人間牧場

〇横野柿を使って干し柿作りをしました

 今年は外気温が暖かかったため、干し柿にカビが生えたりした人が多かったようですが、わが家はそんなことを見越して、少し遅めに干し柿を作ったのが功を奏し、琥珀色の立派な干し柿ができました。干し柿が大好物の私はこのところ、毎日ウォーキングから帰ると、干し柿をちぎって食卓の皿の上に乗せて、朝食のデザートにして美味しく食べています。

井上さんが送ってくれた渋柿横野柿
井上さんが送ってくれた渋柿横野柿
皮を剥きサナに並べ干し柿づくり
皮を剥きサナに並べ干し柿づくり

 干し柿を作った様子をfacebookに写真つきでアップしたところ、沢山の人がいいねボタンを押してくれたり、コメントを書き込んでくれました。その中に親友井上浩二さんもいました。井上さんは元小松町役場職員で、退職後は西条市議会議員に当選し、政治の道に進んでいますが、先日行なわれた人間牧場10周年の集いにも駆けつけてくれました熱心な方です。

 井上さんは私が干し柿に使った円錐形のあたご柿ではなく、横野柿という富有柿そっくりの、丸い柿を使って美味しい干し柿を作ったそうで、2日前早速10k箱にいっぱいの横野柿という渋柿を送ってくれました。早速その夜妻と二人でテレビを見ながら、ピューレーを使って皮を剥きました。ヘタに紐で吊るす小枝が残っていないので、さてどうするか?思案しましたが、串刺しにするのをやめ、天草やヒジキを干すサナに並べて天日乾燥することにしました。

 上手く行くかどうかは分りませんが、井上さんが味は抜群と太鼓判を押してくれた横野柿なので、今から干し柿のできるのを楽しみにして、雨に当てないよう気をつけながら見守りたいと思います。昨日は幸運にも北西の季節風が吹き始めました。ところが夜になって不運にも雨風の強い嵐になり、東屋の木陰に干していましたが、少し雨が振り込むようになったため、夜中に懐中電灯の光を頼りに、雨の当らない所へ移動をしました。少し先が思いやられるようです。

  「友人が 富有柿そっくり 渋柿を 宅配便にて 私の元へ」

  「あれこれも facebookの お蔭です 早速妻と テレビ見ながら」

  「ピューレーで 渋柿皮を 丁寧に 剥いて干しサナ 並べ軒先」

  「不運にも 冬の嵐が 吹き始め 急いで夜中 懐中電灯」

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人間牧場

〇名残の秋と春の足音
 昨日カーラジオを聞いていると、高松地方気象台では梅の花の開花宣言が、例年より1ヶ月以上も早く出されたようで、思わず「えっ」とわが耳を疑いました。確かに最近は外気温の暖かい日が続き、師走だというのに周囲の山々には紅葉が残り、ウォーキングをしている道端には、春の代表選手といわれるスイセンが早くも清楚で可憐な花を開かせているのです。

ツバキの花 「何かが可笑しい」と実感はしても、それが何の影響か、またそれがどんな影響を及ぼすのかは知る由もありませんが、日本の各地でひんぱんに起こっている天変地異の出来事は、異常気象としか言いようがないようです。いつもの年だとこれからが最盛期のブロッコリーが、成長が進んであっという間に菜花に変身し、黄色い花を咲かせて食べられなくなりました。また例年だとこれからが旬の白菜も葉っぱが黒くなりはじめ、春までもちそうにない雲行きです。

ブロッコリーの菜花DSCN2107 私の家の家庭菜園さえそうですから、日本中では押して計るべしで、大根などは1本80円と信じられないような安さで消費者主婦を喜ばせていますが、方や大根農家は豊作貧乏で出荷しても採算が合わないため、畑にブルドーザーで穴を掘り、泣きの涙も出ないと嘆きながら埋めている様子がテレビで放映されていました。いつの時代もお天道様相手の第一次産業は豊作貧乏大漁貧乏、不作貧乏不漁貧乏という貧乏くじを引かされているのです。

 良く似た花に山茶花とツバキの花があります。山茶花は冬迎えの花、ツバキは冬終わりの花ですが、このところの気温で山茶花とツバキが同時に咲いています。山茶花は花びらを散らし、椿は花ごと落ちるのですが、どうやら花散らしまで同時に進行するようです。それでも季節を愛でようと、スイセン2~3本とツバキ一枝を切って来て、一輪挿しに挿してダイニングに飾りました。いい香りいい雰囲気です。

 

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人間牧場

〇ハードルの高さ

 「ハードルが高い」という言葉を時々耳にします。乗り越えにくい出来事や目標の高さをいうのでしょうが、私の人生を振り返ればその時代、その年齢、その役職などにおいてハードルの高さを実感し、ハードルを倒したり足を引っ掛けたり、時には再挑戦したりしながら、何とか今日まで乗り越えてここまで来ました。振り返えれば多少悔いは残っているものの、自分の非力さや能力のなさを考えれば、まあままの人生だったと納得するのです。

ハードル 人間は得てして若いころには高いハードルを設定しがちです。できもしない夢や理想を掲げますが、世の中はそんなに甘くはなく、時には立ち上がれないほどの失敗や反対に遭います。それでも「夢よもう一度」と再チャレンジできるのも若さの特権なのです。しかし私のように年齢を重ねてくると、自分のレベルと周りの状況を比較しながら、ハードルの高さを自分で飛び越えれるレベルに調整し、「こんなものだ」と納得しながら生きて人生を終えるのです。

 ハードルの高さを自分の飛べる高さに設定し始めるとそれに馴れて、体力・気力・知力の低下と共に自分の人生は次第に萎んでしまいます。それが普通なのでしょうが、私の場合はこれまでの経験から、ハードルの高さを少し高めに設定するように心がけています。人から見れば他愛のないことでも私にとっては挑戦ですから、「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」と言った、ポール・J・マイヤーの言葉通りハードルを越えることができるのです。

 私の心の張りは「少し高めのハードル」に向う気概とそれを乗り越えた時に味わえる達成感によって維持されています。始める活動、続ける活動、高める活動の三つを心がけていますが、目下のところ止める活動が中々見つからず、多忙過ぎるのが欠点なので、歳を考え少しずつ止める活動へ移行したいとも思っていますが、一方では折角ここまで続けたり高まったのだから、「もう少しもう少し」という引き戻し心理も働いています。

 最近若い人から色々な夢を聞く機会があります。「夢はどうしたら実現するか」とアドバイスを求められることもあります。「夢はドリームではなくターゲットだ」と叱咤激励すると同時に、相反して「いいこととできることは違う」と冷や水をぶっ掛けることだってありますが、少なくてもハードルの高さを簡単に飛び越えられる高さにしてしまうことだけは止めろと、アドバイスしています。このアドバイスが正しいのかどうかは別にして、少し高いハードルに挑戦しながら私は今日も生きています。

  「ハードルは 飛び越えなければ 意味がない だからと言って 低いは問題」

  「多少無理 すりゃ飛べる 高さまで ハードル上げる これぞ生きがい」

  「跳んだあと 疲労忘れる 達成感 これもまた良し 次のハードル」

  「ああ今日も 少し高めの ハードルを 跳んだ跳んだと 満足しつつ」

 

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人間牧場

〇出来上がった干し柿

 このところ季節の変わり目を感じるように、天候が不順です。師走だというのに3日目には外気温が日中20度まで上がり、その後は低気圧や前線の影響で時ならぬ40mm近くの雨と強風が吹き荒れ、折りしもフランスパリで開かれている環境会議の報道もあって、存分に異常気象を感じさせました。

美味しく仕上がった干し柿
美味しく仕上がった干し柿

 今年は暖かいため、少し遅れ気味で皮を剥いて、物干し場に吊るしていた干し柿も、渋が完全に抜け程好い琥珀色に仕上がりました。早速4~5日前からひとつまたひとつとちぎって、その甘味を存分に楽しんでいますが、このところの気温上昇で虫が一~二匹近寄って来たのを見つけました。さすがにまだカビは来ていませんが、そろそろジッパーつきのナイロン袋に入れて、冷蔵庫に保管したいと思っています。

 

知人友人に送ったみかん
知人友人に送ったみかん

あんな渋味がどうして甘味に変化するのか、凡人の私には分るすべもなく、また分ろうともせずに食べていますが、今年は二人の日本人がノーベル賞を受賞した記念すべき年なので、あちこちでサイエンス流行のようで、私もボケないためにこんな小さな疑問を、真正面からとらえて、勉強してみようかな?と思っていますが、やることが多くて後回しになるようです。

 今年は友人の戸田さんから「紅まどんな」という品種の柑橘を分けてもらい、日ごろ交友している知人友人に送って大好評でしたが、今度はまた違ったみかんを10箱ほど分けてもらい、4日前に全国の知人友人に送りましたが、特にみかんの珍しい北海道や東北に集中して送ったため、大好評で味がいいと喜びの一報が届いています。

 今年は親父が7月に亡くなって喪に服しているため、いつもの年のような年末と少し違って、正月を迎える準備をしなくてもすむため、比較的落ち着いた日々を過ごしていますが、今週末は恒例の人間牧場での餅つきや、年輪塾の学習会があるし、畑の隅に小さな農業用ハウスを建てる準備もしなければならず、相変わらずの忙しさです。気を引き締めて頑張りましょう。

  「干し柿が 程好い甘さに 仕上がって 毎日盗んで 味を楽しむ」

  「訳ありの みかん沢山 あちこちに 送る・届いた 連絡しあう」

  「渋柿は どうして甘く なるのかな? 分らぬままに 調べもせずに」

  「歳の瀬が 近くなったが 年賀状 喪に服してる ゆえに作らず」 

 

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人間牧場

〇かすかな記憶

 朝四時
 遠くで漁船のエンジン音が聞こえる
 港から沖合いの漁場に向けて
 出港する船の音だろう
 外はまだ暗いし寒い
 もう五十年も前
 漁師をしていた私も
 同じように
 暗くて寒い海を
 沖合いの漁場に向って走っていた
 かすかな当時の記憶が蘇る

 朝五時
 遠くで鉄橋を渡る列車の音が聞こえる
 ふるさとの駅から
 松山へ向う一番列車の音だろう
 外はまだ暗いし寒い
 もう五十年も前
 漁師をしていた私は
 ガンで入院していた親父の見舞いに行くため
 一番列車に乗っていた
 その親父も今年の夏逝った
 かすかな当時の記憶が蘇る

 朝六時
 近くで砂浜に打ち寄せる
 波の音が聞こえる
 外はまだ暗いし寒い
 もう二十年も前
 役場に勤めていた私は
 この砂浜で熊手を持ち
 凍える手に息を吹きかけながら
 一生懸命掃除をしていた
 十二年も続けた掃除
 かすかな当時の記憶が蘇る

 朝七時
 傍で赤々と燃える
 灯油ストーブ上のヤカンの音が聞こえる
 外は明るくなり始めたが寒い
 もう十年も前
 定年退職した私は
 この部屋で今と同じように
 パソコンに向って
 ブログを書いていた
 あれから何枚書いたことだろう
 かすかな当時の記憶が蘇る
 
 
 
 
 

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人間牧場

〇近頃の子どもは忙しい

 私たちが子どものころは戦後間もない長閑な時代だったこともあって、野山や海岸を遊び場に、勉強等そっちのけで遊びほうけていました。そのことが知らず知らずのうちに豊かな感性や、人間性を育んでくれていたのですから、感謝しなければなりませんが、今の子どもたちは子どものころから勉強や習い事に明け暮れ、遊ぶ時間や自由時間もないのですから可哀想としかいいようがありません。

キャッチボールをする孫希心
キャッチボールをする孫希心
昨日は強風で車庫上の風力発電用風車もフル回転でした
昨日は強風で車庫上の風力発電用風車もフル回転でした
 両親が外働きしているため、小学校2年生の孫希心は学校の授業が終ると自宅へ帰らず途中地域事務所の2階に開設している児童クラブへ直行します。働く若い親にしてみればそれはそれとして指導員までついて預かってくれる児童クラブはあり難いことだし、孫たちも同年代の友だちが沢山いるので、結構楽しんでいるようです。金曜日の昨日は児童クラブへ立ち寄らず、直接自宅に帰った孫は、着替えと手洗い、うがいを終えておやつをお食べると、外に出てボールとミットでひとり遊んでいました。

 昨日は夜来の大雨も止んでいましたが、かなり強い北風が車庫の屋上に設置している風力発電用の風車を勢いよく回していました。孫に「おじいちゃん、キャッチボールをしよう」誘われ、何年かぶりに孫と二人でキャッチボールをしました。孫はグラブを買ってもらって最近は父親と時々キャッチボールをしているようですが、受けるのも投げるのもまだまだ下手糞で、思うようにはなりませんが、それでも20分余り相手をしてやりました。孫も大層喜び、「おじいちゃん、あしたもしよう」と予約まで約束させられてしまいました。

 子どもは遊びの天才です。孫二人から「冬休みになったらマラソンをしよう」とマラソンの約束もしていますが、やはり遊び相手は同年代の子どもが一番のようですが、残念なことに同年代の子どもとの遊びはゲームばかりで、外で群れて遊ぼううとはしないのです。これも時代の流れでしょうが、「子どもは風の子」なので、折に触れ大人の責任において極力戸外での遊びを身につけさせねばなりません。3人の息子とキャッチボールをする暇もなかった若いころの反省を込めて、孫と遊びたいと思っています。

  「近頃の 子どもは外で 遊ばない ゲーム中心 これでは困る」

  「3人の 息子とキャッチ ボールせず 後悔している せめて孫とは」

  「冬休み 孫とマラソン 約束を 今から楽しみ 体鍛えて」

  「私には 遊び相手に 丁度良い だけどゲームも 時代遅れで」

 

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人間牧場

〇楽しかったじゃこ天会修学旅行同行(その2)

 兵庫県の浜坂温泉「魚と屋」というホテルは、目の前に日本海が広がる高台にありました。カニ三昧の料理もさることながら、温泉好きな私には夜も温泉・朝も温泉と、2回も温泉に浸かり存分に旅情を楽しみました。ホテルの前は港のようで、早朝から白くて大きな底引き網の漁船が出入りし、明るい照明電器が辺りを照らしていました。毎日一万歩のウォーキングをしている私は、早朝そっとホテルを抜け出し周辺を散歩しましたが、かなり大きな海産物のお店が何軒かあって、シーズンを迎えたズワイガニが水槽やトロ箱に沢山並んでいました。

ホテルの窓から見えた港の風景
ホテルの窓から見えた港の風景
日本一高い餘部鉄橋
日本一高い餘部鉄橋

 午後若しくは夕方雨になると天気予報では言っていましたが、旅先といえど午前4時に起床し、手持ちのタブレットでブログを書いたりfacebookに反応したあと、午前6時にはポツリポツリ雨が降り出した小雨の中を、急いでホテルへ引き返し朝食を取りました。ウォーキングのお蔭でしょうか、食事も美味しくいただきました。午前8時さあ出発です。目的地は日本三景の一つ天橋立です。途中日本一高い鉄橋と呼び声の高い餘部鉄橋の下を通りました。何年か前強風にあおられ、列車が落下し多くの犠牲を出した鉄橋は改修工事が行われ、昔見たような赤錆びた鉄橋の風情とは随分違っていました。

天橋立にて記念写真
天橋立にて記念写真

 「左城崎温泉」と書かれた看板を見ながら10時過ぎに天橋立に到着しました。一行は待ち構えていたみやげ物店の店員さんのガイドを聞きながら、神社の中を抜けケーブルカー駅に到着、臨時便に乗って紅葉の残る斜面をゆっくりと、3分ほどの乗車で展望台へ到着しました。私たちはさらに昔の展望台まで石段を登り股の下から、天下の景勝地天橋立を存分に楽しむことができました。何度来ても何度見ても絵になる風景でした。遠くに酒天童子で有名な大江山や日本海の島々を眺め、少し曇ってはいましたが心配された雨に合うこともなくケーブルカーで下山し、皆さんはこれでもかというほどみやげ物を買っていました。

 高齢若しくは中年のおばちゃん=爆買いといったところで、誰に差し上げるのか?箱入りお菓子類を行く先々で買い求めていました。バスの荷棚や側面の荷物トランクは自分の土産と人の土産の見分けがつかないほどでした。昼食は近くのワイナリーでバイキング料理を食べました。野菜中心の美味しい料理をついつい食べ過ぎて、みんな満腹の手合いでした。また帰りに立ち寄った土産店でも、3千円以上買うと詰め放題の人参をサービスに貰えるとあって、何人かは人参を沢山抱えてバスに戻り、みんなの笑いを誘いました。

  「日本海 港見下ろす ホテルにて 朝を迎える 朝4時起床」

  「久方に 日本三景 訪ねたり 天橋立 変らぬ美貌」

  「爆買いの 田舎おばちゃん お土産を 行く先々で 手に提げ帰る」

  「おばちゃんと 旅は道連れ 世は情け 世間話に 花を咲かせて」

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人間牧場

〇一泊二日の旅行から帰ってきました。

 昨日と今日の二日間、瀬戸内海側の双海町から、瀬戸大橋を渡り岡山、鳥取、兵庫、京都を巡って、今夜8時前やっと自宅へ帰って来ました。交通事情の悪かった昔なら、どう考えても一泊二日では無理な行程ですが、高速道路とバスのお蔭で何なく乗リ切りました。私も18人の同行おばちゃんたちも快いバスの旅ができたと喜んでいました。それでもさすがに疲れたので今日はこの辺でブログのお開きにしたいと思います。

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人間牧場

〇親馬鹿と馬鹿親の違い

 書斎に備え付けているパソコンと、持ち歩いているタブレットを巧みに使い分けて、最近facebookを始めていますが、いつの間にか友だち承認した人の数が643人を越え、多くの人から近況が入るようになって、結構楽しんでコメント交流をしていますが、友だちがfacebook上に投稿している記事や写真で圧倒的に多いのは、「こんな物食べた、こんな呑み会をした」で、お互いが傷をなめあうように「いいね」ボタンを押し合っているようです。そのこと自体はいいことでしょうが、最近は多少軽薄な感じがしています。

 中には家族のほほえましい記事や写真も載せられ、リアルな近況に思わず顔をほころばせています。私も孫たちの成長ぶりを記録のつもりで時々紹介し、悦に入って爺馬鹿ぶりを発揮していますが、ふと自分の愚かさに驚くことがあるのです。「親馬鹿」という言葉があります。わが子可愛さの余り、子どもの欠点に気がつかなかったり、過大な評価をすることが言葉の意味であるなら、本当は「親馬鹿」ではなく「馬鹿親」だと思うのです。「親馬鹿」はどおってことはなく、むしろほほえましい感じがしますが、「馬鹿親」は子どもの正確な評価が出来ないで、他人から見ると愚かと思える行動をするのです。

 かくいう私も過去に親馬鹿よりも馬鹿親に近いことをやっていたと思うし、今も爺馬鹿ならぬ馬鹿爺的行動をしているのでは?と、深く深く反省をするのです。先日小学二年生の孫を学童クラブへ迎えに行きました。孫はその日暖かかったので、学校へ制服を忘れて帰ったようで、私の車で取りに行ってやりました。学校に制服上着を忘れたのが2回目だったので、私は車の中で少しきつく怒ると、孫はべそをかいて私に詫びましたが、校長先生が優しい言葉をかけてくれたので、孫は感極まって大泣きしてしまいました。

 校長先生と言葉を交わしながら、古い人間の私のやったことが「怒る」であって、「叱る」でなかったことを深く反省しました。「反省だけなら猿でもできる」というコマーシャルがありましたが、「誉めてやる」ことも大切だと実感しました。孫二人はやんちゃ盛りの男の子なので色々な悪ふざけをしますが、障子を破らないことと靴を毎日きちんと揃えることは、育爺のしつけどおりきちんと守ってくれています。「親馬鹿」を論じている口の下、こんな当たり前のことを誉めること自体が「爺馬鹿」ならぬ「馬鹿爺」ですが、これは人に何と言われようと誉めてやらなければなりません。さあ今日から「馬鹿爺」にならぬよう努力しましょうか。

  「親馬鹿と 馬鹿親似てる 言葉だが 馬鹿親だけは ならぬようにと」

  「怒ったら 孫は萎縮し 叱ったら 納得心 入れ替えやれる」

  「馬鹿爺に ならぬようにと 気を配る 好かれるだけじゃ 役目果たせぬ」

  「孫同居 毎日活気 みなぎって 私に活力 与えてくれる」 

 

 

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人間牧場

〇これからいかに生きるか

 この2日間ほど地域教育実践交流集会に参加して、多くの人と出会う中で、色々と考えさせられたり、気が付いたことがいっぱいありました。私は今でも「若い!!」と思っているし、「まだまだ私の力だって世間に通用する」と思ってみたりもしますが、気がつけば私も早71歳になりました。これまでは人生の折々に、潮目潮時を周りの状況から推し量り、引いたり進んだりしながらそれなりに振る舞って来ましたが、今やっている活動をどこで辞めるか、そろそろ考えなければならない新たな潮目潮時が来たようです。

 宗教学者の山折哲夫さんが、人間は①身銭を切る、②権限を委譲する、③出前をすることの三つが必要だと説いています。この三つはむしろ定年を迎え第一線を退いた人への警鐘でもあるような気がするのです。世の中には金を出さず口を出し、義務をやらずに権利を主張する人が余りにも多過ぎます。第一線を退けば給料収入は断たれますが、少ないといいながら行き届いた社会保障のお蔭で年金も入り、それなりに食べていけるのですから、多少身銭を切って多少でも社会や人様のお役に立つことをするのは当然のことなのです。

 権限を次なる人に委譲することも考えなければなりません。そのためには何を誰に譲るかが問題です。私は多くの人に育てられて今日まで生きてきました。今私があるのはその人のお蔭であることは言うまでもありませんが、ふと「私は一体誰を育ててきたのだろう?」と振り返れば、譲るものもないわが身と、育てた人の少なさに心が痛むのです。自分が育てたような顔をしていますが、私の近くにいる後継者と目される人たちは、自らの能力と他人の力によって育っているので、私の育てた人は皆無に等しいのです。今からでは遅きに失して間に合わず、「ああ~あ」って感じです。

 出前は私の一番得意とするところなので、体力・知力・気力を鍛えつつ、ほぼ毎日幸せのセールスマンとして、木になるカバンを持ちながら出歩いています。最近は愛大名誉教授の讃岐先生からいただいた二宮金次郎の銅像と同行二人の旅を続けて、中国の古書「大学」の本をカバン偲ばせ、大学の真髄を若輩ながら伝道しています。残された健康寿命を「これからいかに生きるか」、わが家の玄関先に飾っている種田山頭火の「何を求める風の中ゆく」という句を反芻している昨今です。

  「まだ若い もうそろそろが 喧嘩する これを潮目と 言うのだろうか?」

  「身銭切る 覚悟で人間 牧場を 造ったけれど まだまだ至らず」

  「後見りゃ バトン受け取る 人もなし 俺は一体 何をしたのか?」

  「疑問符が ???と 果てしなく 続いて首を うなだれ生きる」 

 

 

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