〇過去と人の心は変えられない
長年とまではいかないまでも、昭和・平成と72年間生きてきて思うことですが、「過去と人の心は変えられない」ようです。過去は過ぎ去ったことゆえ、「あの時はこうすればよかった」と、失敗したことを幾ら悔やんでも、手直しすることはできません。また「あの頃は楽しかった」と若い頃の思い出を語ったところで、それは思い出にしか過ぎないのです。
先日あった下灘鱧祭りの出来事です。その日は9月に入ったとはいえ夏の名残の残暑が厳しく、朝から太陽が照りつけ、お目当ての「鱧御膳(千五百円)」という弁当売り場のテントの前には、長い行列ができていました。その列の中に見覚えのある元県庁職員の姿がありました。たまたまそこを通りかかった私に、昔県庁では偉かったその人は、「こう暑くちゃ、行列までして弁当を買うのはたまらん。昔のよしみでわしと妻の分2つを何とかしてくれないか」と、隣に並んでいる人に聞こえるように私に言うのです。
それを聞いた私は、「みんな並んでいるので、あなただけ特別扱いすることはできません」と突っぱねると、「漁協組合長はあんたの従兄弟じゃろが。あんたの顔を利かして何とかしてくれ」と駄々をこねられました。「私は顔が利きません」と言うと、「あんたも落ちぶれたもんで力がないのう」と、ぶ然とした口調の言葉を浴びせられました。「昔のよしみ」という言葉の裏に、「わしは昔偉かった。仕事を辞めた今も偉い」と勘違いして胸を張る姿が垣間見えるし、これまで「顔が利く」世界の恩恵を受け続けてきた特権意識も見て取れました。
現職をリタイアし、無位無官となった私といえど、弁当の2つくらいは頼めば何とかなるかも知れませんが、この人のためにあえて弁当を頼まず突っぱねたこの人は、私の評価を「力がない」と見たようです。自分の思い通りに人は動くものではありません。最も身近な夫婦でさえ、妻が私の思い通りにならないことを考えると、「人の心は変えられない」ようです。でも今になって気付くのは「過去と人の心は変えられない」が、「未来と自分の心は変えられる」ということは確かなようです。
「過去加え 人の心は 変えられぬ だから毎日 必死に生きる」
「その昔 偉かったこと 鼻にかけ 勘違いして 私に迫る」
「今はもう 値打ち力の ない人に なってしまった 自覚し生きる」
「変えられる 未来と自分 そう思や 勇気と希望 湧いて生きれる」