人間牧場

〇ジャガイモ植え

 旧正月元旦も過ぎ、今週末には伊予路に春を呼ぶと言われている椿さんの祭礼も予定されていて、北国では大荒れ大雪の天気ながら、ここ四国愛媛双海町では少しずつ春の気配を感じるようになってきました。昨日は寒い北西の季節風が少し強く吹いていましたが、海も空も透き通るような青さで天気は上々でした。本来なら子ども教室の面々を集めて恒例のジャガイモ植えをする予定でしたが、町内の小学校では学習発表会などの移動し難い予定が入っていて、こちらの予定も変更できず、仕方なくごくごく内輪の少人数で決行しました。

ジャガイモ植え
マルチ掛け
豊田漁港が見えるジャガイモ畑
看板もできました
看板も取り付けました
木登り遊びお最高でした

 事前に畝立てをしていたので、子どもたちの少しジャガイモについてレクチャーしたあと、男爵3kg、メークイン3kg、北あかり3㎏の合わせて9㎏の種芋を、畝の上に感覚よく置いて植え方を教え、手スコップで穴を掘り、ジャガイモ専用の肥料を一握りずつ入れてジャガイモを土の中に埋め込みました。その後少し強い風に飛ばされながら黒いマルチをみんなで協力して掛け、吹き飛ばされないよう土や石を置いて行きました。例年そのいくつかは強風に吹き飛ばされますが、これもまた想定内です。

 昨日植えたジャガイモの種は順調に育てば、約1ヶ月もすると芽を出し始めます。新芽が黒いマルチを持ち上げたのを見計らって、カッターで穴を開ける算段です。マルチは雑草の広がりを防ぐだけでなく、春の気温を土に伝えて生育を助長させたり、雨水の侵入を制限するため美味しいジャガイモが育つのですが、時期を誤って穴を開けるのが遅れると、マルチの中が蒸れて、折角出た新芽を枯らしてしまうので気を付けなければなりません。ジャガイモは玉ネギなどと違って5月末には収穫できるのですが、年度をまたぐため植えた人と掘って食べる人が多少違う難点があります。でも子ども体験塾の開講式にいきなり収穫や料理を体験できる利点もあって、来年度につながる大切な行事なのです。

ジャガイモの作付けが終わった子どもたちは、隅田さんの用意した板切れにジャガイモの品種名を書き込み、小さな思い出として畑を囲った金網にくくりつけました。最近は金網のお陰で悪態の限りを尽くして食害をもたらしたイノシシの被害に遭うこともなくなりました。昨日は国鳥であるとても綺麗なオスのキジが人間牧場周辺を歩いている姿を何度も目にすることができ、子どもたちも感動していました。子どもたちは元気でツリーハウスや、人間牧場のシンボルである大きなヤマモモの木に登ったりしながら、夢中になって遊んでいました。これぞわんぱく学級の真骨頂です。

「学校の 恒例行事で 来たいけど 来れない子ども 何人もいて」

 「ジャガイモは 年度をまたぐ 作物で 植えても掘れぬ 食べれぬ人も」

 「種芋を 土に穴掘り 植えて行く マルチを掛けて 一件落着」

 「国鳥の 綺麗なキジが 見え隠れ 木登りしたり わんぱく放題」

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人間牧場

〇私にはPC用語は何が何だか分かりません

「お父さん、どうやらルータが故障して、無線電波が飛ばなくなっている」と息子に言われても、「ルータって何?」と返答するしか知識のない私には、PC用語は余りにも難し過ぎる世界です。電話回線を使った無線電波は息子と私が同じ屋根の下に住んでいるということもあって共有して使っていますが、使用料は勿論私が払っています。ゆえに色々なトラブル対応やメンテナンスはもっぱら息子に全て任せていても、ルータを買い替える場合も、妻の財布から払ってくれたようですが、年金暮らしの身にとって1万5千円は痛い臨時出費でした。

息子は家電店に出かけて、Wi-Fiホームルータを買って帰りました。ルータの入った箱には「NEC先端技術『極技』により、家族4人が同時に快適に楽しめる4ストリームハイスピードモデル」と書いていましたが、何が「極技(きわみわざ)」なのか分かりませんが、息子の言うのには強力な電波なので100m以内ならどこでも使えるらしく、本宅から少し離れた敷地内の別棟隠居や煙会所でも使えるという優れモノなので、早速暖かくなったら使って見ようと思っています。

PCが流行り始めた10数年前、サラリーマン川柳に「ドットコム どこが混むのと 父が聞く」というのがありましたが、「Wi-Fi」も「ルータ」さえも満足に説明ができない私は完全に時代遅れな人間です。今回間違って自分の使っているPCを誤操作し、初期化してしまったことを深く反省しながら、これまで知りもしないのに知ったかぶりでPCを使っていた自分の情なさをさらけ出してしまいましたが、日々進化する技術革新にはついて行けるすべもなく、そろそろ決別する勇気を持たなければなりません。

昨日は旧正月でした。また確定申告が始まった日でした。もうそんな時期かと思いながら、各地から送られてきた源泉徴収票を見ながらパソコン入力して、申告資料を作り始めました。ところがプリンターとのルータ接続が未だ出来ず、あ~あです。

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人間牧場

◯130周年記念事業

長年生きていると様々な節目を体験します。松山工業高校の100周年、近いところでは昨年のえひめ地域づくり研究会議の30周年など大小様々です。その都度記念事業として式典やイベント、刊行物の出版など様々です。今年度は由並小学校が創立130周年を迎えたことは、学校評議員会に出席した時校長先生から初めて聞きました。

100周年とかの区切りでないため、ことさらなことは計画しないものの、今年度はそのことを念頭に初心に帰って学校を経営したい旨のお話に私も共感共鳴しました。その一環として空から学校の様子を空撮する計画がありました。今ならドローンを使う手もあるのでしょうが、今回はセスナ機で撮影するとのことでした。

今年度は天候不順で2度も変更し3度目でやっと実現しました。子供の数が少ない小規模校なので、PTAや一般人も参加しなければ人文字にならないため、若嫁に誘われ私も参加しました。この程その写真をあしらったラミネートのクリアファイルが出来上がり、昨日送ってもらいました。豆粒にも満たない小さな姿を指さしながら、孫たちと話を弾ませました。10年後の140周年、20年後の150周年、学校はどんな変化をするのでしょうか。推計によると日本中の学校は30年後、今の30%になるかも知れないのです。

「今年度 由並の学校 130年 色々区切り あるものですね」

「記念して 空からセスナ 写真撮る 私も参加 虫眼鏡ほど」

「ラミネート クリアファイルが 出来上がり 送ってもらい 記念に保管」

「10年後 20年後は この学校 果たしてどんな 姿になって」

全校児童と先生
航空写真
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人間牧場

◯ナミ子姉さんの心のうた

私の父親には12人の兄弟姉妹がいました。親父を含め8人は既に他界していますが、まだ4人の叔母が健在です。その中に吉野竹子という叔母がいますが、叔母竹子は愛媛新聞の門欄に時々投稿記事が載りますが、叔母と言いながら私とは年齢が1歳しか違わず、姓も吉野なので、私のおばだと気づく人は少ないようです。

亡くなった叔母に若松ナミ子がいました。ナミ子は昔の事ゆえ学校もロクに行っていないのに、何故か書くことが大好きで、暇さえあれば雑記帳に俳句や短歌、その時々の思いを記録していました。ある日のことナミ子の夫国夫から、「ナミ子がコツコツ書き溜めたものを一冊の本にしてやりたいので手伝って欲しい」と相談がありました。

イチもニもなく引き受けた私は、早速編集に取り掛かり、「発刊に寄せて」と「編集後記」の原稿を書いて、ナミ子さんと国夫さんの所へ持って行き、岡田印刷の見積り書とともに目を通してもらい、了承を得て印刷工程に入りました。出来上がった本を見て夫婦で満足してくれたのは、平成11年の寒い丁度この頃でした。

そのナミ子おばさんも既に2年前に他界してこの世を去っていますが、偶然昨日年賀状の印刷代を支払いに立ち寄った岡田印刷の受付ロビーの本立てで、この本を見つけ、懐かしさの余りに帰ってから、書棚の隅に置いていた「ナミ子姉さんの心のうた」を取り出して読み返し、懐かしみました。

「人死ねば 思い出さえも かき消され そんな運命 私も間もなく」

「記録した ことしか記憶 残らない 偶然ロビー 大いに驚く」

「あああんな こともあったと 二人して ナミ子姉さん 思い出語る」

「生きている 間が花だ そう思い これから先も 楽しく生きよう」

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人間牧場

>◯楽しい講演会

昨日は金融広報委員会の依頼で、今治明徳高校へ講演に行きました。この時期県内の高校では3年生が卒業式(3月1日)を間近に控え、休みに入っている学校も結構あって、車の免許取得を目指して忙しい高校生も多いようです。

卒業を前に、これからの人生をどう生きるか考えてもらおうと、「生活設計」をテーマに約1時間お話をしました。私は県内の小・中・高校へよく出かけて、生活設計や金銭教育について講演をしていますが、この日は藤村君という一人の男子高校生が過敏なほど反応してくれ、とても心に残る講演会となりました。

元々今回の講演会のきっかけは、元大三島高校の先生だった藤岡先生が、大三島高校での講演会を企画し、転任先の明徳高校でもと企画されたものですが、偶然17年前の2月10日に事故にあって沈没した宇和島水産高校の実習船えひめ丸に、50年も前の18歳で乗船した時に学んだことを中心にお話しました。

「卒業を 間近控えた 高校生 前に講演 思いを込めて」

「わが話 過敏なほどに 反応し 心に残る 講演でした」

「50年 アッという間に 過ぎ去った 懐かしきかな 青春の日々」

「あの頃に 学んだことを 生かしきり 6つの道具 研いでは使う」

 

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人間牧場

◯孫の初節句祝い(その1)

昨日は女の子の孫の初節句祝の小宴に招待され、家族全員が出かけました。雛飾りを見たあと松山市本町付近にある中華飯店大岩に会場を移し、昼食を兼ねたお祝いです。男の子の孫4人もそれぞれ成長の過程でお祝いをしましたが、女の子の孫の誕生は初めてなので、多少戸惑いました。

朋樹に抱かれて
希心に抱かれて
尚樹に抱かれて
そうしんに抱かれて

次男のお礼のあいさつの後、年長孫である岡本朋樹君の乾杯音頭で宴会は始まりました。孫4人も入れ代わり立ち代わり誕生以来7ヶ月が経った花菜ちゃんを抱いてくれ、当の本人は何が起きたのか?というような、キョトンとした顔でも和やかな雰囲気でした。

解散したその後、私たちは、近くの写真屋さんに若嫁の両親と一緒に出かけ、記念写真を撮りました。写真屋さんのスタジオ裏には記念写真用の衣装が沢山あって、和服だけ借り、若嫁の結婚式の時に着たドレスで作ったという子ども用ドレスも用意され、何枚か写真を撮りました。いい一日でした。

「お祝いの 小宴孫の 乾杯で 主役の孫は キョトンとしてた」

「入れ替わり 立ち代わりして 孫を抱く 私バッチリ 写真に収め」

「写真屋で みんな揃って はいポーズ 平常心は 主役孫だけ」

「いい顔を している孫を 抱きながら 健やか育てと 心で祈る」

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人間牧場

◯今朝は雪

「おじいちゃん、写真撮って」と、今朝は孫たち2人が玄関先で歓声を上げていました。さっきウォーキングから帰った時は雪がちらほらでしたが、朝食をしているあっという間に雪が積もりました。孫たちは大喜びで、まるで「犬は喜び庭駆け回り」てな調子で、冷たい雪も何のそのでした。

雪を持った孫希心

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人間牧場

◯年齢と知力

年齢が進むに連れて、知力が減退することは周知の事実です。特に記憶力の減退は著しく、自分の年齢や昨日今日のことさえ忘れて、「わしもいよいよ歳だな」と思うことには何度も遭遇しました。しかし昨日今日のことは忘れても、「三つ子の魂百まで」と言われるように、昔のことはよく覚えているから不思議です。

私たちは、「知力は歳をとったら増えないもの」と諦めて余り努力をしないようです。でも歳をとっても学習意欲を持って努力している、若者顔負けの人が、私たちの身の回りには沢山いるから驚きです。サミエル・ウルマンが言っている「青春とは心の若さ」だとしたら、私たち高齢者にも知力の伸びしろはまだまだあるのではないでしょうか。

「知力の伸びしろはまだある」と信じて、常に新しい目標に向かって挑戦する心と行動こそが必要と考え、及ばずながら挑戦していることがいくつかあります。若者や周りの人から見れば他愛のないことでも、自分にとっては難問題と思われることは幾つもあります。pcもその一つで、学校でpcを習わなかった世代の私には、凡人ゆえ難解です。でも少しでも挑戦すれば、自分の疑問の館の扉は少しずつ開きます。さあ今日も前向きに・・・・。

「歳とると 知力伸びしろ ないものと 思っていたが それは間違い」

「この歳に なっても遅く ないものと 信じコツコツ 怠りなきよう」

「pcを 学校教育 習わない 昭和の世代 それでもやる気」

「あと幾つ 生きれるだろう 分らない せめて10年 20年でも」

 

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人間牧場

○韓国で冬季オリンピック開催

歴史的に関係の深い隣国といっても韓国は、近いながら海を隔ているので私たち庶民にはやはり遠い国です。何年か前、私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループの研修旅行で韓国を旅し、また教育長時代にまちづくりで訪問しているので、粗方は分っていても、隣が北朝鮮という緊張感もあって、親しみやすい国とは言い難い感じもしています。

 

 オリンピックは4年に1回開催されますが、今回のオリンピックはオリンピックよりも、北朝鮮を巡る様々な話題に注目が集まり、目が離せません。国連の安保理決議の制裁をかいくぐった、北朝鮮のほほえみ外交を警戒するアメリカと日本の思惑や、開会式前日の軍事パレード、従軍慰安婦問題などなど様々です。

 それでも世界スポーツの祭典であるオリンピック見たくて、昨日はテレビで開会式の模様を見ましたが、まるでおとぎの国のようでした。日本選手団が日の丸を先頭に入場すると、やはり日本民族の血が騒ぎ、ジーンと熱くなりました。今回はメダル9個が目標のようですが、寒さの中で頑張って欲しいと祈っています。

今朝の愛媛新聞一面
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人間牧場

○黒山城主久保家のルーツを探る

今月の双海史談会例会は内子町石畳の西山学さんを講師にお迎えしました。西山さんは大洲市内の病院でシステムエンジニア(コンピューター)技術者として勤めている方で、「えっ?何でもシステムエンジニアが歴史家?」と思うのは無理からぬことです。でも話を聞けば、コンピューターに滅茶苦茶詳しいことで、これまで図書館などに直接足を運ばねばできなかった資料収集がいとも簡単にできるようになったらしく、参考文献一覧表には52項目もの記述がありました。

uターンして初めて見えたふるさとの姿が黒山城主久保家のルーツを探るくっかけとなったそうですが、黒山城主が島根県から来たと言うが、雲州久保郷はどこか?、雲州久保之城はどこか?という自問から調べ、現在の島根県美郷町久保にたどり着きました。さてその次は黒山城初代城主である久保伊予の守高実は誰?は諸説があり、その人物に行き着くのに相当な時間を要したようでした。結局は近いところまで行っているもののまだたどり着いていないようです。

歴史はロマンがあります。西山さんの興味ある話に思わず引き込まれてしまいましたが、私たちの近くにこんな素敵な人がいることをとてもうれしく思いました。私も昨年末仲間とともに黒山へ麓~仏道ルートからアタックし、久しぶりに730mの頂上まで登りましたが、今後も折に触れ、ふるさとの文化を大切に守って行きたいと思いました。

講師の西山学さん
熱心に聞き入る会員
質問も多くでました
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