人間牧場

〇患者さんを送って何十年かぶりに松尾集落へ

 昨日の夕方、わが妻から所用で出かけた人間牧場へ、携帯電話がかかってきました。「直ぐに自宅へ帰って欲しい」と言うのです。何の用事かも聞かぬまま、多分誰かが自宅へ訪ねて来たのだろうと思い、急いで帰りました。聞けば妻が勤めている歯科医院の患者さんがデマンドバスに乗り遅れ、帰る交通手段がないので送って行って欲しいと言うのです。妻は普通免許を持っているものの、患者さんが住む松尾集落までは行ったこともなく、ましてや道が狭いようなので、とっさに私の顔を思い浮かべたようでした。

松尾集落は長閑でした
答辞は全国的にも珍しかった、雨になると水路になる承水路の市道

 昨日の夜はまちづくり学校双海人の例会日なので、グズグズする暇もなく歯科医院の前で患者さんを乗せ、松尾を集落へ向かいました。その女性は私が公民館主事をしていた若い頃からの顔見知り人で、その家には今は亡くなりましたが同級生もいて懐かしさ一入で、道中車内でいっぱい昔話をしました。本村から細い山道に入りましたが、本村集落では夕暮れ時とあって何人か顔見知りの人にも出会い、「まあ珍しい、若松さんじゃないの。どこへ何しに」と矢継ぎ早に聞かれ、短いあいさつを窓越しに交わして進みました。

「青島の裏側が見える」と形容される松尾集落にも過疎の波が押し寄せ、患者さんの指さす家は空き家が目立っていました。スイッチバックを何度か繰り返し、見覚えのある家へやっと辿り着きました。「お礼はいかほど」と尋ねられましたが、かたくなに固辞しお礼にとキウイフルーツを一袋いただきました。途中偶然にも史談会の副会長を一緒にやっている竹田さんに出会いました。来週の4月21日には史談会の総会と、エクスカーションで松尾集落の妙見神社に来る予定も偶然重なり、とてもラッキーな患者さん送りでした。松尾から本村までの市道はその昔承水路、つまり雨が降ったら道が水路の役目を果たすという、当時は全国でも珍しい工法が取り入れられていて、役場で広報を担当していたころそのことを取材し書いた記憶が蘇りました。

 「患者さん デマンドバスに 乗り遅れ 妻に頼まれ 送り届けに」

 「何十年 ぶりに出かけた 集落は 人口半減 子どもも見えず」

 「若い頃 おいこにナトコ(映写機) くくりつけ 公民館へ 出かけた思い出」

 「青島の 裏側見えると 形容の 松尾集落 未来気になる」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇鯉のぼりならぬまるでメダカのぼり(その2)

 昨日の朝若嫁が、「お父さん、もうそろそろ鯉のぼりの季節なので、お暇な時にお願いします」と、押し入れにしまっていたナイロン袋を玄関先に出してくれました。「今日は小学校の入学式や来客があるので、明日にでも・・・」と会話を交わしました。午後4時ころ学校から帰った孫奏心と、手紙を出すため近くの郵便局へ歩いて出かけた帰り道、「今日はこれから帰ったら鯉のぼりを上げるか」と話すと、「おじいちゃん、やろうやろう」と話がまとまり、早速若嫁が用意してくれていた袋からロープや鯉のぼりを出し、二人で作業を始めました。

鯉のぼり揚げを手伝う孫奏心
庭に揚がった鯉のぼり
ミニハウスの中から鯉のぼりを見る孫奏心と妻

 鯉のぼりは100円ショップで買ったミニチュアが15匹もあります。既にロープにマジックで印をつけている場所に鯉のぼりを取り付け、梯子で2階の屋根と電話線電柱の上に登り滑車を取り付け、ロープを張りました。僅か20分ほどの作業で準備完了です。孫と二人でロープを引っ張ると、鯉のぼりは頭上に綺麗に並んで泳ぎ始めました。まさに鯉のぼりと言うよりはメダカのぼりという表現がぴったりです。今年の春は庭に孫奏心の発案によるツリーハウスならぬミニハウスも出来て、鯉のぼりととてもマッチして、孫奏心も大喜びでした。

 早速孫奏心が、居間にいた孫奏心にとってはおある妻を呼びに行き、鯉のぼりを見に出てきました。孫奏心はさも自分がやったように、「どうだ」と言わんばかりの得意顔で、ミニハウスの中から見学しようと誘い、二人でミニハウスの窓から眺めていました。質素ながらもメダカのぼりは青空をバックに、初夏を思わせるような春の風をいっぱい吸い込んで泳いでいました。今年はいつもの年は玄関先に飾る、妻の実家から贈られた家紋幟もミニハウス周辺に飾ってやろうと思案しています。そのうち外から帰って来た小学5年生になった孫希心も加わり、賑やかでした。

 「鯉のぼり 息子が買った 15匹 群れて大空 綺麗に泳ぐ」

 「今年は 庭の隅には ミニハウス どこか風景 違い絵になる」

 「さも自分 一人が上げた 顔をして どうだとばかり 自慢する孫」

 「おばあちゃん 孫に誘われ ミニハウス 登って窓から 顔出し見学」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇臼をいただきました

 わが家には、餅つき用の臼が3つあります。一つは昔から自分の家で使っていたもの、もう一つは高知県四万十市西土佐の和田さんがくれたもの、そしてもう一つは建築現場に廃品となってゴミとして捨てられるはずだったケヤキの木臼です。いずれも自宅では使わないので、人間牧場の倉庫に運んで保管していて、毎年年末に餅つき大会をする時使っています。もうこれ以上必要ないと思っていたのに、先日息子が前建築士会長さんからいただいたと言って持ち帰りました。

いただいた立派な石臼

 見れば少し浅めの立派な2段式石臼で、今はチョイ置きで庭の隅に置いていますが、民俗資料的価値があるので、私設公民館煙会所横の東屋付近に移動して展示しようと思っています。最近はこうした古いものも、家を新築したり造作したりする度に、ガラクタ的にゴミとして処分されてしまうのです。特に石などでできた物は燃えないゆえ、処分に困ることから行き場所を失なってしまうのです。この臼もそんな運命を辿らぬよう心を配った末の譲渡だったように思うのです。

 わが家にはそんなこんなの、人から見ればガラクタと思える民俗資料類がやたらとあります。3年前に亡くなった親父と私の趣味が一致していて、親子二代にわたってコツコツ収集した道具類が倉庫を改造した展示場まで造る力の入れようです。親父はその一つ一つを大事にし、老後のライフワークとして大切に保存展示してくれています。私も年齢的にはその域に達しつつあり、そろそろ親父のような生き方をしようと思っていますが、どうやらわが長男息子も、親父や私と同じような雲行きで、まずは一安心といったところです。

 「わが息子 立派な石臼 貰い受け 庭隅デンと 降ろしそのまま」

 「立派だろ まるで自分が 造ったよう 貰い受けたる 石臼自慢」

 「似てるねえ 妻の一言 言い当てて いると私も 親父と息子」

 「古いもの 次々姿 消して行く 日本行く末 少し危ない」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇野に咲く花のように

 昨日は吹き荒れた雨交じりの北西の風で、朝のウォーキングができませんでした。毎日1万歩を目指して歩いている私としては、消化不良のような感じがしていたので、昼食の後思い切って戸外ウォーキングに出かけました。このところの陽気で少し薄着になっていましたが、昨日は久万高原町で薄っすら雪化粧するほど寒さが戻り肌寒かったので、手袋や帽子で少し厚着をしました。

シャガの花
野イチゴの花

 寒いと言っても歩き始めるとポカポカして、すっかり上手になったウグイスの鳴き声を聞きながら歩きました。道沿いには名前も知らない色々な野の花が沢山咲いていました。ふと若い頃口ずさんだ「野に咲く花のように」という曲を思い出し、口ずさみました。この曲は花王名作劇場の「裸の大将」というテレビ番組の主題歌でした。放浪の画家山下清を主人公にして芦屋雁之助さんが主演したユーモラスなほのぼのとしたドラマでした。歌はダ・カーポだったと記憶しています。

 ♯野に咲く花のように 風に吹かれて 野に咲く花のように 人を幸せにして そんな風に僕たちも 生きてゆけたらすばらしい 時には暗い人生も トンネル抜ければ夏の海 そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです♭。道端の水場付近でシャガの花、畑の斜面に野イチゴの花を見つけました。多分私以外にこの花を見る人もなく、多分短い一生を終えるのでしょうが、飾らない素朴な美しさに思わず立ち止まって見とれました。帰宅後ハーモニカを取り出し、下手糞ながら野に咲く花のようにという歌を吹いて楽しみました。

 「風強く 朝ウォーキング 出来なんだ 昼食食べて 歩き始める」

 「春ですね 道端あちこち 名も知らぬ 花が見てねと 笑顔振り撒く」

 「若い頃 歌った歌を 思い出し 口ずさみつつ 花を楽しむ」

 「ハーモニカ 取り出しそっと 吹いてみる 下手糞ながら それなり聞こえ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇わが家の庭モミジ二題

 わが家の書斎から見える本尊山周辺は急峻な地形ゆえ、車道もなく人工林もない、まさに自然林です。そのため本尊山周辺を借景としてる私的には、自然の移ろいを年中感じることができてとても幸せに思っています。今はクヌギなど雑木の芽吹きの季節で、若草色から緑色へと日々刻々と彩を変える姿を楽しんでいます。

葉っぱを広げた枝垂れ緋モミジ
ダイニングから見えるヤマモミジ

 わが家の入り口には畳4畳半ほどあると思われる大きな枝垂れ緋モミジの木があり、今はその芽吹きの季節で、今年も小豆色の葉っぱが伸び始めました。モミジの下はわが家でお祀りしているお地蔵さんの祠へ登る細道で、妻や近所に住む姉たちが毎日のように、モミジの下をくぐり抜けてお参りしてくれています。

 私たち夫婦のダイニングからも、窓越しに裏庭の風景が見えます。朝な昼な夕なの食事時には、この庭を見ながら世間話をしつつ食事をします。私が30年も前に山から拾って来た小さなヤマモミジ苗が、丹精して育てたお陰で立派な庭木となり、冬の枯れ木、夏の緑、秋の紅葉と季節ごとにその姿を変えて、見る目を楽しませてくれていますが、今は鮮やかな目立ちが春の訪れを感じさせてくれています。季節を存分に感じさせててくれる田舎暮らしは最高です。

 「春が来た わが家の庭の あちこちに 木々が色々 彩を添え」

 「本尊山 私の借景 朝夕に 季節感じて 幸せ浸る」

 「窓越しに 景色見ながら 朝昼夕 夫婦揃って 食事楽しむ」

 「山取りの モミジの苗木 丹精を 込めて手入し 今はそれなり」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇届いた地域教育実践交流集会報告DVD

 3日前、県教委の社会教育課長さんがこの春の異動で替わったので、地域教育実践交流集会の事務局長である仙波さんと二人でご挨拶がてら、県庁第1別館11階の社会教育課を訪ねました。社会教育課長さんになられた脇水さんは、私が現職の頃定住促進事業で宿泊施設潮風ふれあいの館を造った時の担当者で、その後も私とその当時担当係長だった高岡さんが中心になって作った夢工房でも、一緒に酒を酌み交わしながら熱い思いを語った間柄なので、嬉しい再会となりました。

(DVDに登場している私)
参加者の記念撮影

 社会教育課には双海町出身の中尾さんがいるので、何かにつけて気配りをしていただき、10回目を終えた地域教育実践交流集会の今後の在り方についても議論や協力要請をしましたが、帰り際仙波事務局長さんから、第10回地域教育実践交流集会の報告DVDをいただきました。早速自宅へ帰って自分のPCで視聴しました。昨年の報告DVDは30分でしたが、今回は15分と短くコンパクトにまとめられていました。これまで報告書は事務局がテープを起こしてかなりこだわって作っていましたが、忙しい皆さんにペーパー報告書を送っても、反応は今一だったため、文科省の委託事業採択を受け、思い切って愛媛CATVへ外部委託して製作しました。

 やっと、とりあえずの目標としていた10回目が終わりました。既に11回目から取り組もうとしているネットワーク設立への準備も進み始めていて、明日はその打ち合わせ会が予定されています。組織の変革はそれ相応の覚悟が必要です。自分自身年齢的にはもうそろそろという思いもありますが、組織が定着するまでもう少し、見届けなければならない責任も感じています。DVDを見ながら、あっという間に過ぎた10年間を断片的ながら思い出していました。

 「10回目 DVDを パソコンで 一人視聴し 思いにふける」

 「10年が あっという間に 過ぎ去った 次の10年 どんな思いで」

 「小さいが 10年経つと 物語 20年すりゃ 神話ができる」

 「わが人生 何でこうなる 乗った舟 行き着く先を 見届けながら」

 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇改良型ドラム缶かまど

 前日の昼頃、下灘閏住の菜の花畑のすぐ近くで「くじら」という海産物のお店を営む妹がわが家へやって来て、「友人からかまどを2つ貰ったんだけど、進兄ちゃん要らない?」と話を持ち掛けられました。見ると店のロゴマークの入った箱型ライトバンの車の中に、かまどが乗せられていました。わが家はアウトドア―派なので、ドラム缶型屋外かまどは自宅に2つ、人間牧場に1つと合計3つもあるので、そんなに貰っても置き場所に困ると思いつつ、かまどを見ました。

貰った改良型ドラム缶かまど

 車に積んでいたかまどはドラム缶を再利用した改良型で、私の現在使っているのとは違って、ドラム缶の中に鉄筋を溶接して造った、大型ガスコンロを乗せれるよう台がついていました。つまりガス専用のかまどなのです。私たちは普通ヒジキを茹でるのに庭にかまどを持ち出し、薪を使って作業をしますが、最近コンクリートやアスファルト、公園などでは焚火禁止のところが多く、薪専用のこれまでのドラム缶かまどは使えないのです。これだと手持ち保存しているものの殆ど使っていなかった、大型ガスコンロを使った炊き出しにも行えるようです。

 妹は私に有無を言わせず、車から改良型ドラム缶かまどを下ろし、庭に置いて帰りました。「さてどこへ置くべきか」と、目下のところ置き場所を思案していますが、明日は久しぶりに雨が降るようなので、とりあえず倉庫の2階にでも上げて置こうと思っています。夜仕事から帰った息子がこの改良型かまどを目敏く見つけ、「これは便利で、自分たちの町づくり活動に使えるかも知れない」と、早速夢を膨らませているようでした。親が親なら子も子です。

 「妹が 貰ったかまど 要らない?と 有無を言わせず 庭に下して」

 「ドラム缶 中に鉄筋 溶接し ガス台乗せる ように改良」

 「貰っても 置き場所困る 首傾げ 明日は雨故 とりあえず倉庫」

 「わが息子 親が親なら 子も子だと 苦笑いしつ さてどう使う?」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇3月の蜂蜜収穫

昨年は養蜂を始めて7年になりますが、最大の不作に見舞われました。1升・2升・5升・10升・・・・25升と毎年うなぎ登りで収穫量を増やしていたのに、昨年は何が原因か分かりませんがゼロ升と、日本ランキンリョウヘンを小さなハウスで育て、これで何とか行けそうと自信を持ち始めた矢先に、とんでもない記録を打ち立て、奈落の底へ突き落されたような傷心の面持ちした。原因が分かれば対策もできるし明るい兆しも見えてくるのでしょうが、こればっかりは他力本願なところがあって、今年もそろそろ分蜂の季節を迎えたというのに、鉢一匹も見当たらず、少し焦りの色を覚えています。

  昨年は殊の外気温が低く、巣箱を置いている人間牧場も積雪があり、冬越ししていたと思われた一箱も蜜蜂がすべて死んでしまいました。春の大風でその巣箱がひっくり返ったので、元に戻そうとすると、巣箱の中に蜜の入った巣がありました。勿体ないとダメ元でその巣を容器に入れて持ち帰り、春の日差しで垂れ蜜作業をしてみました。その巣を金網容器に入れて上からすっぽりナイロンの袋を被せて蜜を採るのです。ところがその巣にはたっぷり蜂蜜が残っていて、何と1升瓶に1本採ることができました。この7年蜂蜜の収穫は遅くても10月までには終わっていたので、3月の収穫は勿論初めてでした。

  昨年はゼロ升カウントだと思っていましたが、お粗末ながら1升の記録が残ることになりました。この蜂蜜は蜂蜜大好きで殆ど毎日のように食べる妻の1年分は十分あるので、妻は大喜びでした。そろそろハウス内のキンリョウヘンも幾つかの花を咲かせようとしています。4月が勝負なので、息子がインターネットで買った、かなりお高い蜜蝋をたっぷり巣箱に塗って、蜜蜂を誘おうとしていますが、せめて10升くらいはと、欲張った淡い期待をしています。

 「昨年は 蜂蜜不作 ゼロだった 原因分からず 今年幕開け」

 「大風で 蜜蜂巣箱 転げ落ち 中に蜂蜜 残って1升」

 「1升も あればわが妻 一年分 何とかゲット 妻は喜ぶ」

 「この時期に 思わぬ程の 蜂蜜を こいつは春から 縁起がいいぞ」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

◯いよいよ家庭菜園の作業シーズンです

 このところの陽気で気温がグングン上がり、朝晩も日中も作業をすると汗ばむほどです。年度末の行事も一段落し、年度始めの行事も間もなく始まるものの、ちょっとした空白期間なので、暇を見つけて家庭菜園に出て農作業をやっています。

わが家の家庭菜園は基本、無農薬なので豚糞と牛糞をたっぷりやって土作りをしています。豚糞30袋は田処の親友亀本さんに仲介して自宅まで持参してもらい、牛糞30袋は大洲市八多喜の武田さんに注文し、自宅まで配達してもらって使っています。

庭先に届いた牛糞

 昨日その武田さんが牛糞30袋を自宅まで届けてくれました。牛糞は1袋300円で、10袋買うとありがたいことに1袋サービスしてくれるのです。お昼前に届きましたが、さあそれからが大変です。庭先に降ろしてもらった牛糞30袋を一輪車に積んで倉庫の中に運ぶのです。体力に自信があるといっても、3列10段に積み上げるのに大汗をかきました。

 さあこれで豚糞も牛糞も揃いました。菜園にしっかり振り撒いて、ナス、トマト、キウリ、スイカ、トウモロコシなどの夏野菜をしっかり作り、しっかり食べて家族の健康づくりに一役かいたいと思っています。

 「注文の 牛糞届き 倉庫まで 一輪車押し 一人大汗」

 「豚糞と 牛糞使い 土作り 有機農業 中々大変」

 「さあこれで 今年の夏も あれやこれ 野菜作って 家族の健康」

 「いつの間に 麦わら帽子と 地下足袋が 似合い偽物 百姓となる」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇しまなみ海道へ小旅行(その2)

 私はこれまでにも合併前や尾道市と合併した後の瀬戸田を、講演の度に何度か訪ねていますし、平山郁夫美術館やシトラスパーク、サンセットビーチ、ベルカントホールなどへも立ち寄っていますが、妻はその殆どを訪ねていないので、妻のリクエストに応えて耕三寺を見学しました。かく言う私も耕三寺へは10年来訪ねていないので、要望のまま少し高いと思われる入場料を支払って中へ入りました。わたしが前回訪ねた折は、「未来心の丘」という白い大理石を配置した場所はまだ工事中だったので、少し興味がありました。

未来心の丘
未来心の丘の説明看板

 境内の奥まった高台にはイタリア産の白い大理石を、道に敷き詰めたり配置したりしてできていて、春の太陽の光を受けて、まるで南極の氷山を思わせるようなまぶしさでした。私たちは過去を引きずりながら現在に生きていますが、誰にも分らないこれから生きるであろう未来という世の中は、多分こんな感じなのかも知れないと、周囲に咲いている桜の花や、遠望広がる海を見ながら思いました。12年の歳月をかけて造ったという白い大理石の丘は、直前まで巡った石仏や建築物を配置した耕三寺の境内とは思えない、まるで異次元の空間でした。

白い大理石の未来心の丘
未来心の丘頂上のモニュメントにて

 大理石の石ベンチに座り、これから先の自分の未来について考えてみましたが、遠心的に生きようと思いながらその目的も果たさぬまま今に至っています。これまでの人生がこれからの人生を決めるのであれば、私の人生は自己満足の範囲内でしかありません。これからの人生がこれまでを決めるのであれば、未来的夢は限りなく広がります。求心的に生きてみようと少し前向きな考えに向き始めました。未来心の丘に立って、これからの人生を考えることができたことは、自分にとってとてもいいきっかけになったような気がしました。私と同じ凡人たる妻も少しこれから始まるであろう未来について考えることができたようでした。

 「瀬戸田町 指折り数え まだ足りぬ それほど来てるが まだまだ奥が」

 「耕三寺 丘の上には 白大理 これが未来の 世の中なのか?」

 「これまでは ただがむしゅらに 遠心を 目指し生きたが これから求心」

 「少しだけ 自分の未来 思い馳せ モヤモヤの中 少し光が」

 

[ この記事をシェアする ]