人間牧場

〇タブレット端末の写真

 世の中には目に見えるもの見えないものがあります。人の心の動きなども多少顔や動作に出たりしますが、その全てを読み取ることはできません。ましてラインで結ばれたネット社会などは、パソコン画面にどのようにして送受信されているのか、浅学菲才で凡人な私には到底理解もできないのです。

自動送信されるタブレット端末撮影の写真

 4~5年前移動中の通信手段としてタブレット端末を手に入れました。本当はスマートフォンを持てばいいのでしょうが、折角使い慣れたガラ系の携帯を手放す気にもならず、経済的な安上がり効果もあって、タブレットを愛用し楽しんでいます。1年前娘婿から、タブレット端末で撮影した写真は自動的に、わが家のパソコンに送信されていることを聞きました。

 お陰様で今まで愛用し頻繁に使っていたデジカメより、タブレット端末内蔵のカメラの方が、よりワイドで鮮明に撮れるので、目下のところブログで使用する写真は、ブレットで撮った写真を多用してお茶を濁しています。いやはや何がどうなっているのか、訳も分らないながら便利な世の中になったものです。

 若嫁が最近スマートフォンを手に入れました。孫2人は親のスマートフォンを使ってゲーム等を楽しんでいるようですが、私もそろそろスマートフォンへ移行すべきか迷っているこの頃です。世の中の情報技術の進歩革新は目覚ましく、ロートルな私にはついて行くことさえできません。「昭和生まれ」、「時代遅れ」という2枚のレッテルを貼られた私ですが、はてさてこれから余生をどう生きればいいのでしょうか?。山本リンダの歌ではありませんが、「困っちゃうな!!」です。「えっ!!、山本リンダって誰?」。古い古い。

  「タブレット 端末写真 パソコンに 自動送信 便利世の中」

  「説明を しろと言われて 首を振る 浅学凡人 とてもじゃないが」

  「目に見えぬ 情報飛び交う 世の中に なって私は 時代遅れだ」

  「困っやうな 山本リンダ 言ったなら それ誰?ですか? 言葉通じず」

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人間牧場

〇あらし山年輪塾楽農ワークショップ(その2)

 清水和繁さんのあらし山邸室内で、金次郎バンドとやぎたこさんのコラボ合奏を終えた私たちは、青木さん、近藤さん、上田さんの下準備した芋煮鍋用の食材を、外広場まで運んで調理をしたり、倉庫からみかん箱キャリーを出して観月ライブの準備をしました。そのうち次々と近所の農家の人たちも見えられ、鍋の芋煮が煮えたのを見計らって夕食を兼ねた宴会が始まりました。

観月ライブな集った観客
美味しかった大鍋芋煮

 呑むほどに食べるほどに交流の輪が広がり、農村特有の穏やかな夕暮れが近付きました。午後6時からはふたたびメインゲストであるやぎたこさんの観月ライブが始まりました。食べながら呑みながら幾種類もの弦楽器の演奏にあわせて、びっちり2時間洋曲を聞きました。残念ながら博学でない私には、音楽の全てを理解することは出来ませんでしたが、それでも軽いノリで身体を揺らし、時には手拍子を叩きました。

やぎたこさんの熱演熱唱

 私たち一行はとりあえずの中締め午後8時で失礼し、愛媛新聞の浅野さんの車を、夜道ゆえ国道378号まで誘導するような運転で、帰宅の途に着きましたが、運転してもらった水本さんと同行した浜田さんと、あれやこれや楽しいお喋りをしながらの帰路でした。来年は人間牧場も浜田さん、松本さん、亀本さん、木下さんの4人が処志検定に挑戦する予定なので、忙しくなりそうです。

いい雰囲気でした

 それにしても昨日は、異文化ギャップを存分に感じる一日でした。本来なら郡中開町200年祭の一環で、長男息子や松本さんが中心になって昨日の夜開催された、町家での屋外映画祭に参加してやらねばならないところでした。しかしそれも叶わず少し心残りでしたが、まあ良しとしましょうか。9時頃に帰宅すると家族は全員息子の映画祭に行っていて、あいにく留守でしたが、10時前に家族が、11時頃に息子がそれぞれ帰宅しました。いい映画祭だったそうでした。

  「あらし山 名前をつけた 古民家で 洋曲ライブ 分らぬままに」

  「存分に 異文化ギャップ 味わって 体内活力 不思議に湧いて」

  「ご近所さん 集り洋曲 聞きながら 美味い芋煮に 舌鼓打つ」

  「農村の とばりの中に 7つ見ゆ 街路の明かり 北斗七星」 

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人間牧場

〇消費者支援講座

 昨日は今治市立花カルチャーセンターで開かれた、東予地方局県民課主催の消費者支援講座に招かれました。今治へは海岸周りと山周り、それに高速道路の3ルートがありますが、昨日は奥道後~水ヶ峠トンネル~玉川経由の山周りを選びました。このルートは2週間前今治で開かれた、公友会の折にも仲間を乗せて走っているので、片道75キロを約2時間と予測し、玉川からは仙遊寺~西谷の農面道路を走り、目論見どおり30分前に到着しました。

盛況だった立花カルチャーセンターでの講演会

 控室でセンター長さん自身が作ったというイチヂクをいただきながら、世間話に花を咲かせましたが、イチヂク作りのノウハウを少し教わったし、帰りにお土産にいただいた日本イチヂク、西洋イチヂクが飛び切り美味しかったので、来年はイチヂクの挿し木に挑戦してみようと思うようになりました。はてさて講座の講演は10時に始まりました。金融広報委員会から届いた講師派遣依頼書には参加者55人とありましたが、用意した椅子が足らず、慌てて追加する盛況ぶりでした。

 昨日の演題は「超高齢社会の生き方(生きがい、ボランティア、相続、金銭トラブル)」でした。相変わらずのアドリブで90分ほどお話しましたが、打てば響くほどに反応も良く、楽しい講演会となりました。参加者は殆どというより3人を除けば全て女性で、あらためて男性高齢者の出席が少ないことにも問題があるように思いました。男性の健康寿命は72才前後、女性の健康寿命は78歳前後だと言われいますが、平均寿命と健康寿命の差である8~9年間は介護若しくは要介護が必要です。人生の終わりの人生を若い人のお荷物になって生きねばならないのは、何としても避けたいものです。そのために男性高齢者も進んで人の中へ入って欲しいと願っています。

  「3ルート どれを選ぶか 迷いつつ 山周り道 選んで走る」

  「山道や トンネル抜けて 目的地 思惑通り 迷うことなく」

  「予定より 人数多い 集会は こちらも張り切り 熱弁ふるう」

  「男性の 姿ちらほら 思いきや たった一人で 少し寂しく」 

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〇パソコンの調子がイマイチ

 昨日は一日中雨だったこともあって、途中収獲していた枝豆のサヤをハサミで摘んだりしたものの、溜まっていた原稿書きや送付のため、書斎にこもってパソコンの前で仕事とはいえぬ仕事をしました。どちらかというとパソコン操作が苦手と思っている私ですが、背に腹替えれぬ事情もあって、嫌々ながらいつの間にかパソコン相手に暮らしているのですから驚きです。

今朝のパソコン

 このところパソコンも使い過ぎて賞味期限が過ぎたのか調子が悪く、機嫌を取りながら使っていますが、娘婿に頼んでそろそろ買い換えなければならないと考えています。買い換えるとなると、今使っているパソコンから最低限の情報を移しかえる作業をしなければならず、その作業は私の能力では無理なので、結局はパソコンに堪能な娘婿に頼まざるを得ないのです。

 義理にもせよ、自分の息子に仕事を頼まなければならないというのは、親として何ともみっともない話で、恥ずべきことでしょうが、ことパソコンに関してはそんなことを言っている訳にも行かず、親の特権を行使しています。それでも昨日はパソコンの調子が戻り、あれやこれやと溜まっていた仕事が一気に片付き、ホッと一息つきました。さあ今日はこれから今治へ講演に出かけましょう。

  「パソコンの 調子イマイチ そろそろと 買い替え予定 考え行動」

  学校で 教えてもらった こともなく パソコン故障 したらお手上げ」

  「本当は 親が子どもに 教えるが 今は逆転 子どもが親に」

  「簡単に 原稿手直し できるゆえ 大事なことを 消して慌てる」

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〇通学合宿の食事作りは大変です

 青少年の健全育成のプログラムで、何が一番大変かと言えば、やはり食事の世話だと思うのです。特に食中毒が心配なこの季節は、注意を払わなければなりません。昼食は学校給食があるものの、通学合宿は1週間も夕食と朝食は手づくりして子どもたちに食べさせなければなりません。

子どもたちも食事作りに積極的に参加
今年は中心的に大活躍のジュニアリーダー吉永早希ちゃん

 毎年の事ながら食事の世話は、婦人会と更生保護女性会の皆さんの献身的なボランティアで賄っていますが、皆さんの年齢も少し高齢化が目立つようになってきました。それでも皆さんは、少しでも子どもたちの健やかな成長のお役に立ちたいと頑張ってくれていて、毎年のことながら頭が下がる思いでいっぱいです。

かまどでご飯を炊く子どもたち

 昨日の昼過ぎ公民館の隅田主事さんから、夕食のかまどでご飯を炊く作業を、手伝って欲しいと連絡が入りました。病院の定期健康診断も何事もなかったので、気分良く午後3時過ぎに、ふれあいの館へ出かけました。私と幸先生とシーサイド所長の亀田さんの3人で準備し、造作もなく子どもたちと一緒に屋外でかまどご飯を炊き上げました。

 昨日のメニューは餃子だそうで、炊事班の子どもたちは涙を出しながら、タマネギのみじん切りに挑戦していました。東雲女子大の学生に加え、今年は聖カタリナ大学の看護科に進学した、ジュニアリーダーの吉永早希さんが一週間連続で、世話をしてくれるので大助かりです。

  「一週間 夜朝食事 ボランティア これは大変 頭が下がる」

  「かまど飯 炊くことくらい 私にも 出来るんですと 腕をまくって」

  「この季節 食中毒に 気をつける 何とか無事に 今は乗り切る」

  「一週間 ジュニアリーダー 早希ちゃんが 泊り込みにて お世話してくれ」

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〇野焼き

 双海町の海岸線に咲く水仙や菜の花は、今ではすっかり愛媛県内の風物になりました。特に閏住地区の菜の花は伊予路に春を呼ぶと言われていますが、地区住民の長年に渡る苦労の結晶だけに、毎年大きな拍手を送っています。先日閏住を所用で通りかかると野焼の真っ最中でしたが、あいにくカメラを持ち合わせていなかったので通り過ぎてしまいました。幸い冨田さんと戸田さんが、相次いでfacebookに写真投稿していたので、滅多に見れない光景だけに記録に残すつもりで、寸借することにしました。(お二人さんごめんなさい。ありがとう。)

白煙を上げる野焼き
炎に包まれた野焼き

 最初はJRに菜種の種を蒔きたいので許可を取りに行ったら、モグラが入って土手が崩壊するので駄目だと断わられました。それなら野生の菜の花を作ろうと、まず草刈をして野焼きをすることにしました。草を刈り野焼きをして種を蒔くまでは秘密裏にやろうとしましたが、野焼きでつまづきました。上から火をつければよかったのに、よく燃やそうと下から火をつけたため火事になり、消防車出動、通りかかった列車を止めるというおまけまでついて、大目玉どころか刑事事件(列車危険往来妨害罪?)にまで発展しようとしましたが、何とか始末書で事件は片付きました。

 蒔いたらいけないというのに、性懲りもなくポケットを粗く縫って種を落す作戦に出ました。明くる年ものの見事に咲いた黄色い花を見て、JRはカンカンになって怒りましたが、以来菜の花はあちらこちらに飛び火して、今は菜の花=双海町となり、菜の花ウォークや観光列車まで走るようになりました。

 野焼きを見ながらふと昔の珍事を懐かしく思い出しましたが、来年の春には綺麗な菜の花のジュータンがお目見えし、多くの人の目を楽しませてくれることでしょう。2000年12月31日発行の私の自著本「昇る夕日でまちづくり」の120ページに、その出来事は詳しく書いています。

  「モウモウと 白煙上げて 野焼きする 菜の花畑 地区民総出」

  「その昔 野焼きが元で 火事になり 列車を止めて 大目玉食う」

  「来年も 黄色い花の ジュータンが 道行く人を 迎えてくれる」

  「記録した ことは記憶と なりにけり 私の胸に 大事しまって」

野焼の終わった土手
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人間牧場

〇稲藁をいただく

 わが家の下の田んぼではこの2~3日稲刈りが行なわれていました。コンバインや稲刈り機が故障したらしく、奥さんとご主人の2人が朝早くから夜遅くまで、広い田んぼをまるで這うように鎌で稲を手刈りしていました。聞けばコンバインや稲刈り機は中古を買って使っているため、故障すると修理のための部品がないそうで、新品は勿論のこと中古でも農機具はかなり高いので、買い換える経済的な余力もないので、老後のこれからのことを思うと、お米を買って食べた方が安くつくので、そろそろお米を作るのを止める潮時だと肩を落としていました。

雨に濡れないようビニールハウスにしまった稲藁

 ご主人も奥さんも私と同じ年齢なので、農機具さえあればまだまだと思われますが、最近奥さんの腰の具合が余りよくないようで、日ごろ奥さんは腰を曲げて農作業をしていますが、昨日の夕方は2~3日の重労働がたたって、腰を延ばすことができず、杖をついて作業する姿は傍で見ていても痛々しく感じました。折から少し雨がパラつき始めましたが、何とか夕方までに作業を終えたようで、難儀難儀動いた古いコンバインに、ブルーシートがかけられ一夜が明けたようですが、稲刈りの終った田圃も夜来の雨にしっとりと濡れていました。

 昨日の夕方、その田圃で毎年菜園に使う稲藁を貰っているので、稲落としした稲藁を集めてビニール紐で縛り、束にして一輪車で家まで持ち帰りました。モミを落とした稲藁は手刈りで束になっていないため不揃いで、集めるのに一苦労しましたが、一抱えほどの10束を、とりあえず雨に遭わぬようビニールハウスの中へ持ち込みました。稲藁はまだ乾燥が出来ていないので、日中高温になるビニールハウスでじっくり乾燥させたら、納屋にしまって来年の初夏、スイカやカボチャの敷き藁にする予定です。農作業はもう来年を視野にエンドレスの作業が始まっています。

  「下田圃 あれこれ農機具 故障して 今年は手刈り 見ていて難儀」

  「農機具を 高いお金で 買う余裕 ないから止める 動機複雑」

  「モミ落し 終えた稲藁 貰い受け ビニールハウス 入れて乾燥」

  「今朝は雨 稲刈り終えた 田圃には トンボが飛んで ホッと一息」

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〇わくわく生活体験夕焼け村が始まりました

 双海町では小学4年生~6年生を対象に一週間(9月2日~9月8日)、家に帰らず宿泊所と学校を往復するわくわく生活体験夕焼け村が開催され、昨日から始まりました。子どもたちは衣装ケースまで運び込む本格的な生活体験で、どんな成長をするのか多少不安ながらとても楽しみにしています。

夕焼け村の伝統看板
かまどでご飯を炊く子どもたち

  わが家の小学4年の孫希心も、少し苦痛があることも分らず喜んで参加しています。母親は準備をしながら、はてさてみんなと仲よく生活が出来るのだろうかと心配しているようですが、親も子も自立の第一歩なので失敗もまた大事な体験だと、元気に送り出しました。

シンボル旗が完成しくつろぐ子どもたち

 私も実行委員長をしているし、初日の夕方「夕日の話」の講話を頼まれていたので、午後3時に単車に木になるかばんを積んで出かけました。子どもたちは既に出来上がった旗の周りに寝転んで、記念の写真を取ったり、ゲームをしてすっかり打ち解けていました。

衣装ケース一杯の荷物

 そのうちカレー用具材の調理班とかまどご飯を炊く班に別れ、夕食の準備をしました。私もかまどご飯を炊く班に加わり、多少お手伝いをしましたが、短い時間ながらこげもせず、ほぼ完璧にご飯が炊けました。そのうち野菜たっぷりのカレーも出来上がり、楽しみな夕食が始まりました。昨日の調理当番は更生保護女性会で、いつもの顔ぶれがしっかりとサポートしてくれました。

楽しい夕食はカレーでした
食欲旺盛、はがまのご飯が空になりました。
宿泊所は潮風ふれあいの館です
綺麗な夕日が見えました

 6時20分から屋外に出て、綺麗な夕日夕やけを見ながら、私が約40分間「夕日の話」を想いを込めて話しました。夕日と夕焼けの違い、双海の夕日は何処の国の朝日?、日没の時間、日没時間の年間変化、沖合いに見える島々の名前、恋人岬のモニュメントの話、下灘駅の夕焼けコンサートなどを話して、最後は手持ちのハーモニカで赤とんぼ、ぎんぎんぎらきら、夕やけこやけなど数曲を吹きました。次回の私の出番は9月7日さよならパーティです。

  「今年も 通学合宿 始まった 衣装ケースに 荷物いっぱい」

  「子も親も 離れて分る 存在に 気付いて欲しい それを願って」

  「かまど飯 ほぼ完璧に 炊けました さすが双海の 子どもは違う」

  「沈み行く 夕日見ながら あれやこれ 最後は自慢の ハーモニカ吹く」

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人間牧場

〇研修会の事前打ち合わせ

 11月21日に松山市のコムズで開かれる予定の、コープえひめくらしの見直し講演会についての打ち合わせのため、一昨日LPAの女性お2人がわが家へ見えられました。LPAとはライフプラン・アドバイザーのことらしく、どうやら私が金融広報アドバイザーをしていることもあって、白羽の矢が立ったようでした。

打ち合わせするコープの女性LPAさん

 私は講演の事前組み立て、特にレジメを用意して欲しいといわれるのは苦手で、どちらかというとアドリブで思いつくまま話すのが得意ですが、予定されている2時間を、しかも小学生と母親の親子学習となるとそんなことも言っておられず、ワークショップ形式の学習会の大まかな組み立てを提示し、ゲストハウスにしている煙会所で約一時間ほど打ち合わせをさせてもらいました。

 お金には縁の薄い自称貧乏人の私ですが、若い頃からライフプランだけはしっかりと学習実践していて、今日の私があるのは若い頃に立てた、ライフプランのお蔭だと思うほどなので、話は尽きないほどあります。はてさて年齢差の大きい親と小学生にどんなメッセージを出せばいいのか、悩ましい研修会が待ち受けています。

 ふと先日あなたの職業は?」と尋ねられて、「ドキリ」として即答できませんでした。60歳でしがない田舎の地方公務員を定年退職してから自由人となり、12年があっという間に過ぎました。講演会などでの肩書きは「人間牧場主・年輪塾塾長」などを好んで使っていますが、肩書きと職業は違うので、寂しいけれど「無職」というのが正しいようです。「無職か~」と少し寂しくなりました。

  「LPA 2人の女性 やて来る ゲストハウスで 囲炉裏囲んで」

  「お金には ご縁の薄い 貧乏人 何故か金融 アドバイザーです」

  「気が重い だけど楽しみ 講演会 さてどうするか? 思案めぐらす」

  「『職業は?』 聞かれてドキリ 即答に 戸惑う私 無職透明」

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〇私の愛車ヤマハメイト

 町内の近くに出かける時は、ちょっと便利な私の愛車ヤマハメイトに乗っています。夏は暑いし、冬は寒いと単車に乗る機会はそんなに多くありませんが、それでも欠かせない乗り物です。この単車は2代目ですがとにかく丈夫で、パンク以外エンジン等は故障知らずで、昨日はエンジンオイルを入れて貰いに、近くの源田モータースへ行きました。

私の愛車

 「もう20年以上も乗っているし、少しくたびれてきたようなので、そろそろお払い箱かな」と、店員さんに話しかけると、「この単車はもう造っていない2サイクルの貴重なものなので、まだまだ十分使えますから大事に乗って下さい」と逆に励まされ、オートルーブオイルを入れてくれました。私は若い頃7キロ離れた役場まで8年間も単車で通勤しました。特に雪のちらつく冬や雨降りの時は大変でしたが、今となってはいい思い出です。

 現在乗っているヤマハメイトは2台目ですが、自分の人生の大半の約50年間を、2台の単車で過せたのですからこれは凄い乗り物です。「もう傷んでも替える部品がありませんので大事に」と店員さんに言われました。ガソリンも満タンにしたし、エンジンオイルも入れたし、さあ秋晴れの夕やけこやけラインを、秋風を切って颯爽と走りましょうか。

  「この単車 20年間 使ってる パンク以外は 故障もせずに」

  「人生の 大半およそ 50年 2台の単車 私を乗せて」

  「その昔 『乗ってる乗ってる ヤマハメイト メイトに乗れば 安上がり』」

  「今日あたり 夕やけこやけ 海の道 風きり走ろう 若者ぶって」

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