人間牧場

〇まちづくり学校双海人

 今年もまた新しい年度が始まりました。自由人でサンデー毎日の私には、土日も年度も関係のないことのように思えるのですが、それでも年度替りはどことなく新しい気持ちになるものです。昨日は今年度最初のまちづくり学校双海人の定例会が行なわれ、夕食を済ませて出かけて行きました。昨日は伊予市郡中でこの3年間地域おこし協力隊の隊員として活躍した、新居田真美さんの講義があるというので、ある意味楽しみにしていました。

昨日の夜の定例会
昨日の夜の定例会
プレゼントを貰う新居田さん
プレゼントを貰う新居田さん

 「ある意味楽しみ」というのは、わが長男息子が伊予市郡中で新居田さんたちとともに、まちづくり活動をしていて、少し遠く離れているため、一体どんなことをしているのか、まったく分らないままなので、その一端でも聞こうと思ったからでした。新居田さんは既に協力隊を離れ、アーバンデザインセーターという所で次の仕事をしているため、仕事の都合で少し遅れて来られましたが、3年間の思い出話を「繋がりのつくり方~郡中での実践とこれから~」というテーマで存分に話されました。

 郡中の街中にある元銀行の古い建物を使い、「来良夢」と命名して活用し、伊予市中心市街地でやって来た3年間の活動は、わが町の地域おこし協力隊3人組の活動とは随分違っていて、やり方はいっぱいあるものだと感心しましたが、この日の講義を聴こうと駆けつけたキョロキョロ隊のメンバーの話を含めて、息子のまちづくり日常活動の姿が幾分か見えてきました。今息子は間もなく実施する予定の映画会開催に向けて、一人黙々寸暇を惜しんで準備をしているようです。

 人と人、地域と人、情報と人、活動と人の繋がりなくしていい地域はできません。そのキーワードは「交わる」「知る」「創る」「学ぶ」だと結んだ新居田さん、長い間ご苦労様でした。この3年間は息子の人生にとっても多くを学んだようです。今年度は定例会が毎月第3火曜日から水曜日に変更になりました。「もうそろそろ」ではなく、「まだまだこれから」の気概で、今年度もできる限り参加したいと思っています。藤岡フサコさん、森田イチさんも頑張って参加しています。二人を見れば私など「まだまだ」です。

  「まちづくり 定例会に 参加して 協力隊の 三年を聞く」

  「わが息子 何をしてるか 知りたくて 何とはなしに おおよそ掴む」

  「そろそろと 思うかいやいや まだまだと 思うは違う も少し踏ん張る」 

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人間牧場

〇ジャガイモの芽かぎ

 わが家のジャガイモの茎は、このところ吹き荒れた南風でかなり傷みましたが、わが家より少し遅く作付けした人間牧場のジャガイモは、遅かったことが幸いしどうやら難を逃れたようで、昨日公民館の隅田さんから運よく人間牧場にいた私に、「ジャガイモの芽かぎに出かけたい」と、携帯電話が入りました。そのうち宮本館長さんと二人でやって来て、早速二人でジャガイモ畑に入って作業をしていました。

ジャガイモの茎抜き作業をする二人
ジャガイモの茎抜き作業をする二人
イノシシは個の看板の文字が読めません
イノシシは個の看板の文字が読めません

 私は別の用事をしながら遠目で二人の様子を眺めていました。宮本館長さんは元農協マンなので農作業に詳しく、植える時に肥料を入れたりすることも教わりましたが、芽かぎの方法もカッターナイフを使って茎を切り取る私とは随分違って、芋の上に手を押し当て茎を抜き取っていました。こうすればナイフで切った後からまた芽を吹くこともなく処理できるようですが、親芋が動きはしないかと少し心配をしました。

 隅田さんは持って来た「ジャガイモ生育中」と書いたラミネート加工した小さな看板を、周囲を囲っている金柵に取り付けていましたが、はてさてこの看板は誰に見せるためでしょうか?。金柵の周囲をウロチョロするイノシシに、この文字は読めないはずだと苦笑いしましたが、とりあえず茎抜きの作業を終えました。ジャガイモの種芋の中にはまだやっと芽を出した晩生のものもあって、はてさて1ヵ月後に迫った収穫に間に合うか?、少し心配になってきました。

  「ジャガイモの 茎を引き抜く 様子見て なるほど頷く やっぱりプロだ」

  「私など 茎はカッター 切るものと 思っていたが 百聞一見」

  「ラミネート 加工の看板 取り付けた イノシシ文字を 読めるだろうか?」

  「一ヶ月 すればジャガイモ 収穫だ 間に合うだろうか 首を傾げる」

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人間牧場

〇強風南風の痕跡(その2)

 昨日の夕方と今朝、毎日一万歩を目指すウォーキングに出かけました。出会う人毎に「おはようございます」というあいさつの後に、「強いやまぜ風でしたね!!」と付け加え、立ち止まって風にまつわる立ち話をしました。私も憤懣やるかたないジャガイモの茎を折って去っていった、風への恨み節を吐露しましたが、皆さん一様に多かれ少なかれ被害にあったようでした。

まるでジュータンを敷き詰めたような山道
まるでジュータンを敷き詰めたような山道
普通はこんな綺麗な道
普通はこんな綺麗な道

 ウォーキングが坂道に差し掛かり、その行く手を見ると何やら道の上の地面が見えないほど杉葉・桧葉がうず高く、まるでジュータンを敷いたようになっていました。よく見ると今日昨日の大風が木々を揺らし、枯れた杉葉・桧葉を落としたようでした。ここら辺の杉山や桧山は、昔みかんを作っていた果樹を伐採し、その後に植林した場所が多く、枝打ち等の管理が行き届いていないため、下枝は枯れてそのままになっていて、今回の南風が振り落としたものと思われます。

 コンクリート舗装の上に積った杉葉や桧葉は歩くのに邪魔で、小枝のついたものは歩きながら、拾い集めて山の中へ返していますが、当分この作業は続くものと思われます。沿線に果樹園農地がなくなったため歩く人も殆どなく、今では私専用のウォーキング道になっていて、コンクリートの道の奥まった土道は、私が毎日歩くことによってまるで踏みつけ道のように一際綺麗な道になってきました。唯一残っていた山小屋と農地の持ち主のおじさんも風の噂によると最近、高齢と病気を理由に広島に住む娘さんが引き取られ、この町を後にしたとも聞き、何とも寂しくなりました。

 私にとってこの道は、退職後11年、毎日健康維持のために歩いているウォーキングパラダイスです。多分この道がなかったら、自分の今の健康はないものと思えば、有難い道なのです。体力づくりのつもりで暇を見つけて熊手を持って行き、掃除でもして少し恩返しをしようかとも思っています。風が運んだ思わぬ痕跡に、意味もなく心を動かした朝でした。

  「南風 木々を揺らして 葉を落す 道にはまるで ジュウタンのよう」

  「手入れとて 行き度置かない 木々ゆえに 落ちた枯葉は 半端じゃないな」

  「この道が なくんば私 健康で 日々は暮らせぬ 少し掃除を」

  「意味もなく 心痛めつ ウォーキング ウグイス鳴きて 我に帰りぬ」

 

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人間牧場

◯東温市婦人会総会での記念講演

 青年団や婦人会といえばかつては、地域づくりや公民館活動の二枚看板でしたが、青年団は潰れて死語となり、婦人会も斜陽化の道を辿っていると、かつてどちらの活動にも深く関わってきたことがあるので、実感しています。東温市婦人会長さんから総会の記念講演を依頼された時、正直なところそう思いました。

 しかし出掛けてみると会場となった川内公民館には100人程の人が集まり、市長さんや県会議員さんも集まって、それは大盛況の手合いでした。総会行事が終わるまで一人講師控室で1時間ばかり待ちましたが、その間に外庭に出て満開の八重桜を鑑賞する幸運にも恵まれました。やがて時間が来てホールの壇上に案内され、思いつくまま1時間余りお話をさせていただきました。

 今回の私の肩書きは「金融広報アドバイザー」として、金融広報委員会からの派遣要請なので、生活設計や経済にも少しシフトした話をしましたが、「シルバー世代・楽しく豊かな過ごし方」という演題の話には皆さん関心も高く、みんな熱心に聴いていただきました。東温市には市長さん始め知人友人も多くいて、会場からは手を振ってくれる人さえ何人もいました。楽しくも嬉しい集会でした。

 「婦人会 右肩下がり 言うけれど 沢山集まり 圧倒される」

 「前庭に 咲く八重桜 満開で 休み時間に 一人花見す」

 「一時間 余り持論を ぶつ私 会場笑い 終始絶えずに」

 「市長さん 久方ぶりに 握手して 近況多いに 息子のことまで」

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人間牧場

〇春の夕日に照る山若葉

 「♭秋の夕日に照る山紅葉」という歌がありますが、昨日の夕方畑仕事を終えて、家の直ぐ横に聳える双海町のシンボル本尊山を見ると、夕日が染めて、「春の夕日に照る山若葉」といった感じの風情でした。わが家の借景であるこの山も季節が進み、いつの間にか芽にも鮮やかな若葉に衣替えしているようで、いつも見ているのに見飽きぬ風景で、「思わず「綺麗だなあ」と自分の心の中で叫んでいました。

夕日に映える若葉の本尊山
夕日に映える若葉の本尊山
シーサイド公園から見える夕映えの本尊山
シーサイド公園から見える夕映えの本尊山

 木に覆われた山は近づくと木、少し離れると林、もっと離れると森になります。木が一本で木、木が二本だと林、木が三本以上だと森になります。本尊山は魚付き保安林のため、常に緑の衣を着ています。魚付き保安林という制度は明治の人が考えた海を守る知恵でしょうが、本尊山の山頂付近にはほんの近い昔、魚見櫓というのがありました。目利きの効く猟師さんが魚見櫓に登り、双眼鏡で魚群の行方を追っていたのです。

名残の桜
名残の桜

 イワシやサバ等表層を泳ぐ魚群は、保安林の作る海蔭を渡り泳ぐ習性があって、魚見さんは魚群を発見すると大きなウチワのようなザイと呼ばれる旗を大声を出して降り、それを見聞きした漁船が魚群目がけて櫓を漕ぎ魚を一網打尽にするのです。魚群探知機の普及で魚見櫓もなくなってしまいましたが、古きよき時代を忍ばせる逸話です。本尊山は中世の城郭跡でもあり、今も頂上付近には無数の石類群が残っていますが、これもまたつわ者どもの夢の跡です。

童謡の小路の石に彫られた歌詞
童謡の小路の石に彫られた歌詞

 シーサイド公園駐車場には少し遅咲きの大島系桜の木が何本かありますが、人々の目は既に散った吉野桜に目を奪われ、見向きもされず散ろうとしているのは少し可哀想な気がして、一人夕日に照らされた桜を鑑賞しました。私が在職中「童謡の小路」として発想し、石に掘り込んだ夕日にまつわる歌の歌碑も、夕日が優しく浮かび上がらせていて、持って行ったハーモニカで童謡の幾つかを、下手糞で恥ずかしながら少し吹いてみました。

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人間牧場

〇今年も実行委員長に選ばれました

 教育長をしていた2年間は職務で双海町子ども教室の実行委員長をしていましたが、退職と市町村合併を機に委員長職を民間にしてからずっと、子ども教室の実行委員長に選ばれ続け、今年もまた一昨日夜開かれた実行委員会で、数えてみると13年連続で何の疑いもなく、ましてやさしたる断わる理由もなく、委員長の職を引き受けてしまいました。自分の心の中では「もうそろそろ」と「まだまだ」がせめぎ合いをしている最中です。

 それでもプログラムの実行場所のひとつが人間牧場だったリ、各種各方面からの支援も受けているので、もう暫く甘んじたいと思い、昨日は早速公民館の隅田さんにわが家に来てもらい、実行委員会で決った内容を元に、募集要項を作る作業に取り掛かりました。ベテランだった赤石さんが他部局へ異動し、新人の隅田さんを後任に迎えてのこの1年でしたが、事故もなくそれなりの成果を積み重ねながら、また新しい年度が始まりそうです。

 社会への恩返しを目論む私にとって、青少年の健全育成や地域づくりは重要な意味を持った活動です。とりわけ私的施設である人間牧場との関わりは、目に見えない部分でかなりの成果を上げていて、代替プログラムや代替施設が見当たらないだけに、少し気を揉みながらやっていますが、これをマンネリと捕らえるか伝統と思うかは人それぞれです。マンネリとは同じことの繰り返しですが、伝統は常に新しい試みを加えながら同じことを積み重ねる手法です。活動と運動の組み合わせをしっかりと持つならば、それは伝統として残って行くのです。今年も応募に応じてくれる元気な子どもたちが沢山いることを願っています。

  「13年 断わるさした 理由なく 役職受けて 今年も頑張る」

  「そろそろと いやいやまだまだ せめぎ合い 心の葛藤 当分続く」

  「10年間 続けば立派な 物語 子どもの心 育みながら」

  「無人島 培う力 今もなお 人間牧場 舞台にドラマ」

実行委員会で決った今年のプログラム
実行委員会で決った今年のプログラム

 

 

 

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人間牧場

〇花落し

 桜の花もやっと終わりました。桜の木の下をピンク色に染める花びらの姿を見るにつけ、林芙美子の言葉ではありませんが、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という感じも否めません。中でも「椿」と漢字では書いて、いかにも春の花のような感じがする、晩冬花の代表格であるツバキの花もそろそろ見納めで、わが家のあちこちに植えているツバキの木の下には無数の花が散るでもなく落ちて、どこか風情を感じます。

側溝に落ちたツバキの花
側溝に落ちたツバキの花

 ツバキは花びらが散らず花ごと首から落ちるので縁起が悪いと、庭に植えるのをためらう人もいますが、最近は品種改良もどんどん進んで、ツバキの清楚な美しさに引かれて愛好者が増えているようで、ご近所の奥さんも伊予つばき愛好会に入って熱心に活動しているようで、散歩の途中に出会うと「まあ見て下さい」と自宅に案内され、花の名前や花の特徴、どこで手に入れたかなどを詳しく話してくれます。丹精込めて挿し木から大きくしたツバキなどは思い入れも強いのか立ち止まってまるで自慢話のように話してくれるのです。先日も珍しいツバキだと背丈20センチほどの苗をいただき持ち帰って庭の隅に植えました。

 この人の話によるとツバキの中でもやはり素朴な味わいがあるのは、野生種のヤブツバキだそうです。わが家にも鳥が種を落として成長したと思われるヤブツバキが、石垣に根を下ろして成長してみたり、裏庭の斜面には空を覆うほどの大きなヤブツバキの木があって、今時期は落ちた椿の花が雨水を流す側溝に降り積もるほど落ちています。時折掃除をして取り除きますが、今頃は追いつかない状態です。落ちた花積りもまた風情でしょうが、時々ツバキの木の下を歩いていると、落ちてきた花が頭を直撃して思わずドキリとしますが、ツバキの花ももう見納めです。

  「名残花 いきなり頭 落ちて来て 思わずドキリ ビックリポンだ」

  「ヤブツバキ 素朴なゆえに 気品あり 側溝埋める 花もまた良し」

  「木に春と 書いてツバキと 言うのだが 魚に春で 鰆連想」

  「行く季節 来るも季節と 辺り見て 侘びを感じる 春の一日」

 

 

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人間牧場

〇やっとお待たせ蜜蜂分蜂

 冬の寒さはとっくに過ぎているので、寒の戻りとは言わないのでしょうが、この2日間は特に朝晩は冷え込んで、早朝ウォーキングで出会う人たちから、「今朝は寒いですねえ~」いうあいさつが何人もから返ってくるほどの冷え込みでした。この時期蜜蜂を飼っている者にとっては、蜜蜂の分鋒が始まる、待ち焦がれた季節なので、気温が下がるとそれだけ分蜂が遅れるので、一喜一憂の毎日です。養蜂といっても私のような素人には冬越しした蜜蜂は殆ど皆無のため、自然分蜂するのを待つしかないのです。

蜜蜂の分蜂入居第1号
蜜蜂の分蜂入居第1号
新芽も鮮やかな枝垂れモミジ
新芽も鮮やかな枝垂れモミジ

 ところが3~4日前、裏山に置いている巣箱1号と勝手に名付けている巣箱の入口付近が急に騒がしくなり、長年といっても4~5年の経験からみると、どうやら自然分蜂したようなのです。嬉しくなって朝・昼・夕方見回わっていますが、多分入居第1号となったようです。早速今日にでも私の蜜蜂師匠である西予市野村町の井上登さんにメールで報告したいと思っています。井上さんから昨年いただいた日本ラン・キンリョウヘンの一鉢の花芽も徐々に膨らんで、試験的に3日前ビニールハウスに入れて開花を促していますが、咲けばフェロモンの香りで蜜蜂を誘ってくれるものと思われます。

 いつの間にか家の入口上に植えている枝垂れ緋モミジも赤い色の新芽の衣をまとい、遅咲きの3年前に植えた枝垂れ桜もまだ派手さはありませんが、冬の寒さを耐えて咲いています。蜜蜂のことばかりを気にしていると、木々の芽吹きや花木の開花さえも見落としてしまいそうです。畑の隅に100mに渡って植えている平戸系ツツジも、そろそろ花が見え始めました。一年中で最も季節気候の良い今こそ、豊かな自然を思う存分味わいたいものです。

  「寒いねえ そんなあいさつ する朝は 蜜蜂たちも 飛ぶことためらう」

  「巣箱前 蜜蜂群がり 分蜂の 兆候見えて 嬉しくなりぬ」

  「早速に 蜜蜂師匠 ご報告 貰ったランも 大事に育て」

  「気がつけば 山は緑に 衣替え 春は一気に 私の元へ」

ひっそりと咲く枝垂れ桜
ひっそりと咲く枝垂れ桜

 

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人間牧場

〇保存上々サツマイモ

 子どものころ自宅の床の下は芋坪になっていて、秋に収穫した大量のサツマイモを籾殻と藁に埋め込み、冬の寒さで風邪を引いて腐らぬよう大切に保存していました。そのことを再現したいと、家庭菜園横の倉庫の床を自分で掘り芋坪を作りましたが、結果的には内側を塗ったセメントの処理が悪く、湿気が多くて使い物になりませんでした。それでも諦めきれず、掘った狭い芋坪内に入って防水セメントを塗り、その中へ板切れで取り出し可能な木箱を作り、2年前に完成を見ました。

熱々ホクホクの焼き芋
熱々ホクホクの焼き芋

 結果は上々で木箱の中に籾殻を入れて保存したサツマイモは、芋坪の中で寒い冬を越し、冬の間の保存食料品として食卓を賑わせてくれています。昨日は久しぶりに芋坪から保存している芋を取り出し、妻に素焼きの芋焼き器で焼いてもらうことにしました。保存状態の完璧なサツマイモを6個ほど焼き芋器に入れ、ガスコンロに乗せて弱火で焼くこと30分、そのうち美味しい焼き芋の匂いがダイニングに流れ、タイマーのアラーム音を頼りに取り出して皿の上に盛りました。

素焼きの焼き芋器
素焼きの焼き芋器

 熱々ホクホクの焼き芋を小さじを使って、ほじくりながら食べましたが、まあ美味しいこと、ほっぺが落ちるほどでした。昔はサツマイモといえば貧乏食の代名詞のように言われ、敬遠されていましたが、今は健康食品そのもので、おならが出て多少お行儀は悪いのですが、妻と私の屁こきゆえ、「あら失礼!!」と笑って済ませるので、これも夫婦円満の成せる技だと笑いながら楽しみました。まだサツマイモはかなり残っているので、おやつ代わりに大いに楽しもうと思っています。

 「芋坪に 囲った芋を 取り出して 妻に頼んで 焼き芋作る」

 「素焼き器に 芋入れタイマー 30分 美味しい匂い アラーム鳴って」

 「焼き芋を 小さじで掬い フーフーと 夫婦で食べる 美味い美味いと」

 「屁をこいて あら失礼と 笑い合う 夫婦円満 芋屁のお蔭」

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人間牧場

〇わが家ではけん玉遊びが流行っています

 今月に入り孫二人が学校からの帰りに学童クラブへ通うようになりました。下の孫奏心を保育園に迎えに行かなくても、すむようになったので幾分助かりますが、今年も学童クラブへのお迎えは私の大事な仕事になりました。学童クラブの子どもたちの中には子ども体験塾に来ている子もいるので、すっかり顔馴染みで、出会えば「進ちゃん」と愛称で親しく声をかけてくれますが、その中に通称「たけちゃん」がいます。

けん玉を練習する70の手習い
けん玉を練習する70の手習い

「たけちゃん」は小学2年生ながらけん玉が得意で、そのことを誉めてやるととても喜んで、私の顔さえ見れば近くにやって来てけん玉の話をしたり、学童クラブの室内に置いているけん玉を二つ持って来て遊んでくれますが、私もこの際「たけちゃん」をお師匠さんにしてけん玉を習おうと、自宅に置いているけん玉を取り出して練習を始めました。生まれつき不器用な私ゆえ、最初は一番大きい受け皿にさえ中々入りませんでしたが、けん玉を連続して皿に乗せる「もしもしかめよかめさんよ」の出来る息子にこつを教えてもらって、膝や脛の使い方が大事であることも分りました。

 最近は私に吊られて孫2人も練習していますが、多分まだ私の方が一枚上といった感じです。私は目下のところ、大受け皿から第2ステージの中受け皿になりましたが、大中を連続して入れる成功率はまだ2~3回まぐれで出来る程度です。テレビを見ている居間で練習するものですから、妻からは「テレビの音が聞こえないので自分の部屋でやって」と不評を囲っていますが、そのうち上手くなって、師匠の「たけちゃん」に誉めてもらいたいと、一生懸命ならぬ遊びのつもりで練習している今日この頃です。

  「『たけちゃん』と いう子師匠に けん玉を 習っています 不器用男」

  「大皿に やっと乗るよう なったから 次は中皿 連続ステージ」

  「一年で マスターしたいが 中々で 孫に抜かれて しまいそうです」

  「妻からは テレビの音が 聞こえない 不評囲って それでも練習」

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