食事会に集まった家族
歩けるようになった孫も食事会の一員です

 満一歳の孫を置いての遊学なので、心配はあるものの次男の嫁の実家が近いこともあって、大助かりですが、私たちも多少ながら手助けするため、毎週土曜日か日曜日には息子の家へ出かけていて、妻も何かと忙しそうです。土曜日には次男が一週間の夏休みのため帰省することになりました。台風12号の接近で飛行機が飛ばないのでは?と心配しましたが、成田午前6時20分発の飛行機は間一髪飛んで、午前9時ころ自宅へ無事帰ったと連絡が入りました。

 昨日は家族が揃って食事会を予定していましたが、台風の動きが気になって身動きが取れなかったものの、雲行きや雨脚を勘案しながら、全員で松山の中華料理店へ集まり、小宴を催すことができました。1歳1ヶ月の孫もこのところ成長が著しく歩けるようになり、言葉はまだ喋れませんが、こちらの問いかけには反応して、茶目っ気いっぱいで、みんなの話題をさらいました。次男は間もなく横浜へ向かいますが、年末には元気な姿で帰郷して欲しいと願っています。

「4人の子 みんな県内 住んでいる 嬉しいことに 出会い度々」

 「わが次男 資格取るため 横浜に 遊学帰省 みんなで食事」

 「1歳の 孫も次第に 成長し ヨチヨチ歩き 言葉も分かる」

 「3ヶ月 離れていても 親ゆえに 孫は嬉しく 懐抱かれ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇昨日今日を記録することの意味

 私たち人間の記憶装置は昨日や今日のことは、しっかりと克明に覚えているのに、過ぎ去った日々を遡れば遡るほど記憶はあいまいになって、覚えていたはずの記憶の殆どを忘れてしまいます。特に私のような高齢者になると10日前のことどころか、さっきまで覚えていたことすら忘れて、「はてさて?」と首をかしげる有様です。


(揃いのTシャツを着た息子と孫たち)

ゆえに記録は大事だと思い、人様から見れば何の意味もないと思われる日々の出来事の細々を、まるで日記のように「shin-1さんの日記」というブログに書き綴っています。14年前現職を退職して間もない9月から始めたブログ書きも、気がつけば早14年目です。自分ではそんなに古い話ではないと思うのに、パソコン画面に呼び出してみたり読んだりすると、「へえ~こんなことが・・・」と当時のことが、懐かしくなって時のたつのも忘れるほどです。

 昨日息子と孫2人は、夏休みで帰省した見ず知らずの人にカブト虫をプレゼントしようと、松山空港到着ロビーで小さなイベントを開いたようです。台風12号の接近で飛行機が欠航するかも知れないという不安な気持ちで出かけましたが、何と何と用意した150ケースのカブト虫配布は大盛況で、同行した孫たちも母親から習った、片言の英語で外国人とも会話ができ、大喜びで帰ってきました。

 私は同行していないので様子を知る由もありませんが、私の一眼レフデジカメをを息子は持って行っていたようで、記憶にない記録がパソコンで再現され、私の小さな記録に加えられ記憶となりました。それにしても画像の記録も小さなメモリーカードをパソコンに差し込むだけで再現できるのですから、何という便利な世の中でしょう。デジタルは使い方を知っていれば、その利用方法は無限に広がります。感心しながら私のブログに写真を転載しました。

「昨日今日 覚えているが 3日前? 何があったか 思い出せない」

 「何気ない 日々の暮らしを 記録する 10年経てば 物語です」

 「空港で 帰省の客に カブト虫 配りイベント 大盛況で」

 「画像見て リアル共有 したような 錯覚さえも 記録留めて」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇松山空港が何かと気になる朝

 今朝の天気は曇り空で、台風接近を思わせるような雲が東から西にゆっくりと動いています。今日は次男息子が長期研修の途中の夏休みが5日間あるので、今朝の成田発6時20分発のジェットスターに搭乗して、松山へ帰る予定です。格安チケットで帰る作戦も中々上手く行かないもので、運悪く特別コースを進むものと思われる台風12号が接近中で、飛べるかどうか心配していましたが、パソコンで運行状況を調べてみると、どうやら間一髪出発したようで、まもなく到着の一報が入るものと思われます。(先ほど松山へ無事到着したと連絡あり)

昨晩のカブト虫の仕分け作業
今朝のエサ入れ作業
出来上がったカブト虫籠

 今日は松山空港で長男息子たちが、夏休みで親と一緒に帰省する都会の子どもたちに、カブト虫をプレゼントするイベントを企画していて、間もなく準備が整い、手伝う予定の孫2人を伴って出かける予定です。息子はこの1ヶ月間、約200匹のカブト虫を揃えるために、仕事の合間を縫って準備を進めてきました。私も知らず知らずのうちに巻き込まれ、人間牧場に造ったカブト虫養殖場に金網囲いを作ったり、毎日のように幼虫から孵ったカブト虫を集めたりさせられました。

息子は私が捕まえて持ち帰ったカブト虫を、仕事から帰っても夜遅くまで、小さな容器に1匹ずつ小分けし、エサとなるゼリーを与えて倉庫の隅の飼育場で大切に育てててきました。4~5日前には陳列棚が倒れるハプニングにも出会いましたが何とか昨日を迎え、昨晩と今朝孫二人も手伝って化粧ケースに入れて荷造りし、8時30分に飛行場に向けて出発しました。カブトムシを無償で配るこのイベントは昨年から始め、今年で2回目です。

私も妻もカブト虫を無償で配る崇高な理想は理解しつつも、「何もそこまで?」と思い、長続きさせるためにはもっと工夫が必要だと話しています。かく言う私も無人島キャンプや丸木舟製作などを若い頃、「何もそこまで?」と親や周りの人に言われながらやった昔を思い出しながら苦笑いしています。誰に似たのか、やはり「カエルの子はカエル」のようだと言う、妻の指摘が当たっているようです。さて台風の影響で各地からの飛行機が予定通り到着するかどうか?、新たな問題が・・・・。

「暑い時期 約一ヶ月 カブト虫 集めて飼育 私も一役」

 「わが息子 誰に似たのか 分からない 松山空港 カブトを配る」

 「200匹 用意するのに わが息子 寝ても覚めても カブトにうつつ」

 「周りから 何もそこまで 陰口が 自分満足 いいではないの」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇水害被災地を見舞う(その2)

 老人施設キネマを出た私たちは、大洲市立肱東中学校を訪ねました。この学校は前年度までの2年間、金融教育指定校だったこともあって、金融広報アドバイザーとして何度も足を運んだことのある学校なので、気になっていました。肱東中学校の近くには水害に遭った菅田地区もあり心配していましたが、子どもたちの中には床上浸水した家もあるものの、みんな元気な様子でした。校長先生は北中学校に転勤していましたが、昨年まで南予教育事務所で指導主事をしていて一緒に金銭教育を担当していた先生が、教頭先生となって赴任していてびっくりしました。

橋の下に肱川ダムのできる前の橋が見えました。
横林公民館ロビーに飾られた古い時代の写真
大量のゴミにい埋め尽くされた肱川ダムの湖面

肱東中学校の運動場には自衛隊の災害派遣隊が駐留していて、被災者のための温浴サービスなどを行っているようでした。私たちは肱川に沿って奥へと進みましたが、大雨で流された大成橋を見ながら、土砂崩れのためう回路道となった細い山道を、片側交互通行し、水没し休業している道の駅を横目に見ながら、肱川ダムに着きました。肱川ダムは今も放流を続けていますが、ダム湖面を埋めた大量の流木やゴミに水害のすさまじさを思いました。これらの堆積ゴミはクレーンで救い上げられ、ダンプカーでどこかへ運ばれているようでした。

 私たちは野村町横林公民館に立寄りました。あいにく知人の井上館長さんは留守でしたが、職員のご厚意で携帯電話で近況を話すことができました。公民館ロビーに飾られた昔のワイドな写真を見ながら職員さんの説明を受けましたが、新しい鉄橋の下には肱川ダムができる前に使っていた古いコンクリート橋が浮かび上がり、まるで昭和初期にタイムスリップしたような錯覚にとらわれました。この橋もまさに近代化遺産と呼ぶにふさわしいものです。

 その後、私たちは城川町経由で野村町の市街へ入りました。同行の浜田さんは1週間前ボランティア支援で野村に来ているし、わが息子も軽四トラック持参でボランティア支援に出かけているので、当時の様子は大まか聞いて知っていましたが、聞くと見るとでは大違いで、うず高く積まれた災害ゴミや、汗水たらして働くボランティアの方々に、「ご苦労様です」と声をかけ、仕事の手を休めて木陰で休憩している住民に、立ち止まって慰めの言葉をかけながら世間話をするなどしました。公民館に知人の清家さんを訪ねましたがあいにく留守でした。清家さん自身も被災していて、その模様はfacebookでよく見ていて、心が痛みました。

「昨年度 何度か訪ねた 中学校 校庭自衛隊 キャンプを張って」

「う回路の 細い山道 縫うように 交互通行 繰り返しつつ」

「肱川の ダムの湖面を 埋め尽くす ゴミの山見て 唖然驚く」

「橋の下 ダムで水没 した橋が 見えて時代の 流れしんみり」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇朝寝は時間の出費である

 私の日常は朝4時ころに目が覚めて始まります。「歳をとると朝起きるのが早い」とよく言われるゆえ大きな声では言えませんが、「早起きは三文の徳」とばかりに、早起きの効果を自分に言い聞かせてほぼ毎日、時計に頼ることもなく実行しています。私が午前4時に布団からそっと抜け出しても、一緒に寝ている妻は午前6時まで気づかないふりをして、布団を温めていますが、私と妻の間には朝だけでも2時間の開きがあるのです。

 妻はその理由を家事で疲れているからと言い、「そんなに寝なかったら今に寝たきりになる」と「、もっと朝ぐらいはゆっくり」するよう勧めるものの、長年の習慣は治しようがないのです。私は役場に在職中、地域振興課長をしていたころ、毎朝4時に起床して細々準備をして、毎日朝5時から役場に行く8時までの3時間、自分が作ったシーサイド公園に出かけ、人工砂浜やミニ水族館の水槽掃除に明け暮れました。たった12年間でしたが冬の寒さや夏の暑さもしのぎやった清掃の蓄積は、多くの自信になりました。

 アメリカの実業家カーネギーが「朝寝は時間の出費である。しかもこれほど高価な出費はない」と言っていますが、私も同感です。夏の暑い今頃は日中の気温が35度を超す猛暑になることも珍しくありません。それでも朝晩は気温も幾分下がり、農作業をするのも随分楽なので、朝晩に集中してやっていますが、大雨被害が西日本を襲った今回の水害以降、3週間ほどまったく雨が降らず、菜園の野菜も音を上げ始めていますが、朝晩の谷灌水のお陰で、ナスやピーマン、オクラ、キューリなどの夏野菜は豊作で、毎日美味しくいただいています。

「カーネギー 朝寝時間の 無駄遣い なるほど頷き 今日も早起き」

 「もし私 人並朝が 寝坊なら 人並以下の 人生だった」

 「この時期は 昼間猛暑で 熱中症 ゆえに朝晩 俺流作業」

 「妻が言う そんなに寝ないと そのうちに 寝たきりなるよ 警鐘苦言」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇軽四トラックのリコール修理

何か月か前、SUBARU自動車から、一通の通知が私宛に届きました。「届け出から一定期間経過後も作業が完了していない車両をお持ちのお客様へ。下記対象となる車のリコール作業(無償)をお速目にお受けいただきますように・・・」とのことでした。不具合個所はクランクプーリ、不具合事象は発電機が作動しなくなり、エンジンが停止するとのことでした。

リコール修理を終えた軽四トラック

早速電話をかけようとしましたが、こちらの都合の良い曜日や時間に電話すると、受付時間外だったり、定休日だったり、またこちらの空いた時間には予約が入っていたりして、予約を取るのに一苦労しましたが、やっと松山インター店で23日(火、)午前9時30分の予約が取れたので、昨日の朝出かけました。電話で担当者の女性とお話しして案内された通り、お店は松山インターの入り口付近にありました。

冷房の効いたショールームで、サービスに出してもらった冷たいお茶をいただきながら、修理作業が終わるのを待ちましたが、1時間のところ、45分ほどで作業を終えてリコール修理は無事終わりました。私はトヨタカローラの乗用車と、SUBARUの軽四トラックの2台を持っていて、色々と使い分けていますが、軽四トラックはミッションで冷房装置がついてないものの、4WDなので人間牧場での作業にはなくてはならない車です。妻は計四トラックの使い易さから、松山へ行く時も日常的に使っていて、今や愛車的存在です。今時冷房が効かないミッションなんて、何て時代遅れでしょうが、窓をいっぱい開けて外の涼しい風を受けて走るのも、これまた趣があります。(大笑い)

「スバルから リコール通知を 受けたので 早速修理 予約を入れて」

「軽四の トラックわが家じゃ 必需品 若嫁以外 便利に使う」

「先日も 大雨被害 復旧の 手伝い作業 軽四使い」

「ミッションで 冷房効かぬ 車ゆえ 時代遅れでも 妻の愛車に」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇生活習慣病にならないために

 最近私の周りの人がガンになったり糖尿病になったりして、体調を崩している話をよく耳にするようになりました。日本人の平均寿命は世界第二位で、男性81歳、女性87歳だそうですが、手放しで喜べないのは平均寿命と健康寿命の開きです。男性の健康寿命は72歳、女性は76歳程度なので、平均寿命と健康寿命の差は大体9歳~10歳程度のようです。

つまりこの10歳ほどの差が要介護若しくは介護年数なのです。せっかく長生きできても病気で寝たきりになっては元も子もないのです。先日生活習慣病に悩むアメリカ人が、長生きしたり健康寿命の長い日本人の食生活に着目し始めている話を耳にしました。①一日のエネルギー摂取量の6割を炭水化物にする。②一日のエネルギー摂取量の3割まで脂肪の摂取を減らす。③飽和脂肪酸(動物の脂)と不飽和脂肪酸(植物の脂)の摂取量を同等にする。④コレステロールの摂取量を1日30gに減らす。⑤砂糖の摂取量を4割減らす。⑥塩分の摂取量を1日3~5gに減らすだそうです。

少し難しそうですが、要は食生活における脂分・糖分・塩分の取り過ぎに注意をすればもっと長生きできるというのです。健康寿命を延ばすには身体の健康と心の健康が必要であり、適度な運動や睡眠、リラックスも必要です。既に健康寿命の域に達し始めた私ですが、快食・快眠・快便に心がけ、残りの人生を全うしたいと、今日も1・10・100・1000・10000を目標に頑張ります。

「このところ 知人友人 体調を 崩した話 よく見聞きする」

 「長生きを しても介護や 要介護 ならぬためには 1・10・100」

 「塩分と 糖分脂に 気をつける 食生活は 何より大事」

 「健康な 暮らしするため 菜園で 野菜を作る 理に叶ってる」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇夏の草刈り

 わが家の草刈り、人間牧場の草刈りと、73歳の私には重過ぎるほどの農作業があります。自分のスケジュールを調整しながら、長年の勘を頼りに一年におおよそ3順くらい草を刈りますが、家の周りや人間牧場の水平線の家の周りは、草が生えると見苦しいので6~7回も草を刈ります。

昨日も暑い1日でした

 最近になって、近所に住む姉夫婦が高齢になったため、100歳で亡くなった義父が住んでいた隠居周辺の草借りが追い付かないと、相談が持ち込まれました。相談ということは私に「草を刈って欲しい」と解釈し、今年の春安請け合いで草を刈ってやりました。姉夫婦に大層感謝されましたが、問題はここからです。

 春に刈った場所にはいつの間にか夏草が追い茂り、足の踏み込めない状態になっていて、毎日のようにわが家へやって来る姉は、そのことを気にしているようなので昨日の午後、空が少し曇っているようだったので、思い切って草刈り差作業に出かけました。歩いてすぐ傍の場所なので、草刈り機に混合油を満タンにして背中に担ぎ、歩いて出かけました。

 道路を挟んで2ヶ所の空き地を順次刈り進むと、汗が滝のように流れ始めましたが、もう少し、もう少しと思いつつ、満タンが空になるまで刈り続けました。近所の人が何人か、木陰で私の草刈りをする様子を、熱中症を心配して見ていたようですが、終わって引き上げるころ、「余り無理をしないように」と声をかけてくれました。

 妻に内緒で出かけていたので、汗まみれで帰った私を見てすっかり驚き、「何でこんな猛暑の日中に草刈りをするの。熱中症にでもなったらどうするの」と叱られましたが、シャワーを勧められさっぱりとして、妻の用意してくれた麦茶と冷えたスイカを食べましたが、滅茶美味しかったです。

 はてさてこれから先のことを思うと、姉夫婦の家の草刈りも成り行きで私の仕事になりそうな雲行きです。ただでさえ多い私の仕事に加え、私の忙しさを知っている妻は、病気にでもなったら大変と顔を曇らせていますが、高齢化の中での財産管理は中々厳しいようです。私も元気を前提に働いていますが、どうなることやらです。

「わが家さえ 身に余るほど 仕事あり 加えて姉の 手助け重荷」

 「空少し 曇っているから 草刈りを やろうとしたが 暑さ100倍」

 「サウナ風呂 入ったように 大汗を かいて草刈り やっと終了」

 「高齢化 財産管理も ままならぬ これから先が 思いやられる」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇蜜蜂たちも暑そう

私の住んでいる地方では、蜜蜂の分蜂はだいたい5月の連休前後だと記憶しています。そのため誘因のため日本ラン・キンリョウヘンの開花をその時期に合わせて咲かせるよう、工夫をしていますが、このところ思ったように蜜蜂が巣箱に入らず、悶々の日々を過ごしています。5月の連休が終わっても今年は家の裏に置いている僅か1箱しか入居しませんでした。

 

 

 

 

巣箱の入り口でたむろする蜜蜂たち 昨年の絶不調に続いての絶不調に「何でだろう?」と首をひねるのは当然かもしれません。ところが「えっ、何でこの時期に?」思われるように、真夏の1週間前人間牧場に1箱、一昨日家の裏の巣箱に1箱、まさかまさかの入居となりました。さすがに蜜源となる花の少ないこの時期なので、多くの蜂蜜は期待できませんが、何とか自家消費できる定地は確保できそうです。
今夕の蜜蜂巣箱

この時期5月に入居した1箱の蜜蜂は巣箱の中が熱いのか、巣箱の入り口付近にたむろして、盛んに羽音を立てながら巣箱の中へ涼しい空気を送るべく、一生懸命働いているようです。今日は巣箱の入り口を下四方から可能にするため、小さなくさびを作って巣箱の下に打ち込んでみましたが、はてさてどうなることか、結果が楽しみです。

「シーズンが 終わりがっかり していたが 何とこの時期 2箱入居」

 

[ この記事をシェアする ]