〇新聞スクラップ
私は若い頃から新聞スクラップをしています。新聞スクラップといっても、自分や双海町に関係のある記事や興味のあるもの程度なので、深い意味はありませんが、これが長年やっていると結構溜まって、置き場に困るほどなので、今のところ忙しさにかまけて写真類や資料とともに、段ボールに入れて倉庫にしまっています。そのうち暇でもできたら整理をしようと思っていますが、未だその暇も見つからず多分紙ごみの運命を辿ることでしょう。
最近私の友人の豊田渉さんが、愛媛新聞の四季録に連載執筆を始めました。毎週土曜日の掲載なので、土日は出る機会が多く、読んでもスクラップをする機会を逸することが多いのですが、これも楽しみの一つなので、先週土曜日の分はスキャンしてパソコンに保存しました。偶然でしょうか、その日の四季録の下に、一枚のセピア色した写真が掲載されていました。昔の紙芝居風景ですが、その写真が何と双海町上灘の風景でした。
私たちが子どものころは、テレビもなくもっぱらの楽しみは、たまにやって来る紙芝居でした。砂利道を自転車の荷台に紙芝居を積んで、拍子木を叩いて子どもを呼び集め、ぎょうせん飴を竹串に巻いて5円で売り、買った子どもは優先的に前の方で見せてもらえるのです。やがて紙芝居のおじさんが、何人もの登場人物の声を巧みに一人何役もこなし、物語を面白おかしく演じ、子どもたちはぎょうせん飴を食べながら見聞きしました。
最近はリバイバルで、あちらこちらで本の読み聞かせや紙芝居が行なわれているようですが、街頭で演じる懐かしい紙芝居風景は、遠い記憶の彼方に忘れ去られようとしています。戦後とか昭和とかの懐かしい記憶を記録に残したい気もしますが、新聞スクラップの整理すらままならない私には、できるはずもない願望のようです。こうしていつの間にか時は流れ、消えて行くことでしょう。ああこれも人生、ああこれも時の流れです。
「新聞の あれこれハサミ スクラップ 無造作するが 整理も出来ず」
「懐かしい 風景路上 紙芝居 記憶辿りて 少年の日々」
「テレビない 時代ゆえなる 紙芝居 ワクワクドキドキ 夢中になって」